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2008年12月31日 (水)

千駄木庵日乗十二月三十日

未明、父が苦しみ出し、看護。朝になってもおさまらず、救急車に来てもらって、病院へ。治療を受け、小康状態になったので、医師の指示により、タクシーで帰宅。ところが帰宅途中にすでに父の体が震え出し、家に辿り着いたら倒れ込んでしまった。再び救急車に来てもらって、病院へ。再度診察治療を受け、入院することとなった。

詳しい病状は書かないが、泌尿器の病気である。一回目の治療の時、「入院させてやりたいのですが」と言っても、医師は「べッドがない」とか、「そんな病状ではない」とか言って断られた。しかるにこの有り様である。

病人とりわけ年老いた病人は文字通り弱者である。患者側は、病院と医師に頼るほかはない。その病院の対応に信頼がおけなくなると本当に困る。苦しみ年老いた父が廊下の椅子やベッドの上で長い時間放置されていると怒りがこみ上げる。しかし、患者やその家族にとって長い時間と感じられても、病院側はそうは思っていないようである。

今日は一般診療はやっていないので、救急外来が相当の混雑であった。それだけ、医師や看護師も忙しいということである。病院側を責めるわけにもいかないのかとも思う。しかし、自分の父親が現実に苦悶している状態を見ると、そうした理性も吹き飛んでしまう。

朝から夜まで、病院と自宅を往復三回。大変な一日であった。しかし、父の苦しみが少しでも和らぎ、回復することを祈るのみである。

明日は、新年を迎える準備(部屋の掃除やお節料理の買い出しなど)をしなければならないが、父が入院している病院に行かねばならない。相当忙しい一日になりそうである。今日は私的なことばかり書いてしまった。

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2008年12月30日 (火)

千駄木庵日乗十二月二十九日

午前は父母のお世話。父は医師の指示により漢方薬を服用するようになってから、精神的にはやや落ち着いたようである。漢方薬は西洋医学の薬と違って、徐々に効いて来るようである。

午後は、諸雑務。年末にしなければならない様々な事や正月の準備をして過ごす。父母に代ってやらなければならないことも多く、今日・明日・明後日は多忙である。

午後六時より、高田馬場で開かれた私が顧問をつとめる団体の忘年会に参加。挨拶。鈴木邦男・木村三浩両氏など多くの同志と懇談。小生は「俵星玄蕃」を熱唱。鈴木さんの前ではもう四十年くらい歌っている。ますます磨きがかかったと誉められた。

この団体(誰が読んでもこの団体が一水会であることは明白であるが…)創設当時からの同志も、すでに幽明境を異にした方もおられる。まことにさみしい限りである。しかし、その一方で、還暦を過ぎてあるいは還暦近くになって、愈々運動に情熱を持ち、行動している方もいる。まことに頼もしい限りである。私も来年もまた、微力ではあるが、弱き心に鞭打ち、経済的困難に打ち勝ち、出来得る限りのことはしていきたいと思う。本来、内気な私には政治運動く不向きなのであるが、多くの方々のご支援があり本当に在り難く思っている。

鈴木邦男さんは、私が高校生の頃からの先輩である。その頃鈴木氏は生長の家の学生道場におられた。大変な勉強家で、蔵書の多さに驚いた。先輩を見習い、私も読書に励んだ。

帰宅後も諸雑務。

           ○

田母神氏の問題は、結局「村山談話」に帰着する。あのような「談話」に政府や役人や政治家や軍人が拘束される必要はさらさらない。そもそも権力機構たる内閣が「歴史問題」の評価を行い、一定の考え方を決定し、それを国民に押し付けること自体が絶対に間違いなのである。思想信条の自由を侵すことであり憲法違反なのである。「村山談話」の破棄こそが急務である。「村山談話」を徹底的に無視し失効せしめるべきである。

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2008年12月29日 (月)

千駄木庵日乗十二月二十八日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、上野公園の上野の森美術館で開催中の「没後四〇年レオナール・フジタ展」参観。レオナール・フジタ(藤田嗣治)は、私の好きな画家の一人である。今回は、初期の作品そして有名な乳白色の裸体画・自画像と共に、本邦初公開の晩年の宗教画が多数展示されていた。フジタと言うと裸体画が有名だが、キリスト教徒となった晩年のフジタのイエス・キリストやマリアなどを描いた宗教画はみな見事な作品ばかりで、宗教的エクスタシーを感じた。

戦時中、日本に帰国していた藤田が戦争画を描いたことが、戦後になって批判された。多くの画家が戦争画を描いたのに、フジタだけが責められた。文壇においても、中河与一が戦争協力者として糾弾され文壇を追放された。その中河与一と藤田は非常に親しかった。日本人の西洋画家としては、フジタが最も優れていたと思う。その次が、佐伯祐三であろう。そうしたことが、画壇から嫉妬を買ったという見方も成り立つ。

夕刻、地元の友人たちと忘年会。

帰宅後は諸雑務。

          ○

また中東情勢がきな臭くなってきた。今日はフジタの宗教画に感激したのだが、どうも人を救い平和をもたらすはずの宗教というものが人類の争いごとの根源にあるのはどうしたことであろうか。イスラエルとイスラム過激派ばかりでなく、インドとパキスタンの対立も宗教問題がある。過激派とか原理主義というのはイスラム教だけではなく、キリスト教やユダヤ教などにもある。仏教においては、日蓮が原理主義者ということになるのであろうか。しかし、日本の信仰的風土と歴史は、包容力に富み寛容である。中世・近世はともかく、現代においては、日蓮宗のお寺と真言宗や念仏宗のお寺が武力闘争をしているなどということは聞いたことがない。

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2008年12月28日 (日)

千駄木庵日乗十二月二十七日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は皇居東御苑拝観。天長節に皇居に参賀に行くことができなかったので、本日、皇居に伺い、東御苑より、聖上陛下の萬壽無窮を祈り奉りました。

冬の東御苑もまことに美しく、清らかであります。松の木が沢山あります。大本教の「お筆先」に「梅で開いて松で治める神國の世」という言葉があります。皇居外苑や東御苑の松林を見る度にこの言葉を思い出します。日本国は、天皇陛下が統治あそばされているがゆえに、平和であり永遠なのであると信じます。また事実その通りのなのです。天皇國日本は梅の花の如く美しく松の緑の如くに永遠であります。

皇統連綿・玉體安穏を祈念し奉ります。

夕刻、知人と懇談。

帰宅後は、年賀状の作成。

         ○

約四百枚の年賀状を作成しています。何故「作成」と書くかというと、手書きではないからです。この十数年大体このくらいの数です。皆それぞれ縁ある方々であります。「礼」というのは大切なことであります。新年を迎え、お互いに「礼」を交換することは意義深いと思います。

大学卒業以来、一回もお会いしていない方もいます。しかし、年賀状の交換は以来毎年行っております。また週一回あるいは半月に一回くらいお会いする人もおります。また、格別に親しい人でも、何故か年賀状の交換をしていない人もいます。不思議なことです。自然にそういうことになってしまったのです。

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2008年12月27日 (土)

千駄木庵日乗十二月二十六日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は年賀状書き及び諸雑務。

午後六時より、平河町で開かれた「月刊日本」の忘年会に出席。多くの方々と懇談。談論風発。

帰宅後も諸雑務。

          ○

今日の忘年会でも田母神氏の事が話題となった。歴史問題、文民統制、言論・表現・思想の自由という極めて重大な事柄に関わることなので、冷静にきちんと論議しなければならない。田母神氏の講演会が各地で開催されている。また新年にも予定されている。それだけ国民の関心が高いということである。田母神氏を支持し、政府のやり方を批判する人は多い。

左翼革命勢力・国内反日勢力は、これまで一貫して自衛隊を敵視あるいは蔑視して来た。今回も、そうしたことが大きく影響していると思う。国家存立を基本である国防を担う自衛隊が蔑視され敵視されて良いはずがない。

メディアや学者・評論家と称する人々が田母神氏の論文の中身について批判している。田母神氏は学者としてあの論文を書いたのではない。一国民として書き、懸賞に応募したのだ。学者から見れば有体に云って素人の論議であり、いろいろ批判すべき点はあるであろう。論文全体としては正義の主張であり、まともな論文である。個々の事柄について色々あげつらうのはどうかと思う。

石破茂氏が防衛大臣時代に、敵性国家共産支那のメディアで祖国を侵略国家呼ばわりしたり、防衛大学校長五百旗真氏が「イラク派遣反対」「総理の靖国神社参拝反対」などと国の政策に反することを言っても、首にならず、田母神氏が歴史観を語っただけなのに首になるということがおかしいのである。軍人および軍隊に対する蔑視・差別・敵視がこうしたことの原因であると考える。

田母神氏を支援し、「村山談話」を破棄せしめる運動が活発になっていることはまことに喜ばしい。

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2008年12月26日 (金)

千駄木庵日乗十二月二十五日

午前は、医師が来宅し、父の診察と治療。その後、看護師の方と共に父母のお世話。

午後は、年賀状作成など。

午後六時半より、内幸町ホールにて、「田母神俊雄前航空幕僚長講演会」開催。

佐々木俊夫氏が司会。花岡信昭氏などが挨拶。

田母神氏は二時間半にわたって講演された。特に印象に残ったことを記させていただく。

「自衛隊員は愛国心・使命感が大事。この國のために尽くすことが正義という自信を持たねばならない。自衛官にも憲法二一条の表現の自由はあると思う。五、六年前から同じことを言って来たが何の問題も生じなかった。國の政策に反することを述べたのではなく、歴史観を述べたのみなのに解任されたのはどういうわけか。自民党はこれまで左に譲歩することをして来た。私の事でも自民党は私を擁護しなかった。だから支持率が下がった。このままでは日本は溶けてなくなる。私は国家に対して悪いことをしたとは思ってゐないので辞表を書かなかった。夜中に首になった自衛官は私だけ。私は『懲戒処分の審理をやってくれ』と言った。そこで定年退官となった。四十年間私なりに一生懸命やってきたが、離任式もさせてくれなかった。軍が強くなると必ず侵略するという間違った認識がある。専守防衛というのでは絶対に勝てない。外国がわが国の領海・領空を侵犯するのは、日本は攻撃してこないと知ってゐるから。核兵器を持つことによって、外交交渉は対等になる。核兵器があることによって戦争は起こらない。日本が核兵器を持つという意志を持つだけで抑止力が働く。歴史は戦勝者が書く。東京裁判は戦勝者による追撃戦。防衛大学校長五百旗真氏は『イラク派遣反対』『総理の靖国神社参拝反対』という国の政策に反することを言っても首にならず、私は歴史観を語っただけなのに首になった。『村山談話』を自衛官に教育され、これに反対してはならないということになると、国防を担えなくなる。自前で国を守ることが出来ないから、アメリカにものが言えない。文民統制とは、①軍を使うか使わないかの決定権は政治家にある。軍は勝手に動けない。②軍の実際の使い方は軍人に任せる。ということ。今は内局が人事にも細かく口を出してくる。政局しか考えない政治家が日本を駄目。にしている。南京大虐殺は嘘。松井司令官は、『日本軍が初めて他国の首都を占領するのだから軍紀を引きしめろ』『孫文の墓に入ってはいけない』と指令した。鳩山由紀夫氏が『ワインの会』を中途で退席したというのは嘘。コース料理を最後まで食べた。男は嘘を言ってはいけない。」などと語った。

色々感想があるが、今日は夜も更けたので、後日あらためて書きたいと思う。

帰途、同志と懇談。

帰宅後も年賀状作成。

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2008年12月25日 (木)

千駄木庵日乗十二月二十四日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、書状執筆・諸雑務。

午後六時半より、駒込地域文化創造館にて、「萬葉古代史研究会」開催。小生が萬葉集巻十六を講義。

帰宅後も諸雑務。年内にしなければならないことが多く、頑張っています。

「政治文化情報」今号掲載の亀井静香氏批判への賛同のお便りやお電話があり嬉しく思っております。私は本来気が弱く、繊細な神経の持ち主であり、自己主張もあまりしない人間だと自分では思っておりますので、(ご異論のある方も多数おられましょうが…)他人様を批判したくはないのです。しかし、どうしても批判をしなければならない時もあります。お許し下さいませ。

       ○

渡部篤衆院議員がその「ブログ」に次のようなことを書いておられた。

「『時が、熱狂と、偏見とをやはらげた暁には、また理性が、虚偽からその仮面を剥ぎとった暁には、その時こそ、正義の女神はその秤を平衡に保ちながら、過去の賞罰の多くに、その所を変へることを要求するであらう。』この文章はインドのパール判事の言葉である。四宮先生が大東亜戦争についての議論に引用されている。私はこの言葉を米国の金融工学、市場原理主義、新自由主義への冷静な対応に使いたい。現在の米国の賭博資本主義を賞賛した学者、テレビのコメンティター、新聞、証券アナリストの責任を糾弾したい。それにしても、今のマスコミは貯蓄から投資というマネーゲーム賛美のオンパレードである。今こそ・・悪なる金融・賭博資本主義を粉砕することである。」

渡部氏のお陰で、パール博士の言葉は歴史問題のみならず、色々な事象において通用する言葉であることを実感した。こういう言葉を真の意味の「名言」と言うのであろう。

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2008年12月24日 (水)

千駄木庵日乗十二月二十三日

未明、父の容態に変化があり、看護。

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

正午より、九段会館にて、「天長節を祝う会」開催。国歌斉唱・「教育勅語」奉読・天長節の歌奉唱・聖寿萬歳三唱・小田村四郎会長の挨拶・来賓祝辞(田中舘貢橘氏)などが行われた。

この後、宮崎正弘氏が「経済混迷と日本の行方」と題して講演し、「十年間の中国経済の発展の基礎を作ったのは日本。第二歩は、クリントン政権のテコ入れ。ヒラリーは『二一世紀の最重要国家が中国だ』と言った。日本経済の現状は、①独自の金融政策がない。主権国家とは言えないからだ。②リーダーシップも國の個性もなく、独自の経済学が不在で米国亜流。③百年に一度の危機を百年に一度のチャンスに出来ないのか。日本の英知を私は信ずる。」と語った。(まことに申し訳なき次第ながら、昨夜あまり寝ていなかったため、猛烈な睡魔が襲ってまいりまして、きちんとメモをとることかできませんでした)

続いて直会が行われた。

帰宅後は、資料の整理。

十二月八日の「大詔奉戴祭」と今日の「天長節を祝う会」は、大先輩の田中舘貢橘先生と河戸博詞先生の委嘱により、森田忠明・山田恵久両氏と小生が実行委員となって、十数年前から毎年開催されている。今日の日本の危機の根本原因は、日本国民の正しき國體精神・尊皇精神が希薄になっていることと、大東亜戦争など歴史問題について誤れる認識が国民に横溢していることにあると思う。それを是正するために、この二つの行事は極めて有意義であると思う。来年も、さらに多くの人々に呼び掛けて、一層盛大な行事にしなければならないと思う。

            ○

本日は、天長の佳節であり、本来なら、皇居一般参賀に行かせていただかねばならないのですが、午前中は父母のお世話があり、また「天長節を祝う会」が正午から開かれますため、欠礼しました。参賀の模様をテレビニュースで拝見致しましたが、天皇陛下には、龍顔ことのほか麗しく、お元気そうなご様子で安堵いたしました。

玉體安穏・聖寿萬歳を衷心より祈念し奉ります。

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2008年12月23日 (火)

千駄木庵日乗十二月二十二日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は諸雑務。郵便局などに行くために町を歩くと、自動車が大変な渋滞であった。これで景気が悪いのかと思いたくなる。否、景気が悪くとも働かねばならないということであろう。

夜は、明後日の「萬葉古代史研究會」における講義の準備。萬葉集の勉強は実に楽しい。

          ○

本日、「政治文化情報」が読者の皆様に届いたので、夕方から、何人かの方からお電話を頂いた。亀井静香氏批判への賛同のお電話であった。亀井氏とは、村上正邦氏の事務所とか、パーティーとかでお会いし、挨拶もしているし、私が親しくしている同志の方と亀井氏が親しいので、あまり批判したくはなかったのだが、田母神氏を死神呼ばわりしたのは許し難かった。小誌を亀井氏にも送っておいた。

私は原則的には、検事・判事・警察官僚経験者が政治家になるのは慎むべきだという考え方である。一党一派に偏してはならない職業、特に、人を逮捕したり起訴したり裁く権力を有する人が、退職した後といえども、一党一派に属することは好ましいことではないと思う。しかし、現実には、検事・判事・警察官僚出身政治家はたくさんいる。立派な人もいればそうでない人もいる。町村金吾氏とか奥野誠亮氏は立派だったと思う。(奥野氏は警察官僚とは言えないのかもしれないが)後藤田氏は私の父と同郷だが、全く好きになれなかった。

江田五月氏は、判事補を務めていた。ところがこの人は学生時代、左翼学生運動に挺身し、自民党本部乱入事件を起こし逮捕された経験を持つ。そういう人でも、判事補になれるし、参院議長にもなれるのであるから、日本は自由国家であり、良い国なのであろう。したがって、検事・判事・警察官僚が政治家になることに目くじらを立てるべきではないのかもしれない。

ともかく、亀井静香氏の今回の発言はおかしい。強く反省を求めたい。

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2008年12月22日 (月)

千駄木庵日乗十二月二十一日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅して、資料の整理・諸雑務。

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花岡信昭氏から何時もメールマガジンを送って頂いている。大変参考になることが書かれている。今日送られてきたメールマガジンに次のようなことが論じられていた。

「麻生首相も浜田防衛相も、田母神氏の心境は痛いほど理解しているのである。政治的事情によって、こういう決着をつけなくてはならなかったということにすぎない。」

千駄木庵主人曰く、果たしてどうか。国会で田母神氏のことを呼びつけにしたり、再発防止を指示したりした麻生氏が、田母神氏の心境を本当に痛いほど分かっているのだろうか。

「この論文以後、自衛隊内部でおかしなことが起きているという。民主党の求めに応じて、アパグループとのかかわりがある自衛官のあぶり出しが進行中だ。アパホテルに泊まったことはあるか、ポイントカードを持っているか、居住しているのはアパのマンションではないか、といった調査が行われているという。100人近くが論文募集に応じていたため、該当者の『思想調査』まがいのことも行われているようだ。自衛隊関連の学校で、国家観、歴史観をどう教育しているか、その総点検も実施中だ。」

千駄木庵主人曰く、これが事実なら民主党は許すべからざる亡国政党ということになる。このような無法なことを行う民主党が、政権を掌握することは絶対に許してはならない。民主党のやっていることは、憲法違反・人権侵害・思想の自由の抑圧である。

「細川政権や村山政権当時の『あること』を思い出している。あの当時、社会党が政権に入ったのである。懇意にしていた防衛関係者が『正確な軍事情勢を首相官邸に上げられなくなった』と嘆いたものだ。これは公安当局も同様だったという。北朝鮮の朝鮮労働党と友党関係にあったのが旧社会党だ。その『残党』はいま社民党と民主党にいる。民主党の政権奪取の可能性が出てきたことで、防衛・公安当局は『ある種の調査』をひそかに進めているはずである。北朝鮮そのほか共産圏とのつながりが残っている議員がいないかどうか。ここを徹底させないといけないのである。民主党が居丈高に、田母神氏の国会招致で発言を封じたり、自衛隊内部の思想調査を求めたりしていることは、自衛隊との関係を考えると、もっと慎重に対応すべきではないかと指摘しておきたい。それは民主党の政権担当能力にかかわる重大事なのだ。」

千駄木庵主人曰く、花岡氏の言う通りなら、民主党と社民党の連立政権が出来たら、国家の安全が保てなくなるということだ。民主党左派と社民党を徹底的に監視しなければならない。国家の機密を外国に漏らしたり、国内で外国の手先となって動くような政治家に国家権力を掌握させてはならない。

花岡氏の指摘が的を得ているとすると、「自民党にも、国家観・歴史観がおかしな連中がいるのだから、一回民主党などの野党に政権を取らせてみたらどうだ、そこから政界再編が起こるのではないか」という意見は危険な考え方だということになる。小沢・羽田・渡部・鳩山・前原という保守政治家に分類される民主党幹部及び若手中堅議員は、花岡氏の指摘をどう考えるのか。

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2008年12月21日 (日)

千駄木庵日乗十二月二十日

午後は、「政治文化情報」発送完了。購読者の皆様には週明けにお届けできると思います。

午後六時より、新宿にて行われたある新聞社の忘年会に出席。各界から多くの方々が参加し盛大であった。

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久しぶりに軍歌を歌いました。私は宴席や酒場に行った時には、いわゆる懐メロや演歌を歌うことが多いのです。軍歌を歌うことを嫌がる人もいますし、批判する人もいます。しかし、人の心を慰めたり、元気づけるのが歌の役割であり効能であります。軍歌にもなかなか名曲が多いと思います。だからこそ、戦後六十年以上も経過しているのに、今も多くの庶民に歌い継がれているのだと思います。

今日は、「同期の桜」と「月月火水木金金」の二曲を歌いました。これは人を元気づける軍歌であります。しかし、軍歌には、歌っていると胸が迫って来る歌、涙が出て来る歌があります。そういう軍歌は、宴席や酒場では歌いません。家に一人でいる時に歌います。「同期の桜」も本当はそういう歌なのかもしれません。この歌を歌って多くの若者たちが、散華しました。本当に悲しくも厳粛な歌であります。

私が一番感動する歌は、「ああわが戦友」という歌です。「満目百里雪白く 広袤山河 風荒れて 枯れ木に宿る鳥もなく ただ上弦の月青し」「光に濡れて白々と 打ち伏す屍わが戦友(とも)よ 握れる銃(つつ)に君はなほ 国を護るの心かよ」という歌詞であります。毎年八月に愛宕山で行われてた終戦時に自決された方々の慰霊祭で、ある歌手の方が歌われるのか恒例となっていました。この歌は本当に胸を打つ歌であります。戦地で国を護るために死んでいった多くの方々の御霊を思いつつ、この歌を歌いますと、涙を禁じ得ません。

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2008年12月20日 (土)

千駄木庵日乗十二月十九日

午前は、父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは、諸雑務及び「政治文化情報」発送準備。

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これからの自民党を背負って立つと思い、ある程度期待していた議員に期待外れの言動をする人が出て来ているのはまことに残念である。と言うよりも、期待した方が間違っていたのであろうか。

その代表格が、石破茂氏である。国防の責任者たる防衛大臣在任中であるにも関わらず、わが國に対して最も重大な軍事的脅威を与え、歴史問題を利用してわが國に内政干渉や政治的攻勢をかけてきている共産支那のメディアに登場して、歴史問題で祖国を批判する発言を行った。ところが、「田母神論文」問題では、自衛隊高官は歴史問題についての発言は慎むべきだと田母神氏を批判した。自分が利敵行為を行ったことを棚上げにして、田母神氏を批判する資格はない。

浜田防衛大臣も、昨日も書いたように、「これからは、『村山談話』を踏まえた自衛隊員教育を徹底していく」などと言明した。これは、諸橋茂一氏の言われるように、明らかに「憲法第一九条」違反である。「村山談話」に一体どういう権威があるのか、どういう法的拘束力があるのか。

麗しき日本国を保守するはずの「保守政治家」、しかもこれからの保守政治を牽引していく世代の政治家がこの体たらくである。何とかしなければならない。

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2008年12月19日 (金)

千駄木庵日乗十二月十八日

午前は、医師が来宅し、父の診察と治療。その後、父のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後一時半より、豊島区立千早地域文化創造館にて、「萬葉會」開催。小生が萬葉集東歌を講義。

終了後、「萬葉會」に出席された法律家の方と共に、会場近くの「熊谷守一(もりかず)美術館」参観。熊谷守一は、昭和五二年に九七歳で亡くなった画家。自然や身近な動物や草花などを描いた。素朴な絵ではあるが、深みが感じられる作品が展示されていた。この美術館は、熊谷守一が四十数年住んだ旧宅跡である。豊島区椎名町から千早かけては、池袋モンパルナスと称されたという。

帰宅後は、「政治文化情報」発送準備。

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金沢のKBМ代表取締役で田母神俊雄前空幕長と親交のある諸橋茂一氏より、「田母神論文」問題について、諸橋氏が麻生総理に提出した「要望書」など貴重な資料を送って頂いた。全てを紹介させていただきたいが、とりあえず、諸橋氏執筆の「田母神前空幕長不法解任劇の主な問題点」の一部を紹介させていただく。

1、『思想信条の自由』を保障した憲法一九条違反。

2、『言論の自由』を保障した憲法二一条違反。

3、『本人の意思に反して降任(解任)並びに解職してはならない』としている国家公務員法七五条違反。

4、『同上の理由による』自衛隊法第四二条違反。

5、政府見解としている『村山談話』の不当性ならびに不法性。「村山談話」なるものの法的根拠が全くない。

(中略)

7、浜田防衛大臣が『これからは、「村山談話を踏まえた自衛隊教育をして行く」と発言している。そのことは明らかに憲法第一九条に違反している。

(以下略)                                        

まことに正論である。この正論を根拠として、政府・与野党・メディアに対する批判を強めねばならない。

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2008年12月18日 (木)

千駄木庵日乗十二月十七日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後一時半より、港区内で開催された会合に出席。スピーチ。終了後、忘年會開催。小生、長編歌謡浪曲「俵星玄蕃」を歌う。

帰宅後は、年賀状作成。

長編歌謡浪曲「俵星玄蕃」は、昭和三十八年に三波春夫が歌って大ヒットした浪曲と歌謡曲を合体融合した作品です。小生の高校時代でした。全部歌うのに、十数分かかります。高校時代に覚えたので、今も忘れません。吉良邸討ち入りが、十二月十四日ですので、忘年会でよく歌いまず。

「時に元禄十四年十二月十四日、江戸の夜風を震わせて、響くは山鹿流儀の陣太鼓、しかも一打ちニ打ち三流れ、思わずはっと立ち上がり、耳を澄ませて太鼓を数え、おお、赤穂浪士の討ち入りじゃ助太刀するはこの時ぞ…」「雪を蹴立ててサックサックサックサック、先生。オオ、蕎麦屋かー」というセリフの入るなかなか良い歌であります。古い友人はもう何十回と聞いていると思います。今日も、多くの人々の前で歌わせていただきました。今日もある同志から、「この歌を聞くと元気づけられる」と誉められました。

私は、三波春夫の歌は大好きで、よく歌います。三波氏は、歴史に造詣が深く、なかなかの人物だったと思います。私は、渡辺はま子さんと三波春夫氏が、歌謡曲歌手として、国家社会に大きな貢献をされた方だと思っています。渡辺さんは、戦時中戦地の将兵を励まし。ご自身も捕虜になりました。戦後は、フィリッピンのモンテンルパ刑務所に「戦犯」の汚名を着せられて収容されていた日本人将兵の釈放に貢献されました。三波春夫氏は、日本の傳統・倫理観をテーマにした歌を多く歌われました。また明るい歌を歌って、民衆の心を慰めました。

今年の十二月は、この歌を歌ったのは二回目で、年内にあと二回くらい歌うことになりそうです。

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2008年12月17日 (水)

千駄木庵日乗十二月十六日

午前は、父の診察・治療のために医師が来宅。その後、父のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは、在宅して、溜まりに溜まった資料の整理。

       ○

愈々今年もあと半月、まだまだ気分的にも忙しい日々が続きそうである。これからの大仕事は、やはり年賀状の作成である。二十五日頃までは出さなければならないということなので、そうのんびりはしていられない。「萬葉集」の講義が二回あるのでその準備もある。提出期限の決められた原稿もある。もう一つの大仕事「政治文化情報」の発送もある。そして、何回か忘年会などの会合もある。お陰様で健康なので、体がまいってしまうということはないので有り難いと思っている。午前中は、毎日、原則的に父母と共に過ごしお世話をしている。

政界再編だの、自民党反麻生勢力の動きの活発化だの、自公選挙協力の見直しだのと騒がれている。鶴田浩二の歌の一節「馬鹿と阿呆の絡み合い」という言葉を思い出す。理念・政策に基づく政党再編が望まれるのだが、今の政治家と称する人々に、一体まともな理念と政策を持っている人が何人いるのかが問題である。二大政党と言っても、お互いに足の引っ張り合いをしているとしか思えない。これは私の認識不足であろうか。

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2008年12月16日 (火)

千駄木庵日乗十二月十五日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は書状執筆。

午後六時より、西新宿にて、大変お世話になっている方主催の忘年会開催。若手研究者・編集者・企業経営者などと懇談。

帰宅後も書状執筆。

          ○

今日の会合では、江戸期の思想家・荻生徂徠の事が話題になった。私は徂徠の事は全く不勉強なのだが、国学者・本居宣長の学問方法論に多大な影響を与えた人物である。徂徠は、支那崇拝家であったと思っていたが、実はそうではないという。明治時代の日本の近代化の素地は江戸時代に発達した言葉の真の意味の「合理思想」にあった。日本の伝統尊重・日本主義・国粋主義は、決して外来思想を排撃するのではない。むしろ外来思想・文化を大きく包容して、日本独自のものにして行くのが日本の傳統である。

福沢諭吉についても語り合ったが、欧化思想の鼓吹者として批判が多いが、評価すべき面も多大であるという意見が出された。私は「学問のすすめ」「文明論之概略」を読んだだけであるが、大変勉強になった。あの時代にあれほど西洋文化・文明に造詣の深かった人は福沢諭吉以外にあまりいなかったと思う。

今日本人は自信を喪失しているが、思想史や宗教史、文化史・文藝史を回顧しても、日本民族はまことに素晴らしい民族である。我々は誤れる自虐史観に苛まれることなく、今後の道を歩んでいくべきである。

有意義な会合を主催した下さった方に感謝する。

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2008年12月15日 (月)

千駄木庵日乗十二月十四日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は「政治文化情報」の原稿執筆・完成・送付。

夜は「政界往来」連載原稿執筆・完成。

         ○

今日は一日原稿書きをして過ごしました。今日の未明まで書き、そして今日も一日書き続けました。原稿を書くという言葉は正確ではありません。キーボードを叩いているのですから、原稿を叩くと書くべきかも知れません。なんとも味気ないというか、しっくりしないおかしな言葉になってしまいます。

私もワープロで原稿を書くようになってから、もう二十年にはなると思います。訂正・加除が簡単ですし、字数もすぐわかります。本当に便利です。パソコンには辞書機能もついていますから、いちいち辞書を引くことも少なくなりました。しかし、これでいいのかと思う時があります。永井荷風は原稿を毛筆で書いたようです。時代が変わってと言ってしまえばそれまでです。しかし、下書きをした後、原稿用紙に一字一字丁寧に清書した頃を懐かしく思うことも事実であります。

ワープロ機能で、「正漢字・正仮名遣ひ」の原稿を書くのは大変です。また、ワープロで書いてばかりいて、画数のきわめて多い漢字を書くことが出来なくなるのを恐れます。そこで、毎日つける日記は、手書きでノートに書いています。そして漢字を忘れないようにしています。また不思議なことに、ワープロ機能では、和歌は詠めません。やはり和歌を詠む時は筆書きです。傳統的文藝というのはやはり傳統に則すことが大事だということであります。

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2008年12月14日 (日)

千駄木庵日乗十二月十三日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方訪問看護師の方と共なり。

午後二時より、道玄坂のフォーラムエイトにて、「日台関係研究會二〇〇〇年度大会」開催。

浅野一郎名誉会長の挨拶の後、羅坤燦台北駐日経済文化代表處副代表が挨拶し、「馬英九総統は外省人・統一派と言われるが、自由民主体制の中で育ち、国民の支持で総統になった。信頼できる。呉伯雄国民党主席などが訪日し、政財界・マスコミと意見交換を行い、両岸関係について説明し、日台関係を強固にすることのご理解を得たと思う。馬英九総統は、統一しない・独立しない・武力行使しないという現状維持の方針を打ち出した。民進党時代中国との関係が緊張し、台湾海峡が危険になった。今の政策はアジアの安定になる。日台のパートナー関係はこれからも発展させたい。皆様の御理解を得たい。」と語った。

続いて次のような講演が行われた。

松田康博東京大学准教授「李登輝・陳水扁政権時代に台湾人アイデンティティが確立した。しかるに、外省人政権が出来たのはロジックに合わない。馬英九は民進党が出して来たアイデンティティに真っ向から反対しなかった。『台湾の将来台湾人のみで決める』という最低限のラインで与野党一致した。

昨日陳水扁は起訴された。イメージは地に堕ちた。しかし陳水平政権は将来評価されるであろう。台湾は起訴されても有罪になる確率は日本ほど高くない。陳水扁が自分の財産を海外に置いたのは事実。腐敗の印象がついてしまった。馬英九には清廉潔白のイメージがある。

馬英九政権になると経済はすぐに良くなると宣伝した。ところが経済がうまくいっていない。中国からの直行便運航が裏目に出た。観光地での馬英九政権への失望は強い。中国との交流は活発化したが、台湾側が中国に行くと胡錦濤主席というが、中国側が台湾に来ても馬英九総統とは言わない。台湾の主体性が崩されているという批判が渦巻いている。

民進党は何年たったら立ち直るか分からない状態。これは台湾にとって不幸。馬英九政権も、中国との関係を良くすることによって経済を良くすると言っていたことが実現しなかったら、えらいことになる。

大陸と平和協定を結ぶというが、中国が台湾と平和協定を結んだら、核基地は大陸奥地へ引っ込めなければならないし、外交部・国防部も中国敵視政策の予算をとれなくなる。中国が何時こけるか分からない。中国投資が逆にリスクになる危険あり。

馬英九は反日でも親日でもない。尖閣は日本領だと言った人が反台湾でも反中国でもないのと同様に、尖閣は台湾領だと言って人が必ずしも反日ではない。大陸が一党独裁体制のままで中台関係が良くなり中国の外交力・軍事力が向上することは日本にとって心配。」

村井友秀防衛大学校教授「中国は軍事力・経済力で日本を追い抜く。二千年にわたる日中関係の歴史で、十九世紀まで、軍事・文化・政治のレベルで、日本より中国が上だった。日本は今後あらゆるレベルで中国バランスをとることが必要。日本は持てる力をフルに使うべし。日台は運命共同体」。

中村勝範日台関係研究會會長「日露戦争の勝利で、有色人種に勇気が与えられた。白人の植民地から独立するためには、日本の学ばねばならないと思った。日本は支那大陸で連戦連勝の血みどろの戦いをしている時に、英米をも敵にしてしまった。

オバマは第二次大戦後、ケニアから移住して来た。ハーバードの法科で学んだ。オバマがどういう対日政策をとるか分からない。分らないことを心配してもしょうがない。

山鹿素行は当時の日本人の中国かぶれを是正した。神道を勉強したら、日本人の方が中国人より優秀だと分かった。『周公の時代の支那は立派だったが、今の支那は駄目。朱子学を捨てろ』と説き、赤穂へ流された。朱子学は実践なし。

中国は大陸国家から海洋国家になろうとしている。そのためには日本と台湾は邪魔だと思っている。そのことを考えるべし。」とかたった。

この後、懇親会の席で、憲法学者の佐々木惣一博士の教え子であり参議院の法制局長を務められた浅野一郎氏に憲法問題について色々ご教示をいただいた。「大日本帝国憲法」は、素晴らしい憲法であり、これからの憲法改正においても、帝国憲法を立ち返るべきだとのことであった。これは田尾憲男氏と同意見である。また浅野氏は、玉置和郎氏の依頼により、台湾の選挙制度に改善について協力したという。

帰宅後は、「政治文化情報」の原稿執筆。

         ○

日台関係は非常に難しくなってきている。わが國は台湾内部の情勢に一喜一憂することなく、わが国の独立と平和の維持、台湾との友好関係の維持、東亜永遠の平和、民族自決の実現のために努力すべきである。『台湾の将来台湾人のみで決める』と言っても、共産支那の軍事的政治的恫喝下の台湾人の意志は、自由に表明された意志とは言えない。

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2008年12月13日 (土)

千駄木庵日乗十二月十二日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅して原稿執筆。

         ○

深夜一時過ぎから、NHKの衛星第二放送で新国劇の「極め付け・国定忠治」を放送している。新国劇創設者・澤田正二郎から引き継いだ辰巳柳太郎の当たり役である。

私はこの劇が大好きで、「赤城の山も今夜を限り、生まれ故郷の国定の村や、縄張りを捨て国を捨て、可愛い子分の手前たちとも、別れ別れになる門出だ」「首は細っても長岡の忠治、生涯男の魂は曇らせたくねえ了見だ」「察してくんねえ。忠治は義理に生きとうござんす」という名台詞をはじめ、辰巳のセリフはほとんど覚えている。行友李風という人の脚本である。辰巳の殺陣もまことに見事なもので、胸のすく思いがする。

辰巳柳太郎が亡くなってもう二十年くらいになるだろうか。青山葬儀場で行われた葬儀には参列させていただいた。島田正吾には二回ほど会ったことがあったが、辰巳には会うことが出来なかった。

私は、高校時代から新国劇の大ファンで、お小遣いをためては、演舞場・明治座・コマ劇場の公演を見に行ったものである。新国劇は無くなってしまった。そして島田・辰巳の弟子であった緒形拳も亡くなってしまった。まことにさみしい限りである。

澤田正二郎のお墓は谷中墓地にあるので、時々仰いでいる。今は新国劇のような正統派の劇団は無い。島田・辰巳の名演も見ることが出来ない。かろうじて、NHKが収録していた作品が二、三あるだけである。今日はその一つが放送されているわけで、もちろんビデオに収録ている。

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2008年12月12日 (金)

千駄木庵日乗十一月十一日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

母がお護りしている観音堂の維持と整備に、ご協力頂いている篤志家の方と懇談。この方は、今日行われた剣道大会に出場の予定であったが、激しい稽古が原因となってか、腕を痛められ、出場できなくなったとのことで、まことにお気の毒である。

午後は、「政治文化情報」次号の原稿執筆。

午後六時より、「九段下沙龍」開催。今年最後の集まりなので、忘年会を兼ねた集まりとなった。長崎・広島出身の同志などが持ち寄った山海の珍味を食しつつ、今年の反省・来年の抱負などを語り合い、談論風発。まことに有意義な会合であった。

帰宅後も原稿執筆。

           ○

天皇陛下に心身のストレスが原因とみられる胃腸の炎症が確認された問題で、宮内庁の羽毛田信吾長官は今日の定例記者会見で、陛下のご心労に関する私的所見を述べ、「将来にわたる皇統の問題をはじめ、皇室にかかわる諸問題をご憂慮のご様子を拝している」とした上で、皇太子・同妃両殿下のご健康管理態勢や、雅子妃殿下をめぐる報道などに問題があるとの見解を示した。

このことは軽々に論じるべきではないが、臣下の分際で、皇室に対して慎みのない批判や評論や主張を繰り返す学者に、反省を求めたい。彼等が真に國體護持・皇統連綿を祈っているのなら、皇室に対し奉りあのような言動を繰り返すことはあり得ないと思う。

また、「皇位継承」は國體の根幹にかかわる重大事であって、政治権力機構が多数決で決めることではない。『皇室典範』の改定は、わが国の道統の体現者であらせられる上御一人の大御心を体して行われるべきであると信ずる。政体が國體を、俗が聖を、権力が権威を規制するなどということがあっていいはずがない。これこそまさに國體破壊である。

謹しみて、玉體安穏・聖寿萬歳を祈り奉る。

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2008年12月11日 (木)

千駄木庵日乗十二月十日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

昼は知人と懇談。

午後は原稿執筆。

午後七時より、高田馬場のホテルサンルートにて、『一水会フォーラム』開催。重村智計早稲田大学教授が講演し、「馬鹿だ大学阿呆学部を出て、シェル石油を経て、毎日新聞に入った。英語が出来ないのに、外報部に回された。そこで高麗大学に留学して韓国語を学んだ。その頃は、朴正煕を批判し、金大中を褒めれば良かった。北を批判するとKCIAの手先と言われた。

『大韓航空機事件は北がやった』と書いたら、朝鮮総連が抗議に来た。韓国語で応対したら、シーンとなった。抗議に来た総連の人たちより私の方が韓国語がうまかった。『朝鮮人なら朝鮮語で話しなさい。僕より下手なのは勉強が足りない』と言ってやった。ワシントン特派員になり、北朝鮮外交官と接触した。総連幹部の質の悪さと違って、教養が高かった。

一九九四年に帰国。その頃は、『北朝鮮はもうすぐ崩壊する』と言われていた。私が『崩壊しない』と言ったら、北の手先と言われた。今、北朝鮮は年間七十万トンしか石油を輸入できない。それでは戦争は出来ない。私の予測は九割がた当たっている。これほど確率の高い専門家はいない。北朝鮮研究には、過去の蓄積は無い。日本人は日本人としての判断で研究しなければならない。

金正日はかつて何回も日本に来た。赤坂のレストランシアター『コルトンブルー』に一週間通った。『喜び組』の踊りは『コルトンブルー』からのパクリ。金正日は万景峰号で日本に来た。当時、入管はまったくチェックしなかった。金正男は赤坂のコリアンクラブに彼女がいた。その女の後ろには韓国情報機関がついていた。

北朝鮮の後継者は影武者が死んだら決まる。金正日には影武者がいる。幹部も本物の金正日に会った人は限られた人。軍幹部も一年に一回会うかどうか。

拉致被害者は『日本に帰りたくない』と言った人が、北朝鮮への忠誠心があるとみなされ、日本に帰された。『帰りたい』と言った人は帰されず、死んだことにされた。『拉致問題は主権侵害だ』と北朝鮮に認めさせなかったのは、小泉の責任。

今の北朝鮮は、死ぬ前の金正日の指示通りにやっている。影武者であっても良い。将来は金日成父子に今までの責任を押し付け、改革開放に向かう。金日成父子は間違っていたという前提がなければ改革開放は出来ない。だから老人グループと軍は改革開放に反対している。生きていなくても『生きている』と言わざるを得ないのは、金正日の名前がないと、国も軍も動かなくなり、体制が崩壊するから。

ミサイルに積む核は出来ていない。北が核攻撃をして来ると言っている人は、北の手先。」

帰途、知人と懇談。

帰宅後は諸雑務。

          ○

重村氏が、「金正日がすでに死んでいる。金正日はかつて万景峰号で度々日本に来ていた」と言われたのには驚いた。事実としたら大変なことである。重村氏ほどの人がガセネタをつかまされるはずはない。また嘘出鱈目を言うはずもないと思う。アメリカや韓国や日本の情報機関やメディアが沈黙しているのも不思議である。

何時までも、影武者で済ませるわけにも行くまい。しかし、金日成王朝が終焉を迎え、体制が崩壊し、自由国家になるなどと甘い夢は持つべきではなかろう。北朝鮮に大混乱が起きる可能性の方が高い。

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2008年12月10日 (水)

千駄木庵日乗十二月九日

午前は、父母に付き添って病院に赴く。定期的な診察と治療。

午後からは在宅して資料の整理・諸雑務。

           ○

亀井静香氏が田母神氏に対して、「田母神だか死神だか知らないが…」と言ったことはやはり許せない。歴史観の違いを批判するのは良い。私は間違っていると思うが、亀井氏が支那事変を日本軍の侵略だったと思うのは、自由である。しかし、意見が異なるからと言って、他人様をよりにもよって「死神」だなどと決め付けるのは絶対におかしい。

戦後、再軍備が行われた時、「警察予備隊」と言われた。これが自衛隊の前身である。その頃から、内局はだいたい警察官僚が牛耳っていたといわれる。増原恵吉氏など立派な人ももちろんおられた。

しかし、警察官僚には、反軍思想・反自衛隊思想を持っていた人物もいた。名前は忘れたが、防衛庁官房長を務めた人は、何と非武装中立論者で、今でも、左翼の集会に出ている。

後藤田正晴もその典型で、彼が中曽根内閣の官房長官だった頃、ある人が「憲法を改正し、自衛隊を国軍にしなければならない」と言ったら、後藤田は色をなして、「五一五、二二六で警察官は軍人に殺されたのだ」と言ったという。

また九・一一テロの後、町村信孝氏などの自民党政治家が、「皇居・総理官邸・国会は、自衛隊が警備したらどうか」という意見を出したら、警察官僚が強硬に反対したという。もっとも、町村氏の父上の町村金吾氏は戦時中の警視総監だった。戦後、参院議員・北海道知事を歴任した人で、亀井や後藤田と違って風格にある人であった。

戦前、ゴーストップ事件以来というよりも、明治維新後、薩摩の城下士が軍、郷士が警察を牛耳って以来、軍と警察は仲があまりよろしくないという「伝統」があったようである。

亀井氏は、自分が自社連立を推進し、村山内閣閣僚であり、「村山談話」にも深く関わったので、「村山談話」を否定した田母神氏が憎くてしょうがないのであろう。また、自衛隊への反感・蔑視もあるのだろう。けちな男である。

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2008年12月 8日 (月)

千駄木庵日乗十二月八日

朝、父母のお世話。

午前十時より、靖国神社にて「大詔奉戴六十七年祭」執行。国歌斉唱・祝詞奏上・大詔奉読(木村三浩氏)・奉答歌奉唱・玉串奉奠などが行われた。

つづいて、靖国会館にて、記念講演が行われ、小生が「大東亜戦争とやまと歌」と題して、約一時間ほど話させていただいた。

正午より、直会が開かれ、約八十名の出席者が歓談した。湯澤貞前靖国神社宮司・津村忠臣関西戦中派の会代表が挨拶された。

この祭典は、終戦記念日には色々な行事が行われているが、開戦記念日にはそれを記念する行事はあまり行われていないことを憂えられた先輩方の委嘱により、森田忠明氏が実行委員長となって、十数年前から毎年開かれている。

大東亜戦争の意義は、先帝陛下が「開戦の大詔」に明確にお示しになっている。「東亜の安定」と「自存自衛」の為に蹶然起って一切の障礙を破砕するための戦いであったのである。決してアジア諸国を侵略しようという戦いではなかった。東亜諸地域を侵略し支配していた米英との戦いであった。それはインド植民地化・阿片戦争など数百年にわたる欧米列強による東亜侵略への正義の抵抗であった。その戦いを侵略と断定した「村山談話」を正当化し墨守するために、田母神前空幕長をよってたかって批難攻撃している政府・各政党・メディアはまさに日本の誇りを喪失せしめる元凶である。

小生は、孝明天皇・昭和天皇御製、牛島満陸軍大将・東條英機元総理などの辞世の歌、そして折口信夫・影山正治氏などの開戦時の歌などを拝しつつ、日本民族の戦いについて話させていただいた。

師走でしかも平日の午前中であったにもかかわらず、多くの同志同憂の方々にご参列いただき誠に有り難いかぎりであった。

帰宅後は、書状執筆など。

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2008年12月 7日 (日)

千駄木庵日乗十二月七日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、若き友人と懇談。政治を志す青年で、なかなか真面目で礼儀正しく、向学心も篤く、将来が期待される人である。

明日の「大詔奉戴祭」の講演準備。「大東亜戦争とやまと歌」と題して話させていただくことになっている。

明治天皇さまは

「世の中のことあるときはみな人もまことの歌をよみいでにけり」

と詠ませられている。大東亜戦争は、日本国および日本国民にとってまさに「事ある時」であった。ゆえに、「まことの歌」即ち真心を表白した歌が数多くのこされている。特に、開戦時の感激を歌った歌には無上の感激を覚える。また、終戦時の辞世の歌は涙なくしては読み得ぬ歌が多い。

            ○

明日は師走の一番忙しい時期のしかも月曜の午前十時開会なので、どれくらい方々に参集していただけるか心配ですが、真心込めて話させていただきたいと思います。

十時開会ですが、九時半頃には靖国神社に行くことにしております。そして自宅を出る前に父母の世話をしなければなりませんので、今日は少し早目に寝ます。いつもこの「日乗」は、夜中に書くのですが、今日は早めに書きました。

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千駄木庵日乗十二月六日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後一時より、神田学士会館にて、『日本学協会定例講演会』開催。三輪尚信氏が司会。登壇者の発言は次の通り。

永江太郎日本学協会常務理事「中国はもう一回日本と戦争したいと思っていて、今度は負けないぞと、指導者も国民も思っている。激動する世界の中で、日本は井の中の蛙の政争を繰り返している。」

近藤重克帝京平成大学教授(防衛省防衛研究所前統括研究官)「アメリカはかつてのようなスーパーパワーはない。金融問題にいかに対処するかがオバマ政権の課題。新興経済大国が台頭している。ロシアは本格的民主主義国家に進む前に、資源が出て来たことで、強権政治が息を吹き返した。旧クリントン政権の関係者がオバマ政権に多い。民主党政権と日本との関係は歴史的に良くない。日本叩きの時代の人々が重用され、意見を取り入れられる。それが日本にとって問題。日本経済が強いから円高なのだ。米中は日本を無視できない。言うべきことは言って行くことが大事。日本がしかるべき地位と役割を発揮するには、憲法を改正すべし。日米関係は変化している。アメリカにとって日本の重要性は地政学的に変化している。それを考えないと日本の安全保障は維持できない」

小林煕直亜細亜大学教授「中国問題を語るには、毎年、年初めに出す中共中央・国務院共同の『一号文件』という通達が大事。連続五年農村経済をテーマにしている。中国は都市と農村が一体化した発展をしていない。所得の資産も不平等。危険水域に達している。都市は農村の六倍の収入がある。農村には社会保障・義務教育の支援なし。毛沢東時代から農村重視と言って来たが、実際は農村への国家財政支出はたったの七・一%。国有企業改革に伴い、数千万の貧困層が出て来た。救急車で病人を病院に搬送しても、患者に金が無いと帰される。農地を失った農民の社会保障をどうするのか。都市と農村の戸籍の二重構造の一本化の実験が行われているが、うまくいかない。経済がうまくいかなくなると、一党独裁体制への批判が集中する。これが何時起こるか分からない。私は個人的には中国人に不信感は無いが、中国の社会システムに不信を持っている。日本の最大の貿易相手国はアメリカではなく中国。経済に国境はない。日本は中国を冷静に見るべし。中国共産党の政権維持の根拠は、抗日戦争と国共内戦に勝った事と経済建設。今は台湾との関係では国民党に勝った事を大声では言えない。経済がうまくいかなくなると、抗日・反日が政権の根拠になる。今の若い中国人は日本好きが増えている。人的交流が増えれば、日中関係は心配する必要無し。」

市村眞一京都大学名誉教授「ブッシュ政権の経済閣僚三人の楽観主義が経済失策の原因。IМFの改革なくして世界金融は安定しない。」

         

帰宅後は、八日の『大詔奉戴祭』における講演の準備。

         ○

アメリカの民主党政権と日本は確かに余り良い関係ではなかった。日米戦争が起こったのは、民主党ルーズベルト政権であった。日本に原爆を落としたのも、民主党トルーマン政権であった。アイゼンハワー・レーガンという共和党政権の時は日米関係は比較的うまくいったように思える。オバマ政権は果たしてどうか。

講演会というのは、質疑応答の時に面白い話が出て来る。質問の対する答の中で公式見解とは違ったこと、いわゆる本音を思わず言うことがある。現職官僚の講演というのはつまらない。当たり障りのないことしか言わないからである。ある官僚の講演会で、その官僚の属している官庁の「○○白書」をそのまま朗読したのには驚いた。またある官僚は「○○行政の課題と展望」という演題だったが、開口一番「課題は山積し、展望は開けない、ということが講演を終わります」と言ったのには驚いた。もちろん冗談であったが…。

田母神氏への人格攻撃を行った亀井静香批判を強めねばなないと思っている。後藤田正晴も自虐史観の持ち主にして媚中派で反自衛隊だったが、亀井も然りだ。この二人は警察官僚であるが、何となく胡散臭い人物である。

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2008年12月 6日 (土)

千駄木庵日乗十二月五日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は先輩の事務所訪問。懇談。

この後、ある雑誌社訪問。提出してあった原稿の校正を行う。

帰途、知人と懇談。

帰宅後は、『大詔奉戴祭』の講演準備など。

           ○

今夜放送された「朝日ニュースター」の「各党はいま」というインタビュー番組で、国民新党の亀井静香は、「田母神論文」問題に関して、とんでもないことを言った。

まず亀井は開口一番、田母神氏を「死神だか何だか知らないが」と罵った。こういう人格否定・名誉棄損の暴言を吐く人間に歴史を語る資格はないし、他人を批判する資格もない。亀井という男は前々から品がないと思っていたが、これほどとは思わなかった。断じて許されない。亀井は明らかに自衛官を蔑視している。亀井は、亡国的な「終戦五十年談話」を発表した村山内閣の運輸大臣であったので、なおさら、田母神氏の正義の主張が気に入らないのであろう。

亀井は、「過去の軍の行為をまるごと美化するのは危険」「中国から見れば日本が侵略したのは当たり前」「『他の国も侵略をしたのだから、日本だけ責められる筋合いはない』と言っても世界から尊敬されない」などと語った。

田母神氏は、決して過去の歴史を美化していない。彼の歴史認識を述べただけである。また大陸への日本の軍事進攻は、日本の一方的侵略ではない。支那人が日本の行為を侵略だと考えたとしても、それを日本人が全面的に肯定する必要はさらさらない。二国間関係は、相手のあることであり、お互いに全く同じ見方になるのは不可能である。

西欧列強は日本とは比較にならないくらいひどい侵略行為を行ったのに、日本国のみが責められるというのは理不尽である。そんなことを放置しておいて、日本が世界から尊敬されるはずがない。

ともかく、自分と意見の異なる人を「死神」と罵る亀井こそ、日本の亡国に導く死神であると断定する。彼に歴史を語る資格もないし、政治家たるの資格もない。

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2008年12月 5日 (金)

千駄木庵日乗十二月四日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、診療所・薬局に赴き、父の処方箋、薬を購入。

帰宅後は諸雑務、そして十二月八日の「大詔奉戴祭」における講演の準備など。

           ○

『映画ヤスクニ』などはその典型なのだが、現代日本には、日本の「武士道」そして「剣の精神」を、「軍国主義」「好戦的」「戦後平和主義」に反するとして、これを排撃する傾向がある。自衛隊関係者の発言や主張に対する理不尽な非難攻撃はこうした風潮が根底にあると思う。わが国の傳統が、言葉の真の意味において「平和」であるのは言うまでもない。しかし、それは「武」「剣」を否定する精神ではない。

日本刀=剣は、製作過程からして既に神道祭式の宗教儀式になっている。刀鍛冶は職人にして単なる職人ではなく、朝から斎戒沐浴して仕事にかかる。仕事場に榊を立て、しめ縄を張り巡らせて、その中で仕事をする。

 剣の製作は、神の魂が籠るものを作るのであるから神事であるのは当然である。「剣」は、倫理精神の象徴・神社における礼拝の対象となっているのである。「刀は忠義と名誉の象徴」「刀は武士の魂」として大切にされたのも、その根源はこうした信仰にある。

「三種の神器」は、皇霊が憑依すると信じられ、日本天皇の国家統治言い換えれば日本民族の指導精神の象徴である。「玉」は「和・農業・妙なること・豊かさの精神・幸御魂・海洋文化」、「剣」は「武・軍事・たけきこと・克己心・荒御魂・鉄器文化」の精神、「鏡」は「澄・祭祀・明らかなること・美意識・和御魂・太陽崇拝」の精神という。知(鏡)・仁(玉)・勇(剣)とも解釈される。これは別々の観念として伝えられているのではなく、三位一体の観念である。

戦後日本は、「三種の神器」の御精神の一つである「剣」の精神が欠落した。これは重大な國體隠蔽・日本伝統精神の衰微というべきである。現代日本において、残虐にして凶悪なる犯罪を横行しているのは、真の「武」の精神が欠落し、似非平和主義が横行していることにその原因があると思う。「武」の精神が、真の平和をもたらすのである。

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2008年12月 4日 (木)

千駄木庵日乗十二月三日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後一時半より、赤坂の日本財団ビルにて、「シンポジウム・食の安全と行政監督ー日中の課題―」開催。

登壇者の印象に残った発言は次の通り。

関山健・東京財団研究員「中国製食品なくして日本の食卓は成り立たない。しかし中国の食品の安全の仕組みが分からない。」

加藤秀樹・東京財団会長「食の安全問題は金融問題と共通点あり。銀行が金を貸す時、相手の企業経営者の顔が見え、付き合い、信頼関係を築いて、銀行も儲かり、相手も栄えることがわかって貸していた。ところが今は、債権を集めてこねて団子にして切り売りする。その団子に毒がある。食べ物も同じ。誰が作ったか分かる食品は信頼性がある。今は世界中から食品を輸入して来て、流通させ、売ったら終わり。その後どうなるかは知ったことではないという状況。」

李肇星・中国国際友好連絡会会長(元外相)「神は愛である。『民は食を以て天とする』という中国の言葉がある。食の問題は日中両国の関係の発展の中から出て来る。刑事事件は犯人を捕まえるべし。大所高所から問題に取り組むべし。相互理解を深めるべし。」

林偉・中国国家品質監督検査総局輸出入食品安全局副局長「大衆は安全な食品を食べる権利がある。食品貿易はボーダーレスになっている。新技術・新素材が使われるようになったので、未知のリスクをもたらした。人為的毒物混入事件の真相を解明し両国民に明確に説明すると思う。」

魯広錦・中国国務院新聞弁公室第一局副局長「中国はゆとりある社会を目指している。法律の整備も大きな成果を上げた。法律違反があれば取り締まる。」

杉浦勝明・農林水産消費安全技術センター理事「食の安全は信頼関係の上に成り立つ。犯罪性のある毒物混入にはフードディフェンスが必要。食品工場への人の出入りのコントロールが必要。」

嘉田良平・横浜国立大学環境情報研究院教授「日本の消費者は中国を信頼していないし、出来ない。信頼が全て。市場経済のメカニズムを信頼してきたが、そこに限界が見えて来た。情報が不完全。行政の対応が遅れて来た。生産者のリスク管理が不十分。食品事故はいくら良い制度を作っても起こり得るものとして対処するのがリスクマネージメント。事故発生直後にいかに効果的に対応できるかに尽きる。事故発生を未然に防ぐ体制構築が重要。中国餃子問題の未解決・有耶無耶は不幸。中国は日本からの信頼を失うと国際社会の信頼を失う。中国の法制度は完璧になってきたが、それと実際に問題が起きないかどうかは別。中国からの輸入食品で問われているのは、法制度の実効性が担保されないこと、法律順守への価値観即ち倫理観の欠如、客観的なチェック機能の欠如、不十分なリスクコミュニケーション、の四点。中国は法整備が行われているにもかかわらず、事件が発生する。そこにメスを入れる必要あり。」

呉永寧・中国疾病対策予防センター栄養食品安全研究所教授「日本の法律を参考にして食品安全に関する法律を作った。ゼロリスクはあり得ない。何時までもリスクにさらされる。我々は日本から色々なコンセプトを学んだ。食品安全について中国は途上国の中では良い方。先進国と比べるとギャップがある。衛生状況向上の為、中国は途上国として最善の努力をしている。」

福田善久アイアグリ株式会社常務取締役「食品の安全を完全に担保するには、関係者の能力・モラルに依存せざるを得ない。儲けより消費者の安全を優先する気持ちが第一。優秀な生産者は生産性の向上と安全性の確保を両立させている。現状の日中間では背景・状況・スタンダードが異なる。時には『売らない・買わない』勇気が求められる。相互理解を深めるしかない。日本商社の役目は、日本の安全管理ノウハウを中国に持ち込むこと。」

高志賢・天津市衛生環境医学研究所教授「日中間の定期的食品安全学術交流が必要。」

帰宅後は、『月刊・日本』連載中の萬葉集講義の原稿執筆・完成・送付。

           ○

日中間の食品問題は、結局、道義・道徳の問題なのである。鄧小平の「白い猫も黒い猫も鼠を捕るネコが良い猫だ」という言葉が、国益・経済的利益追求ためなら、道義・道徳はどうでもいいという風潮を生み出したと言える。支那には、孔孟の道という道義精神があった。一体それは何処に行ってしまったのであろうか。

支那側出席者は、「中国は途上国だ」という言葉を繰り返した。日本に助けてもらいたい時には、こういうことを言うが、日本を政治的・軍事的にとっちめたい時には、中華思想丸出しになって居丈高になる。これは余りにも身勝手である。

道義の希薄な国が核武装していることにわが日本は最大の警戒心を持つべきである。これは決して偏狭なナショナリズムでもなければ、「中国敵視」でもない。独立国家として自国の安全と独立を護るための当然の態度である。

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2008年12月 3日 (水)

千駄木庵日乗十二月三日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅して資料の整理・書状執筆など。

夕刻、知人と懇談。

        ○

俳優の伊東四朗氏が「日経」十一月十五日号で、「私はよく電車に乗るが、腹の立つことばかりで嫌になる。荷物を膝に乗せずに前に置く。脚を組んだり投げ出したり。ものは食べるし、化粧はするし、…肩でぶつかっても謝りもしない。…戦後六十三年、日本は平和だって言ってるけど国内では日々戦争だ」と述べている。

全く同感である。私も外出するごとに、一回か二回は嫌なこと、腹の立つことがある。年寄りが立っていても寝たふりをして席を譲らない人。一人で二人分の座席を使っている若者。つい先日も、某有名大学のバレーボール部の学生数人がユニホームを着て足を投げ出し、一人で二人分の席を占拠し、大声でしゃべっていた。ていた。どうにも腹にすえかねて、「君たちはスポーツマンだろ。マナーをわきまえなさい」と注意した。もしもその学生たちが開き直って向かってきたら大変危険なのだが、我慢できなかった。こういうことは、電車に乗るたびに体験すると言っても過言ではない。若者だけではない。年配の人にも全くマナーを知らない人が結構いる。子供や若者たちはそういう大人たちを見習うのだ。

伊東四朗氏はさらに言う。「それもこれも戦後入ってきた個人主義が咀嚼されないまま、ここまで来てしまったということでしょ。個人主義って相手の個人も尊重しなきゃいけないのに、自分を大事にするってことしかなくて。平等主義ってのもそう。人間に平等じゃない面もあるのに、平等だーって言って学校を卒業しちゃうから社会に出て挫折する。運動会で一等、二等を作らないって、本当にいいことだと思っているのかな。制約があってこその自由や平等なのに、“勝手”という解釈をしてしまった。」

まことにその通りである。「現行占領憲法」は、「基本的人権の尊重」を基本原理の一つとして謳っている。しかし「基本的人徳の尊重」のない人権尊重は、自分さえ良ければ良い、他人や共同体はどうなっても良いという利己主義に陥る。それが現代社会の荒廃である。

平等なんてあり得ない。人それぞれ顔が違うように、個性もあるし能力の違いもある。個性や差別があるから芸術や文化が成り立つ。絵画や書道の展覧会に行けばそれは自明のことだ。運動会だけ一等賞、二等賞、三等賞をなくして、平等な社会になるなどと考えるのは、愚の骨頂だ。

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2008年12月 2日 (火)

千駄木庵日乗十二月一日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後二時より、内幸町の日本プレスセンターにて、『マスコミ総合研究所定例研究会』開催。産経新聞編集委員の田村秀男氏が講演し、「   米国発グローバル金融危機は、日本のバブル崩壊とは全く異質。アメリカの金融商品が有毒商品となり、みんな紙くずになるという恐怖感に駆られるようになった。今回のアメリカの金融危機の損失がどれくらいかはっきり見えない。展望が見えない。焦げ付き率が最大の問題。損失処理をどうするかが問題。金の貸し借りが行われなくなり、金が凍りついてしまった。米欧サムプライズローン危機に始まる金融危機の損失額は一千兆円になると見るべき。

金融商品を早く処理するにはどうするか。売れるものは売り、清算するものはしなければならない。回復するまで十数年かかる。時間との勝負。金融商品をFRB(連邦準備制度・米国の中央銀行)がみんな買いあげなければならないところまで来ている。お札を刷って毒入り金融商品と交換する。そこまで米国は追い詰められている。結局つけは米国の財政そのものに来る。

米国への貸し手は海外しかない。最大の貸し手は中国。二番目が日本。日銀がマーケットに流すお札の量は増えていない。それを束ねる人は、永田町・霞が関にいない。危機だからどうするという政策がない。日銀と政府の無策ゆえに、日本の産業界と金融界は困っている。

オバマ政権の金融関係の閣僚の顔ぶれを見てぞっとした。民主党の金融人脈は共和党のそれより日本に対してはるかに厳しい対応をする。米国は、『世界経済が崩壊しないために協力してくれ』と日本に言って来る。その時、日本は受け身になってアメリカの国債を買うでは何の意味もない。円建ての米国債を出すなら喜んで受け入れるようにすればいい。為替リスクを背負わなくて済む。円の国際化という効果も生まれて来る。

日本の企業経営が米ドル相場に翻弄されてはならない。通貨の変動によって企業収益が左右されるのはやめるべきだ。円高になるとフリーターを辞めさせて国内の社会問題を起こしている。こうこういう状況を直すには、円建てによる決済をやる。円を主導通貨にするのが大事。ドルの危機において、日本は新しい枠組みを作るチャンス。そういう前向きの思考を持つべし。

アメリカのドルと日本の円は一卵性双生児。運命共同体と割り切った方が良いと思う。金融政策の重要性を日本国として日銀の政策をどうするか、緊張感を持つべし。『日本はこれだけの事をするから、アメリカもこれだけの事をしろ』と主張すべし。ピンチをチャンスに変える気持ちがないとこの危機は乗り切れない。

日本が開き直って『内需一本で行く、米国債は買わない』ということで打って出ることに異論をさしはさむ気持ちはない。」などと語った。

なにしろ私は経済のことは全くわかりませんので、この報告には間違いがあるかもしれません。色々数字も出されましたが、間違った報告となってはいけませんので割愛しました。

経済も政治も軍事も日本の自立が求められていると思います。ただしその自立とは一体どういう状態を言うのかが問題なのであります。

帰途、知人と懇談。

帰宅後は、資料の整理。

          ○

国家的危機において、政権争いや、権力闘争にうつつを抜かしている時ではない。「

民主党の小沢一郎代表が『次の政権は超大連立だ』と、麻生政権後の政界再編を念頭に、自民、公明両党との連立も視野に入れた政権構想を語った」という報道があるが、権力闘争よりも国家的危機打開を先にするという考えでそう言ったのなら、評価できる。果たしてどうか。

しかし、戦後体制を肯定する今の政党では真の国家的危機の打開即ち維新は断行できないというのが私の考えである。また、その「超大連立」とやらに公明を入れるというのは、創価学会・公明党糾弾はどこかに吹っ飛んでしまったということなのだろうか。小沢という人は何を考えているのか分からない。

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2008年12月 1日 (月)

千駄木庵日乗十一月三十日

午前は父母お世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は原稿執筆・完成・送付。

午後六時より、千駄木にて、「荻原知康氏を囲む忘年會」開催。成澤廣修文京区長、増子博樹東京都議が挨拶。懇談。荻原知康氏は、小生の小中学校の後輩で、地方政治を志している。前回の区議選で落選したが、次回の当選を期している。まだ三十代なので元気が良く、頑張っている。

帰宅後は、書状執筆など。

            ○

大化改新の後の「萬葉集」編纂、平安時代の國風文化再興としての「古今和歌集」編纂、後鳥羽上皇の國體明徴化の戦ひの時の「新古今和歌集」編纂と同じやうに、明治維新においても「勅撰和歌集」が編纂されるべきであった。それが為されなかったのは、いはゆる欧化・文明開化の風潮が時代を覆ったためと思はれる。ここに近代日本の大きな欠陥があった。

ただし、明治天皇さまが十萬首に近い御製をお詠みになったことは、いかなる時代にあっても日本の傳統文化は、天皇・皇室によって正しく継承されることを証ししてゐる。皇室におかせられては、今日も、祭祀と和歌といふ日本伝統の核となるものを正しく継承されてゐる。

近代以後今日に至るまで、「勅撰和歌集」が編纂されなくなってゐるのは、わが國の國柄が正しく開顕せず、和歌文藝の道統が衰微してゐるといふことである。混迷する今日においてこそ、「勅撰和歌集」の撰進が行はれるべきである。

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