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2008年12月 5日 (金)

千駄木庵日乗十二月四日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、診療所・薬局に赴き、父の処方箋、薬を購入。

帰宅後は諸雑務、そして十二月八日の「大詔奉戴祭」における講演の準備など。

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『映画ヤスクニ』などはその典型なのだが、現代日本には、日本の「武士道」そして「剣の精神」を、「軍国主義」「好戦的」「戦後平和主義」に反するとして、これを排撃する傾向がある。自衛隊関係者の発言や主張に対する理不尽な非難攻撃はこうした風潮が根底にあると思う。わが国の傳統が、言葉の真の意味において「平和」であるのは言うまでもない。しかし、それは「武」「剣」を否定する精神ではない。

日本刀=剣は、製作過程からして既に神道祭式の宗教儀式になっている。刀鍛冶は職人にして単なる職人ではなく、朝から斎戒沐浴して仕事にかかる。仕事場に榊を立て、しめ縄を張り巡らせて、その中で仕事をする。

 剣の製作は、神の魂が籠るものを作るのであるから神事であるのは当然である。「剣」は、倫理精神の象徴・神社における礼拝の対象となっているのである。「刀は忠義と名誉の象徴」「刀は武士の魂」として大切にされたのも、その根源はこうした信仰にある。

「三種の神器」は、皇霊が憑依すると信じられ、日本天皇の国家統治言い換えれば日本民族の指導精神の象徴である。「玉」は「和・農業・妙なること・豊かさの精神・幸御魂・海洋文化」、「剣」は「武・軍事・たけきこと・克己心・荒御魂・鉄器文化」の精神、「鏡」は「澄・祭祀・明らかなること・美意識・和御魂・太陽崇拝」の精神という。知(鏡)・仁(玉)・勇(剣)とも解釈される。これは別々の観念として伝えられているのではなく、三位一体の観念である。

戦後日本は、「三種の神器」の御精神の一つである「剣」の精神が欠落した。これは重大な國體隠蔽・日本伝統精神の衰微というべきである。現代日本において、残虐にして凶悪なる犯罪を横行しているのは、真の「武」の精神が欠落し、似非平和主義が横行していることにその原因があると思う。「武」の精神が、真の平和をもたらすのである。

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