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2008年5月31日 (土)

千駄木庵日乗五月三十日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、両国の江戸東京博物館にて開催中の「ペリー&ハリス 泰平の眠りを覚ました男たち」展参観。「2008年(平成20)は、この日米修好通商条約締結から150年にあたります。本展では、米海軍提督ペリーと初代駐日米国総領事ハリスに焦点をあて、国内外約250点の資料で幕末の対外関係をわかりやすく紹介します。」(パンフレットによる)との趣旨で開催されている。

ペリーとハリスの遺品、ペリー艦隊の同行画家ハイネが描いた油絵原画、日米和親条約と日米修好通商条約の原本、幕府の贈答品などが展示されていた。

夕刻、知人と懇談。

帰宅後は、資料の整理など。

         ○

「ペリー&ハリス」展に、ぺリーが持って来て日本に最初に掲げられた星条旗が展示されていた。アメリカ海軍兵学校所蔵のものである。昭和二十年九月二日、東京湾に停泊中のミズリー号の甲板で日本の降伏文書の調印が行われた時、マッカーサーはこの星条旗をわざわざ取り寄せミズリー号の甲板に掲げた。わが国がアメリカの砲艦外交に屈した時にアメリカが掲げた星条旗を、「降伏文書調印式」に掲げるということは、わが国はアメリカの属国であるべしという意思を世界中に示すためであったとして良い。アメリカが平和と人道の国であり、日本が侵略国家だなどということはこの一点を以てして虚構であることが分かる。アメリカがわが国を従属させようとして来たのは、幕末以来のことである。

所謂「唐人お吉」(本名・斎藤吉)に関する資料も展示されていたが、ハリスに仕えたのはたった三ヶ月間であり、しかも、慣れない異国暮らしからか体調を崩し床に臥したハリスの看護の役目を課された。しかし、斎藤吉が芸者であった事と、看護婦の役目を正しく理解できなかった当時の人々が誤解をしたという。そしてその後偏見の目に晒され、悲惨な生涯を送ることとなったのである。まことに気の毒な話である。

            ○

支那の四川大地震の被災者支援物資を運ぶための自衛隊機派遣を見送ることになった。それでいいと思う。もっと言えば、「日本の救援に対してグスグス言うのなら、日本に対して向けられているミサイルを全て撤去しないかぎり救援は行わない」と宣言すればいいのである。

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