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2009年1月31日 (土)

千駄木庵日乗一月三十日

午前は父母のお世話。

午後一時より、内幸町の日本記者クラブにて、「マスコミ総合研究所新春研究會」開催。阿部穆氏司会。

台北駐日経済文化代表処副代表の羅坤燦氏が講演し、「いま台湾では、終戦直後に日本に帰った日本人教師の事を描いた映画が大変な好評を博している。台湾と日本との特別な感情は、台湾人と日本人にしか分からない。第三者には分からない。

去年九月、馬英九総統は台日関係を『特別なパートナー』と位置付けた。そして今年は特別なパートナーシップ促進の年とした。昨年台日間の往来は二五〇万人に上った。北海道を訪れる外国人観光客の半分は台湾人。台日は共通の価値観と歴史認識がある。これは政権交代で影響を受けるものではない。日台相互協力を強化すべし。

台湾と中国の関係は不可欠。国内と国際社会の支持を受けている。一部の国民が異なった主張を持っている。対中和解は日本にとっても有利。台湾は中華民国憲法があり、総統は中華民国の総統である。中国との関係は国際関係ではない。

米国からの武器輸入については情報が不足しているので何も言えない。台湾は独自の防衛力を増強しなければならない。日米安保は東アジアの安定のために必要。

自由・民主・人権・法治は維持しなければいけない。台湾にはこれらが存在している。それを守るためには日本の応援が必要。日本人に『台湾は危険』と思って頂いているのは非常にありがたい。」と語った。

この後、懇親会が行われた。

本来は、馮寄台駐日代表が講演するはずだったが、急にキャンセルになった。何でも連戦氏が訪日しているからだというるしかし、この講演会は二カ月も前から決まっていたことだし、たった二時間くらいの時間的余裕がないはずがない。昨年、別の会合でも、馮寄台駐日代表の講演がドタキャンになったことがある。台湾独立支持者の多い会合には出たくないのではないかと疑いたくなる。

台湾の政治対立は、単に政策の違いとか、与野党の権力争奪戦などという生易しいものではない。違う民族の対立であり、異なるアイデンティティを持った勢力が戦っているのである。それだけ深刻なのである。

民進党・陳水扁政権が、もっとしっかりしていれば、国民党が政権を復帰することはなかった。特に、陳水扁氏の責任は大きい。ただし、共産支那との関係については、日米が民進党政権の台湾独立志向の政策をもっと強力に支持すべきであった。台湾が、日米の後押しも支援も協力もなく、共産支那の軍事的政治的経済的圧迫に抗するのは極めて困難なことである。日本政府か、共産支那に遠慮して、台湾独立を支持しないのは全く間違っている。

帰宅後は、ある新聞のインタビューを受ける。「建国記念日特集」ために、日本建国の精神と「萬葉集」について、とくに、吉野・熊野と日本建国の関係を中心に語らせていただいた。

夜は、資料整理。

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2009年1月30日 (金)

千駄木庵日乗一月二十九日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。医師の往診あり。

午後は原稿執筆など。

午後六時より、新宿の玄海にて、「花房東洋氏激励会」開催。木村三浩氏が司会。頭山興助氏が挨拶。乾杯の後、清宴に移った。出席者全員が激励の言葉を述べる。小生が、「長編歌謡浪曲・俵星玄蕃」を歌う。花房氏は古くからの同志であり、日本マレーシア協会の理事長等を務めた人である。

帰宅後は、明日行われる「日本建国の精神と萬葉集」と題するある新聞のインタビューの準備。

       ○

昨年末から今年初めにかけて。下記の書籍の寄贈を受けました。記して感謝の意を表します。

伊波新之助著「これでいいのか、二一世紀!」(TKC出版) 著者より

里見岸雄氏著「國體論史・下」(展転社) 日本國體学会より

毛利恒之氏著「恋ひ死なむ・殉愛のキリスト者手島郁郎」(ミルトス) 北澤隆一氏より

陳惠運氏著「中国・多民族国家の苦悩」水島総氏原作「1937南京の真実」(飛鳥新社) 飛鳥新社より

坪内隆彦氏著「アジア英雄伝」(展転社) 著者より

塚本三郎氏著「劇場政治の因果」(二一世紀経済懇話会) 著者より

山本峯章・村上正邦・佐藤優三氏共著「『情』の国家論」(光人社) 山本峯章氏より

盧在洙氏著「国家革命」(ピースプロダクション) 著者より

伊藤玲子氏著「中山成彬はなぜ日教組と戦うのか」(KKベストセラーズ) 著者より

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2009年1月29日 (木)

千駄木庵日乗一月二十八日

午前は父母のお世話。今日は朝から父の容態があまり芳しくないので、看護師さんと共に、色々心配した。体温・脈拍・血圧に異常は無い。何とか元気になってもらうべく、励ました。

午後も父のお世話と、諸雑務。

午後六時より、神宮外苑の日本青年館にて、「國體文化講演会新春の集い」開催。笹井宏次郎氏が司会。国歌斉唱の後、河本学嗣郎日本國體学会理事長が挨拶。高池勝彦弁護士が祝辞を述べた。小林幸子二宮報徳会会長の発声で乾杯を行い、清宴にうつった。鈴木邦男・高森明勅・中村信一郎・尾崎幸広・阿羅健一・伊藤玲子の各氏などそして小生が祝辞を述べた。

小生は、「『大火所焼時、我此土安穏、天人常充満』と『法華経』の経文にある如く、現象的に日本国が如何なる困難な状態にあっても、わが國體は永遠に不滅である」ということを話させていただいた。これは谷口雅春先生の「法華経解釈」で教えられた。

日本國體学会は、憲法学者の故里見岸雄氏が設立した団体である。私が、最初に読んだ里見氏の著書は、高校生時代に読んだ「討論・天皇」である。これは数人の人の討論形式になった天皇論で、きわめて分り易く、そして大切なことは全て語られているという素晴らしい本である。その後、「萬世一系の天皇」という里見氏の代表的著作を読んだ。

里見氏は、理論的・学問的な天皇論・國體論を展開された人である。里見氏は、近代日蓮主義の体表的存在である田中智学氏の子息であり、憲法学者であると共に、日蓮主義者である。昭和期の國體学・天皇論の形成に不滅の業績を残された。

帰宅後は、月刊「大吼」次号掲載の原稿執筆。

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2009年1月28日 (水)

千駄木庵日乗一月二十七日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、原稿執筆。

夕刻、内幸町の日本プレスセンターにて、マスコミ関係者と懇談。

帰宅後も原稿執筆。

            ○

今日、マスコミ関係者に私が話したことは大要次のようなことである。

民族運動・維新運動は、今日の日本において、その存在価値はますます大きくなっていると私は思っている。政権掌握が現実のものとなってきつつあると言われる民主党内の反日勢力、そして政権与党内そしてマスコミ内の反日勢力がますますその影響力を強めつつあるからである。

民族派がこれまで長い間、具体的な運動目標として来たのは、「北方領土・竹島の失地回復」「靖国神社国家護持実現」「政治の粛正」「憲法改正」「教育正常化」「自主防衛体制構築」「歴史問題・屈辱外交問題の解決」「反共産中国・反北朝鮮」「台湾支持」「道義国家建設」などである。これらの問題は、それぞれ国民の多くに一定の理解を得てきた主張である。民族派が戦後一貫して訴えて来たことは、おおむね正しかった。しかし、それが愛国運動・民族派運動に対する多くの国民の圧倒的な支持につながらなかった。ここが問題なのである。

民族派は敵からは恐れられ存在であるべきだ。また、一般大衆に媚を売り迎合する必要はない。しかし、善良なる国民からは信頼され支持されなければならない。

民族派・維新勢力と真正保守の姿勢に立つ人々とは思想的にはほぼ一致すると思う。それでは、維新運動と真正保守運動との違いはどこかというと、真正保守運動をしている人々は、合法的にその目的を遂げようとしている人々である。いわゆる右翼民族派は、時と場合によっては止むを得ず非合法の行動も辞さないし、実際にそういう行動をする勢力の事である、と私は思う。こうした分け方は間違いであろうか。

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2009年1月27日 (火)

千駄木庵日乗一月二十六日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。つづいて、ケアマネージャの方が来宅。来月の介護計画の確認。

午後は、ある歌手の方と懇談。その歌手の方は、須佐之男命の御歌「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣つくる その八重垣を」を、歌曲にして歌われるという。しかも、近々イスラエルに赴いてエルサレムでこの歌を歌うという。まことに素晴らしいことである。一神教の原点の地で、日本神話の歌を歌うということはまことに意義深いものがある。

「まつりごと」だけではなく、文藝・藝能などの文化全体も、太古において祭祀から発生し、祭祀と一体である。和歌や物語文藝は祝詞が元初である。歌舞音曲も、祭祀に於ける歌舞が元初である。天の岩戸開きにおける、天宇受売命(あめのうずめのみこと)の「歌い・舞い・踊り」が日本の藝能の原点であろう。

夜は、原稿執筆のための資料検索、読書。

         ○

敬愛する土屋たかゆき都議より、民主党の長島昭久衆院議員が国会で、武力行使を目的とせずに派遣された海上自衛隊の護衛艦が船舶をエスコートすることについて海賊襲撃の抑止効果があるという見解を示し、国連決議の存在や欧州諸国の本気の取り組み例を挙げて『いつまでもただ乗りのそしりをうけるわけにはいかない』と主張したことを報道する新聞記事と共に、次のようなメールが送られて来た。

「民主党にも、長島議員のような『まともな』議員がいます。

是非、激励をお願いします。党内サハや、社民、国民新党は反対のようです。

           民主党都議会議員 土屋たかゆき

憲法・国防・安保・教育という国家基本問題で、一致できない政党が政権を握ったら日本はどうなるのか、敵性国家・国際テロ国家=北朝鮮の手先・社民党と、民主党との連立政権が出来たらどうなるのか、それこそ、国民生活を第一に守るために、国民はよくよく考えなければならない。土屋・長島両氏のようなまともな議員がもっと党内で主導権を握ることを祈る。日教組など左翼労組出身議員を排除せよ、と言いたい。

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2009年1月26日 (月)

千駄木庵日乗一月二十五日

午前は、父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは、「政界往来」の連載原稿執筆、完成、送付。

         ○

今日から月末までは、原稿執筆で忙しくなります。言うまでもありませんが、原稿を執筆するためには、色々参考資料を探し出し、それを読み、自分の考えを構築しなければなりません。テーマによっては大変な作業になります。

月末までに書かなければならない原稿のテーマは、「テロ」です。これは非常に難しいテーマであります。決意も実行力もない小生などが論ずるべきことではないのかもしれません。

「テロ」の定義も複雑です。テロは在野の勢力だけが行うのではありません。国家権力によるテロもあります。旧ソ連政府、そして北朝鮮などは国家機関がテロを実行しました。

厚生労働省の官僚経験者殺害事件など、他人を殺したり、傷つける事件が起ると、「右翼テロではないか」ということがまず報道されます。おかしなことであります。

基本的に、「右翼テロ」というのは、正々堂々と名前を名乗り、趣旨を明らかにし、潔く責任を取るというものであります。個人的恨みや、維新運動の大義名分とは全く異なった目的のための行為は、「右翼テロ」とは言えません。

人を殺したり、傷つけたりすることは無い方が良いに決まっています。しかし、現実には、二十世紀はテロと戦争の歴史であったといいと思います。大義のために身を捨てる行為は、美しいが、悲劇も伴います。これからは果たして、戦争もテロも少なくなっていくのか。私はそう簡単になくならないと思います。

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2009年1月25日 (日)

千駄木庵日乗一月二十四日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、丸の内の出光美術館で開催中の『文字の力・書の力』展参観。

「古来わが国では、漢字と仮名の両方を用いながら、独自の世界観を形成してきました。…人の語ることばが、文字により造形(カタチ)を成した瞬間から、そのことばの中に潜む魅力は、人を離れて広がりはじめます。そしてここに書の表現力が加わることで、ことばの調子や印象は、より大きなものへと膨らんでゆきます。…本展では、3つのテーマに沿って、『文字性』と『表現性』とから多様な書の魅力に迫ります。古典の名跡より、それを継承した近世そして現代までの作品約60件を厳選し、現代に生きる私たちの眼で、書の魅力との対話を試みます。」(案内書)との趣旨で開催された。

一休宗純、富岡鐡斎、夢窓疎石、徳川家康、伝空海、池大雅、藤原定家など数多くの書を見る。それぞれ独特の書風であり、力強い書もあれは優雅な書繊細な書もある。家康は「南無阿弥陀仏」という字をたくさん書いている。天下を取るまでに多くの人々を死に至らしめたことへの反省と恐怖の念があったのであろう。また実際に家康は仏への信仰は深いものがあった。戦場に「厭離穢土・欣求浄土」と書かれた幟を戦場に靡かせた。戦乱の世を鎮め平和な日本にしようという思いはあったのであろう。

パソコンの普及によって、字を書くということが次第に少なくなりつつある現代にあって、毛筆で文字を書く人が非常に少なくなっている。書道文化は永く伝えられなければならない。私も、二松學舎大学で「書道選択コ―ス」というのを選択して、書を勉強したが、近年は、年賀状を書く時以外に毛筆を握ることは殆どなくなった。その上、原稿もパソコンで書くので、原稿を書くというよりも原稿を打つというのが、正確な表現になっている。

出光美術館からは、皇居桜田門と、皇居前広場の楠公像を眺めることができる。明治維新と建武の中興の歴史を偲んだ。

帰宅後は、書状執筆など。

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2009年1月24日 (土)

千駄木庵日乗一月二十三日

午前は父母のお世話。

午後は諸雑務。その後、父の「要介護・要支援の更新申請書」を提出に地域包括支援センターというところに赴く。

夕刻は、知人と懇談。

帰宅後は、書状執筆など。

        ○

今『日本書紀』を読んでいます。『古事記』は学生時代に通読し、その後もしばしば読んでいるのですが、『書紀』の通読は初めてです。漢文で書かれているので読むのが大変かと思っていましたが、なかなか面白い内容です。天地生成以来のわが国の歴史が書かれています。

『書紀』の編纂は、天武天皇の御代に始まり、養老四年(七二〇)までの三十九年間かかったとのことです。国家的大事業として行われました。当時の様々な史料を・資料を参考にして、編纂されました。歴史を美化してはいません。しかし、その根底には、強い道義精神と日本傳統信仰が貫かれています。

國土の生成の記述には、氷河時代からの記憶が書かれています。太陽神であり、皇祖神であられる天照大御神は、大日孁貴神とも申し上げ女性神であられます。わが国には根源的に男尊女卑の思想はありません。國土生成の神話を読みますと日本民族が山川草木すべての自然を神の命の顕れとして拝んでいたことがわかります。「神話」には日本の傳統精神が結晶しております。

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2009年1月23日 (金)

千駄木庵日乗一月二十二日

午前は母のお世話。

午後は病院に赴く。今日で一応退院することになり、父と一緒に帰宅した。看護師さんが名残惜しそうに見送ってくれたのが嬉しかった。今後は自宅で療養生活を送る。病院で行うべき治療は終わり、発熱もしなくなったということである。詳しい病状は記さないが、入院前の状況に戻るのである。今後は、毎日、訪問看護師の方に来ていただくこと、週に一回医師に往診を受けること、二週間に一回通院して診察・治療を受けることとなった。父も母も根が丈夫なのか、よく頑張っているというのが率直な感想である。ともかく苦しみが少ないこと、一日でも長生きすることを祈るのみである。

帰宅後、医師の往診を受ける。服用する薬が非常に多いので、嫌がる父に毎食後それを飲んでもらうのが大変である。

夜は資料の整理。

         ○

いささか旧聞に属するが、今日整理した新聞の報道によると、石原慎太郎知事は、昨年十二月二日の都議会で、皇居周辺の地域で景観保護のための新基準を導入する方針を表明したという。「ビルの高さをそろえ、外壁やデザインも皇居と調和したものとする」ということである。結構な事と思う。「丸の内マンハッタン計画」などと言って、皇居を見下ろす超高層ビルが皇居周辺に林立する事態は何としても防がねばならない。今でも相当高いビルが建っていて、皇居の尊厳性と美観を損ねている。

靖国神社神殿の後ろに法政大学の高層ビルが見え、富岡八幡の神殿の後ろにも高層ビルが聳え立っている。浜離宮や六義園や小石川後楽園も周りをビルで囲まれる恐れがある。こうしたことは、可能な限り食い止めなければならない。

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2009年1月22日 (木)

千駄木庵日乗一月二十一日

午前は母のお世話。

午後は諸雑務。その後、病院に赴き父のお世話。

午後六時半より、駒込地域文化創造館にて、「萬葉古代史研究會」開催。小生が大伴家持の歌などを講義。後の「古今和歌集」につながる繊細で優美な歌風(これを「みやび)と言います)の誕生ともいうべき若き頃の家持の歌を勉強しました。

帰宅後も諸雑務。

          ○

アメリカ大統領の就任式では、数多くの星条旗が翻っていました。そして国歌も歌われました。アメリカは、民主党であろうと、共和党であろうと、国旗と国歌を尊重することには何の変わりもありません。そこがアメリカという国の良いところであり、凄いところでもあります。

ところがわが国で政権交代を目指す民主党は、党大会で国旗を掲げません。このような政党が政権を担うことに大きな不安を覚えます。石井一氏は、国語のテストみたいな馬鹿馬鹿しい質問を国会で行いました。国語をそれほど大切と思うのなら、国旗も大切にして貰いたいものであります。党大会で国旗が掲げられないことに何の疑問も抱かないような人物が、こういう質問をするのは、単なる揚げ足取りであり、総会屋の嫌がらせ質問と同じであります。

小沢一郎氏は、各省に議員を入れて法案作成などに携わらせると言っているようですが、防衛省・法務省・警察庁にも議員を数多く入れるということでありましょう。司法・治安・国防・安全保障に関する国家機密の保全に問題は起こらないのでしょうか。国旗を掲げない愛国心が希薄な民主党なので不安を覚えます。決して民主党議員全員を疑っているわけではありませんが…。

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2009年1月21日 (水)

千駄木庵日乗一月二十日

午前は母のお世話など。

昼は知人と懇談。

午後は明日の萬葉集講義の準備。その後、父の病院に赴き付き添う。

午後七時より、ホテルサンルート高田馬場にて『一水会フォーラム』開催。田母神俊雄前航空自衛隊幕僚長が講演し、「マスコミから危険人物として叩かれたが、六割以上の人々が私を支持した。日本国民は賢い。石破さんから批判されたが、偏向しているのは石破さんだと言いたい。五六年前から同じことを書いてきたのに、なんで今この時期に問題にしたのかと質問したい。日本は良い国だと言ったら、日本は良い国ではないというのが政府見解だと言って、私を首にした。

十月三十一日アパグループの審査結果が発表された。大臣・副大臣に報告しようと思ったが不在だったので、岸信夫政務官に報告した。『おめでとう』と言われた。増田好平事務次官に報告したら『論文発表の届け出を出したか』と言われた。統幕議長も『問題になるかもしれない』と言った。家に帰った後、七時頃、次官から電話があり、『今夜中に辞表を書け。大臣もそういう意向だ』と言われた。私は『国家に対して悪事を働いたとは思っていないので辞表は書けない』と言った。夜中の一時半に、『幕僚長は首だ』というメールが入った。十一月一日朝、十一月八日付で定年退職になると連絡あり。十一月三日夕方、本日付けで定年退職との連絡があった。なぜこれほどまでに私の名誉を傷つけたのか。

『村山談話』を自衛官に教育されたら、自衛隊は戦えない。歴史は勝者によってつくられる。勝った者にとって都合の悪いことは隠される。歴史学者は歴史の実態を徹底的に研究すべし。しかし国民の歴史教育は自虐的であってはならない。『大東亜戦争』という呼称は閣議決定された。政治家・公務員が『大東亜戦争』と言わなければ首にすべきだ。

占領中の恒久法制定は国際法違反である。占領中の作られた恒久法を御破算にすれば『帝国憲法』が復元する。独立後、『戦犯釈放』の署名運動をしたのは日弁連。国会決議を推進したのは、社会党の堤ツルヨ代議士。国内法では明確に『戦犯は犯罪人ではない』とされた。

専守防衛では抑止力にはならない。日本は軍に関してはグローバルスタンダードになることをかたくなに拒否している。アメリカとは対等の関係を作らねばならない。アメリカは最終的には自国の国益のために動く。日本は自分の國は自分で守らねばならない。

渡部恒三氏は『北が核兵器を持つから、日本も持つと言ったら人類は破滅する』と言った。しかし核兵器は抑止力を持つ。核兵器を持っている国と持っていない国とは対等な関係を保ち得ない。アメリカは日本に二世代くらい遅れた武器しか売ってくれない。

リーダーが信念を持って国益を守るという姿勢が大事。軍事力を持ち、それを使う意思を持つことが外交の裏付け。『言うことをきかないと話し合うぞ』では駄目。

独立国に占領軍が何時までもいるのはおかしい。メディアと永田町は国民の意識と離れている。内局を壊し、自衛官と内局を一体にすべし。内局は共産国家の政治将校と同じ。」と語った。

この後、懇親会。田母神氏を囲み談論風発。色々興味深い話を聞きましたが、ここに書くことは遠慮します。

帰宅後は、明日の萬葉集講義の準備。

        ○

夜も遅くなりましたので、田母神氏の講演の感想は後日あらためて書きます。米新大統領就任式を見ましたが、聖書に手を置いて宣誓し、牧師の先導で神に祈りを捧げていました。政治の基本にその國の傳統信仰を置くというのが正しい国家のあり方であります。日本はアメリカの押し付けた「占領憲法」の「政教分離」規定により、政治から一切の宗教色を除去させられています。「祭政一致」の國柄を正しく回復すべきであります。

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2009年1月20日 (火)

千駄木庵日乗一月十九日

午前は母のお世話。

午後は病院に赴き、父の付き添い。昨日より良くっているようである。

午後六時より、永田町の衆議院第二議員会館にて、『日本再生同志の会全国総会』(西村眞悟衆院議員全国後援会)開催。

小田村四郎会長(前拓大総長)「国民生活第一などと言われて、国家基本問題が全く議論されない。田母神氏の国会招致も発言を封じ込めるだけだった。国家基本問題で正しい発言をしている西村眞悟氏に是非とも当選していただきたい。」

西村眞悟氏「次の選挙は、かなり馬鹿(注・自民党のこと)と非常に馬鹿(注・民主党のこと)のどちらかを国民が選ぶ選挙。何でも良いけど変ってくれればいいというムード。私は『ナショナリズムに目覚めよ、強い日本になれ』と街頭に立って毎日訴えている。与野党が寄ってたかって『日本は良い国だ』と言った田母神氏を引きずり下ろした。

米国に黒人大統領が誕生したのは、わが日本が二十世紀に戦った結果であるというメッセージを送るべし。日本は第一次大戦後の『ベルサイユ条約』締結の時、『人種差別反対』を主張したが、ウイルソン米大統領が葬り去った。駐日米大使館の応接室にはペリーの旗艦『サスケハナ』の模型が置いてある。東京湾の戦艦ミズーリ号艦上で日本の降伏文書調印式が行われた際、ペリー艦隊の旗艦に掲げられていた米国旗が本国より持ち込まれ、その旗の前で調印式が行われた。ワシントンの駐米日本大使館に真珠湾攻撃の特種潜航艇の模型が置かれても良い。

『ワシントン会議』の後、日英同盟は破棄された。『六カ国協議』は日米同盟の破棄をもたらす。日本が中国の属国の道を選ぶかどうかが日本に今年突きつけられた課題。日本はイスラエルを見習わなければならない。誇り高い日本人として自助と独立の精神を持つべし。」と語った。

この後、懇親会が行われた。席上、加瀬英明氏が「狡猾な商人として忌み嫌われたユダヤ人が今やさむらいの精神を持ち、さむらいの国と称賛された日本が商人国家として馬鹿にされている」と語ったのが印象に残った。イスラエルの今回のガザ地区攻撃はやり過ぎと思うが、ユダヤ人・イスラエルが困難に立ち向っている姿は日本も見習うべきであろう。またアジアでは、フランス・アメリカ・共産支那と戦い、負けなかったベトナムも大した国である。日本はベトナム・イスラエルに学べきである。

この後、千駄木で開かれた『おとなの寺子屋・論語の會』に遅れて出席。私が一応代表者ということになっているので、最初から参加しなければいけないのだが、西村氏の会と重なってしまった。

一月は色々と会合があるが、日時が重なる場合が多い。皆が参加しやすい日を選ぶと、同じ日になってしまうのであろう。月曜日の今日の夜は三つの会合が重なった。昨日の夜は二つ重なった。

今日出席されたある僧侶の方が、西村氏の耳の形が非常に良いとのことであった。確かに仏像の耳によく似ている。西村眞悟氏はここ数年本当に苦労された。また、次の衆院選で何としても当選してもらいたい。堺市出身の歌人・与謝野晶子の詩歌をもじって次の言葉を西村氏に贈りたい。

「堺の町の政治家の親の名を継ぐ君なれば、君落ちたまふことなかれ」

西村眞悟氏は、西村栄一元民社党委員長の御子息である。しかし、そんじょそこらの二世議員とはわけが違う。なかなかの苦労人であり、強靭な人であり、信念の人であり、くじけない人である。政治家の方は本当に大変である。まず健康第一である。

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2009年1月19日 (月)

千駄木庵日乗一月十八日

午前は母のお世話など。

その後、資料の整理。

そして、病院に赴き、父の付き添い。

午後六時より、横浜関内の大雅飯店にて、『安岡教学研究會定例会・新年交流会』開催。

安岡教学研究會(村山實會長)は「安岡正篤先生の教学は、『人間如何に生くべきや』という人生最大の命題に対する具体的・実践的な解決策を、至極明瞭に説くものであり、魂のよりどころとすべき、高遠、偉大なる人間学であると考える。当会は、人物学の権威と称され、我が国、各界の指導者に多大な影響感化を与えた、安岡正篤先生の教学を基調に、さりとて一流一派に拘泥することなく、また、追懐の念、机上の学に止まらず、広く古今東西の先師先達、名士、達人の教えを実践究明し、現実の生活に活かすべき実学へと昇華させることを目的とする。設立の趣意に賛同する同志、究学の士が、当会の活動によって、人物たる者の素養を修め、国家を支える有力の士となるべきことを切望し、ここに安岡教学研究会を設立する。」との趣旨で平成十年に設立された。小生も度々定例会で講演させていただいている。

村山實会長が挨拶、渡邉五郎三郎氏が祝辞を述べ、藤代耕一横浜市会議員の発声で乾杯が行われ、懇談にうつった。

席上、伊藤玲子前鎌倉市議は「日教組が日本を悪くした元凶である。小沢民主党の支援組織であることは憂えるべきことである」と話された。

酒井麻雄神奈川県日華親善協会会長(旧民社党所属の元横浜市議)は、「民主党本部の事務局は、旧社会党の専従職員だった人が多く、左翼に牛耳られている。」と述べられた。小生を含めた数人の人から小選挙区制が日本の混迷に拍車をかけているという意見も出された。

帰宅後は、諸雑務。


民主党の体質はやはり問題である。今日の党大会では、壇上に国旗が掲げられていなかった。自民党の党大会では国旗が党旗と共に掲げられていた。民主党の事務局が左翼に牛耳られていたのでは、党大会で国旗を掲げるはずはない。壇上に上がった小沢氏の発声で「ガンバロー」が唱えていたが、小沢氏の周りには石井一・羽田孜など自民党出身の保守政治家が多くいたのに、国旗が掲げられないことに何の違和感も感じないというのが問題である。

国民に政治の選択肢がたった二つしかないというのはおかしい。小選挙区制ではそうなってしまっている。しかも、国家基本問題・理念の違いで二つの政党が出来ているのではなく、選挙区事情で、自民と民主に分かれているだけの場合が多い。自民の中に民主より左の人がいて、民主の中に自民より右の人がいるという珍現象が起っている。しかも熾烈な選挙戦を戦うので、政策論議よりもお互いの憎悪の方が激しい。そして政治家が次第に小型になっていく。小選挙区制はなくすべきである。

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2009年1月18日 (日)

千駄木庵日乗一月十七日

午前は母のお世話と「政治文化情報」発送作業。

午後「政治文化情報」発送完了。購読者の皆様には、週明けにお届けできると存じます。

その後、病院に赴き父の付き添い。熱があり、疲れている様子なので心配である。

帰宅後は資料の整理。

         ○

「新しい國のかたちを作る」とか「霞が関を解体する」とか勇ましい言葉が乱れ飛んでいるが、果たしてそんなことが可能なのか。また、可能だとして、それでは一体その後にどんな「国のかたち」をつくるのか。また、今の官僚機構にかわってどんな機構で日本を動かすのか。私は新聞はよく読む方なのだが、具体像は全く明らかにされていない。ただ勇ましいことを言うだけでは、かつての過激派と同じである。

昔から首都移転ということが言われているが、まったく進んでいない。それどころか、総理官邸は新しくなったし、国会議員会館も建て替えられるし、文部省などの中央官庁も建て替えられた。築地市場の移転さえ進捗しないのに、「國のかたちを変える」「霞が関を解体する」などと勇ましいことを言っても、まず実現しないということであろうか。

今の日本が危機に直面していることば事実である。危機打開は国家緊急の課題であるが、ただ勇ましい言葉を発するだけでは駄目。具体的にどうやって危機を打開するのか、明確なビジョン・国策を提示するのが政治家やメディアの使命であり責任である。

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2009年1月17日 (土)

千駄木庵日乗一月十六日

午前は母のお世話。

午後は病院に赴き父の付き添い。歩行訓練など。患部が痛むためか精神的に落ち着かない状況にあるので、色々元気づける。病院・医師に任せるしかないが不安である。退院が延びる可能性がある。

帰宅後は、『政治文化情報』の発送準備など。

         ○

毎日毎日色々な事が起る。警察庁のキャリアが成田空港の手荷物検査場でブチ切れて女性検査員に暴言をはいたうえ、プラスチック製の検査用トレーを投げつけたという。こういうことはよくある。私も何年か前、皇居参賀に行った時、女性警察官の荷物検査を受けたが、その対応が無礼だったので、ブチ切れたことがあった。テレビの討論番組でブチ切れた経験もある。これは全国に放送されてしまった。したがってあまり他人のことは言えないが、キャリア官僚は、一流大学を出て、難しい試験に合格した人がなるとものとされている。それなりの知識・教養・品性を持っている人々であると承知している。そういう人が切れたのだから、余程のことがあったのであろうか。それともこの官僚の資質に問題があるのだろうか。そういう人が、他人を逮捕し捜査する権限を持つ警察官僚になっていることはやはり問題である。三十六歳で警視だそうだが、普通の警察官は、その圧倒的多数が一生かかっても警視にはなれないで退職する。キャリア官僚はやはり以て範となる人でなければなるまい。格差社会とよく言われるが、官僚・役人の世界こそまさに格差社会の典型である。

大学構内で凄惨な殺人事件が起った。今後、大学構内への外部の人の立ち入りが制限される可能性がある。私は、東京藝術大学に藝大美術館参観のためよく行く。また東京大学構内にも時々行く。旧前田藩邸である構内を散策するためである。弥生門から入り、三四郎池・安田講堂などを巡り赤門をくぐって本郷に抜けるというコースである。また、家族の治療で東大病院にも時々行くことがある。自由に出入りできなくなるのは困る。

自民党を離党した渡辺喜美氏が、江田憲司氏と共に、政策グループを結成した。江口克彦・PHP総合研究所社長と政治評論家の屋山太郎氏がメンバーとして同席した。屋山氏は田久保忠衛氏と共に私の尊敬する評論家の一人である。国家観・歴史観・外交に関する考え方は今の評論家たちの中ではまともであると思う。屋山氏が渡辺氏と同じ考えであることは初めて知った。「官僚主導政治の打破」には、政治家の資質の向上が行われなければならない。それなくして、明治以来の官僚制度を破壊したら、日本はどうなるのか、不安である。私の考えは間違っているであろうか。

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2009年1月16日 (金)

千駄木庵日乗一月十五日

午前は母のお世話。

午後一時半より、豊島区立千早地域文化創造館にて、「萬葉會」開催。小生が『萬葉集』東歌を講義。

この後、病院に赴き、父に付き添い、歩行訓練など。

帰途、知人と懇談。

帰宅後は、『政治文化情報』発送準備。

        ○

毎日、怒りの念を込めた『日乗』ばかり書いていてはいけないと自分自身も思っております。怒ってばかりいてもしょうがない。何とかしなければ世の中は良くならない。しかし、私には、文章を書いて世間に自己の主張を訴える以外にない。だからこれからも書き続ける。ということであります。ともかく、今の世の中はおかしいことが多すぎる。このままでは日本はどうかなってしまう。それが実感です。

そういう時に、『萬葉集』の勉強をすると、何か救われた気分になります。古代日本も色々大変なことがありましたが、人々の心は今の日本人よりずっと大らかで清らかであったことは『萬葉集』の歌の数々を読めば明らかであります。今日勉強した「東歌」は、東国(東国とは諸説ありますが、鈴鹿山脈より東という説が一般的です)の名もない庶民の歌であります。

多摩川に曝す手作りさらさらに何そこの子のここだ愛(かな)しき

(多摩川に晒している手づくりの布はさらさらとしている。そのように肌がさらさらしているこの女の子が何と可愛いことか)

信濃なる千曲の川の細石(さざれし)も君し踏みてば玉と拾はむ

(信濃の國の千曲川の小さい石も、愛するあなたが踏んだとのですから、私は宝石と思って拾いましょう)

この二首は東歌の恋愛歌です。一首目は男性の歌。二首目は女性の歌です。何んとも言いようのない素晴らしい歌であります。萬葉人の恋とはかくも美しいものだったのであります。萬葉への回帰とは、自然な心、日本人の純粋な魂への回帰であります。それが混濁の世の現代において最も必要なのではないでしょうか。

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2009年1月15日 (木)

千駄木庵日乗一月十四日

午前は母のお世話。

午後は病院に赴き、父の付き添い。足が弱らないように、私と共に廊下を歩いてもらう。医師のお話を伺う。もう少し入院加療が必要とのこと。

この後、知人と懇談。

夜は、諸雑務・資料の整理など。

国防・安全保障・外交に「国連中心主義」などということはあり得ないし、あってはならない。国防・安保・外交は、「日本中心主義」でなければならない。ここで言う「日本中心主義」とは、自国の利益しか考えないということではない。国家存立の基本である国防・安保・外交について独立国家としてのまともな姿勢を確立していてこそ、国連に協力することもできるし、国連の協力を得ることもできるということである。まして今のような第二次大戦の戦勝国支配体制機構である国連に自国の安全を依存するなどということはあってはならない。小沢一郎氏はこのことが分っていない。

小沢一郎氏が盛んに自民党を攻撃し、自民党政権打倒のために戦っている姿を見ると、石田三成が大阪城を攻めているように見えてならない。石田三成は、豊臣秀吉の威光を背景にして権勢をふるった。そして秀吉が亡くなると、家康によって滅ぼされた。小沢一郎も、竹下登・金丸信の威光を背景にして「コンチクショー」と言われ権勢ふるった。そして金丸・竹下が失脚すると、さっさと自民党を見捨てて外に飛び出した。そしてその後、自民党政権打倒に血道をあげている。

石田三成は関ヶ原で敗れるが、小沢は、しぶとく生き残って、いよいよ大阪城を落城させようとしているのである。

自分は自民党権力の中枢にあって、政財官の癒着構造の中で、勝手なことをしてきたのに、後ろ盾であった金丸信が失脚し、自分が旧田中派を引き継げなくなると、自民党城に火をつけて飛び出し、「改革」などと言って、古巣を攻撃し続けている小沢一郎は何とも汚い男だと思う。私は小沢一郎という男に嫌悪感を覚える。

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2009年1月14日 (水)

千駄木庵日乗一月十三日

午前は母のお世話。

昼は知人と懇談。

その後、病院に赴き父の付き添い。

午後六時半より、赤坂の日本財団ビルにて、「東京財団フォーラム・日本は安保理で何をすべきか」開催。登壇者の印象に残った発言は次の通り。

加藤秀樹東京財団会長「今年から二年間、日本は国連の非常任理事国になった。この二年間は歴史に残る重要な二年間となる。従来の安保理事会で議論してきた枠を大きく超えることが起る。国際関係は国内事情を大きく反映する。覇権国家・アメリカが大きなダメージを受けている。アメリカの産業は第二次大戦後弱くなっている。残ったのは軍事産業。アメリカはそれを生き残らせようとしている。資本主義は大きな転機に立っている。」

高須幸雄国連大使「国連安保理事会の重要性は、平和に対する脅威に迅速で実効的な行動をとること。武力行使の権限を与えられている唯一の国際機関。今年・来年の二年間は、これまでと異なる二年になる。今の五カ国の常任理事国と非常任理事国十カ国では安保理の機能を十分に果たせないので、改革の結論を出そうと言われている。『日本が安保理事国になると頼りになる』と評価されるようになることが大事。オバマは側近中の側近で閣僚レベルの人を国連大使にした。紛争に於ける文民の保護が一番大事。平和維持活動と平和構築活動とは重複する。非常任理事国の再選禁止条項を撤廃し、長期非常任理事国に出来ないか。現場の交渉力でできる限りやるが、日本国全体としてのサポートと政策がなければ駄目。迅速かつ実効的な外交は展開できない。」

星野俊也大阪大学教授「経済危機で日本は内向きになり、政治は流動的になっている。安保理事国になったのをきっかけとして、より積極的な外交を展開してもらいたい。」

池田伸壹朝日新聞記者「ガザ紛争の討論で、各国は閣僚級を国連に送りこんだ。わが國は送り込んでいない。オール外務省・オール日本でどれだけ国連外交への覚悟があるのか。」

明石康元国連事務次長「スリランカの紛争について、日本の新聞はほとんど書いていない。日本全体が内向きになっている中で、国連外交は非常に難しい。」

北岡伸一東京大学教授「日本の法制度は、武力使用原則のハードルが高すぎる。自分を守るためだけしか武器を使用できない。共同目的で作業している国のために武器が使用できないというのはおかしい。世界の日本への期待は今でも高い。日本は国内の政争を超えて皆で国連外交をサポートする態勢を作るべし。」

帰宅後は書状執筆など。

             ○

日本の政治もメディアの報道も、確かに内向きになっている。国際情勢が極めて危険であり、流動的になっているこの時期に、日本の果たす役割を大きい。しかるに、日本が正しい姿勢を示せないのは實に困ったことである。定額給付金とやらを総理大臣が受け取るか受け取らないかなどという瑣末な事で大騒ぎをしている時ではない。こんなことを議論することが「国民生活第一」とは到底思えない。

「生活第一」などという耳触りの良い欺瞞的なことを言っている小沢一郎の罪は深い。愚民政治の典型である。小沢は国民を愚民と思っているから、こういうことを言って、国民を騙し、政権を取ろうとしているのだ。騙されてはならない。安保・国防・外交・憲法という国家基本問題でバラバラな民主党が政権を取るために「生活第一」などと言っているのだ。かつて野中広務が言ったとおり、小沢一郎はまさしく悪魔なのである。内向きの権力奪取しか考えない小沢の「国連中心主義」は噴飯ものである。

私は何でこうも小沢が嫌いなのだろうか。自分でも不思議である。このことあらためて詳しくゆっくりと論じたい。

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2009年1月13日 (火)

千駄木庵日乗一月十二日

午前は母のお世話。

午後は諸雑務。

その後、病院に赴き、父の付き添い。私が病室に入ると、父は物凄く喜んでくれる。色々話したり、私が力を貸して廊下を歩いてもらう。何とか入院前に父に戻ってもらうためである。暫くすると父は、「忙しいのだからもう帰っていいよ」と言ってくれる。小生に気を使ってくれるのである。「帰らないでくれ」と言われるのも辛いだろうが、病身の父が一人で病室に寝ているのは寂しいであろうに、こうして気を使ってくれるのも辛い。

帰宅後は資料の整理など。ともかく新聞・雑誌などがどんどんたまってしまう。

           ○

メディアは麻生内閣打倒キャンペーンを張っているので、「田母神論文」問題をあまり報道しなくなっている。しかし自衛隊内部では、政府の自虐史観・反日思想以外は認めないという思想統制・思想調査が行われているようである。「現行占領憲法」の「似非平和主義」と「村山談話」を絶対視し、これに背く主張・言論は禁止し排除するという極めて危険な一方的な思想統制が自衛隊員に行われているという。

今や、保守政治家といわれる人々にも真正保守思想・正統なる歴史観を持つ人が少なくなっている。亀井静香や石破茂といった人を見ればそれは明白である。官僚も然りである。田母神氏の論文をことさら問題にしたのも、防衛省内に巣食うそうした反日勢力であるという。

もう一つ憂えるべきことは、「丸の内マンハッタン計画」がそろそろと進められていることである。皇居と東京駅の間の地帯に超高層ビルを林立させようというのである。これは皇居の尊厳性を侵す重大な事態である。超高層ビルは湾岸に立てればいいのである。上御一人のおわします皇居を見下ろすような超高層ビルの林立は許されるべきではない。

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2009年1月12日 (月)

千駄木庵日乗一月十一日

午前は母のお世話。

午後は諸雑務。その後、病院に赴き、父に付き添う。やや元気を取り戻し、ベッドの上に座ることができるようになる。また、病院の廊下でそろりそろり歩行訓練。退院後、車椅子生活にならないように祈る。

帰宅後は、書状執筆など。

        ○

昨日の午後、虎ノ門の大倉集古館で開催中の『追憶の羅馬展―館蔵日本近代絵画の精華』展を参観した。

案内書によると「1930年(昭和5年)、イタリア政府主催によりローマ市中心部の展覧会場Palazzo nazionale delle Esposizioniにおいて開催されました。大倉財閥を先代・喜八郎より引き継いだばかりの男爵・大倉喜七郎はこの展覧会を全面的に支援し、作品の画料をはじめとする膨大な経費をすべて負担しました。この展覧会には、横山大観が中心となり、当時の日本画壇を代表する日本画家たち総勢80名の手による大正末期から昭和初期の日本画168点が出品されました。…本展では、横山大観が日本を代表する作品として取り組んだ名作『夜桜』をはじめ、当館が所蔵するローマ展出陳作品27件を中心とした近代日本画のコレクションを展観します。」との趣旨で開催された。

当時のヨーロッパは、東洋文化とりわけ日本文化に対する関心が高まっていたらしい。大倉喜七郎が当時のイタリア首相ムッソリーニに、横山大観の絵を寄贈した縁で、大倉氏が資金を出し、イタリア政府の全面的な協力を得て開催されたという。横山大観の「瀟湘八景」、川合玉堂の「暮るる山家」「秋山懸瀑」、竹内栖鳳「蹴合」などの作品を見る。どれも、日本美術をヨーロッパの人々に理解してもらおうという、画家たちの情熱と言うか気概が込められた作品であった。ただ残念だったのはこの展覧会で、最も注目されている大観の「夜桜」が三月からの展示で、見ることができなかったことである。

イタリアとの友好関係は、文化・芸術においても深いものがあったということである。またムッソリーニは、戦後独裁者・ファシストと言われ、大変の評判が悪いが、日本文化の深い理解者であったようである。

参観後、庭園を散策。屋外展示品を見る。「大倉鶴彦翁之略伝碑」(元帥・陸軍大将・大勲位山縣有朋篆額、宮内儒員従三位・勲二等・文学博士三島毅撰、正五位日下部東作書、大正二年建)、「大倉喜八郎墓碑銘」(頼襄子戊撰文、宮中顧問官勲一等三島毅撰、正五位日下部東作書、大正五年建)などを仰ぐ。

三島毅は、漢学者にして小生の母校・二松學舎の学祖・創立者。 号は三島中洲(ちゅうしゅう)名は毅(き)、字は遠叔。天保元年、備中窪屋郡中島村(後の中洲町、現在の岡山県倉敷市中島)に生まれた。十一歳から学問を志し、十四歳で儒学者山田方谷の門に入り陽明学を学んだ。さらに斎藤拙堂のもとで見識を深め昌平黌において佐藤一斎に学んだ。三十歳の時、備中松山藩に仕え、幕府老中でもあった藩主板倉勝靜とともに激動の幕末を経験した。明治維新後、新政府の命により上京、新治裁判所長、大審院判事(現在の最高裁判所判事)大審院検事長を務めた。明治十年、「漢学塾二松学舎」を創設。多くの子弟を育成し、漢学・東洋学の発展に尽力した。のちに東京高等師範学校教授・東京帝国大学文科教授・東宮御用掛・宮中顧問官を歴任した。

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2009年1月11日 (日)

千駄木庵日乗一月十日

午前は母のお世話。

午後十二時より、内幸町の日本プレスセンターにて、「アジア問題懇話会」開催。渡辺利夫拓殖大学学長が講演し、「冷戦終結直後、専制主義は自壊し自由民主主義体制が人類の統治形態となると主張した学者がいた。現時点に至ってそんな簡単なものではないことが明らかになった。

中国の膨張、イスラム原理主義の先鋭化は冷戦崩壊後に起こった。日本にとって冷戦の崩壊が挑発的な反日外交を誘発した。中国・韓国の反日は制度化のところまで来ている。今の状況は開国維新から日清・日露の時期と似ている。

韓国は二〇〇四年、『親日反民族行為真相糾明特別法』が施行され、日本の朝鮮統治に協力したとされる人々の子孫が罰せられ、その財産が没収されている。罪千載に及ぶという感情は韓国人のDNAに組み込まれている。

中国は九四年八月の江沢民による『愛国主義教育実施綱要』が反日の始まり。抗日戦勝利が建国に結びついた中国にとって愛国主義とは反日。江沢民にとって、当時の共産主義体制への逆風の中で政権を保つには反日カードしかなかった。

こうした状況にあって、自民・民主の政争で議論するのは、国内問題ばかり、それも国家の本質を問う問題ではない。国民の生命と財産を守護するべき政治は、拉致問題をほったらかし。厄介な国際環境に置かれながら、ポストモダンを涼しい顔をしてやっているのが今日の政治家。そのモダンとはナショナリズム。

日米同盟は冷戦崩壊以前は機能していた。モダニズムの海の中にポストモダニズムの日本がぽつんと浮いていることは、これからは不可能。

大陸への関与は危険。日本近代史の悲劇は日英同盟をなくして、大陸に関与したことにある。中国は今後分裂の可能性あり。

チベット・台湾を中国が同質化するには大変なエネルギーが必要。これを進めると中国の国力は弱まると考える。都市に集中した二億近い不満層が暴発する可能性が大いにある。

日本は海洋国家同盟によって安全を保持すべし。集団的自衛権を行使しない日本に対するアメリカの不信は強い。オバマ新政権の極東政策は分からない。

日本人が変えることができるのは日本のみ。しかしその大事なことを日本はやっていない。南シナ海のみならず東シナ海も中国の内海化したら、台湾・韓国は中国の保護領になる。日本は日米同盟によって中国を制圧できるが、中国が日本を見捨てる可能性がないとは言えない。

日本が非常に危険な状態にあるという自覚がないのが問題。中国の圧迫が日に日に強まっていく状況で、小沢民主党の国連中心主義は国民の支持を受けない。『村山談話』『河野談話』『近隣諸国条項』という負の遺産に拘束される必要は全くない。」と語った。

この後、虎ノ門の大倉集古館で開催中の『追憶の羅馬展―館蔵日本近代絵画の精華』展参観。感想は後日書きます。

この後、病院に赴き、入院中の父の付き添い。

夜は、谷中にて、有志相寄り、郷土史勉強会開催の打ち合わせ。

帰宅後は「政治文化情報」原稿執筆。深夜まで。

          ○

外交・軍事・安保面で大変な危機的状況にあるにもかかわらず、わが国の国会は、国内問題それも揚げ足取りと失言挑発

・追及に明け暮れている。昨日の枝野氏の質問にはがっかりした。彼は改憲論者であり、小沢に批判的なのに何であんな質問をしたのか。

昨日も書いたが、「国民生活第一」と言うが、国民生活の基本は国家の安全と独立である。そのためには憲法を正し、自主防衛体制を確立するべきなのである。近十数年来の政治の混迷によってそれが出来なくなっている。その政治混迷の原因を作り続けているのが小沢一郎の自民党への怨念と権力欲である。小沢は憲法改正の論議を妨害し、国連中心主義などという危険極まりないことを言っている。小沢一郎が政権を掌握することは何としても避けたいというのが私の主張である。

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2009年1月10日 (土)

千駄木庵日乗一月九日

午前は母のお世話。

昼は知人と懇談。

午後は母が落とした財布が警察に届いているとの連絡を受け、駒込警察署へ。母の代理人としてそれを受け取る。財布を交番に届けてくれた方に感謝する。有り難いことである。母も最近もの忘れがひどくなってきている。昔のことは昨日のことのように覚えているのだが、昨日今日のことは忘れることが多くなっている。今年八十九歳のなるので、こうした状況が進行することが心配である。

この後、病院に赴き、父の付き添い。熱が下がり、顔色も良くなっている。何とかこのまま回復してもらいたい。

帰宅後は原稿執筆。

         ○

イスラエルはやり過ぎではないかと思う。多くの子供たちが犠牲になっていることは何とも悲しい。ハマスがテロ組織で、子供を楯に使っているというが、住民を一カ所に集めて、そこを攻撃したり、国連職員まで攻撃するというのは、それが報道の通りとすればどう考えてもおかしい。イスラム過激派とユダヤ教の戦いである。宗教対立はまことに悲惨であり、恐ろしい。

国連も何の力を発揮することが出来ない。国連は平和を維持したり、作り出すことはできないのである。小沢一郎の「国連中心主義」は危険である。まして、社民党の欺瞞的な「平和主義」はもっと危険である。社民・共産は北朝鮮と同根の思想を持ち、友好関係にあった政党である。このような政党が「国連中心主義」の小沢と組んで連立政権を形成したら、祖国の安全と独立は根底から脅かされる、というのが私の危惧である。

共産支那や北朝鮮が日本に武力攻撃を加えて来ても、共産支那が拒否権を持っている国連は何もしないであろう。中東紛争は決して遠くの國の出来事ではない。「国民生活第一」と言うが、国家の安全と独立があってはじめて国民生活の安穏があるのである。閣僚が定額給付金を受け取るか受け取らないかなどという国内問題ばかりが国会で議論されていていいのだろうか。

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2009年1月 9日 (金)

千駄木庵日乗一月八日

未明、『月刊日本』に連載中の萬葉集講義の原稿完成、送付。

午前は母のお世話。

正午より、池袋にて、「萬葉會」の新年会開催。「萬葉會」は萬葉集の毎月第三木曜日に豊島区立千早地域文化創造館で十年ほど前から開かれている萬葉集の勉強会です。小生が萬葉集を講義しています。

その後、病院に赴き、入院中の父に付き添う。主治医の方から状況の御説明をいただく。

帰宅後は、「政治文化情報」の原稿執筆。

        ○

 『萬葉集』は、全二十巻・約四千五百首。「記紀・萬葉」と並び称される所以は、萬葉集が記紀と並んでわが國の文字通りの「古典」だからである。ここにいう「古典」とは、ただ単に江戸時代以前の歌集という意味の「古典」ではなく、天皇國日本形成の精神即ち日本國體精神をうたいあげた歌集といふ意味の「古典」である。「古い時代に著された、長年月にわたる批判に耐えて伝えられ現代でも文化的価値の高い内容の書物」という意味とともに、天皇国日本の中核的な伝統精神が示されているといふ意味である。

  編者の大伴家持は、日本の国の国柄の素晴らしさを後世に伝えなければいけないという使命感を持って、『萬葉集』の編纂に関わり、自らも歌を数多く詠んだのである。『萬葉集』は平穏無事の時代に編纂されたのではない。『萬葉集』は、大化改新・壬申の乱・白村江(はくすきのえ)の戦いの敗北(唐新羅連合軍と日本百済連合軍の戦い)という國家変革・激動・外患の危機の時期の歌集であり、國難の時期に如何に当時の日本人が日本國體精神を讚仰し道統を継承し、それを元基として國難を乗り越えたかが、『萬葉集』を読むと分かる。

 『萬葉集』には天皇国日本が様々苦難を経ながら国家体制が確立した時期である大和時代から飛鳥奈良時代を経て平安朝初期にかけての「時代精神」「国民精神」が歌われている。上は天皇から下萬民に至るまでの歌が収められている。国家的危機にある今日においてこそ、「萬葉集の精神」に回帰する必要がある。

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2009年1月 8日 (木)

千駄木庵日乗一月七日

午前は母のお世話。

午後は原稿執筆。

その後、入院中の父を見舞う。薬で熱を下げているので、いくらか楽そうである。しかし油断はならない。

帰宅後も原稿執筆。

         ○

病院の帰り、知人と上野の車坂というところで一杯やった。今は東上野という地名になっている。どうして良い地名をなくしてしまうのか。渥美清・萩本欽一・天海佑紀が生まれたところである。渥美清はここで生まれたが、幼少の頃に板橋に引っ越した。車坂は、昔は職人さんなどが住むしもた屋が多かったそうであるが、今はパチンコ台・ゲーム機の会社が密集している。雑居ビルが立ち並び、昔の下町の雰囲気は少なくなっている。しかし今日入った飲み屋さんは安くてうまかった。特にアナゴの刺身がうまかった。

旧町名にはなかなか良い名前が多かった。私が住んでいるところは、千駄木という地名で統一されたてしまったが、昔は、駒込坂下町・駒込林町、駒込千駄木町の三つの町に分かれていた。坂下町とはいかにも下町らしい名前だが、そこが私が生まれ、育ち、今も住んでいるところである。坂の下のある町だから坂下町という何んとも平凡な地名なのだが、懐かしい。

坂は、団子坂・大給坂・狸坂の三つがある。その坂の上は駒込林町というお屋敷町で、安田財閥の当主、大給子爵家、宮本顕治百合子夫妻、高村光雲・光太郎父子、児玉希望、宝井馬琴、大平正芳などが住んでいた。

下町・山の手の語源通りに、坂の上には資産家が多く住み、坂の下は庶民の町である。九段坂の上は麹町という山の手で,坂の下は神田という下町というのと同じである。

私宅に近所にも安くて美味い店が多いのだが、近頃やたらに雑誌に紹介されるようになって、遠くから来る客が多くなり、なかなか入れなくなってしまった。ああ悲しいかな。

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2009年1月 7日 (水)

千駄木庵日乗一月六日

午前は母のお世話。

午後は原稿執筆。その後、病院に赴き、父の付き添い。

帰宅後も原稿執筆。

         ○

物質文明及び経済至上主義の行きづまりによる今日の混迷を打開するためには、正しき「宗教精神」への回帰が大切である。

 しかし、「宗教精神」への回帰とは、安易にしていかがわしい神秘主義や狂信的な教団宗教へのよりかかりであってはならない。むしろそうしたものを厳しく否定しなければならない。

 教団宗教は、往々にして排他独善の姿勢に陥りやすい。世界の宗教史は宗教戦争の歴史といっても過言ではない原因はここにある。そして今日それが日本国内においても世界においてもますます激化してきている。イスラエルとパレスチナとの戦いを見れば明らかである。 

 日本伝統信仰すなわち神道は「神への祭り」を行い、「神の道」に随順して生きる事を大切にしている。これが、わが国の伝統的な信仰精神の基本である。つまり日本神道の本質は、一神教とは異なり、特定の人物によって書かれた教条・教義の中には無いのである。文字通り「神」及び「道」のそのものの中にあるのである。我々日本人は、その「神」を祭り「神の道」を現実に生きることによって宗教的安穏を得るのである。

 今日の日本人には、西洋精神の影響を受けて自然への畏敬の念を失ってしまった人が多いが、古来、日本人は自然を神として拝み尊んでいた。そうした日本民族が継承してきた伝統的な正しき信仰精神を正しく継承し現代において生かす事が必要なのである。

 日本の伝統信仰は自然神秘思想であることは間違いないが、全てを神や仏という絶対者の支配に任せ、科学的思考・合理的思考を拒絶するという考え方ではない。

 「神への回帰」「自然への畏敬」という精神性を重視した世界観・文明観を確立することが、これからの人類の生存のために不可欠である。ゆえに、神道(神ながらの道)という精神伝統を保持する日本が、新しい文明を切り開いていく可能性が非常に高いのである。このことを日本国民が自覚し、正しい道を歩まねばならない。

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2009年1月 6日 (火)

千駄木庵日乗一月五日

午前は、母のお世話。

午後は、入院中の父を見舞う。医師から色々と説明を受ける。熱が上がったり下がったりするので、これを何とかしなければ退院は覚束ない。精神的な不安を和らげることが私の勤めである。父を励ます。

夕刻、谷中で、地元の方々との新年懇親の集い。幸田露伴の小説で有名な谷中五重塔(小生が幼い頃、焼失してしまった)の再建が話題となった。相当の費用がかかることと、昔は五重塔は谷中天王寺の堂塔伽藍の一つであったが、今日は、五重塔のあった場所が都營の谷中霊園の中となっているそうで、「政教分離」の関係もあり、都が全面的に費用を負担することは難しいという。しかし、谷中五重塔は文化的歴史的な建築物である。その再建は、宗教活動ではないと思う。こんなところにも、「現行占領憲法」が悪い影響を及ぼしているのである。

帰宅後は、原稿執筆。深夜まで。

        ○

愈々世の中が動き出した感があるが、私は去年の暮から、父のことで忙しく過ごしている。神仏への信があるので、精神的にはそれほど落ち込まずに済んでいる。しかし、父が何とか早く回復してほしいという思いがつのる。

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2009年1月 5日 (月)

千駄木庵日乗一月四日

午前は、母のお世話。母も一人なのでさみしいだろうと思う。しかし、元来明るい性格なので助かる。

午後は、父の入院している病院に行く。まだ熱があるが、精神的にはやや落ち着いている。何としても回復してもらいたい。それが一人息子の祈りであり願いである。老人一人が殺風景な病室に寝ているというのは何ともやり切れない。父は私に気を使って「忙しいのだから、もう帰っていいよ」と何回も言ってくれる。胸が迫る。治療に関しては、医師と看護師に頼るほかはない。私はただ父を励まし、快癒を祈るのみである。

帰宅後は原稿執筆。

           ○

生長の家の事を書いています。宗教といふものは本来、人々に安穏・平和・喜びをもたらすものであるはずです。ところが、宗教が闘争・戦争の原因となるということが問題なのであります。世界各地で起こっている戦争・紛争の原因が宗教対立にあるというのは悲しいことであります。宗教上の対立における憎悪は尋常ではありません。しかし、これは人類の歴史で繰り返されてきたことなのであります。

わが國においては、創価学会の脱会者や批判者に対する憎悪の深さは凄まじいものがあります。「天地一切のものと和解せよ」「汝の兄弟と和せよ」を根本教義とする生長の家の教祖の孫が自分の兄弟を排除するというのではお話になりません。

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2009年1月 4日 (日)

千駄木庵日乗一月三日

午前は母のお世話。

午後、父の入院している病院に赴く。妹と共なり。医師及び看護師と相談。そしてしばらく父に付き添う。いくらか良くなっているが、高齢なので、足腰と気力が弱っていくことが心配である。本当は一日中付き添っていたいのだが、そうもいかない。本当に可哀想である。ともかく、父の快癒を祈るのみである。

根津神社に初詣。「由来書」によると、根津神社は、今から千九百年余の昔、日本武尊が千駄木の地に創祀したと伝えられる古社で、文明年間には太田道灌が社殿を奉建している。
五代将軍・徳川綱吉は、宝永二年に兄綱重の子綱豊(六代家宣)を養嗣子に定めると、氏神である根津神社にその屋敷地を献納、現在の社殿を奉建、世に天下普請と言われる大造営を行ない、千駄木の旧社地より御遷座した。翌年完成した権現造りの本殿・幣殿・拝殿・唐門・透塀・楼門の全てが欠けずに現存し、国の重要文化財に指定されている。

明治維新には、明治天皇御東幸にあたり勅使を遣わされ、国家安泰の御祈願を修められる等、古来御神威高い名社である。

御祭神は、須佐之男命・大山咋命・誉田別命 相殿 大国主命・菅原道真公。

例祭は、九月二十一日で、六代将軍家宣は幕制を以て祭礼を定め、正徳四年江戸全町より山車を出し、俗に天下祭と呼ばれる壮大な祭礼を執行した。現存する大神輿三基は、この時家宣が奉納したものである。同じ格式による山王祭、神田祭とあわせ江戸の三大祭と言われている。

帰宅後は、「政治文化情報」次号の原稿執筆準備など。次号には、今いろいろ問題を抱えている生長の家について書きたいと思っている。生長の家は、私が中学時代に、創始者谷口雅春先生の「生命の実相」を読んで感激し、高校時代からか大学卒業まで熱心に活動した教団である。昨年末、二代目の谷口清超先生が亡くなった。近年、三代目の谷口雅宣氏の言動・教団運営方針について、多くの人々から批判が巻き起こっている。そのことについて、少しく論じさせていただきたいと思っている。

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この二十数年来、毎年一月三日に東京を出発し、伊勢に赴き、四日に皇大神宮の内宮と外宮に参拝することが恒例となっていた。参拝の後、伊勢市駅頭にて、地元の同志の方々と共に街頭演説を行っていた。しかし、今年はそれが出来なくなった。まことに残念である。

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2009年1月 3日 (土)

千駄木庵日乗一月二日

朝、病院より電話があり、「医師が相談したいことがあるので来てほしい」とのこと。タクシーで駆けつける。医師は、「熱も下がったようなので、このままベッドで寝ていると、痴呆になったり、歩行困難になる恐れがあるのでも一日も早く自宅に帰った方か良い。私の経験上、一日寝ていて痴呆が進行すると回復するのに三日かかる。発熱したらすぐに救急車で病院に連れて来てくれ」と言う。

そこで、甥に来てもらって。二人で父を自宅に連れて帰った。ところが夕刻になって、食事をして貰おうとしたら、やはり発熱している。そこでまたまた救急車を呼んで病院に連れて行った。そして治療を受け、今夜は病院に泊まることとなった。医師の判断ミスなのか、あるいは致し方のないことなのか、私には分からない。しかし、父が次第に弱っていくことは確かである。その責任が病院にあるのか、今年三月で齢九十になるので止むを得ないことなのか、判断に苦しむ。

父は前立腺肥大が進行し、胃潰瘍で入院してから尿を入れる袋をつけなければならない状況になっていた。そして旧臘三十日に病院に行ってその尿を入れる袋を換えてもらった直後、高熱を発した。その時に細菌が体内に入ったらしい。これも病院に責任があると思うのだが、素人の私がそれを指摘することはできない。ともかく、今は病院への不信感を抱くようになっている。しかし、今、現実にその病院で治療を受けている以上そんなことを口にすることはできない。ただ三十日に治療に当たった医師に対してはさすがに叱責した。

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2009年1月 2日 (金)

千駄木庵日乗一月一日

新年明けましておめでとうございます。

新しき年を迎え、今後より一層言論活動に精励する覚悟でございます。何卒宜しくご支援下さいませ。

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朝、新玉の年の朝、東天に昇り来た大日輪に拝礼。「天照大神」の御神名を唱え奉る。身を清めた後、神前にて、「天津祝詞」奏上。神想観。

この後、家族と新年を祝う。

午後は、入院中の父を見舞う。幾分か落ち着いてきたようであるが、まだ微熱がある。色々と語り合う。

夕刻、来客あり。

夜は、資料の整理など。

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三年春正月、因幡國の廳(まつりごとどころ)に、国郡の司等に饗(あ へ)を賜へる宴の歌一首

                                           

新しき年の始の初春の今日ふる雪のいや重(し)け吉事(よごと)

                               

 大伴家持が四十二歳の時の賀歌(お祝ひの歌)で、「萬葉集」最後の歌である。天平宝字三年(七五九)の正月(太陽暦では二月二日)、因幡の國(鳥取県東部)の國廳(行政を扱ふ役所)で、因幡守(今日の県知事)であった家持が、正月の宴で詠んだ歌。

 「いや重け吉事」の「重け」はあとからあとから絶える事なく続くこと。「新しい年のはじめの初春の今日降る雪の積もるやうに良きことが積もれよ」といふほどの意。

 元旦に雪が降るのは瑞兆で、その年は豊作であるといはれてゐた。「しんしんと雪が降り積もるやうにめでたきことも重なれよ」といふ願望を歌った。雪の降る眼前の光景を見て歌った平明で清潔で堂々たる「萬葉集」の掉尾を飾るに最も相応しい名歌である。

 大伴家持は、日本の国の国柄の素晴らしさを後世に伝えなければいけないという使命感を持って、「萬葉集」の編纂に関はり、自らも歌を数多く詠んだ。「萬葉集」は平穏無事の時代に編纂されたのではない。大化改新・壬申の乱などといふ大変革・大建設の時代に、日本の国の理想・國體の本姿を語り伝へるために「萬葉集」は編纂された。   

 

「言事不二」といふ言葉がある。「言葉と事実と一致する、言葉と事実は二つではない一つである」「言葉に出したことは実現する」といふ意味である。「聖書」にも「言葉は神なりき。よろずものこれによりて成る」と書かれてゐる。仏教では「聲字即實相」といふ。

家持が、「いや重け吉事」と歌ったのは、めでたい言葉を発することによって吉事が本当に事実として実現すると信じたのである。そして、「萬葉集」の最後の歌にこれを収め、一大歌集の締めくくりにした。天皇国日本の国の伝統を愛し讃へ、日本の国の永遠の栄えと安泰を祈る心の表白であらう。

 また、「萬葉集」編者(家持自身かもしれない)は、祝言性豊かなこの歌を全巻の最後に置き、「萬葉集」を萬世の後まで伝へやうとする志を込めた。我々は「萬葉集」といふ名称に、無限の力と祈りとを実感する。ともかくこの歌は、わが国の数多い和歌の中でもとりわけて尊くも意義深い歌である。

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2009年1月 1日 (木)

千駄木庵日乗十二月三十一日

午前は、神棚・仏壇はじめ部屋内を掃除する。

午後は、根津神社に参拝し、古札を納める。神域はとても静かであった。明日は初詣で大賑わいとなるであろう。神官の方々が大祓祭の準備をしていた。また、参道では、露天商の人々が開店準備をしていた。

帰途、正月用の食品を買いに祖母の代からの付き合いの魚屋・肉屋などに行く。

この後、入院中の父を見舞う。今年も色々な事があったが、まさか十二月三十日に父が入院するとは思わなかった。大晦日に、一人でベッドに横たわっている父を励ます。私が病室に入ると、全身で喜びを表現してくれた。少し熱があるというので、額に手をあててあげる。看護師さんに様子をうかがう。ともかく、元気づけてあげねばならない。父が眠るのを待って帰宅。病室にたった一人で過ごしている父のさみしさを思うと、一日も早く家に帰れることを祈る。

帰宅後は、資料の整理など深夜まで。
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わが國の混迷の根本原因は、「大東亜戦争は日本による一方的な侵略戦争だったのであり、これによってアジア諸國・諸民族に甚大な災厄をもたらした」という歴史認識が横行し、日本國民の多くに祖國の歴史に対する誇りを持てなくしていることにある。その結果、内政・外交・防衛・教育・文化等々あらゆる面においてわが國の混迷と弱体化をもたらす。それが今日の日本である。

「日本は侵略戦争をした悪い國である」という歴史観は、國家の基本法たる『日本國憲法』の「前文」にも麗々しく書かれており、且つ、終戦五十年の『内閣総理大臣談話』(閣議決定)にも書かれている。つまり「侵略戦争史観」はわが國の「國是」になっていると言っても過言ではない。これでは、わが國は何年たっても、混迷から脱却してまともな國即ち道義國家・自主独立國家になることはできない。それどころか亡國への道を歩み続ける事となる。

我々日本國民が日本近代史をどうとらえるかが、今日の日本人の精神構造やその國家観に大きな影響を与え、現実の政治・外交・教育・国防など全てにわたることを規定する。近代日本が弱肉強食の世界で生き抜き、西欧列強の侵略に抗して独立を維持していくために、近代國家建設を行ったことは、わが日本民族が誇りにすべき事実である。また、明治維新以後の日本の海外進出そしてその到達点としての大東亜戦争が、日本の一方的な侵略であったという歴史観は全く誤りである。

近代日本史および大東亜戦争の意義を認識し、國内外の亡國勢力・反日勢力を一掃することが、國家民族の緊急の課題である。それは近代史に対して無反省になるというのではない。反省すべき点は反省しつつ、日本民族の誇りある歴史を恢弘すべきであると主張するものである。

戦争については國家意思が何処にあったかで判断すべきである。『開戦の詔書』には『自存自衛』『東亜の安定の確保』『世界の平和に寄与』『萬邦共栄の楽を偕にする』と示されている。白色人種の植民地だった東亜の解放が戦争目的だったのである。我ら日本人は、日本が白人優位の世界秩序を変えたことを誇りに思わなければならない。

その國の國民が祖國の歴史を如何に見るかは、その國の将来を決定する要素である。一方的な歴史観に基づいて贖罪意識のみに責め苛まれる日本は亡國の道を歩むしかない。日本の國を愛し、日本の國の歴史に誇りを持つことが、今後の日本の発展と國民の幸福の基礎である。

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