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2008年6月22日 (日)

千駄木庵日乗六月二十一日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は「政治文化情報」発送準備。

夕刻終了、発送。購読者の皆様には月曜日もしくは火曜日にはお届けできると思います。

夜は、資料の整理など。

         ○

尖閣諸島は、沖縄県石垣市に属する総面積およそ六・三㎢の八つの小島である。魚釣島、北小島、南小島、久場島などからなり、石垣島からおよそ百七十㌔北西の方向にある。

 尖閣諸島は一度も支那(中国)の領有になったことはない。日本は、明治十八年以降、政府が沖縄県当局を通ずるなどの方法により再三にわたって現地調査を行い、単にこれが無人島であるのみならず、清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重確認の上、何処の国にも属さない主のいない島については先に実効支配した国に領有権があるという国際法上の“無主地先占”の原則に基づいて、明治二十八年一月十四日に現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行って正式にわが国の領土に編入した。その上で沖縄県八重山郡登野城村二三九一から二三九四と所在を確定(現在は石垣市)した。この時清国側から反論も抗議も行われなかった。

 そして日本政府は、沖縄の実業家・古賀辰四郎氏に尖閣諸島を開拓を正式に許可している。古賀氏はすでに明治十七年頃から魚釣島の開拓に着手していたのである。

 その後、古賀氏は魚釣島でアホウドリなどの羽毛をとってイギリスなどに輸出したり、鰹節工場を作ったりして、この島に“古賀村”と呼ばれる集落を作った。 まだその集落のある大正八年の冬に、中華民国福建省の支那人三十一人が漂着したので、古賀氏の子息が救助して、彼らを石垣島まで送り、船も修繕し、医療も施した上で中華民国に返した。これに対して、中華民国長崎総領事が大日本帝国沖縄県八重山郡尖閣諸島に感謝状を送って来た。この感謝状は今も残っている。つまり、尖閣諸島が沖縄県八重山郡に属することは、支那の外交文書にも記録されているのである。

 このように、有史以来、尖閣諸島は日本国の領土として日本国民によって開発され今日に至っているのである。台湾やその付属島嶼のように、日清戦争の平和条約(明治二十八年四月十七日調印の下関条約)によって、日本が清国から割譲させたものではない。

 だからこそ、サンフランシスコ平和条約で、日本は、台湾及び膨湖諸島など台湾の付属島嶼に対する権利、請求権を放棄させられたのに、尖閣諸島は、台湾及び膨湖諸島とは区別され、沖縄の一部として、米国の施政権の下に置かれたのである。このサンフランシスコ条約の領土処理について、「中華民国」も「中華人民共和国」も一切文句を言わなかった。

 尖閣諸島は、昭和四十七年五月十五日に、沖縄返還協定により、米国から沖縄と共に日本に施政権が返還された。尖閣諸島は日本の領土であり、尖閣諸島に「領有権」を主張できる国は日本以外に存在しないのである。

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台湾、尖閣諸島海域への軍艦派遣中止 朝日新聞【台北=野嶋剛】尖閣諸島(台湾名・釣... [続きを読む]

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