« 千駄木庵日乗七月二十一日 | トップページ | 千駄木庵日乗七月二十三日 »

2008年7月23日 (水)

千駄木庵日乗七月二十一日

午前は、父に付き添って病院に赴く。今日は定期的な診察と治療。

午後からは在宅して、明日の萬葉集講義の準備など。

          ○

畏友・蜷川正大氏のブログ「白雲去来」に次のようなことが書かれていた。

「九時から、日本テレビの特番、『女たちの中国ー李香蘭』を見たが、その中で李香蘭こと山口淑子が、若い頃に『支那の夜』に出演したことを、『後で、その映画を見て、何と言う恥ずかしい映画に出演した云々』とコメントしていたことに腹が立った。
 何を今更、テメエだって散々いい思いをして、絶頂にいたくせに、フザケンナと思った。私は、あるときに時代に迎合していい思いをした奴が、価値観が変わった途端に、過去を悪しざまに言うことが、我慢ならない。お前の映画を見て、戦地に行ったり、戦死した人だって居るんじゃないのか。
 こんな者が参議院にいたのだから、同じ日本人として恥ずかしいかぎりである。支那と支那人に申し訳ないと思うのならば、八十八まで生きたんだから、お前が死んでお詫びをしなさい」

全く同感である。これは理屈ではない。蜷川氏の感性と小生の感性はよく似たところがあると思っていたが、ますますそう思う。戦前さんざん戦争に協力し、日本の大陸政策に協力しながら、戦後になって、態度を一変させるなどというのは許し難い。

今頃になってそんなことを言い出すのなら、戦争が終わった直後、「私は日本人です」などと名乗らないで、支那人として、漢奸として裁かれれば良かったではないか。「戦犯」として裁かれる危険性がなくなった今頃になって「私は侵略に加担した」などというのは全く許し難い。こういう変節漢が日本を悪くしたのである。

その点、「支那の夜」を歌った渡辺はま子女史は偉かった。戦時中、支那メロディーを歌い、大陸の戦地を慰問し、日本軍将兵を励ましたことを、亡くなるまで誇りにしておられた。また戦後はモンテンルパ捕虜収容所に拘束されていた日本人「戦犯」の釈放運動に尽力された。まさに「愛国の花」であられた。

野村秋介氏、蜷川氏などとフィリピンのモンテンルパ収容所跡を訪ねたことを思い出す。死刑台のあった所で渡辺はま子さんの「ああモンテンルパの夜は更けて」を熱唱したことを昨日のことのように思い出す。

野村先生も渡辺先生もこの世を去られた。本当にさみしい限りである。渡辺先生には何度もお目にかかり色々お話を伺った。横浜生まれ、横浜育ちなので「はま子」といわれた。

|

« 千駄木庵日乗七月二十一日 | トップページ | 千駄木庵日乗七月二十三日 »

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/121949/41944227

この記事へのトラックバック一覧です: 千駄木庵日乗七月二十一日:

« 千駄木庵日乗七月二十一日 | トップページ | 千駄木庵日乗七月二十三日 »