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2009年2月28日 (土)

千駄木庵日乗二月二十七日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅して、資料の整理。そして、次に書く原稿の準備。

夕刻、地元の人々と懇談。祭礼・神輿などを核にした地域の振興などについて話し合う。

        ○

報道によると、田母神俊雄前航空幕僚長は26日、都内で開いた新著出版会見で、自民党など3党から次期衆院選出馬の打診を受けていることを明らかにした。政界進出について「見極めが必要」としながら否定はせず、支持者の間には“田母神新党”の待望論があることも披露し、政界進出への意欲があることを明かしたという。

 そして、田母神氏は次期衆院選出馬の打診をしてきた政党を「3カ所。与党からも野党からもある」と述べ、このうち与党は自民党だといい、野党は「小さいところ(小所帯の政党)」と説明したという。

 田母神氏を辞職に追い込んだのは、自民党政権である。その自民党が田母神氏に出馬を勧めるというのは、何とも鉄面皮な話である。麻生氏などは、国会答弁を田母神氏を呼びつけにした。

 二か所の「小所帯の野党」とは、国民新党と改革クラブであろう。社民・共産ということはあり得ない。国民新党も、亀井静香代表代行は田母神氏を「死神」と揶揄した。その国民新党が田母神氏に出馬を勧めるというのもまた鉄面皮な話である。

 田母神氏は「政治家になっても、リーダーとかにならなければ。1個の政治家として力を発揮するのは難しい。私のもとには“田母神新党を作ってくれ”とのメール、手紙が山ほど届いています」と言っている。

新党を作るか、西村眞悟氏のいる改革クラブから立つかどちらかであろう。いずれにしても、自虐史観に支配された日本を正し、嘘と欺瞞の防衛政策を粉砕するために、田母神氏のような人物に国政の場で大いに活躍してもらいたい。

田母神氏を支持する国民が多いということは、日本もまだ大丈夫という気がする。

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2009年2月27日 (金)

千駄木庵日乗二月二十六日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは、諸雑務、資料の整理など。

        ○

民主党の小沢一郎代表は、在日米軍再編に関連し、大阪市内で記者団に「日本が、自分たちにかかわることはなるべく自分たちできちんとやるという決意を持てば、米軍が部隊をそんなに日本という前線に置いている必要はなくなる。おおむね(海軍)第7艦隊の存在で十分じゃないか」と述べ、在日米軍の陸空軍や海兵隊などの削減は可能だとの考えを明らかにしたという。

そして小沢氏は「日本に関連する事柄について、もっと日本自身が役割を果たせば、米国の役割は減る」と主張し、「日本が極東における安全保障の役割を担っていくことで話がつく」と述べ、在日米軍削減と引き換えに日米防衛協力など日本の安全保障上の役割を今よりも強化する考えを示したと報道されている。

テレビの報道では小沢氏はたしかに、「日本の防衛のことについては、自分のことなんですから、日本が責任を果たしていけばいいということです」と言っていた。

第七艦隊以外の米軍の軍事力には頼らないようにするために、日本の防衛力を強化せよと言ったと理解する以外にない。つまり、日本が自主防衛体制を確立するべきだという主張であろう。そう理解する以外にない。

自民党は暴論だと批判しているようだが、私が受け取った通りの意味なら、小沢氏の言ったことは正論である。この小沢氏の主張を民主党政権の安全保障政策・防衛政策にしたら、社民党はとても連立を組めないだろう。それどころか民主党内の左派も反対するだろう。自民党にさえ危険だと批判する人がいる。せっかく民主党を中心として反自民政権ができる矢先にこういう発言をするというのは、またまた小沢氏の壊し屋の本領発揮というところであろうか。

昨日の前原氏の国会質問も、防衛・安保に関しては良いことを言っていたようだ。小沢・前原氏などの主張で民主党を統一できるかどうかが問題である。私は無理だと思う。また、社民は連立に加わらないだろう。そうすると政界再編ということになる。

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2009年2月26日 (木)

千駄木庵日乗二月二十五日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

この後、ケアマネージャの方などと父母の今後の介護について相談打ち合わせ。ホームヘルパーの数が不足していることが大きな問題である。報道されている通り、仕事がきつい割には報酬が少ないので、長く続く人が少ないとのことであった。特に土日に仕事をすることが不足している。困ったことである。

昼は、知人と懇談。

午後は資料の整理。

午後六時半より、駒込地域文化創造館にて「萬葉古代史研究會」開催。小生が、橘諸兄(たちばなのもろえ)・大伴坂上郎女(おほとものさかのうえのいらつめ)の歌などを講義。

         ○

今日は次の歌を講義しました。

「左大臣橘宿禰の詔に

應(こた)ふる歌一首

降る雪の白髪までに大君に仕へまつれば貴くもあるか

(三九二二)」

(降る白雪のように、髪が白くなるまでも、大君にお仕え致しまれば、本当に畏れ多くもかたじけないことでございます」という意)

左大臣橘宿禰とは橘諸兄のことで、橘諸兄は、敏達天皇四世の孫・美努王の御子で、天平八年に臣籍に降下し、母方の姓を名乗りました。以後、右大臣・左大臣・太宰府長官などを歴任しました。この歌は、天平十八年正月、元正天皇の御所で催された祝賀の宴で、天皇の御命令に答え奉って詠んだ歌であります。二十歳で官職についてから、五十年以上大君に仕えた人です。この歌は、その実感を詠んだものです。

謹みの深さがあり、重厚な品格もあり、天皇の臣下としての矜持をつつましく謳いあげた素晴らしい歌であります。この歌は、天皇の御前で朗々と歌われた歌であります。そこに素晴らしい美的空間が生まれます。その美しさ、荘厳さが、そのまま「まつりごと」なのであります。

今日、毎年新年に、宮中歌会始の儀が執り行われます。上御一人はじめ、皇族方の歌が朗々と唱えられます。歌人そして一般国民の歌も披露されます。しかし、内閣総理大臣以下、天皇にお仕えする臣下の歌は披露されません。第一、歌を詠む政治家は全くいないと言っていいのではないでしょうか。今の政治家・権力者は醜い政争・権力闘争ばかりに明け暮れて、日本の傳統を忘却しているのであります。こういうところに、現代日本の混迷の原因があると思います。

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2009年2月25日 (水)

千駄木庵日乗一月二十四日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅して、明日の「萬葉集」講義の準備。

そして、溜まっている資料の整理など。

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来年四月の興行を最後に歌舞伎座が全面建て替えに入るという。歌舞伎座には何回か行ったが、演舞場では見たことがあるが、歌舞伎座で純粋な歌舞伎を見たことはない。

昭和四一年十月に行われた「合同特別十月興行」というのを見に行ったことがある。これは私が大好きだった新国劇と新派と歌舞伎の合同公演というまことに珍しいものだった。新国劇は島田・辰巳・緒形。歌舞伎は守田勘弥・市村竹之丞(今の中村富十郎)・尾上菊蔵。新派は水谷良重(今の八重子)・阿部洋子という面々であった。演目は島田正吾主演の「花の吉原百人斬り」などであった。何故こんなに詳しく覚えているかというと、プログラムを保存しておいたからである。あと何時だったか忘れだが、「中村錦之助」の公演を見に行ったことがある。この時は母と一緒だった。

東京12チャンネル(今のテレビ東京)で毎年大晦日に放送している「年忘れ日本の歌」という公開番組を見に何回か歌舞伎座に行った。そして、生前懇意させて頂いていた渡辺はま子先生を楽屋にお訪ねした。司会のコロムビア・トップ氏とも知り合いだった。楽屋や舞台のソデで両氏とお話ししたりした。渡辺先生の楽屋は、淡谷のり子、松島詩子・二葉あき子の三氏と一緒であった。そこに漫才の内海桂子さんが訪ねて来て、四人の先生方に色紙を書いてもらっていた。松尾和子さんなども挨拶に来た。

トップ氏の楽屋は、伊東久男・霧島昇両氏と一緒だったが、トップ氏は、二人の大先輩に遠慮して敷居から奥へは入らなかった。楽屋から客席に行こうとして、奈落に降りて行ったら、霧島昇氏が発声練習をしていた。

歌舞伎座で歌舞伎を見たことはないが、楽屋から奈落まで入って行ったことがあるのである。懐かしい思い出である。渡辺先生もトップ氏ももう亡くなってしまった。心よりご冥福を祈ります。

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2009年2月24日 (火)

千駄木庵日乗二月二十三日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

昼は知人と懇談。

午後は水曜日の「萬葉集」講義の準備。

午後七時より、午後七時より千駄木の養源寺にて、「おとなの寺子屋・論語の会」開催。東洋大学共生思想研究センターの野村英登氏(文学博士)が講義。次のように語った。

「『伯夷列伝』には、正しいことをしても恵まれなかった人の名を残すために『史記』が書かれたと書いてある。

漢の武帝の時代に儒教が国教となる基盤が作られた。この場合の国教とは国の教化という意味。古典の発想・思考・哲学は漢の時代のものが継承されている。

『太史公自序』には司馬氏のルーツが書かれている。『天文地理』(天の文、地のことわり)を理解し皇帝を補佐した人の子孫が司馬一族。天の意志を感じ取り見定めることが、地上の統治にとって大事。農耕民族にとって何時種を撒くべきか、気候はどう変化するかが重要な問題。

史官とは皇帝の言行を書きとめる人。儒者は、先王の事績に則って物事を進めようとする。荀子は『今の世には今の世のやり方がある』と言った。『名家』は一般的に論理学の祖とされる。一番大事なのは『正名』だとする。物事の定義をはっきりさせるべしとした。『道家』は、自然の摂理に従って行けば栄えますよ、という思想。

世の中の変化に臨機応変に対応するのが上に立つ者の役目。『儒』とは孔孟のみに非ず。荘子・老子などの道家も含まれる。

『君子不器』(君子は器ならず)とは、何か一つのことにしか使えないのでは駄目。どんなことにでも対応できないと君子とは言えないということ。キャリア官僚が転勤するのは、腐敗を防ぐ意味もあるが、ゼネラリスト育成の発想がある。専門家の上に立つのは、必ずしも専門家である必要無し。人心を掌握できる人が上に立つべし。

法家(法を基準として信賞必罰の権力政治を行うことを主張する学派)より儒家の方が良いというのはそういう意味。」と語った。

帰宅後は、明後日の萬葉集合議の準備。

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日本思想体系『古事記』の「補注」において佐伯有清氏は、「(聖帝の注)『聖』とは、耳と呈(貞即ち正)から成り、耳聡く聞き分ける人、神秘的な洞察力のある人物。農耕社会では時候の推移を洞察して農事を指導することが、対立する主張を聴取して調整することと共に、王たるべき者の責務であるから、聖と王とは結びつきやすい」と論じている。

また『角川当用漢字字源辞典』(加藤常賢先生・山田勝美先生著)によれば、「聖」とは、「意味を表わす『耳』と『口』と、音を表す『壬』とからなる形声字。…耳の穴がよく開いていて普通人の耳に聞こえない神の声の聞こえる意。…古代社会においては、普通人の聞きえない神の声を聞き分けうる人を『聖』と呼んだものであろう」という。

 一般人が聞きえないことを聞く人というのは、聴覚器官が普通の人より発達している人ということではなく、神霊の声を聞く人ということであり、祭り主ということである。神の声を聞いて民に伝え、民の声を聞いて神に申し上げるという神と人とをつなぐ役目を果たされる祭り主が天皇であらせられる。

また、<やまとことば>の「ひじり」(漢字では聖と書く)とは、「日を知る人」の意であるという。日とは文字通り太陽のことであり、天体の運行に通暁している人のことである。天体の運行即ち暦は農業にとってきわめて重要である。これを知っている人は農耕国家の君主たる資格を持つのである。また「日」は「霊」であり、「ひじり」は「霊力を有する神聖な存在」という意味でもある。

日本伝統の「ひじり」についての考えと支那の「聖」という字の意義とが結合して「聖帝」という思想が生まれたのである。

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2009年2月23日 (月)

千駄木庵日乗二月二十二日

午前は父母のお世話。

午後はある歌手の方と懇談。近く開かれる発表会で、『萬葉集』のユーモアのある歌に曲をつけて歌いたいとのことで色々相談。

この後、「政界往来」の連載原稿執筆、完成、送付。

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最近、猪木正道氏の『軍国日本の興亡』という本を読んだ。書名から分かるように、「日本は満州事変から終戦までの日本の行動は侵略戦争であった。米・英・ソを敵に回し、支那大陸に軍を進めるなどという狂気の沙汰だ」ということが綿々とつづられている。

そして猪木氏はこの本で、「『天皇親政』という思想は神がかり・幻であり、立憲君主制と矛盾する。この思想が戦争に導いた」と主張している。ところが「二・二六事件は、昭和天皇の厳然たる御命令のお陰で見事に鎮圧された」と書いている。全く矛盾する論議である。昭和天皇が、立憲君主制の枠を超えられて、天皇親政の実を発揮されたからこそ、二・二六事件は鎮圧されたのである。終戦の御聖断も同じである。天皇親政は決して幻ではないし、日本を戦争に導いた原因ではなかった。

猪木氏はこの本は、米英支ソに対して極めて甘く、日本に対して極めて厳しい全く一方的な歴史観に支配されている。防衛大学校長がこうした論議を堂々と本にして発表しても何の批判も起こらず、「日本は侵略国家ではなかった」という正論を発表した田母神空幕長が、袋叩きにあったということは、今の日本がいかにおかしくなっているかを証明している。

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2009年2月22日 (日)

千駄木庵日乗二月二十一日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

この後、「政治文化情報」発送完了。購読者の皆様には月曜日にお届けできると思います。

午後三時より、池袋の豊島区生活産業プラザにて、「アジア太平洋交流学会」開催。久保田信之代表が挨拶。佐藤ゆかり衆院議員が「政治的混迷と私たちの任務」と題して講演し、「派遣の規制緩和が雇用の増加につながったことは事実。雇用の多様化の促進によって、子育て層の女性や定年期を迎えた人の就業の機会が増えた。

雇用対策をすぐ実施しなければならない。農業とクリーンエネルギーが重点分野。自営農家は減っているが、若い人々に田舎に行って農業をやりたい人が増えている。付加価値の高い農産物がよく売れるようになり、日本は食糧面において世界で戦える価格競争力が出て来た。

食糧自給率をアップしなければならない。食糧の輸出を促進すると、生産能力を高め、いざという時に自給できる。社会政策ではなく産業政策として農業を育成すべし。金融面で、地方自治体と民間が投資し合う農業支援ファンドを作る。個人に対する融資ではなくファンド形式にしてリスクを少なくする。

太陽光発電でクリーンエネルギーによる産業革命を起こす。自動車産業は経済波及効果が高い。当面は政府からの援助で産業振興する。家電製品への普及を考える。IT革命に次ぐ革命と位置付けられる。省庁の壁を乗り越えてクリーンエネルギーを推進していく。」と語った。

この方は、野田聖子氏との闘いなど政策面ではないことでメディアの格好の取材対象になったが、なかなか興味深い講演であった。日程が詰まっているとのことで、講演時間も短く、質問と懇談の時間がなかったことが大変残念であった。日本の農産物は、世界的にも高い水準にあると思う。どんどん生産を促進し輸出を増やすべきである。

帰途、知人と懇談。

帰宅後は、諸雑務、書状執筆など。

        ○

議員は落選すればただの人になると言われているので、何としても選挙に勝たねばならない。そのためには、地元選挙区活動が何よりも優先される。それは仕方がないことなのだが、地元活動の中身が問題である。出来るだけ多くの会合に出て、握手をしたり、酒を注いだり、愛嬌をふりまくだけというのでは困る。

肝心の政策を国民に理解してもらったり、国民の考え方をよく理解する機会を多く持つべきである。今の政治家には政策を勉強したり、情報を自ら収集し、国民のためになる政策を作り出す時間的余裕がないのではないか。政治家の質の低下と言われるが、これは国民の側にも問題があると思う。

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2009年2月21日 (土)

千駄木庵日乗二月二十日

午前は父母のお世話。

午後は「政治文化情報」発送準備。

夕刻、湯島天満宮に参拝。梅園を散策。「新派碑」(昭和五五年水谷八重子・松竹㈱建立)、「講談高座発祥の地碑」(昭和五六年一龍齋貞水建立)、「都々逸之碑」(平成二十年二月吉日建立・世話人代表谷口安閑坊)などを仰ぐ。湯島天神境内ならではの江戸情緒あふれる石碑が多かった。

午後六時半より、「國體政治研究會」開催。小生が司会。幹事の高池勝彦弁護士が挨拶。

黒田秀高伏見稲荷大社禰宜が講演し、「神社も時代の波に翻弄される。戦後は『軍国主義の温床』との批判を受け、危機に瀕した。神道は神と個人との関係ではない。国家神道が何故悪いのか。国家仏教があった。東大寺は鎮護国家のために、聖武天皇が建立した。神社は、天皇の彌榮・国家の安泰・五穀の豊穣を祈る。仏教は最初、病気平癒などの個人信仰として日本に入って来た。

明治元年、氷川神社に下されたる勅書には『神祇を崇め祭祀を重んずるは、皇国の大典、政教の基本たり。』『新たに東京を置き、親しく政を臨み視る。將に先づ祀典を興し、綱紀を張り、以て祭政一致の道に復せんとす。』と示された。明治維新は祭政一致として進むことが理念。『禁秘御抄』に示された『凡禁中作法、先神事、後他事』が祭政一致の根本理念。

公家は必ずしも尊皇・勤皇ではなかった。高山彦九郎・竹内式部・山縣大弐が『日本は天皇の国』と言ったことを幕府に告げ口したのは公家。入江相政は祭祀軽視。

東大で宮沢憲法学を習った官僚たちは『宮中祭祀は国事行為ではないのだから軽減するのは当たり前』という考え。宮中祭祀こそが、天皇の国事行為と私は認識している。

神仏習合は初めは神主仏従だったが、仏教が強大になり、仏主神従になっていった。江戸時代は神主が死んでも仏式の葬儀が行われた。神仏習合ではなく神仏共存であるべし。坊さんが神前でお経をあげるのが神仏習合。

死者に鞭を打たないというのが日本の道義。『A級戦犯分祀論』は死者の鞭打つ行為。

法理上、天皇は統治大権と祭祀大権を総攬されるというのが私の解釈。宮内庁が総務省の外局というのは、皇室軽視。宮内省に昇格せしめるべし。」などと語った。

帰宅後も、発送準備。

          ○

戦前の宮内大臣は、伊藤博文・田中光顕・牧野伸顕など総理と同格あるいはそれ以上の人物が就任した。これらの人々は、政治家に顎で使はれるなどといふことはなかった。だからこそ、皇室の藩屏の役目を果たすことができた。

戦前は、天皇及び皇室を輔弼しお守りする体制が整へられてゐたので、政治権力者によって利用されるなどといふことはまづなかった。

戦前の宮内省は「大宝律令」以来の歴史と伝統を有し、宮中・府中の別が確立され、一般行政の枠外に立っていた。即ち、時の政府から独立した存在であった。

戦後、占領軍は、皇室制度の弱体化を進めた。その顕著な例が、宮内省の宮内庁への格下げである。「現行占領憲法」のもと、宮内庁は内閣総理大臣の管理下の機関となり、総理府の外局にすぎなくなった。(現在は内閣府に置かれている)。

戦後体制からの脱却は、憲法・教育・国防のみならず、皇室制度においてこそ実現されなければならない。宮内庁の省への昇格と、機能と権限の強化が望まれる。宮内大臣には、総理経験者以上の人が就任すべきである。また、元老、重臣、内大臣、宮内大臣、宮中顧問官、枢密院、近衛師団なども復活すべきである。皇室の権威を本来の姿にお戻しすることが何よりも大切である。

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2009年2月20日 (金)

千駄木庵日乗二月十九日

午前は、医師来宅。父母の診察と治療。その後、父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後一時半より、豊島区立千早地域文化創造館にて、「萬葉會」開催。小生が『萬葉集巻十四』の歌を講義。

帰宅後は『政治文化情報』発送準備など。

         ○

またまた小沢一郎批判で恐縮だが、やはり民主党政権が現実性を帯びてきている以上、しっかりと小沢氏を批判しておかねばならない。

 

小沢民主党は盛んに創価学会・公明党を批判しているが、創価公明を最初に政権与党に導き入れたのは、小沢一郎である。小沢およびその追随者に学会を批判する資格はない。また、社民党(旧社会党)を最初に政権内部に導き入れたのも小沢一郎である。

 自民党はいくらだらしなくても「天皇制打倒」ではあるまい。「自衛隊違憲論」「非武装中立論」でもあるまい。ところが社民・共産両党はどんなに偽装してもその本質は「天皇制打倒あるいは無化論」「自衛隊違憲=自衛軍備廃止論」である。

 國體護持・真正保守の立場と社民・共産両党とは「基本認識の共有」などあり得ない。小沢が反自民政権樹立のために社民・共産とも協力するということは、社民・共産の「天皇制打倒・自衛軍備廃止論」を肯定したのと同じである。共産党はかつてソ連・共産支那の手先であったし、社民の前身たる旧社会党は北朝鮮の手先であった。共産侵略国家の手先の政党と手を結ぶことは絶対に許されない。民主党内には、旧社会党勢力が根強く力を有している。

 政治家の質の低下ということが言われているが、一番質が低下しているのは、中川昭一でも、麻生太郎でもない。小沢一郎であると断言する。

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2009年2月19日 (木)

千駄木庵日乗二月十八日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後二時より、三田にて開かれた会合にてスピーチ。終了後、先輩と懇談。

帰宅後は、「政治文化情報」発送準備など。

           ○

今日の会合でメディアの報道姿勢について話した。何時も思っていることだが、要するに新聞雑誌テレビは、商業であり、営利事業なのである。雑誌新聞の売り上げ増加、テレビ視聴率の向上が目的なのである。だから、ある事ない事センセーショナルに報道するのである。しかも私が許せないのは、営利目的なのに、正義の味方面していることである。

さらに、問題なのは、日本国家を転覆させようとする意図のもとに偏向した報道を行っているメディアの存在である。偏向マスコミは、自民党政権を何としても打倒し、民主党中心の政権を実現させるべく、キャンペーンを張っている。民主党左派・社民党・共産党は、反日政党である。歴史と伝統の國日本を破壊することが彼等の最終目的である。

こうした状況にあって、わが日本は益々劣化していく。行き着く果ては亡国である。日本が滅びた方かいいと思っている連中が、今や最大の権力となっているメディアを牛耳っているのだからどうしようもない。小沢一郎は、そういうメディアに迎合して、権力を握ろうとているのである。愈々以て大変な事態になって来た。

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2009年2月18日 (水)

千駄木庵日乗二月十七日

午前は父に付き添って病院に赴く。定期的な診察と治療。

午後は皇居東御苑にある宮内庁三の丸尚蔵館で開催中の『三峰窯の思いでー宮様とやきもの』展参観。

「案内書」によると、「三峰窯(みつみねがま)は,御殿場御別邸で療養生活を送られていた秩父宮雍仁親王殿下の陶芸に親しみたいという思召しにより,昭和25年(1950)に陶芸家加藤土師萌(はじめ)によって築かれた窯です。三峰窯の名前は,御殿場御別邸から眺められる富士,箱根,愛鷹の三峰,そして宮号と縁の深い秩父三峰との関わりから,殿下によって名付けられました。」「雍仁親王殿下が薨去されてからしばらくの間,三峰窯は閉じられていましたが,その後再び皇族方や親しい方々がお訪ねになり,秩父宮妃勢津子殿下を囲んでやきもの作りを楽しまれました。高松宮宣仁親王殿下と同妃喜久子殿下もたびたび三峰窯を訪ねられ,ご制作のひとときを過ごされました。」「本展では,旧秩父宮家と旧高松宮家のご遺贈品の中から,三峰窯にまつわる陶芸作品や,その指導に当たった加藤土師萌など両宮家に縁の深い陶芸家の作品を紹介します。」との趣旨で開催された。

秩父宮雍仁親王殿下・同勢津子妃殿下、高松宮宣仁親王殿下・同妃喜久子殿下、そして、秩父宮殿下に作陶の指導をした加藤土師萌氏の作品などが展示されていた。どの作品も品格のある美しいものであった。秩父宮殿下の「面影」という名のつけられた天木釉茶碗の「箱書」には、勢津子妃殿下の

「ひたむきに ろくろひかししおもかけの 手にとるやかて目にうかひくる」

という勢津子妃殿下の御歌が妃殿下の直筆で書かれてあった。長く病気ご療養中であられた秩父宮殿下が、ひたむきに陶芸に励んでおられたお姿を偲ばれた御歌で、拝して涙を禁じ得なかった。

『古今和歌集』などの和歌を出典として「銘」が付けられた作品も多かった。日本文化・藝術の継承は、皇室・宮廷が大きな役割を果たされていることを改めて実感した。

この後、晴れ渡る大空のもと、東御苑を散策。

帰宅後は、明後日の「萬葉會」における講義の準備など。

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中川昭一氏が大臣を辞任した。安倍氏の総理辞任と同じく、心身に異変が起きてその職を辞したということである。私に送られてきたメールによると、真正保守の政治家としてこれから日本を担うと思われた二人の政治家が、病気で不本意な辞任に追い込まれたのは、国際的な謀略ではないかという意見があるとのことである。私にはそれは分からない。

ただ言えることは、中川氏の場合は、やはり酒を飲んでいたのなら、あるいは体調がすぐれなかったのなら、本人自身が記者会見に出るべきではなかったし、側近者も出席を止めるべきであった。謀略であろうとなかろうと、この点は本人および側近の責任はやはり大きいと思う。

クリントン国務長官が、皇后陛下の謁を賜ったことと、明治神宮に参拝したことは、大変良かったと思う。クリントンさんを見直した。

小沢一郎氏が、クリントンさんとの会談後、何と「国務長官閣下」と言った。「日米対等の外交」とか「言うべきことは言う」などと言っていたのに、何んとも卑屈な態度である。よっぽど「国務長官閣下」に会うことが出来てうれしかったのだろう。今後、小沢氏は外国の高官に対しては、すべて「閣下」と言うべきである。そうしなければ、日米対等外交などと言っているのは嘘っぱちということになる。

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2009年2月17日 (火)

千駄木庵日乗二月十六日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅して、「政治文化情報」発送準備・書状執筆・諸雑務。

         ○

オバマ政権に対して、日本よりも共産支那を重視し、北朝鮮に妥協し、拉致問題を無視するという心配があった。しかし、クリントン国務長官が日本を最初の外国訪問先に選び、且つ、拉致問題にも言及した。

日米戦争を開始したのは民主党フランクリン・ルーズベルト政権であり、日本に原爆を落としたのも民主党トルーマン政権であった。日露戦争で日本の味方したのは共和党セオドア・ルーズベルト政権であった。そんなことから、民主党は共和党よりも反日的だという認識が私にはあった。しかし考えてみれば、日本に何の相談もなく共産支那と国交を樹立したのは共和党ニクソン政権であった。

民主党だろうと、共和党だろうと、当然のことながら外交政策はアメリカの国益のために行うのである。アメリカはアメリカなのである。対テロ戦争もイラクからアフガンに戦場を移すだけのことである。日本はアメリカの政権を民主・共和のどちらの党が担当しようと、そんなことに一喜一憂してはならない。

ともかく日本は自らの国力を強めねばならない。国家民族の劣化を食い止めねばならない。日本は日本であらねばならない。アメリカや支那の属国になってはならない。

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2009年2月16日 (月)

千駄木庵日乗二月十五日

未明、「政治文化情報」の原稿完成、印刷所に送付。

午前は父母のお世話。

午後からは在宅して「レコンキスタ」用原稿執筆・完成・送付。

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神武天皇「橿原奠都の詔」(『日本書紀』)に「夫れ大人(ひじり)の制(のり)を立つ。義(ことはり)必ず時に随(したが)ふ。苟(いやし)くも民(おほみたから)に利(くぼさ)有らば、何ぞ聖の造(わざ)に妨(たが)はむ」と示されている。

「聖人が制度を作る場合、必ず時に適合したものとする。だから民の利益になることならば、どんなことでも聖人の行うこととして妨げは無い」という意である。

制度というものはいかなるものであべきるかということが示されている。三千年昔と言われる神武天皇の建国の精神は、実に以て進歩的にして国民を第一と考える精神だったのである。今日においても決して色褪せないどころか、今日においてさえ言葉の真の意味において進歩的な考え方である。

日本天皇の国家統治の根本精神は、時勢というものを十分に考慮し、国民の利益を第一と考える精神である。一度決めた制度はたとえ国民のためにならなくなってもなかなか変えようとしない政治は日本の伝統に反する。「現行占領憲法」下の「戦後体制」はまさにその典型である。郵政民営化も、国民の利益にならない点があったらどんどん転換するなり調整すれば良いのである。

『日本書紀』とか『神武建国の精神』というと古色蒼然とした思想に貫かれているなどと思ったら大間違いある。復古即革新が日本の傳統精神である。また「伝統」と「旧来の陋習」とは全く異なる。『五箇条の御誓文』には「旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ」と示されている。天皇国日本は何と素晴らしい国であることか。

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2009年2月15日 (日)

千駄木庵日乗二月十四日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後二時より、渋谷道玄坂のフォーラムエイトにて、「日台関係研究會」開催。浅川公紀武蔵野大学教授が講演し、「アメリカ国民は6対4で、オバマの成功に懸けている。これからのオバマの道は大変。アメリカの一極支配が終わり、多極化あるいは無極化の時代になった。それにどう対応するのか、オバマが国政に携わったのは三年間の上院議員のみ。昨年十一月四日、テロとの戦いの継続を鮮明にした。

対日関係に意欲を持っている。日本の好意的。オバマは同盟関係よりも地域的安全保障の枠組みを作ろうとしている。六カ国協議は維持するだろう。ブッシュは、金正日・盧武鉉、陳水扁が嫌いだった。オバマが北朝鮮への融和策を取ることは十分考えられる。直接対話を進める。中国の国際経済における影響力の拡大により、アメリカは中国と仲良くしなければならない。中国の軍備拡張・軍の近代化がアメリカを脅かす。

オバマは選挙中台湾のことを話していない。オバマは中国に対して好意的ではない。『中国が為替操作をしている』という厳しい見方をしている。ブッシュは事実上北朝鮮の核保有を認めた。これは失敗だった。オバマは金正日に会いに行かず、クリントン国務長官が行くだろう。

クリントンの国務長官任命は、外交がうまくいかなかったら、その責任を負わせ、次期大統領の目を摘むという深謀遠慮があるのかもしれない。」と語った。

終了後懇親会。

帰宅後は、原稿執筆など。

           ○

懇親会で、在日台湾人の方と懇談した。日本で医師をされているのだが、小生より十歳くらい年上で、少年時代台湾で二・二八事件を体験されたこの方は次のようなことを語ってくれた。「中学の物理の先生が急にいなくなった。最初は授業がなくなったので喜んだのだが、心配になって校長にどうしていなくなったのかと聞いたら、行方不明だと言われた。国民党軍に連行され、殺されたのである。また、郷土台南の先輩で、戦前日本の高等文官試験に合格し、戦後弁護士をしていた人が、やはり国民党に殺され、公園の木につるされた。二・二八事件とその後の白色テロにより、日本教育を受けた台湾のエリートたちは殆ど殺された。」

支那人の残虐さを身を以て体験した人が台湾人には多くいる。大陸から逃げて来た支那人が支配階級となっていたので、運のいい優秀な台湾青年は国外に脱出した。その人たちの中には、日本やアメリカで独立運動を行った人も数多い。

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2009年2月14日 (土)

千駄木庵日乗二月十三日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅して「政治文化情報」の原稿執筆。

夕刻、地元の友人と懇談。

帰宅後も原稿執筆。

        ○

政界の混乱は目に余るものがある。小泉元総理の発言により、自民党分裂の可能性が出て来た。いっそそうした方がいい。ただし、今の選挙制度でそれがうまくいくかどうか。もともと自民党という政党そのものが連立政権のようなものなのである。全く考え方の違う人々が野合して同じ政党を作っているのだ。それは民主党と同じである。政策論争がすぐに権力闘争となる。というよりも政策論争とは名ばかりで要するに権力闘争なのである。

民主党だって、政権を取ったら必ず内部対立が起るに違いない。社会主義者から保守主義者まで一緒なっているのだから…。何時までも小沢を中心に団結して行くとはとても思えない。

郵政民営化の見直しは正しいと思う。町の郵便局に四つの会社が同居しているなんて異常である。郵政民営化は見直すべきだ。

一度決めたことは一切変更しないなどという硬直した考え方は、自由民主主義に反する。教条主義である。法律も、制度も、国民の幸せのためにある。国民の幸せのためなら一度決めたことでもどんどん変えるべきである。法律と制度をより良きものにするのは政治家の使命である。

小泉さんでがっかりしたのは、改革を唱え、中曽根・宮沢という大先輩を引退に追い込んだにもかかわらず、自分の息子を後継者にしたことだ。総理経験者には、定年制を設けるべきではない。

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2009年2月13日 (金)

千駄木庵日乗二月十二日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

昼は知人と懇談。

午後は原稿執筆など。

午後六時より、神保町の同志事務所にて「九段下沙龍」開催。多くの同志と当面する諸課題について討論。

帰宅後は原稿執筆など。

        ○

「週刊新潮」の報道について話題になっている。同志間では、「信じがたい報道である」「ガセである」というのが共通の認識である。この連載はあと一回くらい続くようであるが、次の記事が我々の疑念・批判に対してきちっとした対応を示さないと、「週刊新潮」に対する批判が相当高まると思われる。

「週刊新潮」は、週刊誌の中でも、その記事の面白さは、トップクラスである。私も毎号必ず買っている。しかし、長年にわたって皇室の尊厳性を冒瀆する記事を掲載して来た。しかも、そのやり口は極めて巧妙というかずる賢い。皇室のことを心配しているようなポーズを取りながら、書かなくてもいいこと、書くべきではないことを書いてきた。皇室の御安泰を念じての報道ではなく、皇室記事を載せるとよく売れるから書いているのである。

雑誌の売り上げを上げるためなら、手段を選ばない、どんなことでも書くという姿勢は全く許し難い。それはテレビ・新聞など他のメディアも同じである。メディアのこうした姿勢がどれだけ日本を悪くしているか計り知れないものがあるる。

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2009年2月12日 (木)

千駄木庵日乗二月十一日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅して「政治文化情報」の原稿執筆。

         ○

今日は紀元節・建国記念の日である。

神武天皇(神日本磐余彦火火出見尊<カムヤマトイハレヒコホホデミノミコト>とも申し上げる)が大和橿原の地に都をお開きになり、天皇に即位された日である。その年から数えて今年は二六六九年なのである。『日本書紀』には、「辛酉年(かのとのとりのとし) の春正月(はるむつき) の庚辰(かのえたつ) の朔(ついたち)、天皇橿原宮に即帝位(あまつひつぎしろしめ)す」と記されている。

神武天皇即位の日が正月朔日(むつきついたち)なのは、むつき(正月)の始めにおいて、神も天地も人も新生するという上古以来の日本人の信仰の上に立っているのである。

祭祀的統一によって成立した大和朝廷の初代の天皇が神武天皇である。稲作国家日本の祭祀的・信仰的統一、そして祭り主・天皇を中心にした國民の精神的共同體の成立を體現する御方が神武天皇なのである。

外國では、太古の王家も古代國家もそして古代民族信仰もとっくに姿を消し、その後に現れた王家は武力による征服者であり、その後に現れた國家は権力國家であり、その後に現れた信仰は排他的な教団宗教である。古代オリエントや古代シナにおいては、祭祀を中心とする共同體が武力征服王朝によって破壊されてしまった。

 それに比してわが日本は、古代からの祭祀主を中心とする共同體國家が今日までも続いている世界唯一の國なのである。今日は皇室祭祀だけでなく、全國各地の神社で祭祀が続けられている。まことにありがたき事実である。

今日は国民全体がこぞって祝い、その意義を深くかみしめるべき日である。しかるに、今日の新聞・テレビは、公共放送たるNHKの含めて、紀元節・建国記念の日に関する番組も記事もを一切報道しなかった。何んともおかしなことである。いかに今の日本がおかしくなっているかを証明している。

宣伝めいて恐縮ながら、『世界日報』本日号に、「建国記念の日特集」として「建国の舞台となった熊野、吉野、大和」と題する小生のインタビュー記事が掲載された。興味のある方はどうかお読みいただきたく存じます。

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2009年2月11日 (水)

千駄木庵日乗二月十日

午後は、原稿執筆。

午後六時より、平河町の高池法律事務所にて、「國體政治研究會」幹事会開催。中村信一郎氏が司会。今後の活動について討議。

帰宅後は、原稿執筆。

            ○

現代の混迷を何とか打開するにはどうしたらいいのか。政治や経済面の打開策も大切だが、やはり、人間精神の根本的な更生が実行されなければならないと思う。それには正しい信仰精神に依拠しなければならない。

我々日本民族の祖先が有した人生や國家や世界や宇宙に対する思想精神は、我が國の後世や外國に見られるような誰かが説いた知識として独立的に存在しているのではなかった。神とか罪悪に関する考え方が、全て祭祀という実際の信仰行事と不可分的に生まれてきた。抽象的な論理や教義として我が國伝統信仰の精神即ち神道を理解することはできない。

わが國の伝統精神は、一人の教祖が説いた教義・教条ではない。教条的で固定的な教義を絶対的なものと信じてこれを、信じ込ませるというのではない。

わが國は神話時代(神代)以来の伝統精神すなわち日本國民の歩むべき道というものがある。それは敬神崇祖の精神である。それに回帰することによって現代の混迷を打開すべきである。日本伝統精神の本質は、自然を大切にし自然の中に神の命を拝む心である。そして祖先を尊ぶ心である。つまりきわめて自然で自由で大らかな精神なのである。わが國においては自然の命を尊び、祖靈を崇拝するという生活そのものの中に伝統信仰が生きているのである。

わが國の麗しい山河、かけがえのない道統を重んじ、日本の伝統的な文化を大切なものとする姿勢を取り戻し、祖國日本への限り無い愛と、國民同胞意識を回復しなければならない。

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2009年2月10日 (火)

千駄木庵日乗二月九日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は諸雑務。そして原稿執筆。

午後七時より千駄木の養源寺にて、「おとなの寺子屋・論語の会」開催。東洋大学共生思想研究センターの野村英登氏(文学博士)が講義。次のように語った。

「天命を受けて地上を統治する人が新しい王朝を作った時、前の王朝が地上統治の任に堪えなかったことを証明するために、宿命論的な理屈を後からつけるため『正史』が作られた。それが中国の『二十四史』。『明史』まではあるが『清史』は無い。中華民国が『清史稿』を正式の『清史』にしたが、中華人民共和国は認めていない。正史を編むのは極めて政治的な行為。

『春秋』(魯を中心とする歴史書。魯の史官の遺した記録に、孔子が筆削を加えとたされる)は単に歴史を記録したのではなく、価値判断が書かれている。客観的事実を記録するのが歴史家の仕事ではなかった。ちょっとした言葉の用法の違いに価値判断が示される。これを『春秋の筆法』という。『微言大義』(ちょっとした言葉にも大義が語られる)ともいう。

事実を書くだけが歴史ではないということが明確に打ち出されたのが『史記』(中国の正史。一三〇巻。前漢の司馬遷撰)。『天道是か非か』がメインテーマ。『世の中では悪行の限りを尽くした人間が天寿を全うし、行いに気をつけて、正しいことを正しいと言う人物が突然不幸な目に遭って死んでしまうことが数限りない。一体全体、天が示す正しき道などこの世に有るのだろうか?。いや無い。善行を行った人物で歴史に残らなかった人物は数限りない。これらの人物は、孔子の様な人物に紹介されてやっと後世に名前を残してもらえるに過ぎない。』というのが司馬遷が『史記』を書いた動機。儒教的価値観に疑問を持ちながらも、後世のために大切なことを残そうとした。司馬遷は宮刑に処せられ、絶望の中で書いた。

『故に』とは、『古い書物にはこう書いてあります』と典拠を示すこと。『温故知新』とは古いものを学んで新しいものを得る姿勢を説いた言葉。古典を暗記しているだけで古典に新しいものを発見しなければ人を教える立場にはなれない。前例を判断しつつリニューアルすることが大事。」などと語った。

帰宅後は原稿執筆など。

          ○

「おとなの寺子屋・論語の会」では、全く知らなかったことを多く学ぶことが出来た。有難い。『正しき者が恵まれず、悪いことをした人が天寿を全うするようなことがあっていいのか』という司馬遷の疑問は今日の支那にもまったく当てはまることである。

あれだけの暴虐を働いた毛沢東が天寿を全うしたということは、一体どうしたことか。天の怒りを何故生きている毛沢東に下らなかったのか。わが国には毛沢東や始皇帝のような凄まじい暴虐を働いた人はいない。比叡山焼き討ちを行った織田信長も毛沢東や始皇帝と比較したら可愛いものである。それでも信長は本能寺で明智光秀に討たれた。

毛沢東・金日成・スターリンという大虐殺・暴虐・侵略を行った人物が天寿を全うしたのは一体どうしたわけであろうか。司馬遷の『天道是か非か』という疑問は今日においても真実である。

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2009年2月 9日 (月)

千駄木庵日乗二月八日

午前は父母のお世話。

午後は、神社を会場として、神話の世界をテーマにした歌曲の発表会を行うというある歌手の方と懇談。

その後は、「政治文化情報」の原稿執筆。日本神道精神の今日的意義について論じたい。

           ○

今日の日本は、グローバリゼーションの時代といはれ、日本の伝統というものが軽視されている。のた、朝鮮半島及び支那大陸からの外患が迫って来ている。さらに戦後五十八年に及ぶ精神的・思想的侵略により國民の精神的思想的頽廃は末期的様相を呈してきている。

 わが國は敗戦後の日本喪失の精神状況から脱出して、日本民族の誇りと矜持を取り戻さねばならない。それは偏狭な排外主義的なナショナリズムと独善に陥ることでは決してない。わが國のすぐれた古典であるところの記紀・萬葉の精神への回帰による精神の救済を図るといふことである。神話の精神の復活によってこそわが國の再生が行はれると確信する。

中華帝國主義・アメリカ覇権主義・イスラム原理主義が世界を席捲し、闘争戦争殺戮侵略を繰返している。また、プロテスタント右派+シオニスト対イスラムの戦いが行われている。それを止揚できる信仰精神は何か。イスラム教とユダヤ教とキリスト教との争いとを終息せしめ神々のもとに永遠の平和を創造するのは、わが日本の使命である。

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2009年2月 8日 (日)

千駄木庵日乗二月七日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後二時より、内幸町の日本プレスセンターにて、「アジア問題懇話会」開催。山本勲産経新聞編集委員が講演し、「江沢民と唐家璇が日中関係を徹底的に悪くした。中国の本当のことは分からない。中国の国家指導者でも自国の本当の情報は分からない。地方視察しても地方幹部が実態を隠す。

軍事委員長にならないと最高ポストに座ったとは言えない。和諧社会構築は二〇〇七年の党大会で後退した。胡錦濤の実権掌握がまだ十分ではなかった。江沢民派の抵抗があった。上海閥にとって、内陸部発展へウェイトを移すのが面白くない。

太子党の習近平が胡錦濤の後継になる。中央指導部に江沢民派が半分強いる。政治の民主化は進んでいない。言論統制を強めている。格差が開いている。

太子党(高級幹部の子弟たち)が作った企業が中国の資産の半分を牛耳っている。最高指導者のファミリーが大収入を得る。温家宝のカミサンが宝石商売をしている。ファミリーにぶら下がって儲けようとする連中が集まる。億万長者の九割は幹部の子弟。国有企業が大きくなり、民営企業がの伸びない。経済面で和諧社会が進んでいない。社会保障は今日年あたりから本格的に始まり出している。二億二千万人が医療保険に加入した。

改革開放後三十年間続いた、外資・技術・素材を導入し、安い労働力で加工して輸出するということが難しい状態になった。輸出加工型の企業が倒産し出した。

軍の動向が一番大事。軍事的に強大化する一方、胡錦濤が軍を掌握できていない。軍が党の意向を踏まえずに台湾に対して何かやるのではないかという声がある。軍の反対で東シナ海ガス田開発合意がストップ。江沢民系の人が政権を取ると、尖閣を取りに来る危険あり。

中国と台湾の軍の協力は今のところないが、これから先は分からない。そうなったらい今の日本には対抗策がない。自衛隊が出て行く法的基盤がない。アメリカはコミットして来ない。アメリカは尖閣を引き金に中国と戦争したくないのではないか。

上海閥は金儲けをしたいが、思想は保守。太子党は親からの情報で株投資をやり大儲けしている。朝日・日経などは中国の危険性を何故報道しないのか。政治家にも危機感無し。北朝鮮・中国が核を持ち、アメリカに期待できないとしたら、日本は核兵器について議論しなければならない。台湾と中国が一緒になれば、沖縄が心配になる。」と語った。

午後六時より、神田学士会館にて、「憲法懇話会」開催。高乗正臣平成国際大学教授が座長。慶野義雄平成国際大学教授が、「議院内閣制について」と題して研究発表。「オバマ大統領誕生は日本の人種差別撤廃の主張のお陰である。第一次大戦後のパリ講和会議での日本の主張が実現した。アメリカには日本国憲法で日本を民主化してやったという態度を取る前に、日本の人種差別の道を開いてもらったことに感謝してもらおう。民主主義は誰が権力を持つかに関する思想。立憲主義はどのように権力を行使するかの思想。議会政治は権力抑制原理に立つ。」などと語った。詳しくは、「政治文化情報」で報告します。

帰宅後は、諸雑務。

             ○

共産支那の「社会主義市場経済」とは、独裁政治体制を維持しつつ、権力者とその一族が金儲けをするということである。人民平等の世の中にするという共産革命の理想なんかどこかへ吹っ飛んでしまったのだ。否、権力者が好き勝手し放題で、人民は貧困に喘ぐという昔からの支那という国の歴史的な体質は何ら変わっていないのである。これでは何のための辛亥革命・何のための共産革命だったのであろうか。日本は北朝鮮と共産支那の核攻撃から自国を守る体制を一刻も早く構築すべきである。政治家・政党は権力争いをしている時ではない。メディアは日本の危機を正しく報道せよ。それこそが「国民生活」を第一に守る道である。

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2009年2月 7日 (土)

千駄木庵日乗二月六日

午前は父母のお世話。

午後からは在宅して資料の整理など。

夕刻、小中学校の後輩と懇談。

帰宅後も資料の整理。

          ○

久しぶりに会った後輩と話したのですが、私たちの子供の頃は、校舎が木造モルタル造りで、しかも戦争直後のいわゆる安建築でしたから、隙間風がビュービュー入って来ました。ほとんどの子供たちは指や耳たぶが霜焼けになりました。今は、霜焼になっている子供はほとんどいないと思います。洟を垂らしている子もいません。

冬場は、小学校高学年になると、授業開始前に、コークスを取りに行き教室のストーブにくべるのが日直の仕事でした。用務員さんが教室を回って来た火をつけてくれるのです。給食の脱脂粉乳のまずさは今も覚えています。

還暦を過ぎるこんなことを思い出します。それでも、学級崩壊とか陰湿ないじめはなかったと思います。体育の先生のビンタなどの体罰は当たり前でした。それに文句を言う親もいなかったと思います。

最近の学校教育は、校舎などの設備施設は立派になっていますが、その内容は私たちが子供の頃よりひどくなっているようです。

団塊の世代の私たちは、中学校一年の時は一学級五十数人のすし詰め教室で、一学年十一クラスでした。二年になって新しく開校した学校に転校させられました。今は統合や廃校になるくらい生徒数が減っています。

日教組の偏向教育はひどいものでした。私の父が自衛官だと分っていたかどうかは知りませんが、社会科の先生が「伊勢湾台風で被害が大きかったのは、防災がなっていなかったからだ。自衛隊などに税金を使うからいけない。自衛隊は憲法違反だから無い方が良い」と言ったので、先生と大論争したこともあります。

国会見学では担任の先生が参議院の本会議場にある天皇陛下の玉座を指差して、「今にああいうものは無くなります」と言いました。こういう教育への反発が私をして愛国思想に眼覚めさせたということは言えるかもしれません。

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2009年2月 6日 (金)

千駄木庵日乗に月五日

午前は医師及び看護師来宅。父母の診察と治療。

その後、父の介護認定調査に調査員来宅。父と小生に色々質問して帰った。

午後からは、「世界日報」掲載のインタビュー記事の校正。

夜は、資料の整理など。

         ○

民主党では比較的まともな議員と思っていた前原誠司氏が、麻生総理を詐欺師呼ばわりして、国会が少し紛糾した。衛藤予算委員長が注意をしたら、枝野幸男氏が委員長席に詰め寄って大声を出していた。国会ではこういう揉め事は毎度のことである。

前原・枝野両氏は小沢一郎氏と距離を置き、民主党の中では良識派と思っていたのに、どうしたことか。自民党寄りとか反小沢という印象を薄めるためのパフォーマンスかと推測する。

国会やテレビなどでさんざん罵り合っていた自民党と民主党の議員が、あるパーティーで握手をして仲良く歓談しているのを目撃した。また、田中真紀子が外相をしていた時、やはり予算委員会で、小沢チルドレンと言われ今は岩手県知事をしている外務省出身議員が、田中氏を精神異常者であるかのように口汚く罵っていた。ところが、今や田中真紀子は小沢と組んで自民党攻撃をしている。そして民主党所属議員でもないのに、民主党の代表質問を行った。

国会審議とりわけテレビ中継が行われる国会審議に於ける紛糾や罵り合いはパフォーマンスというか、演技というか、嘘なのではないかと勘繰りたくなる。そういう意味では、国会中継はプロレス中継と似ている。

しかし、やはり、国権の最高機関において、選良と言われる人々が口汚い罵り合いするのは良くない。子供たちへの影響を考えるべきである。所詮政治家というのはこんなものかと思われるだけである。枝野・前原両氏に期待しているだけに残念であった。枝野氏は憲法問題でまともな姿勢に立っている。

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2009年2月 5日 (木)

千駄木庵日乗二月四日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は諸雑務。

夜は、「月刊日本」連載原稿執筆・完成・送付。

         ○

東国地方を東(あずま)と言います。「萬葉集」では鈴鹿山脈よりも東が東国というのが定説なのです。静岡、長野も東国でした。「あずま」の語源は日本武尊(やまとたけるのみこと)の東征の物語に由来しています。日本武尊が船で浦賀水道を渡ろうとしたとき嵐になって弟橘媛(おとたちばなひめ)が海に身を投げて嵐を静めた。その後、碓井峠にさしかかった日本武尊は東南の方角の浦賀水道を眺めながら、「吾嬬(あづま)はや」(わが妻よ)、と呼びかけたことが吾妻の語源なのです。

 私が生まれ育ち住んでいる文京区にも日本武尊の遺跡が多いのです。湯島には日本武尊と弟橘姫を祀った妻恋神社がありますし、根津には根津神社がある。根津神社は須佐之男命お祀りするために日本武尊が創始したと伝えられます。駒込という地名も日本武尊が辺りを見渡して「駒込み(混み)たり」と言ったことに由来する。馬がいっぱいいるという地名伝説です。我々の生活の根源にあるもの・古き良きものの由来をたずね、それに回帰することは大切です。

 近代科学技術文明が、人間生活を便利にしたことは事実ですが、自然を破壊し、人間生命をむしばみ、地球を危機に陥れていることも事実です。生命尊重、自然保護、公害追放と言っても、ただ政治運動によってそれを全面的に解決することはできないと思います。生けとし生けるものが神の命の現れであるという、日本傳統信仰を回復することがそういう問題を根源的にそして自然に解決すると思います。そのためには「記紀」や「萬葉集」を学んだり、古い神社に参拝したりして、日本の自然風土に親しむことは意義あることであると信じます。

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2009年2月 4日 (水)

千駄木庵日乗二月三日

午前は父に付き添って病院に赴く。定期的な診察と治療。

午後は、上野公園の東京国立博物館表敬館で開催中の「福澤諭吉展」参観。

「慶應義塾創立150年を記念して福澤諭吉の遺品、遺墨、書簡、自筆草稿、著書などをとおして福澤の先導的な思想と活動を紹介するとともに、慶應義塾ゆかりの美術品などを展示

いたします。」との趣旨で開催された。

毎日稽古に用いたという居合刀が展示されていた。福澤諭吉は欧化主義者と言われているが、やはり武士としての矜持をかあったことが分かった。李氏朝鮮時代の開明派の政治家・金玉均の「福澤諭吉先生我師也」の書福もされていた。福澤諭吉は、隣国朝鮮の健全なる発展を願い、開明派の支援をしていた。金玉均氏の暗殺によりそれが裏切られたのである。

福澤諭吉の言う「實學」とは、今日的な言葉で言うと「科学的なものの考え方」即ち真の合理主義であろう。イデオロギーとしての合理主義ではない。智と徳とは一体であり、智を獲得すると知らず知らずに徳・気品をそなえることとなると説いている。

明治33211日に制定された慶應義塾の「脩身要領」という道徳綱領が展示されていた。それには、「凡そ日本国に生々する臣民は、男女老少を問はず、萬世一系の帝室を奉戴して、其恩徳を仰がざるものある可らず。此一事は、満天下何人も疑を容れざる所なり」とあった。福澤諭吉は、進歩的開明的な思想を説いたが、尊皇精神の持主であった。

私は、『学問のすゝめ』『文明論之概略』しか読んでいない。福澤諭吉の思想は、国粋主義者から批判を浴びることが多かったが、学ぶべき点も多いと考える。何故か今回の展覧会では展示されていなかったが、福澤諭吉の「帝室論」「尊王論」は、是非とも読まねばならないと思っている。島津書房から発刊されたものを持っているにもかかわらずまだ読んでいない。

この後、本館で開催中の「日本美術の流れ」も参観。日本美術の素晴らしさを実感した。少しキザな言い方だが、この國に生まれて良かったと思った。

夕刻、小学校の先輩と懇談。昨年末に、脳腫瘍で亡くなった私の初恋の人の兄上である。自覚症状が全くなかったので発見が遅れたとのことである。幼馴染が亡くなるというのは実に悲しくもさみしいことである。心からご冥福を祈る。

帰宅後は、「大吼」誌連載の萬葉集講義の原稿執筆・完成・送付。

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2009年2月 3日 (火)

千駄木庵日乗二月二日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、北区にある菩提寺に赴き、四宮家の墓所を掃苔。拝礼。

この後、本堂にて執行された「節分会」に参列。住職が短い法話を行った後、住職が導師となり数名の僧侶により、法要が行われた。豆撒きの後、護摩札をいただく。

この後、懇親会。

帰宅後は、原稿執筆。

夕刻、知人と懇談。

夜も、「萬葉集」講義の原稿執筆。

          ○

先祖のお墓にお参りをすると、心洗われる気分になります。まことに有り難いことです。ご先祖に感謝し、ご冥福を祈ることにより、子孫たるわれわれへのご守護をいただくことができるのであります。これは理論・理屈ではありません。先祖崇拝は、自然崇拝と共に、わが国の傳統信仰の大きな柱であります。「遠い先祖は神様、近い先祖は仏様」という言葉もあるとおり、敬神崇祖は国民信仰であります。神道と仏教は自然に大らかに融合しているのであります。

数年前より、年老いた父母の代理で、菩提寺の行事に参列するようになりました。本堂で行われる法要では、太鼓と共に、『般若心経』が誦され、護摩が焚かれます。宗教的カタルシスを感じます。

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2009年2月 2日 (月)

千駄木庵日乗二月一日

未明。父の容態に変化があり、しばらく看病。

午前は、父母のお世話。

午後からは、在宅して、資料の整理。そして原稿執筆。

           ○

偏向メディアが「民主党政権誕生・自民党政権打倒キャンペーン」を張っているので、民主党が政権を取る可能性が高い。しかし、この政党は、旧社会党・旧田中派・日教組・自治労などこれまで日本を悪くしてきた集団の寄り合い所帯である。民主党に所属していたある代議士は、民主党の事を「難民キャンプ」と言っていた。批判にさらされ、もう駄目だと言われた連中が野合して、一つの政党になっているだけなのに、今、政権政党になろうとしている。困ったことである。

民主党の中にも、まともな議員はいる。自民党もどうしようもない政党である。しかし、国家基本問題(憲法・歴史問題・台・外交・安保国防・教育)で、国を危うくして来た勢力=旧社会党・日教組・旧田中派が力を持っている民主党が政権を握ったら、今より良くなることは絶対ない。

「一度小沢・民主党にやらせてみてはどうか」という意見に私は与することはできない。「小沢・山岡の人相を見ろ」と言いたい。小沢・山岡など旧田中派金権政治残存勢力、旧社会党・日教組・自治労というという社会主義・税金泥棒残存勢力を徹底的に排除した民主党になってもらいたい。

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2009年2月 1日 (日)

千駄木庵日乗一月三十一日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅して、資料の整理・書状執筆など。

         ○

週刊誌などの皇室報道はあまりにもひどい。両陛下をはじめ皇族方の御心痛を増すことになるであろうと憂慮される記事があまりにも多すぎる。一見、皇室の御事を憂えているような姿勢を見せつつ、書かなくてもいいこと、書くべきではないことをセンセーショナルに書き立てている。一体その目的は何なのか。言うまでもない。売り上げを増すためである。国民の多くは皇室の御事に関心を持っている。皇室の御事を書いた記事を掲載するとよく売れるから色々書き立てるである。

日本國存立の基礎は、神聖君主・天皇の御存在である。日本民族が天皇及び皇室を尊崇する精神を喪失し、天皇の神聖性・尊厳性が冒される時、日本國は崩壊の危機に瀕する。皇室の危機はとりもなおさず國家の危機である。

皇室への批判というよりも悪質なる中傷や罵詈讒謗・悪口雑言の根絶に最大の努力をしなければならないのは政府及び宮内庁である。ところがその宮内庁はその役目を十分に果たしていない。というよりも、戦前の宮内省と比較すると今日の宮内庁の権限は大幅に縮小されているし、皇室の尊厳性をお護りする法律も整備されていないので、果たせる状況にない。

政府及び宮内庁の行政努力だけで天皇・皇室の尊厳性・神聖性を冒する言動を抑止し得ない場合は、「皇室の尊厳保持法」の制定が必要である。皇室をお護りする体制を正しく確立すべきである。

日本國建國以来の、天皇及び皇室への國民の仰慕は、法律や權力によって強制されたものでない。しかし、あまりにもひどい皇室への罵詈讒謗が愈々益々活発になり、それが國家の現在及び将来に重大な影響を及ぼす時代になっている今日、政府及び宮内庁は、天皇及び御皇室の尊厳性をお護りする具體的処置をとるべきである。

それと共に、国民は、皇室の尊厳性を冒瀆し、天皇を君主と仰ぐ國體を破壊しようとする現代の朝敵に対して厳しい批判と糾弾を行わなければならない。

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