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2008年12月11日 (木)

千駄木庵日乗十二月十日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

昼は知人と懇談。

午後は原稿執筆。

午後七時より、高田馬場のホテルサンルートにて、『一水会フォーラム』開催。重村智計早稲田大学教授が講演し、「馬鹿だ大学阿呆学部を出て、シェル石油を経て、毎日新聞に入った。英語が出来ないのに、外報部に回された。そこで高麗大学に留学して韓国語を学んだ。その頃は、朴正煕を批判し、金大中を褒めれば良かった。北を批判するとKCIAの手先と言われた。

『大韓航空機事件は北がやった』と書いたら、朝鮮総連が抗議に来た。韓国語で応対したら、シーンとなった。抗議に来た総連の人たちより私の方が韓国語がうまかった。『朝鮮人なら朝鮮語で話しなさい。僕より下手なのは勉強が足りない』と言ってやった。ワシントン特派員になり、北朝鮮外交官と接触した。総連幹部の質の悪さと違って、教養が高かった。

一九九四年に帰国。その頃は、『北朝鮮はもうすぐ崩壊する』と言われていた。私が『崩壊しない』と言ったら、北の手先と言われた。今、北朝鮮は年間七十万トンしか石油を輸入できない。それでは戦争は出来ない。私の予測は九割がた当たっている。これほど確率の高い専門家はいない。北朝鮮研究には、過去の蓄積は無い。日本人は日本人としての判断で研究しなければならない。

金正日はかつて何回も日本に来た。赤坂のレストランシアター『コルトンブルー』に一週間通った。『喜び組』の踊りは『コルトンブルー』からのパクリ。金正日は万景峰号で日本に来た。当時、入管はまったくチェックしなかった。金正男は赤坂のコリアンクラブに彼女がいた。その女の後ろには韓国情報機関がついていた。

北朝鮮の後継者は影武者が死んだら決まる。金正日には影武者がいる。幹部も本物の金正日に会った人は限られた人。軍幹部も一年に一回会うかどうか。

拉致被害者は『日本に帰りたくない』と言った人が、北朝鮮への忠誠心があるとみなされ、日本に帰された。『帰りたい』と言った人は帰されず、死んだことにされた。『拉致問題は主権侵害だ』と北朝鮮に認めさせなかったのは、小泉の責任。

今の北朝鮮は、死ぬ前の金正日の指示通りにやっている。影武者であっても良い。将来は金日成父子に今までの責任を押し付け、改革開放に向かう。金日成父子は間違っていたという前提がなければ改革開放は出来ない。だから老人グループと軍は改革開放に反対している。生きていなくても『生きている』と言わざるを得ないのは、金正日の名前がないと、国も軍も動かなくなり、体制が崩壊するから。

ミサイルに積む核は出来ていない。北が核攻撃をして来ると言っている人は、北の手先。」

帰途、知人と懇談。

帰宅後は諸雑務。

          ○

重村氏が、「金正日がすでに死んでいる。金正日はかつて万景峰号で度々日本に来ていた」と言われたのには驚いた。事実としたら大変なことである。重村氏ほどの人がガセネタをつかまされるはずはない。また嘘出鱈目を言うはずもないと思う。アメリカや韓国や日本の情報機関やメディアが沈黙しているのも不思議である。

何時までも、影武者で済ませるわけにも行くまい。しかし、金日成王朝が終焉を迎え、体制が崩壊し、自由国家になるなどと甘い夢は持つべきではなかろう。北朝鮮に大混乱が起きる可能性の方が高い。

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