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2008年7月29日 (火)

千駄木庵日乗七月二十八日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、諸雑務及び資料の整理など。

         ○

資料の整理をしていて、本年六月九日号の『神社新報』社説を読んだ。そこには、「皇太子殿下の御結婚に際しては、内閣告示によって、『結婚の儀、朝見の儀及び宮中饗宴の儀

は、國の儀式として行う』と定められた。…賢所における神事が、國の儀式としてされたものであった。もちろん、昭和三十四年四月に今上陛下がご結婚になったをりにも、それぞれ国事としておこなわれた。…皇祖より連綿と続く皇室において、敬神崇祖の念のもとに宮中祭祀がおこなわれることは、法律に基づくまでもなく至極当然のことであり、皇室の存在が公的なものであれは、祭祀も当然公的なものとなる。…社会的慣習と宗教形式がむすびつくことにまで、敢へて政教分離思想を持ち込み歴史伝統を壊さうとする戦後の混乱期を経て、皇太子殿下(今上陛下)の御結婚が、宮中祭祀の存在を公事として今一度知らしめることになったといって過言でない」と論じていた。

大切なのは、「皇祖より連綿と続く皇室において、敬神崇祖の念のもとに宮中祭祀がおこなわれることは、法律に基づくまでもなく至極当然のこと」という指摘である。戦勝国に押し付けられた『占領憲法』に何が書かれていようと、皇室祭祀・天皇の祭祀は、わが天皇を祭祀主と仰ぐ信仰共同体国家・日本国存立の中核行事である。それは、わが国の公事中の公事であり、国事中の国事である。成文法の規定がこれを規制したり介入することは全くできないし、させてはならない。

昭和三十四年四月十日、当時中学一年生であった私は、テレビで中継されていた宮中三殿賢所において執行された「結婚の儀」を拝した。その荘重さ、神々しさに感激したことを覚えている。そして印象に残ったのは、当時日本社会党の委員長だった浅沼稲次郎氏が、参列者の一人として賢所にかしこまって座っていたことである。

いかなる政治的立場・宗教的立場に立とうとも、敬神崇祖・尊皇愛国は、日本国民の共通の国民精神である。今日の日本の混迷を救う基礎は、敬神崇祖・尊皇愛国の精神の回復である。

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