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2008年10月 6日 (月)

千駄木庵日乗十月五日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後一時より、荒川総合スポーツセンターにて、「橋本左内記念講演会」開催。岡本義雄世話人代表が挨拶。

福井市教育長の渡辺本爾氏が講演し、「橋本左内はこの地で無念の最期を遂げた。地元の方々が篤く祀っていただいていることに感謝する。福井市は橋本佐内没後百五十年記念事業に取り組んでいる。それは左内先生のことを『知ること』『学ぶこと』『伝えること』の三つ。福井でも、左内公園で墓前祭を行う。今年は藩主・松平春嶽公の生誕百八十年にもあたる。郷土の偉人の業績に学びたい。

左内先生は『天下の物事にはすべて道がある。その道を明らかにするべし』と説かれた。つまり真理の探究である。自ら啓く心を養うことを説いた『啓発録』を著した。それには『稚心を去れ』『振気』『立志』『勉学』『交友を択べ』の五目が説かれている。また、尊皇精神・国家構想・開国を論じた。生きた学問によって時代をリードした。『安政の大獄』で二十六歳の若さで処刑された。福井藩の教育改革が左内の大きな業績。左内は『器械藝術は彼にあり、仁義忠孝は我に存す』と言った。数学・理科・医学・蘭学・ドイツ語・英語を総合的に藩校の教育に取り入れた。」と語った。

午後三時より、小塚原回向院にて、「橋本左内墓前祭」執行。僧侶による読経、そして列席者全員による焼香が行われた。

帰宅後は、「月刊日本」に連載している「萬葉集に歌はれた日本の心」執筆、完成、送付。

             ○

橋本左内先生は若くして国を動かした人物であります。松平春嶽公の身代わりとなって処刑されたと言っていいと思います。井伊直弼という人もひどいことをしたものと思います。以前、福井の同志・安達福松氏の御案内で、福井の左内公園に赴き、左内像を仰いだことを思い出します。福井の地は、維新そして近代日本において活躍した人物を多く輩出しています。春嶽公が立派だったからでしょう。

回向院には、桜田門外の変に参画した多くの志士達の墓もありました。そのお墓一つ一つに、氏名と藩の名前、亡くなられた日と享年が刻まれていました。そして「靖国神社合祀」と刻まれていました。

田中光顕(土佐藩士・維新後は宮内大臣などを歴任)の書になる「花と散り 露と消えにし 櫻田の ますらたけをを 偲ぶ今日かな」という歌碑が建てられていました。また、「相馬大作供養塔」「磯部浅一・妻登美子墓」もありました。回向院は、江戸期から昭和にかけての歴史を伝える寺であります。

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