千駄木庵日乗十月十三日
午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。
午後からは在宅して資料の整理。
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靖国神社への昭和殉難者合祀に関わる議論で、「戦争犯罪人を合祀すべきでいない」という主張がある。しかし、「戦争犯罪」と「戦争責任」は全く違う。「戦争犯罪」とは、戦勝国による日本に対する復讐であり戦争行為の継続であった「東京国際軍事裁判」におけるわが国の指導者などに対する一方的にして不当不法なる決めつけでありでっち上げである。
「戦争責任」とは、大東亜戦争開戦および遂行そして敗北に関する国家指導者の道義的・政治的・軍事的責任である。。「戦争責任」は戦勝国から「裁かれる」べきものではなく、責任を問われる本人を含めて日本国民自身が正しくこれを究明すべきものである。
「戦争責任」は東條元総理をはじめとした当時の国家首脳は十分に感じていた。だからこそ、終戦時に自決した人もいたし、従容として死地に赴いた人もいる。東條元総理もその一人である。東條氏が深く戦争責任を自覚していたことは、辞世において
「たとへ身は千々にさくとも及ばじな栄えし御世をおとせし罪は」
と詠まれたことによっても明らかである。
「戦犯は合祀してはならない」という主張は、敵国の不当不法なる復讐を是認する議論である。「東京国際軍事裁判」は戦争行為の継続であり、そこで「絞首刑」の「判決」なるものを下され殺された方々は、まさに戦死者である。その方々にたとえ「戦争責任」があったとしても、靖国神社に祀られるのは当然である
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