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2008年9月 8日 (月)

千駄木庵日乗九月七日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅して「政治文化情報」の原稿執筆。

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昨日の憲法論の続きであるが、戦後日本は、「國民主権論」「平和と民主主義」「人権尊重」「生命尊重」「個の尊重」を最高の価値とし押し戴き、絶対に守らなければならない価値であり続けている。しかも、これらの価値は、進歩的な欧米諸國から教えられたものであり、わが國は先進的な西欧諸國に学ばなければならないと思い込んでいる。

しかし、「戦後民主主義」と「戦後平和主義」は『弱者の思想』である。真の民主精神(人としての自主性を確立する思想)でもなければ平和思想でもない。國のために戦うという『強者の思想』を否定し、武力は放棄する、軍隊は持たないという思想である。また、國家の独立・平和・歴史・傳統が侵略者から蹂躙されても、「戦争は無い方が良い、人命尊重だ」と言って、戦うことを忌避する『弱者の思想』である。

 弱者であるから徒党を組む。即ち集團で運動をせざるを得ない。「赤信号みんなで渡れば怖くない」式の生き方しかできないのである。弱者は弱者なるがゆえに、常に「不安、嫌惡、憎惡、嫉妬」の対象を常に見つけ出し、あるいは作り出さずにはおれない。これが「いじめ」である。

 「戦後民主主義・平和主義」の「守り手」・「弱者の味方」を以て任ずるマスコミは、「知る権利」「知らせる義務」とやらを振り回し、カメラやマイクを持って「不安、嫌惡、憎惡、嫉妬」の対象となっている特定の人物を追いかけ回し、特定人物を責め苛む。これまで、こういうやり方でどれだけ多くの人々が血祭りにあげられ、「魔女狩り」の対象になってきたであろうか。小學生・中學生のいじめは、大人のこうしたやり方を真似しているに過ぎないのである。

 『現行占領憲法』体制下の魂の腐敗と國家の欺瞞は、「軍國主義國家」であったという戦前の日本にはあり得なかった「人命軽視」という言葉すら空しくなる残虐なる殺人が日常茶飯事になった社會を現出させた。

 「自主防衛体制の確立」は、國家の安全・独立に維持の基本であると共に、國民道徳の回復の重要な手段である。國民一人一人が「自分の國は自分で守る。國家緊急事態には体を張って國を守る」という精神を回復することが、「エゴイズム=自分さえよければいい」という精神を払拭する手立てとなる。

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