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2008年11月30日 (日)

千駄木庵日乗十一月二十九日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは、在宅して、原稿執筆。

        ○

昨日の続きですが、「綸言汗の如し」という言葉を、天皇陛下以外の人の事について使うのは全くあってはならないことである。「綸言」とは、天子様の言葉のことである。天子とは、天の神の御子の御事である。日本国の天子は、天皇様以外にあり得ない。臣下たる総理大臣の言葉が「綸言」であるはずかない。メディアの誤用が発端だろうが、そんなことも分からない人物が日本を代表する政治家なのだ。まさに末世である。

つまらない「言葉狩り」が行われているが、國體に根幹に関することで言葉の乱用・誤用があるのは由々しきことである。

麻生総理の祖父たる吉田茂氏は、今上陛下の「立太子の礼」での「寿詞」で「臣茂」と言った。吉田茂氏は君臣の分をわきまえた尊皇の政治家だった。その孫たる麻生氏は、小沢一郎の誤用を厳しくたしなめるべきであった。

政治家・メディアなどの國體隠蔽・國體破壊につながる言動は厳しくこれを批判しなければならない。

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2008年11月29日 (土)

千駄木庵日乗十一月二十八日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、千代田区三番町の山種美術館にて開催中の「琳派から日本画へ」展参観。

「『琳派』は、17世紀の俵屋宗達(たわらやそうたつ)、本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)にはじまり、やがて尾形光琳(おがたこうりん)や乾山(けんざん)へ、そして、江戸後期には酒井抱一(さかいほういつ)、鈴木其一(すずききいつ)らが先達の技法を倣う「私淑」という形で受け継がれてきました。」「琳派の作風や画法は、近代の研究熱心な画家たちに多くの影響を与えています。」「近代の画家が琳派をどのように作品に活かしているか、という視点で鑑賞するのも楽しいでしょう。本展では、脈々と続く日本画の伝統の中に見出される美を堪能していただけたら幸いです。」(案内書)との趣旨で開催された。

俵屋宗達()・本阿弥光悦()「新古今集鹿下絵和歌巻断簡」、酒井抱一「飛雪白鷺」、鈴木其一「四季花鳥図」、速水御舟「名樹散椿(めいじゅちりつばき)」(重要文化財)、東山魁夷「満ち来る潮」などを見る。

数は少ないが美しい作品が展示されていた。わび・さびの世界とは異なるが、色彩が見事な日本絵画の美しさが実感出来た。江戸時代から近代にかけて、わが国が平和で繁栄している時期の行ってみれば贅沢な芸術が『琳派』であると思う。山種美術館は、規模は小さいがなかなか見ごたえのある展覧会を開く。来年、恵比寿に引っ越してしまうので大分わが家からは遠くなるのが残念である。

お堀端に沿って半蔵門まで歩く。皇居の景色がとても美しい。

帰宅後は、原稿執筆の準備。皇室と和歌をテーマとした原稿を書かしていただく。

             ○

今日の党首討論で、小沢一郎氏は「私は総理の言葉というのはもっともっと重いものだと思います。昔からの言葉に『綸言(りんげん)汗の如し』という言葉もあります。どうかそういう意味で、本当に総理が今後きちんと筋道の立った、そして自分自身の発言に責任を持ってやっていただきたいということを最後に申し上げて、総理の見解があればお聞きして終わります。」と述べた。

「綸言」とは、「綸言」は、「天子のお言葉」のことで、『礼記(らいき)』緇衣(いし)篇に、「王の言(こと)は糸の如くなれば、其(そ)の出(い)づるや綸(りん)(組み糸)の如し」とある。すなわち、天子の言葉は初めにはひと筋の糸のような軽いものが、次第に組紐のような重みをもつようになると語っている。これが「綸言」の由来である。「綸」は、「天地経綸」の「綸」である。

天皇国日本には、天子はお一人しかおられない。総理大臣は断じて「天子」ではない。臣下である。だから大臣と言うのだ。「綸言汗の如し」とは、古来、天子は神聖であらせられ、天子の御発言も神聖であり、体から出た汗が再び体内に入ることが出来ないように、一旦天子が発せられたお言葉も撤回できないという意味である。上御一人・日本天皇の御事以外に「綸言汗の如し」という言葉を絶対使ってはならないのである。

最近メディアが、麻生氏批判の記事で、「綸言汗の如し」という言葉を使っているので、小沢氏も使ったのであろう。小沢氏もどうかしているが、それを訂正しない麻生総理もおかしい。ともかく、今の政治家はこの程度なのだ。國體の本義を全く知らないのである。困ったことである。

これは天皇を君主と仰ぐわが國體破壊に結びつく重大な言葉の誤用である。国会という立法府における内閣総理大臣と野党第一党党首の討論において、このような國體に関わる言葉の誤用が行われても、何ら問題にされないということはあってはならないことである。あってはならないことが平気で起きてしまうのが今の日本なのだ。何とかしなければならない。

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2008年11月28日 (金)

千駄木庵日乗十一月二十七日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅して、資料の整理、書状執筆など。

           ○

小学校時代の初恋の人が脳腫瘍で逝去した。卒業以来、一回しか会っていなかった。しかし、兄上とは、近年になって時々、近所の飲食店でお会いしていた。企業主にしてPTA会長のお嬢さんであった。私にとっては文字通り高嶺の花の人であった。昨日の夢に、その初恋の人が登場した。私と兄上とその人の三人が話し合っている夢である。場所は飛行機の中なのである。窓から雲海が広がっているのが見えた。何とも不思議な夢であった。きっと天上の世界に行かれる彼女をお見送りしたのであろうと思っている。夢の中のその人の顔を今は全く思い出せない。きっと昔のままだったのであろう。何しろ最近の顔は知らないのだから…。まだ六十二歳でこの世を去られたわけで本当にお気の毒である。しかし思い出は消えることはない。ご冥福をお祈りするのみである。

私はどうも、分不相応というか、高望みの恋をするので困っている。

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2008年11月27日 (木)

千駄木庵日乗十一月二十六日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

父母の介護について、ケアマネージャの方と相談・打ち合わせ。

午後は諸雑務。

夕刻、友らと六義園(りくぎえん)に赴く。元禄八年、五代将軍・徳川綱吉より下屋敷として与えられた駒込の地に、柳沢吉保自ら設計、指揮し、七年の歳月をかけて「回遊式築山泉水庭園」を造り上げた庭園。

柳沢吉保は、綱吉に取り立てられ、小姓・側用人・川越藩主・老中・甲斐国甲府藩初代藩主・郡山藩柳沢家初代を歴任。綱吉の文治政治を推進した人。綱吉の寵愛を受け、知行一六〇石から十五万石の大名にまで出世した。それだけにあまり評判はよろしくない。「忠臣蔵」や「水戸黄門」などの時代劇では将軍の威光を背景にして策謀を巡らす悪役として描かれている。

六義園の名称は、支那古代の詩集である『毛詩』の「詩の六義」、すなわち風・賦・比・興・雅・頌という分類法を、紀貫之が『古今和歌集』序文に転用した和歌の「六体」に由来する。

都内随一の紅葉の名所とされ、十一月下旬から十二月中旬から十二月中旬まで「ライトアップ」が行われている。昼間はよく来ているが、夕刻に六義園に来たのは初めてで、なかなか幻想的な雰囲気を醸し出していた。ただし紅葉はあまり見事ではなかった。多くの人々が見物に来ていた。

午後六時半より、豊島区立駒込地域文化創造館にて、「萬葉古代史研究會」開催。小生が「萬葉集」巻十六の歌を講義。

          ○

和歌(やまとうた)は、日本の最も純粋にして最も固有な文藝である。「和歌」は、「漢詩(からうた)」に対して用いられた言葉である。「やまとうた」といふ言葉を意識的に用い出した人は、醍醐天皇の勅命で『古今和歌集』撰進の中心となり、そのの序文を書いた紀貫之といわれている。紀貫之は、平安前期の歌人、歌学者。三十六歌仙の一人。仮名文日記文学の先駆とされる『土佐日記』の作者である。

貫之が執筆した『古今和歌集』の「仮名序」は、和歌とはいかなるものであるかが説かれた基本的な文献と言ってよい。「やまと歌は、人の心を種として、よろづの言葉とぞなれりける。世の中にある人、ことわざ繁(しげ)きものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて言ひ出(いだ)せるなり」(やまとうたは、人の心を種にたとへると、それから生じて出た無数の葉のやうなものである。この世に生きてゐる人は、様様な事に遭遇するので、心に思った事を、見た事聞いた事に託して言い表はすものである。)

「力も入れずして天地(あめつち)を動かし、目に見えぬ鬼神(おにがみ)をもあはれと思はせ、男女(をとこをんな)の中をも和(やは)らげ、猛(たけ)き武士(もののふ)の心をも慰むるは歌なり。」(力を入れないで天地を動かし、目に見えない鬼神をも感動させ、男女の間をも和ませ、猛々しい武士の心をも慰めるのが歌である)

と説かれている。

「天地(あめつち)を動かし、目に見えぬ鬼神(おにがみ)をもあはれと思はせ」といふのは決して誇張ではなく、古代・中古においては本当にそう信じられていたのである。

つまり歌を詠むのは、魂鎮め・鎮魂の行事である。和歌は、ふつふつと湧きあがってくる素直なる心・色々な思い・魂の叫びを三十一文字にして固め成して鎮める働きをする。人間のまごころを表白する抒情詩である。日本民族の人智のさかしらを超えたまごころの調べである。

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2008年11月26日 (水)

千駄木庵日乗十一一月二十五日

午前は父に付き添って病院に赴く。定期的な診察と治療のためなり。

午後は、谷中墓地散策。原稿書きが続いている時、気分転換にために、時々谷中墓地と谷中寺町を散策する。緑も多いし、由緒のある寺院もあり、勉強にもなる。桜の葉は殆ど散りつくしていたが、銀杏の黄葉が真っ盛りであった。

「羽峯南摩先生碑銘」を仰ぐ。三島毅(号・中洲。大審院判事・東京大学教授・大正天皇侍講・文学博士・二松学舎の創始者)撰。日下部東作(号・鳴鶴。近代書道の確立者の一人。二松學舎大学で書道の師であった石橋犀水先生は鳴鶴先生の孫弟子)書。

羽峯・南摩綱紀は幕末から明治にかけての儒学者。会津藩士。幼くして日新館で学ぶ。弘化四年、昌平黌に学ぶ。文久二年樺太警備や北海道東岸の幕府領代官を務める。慶応三年京都に行き、戊辰戦争時には大坂を拠点に幕府側につき諜報活動をし、維新後越後高田に謹慎となる。赦免後、京都府の学職、太政官、文部省を経て東京大学教授、東京高等師範学校教授。明治四二年、八七歳で逝去。三島中洲・重野安繹と共に明治三大漢学者と呼ばれる。

「大審院長玉野君碑」を仰ぐ。山田顕義(長州藩士、政治家、司法大臣・枢密顧問官などを歴任。日本大学創立者)篆額、大審院検事長・三島毅撰文。

玉乃世履(せいり)は、岩国藩出身。山田方谷・梁川星巖・斎藤拙堂に師事。初代大審院長、元老院議官。明治初期は、漢学者が判事・検事を務めたのである。道義精神に立脚した法律の条文を作るにもその法律の基づいた判断を下すにも、漢学が大事だったのであろう。もっとも江戸時代の学問は漢学が基本であったのだから、それは当然の事であったのかもしれない。

天王寺の谷中大仏(釈迦牟仁仏像)に参拝。

日暮里駅前の本行寺参拝。永井尚志(なおむね。幕末の幕臣。外国奉行・大目付・若年寄を歴任。徳川慶喜を補佐。函館戦争まで戦う。維新後は元老院権大書記官)、市河米庵(江戸後期の書家、漢詩人。幕末三筆の一人)、荻昌弘(映画評論家。二松学舎出身)などの墓を巡る。

日暮里の諏訪神社に参拝して帰宅。

谷中霊園には、幕末から明治・大正・昭和に活躍した人物が数多く眠っている。そのお墓を訪ね墓碑銘を読むと歴史の勉強になる。墓碑銘の文は、小生の母校二松学舎の創立者の三島中洲先生が書いたものが多い。最近は、漢文を書ける人が少なくなって、大きな墓碑銘が建てられることはなくなった。また、墓碑銘の書は日下部鳴鶴先生の書が多い。鳴鶴先生の學統をひく石橋犀水先生は、二松学舎で書道の教授をしておられた。

永井尚志は、三島由紀夫氏の母方の祖先である。永井尚志の養子である永井岩之丞尚忠の娘・夏子は平岡定太郎の妻であり、その孫が平岡公威、すなわち三島由紀夫氏である。

帰宅後は、明日の「萬葉古代史研究會」における講義の準備。

            

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2008年11月25日 (火)

千駄木庵日乗十一月二十四日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後二時より、新宿の花園神社にて、『野分祭』執行。祭詞奏上・祭文奏上・「英靈の声」拝聴・檄文朗読・玉串奉奠などが行われた。

この後、富岡幸一郎関東学院大学教授が講演し、「両烈士が命を懸けて訴えた本当の日本をとり戻すということが、その後の世代に突きつけられて来た。今も『檄文』そのものの状況にある。

田母神氏の事で、シビリアンコントロールという言葉が無意味・無制限に使われた。政治家が自衛隊幹部の人事権に公然と介入した。『檄文』には『英米のシヴィリアン・コントロールは、軍政に関する財政上のコントロールである。日本のやうに人事権まで奪はれて去勢され、変節常なき政治家に操られ、党利党略に利用されることではない』と書かれている。

また、『アメリカは真の日本の自主的軍隊が日本の国土を守ることを喜ばないのは自明である。あと二年のうちに自主性を回復せねば、左派のいふ如く、自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終わるであらう。』と書かれている。決起の二年後の七二年にアメリカと中国の手打ちがあった。チベット独立闘争へのアメリカの支援が無くなった。今日、米中同盟がカジノ資本主義を支えている。『アーミテージレポート』は『米中は利益共有者になる』と書いている。その真ん中に日本がある。米中同盟が日本を軍事的に封じ込める。『檄文』の指摘は的中した。

森田必勝氏は、その論文で、『核は将来の資源であり、核防条約は大国による核エネルギー・核兵器の独占だ』と論じた。資源ナショナリズムが勃興した時、核の独占は決定的な問題となる。NPT体制は崩壊しつつある。日本の国民感情は核アレルギーから脱しきれない。『核』という問題をしっかりと議論すべし。

平和を守るために暴力は必要。自己を護るには自己放棄の思想が必要。日本文化を護るためには剣が必要。戦後日本は『菊と刀』の連環を断ち切ってしまった。自主的核武装をすべし。ただし、決して先制攻撃に核を使わない。

日本文化は芸術作品だけでなく、行動及び行動様式も包含する。日本人の行動には西洋人の想像し得ない不思議な要素がある。無効を承知で行動する。大仏次郎は『天皇の世紀』で『吉田松陰は外国人には理解できない。最早、日本人も松陰を理解出来るとは言えない』と書いた。

森田氏は『伊勢神宮に参拝し内宮の日の丸を仰ぎ、万歳を叫ばずにはいられなかった』とその『日記』に書いている。自然な心、自ずからなる心、素直な心に日本がある。自ずからなる日本への思いが義擧につながった。」と語った。

帰宅後は、『政界往来』の連載原稿執筆・完成・送付。

          ○

日本は今岐路に立たされている。「日米関係」も「日中関係」も、日本が真に自立しなければ正しく構築できないし機能しない。精神的には、日本人の自覚・「自ずからなる日本を愛する心」を回復しなければならない。軍事的には、自主防衛体制の確立即ち核武装が必要であろう。それが「菊と刀」の精神であろう。

戦後の「平和主義」を絶対のものとしてこれからも維持し続けて行くことは、日本が米中の属国であり続けるということである。それで良いという勢力が今の日本を支配している。これを突き崩さねばならない。そうしてこそ、日本は真の意味の平和国家、文化国家となるのである。戦後の似非平和主義を一掃すべきである。

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2008年11月24日 (月)

千駄木庵日乗十一月二十三日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅して、書状執筆など。

           ○

今回の事件はまだその全貌が明らかになっていないから、迂闊なことは言えない。しかし、メディアの責任は相当に大きいと思う。これまで社会保険庁や厚生労働省をはじめとして官庁そして官僚に対して、言いたい放題の非難攻撃を繰り返して来た。なんの解決策も示さず、ここを先途とある事ないことを扇動的に書き立てて攻撃して来た。そうしたことが、こういう事件を生む土壌になったと言えるのではないか。

事件が発生すると、異口同音に、暴力はいけない、テロはいけない、言論で主張せよと言う。テレビ・新聞・雑誌などのメディアが「言論の自由」とやらを謳歌し、民衆を扇動して来た罪は一切語らないし、もちろん反省もしない。

佐々淳行氏が昨日のテレビで、今回の事件の犯人は、二人の被害者の元部下ではないかなどと言っていたが、大外れだった。テレビニュースもわざわざ「被害者二人の部下だった厚生労働省元職員にコイズミという名の人はいなかった」などと報道していた。こういういい加減な情報が堂々と垂れ流されることも問題である。

ともかく今の日本には色々な暗雲が立ち込めている。怨念という暗雲が日本の政治を悪くしている。小沢一郎を見ていると彼には自民党への怨念しかないのではないかと思う時がある。それには日本人離れした凄まじいものがある。怨念晴らしのために、政局をつくりだし、日本を混迷に陥れている。「失われた十五年」とかいわれているが、小沢一郎の責任は大きい。小沢の自民党脱党以来の政治の混迷が日本を劣化させた。

誰だったか覚えていないが、テレビで「今の政治家でオーラがあるのは小沢一郎氏だけだ」と言っていた。「オーラがある」とか「後光がさす」というのは良い意味で使われることが多いのだが、小沢氏の場合は、悪鬼邪神のオーラと言っては言い過ぎだが、怨念のオーラのように思えてならない。清らかなオーラを持つ政治家を探しているが未だ見つからないのが残念である。

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2008年11月23日 (日)

千駄木庵日乗十一月二十二日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は『政治文化情報』発送完了。購読者の皆様には週明けにお届けできる予定です。

夕刻、知人と懇談。

夜は、書状執筆など。

          ○

大東亜戦争は侵略であったとする歴史観及び『村山談話』を遵守しなければならないという考え方が、絶対の正義であり、これに反対する者は、平和に反対する勢力であり、偏狭なナショナリスト・国家主義者であるとして徹底的に排除するムードが横溢している。

歴史観は様々であり、色々な考え方があるべきでる。一つの見方・一つの考え方以外を排除するというのは、まさに「言論の自由」「思想信条の自由」の抑圧であり、絶対に間違いである。日頃口を開けば「言論の自由」を声高に叫ぶ『朝日新聞』などのメディアそして学者・文化人と言われる人々などがそうしたことを行っているのは許し難い。

特に国を守る使命と責任を持つ自衛隊員に、「東京裁判史観」「自虐史観」しか持ってはいけないなどと強制するのはまさに亡国への道である。

我が国とって最大の軍事的脅威は共産支那である。そして共産支那は、過去の歴史問題を外交の道具として使い、わが国を圧迫しているのだ。歴史問題を政治的・外交的に利用しているのだ。そういう状況下にあって、国を護る組織たる自衛隊員に、「日本は中国を侵略した悪い国である」などという教育を行い、洗脳したら、自衛隊員はど誇りを持って国を護ることができなくなる。麻生氏が「田母神氏問題の再発を防ぐ」など指示したのは絶対に誤りである。

愈々以てわが國は亡国の淵に立たされつつあるといって過言ではない。自国の誇りを持てなくなった国民は、道義心を失い、精神的に荒廃する。それが最近の凶悪事件続発の根本原因である。私は日本人は歴史問題で無反省であるべきだと主張しているのではない。一方的にして自虐的な歴史観以外を許さないという風潮は国を滅ぼすと主張しているのである。

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2008年11月22日 (土)

千駄木庵日乗十一月二十一日の二

朝、宿舎を出発。杉山清一氏と共に帰京。

会津出身の杉山氏は長年の同志である。昨日の萬葉會で、たまたま会津で歌われた東歌を講義した。『萬葉集』に収録されている歌の北限は、会津である。会津をはじめとした東北地方は、戊辰戦争では朝敵という汚名を着せられたが、近代日本建設では、東北の人々が大きな貢献をした。昭和維新においては、「昭和維新は東北から」という合言葉があった。大川周明・石原莞爾など東北出身の維新運動指導者は数多い。

午後からは在宅して、「政治文化情報」発送準備など。

        ○

昨日の研修会で、「民主党よりも自民党の方がまだましだから民主党に政権を取らせてはならない、という議論があるが、民主党が政権を取ってもどうせ行き詰り、政界再編となる可能性が高い。そうなった方が、今の自民党政権よりはまだましのではないか」という意見が出された。

確かにそういうことは言える。麻生氏の田母神前空幕長問題における姿勢を見ても、自民党は、真正保守の立場、戦後レジーム否定の立場を放棄したとしか言えない状況になっている。安倍氏の早期退陣は本当に残念であった。

もっとも自民党・民主党・公明党・共産党・社民党などという政党は、戦勝国支配体制下に生まれ育ってきた政党である。

自民・民主両党の中に、真正保守・維新実現を目指す考えを持つ政治家がいても、党全体としては、戦後体制維持なのである。

民族派というか維新勢力が、国会においてせめて公明党くらいの議席を確保していれば、政界再編について色々な策を講じることの意味はある。しかし現状では一議席もないのである。我々が為すべきことは、自民党政権だろうと、民主党政権だろうと、あるいは政界再編が行われようと、権力を掌握している政治勢力に対して、真正保守、維新実現の立場から、これを批判することに徹する以外にないと思う。

今の政治に対してはあくまでも反対勢力の立場で臨むのが維新運動の在り方であると思う。権力者に対して、國體を破壊し、祖国の歴史を冒瀆する政治は許さない、という姿勢を強固に保つことが基本である。

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2008年11月21日 (金)

千駄木庵日乗十一月二十一日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後一時より、豊島区立千早地域文化創造館にて、「萬葉會」開催。小生が萬葉集東歌を講義。質疑応答。

午後六時より、熱海にて、「日本を糺す会」開催。杉山清一代表世話人が司会。荒井清壽弁護士が主催者挨拶。山口申・南丘喜八郎・森洋・藤元正義・菅沼光弘の各氏及び小生が所感発表。食事を共にしつつ、全員で討論。小生は、元禄十五年十二月十四日、江戸の夜風を震わせて響くは山鹿流儀の陣太鼓の合図によって敢行された赤穂義士の吉良邸討ち入りの歴史を回顧しつつ、日本武士道精神・破邪顕正について語らせていただいた。

この後、深夜まで同志諸氏と懇談。

            ○

「テロ」という言葉が安易に使われ過ぎている。「テロ」とは一体どういう定義なのか。なんの意志表明もなく、家族までも殺害し、しかも堂々と名乗って出ない行為を「天誅」「天に代りて不義を討つ行為」とするわけにはいかない、というのが今日の出席者の多数意見であった。

特に問題なのは、メディアの姿勢である。これまでさんざん厚生労働省及び役人を扇動的に批難攻撃して来たことが、今回の事件の引き金になったことへの反省が全くない。ただただ「テロをいけない」「言論で批判せよ」と正義の味方面して繰り返すのみである。

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2008年11月20日 (木)

千駄木庵日乗十一月十九日

未明、父の容態に変化があり、看護。

午前は父母のお世話。

午後一時半より、ある会合に出席してスピーチ。

その後、知人事務所訪問。懇談。

夜は、「政治文化情報」発送準備。

         ○

昭和18(1943)116日「大東亜会議」にて採択

された『大東亞共同宣言』には次のように記されている。

抑々世界各國ガ各其ノ所ヲ得相扶ケテ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ世界平和確立ノ根本要義ナリ


然ルニ米英ハ自國ノ繁榮ノ爲ニハ他國家他民族ヲ抑壓シ特ニ大東亞ニ對シテハ飽クナキ侵略搾取ヲ行ヒ大東亞隷屬化ノ野望ヲ逞ウシ遂ニハ大東亞ノ安定ヲ根柢ヨリ覆サントセリ大東亞戰爭ノ原因茲ニ存ス


大東亞各國ハ相提携シテ大東亞戰爭ヲ完遂シ大東亞ヲ米英ノ桎梏ヨリ解放シテ其ノ自存自衞ヲ全ウシ左ノ綱領ニ基キ大東亞ヲ建設シ以テ世界平和ノ確立ニ寄與センコトヲ期ス

一、 大東亞各國ハ協同シテ大東亞ノ安定ヲ確保シ道義ニ基ク共存共榮ノ秩序ヲ建設ス


一、大東亞各國ハ相互ニ自主獨立ヲ尊重シ互助敦睦ノ實ヲ擧ゲ大東亞ノ親和ヲ確立ス


一、大東亞各國ハ相互ニ其ノ傳統ヲ尊重シ各民族ノ創造性ヲ伸暢シ大東亞ノ文化ヲ昂揚ス


一、大東亞各國ハ互惠ノ下緊密ニ提携シ其ノ經濟發展ヲ圖リ大東亞ノ繁榮ヲ增進ス


一、大東亞各國ハ萬邦トノ交誼ヲ篤ウシ人種的差別ヲ撤廢シ普ク文化ヲ交流シ進ンデ資源ヲ開放シ以テ世界ノ進運ニ貢獻ス

東  條  英  機

汪    兆    銘

ワンワイタヤコーン

張    景    惠

ホ セ、ラ ウ レ ル

エ ヌ、バ ー モ ウ

                          」

かくのごとき日本の理想の基に大東亜の戦いを遂行したのであるが、平成51993)年秋のAPECのシアトル会議で採択された「アジア・太平洋経済協力貿易・投資枠組み宣言」の中には次のことが明記された。

一、

アジア・太平洋地域の開かれた地域主義と市場経済に基づく相互依存関係の一層の発展に努力する。

一、

各国の発展的段階や社会政治体制の相違を認識するとともに、途上国の要望にも十分配慮する。

一、

世界の貿易・投資に関し、APECが活力ある相互依存のビジョンを示し、域内の相互利益を代表することを、世界に示す。

                          」

 これらの内容は、まさに『大東亜共同宣言』において示した、アジア諸国がお互いの自主独立を尊重しながら、かつ互恵の精神で緊密な協力の下に経済的発展を実現し世界に寄与するとの理想をそのまま受け継いでいると言える。


大東亜戦争において掲げられた理想は半世紀を経て実現化の大きな一歩を踏み出したと言っても過言ではない。


大東亜戦争における英霊の輝かしい行為がアジアを世界の中心舞台に登場させ、21世紀を主導する力を与えたのである。

日本は今日、亡國の危機にさらされている。それは歴史への誇りを喪失したことが原因である。昭和十六年十二月八日の一億の感激は、歴史から抹殺することもできなければ否定することもできない。況や「大東亜戦争は日本の一方的な侵略であった。間違っていた」などと言うのはあまりにも僭越であり、靖國の英霊も、そして銃後でアメリカ軍の爆撃などによって斃れた無辜の國民も、ソ連に抑留され彼の地で非業の最期を遂げた多くの同胞も、さらに大東亜戦争に協力して戦ひ戦死された多くの東亜同胞も、犬死だったということになる。

欧米列強からの独立・解放が日本の努力とアジア諸民族の奮闘によって實現した今日、アジアにおいて大東亜共栄圏に近いものが生み出されてつつある。『大東亜共同宣言』に謳われた理想は今こそ完全に實現されなければならない。問題は、日本國民の多くがいまだに敗戦後遺症から脱却できないでいることである。これを正す事が今日最も大切であると信ずる。

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2008年11月19日 (水)

千駄木庵日乗十一月十八日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、「政治文化情報」発送準備。

夕刻、知人と懇談。

帰宅後も発送準備。

           ○

何とも殺伐とした世の中となってしまった。毎日のように殺傷事件や親殺し子殺し、幼児虐待などが起こり続けている。そして今日は、厚生事務次官経験者及びその夫人が襲われた。

メディアは「政治テロ」とか「連続テロ」と報道しているが、有史以来、わが国の「政治テロ」は、夫人など家族までは標的にしない。井伊直弼・大久保利通などは、本人は襲われたが、夫人が襲われるなどということはあり得ないことであった。五・一五事件も二・二六事件も同様である。いかなる理由があろうとも、夫人などの家族を標的にするのは卑劣である。

また近代以後の所謂「右翼テロ」の実行者は、実行後、正々堂々、名前を名乗り、縛につくか、自決している。今回の事件は正当な意味の「テロ」とするべきではないと思う。

今の日本はまさに国家的危機にある。こうした時期に、政権奪取しか考えず、そのためには手段を選ばない小沢一郎という男は全くどうかしている。自分のメンツと党利党略しか考えない小沢一郎を政界から追放することが「政治改革」である。

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2008年11月18日 (火)

千駄木庵日乗十一月十七日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅して、資料の整理、「政治文化情報」の発送準備。

            ○

「極東国際軍事裁判」は、“法の真理”に照らして完全に間違ったものであった。「平和と人道に対する罪=侵略戦争遂行の犯罪」「共同謀議の罪」を新たに作り、勝者が敗者を問答無用的に断罪した。しかし、そもそもそのような概念は、戦争が開始された時にも、終戦時にも、裁判後にも定着しなかった。つまり人類の貴重な法文化たる法原則=「罪刑法定主義」の原則に全く反して被告を断罪したのである。裁判とは名ばかりの非常の野蛮で公平性を全く喪失した戦勝国による一方的な復讐劇=リンチが東京国際軍事裁判であったのである。

「東京裁判史観」とは、極東國際軍事裁判の多数判決即ち六人の判事の西欧列強のアジア侵略を正当化するためにわが國の行為を一方的に処断したにすぎない全く虚妄の「判決」を正しいとする歴史観である。

戦争については國家意思が何処にあったかで判断すべきである。『開戦の詔書』には『自存自衛』『東亜の安定の確保』『世界の平和に寄与』『萬邦共栄の楽を偕にする』と示されている。白色人種の植民地だった東亜の解放が戦争目的だったのである。我ら日本人は、日本が白人優位の世界秩序を変えたことを誇りに思わなければならない。

その國の國民が祖國の歴史を如何に見るかは、その國の将来を決定する要素である。反省と謝罪の意識に責め苛まれる日本は亡國の道を歩むしかない。日本の國を愛し、日本の國の歴史に誇りを持つことが、今後の日本の発展と國民の幸福の基礎である。

日本は白人と戦いアジアを三百年の白人支配から救った。昭和十八年にアジア諸国は独立した。戦後独立したというのは誤りである。インパール作戦はインド独立のための戦いであった。インドに顕彰碑がある。マレーシア人は日本軍は白人と華僑の搾取と支配から解放してくれたと思っている。

 東京裁判史観とは、東京裁判の判決が正しく、日本は東南アジアおよび南方を略取しようとして共同謀議をしたという歴史観である。極東国際軍事裁判で「日本無罪論」の判決を書いたインドのパール判事は、「時が熱狂と偏見とをやはらげた暁には、また理性が虚偽からその仮面を剥ぎとった暁には、その時こそ、正義の女神はその秤を平衡に保ちながら、過去の賞罰の多くにその所を変へることを要求するであらう」と、判決文の最後に書いた。

 にもかかわらず、日本国民自身が、戦後六十三年を経過したにもかかわらず、「偏見」と「虚偽」から脱出することができないでいる。歴史を大観すれば、明治維新、日清・日露両戦争、満洲事変、支那事変、そして大東亜戦争は、まさに幕末以来の尊皇攘夷の戦い即ち西欧列強によるアジア侵略支配を打破する戦いであったのである。このことをわが国民は正しく認識し理解し、「過去の賞罰の多くにその所を変へる時代」の招来を期するべきである。

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2008年11月17日 (月)

千駄木庵日乗1十一月十六日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅して資料の整理。

         ○

「過去の歴史問題」というのが日本国の上に暗雲の如く垂れさがっている。これを吹き飛ばさない限り日本は何時までたってもまともに国になれない。近代日本は正しいことしかしなかった。反省すべき点は一つもない。などと主張するものではない。第一何処の国の歴史も正しいことしかしなかったなどということはあり得ない。

しかし、祖国日本は悪いことしかしなかった、大東亜戦争は日本の一方的侵略であったなどという誤れる歴史観を、政府の見解であるとし、それを否定する思想・考え方を公務員が発表することを制限するなどということは絶対に許してはならない。

わが国は大東亜戦争の敗北した後、戦勝国が開いた「東京国際軍事裁判」という名称の報復により、戦争遂行時の国家指導者は死地に追いやられた。また、七年間にわたり戦勝国によって占領され、その間、憲法を押し付けられ、ありとあらゆる手段で我が国の弱体化・戦勝国への隷属化が図られた。さらに、わが国が戦争遂行にあたって軍事的に進攻した国々に対して何回も何回も謝罪させられ、かつ、賠償金を支払わされ、経済援助を強いられた。

一体六十年以上も経過して、いまだに、過去のことで周辺諸国に謝罪し、さらに、その戦争に対して、自由な意見表明が出来ない国が世界の何処にあるであろうか。日本だけである。何んとも悔しい。しかも、国内に、祖国の歴史を冒瀆し、祖国を悪し様に言うことしか考えない連中が跳梁跋扈していることは何んとも許し難い。外国からの干渉がある前に、こういう連中が騒ぎだす。「朝日新聞」「日共」などはその典型である。

田母神氏の論文をきっかけとして、冷静にして真摯な歴史論議が高まることを期待したが、事態は悪い方向に向かっている。自衛隊員のみならず、公務員は、大東亜戦争という歴史問題に関して、自由な発言・研究が出来なくなる恐れが強い。

政府も、与野党も、メディアも、その方向で結束しているように見える。これは重大な事態である。この暗雲を祓い清めねばならない。

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2008年11月16日 (日)

千駄木庵日乗十一月十五日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後一時半より、東池袋の豊島区生活産業プラザにて、『アジア太平洋交流学会例会』開催。久保田信之会長が挨拶。菅沼光弘アジア社会経済開発協会会長が講演し、「アメリカ大統領・台湾総統が変わった。韓国李明博大統領の任期は二〇一三年まで。中国は鄧小平の改革開放以来三〇年。『日中平和条約』締結以来三〇年。来年は建国六〇年、負の遺産の天安門事件以来二〇年。ダライラマ亡命以来五〇年。二〇一〇年は上海万博。二〇一〇年は日韓併合以来一〇〇周年に当たる。南北政権が日本に対してどういう動きをするかが日本にとって重要。二〇一一年は中国共産党創立九〇年。中共の正統性が大問題となる。

日本国民を拉致していること自体、北がテロ国家であるということ。アメリカは同盟国日本と敵対国北朝鮮とどちらが大事なのか。拉致は一九七〇年代終わりごろから起った。

二〇〇五年の六カ国会談の『共同声明』第三項でエネルギー・貿易・投資の面で協力することを約束。中国はどんどん投資している。日本だけが経済制裁しても何の意味があるか。アメリカの対北政策が一八〇度変化した。北と戦争になると核戦争になるので話し合いしかない。話し合いの延長線上に米朝国交正常化がある。北は圧倒的な米軍事力に対抗するには核しかない。

日本の警察も公安調査庁も佐渡のジェンキンスさんから徹底した事情聴取をしていない。アメリカは聴取した。アメリカ政府は拉致問題に関する情報を日本に寄越さない。こんなアメリカに拉致問題を何とかしてくれとお願いに行っていいのか。

北がつぶれたら中国の巨大投資はパーになる。韓国も同じ。イギリスはロンドンで北の企業を上場させている。ピョンヤンからロンドンを経て日本の銀行に教育援助金というのが送られて来ていた。イギリス資本で白頭山に高級ホテルを作った。ドイツも友好関係。

日本は自分で考え自分の力で解決しなければならない。しかるに日本には力がない。日本は青少年の近現代史をきちんと教えていない。日韓貿易はずっと日本の黒字。韓国経済は日本の影響下にある。日朝国交正常化すれば、朝鮮半島は日本経済の影響下に入る。アメリカはある地域の覇権国が出来るのを嫌う。

『失われた十五年』とはアメリカとの経済摩擦で日本が叩き潰されたこと。アメリカは日本の政治家を脅す材料を何でも持っている。アメリカの要請で田中さんを切った堀田さんは検事総長になれなかった。

日本の先人は三十六年間の統治の間、朝鮮の事を物凄く研究した。日本が朝鮮の事を一番よく知っているのに、その成果が今の外交に生かせていない。

諜報機関は、人と建物と金があればいいわけではない。これから作って機能させるのは五年かかる。日本に国策がない。北に行く国会議員の口実は拉致問題の解決だが、経済利権とゴチャゴチャになっている。外務省の最大の目的は戦後処理。だから日本の世論と行き違いがある。

公安調査庁は諜報機関ではない。破防法を執行するための役所。朝鮮総連と日共の後ろにソ連・中国・北朝鮮があったから、その動向を調査した。それが対外情報収集機関と同じことをすることとなった。中国では『公安』は警察の事。『調査統計局』は諜報機関。日テレもフジテレビもソ連・中国に対抗する番組を作らせるためにCIAが作った。アメリカ・中国の諜報機関は政策遂行のためなら人も殺す。CIAによって何人の国家元首が殺されたか。だから公安調査庁と言うと中国人は震えあがる。日本に本当の諜報機関があれば。金正男を捕えて、北との交渉に利用した。」と語った。

この後、久保田氏らと懇談。

帰宅後は、書状執筆・資料整理など。

          ○

菅沼氏の講演は初めて聞いたが、相当強烈な対米不信感を持っているのに驚いた。公安調査庁というのは重要な役所である。ところがその最高責任者が退官後、朝鮮総連と商売上の取引していたというのだから困ったことである。このことを質問しようと思ったが、時間が限られていてできなかったのが残念である。

戦後日本は国家の安全というものに基本的な認識が欠けている。危機感がない。「アメリカが守ってくれる」という意識がある。しかし、そのアメリカは国益に従って動く。日本が逆らえばつぶしにかける。日本が真に自立した国になるのを妨害するのはアメリカかもしれない。日本の中に、支那や朝鮮やアメリカの手先がいるのが最も問題なのである。

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2008年11月15日 (土)

千駄木庵日乗十一月十四日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は諸雑務。

午後四時より、赤坂の日本財団ビルにて、『東京財団フォーラム』開催。久保文明東京大学法学部教授が、「オバマ大統領の誕生と新政権の方向性」と題して講演し、「オバマとマケインの支持者の構造の違いが重要。オバマには熱狂的支持者・積極的支持者が多かった。人種よりも年齢の方が問題だった。白人票がかなりオバマに流れている。北部と南部とでは白人の動向が異なった。三十歳以下の若者はオバマ支持。世代の違いが顕著に出たのは珍しい。黒人の九0%、ヒスパニックの七0%がオバマ支持。

今回の結果が民主党として永続的になると安心できない。奴隷制度のあった国で、一三%という少数派の黒人が大統領になったのは歴史的意味がある。経済的格差に苦しんでいる集団から大統領が登場したのには歴史的意味がある。これから四年間の累積効果は大きい。三十歳以下の白人の投票行動には、人種に対するこだわりはない。これからそういう人が多くなっていく。寛容度が増していく。しかしこれから次から次へと黒人が大統領になるとは限らない。

オバマは大恐慌時代の時代の大統領と似ている。フーバー大統領の失政を繰り返すかもしれない。金融危機・経済危機にうまく対処できれば、一九三二年の選挙に大勝し、三〇年間の民主党多数体制を再現することになる。民主党にとって永続的多数派になるチャンス。

イラク戦争への批判が強く、共和党の保守路線への批判があった。共和党のイメージがヒスパニックの間で悪くなっていた。

日本では、クリントン時代の良くない思い出があり、ブッシュ時代は良かったということで、共和党の方が良いと言われているが、通商問題でそれほどきつくならない。金融危機も日本が一定程度貢献できる。

共和党だったパウエルやアイゼンハワーの孫もオバマを支持した。暗殺の危険があると言うが、白人の大統領も暗殺された。黒人だから危険とは言えない。

財政赤字は深刻。かなり大規模な公金投入を行う。その後公共投資を行う。経済が悪くなると、アメリカの大らかさが減って来る。それは日本には向かって来ない。中国に向かって行くであろう。自由貿易を広げるという流れからは一時的に転換するのではないか。

中国が軍事力を増やしているのに、日本が軍事力を削減しているのは、アメリカに頼ろうとしているのだと言う人もいる。九・一一以降、アメリカを直接攻撃するテロがある。同盟国である日本が手助けをしてほしいというアメリカの期待がある。基地を提供しているという日本の言い分とすれ違っている。日本の出来ることはこれだけであると、外務省がアメリカを説得するしかない。

宗教的保守はかなりマケインに入れている。バイブルには減税という言葉はない。ミサイル防衛をバイブルから直接引き出すのは難しい。ブッシュはミサイル防衛を進め、グルジア問題でも厳しい対応をした。アメリカ全体からロシアは疑惑の目で見られている。ロシアはかつてのエンパイア(帝国主義)を望んでいるのではないかと思われているので、オバマがあまりハト派的政策をとることはない。」と語った。

             ○

我が国はアメリカの大統領に誰がなろうと、一喜一憂すべきではないということである。対米関係も日本が従属的であってはならない。基地を提供しているのだから、もっと堂々と対するべきである。わが國は戦後一貫して、ロシア・支那・南北朝鮮やアメリカに対して、弱腰である。その原因はどこにあるのか。

それは田母神俊雄・航空幕僚長がきちんと次のように論じている。

「東京裁判はあの戦争の責任を全て日本に押し付けようとしたものである。そしてそのマインドコントロールは戦後63 年を経てもなお日本人を惑わせている。マインドコントロールから解放されない限り我が国を自らの力で守る体制がいつになっても完成しない。アメリカに守ってもらうしかない。アメリカに守ってもらえば日本のアメリカ化が加速する。日本の経済も、金融も、商慣行も、雇用も、司法もアメリカのシステムに近づいていく。改革のオンパレードで我が国の伝統文化が壊されていく。日本ではいま文化大革命が進行中なのではないか。日本国民は20 年前と今とではどちらが心安らかに暮らしているのだろうか。日本は良い国に向かっているのだろうか。私は日米同盟を否定しているわけではない。アジア地域の安定のためには良好な日米関係が必須である。但し日米関係は必要なときに助け合う良好な親子関係のようなものであることが望ましい。子供がいつまでも親に頼りきっているような関係は改善の必要があると思っている。」

「私たちは輝かしい日本の歴史を取り戻さなければならない。歴史を抹殺された国家は衰退の一途を辿るのみである。」

こうした正論を封殺する政府・与野党・偏向マスコミなどの反日勢力は全く間違っている。自虐史観・東京裁判史観の清算なくして将来の日本は無い。

帰途、知人と懇談。

帰宅後は書状執筆。

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2008年11月14日 (金)

千駄木庵日乗十一月十三日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅して「政治文化情報」の原稿執筆。完成、送付。

昨日・今日と父の容態が安定せず、世話をしております。この二日間は会合もなく、家にいて父の面倒を見ることができるので助かっています。

         ○

麻生総理が漢字の読み間違えを何回かしたということが報道されました。麻生氏は「単なる読み間違い。もしくは勘違い」と言ったようですが、少しみっともないという感じはあります。しかし、あまり咎め立てするのもどうかと思います。私も「順風満帆」(じゅんぷうまんぱん)を長い間「じゅんぷうまんぽ」と読んでいました。一回覚えてしまうとなかなか直らないと言うか、何かのきっかけでその読み方が間違えであることに気づかない限り、ずっと間違った読み方のままで通してしまうことがあります。

麻生氏には期待していましたが、田母神氏の問題では、がっかりしました。野党や偏向マスコミの言いなりになっているように思えます。特に国会答弁で何回も田母神氏を呼び捨てにしたのは許し難いことです。田母神氏は犯罪者ではありません。自分の国の文字をもまともに読めない人間が総理をやっていることの方が問題であります。私はこれから麻生総理とは書かず麻生と呼び捨てにしたいくらいです。

歴史に対する評価や主張や論議を、政府や国会という権力機構が掣肘するようなことがあってはならないと思います。今後、自衛隊のみならず、すべての政府機関そして公務員が、誤れる歴史観・自虐史観一色に塗りつぶされることになることは絶対に許してはなりません。

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2008年11月13日 (木)

千駄木庵日乗十一月十二日

午前は、父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、父母の看護・介護などについての相談のためにある方と懇談。

その後、原稿執筆。

夕刻、知人と懇談。

その後も原稿執筆。

           ○

台湾最高検は十二日午前、海外への不正送金や機密費流用などの容疑で陳水扁前総統を逮捕した。国家元首経験者を逮捕するというのは全く異常なことである。かつて国民党の体質を考えると、冤罪ということも十分に考えられる。或いはそうではないのかもしれない。不正流用や機密費流用が事実であるかどうかは分からない。

韓国では、長い間、退陣した大統領が海外に脱出したり、逮捕されたり、軟禁状態に置かれるというのが恒例になっていた。陳水扁氏が長い間馬英九氏と敵対関係にあった。それだけに台湾も以前の韓国のような國になってしまったのかと思うと恐ろしい気がする。馬英九総統は、紳士面しているが、実はとんでもない権力者ということなる。しかし、これはあくまでも今回の逮捕容疑が事実無根であるということを前提とした話であって、容疑が事実であるのなら、逮捕は当然のことである。しかし、いずれにしても、前国家元首が退陣後一年もたたないうちに逮捕されるなどということは異常である。

陳水扁氏には、もう十年くらい前に、東京の台湾独立運動の集会でお会いしたことがある。当時は李登輝総統の後継者であり、独立運動の指導者の一人でもあったので多くの人々に期待され、大変な人気であった。しかし、総統になってからは期待したほどの指導力・政治力を発揮することはなかった。李登輝氏と比較するとだいぶ格が下がるという感じであった。最近は、その李登輝前総統からも批判されるようになっていた。

今回の事が冤罪であるとすれば、国民党・馬英九政権のやり方は非道であるということになる。果たして冤罪であるのかどうかが最大の問題である。また、台湾独立達成の正義実現のために今度の事件が大きな障害にならないことを祈る。

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2008年11月12日 (水)

千駄木庵日乗十一月十一日

未明、父の容態に変化があり、病院に付き添って行く。医師の診察・治療を受け、帰宅。

午前、再び父に付き添って病院に赴く。診察・治療を受け帰宅。

午後は暫し休息。

午後六時より、『九段下沙龍』開催。当面する諸課題について同志と討議懇談。

帰宅後は原稿執筆。

          ○

田母神氏が今日の参考人招致の後、「村山談話の正体が言論弾圧の道具であることが分かった」と語ったのはまさしく正論である。また、田母神氏の論文の中身について、メディアが大仰に批判すること自体、言論の自由の抑圧である。

ともかく今のマスコミはおかしい。左翼史観・自虐史観に反するものは徹底的にこれを排撃している。これは絶対に許されざることである。

また、審査員だった中山泰秀衆院議員が欠席して秘書に任せたのは、おかしい。自分が審査出来ないのなら、審査を辞退すべきであった。秘書に任せるなどというのは不届きである。その秘書が田母神論文を〇点だと言ったのも許せない。一体自分を何様だと思っているのか。

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千駄木庵日乗十一月十日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は諸雑務。

午後七時より、高田馬場のホテルサンルートにて、『一水会フォーラム』開催。小林よしのり氏が講演し、「慰安婦論争の中で、左右の人々から資料を送られた。右翼の方が正しいと思うようになった。私の祖父の世代はどんな心で戦争を戦ったのかを伝えるしかないと思った。

加東大介氏の『南の島に雪が降る』に出て来る篠原軍曹は私の祖父。ニューギニアで芝居をした。小学生の頃、加東大介氏に抱かれて写真を撮った。しかし大学生になって、左の思想が浸透した。日本兵が支那人の首を斬っている写真を見せられて、強烈にしみ込んだ。後になってその写真はブロマイドのように売られていると分かった。

『戦争論』を書く時、戦没者の遺書を読んで涙が止まらなかった。二十代の若者の感覚が今の若者と根本的に違っていると思った。そして祖父の事を思い出した。街宣車の右翼を見る目も違って来た。

漫画はプロの仕事であり職人の仕事。出版不況の時代であり、テレビも予算を削っている。左翼の論壇誌が先に潰れている。『正論』『諸君』『サピオ』も危ない。小学館の中の左翼からの風当たりも強い。そういう中で仕事をしている。プロの技術で書いている。才能が枯れたら誰も見なくなる。漫画家は四年で才能が尽きるといわれている。その中で三十年生き残って来た。書けるのもあと十年と思う。

日本は単一民族と言ったら大臣が首になる。日本は言論統制がしかれている。純粋なアイヌ人はいない。アイヌ語を話せる人もいない。『村山談話』が拘束力を持っているのは異様なこと。左の巻き返しが非常に強くなってきている。

時代の転換がすごい。金融資本主義が崩壊しようとしている。沖縄戦の犠牲者の九九%は米軍による犠牲者。しかるに日本軍が悪いというキャンペーンを左がはる。『靖国』という映画で靖国神社の御神体が日本刀としたのは全くのデマ。

右翼は純粋で狡猾さがない。左翼は不純で狡猾。戦争をしないでどうやって明治以後の日本は生き残ることが出来たのか。沖縄県与那国町議会は自衛隊誘致要請決議をした。危機感がある。出版社は右翼に弱い。右翼は自信と誇りを持ってほしい。

国民が変わらなければ、天皇に靖国神社を参拝していただくのは無理。私は、玉が取られていると思っている。朝鮮人・台湾人は共に戦った同胞だからいたずらに朝鮮人は嫌いだとは言いたくない。電車の中でマンガを読んでいる人は少なくなった。携帯を見ている。これからはどえらい不況になる。」と語った。

帰宅後、原稿執筆。

        ○

小林氏が「私は、玉が取られていると思っている」と言ったのは、戦後体制に皇室がからめ取られているという意味であろう。全く同感である。そもそも『現行占領憲法』の「天皇条項」が、日本國體の眞姿を隠蔽している。『現行憲法』が日本弱体化を企図して押し付けられたものであるからそれは当然である。また、戦後の皇室制度・宮内庁制度が、天皇・皇室の神聖権威を隠蔽し、天皇・皇室を政治家・官僚の操り人形のようなお立場に立たせ奉っている。最近の皇室に関わる様々な憂えるべき事象の根本原因はここにある。

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2008年11月10日 (月)

千駄木庵日乗十一月九日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後十二時半より、靖国神社にて、「大日本一誠會対馬防衛隊発足奉告祭」執行。祝詞奏上・玉串奉奠などが行われた。全国から二百名以上の活動家が参集し盛大であった。

韓国馬山市議会が対馬を韓国領と決議して「対馬の日」を制定したにもかかわらず、わが国政府は何らの対抗策もとらず、抗議もしなかったこと、韓国の退役軍人が対馬市役所前で、「対馬は韓国領だ」とするパフォーマンスを行ったこと、などに危機感を抱いた大日本一誠會の活動家が、対馬防衛隊を結成し、対馬において領土防衛運動に挺身することになった。まことに時宜を得た有意義な動きである。

午後二時より、横浜駅西口ロータリーにて、「横浜演説大会」開催。阿形充規・犬塚哲爾・木村三浩の各氏そして小生がそれぞれ一時間づつ演説を行った。小雨が降ったりやんだりしたが演説には支障がなかったのは有り難かった。

小生は、田母神発言問題・憲法問題について演説した。「最近自分の元亭主を『金髪豚野郎』と罵った女性の父親である林家三平氏は、何時も『どうもすいません』と言っていたが、日本も、歴史問題で近隣諸国に謝ってばかりいる情けない國になっている。歴史問題で、自虐的な史観を払拭し、正しい歴史観を確立しなければ、わが国は何時までたっても、民族の誇りを喪失したままで、何時までたっても自立できない。

現行占領憲法の『平和主義』とは日本は侵略をした悪い国ですから、戦勝国の公正と信義に信頼して、生きていきます。お手向かいは致しません、という思想である。これではまともな外交姿勢も、強固な防衛体制も確立できない。第一、米・支那・ロシア・朝鮮の何処に公正と信義などという立派なものがあるのか。現行憲法の『平和主義』は危険この上ない虚構である。」ということを話した。

終了後は懇親会。

帰宅後は原稿執筆など。

街頭演説は本当に久しぶりです。多少寒かったのですが、寒ければ寒いほど演説に力が入りました。頬がこわばりましたが、気分は爽快でした。

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2008年11月 9日 (日)

千駄木庵日乗十一月八日

未明。父の容態に変化があり、看護。小康を取り戻す。

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後二時より、渋谷道玄坂のフォーラムエイトにて、「日台関係研究會」開催。玉井清慶応義塾大学教授が講演し、「台湾人は今の台湾の満足している。若者の視線が内向きになっている。私が台湾にいた頃、メディアは陳水扁の不正疑惑一色だった。国民党が政権に復帰したのは、経済が良くないからと言われる。統計的にはそうなる。しかし、私の実感では、経済はそんなに悪くなっていない。ホームレスは日本の方が多い。経済的にひっぱくした人が街に溢れているわけではない。食堂も安いだけでは客が来なくなっている。少し高くても清潔な店が繁盛している。街の再開発が進行している。肉料理よりもヘルシーな食べ物を好むようになっている。

パンダが台湾に来ると、かつての日本に来た時と同じような騒ぎなるのではないか。日本は中国にべら棒な賃貸料を払わされたが、台湾に対して『中国は国内だから賃貸料は要らない』と言っている。したたかな戦略。

台湾史の研究が進んでいる。日本時代の表記は、以前は『日據時代・日據時期』であったが、李登輝時代の誕生以来、『日治時代・日治時期』になっている。しかし、公文書は未だに前者の表記。

台湾民衆の『現状維持』とは『中国と事を構えてまで何かをやらなくていい』というのと『中国と一緒になるのは真っ平御免』の二つ。中国への憧れはなく、日本への憧れが強い。コンビニなどは日本文化が溢れている。蔡焜燦さんの日本文は見事。これほどの名文を書く人は日本人にも少ない。」と語った。

帰途、知人と懇談。

帰宅後は原稿執筆。

           ○

最近台湾に行っていないので、今日の話は大変勉強になった。やはり台湾は友邦である。最も大切にしなければならない国である。

台湾の行く末は台湾人自身が決めるべきである。しかし、共産支那の恫喝下における台湾人の意志が真に自由に表明された意志ではない。かつての同胞・台湾人がより繁栄し平和であり続けることを祈る。

あまりに共産支那に傾斜した馬英九政権への反発が高まっている。台湾を日本の友邦としてつなぎ止めることが何より大事である。それには日本が、文化・経済・政治などあらゆる面において、台湾への協力を行うべきである。

李登輝氏は「尖閣は日本領だ」と明言した。台湾内部には批判が起っているようだが、李登輝氏は正論を述べたのである。李登輝氏は本当に立派な人物である。

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2008年11月 8日 (土)

千駄木庵日乗十一月七日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅して原稿執筆など。

             ○

竹島についての日本の領土権の主張は、国際司法裁判所で勝訴できると確信できる正当なもので、韓国に対して正々堂々日本の主張を貫くべきである。

竹島の領有権について国際司法裁判所の判断を仰ぐことを韓国側が拒否している。これは韓国の主張に正当性がないからである。明治三十八年(一九〇五年)の日本政府による竹島編入の時、韓国は日本に外交権を奪われて抗議できなかったと言うが、その頃韓国は日本の保護領ではなかった。当時の韓国は、竹島に関心が無かったのだ。

「サンフランシスコ講和条約」で竹島は日本領土と確定した。同条約で日本が放棄した地域に竹島は入っていない。韓国は日本に竹島を放棄させ韓国領にせよと要請したが米英は否定した。竹島が日本固有の領土であるのは明白である。

しかるに、韓国は昭和二十七年に李ラインをひいて実力を以て竹島を占領する暴挙に出た。そして、漁民の拿捕にわが国国民は切歯扼腕した。日本は海軍を解体されていたし憲法九条の制約があるので十分な措置ができなかった。しかし、昭和二十七、八年に我が国の海上保安庁は四回にわたって巡視船を竹島に派遣し命懸けで標識を立てた。

日本は「日韓基本条約」締結の時、竹島問題の国際司法裁判所への提訴を合意すべきだった。今後も、継続的に断固とした抗議を続けるべきだし、国際司法裁判所への提訴合意を取りつけるべきである。

韓国は、「日本人は自衛隊を日蔭者扱いしているから日本に何をしても日本は反撃しない」と甘く見ている。また、韓国は反日感情を国内政争の道具にして煽っている。

何よりも日本の外交姿勢が問題なのである。日本の軟弱なる外交姿勢が続けば竹島はおろか対馬や北九州まで領土要求されるかもしれない。韓国に対して毅然として発言すべきである。歴史認識について屈辱外交を繰り返している限り竹島は返って来ない。 

その意味でも田母神俊雄・前航空幕僚長の発言は意義のあるものであった。断固として田母神氏を支援しなければならない。

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2008年11月 7日 (金)

千駄木庵日乗十一月六日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

この後、お二人の篤志家の方が、私の母がお護りをしている坂下観音堂の照明の取り付け、境内の樹木の剪定をして下さいました。まことに有り難いことです。夜になると参道が暗くなり、不用心になります。先日も賽銭泥棒が入りました。そこで夜暗くなってから参道に人が入ると自動的に照明がつくようにして下さいました。心より感謝申し上げます。

この観音堂には如意輪観世音菩薩像(私の母方の祖父が家を建てたとき地下から出て来たと伝わります)が安置されています。旧町名が駒込坂下町と言いましたので、「坂下観音堂」と名付けられました。大正時代以前からあります。境内には寛政年間のお不動さんの石像もあります。寛政年間と言いますと、光格天皇の御代で、徳川家斉が将軍を務め、松平定信・長谷川平蔵が活躍していた頃です。

その後は、在宅して、原稿の執筆など。

          ○

歴史問題が政治問題になってしまうことは大変困ったことです。冷静にして真摯な議論が出来なくなってしまいます。近隣諸国とやらが、「歴史問題」を外交の道具にして、わが国に恫喝を加え、内政干渉して来るのが問題なのりであります。また「村山談話」というのが今日多くの問題を引き起こしています。

明治以後の日本が良いことしかしなかったとは思いません。また戦前の日本が理想的に国だったとも思いません。もしそうだとしたら、昭和維新運動は起こらなかったでしょう。また戦争の負けるはずもなかったのです。

日本国が、西欧列強の侵略に抗して独立を護るために、西洋化・近代化を推進し富国強兵を図ったのは止むを得なかったのであります。しかし、西洋覇道精神が日本国に浸潤したことも事実であります。そのことの反省はもちろん必要です。

しかし、繰り返しますが、日本は侵略国家だった、悪いことしかしなかったという「村山談話」の考え方は絶対に受け入れることはできません。田母神俊雄・前航空幕僚長への不当な圧迫・迫害を許してはなりません。

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2008年11月 6日 (木)

千駄木庵日乗十一月五日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後二時より、衆議院第二議員会館にて、「日本再生同志の会緊急役員会」開催。小田村四郎会長を中心に当面する課題について討議。総理官邸の前を通りましたが、何時もよりも厳重な警戒でした。会館に中はガランとしていました。みんな選挙区に帰っているのでしょうか。

帰途、知人の事務所訪問。懇談。

帰宅後は、「政治文化情報」の原稿執筆のための勉強と準備。田母神俊雄前空幕長の正論に触発され、近代日本そして大東亜戦争について論じたく思います。あまりにも大きなテーマですから、きちんとした論文になるかどうか不安ですが、何んとか書いてみたいと思います。

森田康之助先生は、「歴史を見る目は即ち将来を見通す目であり、歴史とは未来記に他ならない」(『伴信友』)と言われました。日本近代史に対する正しい認識が、現在及び将来の日本を決定づける大きな要素になると思います。何時までも自虐史観にとりつかれていると、日本は亡国の道を歩みます。

自虐史観を払拭するということは、決して無反省でいいということではありません。「日本だけが悪かった、日本は悪いことしかしなかった」という歴史認識を改めなければならないということであります。

昨日も書きましたが、政府が一面的な「歴史観」を閣議決定し、それ正義だとし、公務員に押し付けるということは絶対にあってはならないことであります。自由・民主体制の破壊者は、実は正義を標榜する人々であることが多いのは、それこそ歴史を顧みれば見れば明らかであります。

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2008年11月 5日 (水)

千駄木庵日乗十一月四日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは諸雑務、及び「国民新聞」に掲載予定の小沢一郎氏の「国連中心主義」批判、「月刊日本」連載中の萬葉集講義の原稿執筆・完成・送付。

         ○

田母神俊雄・航空幕僚長の論文はまさに正論である。正論を発表したことを理由にして、事実上の職務を解任されるというのは全く間違っている。いかに今の日本という国がおかしくなっているかを証明している。「村山談話」は一刻も早く破棄すべきである。

そもそも政府が祖国の歴史問題について、特定の評価を下し、一つの見解を定め、政府関係者はそれに異論を唱えてはならないなどということは、まさに「言論の自由」「思想信条の自由」の否定である。田母神氏の言われる通り、北朝鮮などの独裁専制国家と同じである。

「再発防止を図れ」「責任者に厳正な処分をしろ」と指示した麻生さんの対応にもがっかりした。まさに言論の自由への重大なる圧迫である。

歴史問題は、決して政治問題ではない。国民全てが自由に新氏に考究していくべき問題である。いかなる立場の人がいかなる考え方・主張を持とうと自由である。

「村山談話」などの過去の政府見解、しかも歴史を冒瀆した誤れる見解に、拘束される必要はない。まして、「村山談話」と異なる発言をした政府関係者をその職務から更迭するなどということがあっていいはずがない。

民主党は田母神氏を国会に招致するという。田母神氏も受けて立つという。大いにやったらいい。民主党がいかに国を危うくする政党であるかがそれによって明らかとなる。

田母神氏の正論を支持し、これを擁護する運動が巻き起こるであろう。

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2008年11月 4日 (火)

千駄木庵日乗十一月三日

午前八時、宿舎をバスで出発。銀山平を経て奥只見に至る。人口湖を遊覧船で渡る。清津峠に到り、渓谷トンネルを歩き、渓谷を観覧。帰京。

帰宅後は、書状の執筆・諸雑務。

           ○

この同期会は、毎年二回開かれております。出来る限り出席しております。今回も、父母のお世話を看護師・ヘルパーの方によくよくお願いしまして、参加しました。学生時代の友も今や、六十一歳か六十二歳。まだ高齢者にはなっていませんが、髪の毛が半白になっていたりする人もいます。公務員だった人は、定年退職しています。

二日間、友と共に群馬と新潟の自然に触れてきました。紅葉ではなく黄葉でした。物凄く感動するほどの自然美ではありませんでした。歩くことが多く、肥満体の私にはいささかきつい旅でした。昼間多く歩いたためか、深夜本当に久しぶりに「こむらがえし」(ふくらはぎの痙攣)がありました。

こういう旅行の悩みは、トイレといびきと、時間に拘束されてゆっくりとした気分で自然を鑑賞したり、石碑などを読んだり、神社・仏閣に参拝できないことです。幸い今回はいびきのひどい人がいなかったので助かりました。自分自身の事は眠っているのでわかりません。あまりいびきはかかないと信じております。

上越新幹線の駅(名前は紀憶せず)の前をバスで通りましたが、田中角栄氏の銅像が建てられていました。あまり乗降客はなさそうな駅でいわゆる政治駅でしょう。駅のまわりもさみしいところでした。

いささか疲れましたので、今晩はこれにて失礼いたします。

明日からはまた、色々書かせていただきたく思っております。

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千駄木庵日乗十一月二日

「二松学舎大学第三七期卒業生同期会・三七會」に参加のため、朝八時、池袋駅前に集合して、バスで出発。

関越道を走り行き、利根川上流の諏訪峡散策。水上町を経て、八海山山頂にロープウェイで登る。

上越湯澤温泉にて「同期会」開催。宿泊。

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2008年11月 2日 (日)

千駄木庵日乗十一月一日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後二時半より、青山の日本青年館にて、「渥美勝大人命八十年追悼顕彰祭」執行。

丸川仁氏が司会。田尻陸夫氏が祭主、福永武氏が斎主、相原修・近藤勝博両氏が祭員となって祭典が執り行われた。

この後、小田内陽太氏が「桃太郎・渥美勝先生の生涯と思想」と題して講演し、「渥美先生は西南戦争の年に生まれ、昭和三年に亡くなった。明治第二維新運動と昭和維新運動の懸け橋になった方。日本神話の『生命力甦りの信仰』『桃の実の精神・起死回生の志』を立てた。京都大学法学部を中退し、大逆事件に衝撃を受け、多賀大社で神に宣誓し、世の中の立て替え・立て直しを決意した。

明治四十四年、神田須田町で街頭演説の第一声を行った。千駄木の山形県出身者の寮で大川周明と出会った。そしてフランス人哲学者・ポール・リシャルに紹介された。神道修成派の教会で修行した。谷中墓地の禊教の開祖の墓前で絶食祈願を行った。

大杉榮・堺利彦・北一輝・大川周明・権藤成卿などと世直しを討論した。頭山満とも出会い啓発された。高千穂に入山し、禊祓いを行い、日本の原点への回帰と自己のミコトへの帰一を願った。

神話とは自然との共生、対話の中から生まれた深層意識の表れであり悟りである。赤尾敏氏が渥美先生の門下になった。メーデーに対抗して、紀元節に国民の団結をはかる建国祭を開催した。」などと語った。

この後、田尻陸男氏が「桃の会の紹介及び墓所移転事業に関する報告を行った。

続いて直会が行われた。広瀬義道氏が司会。小生などが挨拶を行った。

小生は、「渥美先生が修行した神道修成派教会は、我が家のはす向かいに二十年くらい前まであった。また、大川周明氏と出会った山形県の寮は現在も千駄木に歴史的建築物として遺されている。谷中霊園の禊教の墓地も我が家の近くである。有難いご縁を感じた。桃太郎の精神で、日本国の見直し・聞き直し・宣(の)り直しを実行しよう」と述べた。

また今日の催しには、百名近くの人が集まったが、私より年上の人はほんの数名で、二十代から四十代の人が大半を占めていた。維新運動もどんどん真面目で真剣な後継者が出てきている。頼もしい限りである。悲観することは全くない。

帰宅後は、諸雑務。

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2008年11月 1日 (土)

千駄木庵日乗十月三十一日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅して資料の整理など。

夕刻、父の容態に変化があり、看護師さんに来て頂く。詳しい病状を書くことができませんが、時々こういうことがあります。

         ○

浜田防衛相は31日夜、航空自衛隊トップの田母神俊雄・航空幕僚長(60)を更迭する考えを表明した。田母神氏が発表した論文が、「過去の植民地支配と侵略への『深い反省』を表明した」という平成七年の「村山首相談話」に反する内容で、田母神氏が防衛省の内規に反し、論文寄稿について事前の届け出をしていなかったためという。なんとも敏速な処置だが、自衛隊高官には言論の自由がないということなのだろう。一体それはどういう理由からなのか。「村山談話」は一日も早く廃棄されるべきである。

花岡信昭氏の「メールマガジン」で検索して当該論文を一読した。まだ精読はしていないが、全く正論だと思う。今までの歴史家・評論家などの意見を踏まえ、且つ、田母神氏自身の見解を加えて、日本が満州事変も支那事変も侵略ではなかったこと、コミンテルンの謀略、対米開戦は米国の挑発によるものだ、などということを簡潔にして明確に、そして明晰な論理展開で論じておられる。

結論部分の「我が国が侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣である。日本というのは古い歴史と優れた伝統を持つ素晴らしい国なのだ。私たちは日本人として我が国の歴史について誇りを持たなければならない。人は特別な思想を注入されない限りは自分の生まれた故郷や自分の生まれた国を自然に愛するものである。日本の場合は歴史的事実を丹念に見ていくだけでこの国が実施してきたことが素晴らしいこと

であることがわかる。嘘やねつ造は全く必要がない。個別事象に目を向ければ悪行と言われるものもあるだろう。それは現在の先進国の中でも暴行や殺人が起こるのと同じことである。私たちは輝かしい日本の歴史を取り戻さなければならない。歴史を抹殺された国家は衰退の一途を辿るのみである。」

という主張は全く同感である。

このことがきっかけとなって、歴史の見直しがさらに一層進むことを祈る。偏向マスコミや、自虐的な考え方の学者・評論家そして野党の政治家どもはここを先途と、田母神氏攻撃・自衛隊攻撃を展開するであろうが、徹底的に反論し、正義を護らねばならない。

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