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2008年10月26日 (日)

千駄木庵日乗十月二十五日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後一時より、谷中の上聖寺にて、「憂国烈士之碑追善供養の儀」執行。山口申代表発起人などによる挨拶の後、読経・焼香が行われた。そして境内にある「憂国烈士之碑」参拝を行い、終了。多くの同志が参列し、物故同志を偲んだ。導師の僧侶が物故者の芳名を読みあげたが、色々ご指導をいただいた先輩、共に活動した同志の多くがこの世を去られたことを実感した。さみしい限りである。心よりご冥福をお祈りする。

この後、六本木にある新国立美術館にて開催中の「巨匠ピカソ 愛と創造の軌跡」展参観。

この展覧会は、「生涯を通じて変貌を重ね続けたピカソの全体像に迫ります。…さまざまな素材と表現の可能性の追求。激動の時代であった20世紀を生きた芸術家らしく、戦争や平和をめぐって、人間性や芸術の意味を求めて、ピカソの芸術は多様な展開を見せます。…生きること、愛することと芸術の創造とが分かちがたく結びついた、巨匠ピカソの91年の生涯を、約170点の作品によってたどる大回顧展です。」(案内書による)との趣旨で開催された。

ピカソの展覧会を見るのは初めてで、期待して行ったのだが、それほど感動を受けなかった。「ピカソは性欲の強い人なのだなあ」というのが率直な感想である。自分の愛人をモデルにした絵が多かったが、なぜか乳房が強調して描かれていたからである。フロイトは、「芸術活動の背後にある動力は満たされなかったリビドー(性的衝動の素になるエネルギー)であり、それが逃避的な空想となって現れたもの」と考えていたというが、ピカソの関してはこの説は当たっていると思った。見ていて心やすらぐという作品もなかったように思う。何故ピカソがこのように持て囃されるのか分からない。

日本の横山大観・佐伯祐三・レオナルド藤田の方がよほど素晴らしいと思った。私の審美眼がおかしいのであろうか。ただし、「膝を抱えるジャクリーヌ」という絵は憂いが込められていて良かった。岡本太郎氏はピカソの影響を受けたのだろうが、岡本氏の作品には明るさがあるし、生命の躍動がある。ピカソにはあまり明るさは感じられなかった。たしか岡潔氏だったと思うが、「ピカソの絵は無明を描いている」と言っておられたがその通りだと思う。

帰途、知人と懇談。

帰宅後は、原稿執筆など。

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