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2008年11月29日 (土)

千駄木庵日乗十一月二十八日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、千代田区三番町の山種美術館にて開催中の「琳派から日本画へ」展参観。

「『琳派』は、17世紀の俵屋宗達(たわらやそうたつ)、本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)にはじまり、やがて尾形光琳(おがたこうりん)や乾山(けんざん)へ、そして、江戸後期には酒井抱一(さかいほういつ)、鈴木其一(すずききいつ)らが先達の技法を倣う「私淑」という形で受け継がれてきました。」「琳派の作風や画法は、近代の研究熱心な画家たちに多くの影響を与えています。」「近代の画家が琳派をどのように作品に活かしているか、という視点で鑑賞するのも楽しいでしょう。本展では、脈々と続く日本画の伝統の中に見出される美を堪能していただけたら幸いです。」(案内書)との趣旨で開催された。

俵屋宗達()・本阿弥光悦()「新古今集鹿下絵和歌巻断簡」、酒井抱一「飛雪白鷺」、鈴木其一「四季花鳥図」、速水御舟「名樹散椿(めいじゅちりつばき)」(重要文化財)、東山魁夷「満ち来る潮」などを見る。

数は少ないが美しい作品が展示されていた。わび・さびの世界とは異なるが、色彩が見事な日本絵画の美しさが実感出来た。江戸時代から近代にかけて、わが国が平和で繁栄している時期の行ってみれば贅沢な芸術が『琳派』であると思う。山種美術館は、規模は小さいがなかなか見ごたえのある展覧会を開く。来年、恵比寿に引っ越してしまうので大分わが家からは遠くなるのが残念である。

お堀端に沿って半蔵門まで歩く。皇居の景色がとても美しい。

帰宅後は、原稿執筆の準備。皇室と和歌をテーマとした原稿を書かしていただく。

             ○

今日の党首討論で、小沢一郎氏は「私は総理の言葉というのはもっともっと重いものだと思います。昔からの言葉に『綸言(りんげん)汗の如し』という言葉もあります。どうかそういう意味で、本当に総理が今後きちんと筋道の立った、そして自分自身の発言に責任を持ってやっていただきたいということを最後に申し上げて、総理の見解があればお聞きして終わります。」と述べた。

「綸言」とは、「綸言」は、「天子のお言葉」のことで、『礼記(らいき)』緇衣(いし)篇に、「王の言(こと)は糸の如くなれば、其(そ)の出(い)づるや綸(りん)(組み糸)の如し」とある。すなわち、天子の言葉は初めにはひと筋の糸のような軽いものが、次第に組紐のような重みをもつようになると語っている。これが「綸言」の由来である。「綸」は、「天地経綸」の「綸」である。

天皇国日本には、天子はお一人しかおられない。総理大臣は断じて「天子」ではない。臣下である。だから大臣と言うのだ。「綸言汗の如し」とは、古来、天子は神聖であらせられ、天子の御発言も神聖であり、体から出た汗が再び体内に入ることが出来ないように、一旦天子が発せられたお言葉も撤回できないという意味である。上御一人・日本天皇の御事以外に「綸言汗の如し」という言葉を絶対使ってはならないのである。

最近メディアが、麻生氏批判の記事で、「綸言汗の如し」という言葉を使っているので、小沢氏も使ったのであろう。小沢氏もどうかしているが、それを訂正しない麻生総理もおかしい。ともかく、今の政治家はこの程度なのだ。國體の本義を全く知らないのである。困ったことである。

これは天皇を君主と仰ぐわが國體破壊に結びつく重大な言葉の誤用である。国会という立法府における内閣総理大臣と野党第一党党首の討論において、このような國體に関わる言葉の誤用が行われても、何ら問題にされないということはあってはならないことである。あってはならないことが平気で起きてしまうのが今の日本なのだ。何とかしなければならない。

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