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2008年9月30日 (火)

千駄木庵日乗五九月二十九日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。父に付き添って診療所に赴く。

午後は知人と懇談。

午後四時より、衆院第二議員会館にて「日本再生同志の会」役員会開催。小田村四郎会長が挨拶。西村真悟衆院議員がスピーチ。当面する諸課題について討議。

帰途、同志と懇談。

帰宅後は資料の整理。

            ○

議員会館のホールで西村真悟氏と立ち話をしていたら、エレヘータを待っていた公明党の某議員が西村氏を憎々しげに睨んでいました。実に嫌な感じでありました。西村氏は私の知る限り、そんなに創価学会公明党を批判した事はないと思います。しかし、何か彼らにとって気に食わないことがあったのでしょう。それにしても、あの目つきは尋常ではありませんでした。西村氏に対してすらこうなのですから、竹入・矢野両氏に対して凄まじい迫害・攻撃を行うのは当然と思いました。

池田創価学会は攻撃相手を「地獄に堕ちる」とか「犬畜生」とか言って罵ります。これは、仏教の六道輪廻思想から派生した言葉だと考えられますが、これが江戸時代において身分差別を合理化し正当化した根源の思想なのであります。そして犬畜生なのだから殺してもいいという殺人肯定の思想にもなりかねません。宗教特に排他独善の邪宗教の怖さというのはここにあります。この問題は極めて重大であります。

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2008年9月29日 (月)

千駄木庵日乗九月二十八日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅して資料の整理。うず高くたまりにたまった資料すなわち新聞・雑誌などを整理し、保管すべきものは保管し、捨てるべきものは捨てるという作業です。途中で資料を読みだしてしまうのが困りものです。

              ○

中山成彬氏が極悪人のように批判されています。私に言わせれば、日教組こそ戦後日本の最大の極悪組織の一つであります。こんなものがいまだに存在としてることの方がおかしいのであります。日教組をぶっ壊すということが正義です。社会主義革命思想を生徒に植え付け洗脳してきたのが日教組に属する左翼教員たちであります。そのことは私たちの世代が小学校・中学校時代に体験してきた歴然たる事実であります。日教組は単なる労働組合ではありません。左翼革命組織であります。

日教組に支えられてきたのがかつての社会党であり、今日の民主党であります。社民・共産と一緒になって連立政権を作ろうという民主党は絶対に支持することはできません。小沢一郎・鳩山由紀夫・藤井裕久・羽田孜という元自民党田中派に属していた者たちは、いったい何を考えているのか。「人は敵を愛することはできるが、叛いた友を許すことはできない」という言葉がありますが、かつては「保守」であった政治家が、革命思想・反日思想を教育してきた者どもを支持し、正義の発言を行った政治家を非難攻撃することは絶対に許し難いことであります。

民主党にも、都議会の土屋たかゆき氏のような正義の士もおります。彼には国政に立ってもらいたいのですが、菅直人が邪魔をしているとのことであります。菅直人はかつて安倍元首相に対して、「岸信介氏が開戦の詔書に副署したことは正しかったと思うか」などという質問をした人です。そんな質問をするのなら、鳩山由紀夫氏に対して「祖父鳩山一郎氏が統帥権干犯問題で軍部に協力したこと、京都帝国大学の滝川幸辰教授を罷免したことは正しかったか」を問い糺すべきです。ともかく、国家基本問題における小沢民主党の姿勢は許し難いものがあります。その姿勢を改めないと、日教組と同じようにぶっ壊さなくてはならなくなります。

中山成彬氏のような温厚な方も「ぶっ壊す」と言わなければならないほど極悪な存在が日教組なのであります。

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2008年9月28日 (日)

千駄木庵日乗九月二十七日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、虎ノ門パストラルで開催された「日英議会政治シンポジウム」(東京財団、駐日英国大使館共催)に参加。登壇者の主な発言は次の通り。

大山礼子駒沢大学教授「議院内閣制における議会の役割は、政府与党と野党との対決と議会による政府への監視。日本の議会は双方とも活発とはいえない。日本の議会は事前審査制があり、与党内部で修正して、一人も反対がないという上で法案が国会に提出される。国会での議論が活発に行われない。強い行政は説明責任が必要。英国の国会には政府を監視する組織があるが、日本にはない。」

河野太郎衆院議員「四期十二年間衆院議員をしているが、本会議で発言できたのはたった一回。それも持ち時間五分。ある法案の採決で当時の綿貫議長が『ご異議ございませんか』と言ったので議長の正面の席で『異議あり』と言ったが無視された。本会議はシナリオが出来上がっていて、その通り運ばれる。自由な発言ができない。法案一つ通すために四八〇人の議員が集まってたった五分で散会する。国会を議論の場にすべし。委員会が開かれる朝に大臣に質問内容が知らされる。役人が答弁内容をつくる。時間が無いので大臣が役人の作った答弁文を修正できない。大臣は役人の言いなりの答弁をする。これは役人にとって都合がいい。行政を監視する委員会と、立法をする委員会を明確に分ける必要あり。」

細野豪志衆院議員「自民党総務会は廃止すべし。少数党の議員立法は審議すらされない。行政への監視は決算委員会の強化が大事。」

長嶋昭久衆院議員「事前審査と党議拘束が諸悪の根源。今後ねじれ現象は常態化する。たじろいでいる余裕はない。衆院優越は外国と比較して中途半端。立法機能が第一院だけでできない日本は立法機能が不全に陥る。これまで矛盾が表面化しなかったのは、自民党が強かったから。GHQの民主化は、参院の意義があいまいにした。憲法改正して一院制にするのも一つの手段。」

柴山昌彦衆院議員「立法と予算と行政監視はそれぞれ分けて審議されるべし。与党と内閣の意思決定は連結させるべし。小沢氏の『各省に議員を入れて法案作成に携わらせる』というのは事前審査と同じ。」

帰宅後は、資料の整理。

            ○

私は国会の議事を傍聴したことはないが、都議会は本会議と警察消防委員会を何回か傍聴した。警察消防委員会は、都議会各党の幹部クラスが委員になっており、何と五分くらいで終わることが多かった。五分間の委員会に出るために、警視庁最高幹部が桜田門から西新宿まで大挙してやって来るのである。そしてろくに審議が行われない。単なるセレモニーのようだった。警察に対する議会のチェック体制はいい加減なものだと実感した。また私が警察消防委員会を傍聴しようとしたら、なぜか警視庁の暴力団対策課の警部に傍聴しないように威圧を加えられた。公務員職権乱用に当たる違法行為である。

中山成彬国土交通相の全く発言は正論である。これを批判し否定した小沢一郎は全くおかしい。話は簡単である。小沢一郎こそ日本をおかしくする政治家だということだ。日本の教育を荒廃させた日教組を擁護するのが小沢民主党ということである。小沢一郎がいかに間違った政治家であるかが今回のことでますます明らかとなった。日本の教育を正すために、日教組を火の玉になってぶち壊すと表明した中山大臣は正義の政治家である。中山大臣の罷免を求めた政党に政権を取らせてはならない。日教組は言うまでもなく小沢民主党もぶっ壊さなければならない。

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2008年9月27日 (土)

千駄木庵日乗九月二十六日

午前は父母のお世話。

午後は日本橋高島屋にて開催中の「田村能理子展 風河燦燦 三三自在」参観。

京都嵐山にある天龍寺という名刹の塔頭寺院宝厳院本堂再建にあたり描かれた六〇mにわたる襖絵の展覧会である。女流洋画家が寺院の襖絵を描くというのは珍しいことである。中央アジアやインドの自然と、三十三人の人物が描かれている。観世音菩薩が三十三身に身を変じるところからきているという。赤や青の色彩が強烈であった。田村能理子さんの油彩画代表作20余点やデッサンも展示されていた。知人から招待券をいただいたので参観した。

天龍寺には何回か参拝した。足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うために開創したお寺である。京都五山の一つ。尊氏自ら土を担いで造営に参加したという。尊氏には、後醍醐天皇に対し奉り「罪滅ぼし」の思いがあったのではないか。逆族といわれるのが怖かったのである。

夕刻は知人と懇談。

帰宅後は書状執筆。

             ○

暇を見つけてはいろいろな展覧会に行くようにしています。心が洗われ、安らぎを得ることがあるからです。また歴史などの勉強にもなります。つくづく思うのは、書道・絵画・彫刻・工芸などいずれの分野においても日本人は優秀であり、日本人の創造した文化は素晴らしいということであります。外国から文化・文明を輸入し、それを洗練させ、より高度なものにするというのが日本の特質であります。日本民族は包容力・摂取力があるということであります。その包容力の中核に、日本独自の文化感覚があるのであります。また、日本の芸術・文芸は、皇室・宮廷を中心に継承されてきています。日本皇室は三島由紀夫氏の言われたとおり、「文化の中核」なのであります。天皇・皇室がなくなれば、日本は日本でなくなるのであります。

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2008年9月26日 (金)

千駄木庵日乗九月二十五日

未明父の容態に変化があり看護。

午前は、父の付き添いで診療所に赴く。

午後からは在宅して原稿執筆など。「政界往来」の連載原稿。小沢一郎批判を書いた。

              ○

小沢一郎氏はその「ウェブサイト」で「日本国憲法の基本理念は不都合はない。時代が変わっても普遍の原理、理想として掲げていてなにもおかしくない」と語っている。

「占領憲法」の「平和主義」「国際協調」とは、「我が國は侵略戦争をした悪い國であった。今後は武力・戦力・國軍を持たない。侵略阻止のための武力行使はしないし、国防戦争もしない」という敗北思想である。

「国民主権論」は、西洋や支那大陸のような君主と人民とが「國家意思を最終的に決定する権限」を奪い合った歴史は全くない君民一体の信仰共同体たるわが國の國柄と絶対相容れない國體破壊につながる思想である。

「基本的人権の尊重」は、人権尊重・個の尊重を全てに優先させることはかえって人権を蹂躙し、個人の尊厳性を奪うことになった今日の我が國の荒廃の根本原因の思想である。

小沢一郎氏はまた、「ウェブサイト」で、「私は、国連憲章と憲法と日米安保条約を、三つの同心円としてとらえている。安保条約も第五条で、国連が紛争解決の措置を執った場合は、日米の共同行動はそこで終了すると明記している。」「日本が名実ともに国連中心主義を実践することは、日本の自立に不可欠であり、対米カードにもなると思う。」と論じている。

「国連憲章」も「現行占領憲法」も「日米安保」も、大東亜戦争に敗北した日本を恒久的に戦勝国の支配下に置いておくことを目的としてつくられたものである。この三つを同心円ととらえることが日本の自立に不可欠だなどという主張は全く誤りである。この三つこそが日本の自立を妨げているのである。

国連とは、第二次大戦後の体制を恒久化しようとする組織である。すなわち戦勝国支配体制の維持組織なのである。国連は日本を守ってくれないし、国連は戦争を防止できない。国連はきわめて無力、独善、偏向の機関であり、日本の国家安全保障をそんな機関の手にゆだねることなど、危険このうえない。

さらに、莫大な分担金を払っている日本国を日本国常任理事国にもしない組織、侵略国家専制国家のロシアと支那に拒否権を持たせている組織に、わが国の安全と平和を任すなどということはとんでもないことである。

小沢氏は「戦後体制・戦勝国支配体制擁護論者」なのだ。小沢が総理になることは亡国の始まりである。

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2008年9月25日 (木)

千駄木庵日乗九月二十四日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、ある経済学者の研究室を訪問。懇談。いろいろ貴重なご意見を承りました。後日報告いたします。

午後六時半より、豊島区立駒込地域文化創造館にて、「萬葉古代史研究会」開催。「萬葉集」巻十五及び十六を講義。

帰宅後は、原稿執筆の準備など。

               ○

今日は、狭野茅上娘子(さののちがみのをとめ)の歌を講義しました。この女性は萬葉後期の代表的な女性歌人で、情熱的な相聞歌を歌った人です。結婚早々に夫が罪を得て越前に流罪となりました。その夫を慕う歌が「萬葉集」に収録されているのです。

君が行く道の長手を繰りたたね焼き滅ぼさむ天の火もがも (あなたが行く長い道のりを、くるくると手繰り寄せるようにして、焼き尽くしてくれる天の火がないものか。そうすればあなたは越前に行かなくてすむであろう、という意)

帰りける人来たれりと言ひしかばほとほと死にき君かと思ひて

(赦免されて帰って来た人が都に着いたと伝え聞いたので、あやうく死にそうになりました。あなたがお帰りになったのかと思って、という意)

我が背子が帰り来まさむ時のため命残さむ忘れたまふな

(私の愛するあなたが帰って来られる時のために命を残しておきましょう。私のことをお忘れにならないで。)

萬葉時代すなわち古代日本の女性の素直で情熱的な恋歌です。中古時代の和泉式部、近代日本の与謝野晶子はこういう歌の心を継承したのであります。

現代日本には、こういう歌を詠む人はいません。萬葉時代の大らかにして明るくそして情熱的な精神は喪失してしまったのであります。時代が進み、科学技術が進歩したからとて、人間が幸福なるなどということはありません。何回も同じことを書くようですが、私たちの日本人の本然の精神を回復すべきであります。それは記紀・萬葉の世界に回帰するということであります。

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2008年9月24日 (水)

千駄木庵日乗九月二十三日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、北区にある菩提寺に赴き、四宮家の墓を掃苔。御住職にご挨拶。本堂に参拝。

帰宅後は、明日の萬葉集講義の準備など。

            ○

お彼岸の中日なので、先祖のお墓に参拝しました。墓石を清め、お花を供え、お線香を焚き、感謝の祈りを捧げますと本当に心が安らぎます。祖霊信仰は日本伝統信仰の大きな柱です。日本の仏教は、先祖供養を大切にします。葬式仏教という言葉がありますが、あまり良い意味に使われていないようです。しかし、これは大切なことなのだと思います。死者を弔う精神は、日本人の倫理精神の基本であります。特に自分の親・祖父そして先祖代々の御霊を大切にすることは、生きている者が第一に行わなければならないことであります。

世の中があまりに殺伐しているのは、こういう精神が希薄になっているからではないでしょうか。福岡で母親が自分の息子を殺すというむごい事件が起こりました。また政治の世界も、二大政党がとどまることを知らぬ政治闘争を繰り返しています。政策論議というよりも、憎しみをぶつけ合うまさに闘争です。本当に日本の国はこれからどうなっていくのでしようか。「敬神崇祖」の国民精神を復活しなければなりません。

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2008年9月23日 (火)

千駄木庵日乗九月二十二日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は資料の整理など。

夕刻、知人と懇談。

夜は、水曜日の萬葉集講義の準備。

              ○

麻生さんが総裁になった。麻生氏の祖父は吉田茂総理。父は麻生多賀吉元衆院議員。福田前総裁の父は福田赳夫元総理。元総理の安倍晋三さんの祖父は岸信介元総理。民主党の小沢代表の父は小沢佐重喜元衆院議員(第一次安保の時の安保特別委員長)。幹事長の鳩山由紀夫氏の祖父は鳩山一郎元総理、父は鳩山威一郎元外相。

二世三世議員のオンパレード。これでいいのだろうか。自力で這い上がってきた政治家がすべて立派だとは思わない。田中角栄氏が高潔で立派な政治家だとはだれも思わない。しかし、親や祖父の七光りで苦労なく地盤を引き継ぎ、政治家になった人があまりにも増え続けて、しかも権力の中枢に位置する人が多いというのは問題である。嫌になったらやめてしまうという我儘、おぼっちゃん育ち、苦労知らずの悪癖が出るのは困る。

麻生さんは、今の自民党の有力政治家の中ではまあまともな方かと思う。今後、憲法・国防・靖国神社・外交とりわけ領土問題、拉致問題などでどのような動きを示すか、注視したい。これらの国家基本問題で固く沈黙を守っている小沢一郎氏は信用できない。彼の国連中心主義は亡国の思想である。

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2008年9月22日 (月)

千駄木庵日乗九月二十日

午前は父母のお世話。

午後からは在宅して資料の整理など。

              ○

民主党の小沢一郎代表が臨時党大会で「所信演説」を行った。「国民生活第一」を強調していた。それはそれで結構であるが、国民生活の安定の大前提は、国家の独立・安全の維持、正しい憲法の制定、まともな教育の確立、まっとうな外交関係の維持である。ところが、小沢氏は、憲法・国防・安保・教育には一言も言及しなかった。

党大会の舞台には日章旗が掲げられていなかった。そして最後には「ガンバロー」をみんなで叫んでいた。これは、左翼政治運動・労働運動のスタイルである。

「首相は政権を投げ出すことはできても、国民は生活を投げ出すことはできない」などと言っていたが、重要法案にことごとく反対し、審議を妨害し、福田・安倍両氏を苛め抜いたのは民主党である。また小沢氏自身過去において嫌気がさすとその職務・役職を放り出し、雲隠れすることが度々あった。他人を批判する資格はない。

稲盛和夫京セラ名誉会長が来賓あいさつを行った。稲盛氏は、生長の家の谷口雅春先生の信奉者である。その稲盛氏が小沢民主党を支持し応援していることを今日初めて知った。小沢氏とは昵懇なのであろう。これは一体どういうわけか。

今日の小沢氏の演説を聞いても、やはり小沢民主党を支持するわけにはいかないというのが率直な気持ちである。小沢氏の今までの言動をよく調べ、批判したいと思っている。とくに彼の國體観・憲法観・歴史観・国防観が問題なのである。まともな國體観・国防観・歴史観を持っていれば、社民党と共闘するなどという発想は出て来ないはずである。であるならば、なぜそのような小沢氏を稲盛氏は応援するのであろうか。まことに不思議といわねばならない。

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2008年9月21日 (日)

千駄木庵日乗九月二十日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は「政治文化情報」発送完了。購読者の皆様には月曜日にお届けできると思います。

夜は、資料の整理。

               ○

今日は根津神社の祭礼です。昼間は子供神輿と山車が出ました。夕刻は大人の神輿が出て町内を練り歩きました。神酒所が私の住むマンションの向かい側にありますので、一日中祭囃子が聞こえてきます。本当にいい気分になります。この町で生まれ育った母も祭りが大好きです。

祭りに喧嘩はつきものですが、最近はあまり喧嘩はありません。我が家の近くの神社は、八月末が日暮里の諏訪神社、九月上旬が本駒込の天祖神社、九月下旬が根津神社と祭礼が続いて行われます。

私は子供の頃、子供神輿を担いだことがありますが、大人の神輿はまだ担いだことがありません。一度担いでみたいと思っています。

日本人はお祭りが本当に好きです。一年中日本のどこかでお祭りが行われています。太古より行われてきた伝統行事である祭りが、外来宗教を摂取し、科学技術文明が発達した今日においても全国で盛んに行われているということは、外国にはあまり例がないことです。

日本人が祭りが好きなのは、日本人が本来明るくおおらかな性格の民族であるからだと思います。厭世的でもなければ逃避的でもないというのが、わが国民性であります。国難の時期にある今こそ、大いに天地の神を祭り、穢れを祓い清めねばならないと信じます。

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2008年9月20日 (土)

千駄木庵日乗九月十九日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は「政治文化情報」発送準備。

夕刻、知人と懇談。

帰宅後も発送準備。

            ○

自民党総裁候補者の一人小池百合子さんは今日のテレビ討論で、「この国のかたちを変える」と言った。また最近の政治家は小泉純一郎前総理をはじめ殆ど全ての政治家が、「改革」ということを主張する。小沢一郎氏も「維新」だとか「日本一新」だとか言っている。

「この国のかたち」という言葉は、司馬遼太郎氏の日本思想史をテーマとして著作の署名である。私はよく読んではいないが、それなりの意味が込められている言葉と思う。

最近の政治家が使う「国のかたち」という言葉の意味は一体どういうことなのであろうか。また、維新だの変革だの改革だの一新だのという言葉は一体どういう定義なのでろうか。

こうした言葉をあまり安易に使うべきではないと思う。そもそも「国のかたちを変える」ということは大変なことである。単なる行政改革・経済改革のことを「国のかたちを変える」などと表現してもらいたくないし、表現すべきではない。

また「維新」「変革」「改革」と言うのなら、維新の理想、維新具体像を明確に指し示すべきである。自民党政権を倒すことが維新だなどというのでは全く噴飯ものだ。明治維新・大化の改新・建武中興は単なる権力闘争ではなかった。それこそ命懸けの人々によって断行され、建国以来の日本の理想を実現せんとする壮絶なる戦いであった。

今ここで詳しく論じることはできないが、維新とは、天皇国日本の真姿すなわち日本國體(これこそが真の意味のこの国のかたちである)を開顕することである。そして日本の伝統精神を回復することによって、現状の悪・穢れを祓い清めることである。小沢氏のような低次元の権力奪取のための闘争を「維新」などと言ってもらっては困る。

「占領憲法」の三原理を金科玉条とし、国際連合は戦勝国支配体制そのものであるにもかかわらず「国連中心主義」を標榜する小沢一郎のような政治家を打倒することが真の維新の第一歩である。

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2008年9月19日 (金)

千駄木庵日乗九月十八日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後一時半より、豊島区立千早地域文化創造館にて、「萬葉會」開催。小生が東歌を講義。

帰途、メガネ屋さんによってメガネを新調。そのあと、知人と懇談。

帰宅後は「政治文化情報」発送の準備。

              ○

何時も政治的なことで憤怒の思いを抱きそれを文章にしているだけに、萬葉集の歌を勉強したり講義している時が一番心が落ち着きます。

今日は萬葉集東歌を講義したのですが、東国庶民の天真爛漫な歌を鑑賞しますと、古代日本人の方が現代人よりよほど明るく、おおらかで清らかな生活をしていたと思います。

時代や歴史そして人間生活というものは進歩発展してきたと言われますが、とてもそんなことはないと思います。親殺し子殺しが毎日のように起こる現代日本の殺伐とした世情を見ますと、本当にそう思います。科学技術が進歩発展しない方がよかったなどというつもりはありませんが。科学技術の進歩発展が人間に幸しかもたらさなかったということは絶対にないと思います。

何とか良き日本、麗しい日本を回復しなければなりません。それは、政治的変革によってだけでは不可能と思います。やはり、日本人一人一人が精神的変革が必要であろうと思います。日本には、記紀萬葉という素晴らしい古典があるのです。これに学び、古代日本人の大らかにして明るい精神即ち日本の原点に回帰すべきであります。まさにそれこそが復古即革新なのであります。

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2008年9月18日 (木)

千駄木庵日乗九月十七日

午後は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後はある会合に出席してスピーチ。

夕刻、父に付き添って診療所に赴く。介護サービスの人に付き添って行っていただいてもいいのだが、やはり家族の方が父も心強いと思うし、家族としてどうすればいいかということを医師と色々話ができる。また介護サービスの方も人手が足りないようである。

これから老人がどんどん増え、介護を必要とする人も増加する。小生もあと二十年たてば八十一歳。やがて、団塊の世代といわれる我々が一斉に後期高齢者になる。その頃老人医療はいったいどうなっていくのか心配である。いやそれどころではない。この日本国がどうなっているか。

夜は、「政治文化情報」の発送準備など。

               ○

今日の会合では、福田首相が辞任表明の後、「自衛隊高級幹部会同」という大事な行事に代理も立てずに欠席したことは、総理としての重大な職務放棄であることを批判した。また、総選挙で勝てば日本国の総理になる小沢一郎の「国連中心主義」に対しても批判した。莫大な分担金を払っている日本国を日本国常任理事国にもしない組織、侵略国家専制国家のロシアと支那に拒否権を持たせている組織に、わが国の安全と平和を任すなどということはとんでもないことである。この一点を以てしても、小沢が総理になることは亡国の始まりである。

ともかく、今の政治は駄目。日本国の禊ぎ祓いをしなければならない。

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2008年9月17日 (水)

千駄木庵日乗九月十六日

午前は父の付き添って病院に赴く。定期的な診察と治療。

午後二時より、上野公園の東京国立博物館表慶館にて行われた「特別展・スリランカ 輝く島の美に出会う」レセプション開催。スリランカのラトナシリウィクラマナーヤカ 首相、高村正彦外務大臣などが挨拶。

この特別展は「『光り輝く島』という意味を持つスリランカ。豊かな自然に恵まれ、紅茶や宝石で知られる同国には、2000年以上の長い歴史の中で人々が育んできた素晴らしい文化が存在します。本展では、同国政府の全面的協力によって、仏像やヒンドゥー神像、仏具や、美しい宝石をふんだんにあしらった宝飾品など、国宝級を含む約150件におよぶスリランカ美術の粋を一堂に展覧いたします。」(案内書)との趣旨で開催された。

如来座像・菩薩立像・涅槃像などの仏像、首飾り・簪などの美術工芸品などが展示されていた。中でも、青銅鍍金の観音菩薩坐像は九世紀の作品で安楽座像というくつろぎの形をしていて美しかった。湯上りにくつろいでいる青年というような感じであった。また全般的に日本の仏像にーよりも体格がすがっしりしとた感じであった。

帰宅後は明日の会合の資料の整理、スピーチの準備など。

             ○

レセプションで驚いたのは、スリランカの首相が、参列していたスリランカの数人の僧侶(首相よりも相当年齢は下のようであった)に対して深々とほとんど拝跪する姿勢でお辞儀をしていたことである。それだけ出家者・僧侶に対する尊敬の念が深いということであろう。日本ではお葬式の時に、導師の僧侶に対して参列者が敬意を表することはあるが、拝跪することはない。

出家というのは家庭を捨てることであると思う。しかし、日本の僧侶は禅宗も含めて、家庭を捨てるということはない。日本の僧侶の大部分は一般人とほとんど同じ生活をしている。お酒は飲むし肉も食べる。そういうところの違いであろうか。(もちろん日本にも本当に酒も肉も断ち家庭を持たない僧侶もいるであろうが)

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2008年9月16日 (火)

千駄木庵日乗九月十五日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅して資料の整理など。

              ○

今日は資料の整理をしつつ、九年くらい前に収録した大相撲の「名力士・名勝負」というテレビ番組を見た。双葉山の頃からの記録映像が流された。わたしは、双葉山の現役時代はもちろん見ていない。ただ、私が高校生時代に書生をしていた帝都日日新聞社主・実業之世界社会長野依秀市先生が双葉山の最大の後援者であったので、野依先生のお葬式の時に、双葉山というより時津風理事長を間近で見ることができた。

私がテレビや蔵前国技館で見た現役横綱は、鏡里・千代の山以降である。照国・羽黒山は見ていない。アンコ型が好きで、鑑里・松登・三根山・大蛇潟・緋縅・二瀬山などのファンであった。鏡里は若乃花に上手出し投げでよくやられたので、若乃花は嫌いだった。

小さい頃から相撲を見るのが好きだった。学校などの相撲では運動嫌いの私は行事役を務めた。髭の伊之助の大ファンであった。北の洋・栃錦戦で、差し違えを宣告された伊之助が検査役と大喧嘩をしたのをよく覚えている。

鏡里・千代の山が引退してからは栃若時代となり、私は栃錦を応援した。しかし若乃花という人も立派な力士であった。今の相撲界のありさまを見るにつけても、栃若時代の相撲は本当に見ごたえがあった。今、水入りなんてほとんどない。その頃はなかなか勝負がつかなくて引き分けなどということもあった。

相撲が昔の栄光を取り戻すことを祈る。

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2008年9月15日 (月)

千駄木庵日乗九月十四日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅して原稿執筆。完成。送付。

           ○

「篤姫」というドラマは明治維新の歴史が描かれているので、大体見るようにしている。今日は島津久光が江戸に兵を率いて来て、幕閣を脅かして、孝明天皇の幕政改革の勅諚を無理に受け入れさせたように描かれている。しかしこれは、天皇の御命令に従おうとしない幕府が悪いのである。

江戸には旗本八万騎(実際は五千家)がいたはずである。島津久光が連れて来た薩摩藩士は五百人。脅しに屈したなどということがあり得ようか。屈したとしたら、徳川幕府そして旗本というのも随分だらしないということになる。やはり、勅諚の権威に逆らえなかったのであろう。

京都などで勤皇の志士たちと実際に戦ったのは、新撰組などの浪士上がり、百姓上がりの武装集団であって、旗本といわれる正規の幕臣たちは、汚れ役を嫌って戦わなかった。京都にも行かなかった。汚れ役というか実際の戦いは会津藩と新撰組などに押しつけたのである。

今日は登場しなかったが、岩倉具視が狡賢い女性的な人物のように描かれていた。これもおかしい。岩倉はもっと精悍な人物であったと思う。申し訳ないが片岡鶴太郎が演じたのでは品格に欠ける。

それにしても、このドラマを見ていると、徳川将軍家の権威も権力も戦闘力も次第に弱体化していく様子がよくわかる。

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2008年9月14日 (日)

千駄木庵日乗九月十三日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後二時より、渋谷道玄坂のフォーラムエイトにて、「日台関係研究會」開催。加地直紀平成国際大学准教授が講演し、「一九九六年八月、最初に台湾に行った時、国立政治大学、中国青年反共救国団などと接触したが、適当な国、親日国家ではないという体験をした。その後、十五回台湾を訪問したが、日本人を理解してくれる国民性であることが分かった。廣枝音右衛門という警察官が、昭和二十年二月のフィリッピンのマニラ防衛戦で、玉砕命令がてていたが、米軍と交渉して台湾人日本兵を投降させ、自分は自決した。部下だった台湾の人々が新竹に獅子頭山勧化堂に廣枝音右衛門氏の御霊を祭った。

馬英九政権は台中両国関係の安定が東アジアの安定をもたらし、日台の利益になると考えている。政府機構の中では国家安全会議が対日政策を重視している。今度の台湾駐日代表は、馬総統の側近中の側近。馬英九総統は対日関係の重視を強調するが、強調すればするほど、馬総統のそれに見合った実際の行動がないと、日本人の不信と失望につながる。馬政権では『対日特別な関係』という言葉が使われている。」と語った。

終了後懇親会。

帰宅後は、書状執筆など。

             ○

台湾人は、共産支那に呑み込まれることを望んでいないことは確かだと思う。かと言って、支那との関係が悪化して、安全が脅かされることも嫌なのである。したがって、どういう形であれ、現状のままが良いと思っているのではないか。台湾には、台湾人と支那人という別のアイデンティティを持つ人がいるのである。これが台湾の最大の問題である。台湾人はほぼ親日であり、支那人はそうではないということである。

国民党の政権復帰により、台湾独立の正義実現が遠のいた。しかし台湾では、馬英九政権への批判が高まっているという。わが日本は台湾の国内情勢に一喜一憂することなく、わが国の安全と独立を維持するための懸命の努力をしなければならない。

共産支那の軍事的圧力に屈服しないためには、わが国の軍事力を強化しなければならない。その意味で、辞任表明をしただけで、辞任はしていないのに、自衛隊最高指揮官としての職務を放棄した福田康夫いう男の責任は重い。否、責任が重いどころか、総理としての最も大事な責務を放棄したという犯罪行為を犯したのである。

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2008年9月13日 (土)

千駄木庵日乗九月十二日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

昼は知人と懇談。

午後は原稿執筆。

午後五時より、本郷の展転社にて、「時局戦略懇話会」緊急幹事会開催。緊急の課題について討議。

帰宅後は原稿執筆。完成。

              ○

米大統領選の共和党候補ジョン・マケイン上院議員と、民主党候補バラク・オバマ上院議員が11日午後(日本時間12日未明)、2001年の米同時テロで攻撃されたニューヨーク市の世界貿易センタービル跡地「グラウンドゼロ」を共に訪れ、献花を行い、遺族などを激励した。

米大統領候補が、テロの犠牲者を追悼することに文句を言う気持ちはない。ただし、このニュース映像を見て思ったのは、アメリカという国は、敵対する国に対して、猛烈なる爆撃を行い、何万、何十万という女性・老人・子供を含む無辜の民を殺してきたということである。このことへの反省を行ったという話は全く聞いていない。わが国に対しては、広島・長崎に残虐なる原爆を落とし、また、各都市にも無差別の絨毯爆撃を行い、数十万の無辜の民を殺戮した。アメリカはそのことへの謝罪も反省も行っていない。

私は反米を煽るわけではない。しかし、これは歴然として事実である。そのことを思うと、二人の米大統領候補者が献花をする姿を見て、何か空々しい感じがした。アメリカは「正義と人道の国だ」ということは言えないと思う。米同時テロを敢行したテロリストも、正義のためと信じていたであろう。日本に原爆を落とし無辜の民を大量殺戮した米軍人も正義のためと思ってやったのであろう。自分の行っていることが正しいと信じて行う犯罪ほど凄まじいものはない言われる。東京大空襲を行った米兵がテレビで「日本人は人間ではないと思って爆撃した」と語っていたのを思い出す。

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2008年9月12日 (金)

千駄木庵日乗九月十一日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後二時半より、衆議院議員会館にて、「日本再生同志の会」役員会開催。中村信一郎氏が司会。小田村四郎会長、加瀬英明副会長が挨拶。西村真悟衆院議員がスピーチ。衆院解散など当面する諸事項について討議が行われた。

午後六時より、神田神保町にて、「九段下沙龍」開催。同志と当面する諸課題・運動目標・戦術・戦略について討議。

帰宅後は原稿執筆。

                 ○

「週刊新潮」に「天皇伝説」という映画のことが煽情的に取り上げられている。この間の「映画・靖国」の一連の騒ぎも「新潮」が取り上げたことによって起こった。「週刊新潮」が取り上げなければあんな大騒ぎにはならなかった。「映画・靖国」は私も見たが、全くつまらない内容の映画であった。何の価値のもない。だからまだそんなの時間が経過していないのに、今では全く話題にならない。忘れられたと言っていい。

「天皇伝説」という映画も、そのポスターを見ただけで、唾棄すべき映画、反吐が出るような映画であることは確かであるる。ポスターには「右翼が怖くて言論の自由が守れるか」などと書かれ、「新潮」では監督と称する男が「右翼が怖いと言っても、あいつら別に何もしてきませんよ」などと語り、右翼に対する挑戦的な姿勢をとっている。こんな映画を一体どういう人が見に行くのか。

私は新潮社という出版社は文藝面の出版に関しては評価している。「週刊新潮」も政治問題・外交問題などに関してはまともな論調だと思っている。しかしこと皇室に関しては、まことにおかしい姿勢であると思う。今回の記事も、そのひとつである。皇室の尊厳性を冒瀆し、皇族方の名誉を棄損し奉る記事が多すぎる。これは何とも許し難い。

近年は、いろいろ搦め手の國體破壊・反皇室策謀が活発化してきている。保守といわれる学者・評論家・政治家にも、皇室に関して誤れる姿勢を示す人が出てきている。皇室の尊厳性は何としても護り奉らねばならない。

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2008年9月11日 (木)

千駄木庵日乗九月十日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後二時より、内幸町の日本記者クラブにて、「マスコミ総合研究所研究會」開催。

屋山太郎氏が講演し、「福田内閣は改造後も支持率が上がらなかった。選挙は四〇%くらいの支持率がなないと勝てない。公明党に定額減税を呑まされた。福田はそれに嫌気さしてやめた。安倍は一七回強行採決をしても矢折れ刀尽きて辞めた。福田は違う。何もやろうとしたものはない。安倍と福田を一緒にしては安倍が可哀そう。中選挙区時代の遺物のような森の意向で内閣改造した。これで世の中に通用するのかというような人事。福田には目的、信念、気概、自分の言葉がない。

安倍は政治にスピリチュアルなものを持ち込んだ。それまでは政治はモノとカネだった。

麻生が一発で勝つと思う。与謝野は財務省の代弁。次の総選挙は前の小泉劇場のようにはならない。麻生氏が講演で、聖徳太子は『日出づる国の天子書を日没する国の天子に致す』と書いたのは『華夷秩序』に入らないと宣言したのだ、と言ったのには感心した。

民主党が比較第一党になれば、公明党が乗ってくる。民主は社民と一緒にならなければ参院で過半数を取れない。民主党政権で外交的には日本は置いてけ堀になる。小沢は国連第一主義でなければ旧社会党を取り込めない。

東アジア共同体はとんでもない。日本は華夷秩序に入ってはならない。七世紀からの日本の外交方針を守れ。日韓中に共通のものはない。ある韓国の評論家が屋山氏に、「大分県の教育委員会の不祥事は、韓国では当たり前のことなので日本で何で大騒ぎするのか分からない」と言っていたという。日本人は潔く、清潔で、公平さを好む。

小選挙区制ではキャスティングボートを握る新党は出てこない。自公は金の切れ目が縁の切れ目。公明は思想的には民主に近い。現世利益の党だから野党にじっとしているわけにいかない。民主が政権を取れば民主につく。」と語った。

この後、質疑応答。

夕刻、我が家でお守りしている観音堂に賽銭泥棒が入ったので、警察に相談。二名の警察官がすぐに来てくれたので大変ありがたかった。御賽銭は大した額ではないが、お堂の鍵が壊されてしまった。

夜は、原稿執筆。

              ○

屋山氏の講演は実に面白い。ただ平沼新党については悲観的に見ておられたのが残念であった。何とか平沼氏に新党を結成してもらい、真正保守が第三極としての立場を確保してもらいたい。安倍内閣退陣によって、真正保守の政治が後退してしまった。総裁候補の中では麻生氏が比較的良いのではないかと思っている。石原慎太郎氏の御子息はなぜ対北朝鮮外交で不透明に動きをしている山崎拓氏の派閥なのか。理解に苦しむ。麻生総裁・小池幹事長というのがいいのではないか。

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2008年9月10日 (水)

千駄木庵日乗九月九日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅して原稿執筆。

             ○

今日九月九日は、「重陽の節句」である。奇数は縁起が良い数とされ、一番大きな奇数「九」が重なる九月九日は「重陽」として大事な節句(節目の日)の一つとなった。支那ではこの日に山に登って菊酒を飲む風習があったという。陰暦の九月九日には菊の花が咲く時期である。わが国でも、宮中行事となりとなり、紫宸殿にて、菊の花を見たり詩歌を詠んだり菊花酒を飲んだりしてけがれを祓い長寿を願う行事が行われたと承る。陽暦の現代では、季節感覚がなくなって来て、伝統行事や習俗がすたれつつあることをさみしく思う。

唐詩には、重陽の節句を詠んだ詩が多くある。最も有名なのは王維という詩人の「九月九日山中の兄弟を憶ふ」という詩である。大学時代に内田泉之助先生に習ったことを懐かしく思い出す。唐詩を読むと、支那に対する親近感を抱く。しかし現代の支那の暴虐ぶりを見るとその親近感が雲散霧消してしまう。

そしてそういう麗しい年中行事とはまったく関係なく、国技と言われる大相撲で不祥事が起こった。相撲協会から査問を受けたロシア人力士は、急に日本語が分からなくなったという。外国人が何か都合の悪い事態になると今まで日本語がペラペラだったのに、突然日本語が分からなくなるというのは不良外国人の常套手段である。

一時代の前の相撲協会の理事長は、元横綱常の花の出羽の海、元双葉山の時津風、元栃錦の春日野など、なかなか風格のある人ばかりであった。出羽の海理事長は、お茶屋問題で不祥事が起った時、理事長室で割腹自決をはかった。

私は、異論もあるかと思うが、やはり国技には外国人力士はいらないと思う。

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2008年9月 9日 (火)

千駄木庵日乗九月八日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、原稿執筆。

午後七時より、千駄木の養源寺にて、「おとなの寺子屋・論語の会」開催。小生が開会の挨拶。角野英毅文京区議が経過説明。東洋大学共生思想研究センターの野村英登氏が講義。次のように語った。

「古典は声に出して繰り返し読むことが学ぶことだった。文字が発明される前は口頭で教えが伝えられた。論語も古い時代のものなので、声に出して読むことが大事。孔子の時代は紙はなかった。

『法』の字義は、水は水平になり片寄りがない。片寄ったものを去らせるのが『法』という字の本来の意味。漢字の原義を学ぶのは『そもそも』を考えるきっかになる。

孔子の弟子が孔子の言行録を編んだ。『聖書』『お経』に近い。そして後世の人が注釈を付けた。そこに中国の伝統的な学問の在り方が生まれてきた。儒教は国家体制の中に組み込まれた。官僚採用試験である科挙の試験科目に儒教が入った。内容は日常生活の人生訓。中国の考え方は、個人→家→地域→国→天下。自分自身がちゃんとしなければ家・地域・国・天下がちゃんとしないという考え。中国という巨大帝国を管理支配する思想。体制維持のために必要とされた思想。

『論語』は聖典だからこういう読み方をしなければいけないという固定観念があった。宮崎市定はそういう読み方を否定し『人間孔子』はこういう言い方をしたということを論じた。

近代になって儒教は専制思想であり近代化の妨げになると批判された。中華人民共和国では完全に否定された。最近は、儒教は世界に誇る中国伝統文化とされている。『論語』が現代中国で再び持ち出されたのは、今の中国が倫理を喪失し、弱肉強食の世界になったから。

儒教は『礼』を大切にする。『礼』とは祭祀儀礼。祭政一致の思想。日本も、内閣総理大臣は、天皇に任命される儀式を行う。政治も外交も『礼』が大事。

『論語』に女性は出てこない。ただ一カ所『女子と小人養い難し』とあるのみ。『君子』を『男』と読み替えると理解しやすい。仁義の世界は男の世界。老子は女性崇拝。印刷技術が進歩し、出版文化が発達すると、朱子が登場して、『論語』は統治者だけに向けられた言葉ではなくなり、一般の人々への言葉にもなった。」

帰宅後も原稿執筆。

              ○

「論語」には確かにすばらしい言葉が書かれている。「論語」に書かれている言葉を実践すれば立派な人物になることは確かである。ところが今の支那という国は全く「論語」に書かれていることを忘却している。これは一体どうしたことか。「論語読みの論語知らず」という言葉があるが、共産支那の大多数の国民は「論語」を読みもしないのではないか。

また、儒教は女性を蔑視というか無視しているというが、支那は昔から女性が政治権力を掌握する国である。則天武后・西太后・宋美齢・江青などはその典型である。権力者の夫人が旦那以上に政治権力を振るうのである。これは一体どうしたことか。

儒教は徳川幕府の体制維持の思想的基盤であった。明治以後においても儒教は日本の精神文化に大きな力を持った。儒教・孔子の思想を全面否定することはできない。しかし、明治天皇様の御製にある通り「良きをとり悪しきをすてる」姿勢が肝心である。

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2008年9月 8日 (月)

千駄木庵日乗九月七日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅して「政治文化情報」の原稿執筆。

               ○

昨日の憲法論の続きであるが、戦後日本は、「國民主権論」「平和と民主主義」「人権尊重」「生命尊重」「個の尊重」を最高の価値とし押し戴き、絶対に守らなければならない価値であり続けている。しかも、これらの価値は、進歩的な欧米諸國から教えられたものであり、わが國は先進的な西欧諸國に学ばなければならないと思い込んでいる。

しかし、「戦後民主主義」と「戦後平和主義」は『弱者の思想』である。真の民主精神(人としての自主性を確立する思想)でもなければ平和思想でもない。國のために戦うという『強者の思想』を否定し、武力は放棄する、軍隊は持たないという思想である。また、國家の独立・平和・歴史・傳統が侵略者から蹂躙されても、「戦争は無い方が良い、人命尊重だ」と言って、戦うことを忌避する『弱者の思想』である。

 弱者であるから徒党を組む。即ち集團で運動をせざるを得ない。「赤信号みんなで渡れば怖くない」式の生き方しかできないのである。弱者は弱者なるがゆえに、常に「不安、嫌惡、憎惡、嫉妬」の対象を常に見つけ出し、あるいは作り出さずにはおれない。これが「いじめ」である。

 「戦後民主主義・平和主義」の「守り手」・「弱者の味方」を以て任ずるマスコミは、「知る権利」「知らせる義務」とやらを振り回し、カメラやマイクを持って「不安、嫌惡、憎惡、嫉妬」の対象となっている特定の人物を追いかけ回し、特定人物を責め苛む。これまで、こういうやり方でどれだけ多くの人々が血祭りにあげられ、「魔女狩り」の対象になってきたであろうか。小學生・中學生のいじめは、大人のこうしたやり方を真似しているに過ぎないのである。

 『現行占領憲法』体制下の魂の腐敗と國家の欺瞞は、「軍國主義國家」であったという戦前の日本にはあり得なかった「人命軽視」という言葉すら空しくなる残虐なる殺人が日常茶飯事になった社會を現出させた。

 「自主防衛体制の確立」は、國家の安全・独立に維持の基本であると共に、國民道徳の回復の重要な手段である。國民一人一人が「自分の國は自分で守る。國家緊急事態には体を張って國を守る」という精神を回復することが、「エゴイズム=自分さえよければいい」という精神を払拭する手立てとなる。

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2008年9月 7日 (日)

千駄木庵日乗九月六日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後二時より、内幸町の日本プレスセンターにて「アジア問題懇話会例会」開催。

櫻井よしこさんが講演し、「中国はユーラシア大陸における基盤をかなり固めた。二○○四年にロシアとの間で国境問題完全解決を発表。これは政治的妥協。どちらにとってもそれが有利。二○○一年に国内民族問題を収め、中央アジアを引き入れるために上海協力機構を作った。二○○六年に台湾侵攻を念頭に置いたロシアと大軍事演習を行った。中国が国力を強めれば、国境はどんどん外に広がっていく。オーストラリアは中国移民が増加している。

馬英九政権になってアメリカは武器を台湾に売らないということになった。国民党は中国との交流によって経済繁栄を図り台湾を存立させるという考え。経済だけが台湾存立の基盤とはなり得ない。中国は軍事のツボを押さえる戦略をとってくる。

我が国は米中が手を結んだら活路はない。普天間基地問題でアメリカが日本に不信感を抱く。キッシンジャー以来、アメリカは日本を同等の国として認めていない。日本は米中に対して言うべきことは言うべし。政治力を支えるのは軍事力ということを認識すべし。いかなる国も適正な軍事力がなければ政治的発言力を持ち得ない。

一九七八年の『日中平和友好条約』は大失敗。何の条件もつけずに対中経済協力に踏み出した。『尖閣問題は次の世代が解決する』と言って棚上げにした。一九九二年に中国は一方的に『領海法』を作って尖閣は自国領だと宣言した。日本には対中国国家戦略がなかった。日本の経済援助が軍事力に転用された。

台湾に外省人政権がこのまま続くとは思えない。台湾人の意志は現状維持が大半。台湾人に呼びかけた協力関係を構築すべし。

特別永住者に外国籍のままで参政権を与えるのはとんでもない。民団は被選挙権も欲しいと言う。特別永住者の帰化条件を緩和して特別永住者をゼロにするのが好ましい。小沢民主党は李明博政権との関係を良くするためと自公切り離しのために地方参政権付与を言っている。政党レベルの利益で地方参政権が出てくるのを阻止すべし。パスポートに『中国』と書かれていても、台湾・チベット・ウイグルのような友好国の人はもっと受け入れるべし。日本にとって深刻な問題は漢民族との対峙。

靖国神社問題は日本側が作り出した。七八年にいわゆる『A級戦犯合祀』が報道された時、中国・韓国は何にも言わなかった。当時の中国はソ連と対立し、日本に対して軍事費を増やせと言っていた。北方領土奪還を援助するとも言った。戦後の歴史教育は根本的に見直さなければならない。」と語った。この後質疑応答。

午後六時より、神田学士会館にて「憲法懇話会」開催。高乗正臣平成国際大学教授が座長となり、「憲法懇話会憲法試案作成の前提」について討論。

「憲法は立国法に基づいて存立する。憲法は統治組織について定める法である。憲法は成分法規の中で最高法規である。」「いかなる国の憲法もその国の立国法を否定し、国家の存立を危うくする革命、もしくは無政府主義を目的とする活動を認めない」「「立国法とは立国の精神または道徳的理想を根幹としてその国の最も基本的な伝統的秩序を樹立するもの」「憲法は、立国の理想に違反しない限り学問、思想、信条、芸術、言論、信教の自由に干渉すべきではない」などということを論じ合った。

              ○

日本国は天皇を祭祀主と仰ぐ信仰共同体である。これがわが国の國體であり、立国法であり不文憲法。成文憲法は日本國體の本姿を正しく成文化したものでなければならない。現行占領憲法は、日本國體の本姿を正しく成文化していない。主権在民論は、西洋の権力国家の思想である。わが国は日本天皇と国民が権力を争奪した歴史は全くない。日本國體・立国法を正しく成文化している憲法に回帰すべきである。

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2008年9月 6日 (土)

千駄木庵日乗九月五日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅して、原稿執筆のための準備。明治維新とくに、孝明天皇の御事績そして岩倉具視のことについて調べています。

              ○

ある同志の法律家から電話をいただき、私の父母のことを心配していただきました。まことに有難い限りであります。

また別の同志の方から電話があり、ある保守系とされる評論家の「皇室論議」について憂慮の思いを開陳されました。私はその人の論文を詳しくは読んでいないのですが、以前「正田王朝」とか「小和田王朝」などという表現をしていたので、この人は駄目だと思ったことがあります。皇室の対しての「慎みの心」を欠如した皇室論の横行はまことに困ったことであります。

また、台湾問題に熱心に取り組んでおられる方からメールをいただき、「支那人に支配された台湾は仮想敵国だと思います。」「米国の同盟国である日本に『戦争をじさずー不惜一戦』などと行政院長や国防部長が言っている国に対して、米国が武器供与などとんでもない話です。米国は日本の同盟国です。日本から米国に対して、『空中発射型ハープーンの供与など絶対に反対だ』と申し入れるべきだと思います。F-16 C/Dの台湾への供与は現状では絶対に反対だと申し入れるべきだと考えます。」との意見表明がありました。同感です。

今までアジアの最も友好関係にあった台湾が、支那や朝鮮と同じように危険な存在となってしまうことは何としても防がねばなりません。それとともに、台湾がどのような事態になっても、わが国の独立と安全を守る体制を確立しなければなりません。その意味でも、国防を軽視する福田が総理を辞めたことは良いことでした。また、歴史問題で祖国を貶める石破を総理にしてはならないと思います。

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2008年9月 5日 (金)

千駄木庵日乗九月四日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅して原稿執筆の準備。

夕刻、知人と懇談。

夜も、原稿執筆の準備など。

             ○

「福田氏の辞任は苦労が足りない。あまりにも不甲斐ない」という意見が多い。「二世代議士はだめだ。苦労が足りない。修羅場をくぐれない。」と言う人もいる。小沢一郎氏や小泉純一郎氏のような例外もあるが、そういう指摘は当たっているのかもしれない。特に昨日も指摘したが、自衛隊最高指揮官という職責を放棄した罪は重い。余程「軍隊」が嫌いなのであろう。そして福田氏は「媚中政治家」の典型であった。辞めてもらって良かったと思う。

今日会った人は、「麻生が後継総理になるのはいいことだが、そうなると平沼新党結成が難しくなる可能性がある。自民党内部の真正保守派議員が脱党しにくくなる。」と言っていた。そういうこともあると思う。しかし、平沼氏が自民党に戻って活躍できる可能性も出て来る。今、総裁選に出馬しようとしている人の中では、やはり麻生氏が良いと思う。

維新変革=政治体制の根本的変革を求める我々は、政治家・権力者に対しては、常に批判的立場を堅持しなければならない。

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2008年9月 4日 (木)

千駄木庵日乗九月三日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は原稿執筆の準備。

午後七時より、文京シビックセンターホールにて、『「1000万人移民」にNO!国民集会』開催。登壇者の印象に残った発言は次の通り。

加瀬英明氏「ロシア軍は自国民保護を名目にしてグルジアに侵攻した。ロシアが常任理事国である国連は動けなかった。日本が移民を認めると、中国が自国民保護を名目にして日本を侵略する危険がある。日本の第二のグルジアにしてはならない。中国からの移民が中国の日本侵略を誘発する。日本は道義国家として立て直し、少子高齢化を是正すべし。」

土屋たかゆき氏「日本は単一民族で一生懸命やってきた。共助の精神や親孝行の精神がある。国民の一割を外国人にすると異文化が入って来る。日本が日本でなくなる。政権交代が大切なのではなく、日本をどういう国にするのかが大切。日本の国柄・國體の護持が根本。」

村田春樹氏「他民族との共生は世界の何処の国も成功していない。ゲルマン民族の移動はローマ帝国を滅ぼした。移民によって建国されたパレスチナは今どういう状況になっているか。結婚しない人が増えていることが人口減少の原因。男女共同参画・ジェンダーフリーに反するということで政府は国民に『結婚せよ』とは言えない。財界が人件費削減のために移民導入を言っている。それに乗っているのが売国政治家。」

笹井宏次朗氏「移民社会は地震が起きたら略奪の嵐。移民の歴史は苦難の歴史。」

平田文昭氏「外国人労働者の受け入れと移民の受け入れとは根本的に異なる。移民とは移民して来る人の総体を受け入れることになる。日本国土が外国人によって占領される。移民国家は日本の解体。日本の解体を『国際化』と言う。移民国家は『人における国際化』である。国際人であることを拒否し、日本国民たることを貫徹することが平成の日本の戦い。」

吉田康一郎氏「一千万移民を阻止しなければ日本の国柄を守ることはできない。幕末の屈辱的開国と同じ過ちをしてはならない。」

三輪和雄氏「これはチャイナ問題。長野におけるチャイナ人の暴力を見れば移民がいかに危険かが分かる。チャイナによって日本は占領される。」

この後、決議文が採択され終了した。

帰宅後は、諸雑務。

           ○

今日の集会は大変盛会でした。登壇者の発言の詳細は、「政治文化情報」でお伝えします。

福田総理は今日行われた「自衛隊高級幹部会同」への出席をとりやめた。いまだ現職の総理であるのに、自衛隊最高指揮官としての任務を放棄したのだ。国防は総理としての最大の任務である。これを放棄したことは最大の犯罪行為である。自衛隊が国軍であるならば、福田氏は軍法会議にかけられる。自衛隊が国軍ではないとしても、総理大臣としての職務を放棄したであり、法律上の断罪が行われるべきである。

福田氏はまた、長野の聖火リレーにおいて、『シナ人が日本国民への暴行などの違法行為を行っても検挙するな』と警察に指示したという。これも重大な犯罪行為である。

以上二つのことは、福田が総理を辞めても、厳しく糾弾されなければならない。ともかくこんな男が総理を辞めたことは国家的慶事である。

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2008年9月 3日 (水)

千駄木庵日乗九月二日

午前は父に付き添って病院に赴く。定期的な診察と治療。

午後は、諸雑務。

午後六時より、西新宿の京王プラザホテルにて開催された会合に出席。多くの同志・友人と懇談。あるマスコミ関係者は、「福田赳夫は、冷たい人」という感想を述べた。またある企業経営者は、「小沢一郎は、言うことがコロコロ変わる。彼には権力奪取と政局しかない」との感想であった。

帰宅後は、テレビニュースを見ながら、諸雑務。

              ○

麻生氏と小池百合子氏とが総裁選を争うことになるそうだが、小池氏の後ろに中川秀直氏がいるのが気になる。中川秀直氏が「改革派」という報道がおこなわれている。私にはどうしてもそうは思えない。胡散臭い政治家の典型ではないだろうか。

小沢民主党が池田創価学会・公明党糾弾を国会において本当にやりきるかどうか。公明党創価学会は、「人物本位」とか言って、民主党・国民新党所属議員の切り崩しに動いているようだ。小沢民主党は、公明党と自民党の離間が成功したら、学会・公明党批判はやらなくなる可能性が高い。小沢一郎も、胡散臭い政治家の典型である。

麻生総理総裁、小池幹事長というのが良いのではないか。国家基本問題で意見がコロコロ変わる小沢一郎が率いる民主党に政権を握らせたくない。前原誠司氏があっけなく党首を辞めたのは本当に残念であった。

福田氏が本当に自分を客観的に見ることができる人だったら、最初から総理大臣を引き受けなかったのではないだろうか。

福田氏はご自分が云ったと通り本当に貧乏くじを引いてしまったようである。聖書には「言葉は神である」と書かれている。言葉には創造力がある。言ったことは実現する。言葉の力は恐ろしい。

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2008年9月 2日 (火)

千駄木庵日乗九月一日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅して、次号の「政治文化情報」の原稿執筆のための資料検索など。明治維新特に岩倉具視について書きたいと思っています。西郷隆盛・大久保利通と比較して岩倉具視についてはあまり論じられていないのですが、岩倉は大変重要な役割を果たした人です。ところが一番評判が悪い人でもあります。

                ○

福田総理が辞任を表明しました。要するに、小沢民主党および公明党との確執や戦いに疲れ、展望も開けなくなったということでありましょう。これ以上総理をやっていても、野垂れ死にするだけだから、それなら今辞めた方がいいと思ったのでしょう。

次の総理に麻生氏がなろうと誰がなろうと、参議院が野党が多数を占めている状況が続く限り、政権運営が困難を極める状況に変化はありません。また、創価学会公明党との連立が続く限り、彼らのゴリ押しを無視することはできません。

野党は一斉に「無責任だ」と批判していましだか、福田氏に「辞めろ、辞めろ」と言っていたのは野党の方です。本当に辞めたら今度は「無責任だ」と責め立てるのはそれこそ無責任であります。

それにしても、総理大臣たる者は、もっと腹をすえて政治家としての使命を果たす人でなければならないと思います。この先大変だから辞めるというのでは困ります。

政治家やマスコミは官僚をしきりに非難攻撃しますが、政治家の質がいくら低下しても、日常の行政が動いているのは、やはりそれなりの資格試験に合格し経験もある官僚がおり、官僚機構があるからであります。あまり官僚を目の敵にするのはどうかと思います。特に、今の政治家に官僚をさげすむ資格があるのでしょうか。

何時も同じことを繰り返すようですが、政治の混乱を収めるには、政策・理念に基づいた政界再編が絶対に必要であります。

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2008年9月 1日 (月)

千駄木庵日乗八月三十一日

未明、父の容態に変化があり、看護。小康を得る。

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後、皇居東御苑内の宮内庁三の丸尚蔵館にて開催されている「帝室技芸員と一九○○年パリ万国博覧会」展参観。

明治三三年(一九○○)に開催されてパリ万国博覧会に出品された帝室技芸員の作品が展示されていた。「わが国の近代美術工芸史上重要な重要な作品であり、その美しさと歴史的意義を考える機会とする」という「趣旨」の展覧会である。

橋本雅邦の『龍虎図』、石川光明の『古代鷹狩置物』、並河靖之の『四季花鳥図花瓶』、野口幽谷の『智仁勇』、紹美栄祐の『嵐山宇治川図花瓶』などを見る。それぞれ見事な作品ばかりであった。わが国の絵画・工芸品などの緻密さ・美しさは世界に比類がないと思う。

夕刻、知人と懇談。

帰宅後は、書状執筆など。

                ○

ルーブル美術館、ヴェルサイユ宮殿、ヴァチカン、大英博物館、故宮博物館など、外国の帝室、王室の美術館などと比較すると、日本皇室の美術館そして宮殿の何と質素なことか。京都御所も、昭和新宮殿も、質素にして清らかで美しい。美術品も清らかでけばけばしさがない。私の個人的感想を言えば、畏れ多いことながら、もう少し大きな美術館が建てられてもいいと思う。

尚蔵館には外国から奪ってきたものは一つも存在しない。しかも、今日宮内庁の所蔵品となっている。つまり政府のものなのだ。皇室の財産ではなくなっているのである。皇室には「私」が無いのであるから、無理に皇室財産を無理に政府管理に移行させる必要はないと思う。戦後の、皇室弱体化はまことにひどいものである。徳川幕府・足利幕府すら行わなかったようなことをしたのである。

日本皇室は、覇者ではなく、祭祀主としての宗教的・信仰的権威であらせられるがゆえに、何もかもが、清らかで簡素でしかも侵し難い神聖性があるのである。


 

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