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2008年7月21日 (月)

千駄木庵日乗一月二十日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後一時半より、靖国神社境内の靖国会館にて、「台湾老兵 許昭榮烈士 追思会」執行。開会の辞(呉正男氏)・黙祷・主催者挨拶(石戸谷慎吉氏)・DVD上映・「海ゆかば」斉唱・閉会の辞(沼山光洋氏)などが行われた。

この後、懇親会が開かれ、三宅教雄・林耀南・中津川ひろさと・土屋たかゆきの各氏などが挨拶した。

帰宅後は、原稿執筆。

          ○

戦後、蒋介石軍の兵士として一万五千人の台湾人が大陸で戦った。三千人が戦死した。生き残って捕虜となった人々はその後朝鮮戦争に共産軍として従軍させられ、六千人が戦死した。朝鮮戦争で生き残った人は、今度は文化大革命で二千人以上が迫害虐殺されたという。

許昭榮氏は、台湾高雄出身。日本海軍特別志願兵。戦後は、台湾独立運動に参加、国民党政権により十年の刑に処せられる。出所後渡米、台独運動を行ったため、ブラックリストに載る。カナダに移る。李登輝政権誕生後帰国。

カナダ在住の時から、大陸に残され帰国できず、様々に迫害に遭っていた台湾老兵の帰国支援を行った。そして、台湾に帰国した許昭榮氏は、台湾老兵の慰霊のために「無名戦士記念碑建立運動」「戦争と平和記念公園設立運動」を展開した。

米潜水艦による攻撃によりバシー海峡で撃沈された日本軍輸送船は約二百隻、犠牲になった日本軍兵士は二十万人に上るという。この尊くも悲しき御霊を慰霊するために台湾の猫鼻頭というバシー海峡に面した岬に「潮音寺」というお寺が建立された。しかしその後、色々な理由により「潮音寺」の存続が危ぶまれた。許昭榮氏は「潮音寺」の存続のためにも多大の貢献をされた。

昨年九月、高雄市議会は、許昭榮氏が建設運動を行った「戦争と平和記念公園」を別の形にして、台湾老兵慰霊の意義を消し去る決議をしてしまった。許昭榮氏は何回も抗議運動を行ったが、受け付けられなかった。そこで、今年の五月二十日、許昭榮氏は抗議の焼身自決を決行したのである。

今日は、多くの日本人同志及び台湾独立運動に挺身して来た在日台湾人の人々が参加した。ある台独運動家が「共産中国軍と台湾軍が合同演習をするようになると、それは台湾人のみならず日本にとって重大な危機である。」と語っていた。

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