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2008年10月31日 (金)

千駄木庵日乗十月三十日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、ある篤志家の方が、私の母がお護りしている観音堂の整備のための下見をして下さるとのことで一緒に観音堂に赴く。お堂の照明の整備や境内に茂った柿の木の剪定などをして下さるとのことで、大変有難いことである。

この観音堂は、如意輪観世音菩薩の石像安置されている。この観音像は大正時代、私の祖父が大給坂という坂の下に家を建てた時に、敷地内の地下から出て来たと伝えられる。

その大給坂の上には、坂の名前の由来にもなっている大給松平家(戦国時代に三河国賀茂郡大給を本拠とした豪族、松平宗家の4代目の親忠の次男の乗元を祖とする。後に徳川家康に仕え、明和元年(1764)、三河西尾に移封された。徳川氏の一族で六万石の譜代大名で幕府の要職を歴任した。明治以後は子爵だった)という殿様の屋敷があった。そのお殿様に土地を提供していただいてお堂を建てて今までお護りして来たのである。観音信仰は、わが国の深く根付いている。私も色々なお寺に参拝したり、美術展を参観するが、わが国の仏像は、観世音菩薩像が一番多いと思う。

帰宅後は、諸雑務・資料の整理など。

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2008年10月30日 (木)

千駄木庵日乗十月二十九日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅して資料の整理。

          ○

生長の家総裁の谷口清超先生が28日午後10時21分、老衰のため東京都内の自宅で逝去された。89歳であった。

中学校二年生の時、谷口雅春先生の「生命の実相」を読んで感激してから、生長の家の信徒となり、大学卒業まで熱心に活動した私は、清超先生の講演・講義をたびたび聞く機会があった。機関誌に発表された文章や著書も読んだ。また私個人の事でご心配頂いたり指導もして頂いた。叱られたこともあった。清超先生の著書では『基督 イエスの神秘的生涯とその解説』に最も感銘した。心よりご冥福をお祈りします。

清超先生は、婿養子であり、二代目を継承する人として、谷口雅春先生のご存命中は、副総裁の立場で、信徒を指導されていた。私は身近に接したわけではないが、ご性格としては地味な方であったと思う。談論風発、意気盛んという方ではなかった。また雅春先生が御健在の頃は、独自色を出すこともできなかった。色々ご苦労も多かったことと拝察する。

昭和天皇さまが、御不例の時、清超先生と恵美子夫人(雅春先生の息女)が、皇居二重橋前でご快癒を祈る姿をテレビニュースで見た記憶がある。

今の生長の家は、清超先生の長男の雅宣氏が副総裁として実質的に教団を率いているのだが、谷口雅春先生の國體論、愛国思想を説いた書籍を絶版にしたりして、批判を浴びている。

また雅宣氏以外の雅春先生のお孫さんたちは、すべて生長の家の組織から排除されている。清超先生の教育が悪かったからだと言う人もいる。

谷口雅春先生は、事実上、「生き神」であり、その家族は神聖家族として信徒から崇められていた。ところが、その神聖家族が、生長の家の根本的経典である『大調和の神示』の「天地一切のものと和解せよ」「汝の兄弟と和せよ」という教えを実行できないでのある。これは困ったことである。

宗教教団には内紛はつきものであるが、生長の家だけは、雅春先生ご存命中は内紛はなかった。しかし、この十年間、雅宣副総裁に対する批判が高まっている。前述した如く、雅宣氏の意に反する人々は、たとえ兄弟であろうと、功労者であろうと、教団から追放されるか自ら出て行っている。もう十年以上前から、実質的な教団運営に関わることが出来なくなっていたと言われる清超先生はこういうことをどう考えておられたのであろうか。

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2008年10月29日 (水)

千駄木庵日乗十月二十八日

午前は父に付き添って病院に赴く。定期的な診察と治療。

午後は、上野公園の東京国立博物館平成館で開催中の『尾形光琳生誕三五○周年記念・大琳派展』参観。

「光琳は、斬新な装飾芸術を完成させ、『琳派』という絵画・工芸の一派を大成させました。琳派は、代々受け継がれる世襲の画派ではなく、光琳が本阿弥光悦、俵屋宗達に私淑し、その光琳を、酒井抱一らが慕うという特殊な形で継承されてきました。本展は、その琳派を代表する本阿弥光悦・俵屋宗達・尾形光琳・尾形乾山・酒井抱一・鈴木其一の6人の優品により、琳派芸術を展望しようとするものです。同じテーマの作品を比較しながら見ることで、琳派の系譜を具体的にたどると同時に、各作家の独自性も明らかにしようという企画です。絵画、書跡、工芸など、各分野の名品により、琳派の豊かな芸術世界をお楽しみください。」(案内書)との趣旨で開かれた。

本阿弥光悦 の「黒楽茶碗」、俵屋宗達の「白象図杉戸」、尾形光琳の「燕子花図屏風」「扇面貼交手筥」、尾形乾山の「染付金銀彩松波文蓋物」、酒井抱一の「夏秋草図屏風」、鈴木其一の「群鶴図屏風」などを見る。俵屋宗達・尾形光琳・酒井抱一が描いた三つの「風神雷神図」が並んで展示されていた。慶長年間から安政年間までに渡って創作された作品である。

琳派」というのは、古典大和絵の近世化、装飾画とか言われているが、日本独自の芸術性がもっともよく表現されていると評価されている。確かに、迫力のある作品が多かった。久しぶりに見ごたえのある展覧会であった。

「琳派」は、自由闊達な作風である。背景に金銀箔を用いたりしているので行ってみれば贅沢なものであるが、嫌みは全く感じられなかった。日本美術の見事さがよく表れている。けばけばしさ、ゴテゴテしたところがなく、素直に美しい、見事だと、感じられた。

「琳派」の藝術は、徳川三百年の泰平が生んだともいえる。徳川家康は「狸おやじ」とか言われて評判はあまり良くない。確かに徳川氏が天下をとるためには汚い手を使ったであろう。残虐なこともした。しかし、戦乱の世を泰平に導き、それが三百年近く続いたことも事実である。そして、宗教・美術が栄えた。京都などの寺院には、家康・秀忠・家光時代の再建・修復が多い。織田・豊臣という先駆者がいた上の事ではあるが、徳川氏の功績は大であったとしなければなるまい。

帰途、知人と懇談。

帰宅後は、『大吼』用の萬葉集講義の原稿執筆・完成・送付。

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2008年10月28日 (火)

千駄木庵日乗十月二十七日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅して原稿執筆。

            ○

これまで「正義」を主張し、「世紀末的危機」「終末」を煽り、そして「救済・革命」を説いてきた宗教運動や政治運動は、かえって闘争と殺戮を生んできた側面がある。

政治面では、スターリンも毛沢東も金日成もポルポトも自分の主義主張が正義と信じ込み、國民全体にこれを強制し、自由を奪い、そして何百万何千万という人々を大量虐殺した。宗教面では、イスラム教・ユダヤ教・キリスト教の対立は、テロや戦争を生んでいる。

 オスカー・ワイルド(イギリスの劇作家・小説家)に、「もっとも害を与える人は、もっとも善いことをしようと努めている人だ」という言葉がある。「自分の行っていることが正義だ」と信じ込み実行する勢力や個人が、殺戮を行い、世の中を暗黒にし、独裁政治を生み、國民から自由と繁栄を奪うという意味であろう。

自由で幸福な世の中とは、ある特定の人が唱える「正義」を絶対のものとして民衆に押しつける世の中ではない。独裁者は必ず「正義」を旗印として独裁政権を手に入れる。レーニン、スターリン、ヒトラー、毛沢東、金日成などは皆そうだった。

 真に正義を尊重し正義の実現を目指す人は、そしてそれが権力を持つ人であればなおさら、自由で柔軟で大らかな精神を持っていなければならない。正義や人間の幸福は法律や権力のみによって実現されるものではない。法律や権力のみによって実現された正義の世の中とはロボットが動く世の中と同じである。

「正義」の呪文を唱えながら、自由を否定する狂気は暗黒と専制の世の中をもたらす。それが一七八九年革命直後のロベスピエール独裁下のフランスであり、革命後の旧ソ連であり、共産支那であり、北朝鮮である。独善的な宗教教義や政治思想の教条に支配されることなく、自然に國民を正しき道を歩ましめることが必要である。

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2008年10月27日 (月)

千駄木庵日乗十月二十六日

午前は、父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは、在宅して萬葉集講義の連載原稿執筆。テープ起こしは、書くよりも大変です。

          ○

蜷川正大氏のブログ『白雲去来』に次のようなことが書かれている。

「日本のマスコミや記者の中には本当に、ゴミ、クズみたいな連中がいる。たとえば、麻生総理のホテルのバーでの問題。『庶民感覚にもとる』という事を質問した記者がいて、アホなマスコミがこれを取り上げている。嫉妬深いか、あるいは妬み根性が身についてしまっているのか知らないが、まったく下種な奴がいるものだ。

何も麻生総理を庇う訳ではないが、一国の首相、まして世界に冠たる経済大国の首相が、ホテルのバーで飲み食いして何が悪いのか。金をもっている者が金を使わなかったら、日本の経済はどうなる。金持ちが、金を使わないのは、貧乏人以下でしかない。一体、庶民感覚って何だ。単に質問したその記者のやっかみの感覚ではないのか。


 もし麻生さんが、毎日、立ち飲み屋や、居酒屋を打ち合わせに使っていたとしたら、今度は、『吝嗇総理』と呼ぶに違いあるまい。ホテルのバーは、使い方によっては、本当に安くて安全である。一度、ボトルを入れておけば、ほとんどお金がかからないこともある。…一国の総理となる人は、高級なホテルやバー、あるいはレストランなどで物怖じせず、また、そういった場所の雰囲気が似合うようでなければ国際社会からバカにされるということを、まさかマスコミは知らぬ訳もあるまい。


 大勢のSPや取り巻きの記者を連れて、居酒屋や喫茶店などに行ったら、それも迷惑な話ではないか。取り巻きの記者が、何もオーダーせずに、ロビーやバーの中で待っていられるのもホテルだからこそだ。」

私も今日はこのことを書こうと思っていたが、全く同感である。戦後日本は、「平和と民主主義」「人権尊重」「生命尊重」「個の尊重」を最高の価値とし押し頂いた。「平和と民主主義」は、弱者の思想である。國のために戦うという強者の思想を否定し、武力は放棄する、軍隊は持たない、國家の独立・平和・歴史・伝統が侵略者から蹂躙されても、「戦争は無い方が良い、人命尊重だ」と言って、戦うことを忌避する弱者の思想である。弱者であるから徒党を組む。即ち集團で運動をせざるを得ない。「赤信号みんなで渡れば怖くない」式の生き方しかできないのである。

弱者は弱者なるがゆえに、常に「不安、嫌惡、憎惡、嫉妬」の対象を常に見つけ出し、あるいは作り出さずにはおれない。これが「いじめ」である。「いじめ」とは、小學生・中學生の専売特許ではない。また、自分よりも良い生活をしているのではないかと思われるに嫉妬しを引きずり降ろそうとする。

「戦後民主主義・平和主義」の「守り手」・「弱者の味方」を以て任ずるマスコミは、「知る権利」「知らせる義務」とやらを振り回し、カメラやマイクを持って「不安、嫌惡、憎惡、嫉妬」の対象となっている特定の人物を追いかけ回し、責め苛む。これまで、こういうやり方でどれだけ多くの人々が血祭りにあげられ、「魔女狩り」の対象になってきたであろうか。小學生・中學生のいじめは、大人のこうしたやり方を真似しているに過ぎないのである。

三島由紀夫氏は言う。「われわれは戰後の革命思想が、すべて弱者の集團原理によって動いてきたことを洞察した。…不安、嫌惡、嫉妬を撒きちらし、これを恫喝の道具に使ひ、これら弱者の最低の情念を共通項として、一定の政治目的へ振り向けた集團運動である。」と(『反革命宣言』)。

 革命思想のみならず、戦後日本全体を覆ってきた精神が、「不安、嫌惡、憎惡、嫉妬」である。自分よりも富める者・幸福に見える者を憎み、嫉妬し、これを引きずり下ろそうという精神が國民に横溢している。それを煽り続けているのがマスコミである。

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2008年10月26日 (日)

千駄木庵日乗十月二十五日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後一時より、谷中の上聖寺にて、「憂国烈士之碑追善供養の儀」執行。山口申代表発起人などによる挨拶の後、読経・焼香が行われた。そして境内にある「憂国烈士之碑」参拝を行い、終了。多くの同志が参列し、物故同志を偲んだ。導師の僧侶が物故者の芳名を読みあげたが、色々ご指導をいただいた先輩、共に活動した同志の多くがこの世を去られたことを実感した。さみしい限りである。心よりご冥福をお祈りする。

この後、六本木にある新国立美術館にて開催中の「巨匠ピカソ 愛と創造の軌跡」展参観。

この展覧会は、「生涯を通じて変貌を重ね続けたピカソの全体像に迫ります。…さまざまな素材と表現の可能性の追求。激動の時代であった20世紀を生きた芸術家らしく、戦争や平和をめぐって、人間性や芸術の意味を求めて、ピカソの芸術は多様な展開を見せます。…生きること、愛することと芸術の創造とが分かちがたく結びついた、巨匠ピカソの91年の生涯を、約170点の作品によってたどる大回顧展です。」(案内書による)との趣旨で開催された。

ピカソの展覧会を見るのは初めてで、期待して行ったのだが、それほど感動を受けなかった。「ピカソは性欲の強い人なのだなあ」というのが率直な感想である。自分の愛人をモデルにした絵が多かったが、なぜか乳房が強調して描かれていたからである。フロイトは、「芸術活動の背後にある動力は満たされなかったリビドー(性的衝動の素になるエネルギー)であり、それが逃避的な空想となって現れたもの」と考えていたというが、ピカソの関してはこの説は当たっていると思った。見ていて心やすらぐという作品もなかったように思う。何故ピカソがこのように持て囃されるのか分からない。

日本の横山大観・佐伯祐三・レオナルド藤田の方がよほど素晴らしいと思った。私の審美眼がおかしいのであろうか。ただし、「膝を抱えるジャクリーヌ」という絵は憂いが込められていて良かった。岡本太郎氏はピカソの影響を受けたのだろうが、岡本氏の作品には明るさがあるし、生命の躍動がある。ピカソにはあまり明るさは感じられなかった。たしか岡潔氏だったと思うが、「ピカソの絵は無明を描いている」と言っておられたがその通りだと思う。

帰途、知人と懇談。

帰宅後は、原稿執筆など。

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2008年10月25日 (土)

千駄木庵日乗十月二十四日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは『大吼』誌の原稿執筆・完成・送付。日台関係・台湾独立論そして蒋介石について書きました。

その後、諸雑務・書状執筆。

       ○

二松學舎大学の同期である深沢賢治氏から彼の著書『陽明學のすすめ』を贈って頂いた。安岡正篤の人間像を描いた本でなかなか勉強になる。

安岡氏の御子息であられる安岡正泰氏が『序文』を書いておられ、父君の安岡篤氏が終戦直前の昭和二十年八月十日、金鶏学院の職員学生に示された「終戦に際する告示」の全文が紹介されていた。その中で安岡正篤氏は、「事未ダ決シタルニハ非ズ、敵モシ皇室ヲ冒瀆スルノ回答ヲ発センカ終(つい)ニ七千万ノ同胞ヲ擧(こぞ)ッテ皇国ニ殉ズル外ナカルベシ」「敗戦ハ主トシテ何ニ依ルカ…是実ニ内ニ於テハ道義ノ頽廃、外ニ在ッテハ科学力及政治力ノ未熟ノ結果ナリ」と書いている。

「ポツダム宣言」を受諾することとはなったが、敵が皇室を冒瀆する回答を寄越したら、国民すべてが敵と戦い、國に殉ずるほかはないというも熾烈なる尊皇愛国の精神を説いている。

さらに、敗戦の原因は「道義の頽廃にあり」と論じている。大東亜の共栄・アジア解放という理想には全く誤りはなかった。しかし、肝腎の日本および日本国民の正しい道義精神が希薄になっていたことが、日本の敗戦の原因の一つであったことは否めない。それは、近代日本史の大きな問題点でもあり矛盾でもあった。日本傳統精神が西洋覇道精神によって隠蔽されたのである。近代化・欧化路線の矛盾が正しく解決されなかったところに大きな問題があったと考える。ただし、それが自虐的になり、日本のしたことはすべて悪かったと考えるようになることは絶対に避けなければならない。

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2008年10月24日 (金)

千駄木庵日乗九月二十三日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後一時半より、豊島区立千早社会教育会館にて、「萬葉會」開催。小生が萬葉集東歌を講義。

午後四時より、永田町の衆議院第二議員会館にて、「日本再生同志の會幹事会」開催。小田村四郎会長が挨拶。西村眞悟衆院議員がスピーチ。全員で当面する諸課題について討議。西村眞悟氏は、元気いっぱいで活動をしているようです。地元での毎日の街頭演説で日焼けしておられました。何としても議席を死守してもらいたいと念じております。

終了後、同志議員事務所訪問。

帰途、知人と懇談。

帰宅後は、「政界往来」の連載原稿執筆。小沢一郎・菅直人批判原稿です。

       ○

議員会館が工事中です。新しい議員会館に、いま議員をしている人のうち、何人が入ることができるでしょうか。衆議院議員は本当に大変だと思います。「政界は一寸先は闇」と言われております。何時選挙になるは分からない。そうした中で、政治家として国のため国民のために活動をしなければならない。地元活動をしながら、政策の勉強もしなければならない。政治資金の心配もしなければならない。もちろん権力闘争もある。余程の覚悟と精神力・体力がなければならないと思います。今度の選挙は自民党に逆風が吹き、民主党が政権を取ると言われております。果たしてそうなるかどうかは、それそこ一寸先は闇ですから分りません。

自民党は、全くどうしようもなくダメなところがあり、私も批判と攻撃することが多いのは事実です。しかし、小沢一郎、菅直人が主導する民主党が政権をとるよりは、自民党の方が良いと思います。民主党にも、愛国者はおります。正しい主張を持っている人もいます。しかし、残念ながら民主党の主導権を握っているのは、小沢であり菅です。この二人は、国家観・歴史観が全く駄目です。それは私がブログやホームページや色々な新聞雑誌に書いている通りです。ここしばらくは、小沢一郎批判を強めねばならないと思っています。

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2008年10月23日 (木)

千駄木庵日乗十月二十二日

午前は、父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。父の介護についてケアマネージャーの方と打ち合わせ。

午後は、原稿執筆。

午後六時半り、文京シビックセンターにて、「國體政治研究會」開催。小生が司会。斎藤吉久氏が「宮中祭祀の正常化を」と題して講演、次の様に語った。

「『入江相政日記』には、天皇の祭祀の神々しさについて何も書いていない。ここが核心。『後鳥羽院宸記』には『民の為にひたすらに祈る』ということが記されている。後鳥羽上皇の皇子・順徳天皇の『禁秘御抄』には『凡そ禁中の作法神事を先にし、他事を後にす。旦暮(あさゆう)敬神の叡慮懈怠無し。』と記されている。『承久の變』の直前の朝廷存亡の危機に於いて祭祀の事を宣明されていることが重要。徳川幕府初期三代将軍と熾烈なる戦いをされた後水尾天皇は『禁秘御抄』を引用されて祭祀の大切さを書き残された。『現行憲法』の『天皇の国事行為』に祭祀は書かれていない。

宮内庁のホームページに『天皇皇后両陛下は、宮中の祭祀を大切に受け継がれ、常に国民の幸せを祈っておられ、常に二十件近くの祭儀が行われています』と書かれているが、不正確。宮中祭祀を行われるのは、皇位にあられる天皇のみであり、皇后は祭祀をされない。

天皇の第一のお務めは祭祀であるのに、何故、『御負担の軽減』の最初に祭祀を標的にするのか。祭祀の簡素化は、破壊工作。天皇の祭祀の本質を宮内庁が破壊している。

西尾幹二の東宮批判には『神々』がいない。天皇・皇室の本質的部分を理解していない。皇位の原点は、『三大神勅』であり、神である。天皇は歴史的存在であり、個人崇拝ではない。西尾氏が『君徳は皇位の要件ではない』と言いながら『皇太子妃殿下に徳が無いから下船しなさい』と批判するのは誤り。

天皇は、祭祀王。祭りの靈的力によって国を治める方が、天皇。宮廷の祭儀も神社の祭儀も、結局は食の儀礼。食べ物を神に捧げ、直会でそれをみんなで頂く。これは命の共有。天皇の祭祀は、神と命を共有し、民と命を共有する。弥生時代は二千六百年前と言われている。神武天皇の御東征は、稲作の東進であった。

日本の多神教文明の核心たる宮中祭祀が戦後破壊されて来た。最大の理由は『政教分離』の厳格主義。入江相政は俗物。彼の『日記』に祭祀のことが書かれていない。昭和四九年富田朝彦が宮内庁次長になってから、宮中祭祀の簡略化が始まった。富田は『自分は無神論者だ』と言っていた。昭和五十年に行政全体に『政教分離』が蔓延した。『神道指令』は失効しているのに、亡霊がさまよっている。

宮中祭祀は文明の問題。多様なる国民を多様なるままに統合するのが祭祀。陛下のお体が心配なら、御代拝にすれば良い。何故、祭祀そのものにメスを入れ、簡略化するのか。」などと語った。

内容の濃い講演であった。もっと色々なことが語られたのですが、あまりに長くなりますので、『政治文化情報』誌で報告します。

終了後懇親会。

帰宅後は、原稿執筆。

            ○

やはり諸悪の因は、「現行占領憲法」にあるのである。また、入江相政氏は何故「宮中祭祀」を軽視し略化を推し進めたのか、その理由が問題である。富田朝彦氏が、宮中祭祀簡略化を推進したというのは今日初めて知った。

齋藤氏は「昭和五十年に行政全体に『政教分離』が蔓延した。」と言われた。そういえば、皇宮警察・警視庁・東京消防庁の殉職者慰霊鎮魂のために北の丸公園に鎮座していた弥生神社の「神道祭式」が廃されたのもこの頃であろう。官僚の敬神意識の希薄化が日本國體を隠蔽し、日本の文明を破壊するのである。「君側の奸の排除」という言葉を想起する。

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2008年10月22日 (水)

千駄木庵日乗十月二十一日

未明、父の容態に変化があり、看護。小康を取り戻す。

午前は、父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、原稿執筆。

午後六時より、虎ノ門パストラルホテルにて、「渡部篤君の元気・復活を応援する会」開催。橋本岳衆院議員が司会。津島雄二・笹川尭・鳩山邦夫・伊吹文明・大島理森・小渕優子・加藤紘一・岩城光英・額賀福志郎の各氏などが祝辞を述べた。この後、渡部篤衆院議員が挨拶を行った。

会場で、杉山清一氏ら同志数人と懇談。

帰宅後は、原稿執筆。

           ○

渡部篤氏とは、彼が福島県海津若松市議会議員当時、杉山清一氏の紹介で初めてお会いした。今から三十年近く前のことである。以来同志として交わりを結んでいる。彼は、学生時代、日學同の運動に参加していた。福島県議を経て、この前の総選挙で衆院議員に当選した。ところが、昨年の十一月五日、新幹線で国会に戻る時、郡山駅で脳卒中で倒れた。以来、厳しいリハビリ生活を送っていたが、このほど政治活動に復帰した。渡部氏の闘病記「ひとすじの光」の出版の製作のお手伝いをさせていただいた。

祝辞の中で、鳩山邦夫氏が「今私が支えている麻生総理の祖父の吉田茂氏と私の祖父鳩山一郎は仇敵の間柄であった。祖父は、脳梗塞で倒れてから、総理になり政治家として本当の活動を行った。渡部さんも頑張ってもらいたい」と語ったのが印象に残った。

鳩山一郎氏は、谷口雅春師の『生命の実相』の愛読者であった。谷口先生の著書によると、谷口先生が鳩山氏に、「『天地一切のものと和解せよ』という生長の家の教えを実行して、吉田茂氏を憎む気持ちを捨てて、吉田氏を拝みなさい」と諭した結果、病状が軽くなり、総理の重責を担えるようになったという。また、鳩山氏の「友愛精神」も、生長の家の「天地一切のものと和解せよ」という教えの政治的応用であるという。

渡部篤氏も、病床に於いて、生長の家の本を読み、「實相円満完全」を唱え続けたという。渡部氏の今後一層のご活躍を祈る。

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2008年10月21日 (火)

千駄木庵日乗十月二十日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

お昼は、知人と懇談。

午後からは在宅して、原稿執筆、資料の整理など。

夜、論語の勉強会があったのですが都合により欠席。

帰宅後は原稿執筆など。

           ○

台湾問題について書いている。本来なら、台湾は大東亜戦争終結時において独立を獲得すべきだったのである。しかしそうはならなかったところに最大の悲劇がある。一九四三年十二月一日、ルーズヴェルト米大統領、チャーチル英首相、蒋介石中華民国総統による『カイロ宣言』に、「満洲、台湾及び澎湖島のような日本が清国人から盗取した全ての地域を中華民国に返還する」と書かれたことにより、戦争終結後、蒋介石軍が台湾に入って来て、台湾を「中国領」にしてしまった。しかし、この『カイロ宣言』は戦勝国同士がその分け前を談合した勝手な取り決めに過ぎず、国際法上何の効力もないのである。第一、台湾は日本が清国から盗取したものではない。日清戦争の結果、条約に基づいて割譲を受けたのである。つまり、国際法上も、台湾は中華民国や中華人民共和国の領土ではないのである。

しかも、台湾に進駐して来た国民党軍は劣悪であった。中国人権力者特有の強権政治・賄賂政治が行われ、汚職が横行した。一九四七年二月二十八日に起こった密輸タバコ取締りに端を発した反国民党暴動・「二・二八事件」は、台湾人の「反中国感情」「反国民党感情」の爆発であり台湾人ナショナリズムの興起であった。国民党軍による殺戮の犠牲者は、国民党政権側の発表によっても、その数・二万八千人となっている。実際には、四万とも五万とも言われている。

「二・二八事件」とは、「大和魂」を持つかつての日本同胞台湾人と、日本の敵であった中国人との戦いであったのだ。台湾独立意識・台湾ナショナリズムの原点は、中国軍による台湾人虐殺事件たる二・二八事件である。

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2008年10月20日 (月)

千駄木庵日乗十月十九日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後、「政治文化情報」発送完了。購読者の皆様には明日か明後日にお届けできると思います。

その後、資料の整理。

           ○

武部勤という議員がいる。自民党幹事長を務めた人だ。武部氏は、この前の衆議院選挙で郵政民営化に反対した亀井静香氏を落選させるために、堀江貴文氏を、事実上の自民党候補として立候補させた。その時、武部氏は「堀江君はわが弟です。わが息子です」などと言った。

ところが、この堀江貴文氏はその後、証券取引法違反容疑で逮捕され、今年七月二五日、東京高裁で一審の懲役二年六か月の実刑判決を支持された。

それだけではない。堀江氏は、「象徴なだけ」「面倒くさい問題」「すごく違和感を感じる」「大統領制にした方がいい」などと、天皇を君主と仰ぐ日本国體を否定する発言を行った。

また堀江氏は、「人の心はお金で買える」「金を持っているやつが偉い」「女はお金についてくる」などと発言し、典型的にして最も悪質なる「金銭至上主義者」「営利至上主義者」であることを自ら証明した。

このような国賊的人物を事実上の自民党候補として衆院選に立候補させた武部勤氏の責任は極めて重大である。しかし今日に至るまでその責任をとっていない。政治家として最低の人間が武部氏である。

その武部氏が「偉大なるイエスマン」として仕えた小泉純一郎氏は、何と自分の息子を次の選挙の後継者に指名した。小泉氏自身が三代目であり、息子が当選すると四代目になる。一体小泉氏の言っていた「改革」とは何なのか。森喜朗元首相は、奥野誠亮氏がご自分の息子を後継者に指名したことを批判した。しかるに、小泉氏のことは一切批判しない。森氏は余程奥野氏に恨みがあるのであろうか。ともかく今の政治家にはおかしなのが多い。

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2008年10月19日 (日)

千駄木庵日乗十月十八日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後三時より、新宿霞ヶ丘町の日本青年館にて、「青年思想研究会 物故者を偲ぶ会」開催。国民儀礼の後、市村清彦議長が挨拶。山口申・阿形充規・藤元正義・箱崎省三・犬塚哲爾・蜷川正大の各氏及び小生が挨拶。近藤勢一議長代行が謝辞を述べた。

帰途、同志と懇談。

帰宅後は、諸雑務。

           ○

青年思想研究会は、民族運動の連合体としてこれまで半世紀以上の歴史を有している。現在共に活動をしている親しい同志も多いし、かつてお世話になった物故同志・先輩方も多い。

今日の会合で、森田忠明氏著「教育勅語 いま甦る」上下巻(財団法人・日本精神修養會刊行・山梨県甲斐市宇津谷445 電話0551281292)が出席者に配布された。森田忠明氏は私の親友であり同志である。今日初めて手にしたのだが、この本は本当に素晴らしい本である。単なる字句の解釈ではなく、「教育勅語」に示された教えをもととして、日本國體・国史・日本の傳統的道義精神が語られている。

森田氏は長年にわたって民族運動に挺身され、かつ、歌道に精進され、さらに人材育成に力を尽くしてこられた人である。この本に書かれていることは、単なる理論・評論・学説ではない。彼の体験に基づく貴重なる国民精神論である。明治天皇の大御心、日本人が知らねばならないこと、学ばねばないないことが正しく書かれている。多くの青少年に読まれるべき本である。

小生は不明にも、森田忠明氏が今年の三月に、このような本を出されたことを全く知らなかった。彼は自分のことを宣伝しないからであろう。森田氏はそういう人柄なのである。今は山梨で人材育成の道場を開いておられる。

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2008年10月18日 (土)

千駄木庵日乗十月十七日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅して、諸雑務及び「政治文化情報」発送準備など。

          ○

衆院テロ防止特別委員会のテレビ中継を垣間見た。民主党の長島昭久議員が、アフリカのソマリア周辺海域で海賊被害が頻発している問題で、「自衛隊の艦艇派遣は海賊対策に効果がある」と主張したのを受け、麻生総理は、海上自衛隊の艦艇を派遣するための法整備を前向きに検討する考えを表明した。

これに対し、公明党の太田代表は記者団に、「日本のシーレーン(海上交通路)を確保するのはいいが、本当に法整備できるのか勉強が必要だ」と慎重な姿勢を示したと報道された。

私は、民主党の政治家の中で、長島昭久議員は自民党の「左派」や公明党よりもまともな考え方を持っている人だと思っている。こういう人が民主党の中にいることは大変心強い。

今日の質問でも政府自民党側が長島氏に「民主党内の合意を得られるのか」と問いかけたのに対して長島氏は「わが民主党は『国連決議』さえあれば大体大丈夫」と言って笑いを誘っていた。長島氏は小沢一郎代表の「国連中心主義」に批判を持っているのであろう。

「第二次世界大戦で敗北した日本とドイツは侵略国家であり、悪魔の国である。勝利した米英支ソは平和国家であり正義の国である」という考え方が「国連憲章」そして「国際連合」の根底にある。

アメリカ・イギリスは本当に自由民主国家であり、先進国であり、平和国家なのだろうか。イギリスもアメリカも、建国以来、他国・他民族を侵略し支配し続けてきた国である。そして逆らう国に対しては、容赦なく武力攻撃を加えて来た国である。共産支那とロシアも、他国を侵略支配し、専制政治・恐怖政治によって自国民を虐げて来た国である。

このような国々が「常任理事国」として牛耳っている国連にわが国の平和と安全と独立と国益を任せるなどという小沢一郎氏の主張は全く間違っているし、国家の現在および将来を危うくする考え方でり、全くナンセンスである。

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2008年10月17日 (金)

千駄木庵日乗十月十六日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、「政治文化情報」の発送準備。

午後六時半より、駒込地域文化創造館にて、「萬葉古代史研究會」開催。小生が萬葉集巻十六を講義。

帰宅後も発送の準備。

            ○

紀貫之が執筆した『古今和歌集』の「仮名序」は、和歌とはいかなるものであるかが説かれた基本的な文献である。それには「力も入れずして天地(あめつち)を動かし、目に見えぬ鬼神(おにがみ)をもあはれと思はせ、男女(をとこをんな)の中をも和(やは)らげ、猛(たけ)き武士(もののふ)の心をも慰むるは歌なり。」(力を入れないで天地を動かし、目に見えない鬼神をも感動させ、男女の間をも和ませ、猛々しい武士の心をも慰めるのが歌である)と書かれている。

「天地(あめつち)を動かし、目に見えぬ鬼神(おにがみ)をもあはれと思はせ」というのは決して誇張ではなく、古代・中古においては本当にそう信じられていたのである。

つまり歌を詠むのは、魂鎮め・鎮魂の行事である。和歌は、ふつふつと湧きあがってくる素直なる心・色々な思い・魂の叫び定型に固め成して鎮める働きをする。人間のまごころを表白する定型の抒情詩である。日本民族の人智のさかしらを超えたまごころの調べである。

『記紀』『萬葉』以来今日まで千数百年にわたって、和歌が日本人の生活の中に生きてきて断絶がなかったという事実は非常に重要である。

それだけ、和歌には魅力があり、日本人の心を表現する形式として非常に適していたのである。和歌は原点を常に顧みながら新しい創造を行なってきた。即ち伝統と創造が一体になってゐる。ここに和歌文学の特質がある。

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2008年10月16日 (木)

千駄木庵日乗十月十五日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後一時半より、三田にて開催されたある会合にてスピーチ。

その後、同席していた同志と共に、その同志の母校訪問、見学。福沢諭吉氏の胸像を仰ぐ。構内に貼られていたポスターに、「早慶戦」ではなく「慶早戦」と書かれていたのが面白かった。大学内の雰囲気は何処も似ている。

帰宅後は、明日の萬葉集講義の準備など。

         ○

参院予算委員会で、民主党の石井一副代表が公明党と支持母体の創価学会の関係を取り上げ、「宗教と政治が一体となっている」などと追及した。石井氏の趣旨は賛成だ。しかし意図が問題である。小沢一郎氏が旧田中派の権力抗争に敗れ、石井一氏をはじめとした旧田中派小沢系の人々と共に自民党を脱党した後、細川連立政権を作った。その時、小沢氏らは、創価学会・公明党を政権内部に引き入れた。またその後の新進党結党にも創価学会・公明党を参加させた。当時は、小沢氏らと創価学会・公明党は蜜月関係にあったのである。

その頃の創価学会・公明党は、もちろん今と同じように政教一致・池田独裁・排他独善・怨念体質であった。創価学会・公明党が小沢氏らと袂を分かち、自民党と結託した後、にわかにその体質を非難攻撃し出したのである。どうもその動機が不純である。また、かつて小沢氏・石井氏らが、創価学会と手を結んだことに対する自己批判を行っていない。彼等の創価学会・公明党そしてそれと結託している自民党を非難攻撃する資格があるとは到底思えない。事情が変わればまたまた創価学会・公明党と手を結ぶ可能性すらある。

多数のマルチ商法業者から多額の講演料と献金を受け取っていたことが明らかになった民主党の前田雄吉衆院議員が民主党を離脱し次期総選挙に立候補しないと申し出た。前田氏は、小沢氏を支持する党内の政策グループ「一新会」の事務局長も務める小沢直系議員である。

また、テレビニュースでは、小沢氏の側近で民主党国対委員長の山岡賢次氏、そして創価学会批判の急先鋒・石井一氏なども、マルチ商法の企業・団体の会合で講演したり、献金を受けていたと報道された。山岡氏は、その講演で「山岡荘八のせがれ」を売り物にしていたが、正しくは娘婿である。私は、かなり前からこの山岡という政治家は胡散臭い人物だと思っていた。そもそも人相が悪い。

側近議員たちのマルチ商法業者とのつながりを小沢一郎氏が知らなかったはずないと思う。小沢一郎氏の率いる民主党が政権政党になるのはやはり良くないと思う。

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2008年10月15日 (水)

千駄木庵日乗月十四日

午前は父に付き添って病院に赴く。定期的な診察と治療。

午後は水曜日に行われる「萬葉古代史研究会」における講義の準備。

午後六時より、『九段下沙龍』開催。今行われている全国的規模の運動、当面する諸課題などについて同志たちと討議。

帰宅後も「萬葉集」講義の準備。自らを誇るわけでは決してありません。しかし、次のことは書かせていただきたく存じます。政治運動・愛国運動の基礎に、古典を学ぶ姿勢があるべきだと思います。「記紀萬葉」に示された日本の心を基礎にした政治運動でなければ真の変革はできません。             

                 ○

今日は、実に困った問題が起こりました。具体的にことを書くことはまだできませんが、ある民族運動家が、尊皇愛国という基本的な立場を自ら否定するような行動をとったという情報がもたらされたのです。その民族運動家は小生が高校生時代からお世話になった人であります。安保反対か安保は現状ではやむを得ないかという意見の相違ならいいのですが、皇室の尊厳性を侵し奉る勢力に妥協したり支持したりする行動を、民族運動・右翼運動家とされる人物がとるということはまことにもって困ったことであります。

ある自民党衆院議員のホームページを見ましたら、その人の出席した自民党の集会に国旗が掲揚されていませんでした。この間、民主党の代表選出の党大会に国旗が掲揚されていなかったことを批判しました。ところが自民党の同じなのです。まったく困ったことであります。また左翼のよくやるガンバローコールとやらを自民党の集会ももやったようです。「聖寿萬歳」「日本国萬歳」も唱和しないようです。自民党も民主党も國體観念・愛国心が希薄になっているのであります。

国会に議席を持つ政党の党名は、自由民主党・民主党・公明党・社民党・日本共産党・国民新党です。「日本」という素晴らしい国名を冠する政党は何と共産主義革命政党たる日本共産党のみなのであります。極端にして過激なナショナリズムは良くありません。しかし、「国を愛する心」は国家存立の基礎です。今日、国会に議席を持つ政党、政権を担当する政党、政権を担当しようとする政党に、国を愛する心が希薄になっているというのは実に由々しきことであります。アメリカの二大政党は、どちらも国旗・国歌を大切にしています。

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2008年10月14日 (火)

千駄木庵日乗十月十三日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅して資料の整理。

                  ○

靖国神社への昭和殉難者合祀に関わる議論で、「戦争犯罪人を合祀すべきでいない」という主張がある。しかし、「戦争犯罪」と「戦争責任」は全く違う。「戦争犯罪」とは、戦勝国による日本に対する復讐であり戦争行為の継続であった「東京国際軍事裁判」におけるわが国の指導者などに対する一方的にして不当不法なる決めつけでありでっち上げである。

「戦争責任」とは、大東亜戦争開戦および遂行そして敗北に関する国家指導者の道義的・政治的・軍事的責任である。。「戦争責任」は戦勝国から「裁かれる」べきものではなく、責任を問われる本人を含めて日本国民自身が正しくこれを究明すべきものである。

「戦争責任」は東條元総理をはじめとした当時の国家首脳は十分に感じていた。だからこそ、終戦時に自決した人もいたし、従容として死地に赴いた人もいる。東條元総理もその一人である。東條氏が深く戦争責任を自覚していたことは、辞世において

「たとへ身は千々にさくとも及ばじな栄えし御世をおとせし罪は」

と詠まれたことによっても明らかである。

「戦犯は合祀してはならない」という主張は、敵国の不当不法なる復讐を是認する議論である。「東京国際軍事裁判」は戦争行為の継続であり、そこで「絞首刑」の「判決」なるものを下され殺された方々は、まさに戦死者である。その方々にたとえ「戦争責任」があったとしても、靖国神社に祀られるのは当然である

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2008年10月13日 (月)

千駄木庵日乗十月十二日

未明、父の容態に変化があり看護。

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後一時半より、九段の靖国神社にて開催された「藝林會学術研究大会」に参加。藝林會の方々と共に、遊就館で開催中の「特別展・幕末維新」参観。坂明夫遊就館館長、大山信吾資料課長の御説明を受ける。水戸烈公・徳川斉昭所用の陣羽織、吉田松陰遺墨、函館戦争圖、錦の御旗などを拝観。歴史を偲ぶ。

午後三時より、靖国会館にて、市村真一京都大学名誉教授が「立憲君主制と民主共和国の比較論」と題して講演し、「第二次大戦後、アメリカのデモクラシーでなければ夜が明けないということになった。君主制を支持すると右翼反動といわれた。しかし、イギリスや日本のように立憲君主制国家が安定し発展してきた。君主制を廃して共和国になった国が安定したとは言えない。政情不安を反復し経済発展もままならなかった。

君主制の長所は、は国家を象徴的に具現し国民統合を容易にする、外交の連続性を保つ、政治調整力としての役割を果たす、歴史と文化的伝統に支えられて国民の情緒と忠誠心を保持しやすい、軍の団結と忠誠心を保持しやすい。勲章は、天皇から頂くから誇りになる。私は、田中内閣の時、桜を見る会に招かれたが行かなかった。君主制の弱点は、王統の連続と徳望という二条件を必要とする。

我が国は君主国としての伝統は二千年を下らない。外来文化・宗教を包容して独自の世界に文化・文明をを発展させた。日本の伝統文化の価値は世界にとって貴重である。二十一世紀の波乱を耐えうるのは立憲君主国。立憲君主制の政治や文化の優越が明らかになれは、君主制の復活の動きが起こるかもしれない。」と語った。

帰途、知人と懇談。

帰宅後は書状執筆など。

               ○

靖国神社に多くの若者たちが参拝に来ていました。うれしいことです。

君主制と自由民主体制は矛盾するというのは大いなる誤りであり事実に反します。また時代の進歩とともに君主制は消滅するというのも間違いです。立憲君主国日本はアジアなかで最も自由で民主的な国です。

「朝鮮民主主義人民共和国」とか「中華人民共和国」などと「民主」だとか「人民」を国の名にしている自称「共和国においてこそ専制政治がおこなわれ、人民は苦しめられているのが事実であります。君主制を打倒した旧ソ連は崩壊し、いまやロシア正教が事実上の国教となり、ロマノフ王朝の復権がおこなわれています。

日本の君主国家としての國體は永遠に護持しなければなりませんし、天皇を中心に継承されてきた日本伝統信仰・伝統文化が今後の世界において貴重な価値を持つことは自明であります。

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2008年10月12日 (日)

千駄木庵日乗九月十一日

朝、「政治文化情報」の原稿完成、送付。

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後三時より、大手町の経団連会館にて、「日韓文化協会セミナー」開催。倉田信靖会長が挨拶。

長谷川慶太郎氏が講演し、「中東のオイルマネーの持ち主の間では、金の現物を実際に取引し、何処かに埋めて財産の保全を図るということがおこなわれている。いま彼らが一番注目しているのは日本。その理由は、①日本はパニックに引っ掛かっていない唯一の金融市場。②日本の製品は安全。日本の技術を売ってもらいたい、合弁したい。③日本の政治体制・社会秩序は安定している。今週もドバイからかなりの数のミッションが日本に来ている。

特許の国際貿易で日本は黒字になった。アメリカも日本から買う特許の方が日本に売る特許よりも多くなった。毎年日本の特許の輸出超過が二千億円のペースで伸びている。アメリカでの特許出願案件の二五%・二万件を日本人が占めている。日本は研究開発への投資が多い。研究開発の成果が特許という形で表れている。ゆえに日本国の将来は極めて明るい。日本のエコノミストは悲観論しか書かない。

軍事技術開発の成果が民間に放出され実用化されている。カーナビがその典型。アイポットという形態の新種もイラク戦争でアメリカによって開発された。日本の防衛省の研究開発費は少ない。アメリカの十分の一。

米軍は世界一の戦闘効率を持っている。これからは何処の国もアメリカに対して戦争を仕掛けられない。これからは戦争はない。戦争が無いということが二十世紀と二十一世紀とを区分する最大のもの。戦争とはインフレを意味する。第二次大戦では八千万人が死んだ。労働力が不足し、物が不足し、インフレになった。戦争が無いとデフレ。二十一世紀はデフレが継続する。石油も小麦も一時値が上がったが、今は下がっている。今年はアメリカは大豊作。平均寿命が延びる。二十一世紀の終わりには女性の平均寿命は百二十歳になる。大恐慌の再来はあり得ない。

日本が今回パニックに巻き込まれずに済んだのは、度胸がなかったから。度胸が無いのに欲張りな投資家は投資会社のカモになる。日本とアメリカ二カ国で世界のGDPの三五パーセントを占める。日米経済同時崩壊はあり得ない。

北朝鮮が崩壊すると日本海の様相が変わる。北が崩壊したら、韓国は日本の支援が無くてはやっていけなくなる。狭量なナショナリズムを放棄する。韓国経済は日本の手の内で踊っている。技術も機械も日本製。競争で日本に追いつくのは不可能」と語った。

帰途、知人と懇談。

帰宅後は、書状執筆など。

            ○

長谷川氏の楽観的な見方をすべて信じていいのかどうかは私にはわからないが、何となく安心したことは事実である。経済に限らず、日本人はもっと自信を持って進んで行くべきだと思う。マスコミはなぜか悲観的にして自虐的な見方しかしない。これが問題である。そしてやたらに危機意識を煽る。しかも、解決策は提示しない。国民はそれに踊らされる。日本人の勤勉さ・優秀さを保持していくことが第一である。

昨日、二人の政治家に質問書を送りました。以前はよく政治家に質問書を提出したのですが、最近は出さなくなっていました。どうしても問いたださなければならないこと、見解を聞きたいことがありましたので、久しぶりに出しました。「政治文化情報」にその質問書を掲載します。

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2008年10月11日 (土)

千駄木庵日乗十月十日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅して原稿執筆。

夜、父の容態に変化があり、看病。

               ○

わが国やアメリカは、今、与野党が激しく対立しています。しかしこれはあくまでも同じ民族と言いますか、同じ国民の間での対立です。ところが台湾の与野党の対立はそうではありません。台湾人と支那人の対立なのです。「私は台湾人である」と自覚している人たちと「私は中国人である」と自覚している人たちとの対立であります。それだけ深刻であります。「台湾は中国から独立しなければならない」と考えている人と、「台湾は中国と統一しなければならない」と考えている人との対立は、これまで半世紀以上にわたって続いてきました。これは政治政策の違いとか経済政策の違いなどという生易しいものではありません。この対立では、多くの人々が殺されたり、獄に入れられたりしたのです。もちろん言論の自由・集会結社の自由・学問の自由も侵害され続けました。

昔の国民党は、台湾独立は弾圧しましたが、共産支那とも対立していました。台湾はアジアにおける反共の防波堤と言われていました。ところが、今日の国民党は、共産支那との融和政策を進めています。のみならず、反日の姿勢を示し始めています。ただし、台湾の人口の八割方は、台湾人という意識が強いと思われます。故に共産支那との統一を望んでいる人は少ないと思います。

多くの台湾人は、現状維持、すなわち支那と決定的に対立することになる独立もしないが、支那との統一もしない方がいいと思っているといわれています。しかし、散々台湾人をいじめてきた支那人(いわゆる外省人)に対する反感はそう簡単に払拭されないでしょう。

台湾の将来は台湾に生活している人々が決定すべきであります。しかし、かつての同胞であり、世界で最も親日的な国である台湾が、反日国家になることだけは防がなければなりません。そのために我々は台湾人との友好関係の強化に努めなければならないと思います。

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2008年10月10日 (金)

千駄木庵日乗十月九日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

お昼は、知人と懇談。

午後からは在宅して、原稿執筆。

                ○

昨日も少し書きましたが、「A級戦犯として処刑された人々は靖国神社に祀られるべきではない。分祀しろ」という意見は納得できません。以前、長年にわたって靖国神社に関する運動をしてこられた先輩から聞いた話に感動したことがあります。その方は「靖国神社の御祭神は、神話の神様ではないし、聖人君子でもないし、偉人賢人でもない。国のために戦い、命を国に捧げられた人々である。農民・学生・工員・会社員など色々な職業の人がいたであろう。あるいはヤクザだった人、刑務所に行ったことのある人もいたであろう。どのような立場、経歴の人であろうとも、国に命を捧げるという国民として最も大切な行為、崇高なる行為をしたことにより、神として祀られたのだ」ということを申されました。

戦死者には大東亜戦争遂行・敗戦に関して、法律的・道義的・政治的責任を負うべき人がいたかもしれません。しかし、戦争責任と戦死者を靖国神社の御祭神としてお祭りし慰霊することは全く無関係であります。たとえ戦死した方に戦争責任なるものがあったとしても、靖国神社に祭られて当然であります。戦争行為の継続である「東京国際軍事裁判」において処刑されたということは、敵によって殺されたということであり、戦死であるからです。東條英機氏らは、日本国を守るために東京国際軍事裁判という戦場で敵と戦い、立派に戦死されたのであります。

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2008年10月 9日 (木)

千駄木庵日乗十月八日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅して原稿執筆など。

            ○

麻生総理実現に奮闘し、今は主要閣僚として麻生氏を補佐している鳩山邦夫の祖父は鳩山一郎氏である。鳩山一郎氏は、終生麻生氏の祖父である吉田茂氏を政敵としていた。祖父のこととは関係なく、お互いに協力し合うのを美談とすべきか否か私にはわからない。鳩山由紀夫・邦夫兄弟は今熾烈な争いを展開している自民・民主に分かれている。これもまた不思議なことである。

田中真紀子夫妻は自民党を夫婦共々脱党して民主党の小沢一郎氏を支持している。しかし小沢一郎氏は、竹下登氏を総理総裁にするために田中真紀子さんの父である田中角栄氏を裏切った。田中角栄氏は、そのために政治生命どころか肉体生命まで絶たれてしまった。親の仇と言っていい人物に協力するというのは、私には理解に苦しむ。田中真紀子さんはそれぽとに自民党が憎いのであろうか。小沢一郎氏も自民党がよほど憎いのであろう。しかし、怨念の政治は決していい結果を生まないと考える。

私はどうも小沢氏が好きになれない。小沢氏や古賀誠氏などの「A級戦犯は靖国神社にまつられるべきではない」という主張はあやまりである。これは「東京裁判」を肯定し、亡くなった方々を慰霊するというわが国の伝統的な倫理思想を否定する議論であるからである。

靖国神社は戦死者すなわち敵によって殺された人々をお祭りする神社である。戦死者がたとえ戦争についての責任があろうとなかろうとそれは全く関係がないのである。

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2008年10月 8日 (水)

千駄木庵日乗十月七日

午前は父母のお世話。午後にかけて父の容態が安定せず、看護。

午後六時より、西新宿の京王プラザホテルにて開かれた会合に出席。多くの方々と懇談。

帰宅後は、「政治文化情報」の原稿執筆。

            ○

緒形拳さんが亡くなった。私の好きな俳優でした。高校生の頃から大好きだった新国劇出身の俳優だったこともありますが、今の日本の俳優の中で緒形さんは一級の人であったと思います。演技力ば抜群で、大きな魅力がありました。一番印象に残っているのは、「復讐するは我あり」です。その次がと「社葬」という映画です。どういう役を演じても、存在感が大きく、見事でした。こういう俳優はあまりいないと思います。

新国劇時代の彼の舞台はほとんど見ています。島田と共演した「喧嘩富士」、そして辰巳柳太郎の当たり役「国定忠治」で敵役の山形屋藤蔵、そして同じく辰巳の当たり役「王将」の坂田三吉を辰巳氏の逝去後に演じたのが印象に残っています。テレビではやはり彼の出世作「太閤記」が印象に残っています。師匠の島田正吾氏が長命だったので、緒形氏がこんなに早く亡くなったのは本当に残念です。もっともっと活躍していただきたかったと思います。御冥福をお祈りします。

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2008年10月 7日 (火)

千駄木庵日乗十月五日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は父に付き添って診療所に赴く。

午後六時半より、赤坂の日本財団ビルにて「東京財団フォーラム・現代をどう生きるか」開催。登壇者の印象に残った発言は次の通り。

今道友信東京大学名誉教授「八十五歳の私が小学生一年生の頃、小学生はみんな肥後守(折り畳み式刃物)を持っていなければならなかった。腕白もいたずら小僧もいたが、肥後守を使った傷害事件は起こらなかった。工作のための錐もみんな持っていた。それで猫を殺す子供はいなかった。今は大人でも肥後守を持って成田空港に行くと取り上げられる。倫理が生きていた時代ではなくなり、倫理が不在になる兆しが見える。人間の現実行為の限度が見えなくなった。倫理を呼び戻す必要がある。

見えない思想で見えない自己律することが必要。ソクラテスは『哲学の定義は魂の世話』と言った。みなさんは意識するとしないとに関わらず『肉体の世話』は毎日している。食事をとり、薬を飲み、血圧を測る。プラトン・アリストテレスそして私の本を読むべし。一億八七〇萬人が二十世紀の戦死者の数。これには空襲によって死んだ人は入っていない。二十世紀になって科学技術が進歩し、人権が尊重され、男女は平等になった。しかし人権の基礎は人命である。二十世紀はどの世紀よりも多くの人命が奪われた。ある意味では殺戮の世紀といえる。

古典倫理の復興だけでは済まない。もう一度昔の良いところは呼び戻して倫理がこの社会に根ざすように考えるべし。それが『魂の世話』。人間として為すべきことは何かを先に考えるべし。人間の義務感からものを見直さなければならない。

近代国家は少しづつ壊れている。どういう新しい世界制度をつくるかを考えねばならない。信長・秀吉・家康のような権謀術数と人殺しの名人がリーダーとして語られるのではこの国は滅びる。

科学技術が手段優位。これを変えなければならない。目的をできるだけ良いものにしなければならない。個人の自由と個人の勝手とは違う。人が信じていようといまいと死者への儀礼は宗教以外にない。宗教なくして倫理は出てこなかったし、宗教も倫理なくしてあり得ない。人を殺してもいいという宗教は宗教ではない。」

櫻井孝典東京大学教授「人類が生物圏から分かれ、人間圏をつくって生きる生き方を文明という。人類が生物圏の中の一つとして生きていた時代が狩猟採集時代。生物圏をから飛び出て人間圏を形成して生きるようになったのが農耕牧畜時代。人間圏の中に駆動力を持つ段階が現代。

人類が地球システムと調和的な人間圏を構築できるかが二一世紀の課題。倫理学とは関係性の学問。システム的なものの見方は関係性の学問。古典的言えば天と地と人の和を考えること。昔の人類は生き延びるのが最大の目的。今の人類は何のために生きるかが大切になっている。そういうことを考えるのが倫理。」

帰途、知人と懇談。

              ○

哲学論議はいろいろ難しい表現が多いが、今日は随分分かり易く且つ面白いお話であった。今道氏の肥後守の譬えは勉強になった。結局桜井氏が言うように「人として天と地と人の和を考えること」が大切ということである。やはり、日本においては「記紀萬葉」という古典の精神への回帰が大事なのではないだろうか。また今道氏の言うように「毎日魂の世話」をすることが大事である。

科学技術の進歩は決して人間の倫理性を高めたことにはなっていない。むしろその逆の傾向を示しているは、今道氏の指摘したように、二十世紀において最も多く人間が人間によって殺されたことによって明らかである。秋葉原の無差別殺人のような事件が今後も起こり続ける危険がある。なんとかそういうことを食い止めねばならない。

宗教は大切だし、倫理の基礎であるが、宗教戦争によって多くの人が殺されているのがこれまでの歴史であるし、今日の現実である。

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2008年10月 6日 (月)

千駄木庵日乗十月五日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後一時より、荒川総合スポーツセンターにて、「橋本左内記念講演会」開催。岡本義雄世話人代表が挨拶。

福井市教育長の渡辺本爾氏が講演し、「橋本左内はこの地で無念の最期を遂げた。地元の方々が篤く祀っていただいていることに感謝する。福井市は橋本佐内没後百五十年記念事業に取り組んでいる。それは左内先生のことを『知ること』『学ぶこと』『伝えること』の三つ。福井でも、左内公園で墓前祭を行う。今年は藩主・松平春嶽公の生誕百八十年にもあたる。郷土の偉人の業績に学びたい。

左内先生は『天下の物事にはすべて道がある。その道を明らかにするべし』と説かれた。つまり真理の探究である。自ら啓く心を養うことを説いた『啓発録』を著した。それには『稚心を去れ』『振気』『立志』『勉学』『交友を択べ』の五目が説かれている。また、尊皇精神・国家構想・開国を論じた。生きた学問によって時代をリードした。『安政の大獄』で二十六歳の若さで処刑された。福井藩の教育改革が左内の大きな業績。左内は『器械藝術は彼にあり、仁義忠孝は我に存す』と言った。数学・理科・医学・蘭学・ドイツ語・英語を総合的に藩校の教育に取り入れた。」と語った。

午後三時より、小塚原回向院にて、「橋本左内墓前祭」執行。僧侶による読経、そして列席者全員による焼香が行われた。

帰宅後は、「月刊日本」に連載している「萬葉集に歌はれた日本の心」執筆、完成、送付。

             ○

橋本左内先生は若くして国を動かした人物であります。松平春嶽公の身代わりとなって処刑されたと言っていいと思います。井伊直弼という人もひどいことをしたものと思います。以前、福井の同志・安達福松氏の御案内で、福井の左内公園に赴き、左内像を仰いだことを思い出します。福井の地は、維新そして近代日本において活躍した人物を多く輩出しています。春嶽公が立派だったからでしょう。

回向院には、桜田門外の変に参画した多くの志士達の墓もありました。そのお墓一つ一つに、氏名と藩の名前、亡くなられた日と享年が刻まれていました。そして「靖国神社合祀」と刻まれていました。

田中光顕(土佐藩士・維新後は宮内大臣などを歴任)の書になる「花と散り 露と消えにし 櫻田の ますらたけをを 偲ぶ今日かな」という歌碑が建てられていました。また、「相馬大作供養塔」「磯部浅一・妻登美子墓」もありました。回向院は、江戸期から昭和にかけての歴史を伝える寺であります。

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2008年10月 5日 (日)

千駄木庵日乗十月四日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後二時より、内幸町の日本プレスセンターにて、「アジア問題懇話会例会」開催。前交流協会台北事務所代表(元外務省官房長・駐オランダ大使)の池田維氏が講演し、「三年二カ月の台湾勤務を終えた。台湾の動きは速いので断定的に述べるのは容易ではない。外交官になって最初の勤務地が台北。当時は外交関係があった。語學研修を受けた。

当時と比較すると、第一に台湾の経済規模は飛躍的に拡大した。日本との経済関係は長く深い。二番目の大変化は民主化の進展。四十年前は、私の知人が政府批判を行ったということで緑島に送られた。今は全く自由。これが大陸との最も大きな差になっている。三番目は台湾人意識が高まっている。自分は中国人だと言う人は一割にも満たない。残りは台湾人、あるいは中国人であるとともに台湾人と思っている。しかしそれが必ずしも台湾独立の結びつかない。八十%の人が現状維持を望んでいる。『安居楽業』(安定した生活と楽しい仕事)を望んでいる。国民党の勝利が統一派の勝利と考えるのは誤り。

四番目は日本に対する親近感が増大している。私が着任した時の外交部長は{教育勅語}を暗誦していた。台湾人にとって何処の国に親近感を抱くかという調査で。一番が日本、二番がアメリカ。しかし、永続する保証はない。

馬英九政権成立後、経済が悪くなっている。中台関係を李登輝と陳水扁は国と国との関係と言ったが、馬英九は地域と地域との関係と言った。これを李登輝は強く批判した。日台は外交関係はないが、緊密な友好関係にある。年間二五〇万人の往来がある。全人口二三〇〇萬人のうち一三〇萬人が訪日している。

馬英九は私と会見した時『私は反日ではない。知日・友日になりたい』と言った。今のところ額面通りに受け取っていいと思う。台湾の長い将来を決めるのは二三〇〇万台湾人である。中国は『祖国統一』と『資源確保』のために武力を用いることを否定しない。アメリカはは台湾に六五億ドルの武器売却を決めた。台湾防衛についてやるべきことはやっておくということ。許世楷大使は日台間のためによくやったと評価されている。」と語った。

この後、奥野誠亮元法相が「中国と台湾が一つになるのは日本の安全にとって大問題。日本こそしっかりしなけれはならない」と語った。

帰途、知人と懇談。

帰宅後は、書状執筆など。

             ○

台湾に国民党政権が誕生したからとて、統一派が勝利したわけではないということを聞き、少し安心した。アメリカが台湾への武器を売却を決定したのは、国民党政権が共産支那と統一することはないと踏んだからであろう。わが日本は、台湾との歴史的な友好関係を保っていくことが肝心である。

それとともに、自主防衛体制を確立し支那や北朝鮮の軍事的圧迫を撥ね退け、日本の独立と安全を確保しなければならない。「生活第一」などと言って、安保・国防・憲法・外交論議を避け、党内に多くの左翼分子を抱え、敵性国家の手先である社民・共産とも手を握る小沢民主党に政権を委ねるべきではない。日本の独立と安全の上に国民の生活があるのである。

何時ものことながら、奥野誠亮先生のお元気さには本当に感服する。内務官僚として後藤田正晴氏より一期先輩に当たる。九十四、五歳になられるのではないか。後藤田氏と違って正統なる國體観・歴史観を持たれる政治家であられる。一昨年の終戦記念日に、炎天下、お一人で靖国神社に参拝に来られているお姿に感銘した。御長寿を祈ります。

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2008年10月 4日 (土)

千駄木庵日乗十月三日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅して、資料の整理、および原稿執筆の準備。

               ○

中山成彬前国土交通相が今期限りで引退し、次期衆院選に出馬しない意向を固めた。国会議員として日教組をぶっ壊すために奮闘していただけると思っていたのに甚だ残念である。メディアなどは中山氏が「失言をした」と騒いだが、中山氏の発言は決して失言ではない。信念に基づく発言であり、私に言わせれば正論である。

小沢民主党は、先の代表選出の臨時党大会で、国旗を掲揚しなかった。そして左翼集会で行われる「ガンバロー」を叫んだ。民主党の支持組織は、日本をおかしくしてきた日教組・自治労である。さらに、小沢は現行占領憲法擁護論者になりはてた。さらに、以前は昭和殉難者の靖国神社合祀を肯定していたのに、今は否定論者になっている。

「小沢民主党に一回政権を取らせてみたらどうか」という意見は危険である。小沢民主は数合わせのためなら、社民・共産とも手を結ぶ。民主・社民連立政権が樹立し、共産が閣外協力という事態になる危険がある。そうなるよりは、自公連立の方がまだましというのが私の見解である。間違っているでしょうか。 

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2008年10月 3日 (金)

千駄木庵日乗十月二日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。そして父に付き添って診療所にと赴く。

午後からは在宅して資料の整理など。蒋介石・日台関係・台湾独立運動をテーマにした原稿を書かせていただくことになったので、その準備をしている。なかなか難しいテーマであるが、率直に書かせていただきたいと思っている。

           ○

朝日新聞・テレビ朝日、毎日新聞・TBSは、どうも自民党政権打倒、民主党政権樹立を目指していると思う。小沢一郎の金権体質については一切批判しない。そして自民党政治家の政治資金がらみの不祥事追及は熾烈である。教員採用試験汚職のあった大分県は、全国でも珍しく日教組の組織率が九0%を維持していることは報道しない。社会保険庁の不正行為の裏に自治労の存在があることもあまり報道しない。日教組も自治労も民主党の大きな支持基盤である。

小沢一郎氏は、「現行憲法と日米安保と国連は同心円だ」とか言っている。戦勝国による日本支配を継続させ、日本の自主独立を妨げているという意味では全くその通りである。現行憲法と国連は、「米・ロシア・支那という戦勝国は公正と信義のある国」であり、「日本は侵略国家である」という嘘八百を前提としているのである。わが国の固有の領土を占拠したままのロシア、わが国に軍事的圧迫を加え、チベット・内モンゴル・東トルキスタンを侵略占拠している共産支那の何処に「公正と信義」があると言うのか。そんな国に拒否権を持たせている国連にわが国の安全を担保しようという小沢一郎は全く間違っているし危険な政治家である。

「小沢一郎に一回政権を取らせてみよう」などという考えは危険である。

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2008年10月 2日 (木)

千駄木庵日乗十月一日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、丸の内の出光美術館にて開催中の『近代日本の巨匠たち 上村松園 東山魁夷 佐伯祐三 板谷波山 富本憲吉 平櫛田中』を参観。「明治・大正そして昭和―西欧美術との衝撃的な出会いを経て、日本美術界に訪れた新たな時代の波は、さまざまな芸術家たちの士気を奮い立たせました。この変革期に、改めて自らの独創性を見出そうと挑み続けた近代日本の巨匠たち。本展では出光コレクションの近代美術作品およそ1,000件の中より、上村松園の清艶な美人画「灯」や東山魁夷の幻想的な風景画「春梢」、平櫛田中による迫真の木彫「張果像」をはじめ、佐伯祐三や坂本繁二郎による油彩の名画、そして出光コレクションの誇る板谷波山の優美なやきものまで、あらゆる角度から珠玉の作品約100件を厳選しました。」との趣旨で開催された。

私は上村松園の美人画と佐伯祐三の人物画・風景画が大好きなので、期待して行ったのだが、なんと上村松園の絵は三点、佐伯祐三の絵は一点しか展示されていなかった。とても残念であった。しかし、富本憲吉・板谷波山の陶芸作品は見事なものが多かった。佐伯祐三の風景画は、パリのものが有名であるが、下落合の風景画も多く描いている。今日展示されけていたのは下落合の風景画であった。佐伯は若くして亡くなった。満三十歳で死去するまでの六年足らずの画家生活の間、パリに滞在した期間が長かったため日本の風景や人物を描いた作品は少ない。上村松園の美人画は心を和ませ、佐伯祐三の風景画は心に躍動を起こさせる。

佐伯祐三は私が御指導をいただいた中河与一先生と親交があったので、中河先生の肖像画を描いている。「恐ろしき顔」と題されていて、中河先生の家の応接間に飾られていた。また藤田嗣治が中河先生の令嬢を描いた絵もあった。

出光美術館の休憩室から、皇居桜田門が真正面に見える。明治維新の発火点となった大事件である「桜田門外の変」を想起しつつ暫し眺めていた。歴史というものは実に不思議なもので、幕府権力を維持しようとして強権を発動したがために自分が殺され、かえって幕府の権威と権力を弱体化させてしまったのが井伊直弼である。

「政治文化情報」と最近号に書いた「孝明天皇と岩倉具視」という拙論に対して何人の方から色々なご意見をいただいた。歴史の見方も人によって様々である。岩倉具視に対する誤った見方は訂正されなければならないと思う。「尊皇攘夷」という大理想によって明治維新が戦われたという歴史の真実はで否定できない。

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2008年10月 1日 (水)

千駄木庵日乗九月三十日

午前は父に付き添って病院に赴く。

午後からは在宅して諸雑務、資料の整理など。

           ○

千葉県銚子市立病院が財政難のため、休止した。地域の人々は大変な不安を抱えているだろう。

私はお陰様で、大変健康で、昭和五十一年から今日まで、歯医者に数回と、指に怪我をした時に町の外科医院に一回行っただけで、病院には全く縁がない。薬も呑み過ぎた時の胃薬と腹が下った時の正露丸そして目が疲れた時の目薬しか使ったことがない。ゆえに、医療のことはあまり関心がなかったし、実態を知ることもなかった。

しかし、二年半ばかり前から、父が入院し、その後自宅治療および通院を続けることになってから、病院そして医療について色々な体験をすることとなった。そして今の日本の医療は大変な問題を抱えていることを実体験している。まさに危機にあると言うべきである。何しろ患者が多い。待合室ら入りきれない患者が廊下に並んでいる。小児科以外はその多くは高齢者である。

今日も、定期的な治療のために病院に行った。父が目まいがすると言うので、定期的に治療を受けている泌尿器科の医師に相談すると、その病院の内科を紹介してくれた。父を連れて内科に行くと、五十人位の人が治療を待っているのである。父は九十歳でありもちろん病身である。長い時間廊下の椅子で待っていることはできない。看護師に日を改めて来るの何時がいいかと聞くと、日にちを指定したうえで、「午前九時に診察券を出してもらって治療は十二時くらいになる」と言うのである。これではとても老いた父を連れて来ることは出来ない。自宅近くの診療所に行く方が良いということになった。

廊下で三時間も待たされるなどというのでは、余程丈夫な人でなければ大病院での治療は受けることが出来ないということである。これは冗談ではなく事実である。

以上が私たち親子が実体験した東京のど真ん中の大病院の実態である。看護師も医者の別にさぼっているわけではない。実に忙しそうに働いている。だから文句を言うわけにもいかない。困ったことである。

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