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2008年6月30日 (月)

千駄木庵日乗六月二十九日

午前は父母のお世話。

その後、自宅を出発。横浜へ。山下町のホテルニューグランドで開催された安岡教学研究會(会長・村山實氏)の「設立一〇周年祝賀会」に出席。

安岡教学研究會会は、「安岡正篤氏の教学を基調に、広く古東西の先師先達、名士、達人の教えを実践究明し、現実の生活に活かすべき実学へと昇華させることを目的として設立された」(趣意書による)人材育成塾である。會長の村山實氏は、實心館合気道の創始者であり、「日本心身修学協会」も主宰しておられる。

国民儀礼の後、村山会長の挨拶、渡邉五郎三郎・伊藤哲夫・伊藤玲子・小山和伸・吉田宏成の各氏が祝辞を述べた。そして歓談が行われた。

別項「活動予定」でご案内の通り、下記のような小生の講演会を開いていただくことになっている。

           ○

安岡教学研究會 第110回定例会

講師 四宮正貴

演題 「日本とはいかなる國かー正しき國家観の確立

主催 安岡教学研究會

日時 平成20715()午後7時~840(受付630分より)

会場 横浜市技能文化会館 8802大研修室
(
JR京浜東北線・関内駅南口より徒歩五分 
横浜市中区万代町二丁目四番地七 ℡045-681-6551)

参加申し込みはFAXで。お電話・郵送でもお受け致します。

234-0054 横浜市港南区港南台2-8-4 安岡教学研究會
電話 045-832-0099   FAX 045-832-2221

            ○

祝賀会終了後、会場のほど近くにある横浜開港資料館を見学。

ペリー来航とその前後の國内外の情勢そして明治開化期の横浜の様子が瓦版、開港間もない横浜を描いた錦絵、地図、写真等の文物が展示されていた。

また、今年は、幕府がアメリカをはじめとする欧米5ヵ国と通商条約を締結してから、ちょうど150年を迎えたことから、「日米修好通商条約」(安政五年・一八五六)締結時の初代アメリカ総領事であったハリスに関する展示「ハリスと横浜」も催されていた。ハリス江戸城登城の図・ハリス日記・肖像写真・安政五カ国条約の写本などが展示されていた。

ペリーとの「日米和親条約調印」もハリスとの「日米修好条約調印」もそれに伴う横浜開港も、決して和気藹藹のうちに行われたのではない。文字通りアメリカの砲艦外交・恫喝外交にわが國が屈服した結果なのである。そしてわが国は、維新を断行し、天皇を君主と仰ぐ統一国家を建設し、近代化を遂げ、アメリカ・イギリスなど欧米列強の侵略と圧迫を撥ね退けて独立を維持した。

日本近代は欧米列強との戦いの歴史であったと言っても過言ではない。大東亜戦争後の日本は、残念なことにアメリカの属国のような立場に置かれている。明治日本の気概を取り戻し、国家の再生を実現しなければならない。

帰宅後は資料の整理など。

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2008年6月29日 (日)

千駄木庵日乗六月二十八日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、書状執筆など。

父の容態の変化があり、看護。夕刻、病院に赴き、治療を受ける。小康を取り戻し帰宅。時々このようなことがあり、落ち着きません。

           ○

大東塾同人・不二歌道会代表 神屋二郎先生が、昨日六月二十七日午前十時五分、八十七歳にて逝去されました。本日午後六時より、青梅市の大東農場内武道場にて、通夜祭が執行されたのですが、上記のようなことで、参列することができませんでした。衷心よりご冥福をお祈り申し上げます。

     

神屋先生は、影山正治先生の門弟として、戦中から今日まで、維新運動の第一線で活動されて来られた大先輩であられます。普段は寡黙で、實にもの静かな方ですが、ここ一番というときには極めて厳しく峻厳な方であられました。神屋先生には、生前、いろいろとお励ましをいただいたり、ご指導をいただきました。

小生の維新運動・愛国運動に参加するようになって、四十年以上になりますが、学生時代からご指導を受けた先生・先輩の方々が次々とこの世を去られます。本当にさみしい限りであります。特に戦前・戦中の維新運動を実際に体験された方はもうほとんどおられなくなったのではないかと思います。神屋先生はそのお一人でした。

天に昇られた神屋先生におかれましては、どうか後輩たちを天からお導き下さいますよう心よりお願い申し上げます。

合掌

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2008年6月28日 (土)

千駄木庵日乗一月二十七日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は諸雑務。

夕刻、中学校の後輩の文京区議及び僧侶と、七月から開始される「勉強会」について打ち合わせ。小中学校の後輩に色々な人物がいます。そういう人たちと共に色々勉強していくことは意義のあることだと思います。

帰宅後は、書状執筆など。

        ○

アメリカが、自国の国益を最優先させるのは当たり前である。また友好国と思っていても何時反日国家になるか分からないというのが国家関係である。わが国がそんなことに一喜一憂していては駄目である。

ただし、日本はアメリカや共産支那や南北朝鮮や台湾統一派になめられないようにしなければならない。「外交とは華麗に礼装した軍事である」という言葉がある通り、外交はその背景に軍事力がなければならない。安全保障は軍事力なくして成り立たない。日本には果たしてそれがあるのか。確かに自衛隊は存在する。しかし、自主防衛体制は確立していない。だから周辺諸国からなめられるのである。

自主防衛体制の確立とは、核武装である。わが国は核武装しない限り、アメリカの属国であり続け、支那・朝鮮・ロシアに主権は侵害され、領土は奪われ続けるのである。

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2008年6月27日 (金)

千駄木庵日乗六月二十六日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後一時半より、荻窪の教育創造研究所にて、歌会「しきしまの会」開催。

午後六時より、青山の大東会館にて、「時局戦略懇話会」開催。藤本隆之展転社社長が司会を担当し、当面する諸課題について同志諸氏と討議。終了後懇親会。談論風発。

         ○

「皇室論議」という言葉がある。また、皇室・皇族に対し奉り「諫言する」などいう内容の文章を雑誌・新聞などに公表する人がいる。皇室の御安泰を願い、日本國體の護持を祈る立場に立っていると自らは信じているのかもしれない。しかし、そうした文章の中には、皇族方に対する読むに堪えない批判というよりも誹謗と言っていい文章が見られる。

そもそも皇室・皇族に諫言し奉るということは、本来、命懸けの行為であらねばならない。たとえ保守の立場に属する人であっても、いや、保守の立場に立つ人であれば尚更、生半可な姿勢で、しかも、商業雑誌に原稿料をもらって公表すべきものではない。

商業雑誌というものは、それを販売することによって利益を得ることを目的としているのだ。有体に言って金儲けなのだ。金儲けの手段に所謂「皇室論議」を利用するということは慎んでもらいたい。

また、政治家がその権力を維持するために、皇室を利用することは厳に慎んでもらいたい。また、「皇室外交」などという言葉はまことに畏れ多い、皇族は外交官ではあらせられない。

川島裕侍従長は次のように述べている。「私は、『皇室外交』といふ言葉は、あまり好きではないのです。『外交』といふものは、國家間の問題を解決し、危機を回避するために、戦略的発想に立ちつつ、いはば手練手管のやりとりでもいふべき政治的な行動の連続です。」(「神社新報」本年一月一日号所載『川島裕侍従長に聞く』)。

長く外交官を務めた川島氏がかかる発言をされたことに感銘した。「手練手管のやりとりでもいふべき政治的な行動の連続」である外交に、神聖君主日本天皇そして皇族方を利用し奉ることは、天皇・皇室の尊厳性への重大な冒瀆であり、絶対にあってはならない。

北京五輪に、皇族のご臨席を仰ぐことや、東京五輪招致実現のために、皇族方に利用し奉るなどということは、許されないことである。

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2008年6月26日 (木)

千駄木庵日乗六月二十五日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後二時より、ある会合にて講話。尖閣問題・北朝鮮による拉致問題などに関連して「天は自ら助くるもの助く」という言葉がある通り、日本を護りきるためには、核武装しかないと訴えました。アメリカに頼っていたら何時までたっても日本は自立できません。

午後六時半より、駒込地域文化創造館にて「萬葉古代史研究會」開催。小生が、狭野茅上娘子の歌などを講義。

帰宅後は、明日の「しきしまの会」の講義の準備。

        ○

今日講義をしました、狭野茅上娘子の歌は、

「君が行く道の長手を繰りたたね焼き滅ぼさむ天のの火もがも」(あなたが行く長い道のりを、たぐり寄せて畳んで焼き滅ぼしてくれる天の火がないであろうか。そうすれはあなたは私の所から去っていくことはない。)

という歌です。

愛する夫が、朝廷よりおとがめを受けて越前の國に流される時に、妻である狭野茅上娘子が詠んだ歌です。萬葉集の女性の戀歌の中でも最も情熱的な歌です。古代の日本女性はこういう情熱的な人が多かったのです。

「天の火もがも」がものすごい効果を発揮しています。「古事記」に語られている「禊祓いの神話」に、伊耶那岐命の御帯に成りませる神の御名を「道長乳歯神」(みちのながちはのかみ。道路の長さの神。道路そのものに威力があるという信仰が生まれた神)と申し上げると記されています。

「繰りたたね」という帯の連想は、この禊祓いの神話を踏まえているのであります。地上の道を焼き滅ぼすために天の火が天降ることを望むというのも、まさに神話的発想であります。

「萬葉集」の歌の素晴らしさは、日本神話の精神を歌の世界で高らかに歌い上げているところにあります。日本国民の多くが精神的に不安に陥っている今こそ、日本神話の精神・萬葉の精神を回復しなければならないと信じます。

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2008年6月25日 (水)

千駄木庵日乗六月二十四日

午前は父に付き添って病院へ赴く。定期的な診察と治療。

お昼は、知人と懇談。

午後は、明日の萬葉集講義の準備。

夕刻、知人と懇談。

夜は、萬葉集講義の準備と明日の会合でのスピーチの準備。

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拉致こそ最も凶悪なテロである。しかるに米政府は北朝鮮が六カ国協議の議長国・中国に核計画の申告書を提出する予定であることを受け、議会に対して、北朝鮮へのテロ支援国家指定解除と、対敵国通商法の適用除外を通告するという。

 拉致問題が置き去りにされてしまいかねない危険が、現実のものとなりつつある。北の核申告の前に、わが国政府は米政府に対し「拉致問題の進展がない限り、指定解除に反対である」と強硬に申し入れるべきである。

日本国民の人権を無視した米政府に対して強く抗議しなければならない。また、わが国内の媚中派ならぬ媚朝派を糾弾すべきである。

「日米は同盟関係にある」「日米安保があるからアメリカは日本を助けてくれる」などということは全くの幻想であるという意識を持たねばならない。対米自立の国防体制を確立すべきである。そのためには、わが国は核武装する以外にない。

日本の核武装こそが、共産支那のアジアにおける侵略策謀を防止し、北朝鮮の悪逆非道な行いを防止させるのである。

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2008年6月24日 (火)

千駄木庵日乗一月二十三日

未明、父の容態に変化があり、暫し看病。

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。続いて、ケアマネージャー来宅、父母の介護につき打ち合わせ。

午後二時より、内幸町の日本記者クラブにて、「マスコミ総合研究所研究会」開催。阿部穆氏が司会。小池百合子衆院議員が講演、「地球温暖化をどうするか。日本の省エネ技術は優れている。洞爺湖サミットはお祭り騒ぎであってはならない。資源を持っている国が勢いを増している。時代の潮流が変わりつつある中、日本が議長国としてリーダーの役割を果たすことができるか。日本は戦略を持つべし。『人口・領土・経済力・防衛力』×『戦略と戦略を続ける意志』=『国力』。わが国は二〇〇五年に人口をピークに達した。東シナ海ガス田・尖閣諸島をどうやって守るのか。

マケインは日本との関係は良い。オバマの安保政策・東アジア政策を聞いたことがない。オバマはイスラム教徒かどうかが最大の問題となる。世界でイスラム教徒の人口がどんどん増えている。

背広とネクタイは東洋の気候に合わない。アジアはアジアらしくしたらいい。

日本の総理にビジョンがないのは、日米同盟関係が許してきた甘えが原因。安倍内閣の時に改憲の国会手続法が出来たのは大きな進歩。しかし憲法審議会は宙に浮いている。

総理と閣僚は最低四年間は代わるべきではない。国家戦略は継続しなければならない。大臣・副大臣・政務官が一年で代わるのでは、官僚にとって通行人にすぎない。ロイヤリティを感じない。福田さんが自ら任命した閣僚が福田さんの足を引っ張っている。」と語った。

午後六時より、西新宿である祝賀会開催。小生らが祝辞を述べた。

帰宅後は、水曜日の萬葉集講義の準備。

         ○

確かに今の季節、背広にネクタイというのはどうにも暑苦しくて仕方ありません。

小池百合子さんの講演を久し振りに聞きましたが、生意気な言い方ですが、だんだん風格が出来て来たような気がします。この方は基本的にしっかりとした保守の姿勢を持った人と思います。しかし、石破茂防衛大臣の歴史観が批判されていますので、小池氏の歴史観について質問しようと思ったのですが、質問者が多く、機会を逸しました。

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2008年6月23日 (月)

千駄木庵日乗一月二十二日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅して「政界往来」の連載原稿執筆、完成、送付。その後は資料の整理など。

         ○

 今日の午後1時半ごろ、大阪市北区のJR大阪駅大阪環状線ホーム付近で女性3人が切りつけられたる事件が起こった。秋葉原の連続殺傷事件と同じような事件である。こういう事件は今後多発するようになるのではないか。世の中が狂い出しているとしか言いようがない。

今日、多くの人々が精神的に病んでいるのである。物質文明・科学技術文明の発達は、決して人間の精神を高めるものではなかった。むしろ、精神的な枯渇感、不安を醸成している。

精神的な不安を癒し、人間を救うのが宗教の役目である。私も色々な宗教団体の発行物を読む機会があるが、どの宗教教団も、その指導者を絶対者として尊崇し、その教団こそが世界を救う、人類に幸福をもたらすと宣伝している。

しかし、今日唯今のわが国の荒廃した状況に対して、そういう教団は一体何をなし得ているであろうか。何にもしていない。彼等が言っていることが本当なら、日本の国がこんなにおかしくなるはずがないのだ。彼等のやっていることは、迷える人々、不安な生活を強いられている人々から、金品を巻き上げ、自己の教団の利益獲得に狂奔しているとしか言いようがない。そういう教団が「信じれば幸福になる。信じないと罰が当たる」など言うのは、詐欺・恐喝とさして変わりのないのである。

日本最大の教団宗教は創価学会である。池田大作氏がそれほど偉大なら、何故、この日本の荒廃した状況を救わないのか。自分に背いた部下や坊さんへの憎悪に満ちた攻撃、復讐ばかりしている池田大作氏に猛省を促す。

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2008年6月22日 (日)

千駄木庵日乗六月二十一日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は「政治文化情報」発送準備。

夕刻終了、発送。購読者の皆様には月曜日もしくは火曜日にはお届けできると思います。

夜は、資料の整理など。

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尖閣諸島は、沖縄県石垣市に属する総面積およそ六・三㎢の八つの小島である。魚釣島、北小島、南小島、久場島などからなり、石垣島からおよそ百七十㌔北西の方向にある。

 尖閣諸島は一度も支那(中国)の領有になったことはない。日本は、明治十八年以降、政府が沖縄県当局を通ずるなどの方法により再三にわたって現地調査を行い、単にこれが無人島であるのみならず、清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重確認の上、何処の国にも属さない主のいない島については先に実効支配した国に領有権があるという国際法上の“無主地先占”の原則に基づいて、明治二十八年一月十四日に現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行って正式にわが国の領土に編入した。その上で沖縄県八重山郡登野城村二三九一から二三九四と所在を確定(現在は石垣市)した。この時清国側から反論も抗議も行われなかった。

 そして日本政府は、沖縄の実業家・古賀辰四郎氏に尖閣諸島を開拓を正式に許可している。古賀氏はすでに明治十七年頃から魚釣島の開拓に着手していたのである。

 その後、古賀氏は魚釣島でアホウドリなどの羽毛をとってイギリスなどに輸出したり、鰹節工場を作ったりして、この島に“古賀村”と呼ばれる集落を作った。 まだその集落のある大正八年の冬に、中華民国福建省の支那人三十一人が漂着したので、古賀氏の子息が救助して、彼らを石垣島まで送り、船も修繕し、医療も施した上で中華民国に返した。これに対して、中華民国長崎総領事が大日本帝国沖縄県八重山郡尖閣諸島に感謝状を送って来た。この感謝状は今も残っている。つまり、尖閣諸島が沖縄県八重山郡に属することは、支那の外交文書にも記録されているのである。

 このように、有史以来、尖閣諸島は日本国の領土として日本国民によって開発され今日に至っているのである。台湾やその付属島嶼のように、日清戦争の平和条約(明治二十八年四月十七日調印の下関条約)によって、日本が清国から割譲させたものではない。

 だからこそ、サンフランシスコ平和条約で、日本は、台湾及び膨湖諸島など台湾の付属島嶼に対する権利、請求権を放棄させられたのに、尖閣諸島は、台湾及び膨湖諸島とは区別され、沖縄の一部として、米国の施政権の下に置かれたのである。このサンフランシスコ条約の領土処理について、「中華民国」も「中華人民共和国」も一切文句を言わなかった。

 尖閣諸島は、昭和四十七年五月十五日に、沖縄返還協定により、米国から沖縄と共に日本に施政権が返還された。尖閣諸島は日本の領土であり、尖閣諸島に「領有権」を主張できる国は日本以外に存在しないのである。

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2008年6月21日 (土)

千駄木庵日乗一月二十日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は資料の整理など。

午後六時より、平河町の都市センターホテルにて、「興亜志士研究會」開催。

伊達宗義氏が講演し、「伊達氏は、鎌倉時代、源頼朝の奥州合戦に従軍し戦功を挙げた伊達朝宗を始祖とし、十七代目の伊達政宗は仙台藩祖となった。その長男の秀宗は庶子であったため、本家の家督を継がず伊予宇和島10万石を別家として継ぎ、その初代藩主となった。

伊予宇和島藩八代目藩主・伊達宗城(むねなり)は、福井藩主・松平春嶽、土佐藩主・山内容堂、薩摩藩主・島津斉と交流を持ち「幕末の四賢侯」と称された。宇和島藩は尊皇藩として活躍。仙台の本家は佐幕。宗城の長男・伊達宗敦は仙台藩第13代藩主・伊達慶邦の養子となり、本来なら慶邦の後を継いで第14代藩主を継ぐはずであったが、養父・慶邦が奥羽列藩同盟の盟主となったために新政府軍から謹慎を申し付けられたとき、宗敦も廃嫡されてしまったため、跡を継ぐことができなくなった。

宗敦の六男が私の父・伊達順之助。順之助は暴れん坊で、皇族方に迷惑をかけてはいけないということで学習院に入れてもらえなかった。麻布中学・慶応普通部などを転々として海城中学を卒業。明治四十二年、築地のヤクザといさかいを起こして果たし合いになり、相手を射殺した。正当防衛が認められ無罪に近い処分となったが、爵位礼遇は停止された。

大正五年、蒙古独立を企画し、満蒙決死隊を結成した。パプチャップ将軍を中心として活動。パプチャップ将軍戦死後、張作霖を除いた方がいいという考え方の人がいて、暗殺団結成。父も参加。

大正八年、昭和天皇が皇太子の時、良子妃殿下との婚姻に長州の山形有朋がイチャモンをつけて来た。そこで、山形有朋暗殺計画が立てられ、私の父もその中に入っていた。司法大臣・大木遠吉の奥さんが伊達順之助の姉だったので、司法大臣の官邸で暗殺計画が立てられた。

大正十年に、朝鮮に渡る。朝鮮総督の斎藤実海軍大将は、伊達藩に属していた水沢出身なので破格の待遇を以て迎えられ、国境警備隊長に任じられた。大正十年に私が生まれた。

大正十三年に満州に行き、第二次満蒙独立運動に参加した。そして第二次満蒙独立運動失敗後は山東自治聯軍に参加。日露戦争当時、ロシアのスパイをしていた張作霖が日本軍に捕縛され危うく処刑されるところであったが、張に見所を認めた陸軍参謀次長・児玉源太郎に助命された。この時、児玉の命令を受けて張の助命を伝令したのが、後の首相・田中義一である。

田中義一は張作霖をうまく使って満州を日本のものにしようとしていた。張作霖爆殺は、関東軍がやったということは皆感じていた。二十七、八歳であった張学良は北京にいたが、変装して奉天に帰った。張学良に対する懐柔工作が行われたが、受け付けるわけがない。張作霖爆殺が、日本の大陸政策に後まで響いてくる。

易幟(四宮注・張学良率いる北洋政府が使っていた五色旗から国民党の旗である青天白日満地紅旗に旗を換え、国民政府に服属を表明した事件。実際には蒋介石による満州への不干渉を認めさせ所領の独立を保つことに成功する)が起った。形式上満州が国民政府の下に入ったことを意味した。これは日本が一番避けようとしたことだった。張学良は東北軍司令となる。

伊達順之助は昭和六年に日本国籍を離れ中国国籍を得て中国に帰化した。頭山満先生が『大西郷遺訓』で『南洲翁が常々いはれていたといふ言葉に「日本は支那と一緒にせんければならぬ。それには日本人が日本の衣物を着て、支那人の前に立っても何にもならぬ。日本の優秀な人間ほどどしどし支那に帰化してしまはねばならぬ。そしてそれらの人々によって支那を道義の國に、立派に盛り立ててやらんければ、日本と支那とが親善になることはできぬ」といはれていたものぢゃ。今日までも日支親善を説くものはるが、支那人になれと言ふものは一人も見當たらぬ』と説いているのを実践した。父は『俺は日本を一番知っている支那人になる』と言っていた。こういう志を持った人がもっとたくさん出ていたら日支関係は変わっていただろう。

昭和六年に中村震太郎事件、万宝山事件が起こった。九月十八日に柳条湖事件・満州事変が起る。短時日のうちに満州全体を関東軍が押さえた。昭和七年六月二十日満州国軍陸軍少将となる。昭和八年二月隷下部隊を率いて熱河作戦に出動。『塘古停戦協定』が締結されたが、華北民衆に大変大きな不平不満を抱かせた。昭和十年の『梅津何応欽協定』『土肥原秦徳純協定』は北支全体に一触即発の反日機運を醸成させた。そういうガスが充満していなければ大きな爆発は起きなかった。戦争は両方の正義がぶつかり合う。

昭和十二年七月七日盧溝橋事件が勃発。七月八日朝には中国共産党が『戦争が始まった』と全国に電報を打った。中国共産党の陰謀説は消えない。板垣・石原・伊達の三人が話し合い、伊達の率いる軍を満州国軍籍から削り、三海関から南へ入った。部隊解散後、父はひきこもる。

昭和二十年十一月十七日、国民党中央調査統計局により逮捕拘禁される。その時私は『父一人を殺させるわけにいかない。私も行く』と言った。数ヶ月間地下の牢屋に二人で過ごし父の話し相手になった。二十一年六月、上海戦犯収容所に移送。二十三年六月一日、国府国防部上海審判戦犯軍事法廷で死刑判決。九月九日執行される。」と語った。

帰途、知人と懇談。それが長くなり、久しぶりに痛飲。帰宅後そのまま就寝。

           ○

伊達先生のお話は実に勉強になりました。何故日支は戦わねばならなかったのか。その原因を正しく追求することは大切です。伊達先生は実に折り目正しく且つ礼儀正しい方であります。やはり持って生まれた血筋・品格によると申し上げたいと思います。

小生の父と大体同年輩で、父と同じく警察予備隊として発足した当時から今の自衛隊に勤務された方です。それだけに親近感を持たしていただいております。御先祖の伊予宇和島藩八代目藩主・伊達宗城公の御墓は私宅近くの谷中墓地にあります。時々仰がせていただいております。

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2008年6月20日 (金)

千駄木庵日乗一月十九日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後一時半より、豊島区の千早地域文化創造館にて、「萬葉會」開催。小生が、舎人皇子の御歌など、初期萬葉相聞歌を講義。

夕刻は、地元の小中学校の後輩の人たちと懇談。

帰宅後は、書状執筆など。

         ○

近隣諸国の中で一番友好的であった国が台湾である。その台湾の行政院長(首相)が、わが国に対して「開戦の可能性を否定しない」と言明した。これは北朝鮮政府首脳も、共産支那政府首脳も言ったことのない言葉である。すなわち、近隣諸国の中で最も友好的であった国が、最も敵対的な國に変身したということである。

尖閣問題によって台湾国内にどの程度反日の機運が高まっているかはわからない。在台支那人は反日であろうが、台湾人が反日になったとは考えにくい。しかし、少なくとも馬英九総統以下台湾政府首脳が日本との対立姿勢を強めていることは確かである。これに対してわが國はどのように対処するのか。

問題は日台の二国間関係ではない。台湾統一派=国民党政権の後ろには共産支那の存在がある。まさに日本は窮地に立たされる危険がある。

ライス米国務長官が北朝鮮のテロ支援国指定を解除する方針を表明したことを見ても明らかなように、アメリカが對共産支那問題で、日本の立場を擁護し続けるなどということはあり得ない。アメリカの国益と都合で日本を見捨てて、共産支那を選択する危険は十分にある。わが国は今後よほど腹をくくらないといけない。

自民党内では、安倍前総理と山拓との対立が深まっている。いよいよ国家観・理念・外交姿勢を軸とした真の政界再編が断行される時期に来ていると考える。

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2008年6月19日 (木)

千駄木庵日乗六月十八日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅して明日の萬葉集講義の準備、および、「政治文化情報」発送準備など。

           ○

台湾が中華人民共和國の一つの省になったら日本はどうなるかという悪夢を仮定して考えると、わが国が台湾に対していかなる姿勢に立つべきかが明確になる。台湾は日本が放棄しただけで、「中華民國」「中人民共和國」に渡したわけではない。『日中共同声明』でわが国政府は、「台湾が中國の領土だということを十分に理解し尊重する」と日本は言っている。しかし、「台湾が中國の一部であると承認する」とは言っていない。

國民党は戦後日本が引き揚げた後、日本人が孜孜営営と築いた財産を接収し、自分たちものにした。二・二八事件及びその後の大粛清によって、日本統治時代生まれの台湾各界の指導者は、殆ど虐殺された。国民党政府は、鎮圧部隊(第二十一師団)を派遣し、同部隊は台湾上陸後、大虐殺を行った。三万人以上が殺されたという。殆どが知識人と大学生、高校生ばかりだった。『二・二八事件』大虐殺は、基本的には支那人の台湾人に対する『知識人狩り』であり、台湾のエリート階層に対しての殲滅戦争であった。白色テロもその延長だろう。

日本統治時代は、法治社会はほぼ出来上がり、裁判は公平に行われていた。しかし、外来支那人支配時代は、蒋介石・経国父子の人治政治であり、白色テロによる強権政治であった。

台湾人は有史以来、ずっと外来支配者(オランダ・鄭成功一族・清朝・日本・蒋介石政権)に統治されつづけてきた。この運命からの解放、脱出への願望が、戦後、支那人との文化摩擦と『二・二八事件』という共同の歴史記憶を通じて、反中華の民族意識を生み出し、国民党=支那人の統治によって台湾人の民族意識を再確認したのである。

台湾はいまだに戦後の占領体制下にあり、関係する国々と戦後処理ができないでいる。台湾独立は外来者統治を終わらせ、台湾人たちが自分たちの憲法体制と法体系をもって台湾の問題を解決することである。台湾の独立とは台湾における戦後体制(ヤルタ・ポツダム体制打倒)である。日本が「講和条約」によって正式に独立したように、台湾も完全独立を果たし、日本などの国々と和平条約を結ばなくてはならない。

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2008年6月18日 (水)

千駄木庵日乗六月十七日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、皇居東御苑の三の丸尚蔵館で開催中の「「富士山を写し,山に想う」展参観。 

「富士は,古くから霊峰として信仰の対象とされた山であり,今も日本を代表する名山です。また,和歌に詠まれ,名所絵の画題となるなど,文学や美術と深く関わってきた山としても知られています。その富士は,明治以降,日本の象徴としての意味合いを次第に深め,また皇室にふさわしい景物としてとらえられるようになりました。…本展では,日本画,洋画,写真などの様々な作品から,近代における富士図の表現の特色を浮き彫りにしていくと同時に,横山大観を中心とした作家らの作品を通して,それぞれが富士に託した理想的な美や皇室への尊崇の念を考察していきます。」との趣旨で開催されている。

田子之浦図(五姓田義松) 日出処日本(横山大観) 富嶽(松林桂月) 秩父霊峰春暁(横山大観)などの作品を見る。やはり素人の目から見ても、富士の絵は横山大観が他を圧する見事さであった。神秘的にして魂に迫る迫力がある。

この後、東御苑の庭園を参観。先帝・昭和天皇の御発意によって武蔵野の面影を再現した雑木林を歩く。そして、徳川家重(吉宗の息子)の時代に作製された図面を基に、昭和43年に造られた日本庭園を散策。菖蒲が満開であった。ところが、公務員らしき人物つかず離れ小生についてくる。気になって歌を詠むこともできない。また、新しく高層ビルが建ち始め皇居を見下ろすようになっている。困ったことである。それでも次のような句と歌を詠みました。

菖蒲の花 皇居の御苑に 咲き盛る

皇居なる 東御苑に憩へども ビル工事の音の かまびすしさよ

高層の ビル建ち続き 九重の 庭を見下ろす 世とはなりたり

緑濃き 東御苑を 経巡りて 昭和聖帝を 偲びまつれり

帰宅後は、「政治文化情報」発送準備。

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2008年6月17日 (火)

千駄木庵日乗六月十六日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

父母の今後の介護についてケアマネージャーなどと相談。

午後からは、水曜日の萬葉会における講義の準備など。

夕刻、知人と懇談。

夜は、「政治文化情報」発送準備。

          ○

本日届いた「神社新報」によると、六月五日に行われた「天皇陛下御即位二十年奉祝委員会設立総会」において、鳩山由紀夫民主党幹事長は「憲法改正の議論の中で、国賓の接遇や外国訪問は国事行為として謳われるべきだ。日本国は国民統合の象徴である天皇を元首とする民主主義国家であると謳うべきである。自民党と民主党が今現在簡単に協力することは難しいが、日本国の将来を思う時、このことは未来のためのすべき役割を果たさなければならない」と述べた。

保守政治家としては当然すぎるほど当然の発言であるが、民主党の政治家としては比較的正しい見解を表明したと言える。

「本立ちて道生ず」という言葉がある通り、国家基本問題とりわけ憲法が正しい姿にならない限り、日本国の真の改革は実現できないし、今日の国家的危機を打開することもできない。

鳩山由紀夫氏の祖父・鳩山一郎氏は、自主憲法制定を基本綱領とする自民党結党を実現した政治家である。鳩山由紀夫氏が真に国を憂うる政治家であるのなら、憲法問題の解決に今すぐ立ち上がるべきである。そうでないと、この発言も保守派に対するリップサービスといわれても仕方がない。

参議院のねじれ現象よりも問題なのは、今の二大政党が、思想・理念・国家観の違いで対立しているのではないということである。

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2008年6月16日 (月)

千駄木庵日乗六月十五日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅して資料の整理・書状の執筆など。

         ○

民主党が創価学会公明党に対して攻勢をかけているように見える。六月十三日には、民主党の菅直人代表代行や社民、国民新党など議員が、元公明党委員長・矢野絢也氏を国会内に招き、公明党と支持母体の創価学会との関係について説明を求めた。会場となった議員会館の会議室は、入りきれないほど大勢の国会議員、海外メディアも含むマスコミ関係者などが集ったという。

民主党がやっていることでたった一つ良い事がこの創価学会への攻勢である。私は毎日「聖教新聞」を読んでいるが、池田創価学会批判に転じた元学会公明党の幹部や日蓮正宗の坊さんたちに対する非難攻撃は凄まじい。犬畜生呼ばわりし、地獄に堕ちるなどと罵倒の限りをつくしている。名誉棄損・人権侵害の極みである。しかも何年・何十年も前の事を持ち出してまで、個人攻撃を繰り返している。創価学会という教団の異常性がはっきりと表れている。これは、矢野・竹入両氏などのような内部造反者を出さないためにこの二人を生贄・みせしめにしているのである。独裁国家・全体主義勢力の常套戦術である。

民主党は、創価学会公明党批判をどこまでやり切るか見ものである。矢野氏や福本潤一氏(元参院議員)だけでなく、池田大作氏などの学会幹部の証人喚問・参考人招致までやるようだったら本物である。しかし、そこまで行く前に、学会に懐柔される可能性も高い。学会は池田氏を守るためなら何でもする。自民党を見捨てて民主につくことも十分に考えられる。第一、学会・公明党を最初に政権内部に引き込んだのは、小沢一郎氏である。また、民主党有力議員の妻と娘が学会員であり、その娘は池田氏の通訳をしているという話も聞いている。

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2008年6月15日 (日)

千駄木庵日乗六月十四日

未明、父の容態に変化があり、病院に付き添って行く。診察と治療を受け帰宅。

午前は、父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後二時より、道玄坂のフォーラムエイトにて、「日台関係研究會」開催。浅野和生平成国際大学教授が「馬英九政権と日台関係」と題して講演し、「馬英九は、『両岸人民は同じ中華民族である』とし、『両岸関係は統一せず、独立せず、武力を用いず=現状維持』が馬英九政権の基本的立場としている。一九九一年の国民党の対中国基本政策に戻った。『中国が自由・民主・均富になったら統一する』と言う。ということは四年以内に統一しないということ。

また馬英九は『台湾は移民の地であり寛容の地である。私もその中に入れてもらっている。』と言った。外省人という見方で馬英九を見れば、彼は精一杯台湾色を出している。

『中国は共産党独裁だ』とは言わなくなった。六月四日の演説では中国の人権問題やチベット問題には全く触れなかった。

去年十一月の来日時には、『自分は知日派になる』と言った。南部のダムや感慨用水をつくった日本人の八田與一の慰霊祭に出席した。日本の台湾統治について『許せるが忘れない』と言った。烏来の『高砂義勇兵』の慰霊碑に公的資金を出して観光地指定をした。経済を良くするには日本との良好関係は必須条件。

尖閣諸島・魚釣島近海の日本領海内で十日に起こった、日本巡視船と台湾の遊漁船との接触事故で、わが国への強硬姿勢を主導している人物は、馬英九とは米国留学時代からの仲間。」と語った。

終了後、懇親会。

帰宅後は、諸雑務。

          ○

台湾の劉兆玄行政院長は十三日の立法院答弁で、日本との領有権をめぐる争いでは、問題解決の最終手段として「開戦の可能性を排除しない」という姿勢を示した。欧鴻錬外交部長も同じ日、日本側に拘留された遊漁船の船長が釈放されない場合、許世楷駐日代表を台湾に召還すると言明した。支那人主導の国民党政権の本性が今度の事故でいよいよ露出したということだ。

台湾の漁船が日本領海に侵入したためわが国の巡視船が追跡し、漁船はジグザグ航行で逃げようとしたが、巡視船が追いつき、船名などを確認した際、漁船が急に右側に方向転換したため、右舷船橋が我が国の巡視船左舷船首部と接触し沈没したのだ。台湾漁船が悪いに決まっている。むしろ、乗組員・乗客を救助したことに感謝されていいのである。

「開戦したいのならやってみろ」と言いたくなる。また許世楷駐日代表はすでに代表を辞職し、帰国する予定であった。送別会まで行われている。「召喚する」までもないのだ。

許世楷氏は、学生時代から台湾独立運動の活動家であり、日本に留学し、祖国へ帰ることができず、わが国で独立運動に長らく挺身して来た人である。そして日本の警察に逮捕されたこともある筋金入りの台独活動家である。また憲法学者でもある。許世楷氏は自分が支那人とは決して思っていない。馬英九政権下で働く気は毛頭ないであろう。召喚されたらそのまま辞職して、またまた台独運動・台湾共和国憲法制定に努力されるであろう。

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2008年6月14日 (土)

千駄木庵日乗九月十三日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

昼は知人と懇談。

午後からは在宅して「政治文化情報」原稿執筆。完成。

            ○

今「日本書紀」を読んでいます。「古事記」は二回ほど通読しましたが、「日本書紀」を通読するのは初めてです。天皇国日本の生成の歴史を正しく学びたいと思っております。山鹿素行の「中朝事実」は「日本書紀」を講義した本と言ってよいと思いますが、これもあわせて読みたいと思っております。今大変な国難の時期にあると思います。こういう時にこそ、自分の國の歴史を正しく把握し、日本の歴史と道統を学ばねばならないと思います。

ここまで書いていましたら、父の容態に変化があり、病院に行くことになりました。本日はこれにて失礼いたします。

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2008年6月13日 (金)

千駄木庵日乗六月十二日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後二時より、永田町の村上正邦氏の事務所にて、「日本の司法を考える会」開催。

魚住昭氏が講演し、「裁判員制度実施一年前になって、新聞が非常に批判的になった。新潟県弁護士会ともう一カ所の弁護士会が『延期決議』をした。『私たちがあんたらのために税金を払っているのに、なんで私らがせなあかへんの』という疑問に答えることが出来ない。市民の法律に関する常識が感情に流されてしまう。

地裁段階でしか裁判員制度は適用されない。地裁の結論に対して検察が異議申し立てをして高裁に行くと、八〇%以上検察の主張が通る。

無罪を主張すると何時までたっても拘置所を出ることが出来ないので、早く出たいために有罪を認めてしまう。この問題に何の対策も講じないで、裁判員制度を認めるとどうなるか。拘置されていると、被告人はろくに弁護士と相談できないし、自分の無罪を証明する活動も不自由になる。

裁判官は中立公正・自主独立の立場であらねばならないのに、常に上を見ている。最高裁の人事政策が問題。平目裁判官を重用する。

司法改革はアメリカの要求で始まった。アメリカの要求を奇貨として、官僚がトクをするシステムにするのが司法改革。感情だけを刺激し視聴率を稼ぐテレビ番組が横行している中での裁判員制度導入はうまく適用できるとは思わない。

情報を握っているところが情報を欲しがる所をコントロールする。検察・警察担当の記者は検察・警察の批判を書きにくい。裁判の何処が悪いのかを全く議論しないで、全く別の所から別の制度を持って来ても解決しない。」と語った。

夕刻、衆議院第二議員会館の同志事務所訪問。懇談。

帰宅後は原稿執筆。

         ○

裁判員制度についてはよく分りませんが、日本人のような情緒的な国民には不適切な制度だと思います。集団催眠にかかりやすく、こいつは極悪だと思ったら、冷静な判断せずに重刑を言い渡す危険があります。

メディアがもっとしっかりしなければ日本は良くなりません。逆にいえば、日本を悪くしているのはメディアです。今日は時間がないので詳しく書けませんが、今度の秋葉原の事件に関しても、テレビは一日中と言っていいくらい、繰返し繰返し扇情的な報道しています。

こういう報道が、さらに凶悪な犯罪を誘発するということが分からないのでしょうか。魚住氏の言う「感情だけを刺激し視聴率を稼ぐテレビ番組の横行」が諸悪の根源であります。

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2008年6月12日 (木)

千駄木庵日乗六月十一日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は諸雑務・原稿執筆。

午後六時より、「九段下沙龍」開催。

政治評論家の山本峯章氏が講演し、「三十年前まで右翼運動家だった。新島闘争・安保闘争を戦った。権力は権威の認証がなければ正当化しない。天皇がいなくなると、日本文化の背骨がなくなる。日本國體の第一回目の危機は、南北朝時代から戦国乱世。この危機を救ったのは織田信長。第二回目は明治維新。明治憲法の『天皇の地位』は間違っていたのではないか。天皇は権力と権威が一緒になった。これが一九四五年の危機につながる。第三回目は今日である。『皇室典範』は憲法の下位法であってはならない。権力者が改定できる地位に『皇室典範』を置くべきではない。日本の傳統を今の政治家は粗末にしている。

道州制導入は國體を破壊する。共和制になる危険あり。

右翼のやるべきことは政治運動ではない。政治運動は政権志向がなければならない。國體を護るのが右翼。それが最高の使命。第一次安保で権力は右翼を利用した。右翼は自民党に利用されて来た。

山口二矢氏の『国ノ為神州男子晴レヤカニホホエミ行カン死出ノ旅路ニ』『大君ニ仕エマツレル若人ハ今モ昔モ心変ラジ 』という『辞世』には國體・大君を護る決意が歌われている。国士は國體を護るために死ぬ。天皇の防人が右翼。

右翼は政財界人から怖がられなければならない。『売国的にことをしたらいくぞ』という姿勢を持たねばならない。右翼は思想家であって政治運動家ではない。政治運動をしたら自民党権力に利用されるだけ」と語った。

この後、談論風発。

帰宅後も原稿執筆。

           ○

山本氏は実際に右翼運動で活躍されてきた方であるだけに、右翼についての山本氏のご主張はほとんど首肯できる。右翼の原点は、國體護持であり、國體の明徴化である。政治的諸課題について発言することも大切だが、右翼の基本は國體護持にある。國體を危うくする権力者から恐れられ、民衆から信頼される右翼であらねばならない。

また、合法運動だけをするのではなく、萬止むを得ざる場合は、非合法の行動も起こさねばならない。そこが右翼といわゆる真正保守の国民運動と違うところである。

私見だが、思想家と理論家とは微妙に違うように思える。理論家は勉強すればなれるが、思想家はそうはいかない。それだけの信念と行動が伴わなければならないし、多くの人々に感銘を与える人であらねばならないと思う。要するに思想家とは単なる物知りではないということである。

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2008年6月11日 (水)

千駄木庵日乗六月十日

午前は、父に付き添って病院に赴く。今日は定期的な診察と治療。

午後は、諸雑務。

夕刻、古くからの同志と懇談。

帰宅後は、原稿執筆。

          ○

「映画靖国」の事もすっかり話題にならなくなった。次から次への色々なことが起こるからであろうか。考えてみれば大した問題でもないのに、偏向マスコミや反靖国勢力が、「右翼が上映を妨害した」とか「国会議員が表現の自由を侵害した」とか騒ぎ立てただけのことだった。あんな低劣な映画は見るにも値しないし、批評するにも及ばないということなのであろうか。しかし、先帝陛下のご聖徳を汚し奉る映画であることは確かであるし、靖国神社を冒瀆する映画であることも間違いない。こんな映画に公的資金による助成が行われたことはやはりおかしい。

この問題に限らず、テレビ・雑誌などメディアの在り方は全く腹立たしく感じることが多い。特に皇室に関する報道は、何とかならないものだろうか。あること無いこと騒ぎ立てて、針小棒大に報道している。皇室の尊厳性などは全く考えない。皇室の事を書き立てれば、購読者が増えるからであろう。まさに営利のために、皇室を利用し貶めているのだ。許し難いことである。

夜遅くまで仕事をしている公務員がタクシーを利用するのは当然であるし、タクシー運転手が利用者に缶ビールぐらい呑ませても良いではないか。マスコミ関係者もタクシーやハイヤーを乗り回しているのだ。税金を使ってはいないと開き直るだろうが、公務員だって私用でタクシーを利用しているわけではないだろう。重箱の隅をつつくようなことをして「話題づくり」に狂奔し、視聴率を稼ごうというメディアの姿勢は全くおかしい。

テレビ・週刊誌などがどれだけ世の中を悪くしているか。計り知れないものがある。テレビの放送を一年間止めれば日本は良い國になるという意見があるが、あながち否定できない。

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2008年6月10日 (火)

千駄木庵日乗六月九日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は「政治文化情報」次号の原稿執筆。

午後六時より、永田町の村上正邦氏の事務所にて「日本再生一滴の会」開催。南丘喜八郎氏が司会。

鈴木宗男衆院議員が挨拶。「村上イズムの魂を持った方々が集まり、村上先生の留守中も活動されることは有り難い。私の息子が収監される村上先生に『いずれ私の親父も先生の後を追います』と言ったら、村上先生は『馬鹿を言うな。戦え』と泣きながら言われた。国士・村上先生が帰って来るまで、手を取り合って頑張っていただきたい。」と涙ながらに語った。

鈴木氏はさらに、「国会が、『アイヌ民族は先住民である』という国会決議を行い、明快な意思表示をした。一人の国会議員でも、知恵を絞ればできる。『政治家弱者のため』とよく言うが、誰がそれを実行しているか。二十七本の『質問主意書』を出して来た。」と語った。

つづいて佐藤優氏による『太平記』講義が行われた。印象に残った講義は次の通り。
「『太平記』を通じて、後醍醐天皇と楠正成が我々に何を呼び掛けているかを学ぶ。教養を積むための読書では駄目。戦いのための読書であるべし。危機的状況の日本にあって、同じように危機的状況で苦労した南朝忠臣の魂を我々が知ることが大事。『太平記』は決して南朝の立場に立った本ではない。足利幕府が後醍醐天皇の祟りを慰撫するために、後醍醐天皇と楠正成の記録を後世に残すため当時の知識人に書かせたもの。『神皇正統記』の歴史観と合致しない所がある。社稷がキーワード。上から出来た支配体制としての国家に対して、下の祭りからできて来る国家が社稷。『太平記』には日本の國體観からは異質の易姓革命思想が入っている。」などと語った。

帰宅後、原稿執筆。

          ○

鈴木宗男氏の村上氏に対する心情に感激した。同じように議員秘書から議員になった人であり、拓殖大学の先輩後輩の関係に当たるお二人である。今日、同じような苦境に立たされているのはまことにお気の毒である。しかし、お二人の戦闘精神は実に強靭である。

『太平記』を本格的に読むのは今回が初めてである。歴史の勉強は本当に為になるし面白い。佐藤氏が「教養を積むための読書では駄目」と言われたが、その通りと思う。日本国の再生を目指すためにいかなる学問をすべきか、どういう書物を読むべきか、すなわち、先人から何を学ぶべきかが重要である。私も六十歳を過ぎたのだから、これからはただ知識を積むための読書ではなく、本当に読むべき本、読まなければいけない本を読み、先人の精神と日本の傳統を学びたいと思う。

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2008年6月 9日 (月)

千駄木庵日乗六月八日

午前、またまた父の容態に変化があり、病院に付き添って行く。小康を取り戻し帰宅。

午後一時半より中野サンプラザにて開催されたある会合に、一時間ほど遅れて出席。神道・言霊・森林保護・木造住宅の効用などをテーマとする会合。帰途、出席した方と懇談。

帰宅後は、資料整理、原稿執筆の準備など。

       ○

秋葉原で無差別殺傷事件が起こった。お昼ごろは、父と一緒に秋葉原からそんなに遠くない病院に行っていたし、その後父を家に送り届けてから、御茶ノ水駅から中央線で中野に向った。距離的に近いところをウロウロしていたので、このニュースを知った時は驚いた。

日本は恐ろしい国になった。親子兄弟夫婦の殺し合いは殆ど毎日のように起っている。今日の事件は通り魔などというものではなく、まさに無差別殺傷事件である。

最近の凶悪事件は普段から「凶悪」と思われている人物が起こすのではなく、ごく普通の生活をしている人が起こすことが多くなっている。ごく普通の生活をしている人に異常者が増えているということであろうか。私の日常的体験でも、家から出かけて交通機関を利用して目的地に着くまでに、必ずと言っていいほど、一人か二人少し異様な人物に出会う。

電車の中で足を組んだり、お年寄りが立っていても席を譲らない若者も多い。そんな若者に腹を立てて、注意をしたら、今度はこっちの方が異常者と思われる。

「義を見てせざるは勇無きなり」という言葉もあるが、「君子危うきに近寄らず」という言葉もある。一体どちらを選択したらよいのであろうか。

ともかく、日本の國は危険極まりなくなっている。御立派なことを説いて信者から金を集めている宗教家よ。あなたたちはこういう日本を何故救わないのですか。

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2008年6月 8日 (日)

千駄木庵日乗六月七日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後十二時より、青山墓地の「無名烈士之墓」の墓前にて、「無名烈士墓前法要」(施主・頭山興助氏)執行。僧侶による読経、参列者による焼香などが行われた。この後、近くの蕎麦屋にて直会開催。同志諸氏と懇談。

帰宅後は、書状執筆・資料の整理など。

           ○

「無名烈士」とは、大正十二年四月にアメリカにおいて制定された「排日移民法」(「一九二四年移民法」)に抗議し、同年五月三十一日、赤坂の米大使館裏にておいて割腹自決されて方のことである。

「排日移民法」は、日本人を「合衆国市民となる資格なき外国人」と規定した人種差別的法律であった。アメリカはその一方で、ワシントン会議において「平和と国際協調」なるものを高唱して、日本が米英と対等の軍事力を持つことを妨害した。これは「二重標準」(英語で言うとダブルスタンダード)である。

アメリカは、日露戦争に勝利した後、アジアにおける地位を高めた日本を警戒し、これを圧迫する策謀を行った。その根底には、有色人種への差別感情と、アジア太平洋における覇権確立という野望があった。要するに、日本が邪魔になったのである。

東京大空襲・原爆投下による日本人大量虐殺そして日本占領・弱体化はその結末であった。しかるに東京裁判では「平和と人道」の名の下に日本を「侵略者」として裁いた。以来、わが国はアメリカの属国の位置に貶められている。

アメリカとの「軍事同盟」によってわが国が支那やロスケや朝鮮の侵略を受けずに済んだことは事実であるが、日本がこのままアメ公の属国であり続けて良いはずがない。また、アメリカが今後も絶対に必ず日本を守ってくれるという保証はない。

我が国は、戦後体制打倒・自主独立の国家体制の確立を目指さねばならない。政治家は党派争いをしている時ではない。自民・民主の心ある政治家は立ち上がってもらいたい。しかし、今の政治家に期待するのは無理だと言う人もいる。であるならば、維新を目指す政治勢力を結集し、国家革新=維新を目指さねばならない。

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2008年6月 7日 (土)

千駄木庵日乗六月六日

午前は父母のお世話。

午後も父が心身ともに落ち着かず、そばにいて看護。

夕刻、知人と懇談。

帰宅後は資料の整理。

          ○

「保守とは何か」が問題である。天皇を祭祀主と仰ぐ信仰共同体日本の國體を守るのが真の保守である。それを真正保守という。しかし、真正保守と言える政治家が少なくなっているように思える。また、歴史問題で自虐的な思想を抱いていないことも大切である。

国防問題や外交問題でまともなことを言っている政治家でも、肝心要の國體や歴史問題で、全く期待を裏切るようなことを言う人がいる。今ここでそういう人の名前を書くことは差し控えるが、実に困ったことである。そうした中にあって、平沼赳夫氏は、やはりまともである。真正保守の姿勢を明確にしていると思う。

尊皇精神を保持し、日本の傳統精神を重んじる政治家は、国防・安保・教育・憲法などのことでも正統な主張をする。ところが、尊皇精神が希薄で、日本の傳統精神について正しい理解がなく、歴史観もおかしい人は、他の事でもおかしな主張をする。また権力型政治家が多い。

私は、「保守政治家」と言われた人で、全く國體観や歴史観がおかしかった政治の典型が、故後藤田正晴氏であったと思う。存命の人では、やはり加藤紘一・小沢一郎・河野洋平の各氏らであろう。

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2008年6月 6日 (金)

千駄木庵日乗六月五日

午前は、父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、父母の治療・介護の関係で、病院・薬局などに赴く。

帰宅後は、資料の整理など。

           ○

日本民族は今こそ民族の誇りを取り戻さなければならない。正しい國體観と歴史精神を回復しなければならない。

山鹿素行の『中朝事實』という著書がある。これは徳川時代初期に著されたもので、「日本は神國なり、天皇は神聖なり」という思想が根幹にあり、後世のいわゆる日本主義思想に大きな影響を与えた。

 平泉澄氏は次のように論じている。「山鹿素行先生は…日本こそ他國にすぐれたる國であり、正しく中華といひ、中國といひ、中朝といふべき國であるとして、ここに日本の歴史を述べて、これに題して中朝事實といはれたのであります。…中朝事實こそは、長く外國の學問に耽り、外國の思想に惑ひたる後に、一朝目覺めて日本を發見し、日本の偉大に驚歎し、ここに眞の學問として日本學を樹立組織せんとしたる先哲の偉大なる足跡といふべきであります」(『日本學叢書 中朝事實』解説)と。

 山鹿素行は我が日本こそ文化概念としての「中國」であって、支那は「中國」にあらずとの前提に立っている。『中朝事實』には「皇祖高皇産霊尊、遂に皇孫天津彦彦火瓊瓊杵命を立てて、葦原中國の主(きみ)と爲さんと欲(おぼ)す。…是れ、本朝を以て、中國と爲すの謂(いひ)なり」「本朝の 神代、既に 天御中主尊有り、二神(ふたはしらのおほんかみ)國の中の柱(みはしら)を建つれば、則ち、本朝の中國たるや、天地自然の勢なり」と記されている。

共産支那は今日、急速な経済近代化・経済建設が進行、その経済力をベースに、露骨に軍事力増強の「富國強兵」策を採っている。支那共産政権は、「戦前の日本は侵略國家だった。そして日本に軍國主義が復活しつつある」と攻撃しているが、共産支那こそ、アジア最大の侵略國家であり、軍國主義國家である。これに対して、戦後五十年以上にわたって「富國強兵」とは正反対の「富國弱兵」政策を採り続けてきたわが國は、主権國家としての政治的・軍事的力がきわめて弱体である。このような状況が続けば、日本は「中華帝國」の広域支配下に組み入れられてしまう危険がある。

支那を蔑視すべきではないが、支那に対する誤れる劣等意識や贖罪意識は払拭されなければならない。

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2008年6月 5日 (木)

千駄木庵日乗六月四日

午前は、父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、原稿執筆・完成送付。

午後六時、同志の法律家事務所訪問。懇談。皇居清掃奉仕のこと、ヒトラーのこと、中河与一先生のこと、萬葉集のこと、官僚の資質のことなどについて語り合った。

帰宅後は、資料の整理。

         ○

今日も資料の整理をしながら、撮りだめしておいたテレビ番組のビデオを見た。「昭和の日」に再放送された『昭和が終わった日』というNHKの番組である。「赤旗日曜版」の常連執筆者である大谷昭宏がコメンテーターを務め、色々な人に取材した番組である。昭和天皇のご聖徳を正しく報道するという姿勢は微塵もなく、全体として所謂「戦争責任」をなるものを追及する姿勢が貫かれている。

特に許せなかったのは、なかにし礼という作詞家・作家が、「昭和に対する恨み、ツラミを歌に書いた。昭和の様々な苦難の象徴が天皇だったが、崩御されてオロオロした。昭和天皇に対する恨み・反感が私の創作活動の原点であり続けた。昭和天皇が亡くなったことで張り合いがなくなった」という意味のことを語っていたことである。

このような骨の髄までの反天皇主義者の主張というよりも「悪たれ」を放送し、さらに共産党シンパをコメンテーターに起用し、「昭和天皇の戦争責任」なるものを追及する番組を公共放送が制作することは看過できない。NHKの偏向ぶりはその極に達したと言って良い。しかるにNHKは事実上の国営放送であり、我々から強制的に視聴料という金を取ろうとしているのだ。全く許し難い。

以前、なかにし礼という男は、夫婦揃って、ある民族運動指導者のお世話になり、親しくし、その方のご自宅で執行されていた神事にも参列し、正座して祝詞を唱えたりしていた。直会の席でも我々とも語りあった。私はその頃は、同志と思っていた。ところが、その後どうもおかしい事を言うと思っていたら、今回彼が、先帝陛下に対し奉り悪逆不敬な思想を抱いている事が明白となった。

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2008年6月 4日 (水)

千駄木庵日乗六月三日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、原稿執筆。(月刊『日本』に連載中の萬葉集講義)

午後六時より、西新宿にて行われたある会合に出席。

介護の方から、父の容態が変化し病院に行ったとの連絡があり、急遽病院に赴く。小康を取り戻し帰宅。時々こういうことがあり大変です。

帰宅後、資料の整理をしつつ、録画しておいた「東京大空襲」に関する番組を見る。警視庁警務課員であった石川光陽氏が、当時の坂信彌警視総監の命令により、命懸けで大空襲の記録写真撮影したことに中心テーマとする番組であった。

終戦の年の三月十日、340機のB29が、東京深川から浅草にかけて、無数の焼夷弾を投下し、約10万人の無辜の一般市民を無差別殺戮した。負傷者11万人、被災者100万人にのぼった。

この「無差別爆撃」を指揮したのが、アメリカ軍のカーチス・ルメイ第21爆撃集団司令官である。東京・大阪等の大都市のみならず、地方の中小都市まで全てまとめて徹底的に焼き払い、壊滅的な打撃を与えた焦土化作戦は、有史以来未曽有の大虐殺・大殺戮である。

しかるに、わが国政府は、このカーチス・ルメイに昭和三九年、『勲一等旭日大綬章』を贈った。「日本の航空自衛隊の創設に際して戦術指導を行なった功績による」という。この叙勲を強力に推進したのが源田実氏だったという。

全く日本という国はどういう国なのであろうか。いたずらに反米を主張するわけでは決してない。しかし、このことだけは、私にはどうしても納得がいかない、いや、許せない。イスラエルがアイヒマンに勲章を与えたようなものだ。敗戦国日本はアメリカの属国になり下がったのである。

アメリカの大虐殺には抗議をするどころか、その実行者に勲章を贈り、してもいない「大虐殺」を責め立てられれば、謝罪するという日本という国は本当に情けない。

坂信彌警視総監という人は立派な人物で、終戦直後食うや食わずの庶民が、ヤミ米取締りによって苦しんでいる実態を知るや、これを中止させたという。

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2008年6月 3日 (火)

千駄木庵日乗六月二日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅して、書状執筆・資料整理など。

        ○

「諸君!」今月号の「総力特集・平成皇室」で、竹田恒泰氏が「昨今、皇太子殿下の人格否定発言、皇太子妃殿下の御不例、宮内庁長官の諫言などがことさら大げさに報道され、畏れ多くも東宮を非難するような心ない意見が飛び交うようになった。しかも保守派の論客が火に油を注ぐような記事を書き連ねているのは誠に残念である。」「皇太子妃の御不例、東宮の参内の回数が少ないこと、皇室内の人間関係など、報道されていることが仮に事実だとしても、その程度のことで皇室が揺らぐようなことはあり得ないと私は断言する。これまで皇室が歩んできた歴史を顧みれば、平成の皇室の問題など、問題の類に入らない。」とのご意見を述べられている。まことにその通りと思う。

「皇室」に関して、書いてはならないこと、書くべきではないことを興味本位に書き連ねる雑誌が存在する。皇室の権威を貶める記事を時々載せる。こうした記事は、いかなる意図によって書かれるのであろうか。真に皇室のご安泰とご隆昌を願って書いているのであらうか。私にはそうは思えない。やはり購読部数の増加を目的としていると思う。つまり営利のために、皇室についてあることないこと書き立てているのだ。

皇室に関して読むに耐えない記事を週刊誌などが掲載するのは本当に困ったことである。こういう記事をお読みになった皇后陛下・皇太子妃殿下が、益々体調をおくずしになることを深く憂える。皇室を貶め、皇族を侮辱する記事の氾濫は許し難い。外敵による日本破壊と共に、内側からの國體破壊・国家破壊の動きを食い止めねばならい。

竹田氏の言われる通り、「古事記」「萬葉集」を学べば、古代日本において、今日とは比較にならないくらい國體の危機があったことが分かる。しかし、わが国はその危機を乗り越えてきた。皇位不滅・皇統連綿は絶対に動かし難い歴史である。

さらにいえば、最近、皇位継承に関する本の書名に「皇統断絶」「皇室消滅」「皇室廃絶」などという言葉が平気で使われている。真に尊皇精神があり、皇統連綿・國體護持を祈る人であるならば、そして「ことば」の大切さ、「言霊」の神秘を自覚していれば、このような書名をつけることはできないはずである。

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2008年6月 2日 (月)

千駄木庵日乗六月一日

午前は、父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、文京区関口の講談社野間記念館で開催中の「竹内栖鳳と京都画壇」展参観。竹内栖鳳は、近代日本画の先駆者と言われ、第一回文化勲章受章者。栖鳳を中心とする京都画壇の堂本印象・上村松園・土田麦僊・福田平八郎などの作品が展示されていた。上村松園の美人画はとくに素晴らしかった。

夜は、あるマスコミ関係の人と懇談。「映画・靖国」のことなどを語り合う。

帰宅後は、諸雑務。

            ○

竹内栖鳳のことは、谷口雅春先生の名著「限りなく日本を愛す」を高校時代に読んだ時に知った。谷口先生は、その本で、神話と現実との関係について論じ、「竹内栖鳳の描いた茄子の絵は永遠の価値性を持っており、現実の茄子は間もなく朽ち果てる」という譬えを説き、「諸君が、実物の茄子よりも、その茄子を描いた栖鳳の『茄子の絵』の方が、その茄子の生命を捉へた点においては一層真実であり、価値多きことを知ることが出来るならば、支那の古書から傍証した事実の断片による寄せ集めの写真的歴史よりも、日本民族自身が創作したところの『古事記』『日本書紀』のやうな歴史の方が、より一層、日本の生命を表現せる歴史だと云ふことをおのづから理解せられねばならぬ筈なのである」と論じられた。

この文章が記憶に残り、竹内栖鳳の画集を購入したり、展覧会があれば見に行くことにしている。今回も栖鳳の「兎」「犬」「鮮魚」などの作品を鑑賞し、それらの生き物の永遠の美・久遠の生命は栖鳳の描いた絵の中に生き続けていることを実感した。

日本神話には、現実を超越した日本国の永遠の美・生命・理念が語られ、今日に至るまで継承されている。「神話」とは日本国の開闢・原初が語られている。そこに回帰する事が今の再生となるのである。

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2008年6月 1日 (日)

千駄木庵日乗五月三十一日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅して、資料の整理・書状執筆など。

         ○

昨日に引き続きペリー来航について書いてみたい。ペリーの軍艦は、江戸湾に侵入し、大砲をぶっぱなして示威行動を行った。また、ペリーは大統領の國書のほかに、一通の書簡を白旗と共に幕府に提出した。その書簡には「……通商是非に希むに非ず。不承知に候はば干戈を以て天理に背くの罪を糺し候につき、その方も國法を立て防戦いたすべし。左候はば防戦の時に臨み必勝は我らに之有り。その方敵対なり兼ね申す可く、もしその節に至りて和睦を乞ひたくば、このたび送り置き候ところの白旗を押し立つべし」(どうしても開國通商をしてくれと希望しているのではない。承知しないなら武力に訴えるまでだ。我々は必ず勝つ。その時にはこの旗を掲げて降伏しろ、という意)とあった。これほどの恫喝外交・砲艦外交はない。これがアメリカをはじめとした「先進文明國」たる欧米のやり方なのだ。今日のアメリカのやり方も大體これと同じであると言っていいだろう。

 西郷隆盛は後に『大西郷遺訓』において、「文明とは、道の普ねく行はるゝを言へるものにして、…世人の西洋を評する所を聞くに、何をか文明と云ひ、何をか野蠻と云ふや。少しも了解するを得ず。真に文明ならば、未開の國に對しては、慈愛を本とし、懇々説諭して開明に導くべきに、然らずして残忍酷薄を事とし、己を利するは野蠻なりと云ふべし」と欧米を批判したが、アメリカの日本への恫喝はまさに西郷が指摘した通りのやり方だった。東方への進出即ちアメリカが誇りとするフロンティア精神とは東方への侵略そのものなのである。

 現にアメリカはメキシコを侵略し領土を奪った。今日のニュー・メキシコ州とカルフォルニアはもともとメキシコの領地だった。以前、ジョン・ウェイン主演の『アラモ』という映画が好評を博したが、これはアメリカのメキシコ侵略の原因となったアラモ砦の攻防戦を描いている。アメリカはアラモ砦を先にメキシコに攻めさせ、アラモ砦が全滅すると、「リメンバー・アラモ」を合い言葉にメキシコに侵攻したのだ。

先の大戦においても日本に先に真珠湾を攻撃させて、「リメンバー・パールハーバー」を合い言葉に日本に襲いかかったのと全く同じやり方である。独立國家に対してすらこういうやり方を行うのであるから、他の地域に対してはもっと暴虐な方法を用いた。アメリカはまた、「残忍酷薄を事とし、己を利する」野蠻な方法でハワイやフイリッピンを侵略した。

 さらにペリーは、安政元年(一八五四)の二度目の来航の時には、幕府に油絵を贈り物として持って来た。その油絵はアメリカのメキシコ侵略を描いた戦争画であった。これは文字通り視覚による恫喝である。    

 アメリカのやることは正義であり、それに刃向かうものに対しては容赦のない攻撃を加えるというアメリカのある意味の身勝手さは、今日ただ今に至るまで基本的には変わっていない。大東亜戦争はそうしたアメリカとの戦いであったのである。

          

 歴史は繰り返すと言うが、今日の日本も幕末当時と同じように、内憂外患交々来るといった状況になっている。支那や朝鮮から侮りを受け、國家としての自主独立性は失われている。しかも、國家防衛はアメリカに依存しているからアメリカの言いなりになるしかない。対内的には、政治家は与野党を問わず政権争い権力争いのみに狂奔し、正しき國家の進路を指し示す事ができない。偏向マスコミは相変わらずエセ平和思想と自虐史観を鼓吹してわが國の自尊と安全と独立を國の内部から脅かしている。

 こうした状況を打開するためには、明治維新の精神に回帰し、明治維新と同じように、日本的変革の原理たる「天皇中心の國體の明徴化」の理念を基本とした大変革即ち平成維新を断行しなければならないと信ずる。

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