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2008年12月10日 (水)

千駄木庵日乗十二月九日

午前は、父母に付き添って病院に赴く。定期的な診察と治療。

午後からは在宅して資料の整理・諸雑務。

           ○

亀井静香氏が田母神氏に対して、「田母神だか死神だか知らないが…」と言ったことはやはり許せない。歴史観の違いを批判するのは良い。私は間違っていると思うが、亀井氏が支那事変を日本軍の侵略だったと思うのは、自由である。しかし、意見が異なるからと言って、他人様をよりにもよって「死神」だなどと決め付けるのは絶対におかしい。

戦後、再軍備が行われた時、「警察予備隊」と言われた。これが自衛隊の前身である。その頃から、内局はだいたい警察官僚が牛耳っていたといわれる。増原恵吉氏など立派な人ももちろんおられた。

しかし、警察官僚には、反軍思想・反自衛隊思想を持っていた人物もいた。名前は忘れたが、防衛庁官房長を務めた人は、何と非武装中立論者で、今でも、左翼の集会に出ている。

後藤田正晴もその典型で、彼が中曽根内閣の官房長官だった頃、ある人が「憲法を改正し、自衛隊を国軍にしなければならない」と言ったら、後藤田は色をなして、「五一五、二二六で警察官は軍人に殺されたのだ」と言ったという。

また九・一一テロの後、町村信孝氏などの自民党政治家が、「皇居・総理官邸・国会は、自衛隊が警備したらどうか」という意見を出したら、警察官僚が強硬に反対したという。もっとも、町村氏の父上の町村金吾氏は戦時中の警視総監だった。戦後、参院議員・北海道知事を歴任した人で、亀井や後藤田と違って風格にある人であった。

戦前、ゴーストップ事件以来というよりも、明治維新後、薩摩の城下士が軍、郷士が警察を牛耳って以来、軍と警察は仲があまりよろしくないという「伝統」があったようである。

亀井氏は、自分が自社連立を推進し、村山内閣閣僚であり、「村山談話」にも深く関わったので、「村山談話」を否定した田母神氏が憎くてしょうがないのであろう。また、自衛隊への反感・蔑視もあるのだろう。けちな男である。

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