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2008年11月27日 (木)

千駄木庵日乗十一月二十六日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

父母の介護について、ケアマネージャの方と相談・打ち合わせ。

午後は諸雑務。

夕刻、友らと六義園(りくぎえん)に赴く。元禄八年、五代将軍・徳川綱吉より下屋敷として与えられた駒込の地に、柳沢吉保自ら設計、指揮し、七年の歳月をかけて「回遊式築山泉水庭園」を造り上げた庭園。

柳沢吉保は、綱吉に取り立てられ、小姓・側用人・川越藩主・老中・甲斐国甲府藩初代藩主・郡山藩柳沢家初代を歴任。綱吉の文治政治を推進した人。綱吉の寵愛を受け、知行一六〇石から十五万石の大名にまで出世した。それだけにあまり評判はよろしくない。「忠臣蔵」や「水戸黄門」などの時代劇では将軍の威光を背景にして策謀を巡らす悪役として描かれている。

六義園の名称は、支那古代の詩集である『毛詩』の「詩の六義」、すなわち風・賦・比・興・雅・頌という分類法を、紀貫之が『古今和歌集』序文に転用した和歌の「六体」に由来する。

都内随一の紅葉の名所とされ、十一月下旬から十二月中旬から十二月中旬まで「ライトアップ」が行われている。昼間はよく来ているが、夕刻に六義園に来たのは初めてで、なかなか幻想的な雰囲気を醸し出していた。ただし紅葉はあまり見事ではなかった。多くの人々が見物に来ていた。

午後六時半より、豊島区立駒込地域文化創造館にて、「萬葉古代史研究會」開催。小生が「萬葉集」巻十六の歌を講義。

          ○

和歌(やまとうた)は、日本の最も純粋にして最も固有な文藝である。「和歌」は、「漢詩(からうた)」に対して用いられた言葉である。「やまとうた」といふ言葉を意識的に用い出した人は、醍醐天皇の勅命で『古今和歌集』撰進の中心となり、そのの序文を書いた紀貫之といわれている。紀貫之は、平安前期の歌人、歌学者。三十六歌仙の一人。仮名文日記文学の先駆とされる『土佐日記』の作者である。

貫之が執筆した『古今和歌集』の「仮名序」は、和歌とはいかなるものであるかが説かれた基本的な文献と言ってよい。「やまと歌は、人の心を種として、よろづの言葉とぞなれりける。世の中にある人、ことわざ繁(しげ)きものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて言ひ出(いだ)せるなり」(やまとうたは、人の心を種にたとへると、それから生じて出た無数の葉のやうなものである。この世に生きてゐる人は、様様な事に遭遇するので、心に思った事を、見た事聞いた事に託して言い表はすものである。)

「力も入れずして天地(あめつち)を動かし、目に見えぬ鬼神(おにがみ)をもあはれと思はせ、男女(をとこをんな)の中をも和(やは)らげ、猛(たけ)き武士(もののふ)の心をも慰むるは歌なり。」(力を入れないで天地を動かし、目に見えない鬼神をも感動させ、男女の間をも和ませ、猛々しい武士の心をも慰めるのが歌である)

と説かれている。

「天地(あめつち)を動かし、目に見えぬ鬼神(おにがみ)をもあはれと思はせ」といふのは決して誇張ではなく、古代・中古においては本当にそう信じられていたのである。

つまり歌を詠むのは、魂鎮め・鎮魂の行事である。和歌は、ふつふつと湧きあがってくる素直なる心・色々な思い・魂の叫びを三十一文字にして固め成して鎮める働きをする。人間のまごころを表白する抒情詩である。日本民族の人智のさかしらを超えたまごころの調べである。

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