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2008年10月 7日 (火)

千駄木庵日乗十月五日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は父に付き添って診療所に赴く。

午後六時半より、赤坂の日本財団ビルにて「東京財団フォーラム・現代をどう生きるか」開催。登壇者の印象に残った発言は次の通り。

今道友信東京大学名誉教授「八十五歳の私が小学生一年生の頃、小学生はみんな肥後守(折り畳み式刃物)を持っていなければならなかった。腕白もいたずら小僧もいたが、肥後守を使った傷害事件は起こらなかった。工作のための錐もみんな持っていた。それで猫を殺す子供はいなかった。今は大人でも肥後守を持って成田空港に行くと取り上げられる。倫理が生きていた時代ではなくなり、倫理が不在になる兆しが見える。人間の現実行為の限度が見えなくなった。倫理を呼び戻す必要がある。

見えない思想で見えない自己律することが必要。ソクラテスは『哲学の定義は魂の世話』と言った。みなさんは意識するとしないとに関わらず『肉体の世話』は毎日している。食事をとり、薬を飲み、血圧を測る。プラトン・アリストテレスそして私の本を読むべし。一億八七〇萬人が二十世紀の戦死者の数。これには空襲によって死んだ人は入っていない。二十世紀になって科学技術が進歩し、人権が尊重され、男女は平等になった。しかし人権の基礎は人命である。二十世紀はどの世紀よりも多くの人命が奪われた。ある意味では殺戮の世紀といえる。

古典倫理の復興だけでは済まない。もう一度昔の良いところは呼び戻して倫理がこの社会に根ざすように考えるべし。それが『魂の世話』。人間として為すべきことは何かを先に考えるべし。人間の義務感からものを見直さなければならない。

近代国家は少しづつ壊れている。どういう新しい世界制度をつくるかを考えねばならない。信長・秀吉・家康のような権謀術数と人殺しの名人がリーダーとして語られるのではこの国は滅びる。

科学技術が手段優位。これを変えなければならない。目的をできるだけ良いものにしなければならない。個人の自由と個人の勝手とは違う。人が信じていようといまいと死者への儀礼は宗教以外にない。宗教なくして倫理は出てこなかったし、宗教も倫理なくしてあり得ない。人を殺してもいいという宗教は宗教ではない。」

櫻井孝典東京大学教授「人類が生物圏から分かれ、人間圏をつくって生きる生き方を文明という。人類が生物圏の中の一つとして生きていた時代が狩猟採集時代。生物圏をから飛び出て人間圏を形成して生きるようになったのが農耕牧畜時代。人間圏の中に駆動力を持つ段階が現代。

人類が地球システムと調和的な人間圏を構築できるかが二一世紀の課題。倫理学とは関係性の学問。システム的なものの見方は関係性の学問。古典的言えば天と地と人の和を考えること。昔の人類は生き延びるのが最大の目的。今の人類は何のために生きるかが大切になっている。そういうことを考えるのが倫理。」

帰途、知人と懇談。

              ○

哲学論議はいろいろ難しい表現が多いが、今日は随分分かり易く且つ面白いお話であった。今道氏の肥後守の譬えは勉強になった。結局桜井氏が言うように「人として天と地と人の和を考えること」が大切ということである。やはり、日本においては「記紀萬葉」という古典の精神への回帰が大事なのではないだろうか。また今道氏の言うように「毎日魂の世話」をすることが大事である。

科学技術の進歩は決して人間の倫理性を高めたことにはなっていない。むしろその逆の傾向を示しているは、今道氏の指摘したように、二十世紀において最も多く人間が人間によって殺されたことによって明らかである。秋葉原の無差別殺人のような事件が今後も起こり続ける危険がある。なんとかそういうことを食い止めねばならない。

宗教は大切だし、倫理の基礎であるが、宗教戦争によって多くの人が殺されているのがこれまでの歴史であるし、今日の現実である。

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