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2008年9月 9日 (火)

千駄木庵日乗九月八日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、原稿執筆。

午後七時より、千駄木の養源寺にて、「おとなの寺子屋・論語の会」開催。小生が開会の挨拶。角野英毅文京区議が経過説明。東洋大学共生思想研究センターの野村英登氏が講義。次のように語った。

「古典は声に出して繰り返し読むことが学ぶことだった。文字が発明される前は口頭で教えが伝えられた。論語も古い時代のものなので、声に出して読むことが大事。孔子の時代は紙はなかった。

『法』の字義は、水は水平になり片寄りがない。片寄ったものを去らせるのが『法』という字の本来の意味。漢字の原義を学ぶのは『そもそも』を考えるきっかになる。

孔子の弟子が孔子の言行録を編んだ。『聖書』『お経』に近い。そして後世の人が注釈を付けた。そこに中国の伝統的な学問の在り方が生まれてきた。儒教は国家体制の中に組み込まれた。官僚採用試験である科挙の試験科目に儒教が入った。内容は日常生活の人生訓。中国の考え方は、個人→家→地域→国→天下。自分自身がちゃんとしなければ家・地域・国・天下がちゃんとしないという考え。中国という巨大帝国を管理支配する思想。体制維持のために必要とされた思想。

『論語』は聖典だからこういう読み方をしなければいけないという固定観念があった。宮崎市定はそういう読み方を否定し『人間孔子』はこういう言い方をしたということを論じた。

近代になって儒教は専制思想であり近代化の妨げになると批判された。中華人民共和国では完全に否定された。最近は、儒教は世界に誇る中国伝統文化とされている。『論語』が現代中国で再び持ち出されたのは、今の中国が倫理を喪失し、弱肉強食の世界になったから。

儒教は『礼』を大切にする。『礼』とは祭祀儀礼。祭政一致の思想。日本も、内閣総理大臣は、天皇に任命される儀式を行う。政治も外交も『礼』が大事。

『論語』に女性は出てこない。ただ一カ所『女子と小人養い難し』とあるのみ。『君子』を『男』と読み替えると理解しやすい。仁義の世界は男の世界。老子は女性崇拝。印刷技術が進歩し、出版文化が発達すると、朱子が登場して、『論語』は統治者だけに向けられた言葉ではなくなり、一般の人々への言葉にもなった。」

帰宅後も原稿執筆。

              ○

「論語」には確かにすばらしい言葉が書かれている。「論語」に書かれている言葉を実践すれば立派な人物になることは確かである。ところが今の支那という国は全く「論語」に書かれていることを忘却している。これは一体どうしたことか。「論語読みの論語知らず」という言葉があるが、共産支那の大多数の国民は「論語」を読みもしないのではないか。

また、儒教は女性を蔑視というか無視しているというが、支那は昔から女性が政治権力を掌握する国である。則天武后・西太后・宋美齢・江青などはその典型である。権力者の夫人が旦那以上に政治権力を振るうのである。これは一体どうしたことか。

儒教は徳川幕府の体制維持の思想的基盤であった。明治以後においても儒教は日本の精神文化に大きな力を持った。儒教・孔子の思想を全面否定することはできない。しかし、明治天皇様の御製にある通り「良きをとり悪しきをすてる」姿勢が肝心である。

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