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2008年5月28日 (水)

千駄木庵日乗五月二十七日

前は、父に付き添って病院へ。今日は定期的な診察と治療。

午後は、開催中の「平城遷都1300年記念・国宝 薬師寺展」を参観しようと思って上野公園の東京国立博物館に赴いたが、「九十分待ち」との立看板が立てられていたので、参観を断念。

同じく上野公園にある東京都美術館で開催中の「芸術都市パリの一〇〇年展」参観。今年が、安政五年(一八五八)に日仏修好条約が締結されて以来一五〇年に当たることを記念し、「パリをテーマとした近代フランス約100年の優れた油彩画、彫刻、素描、版画、写真など約150点を、ルーヴル、オルセー、ポンピドゥー、プティ・パレ、カルナヴァレ、マルモッタン、ロダンなど世界的に著名な美術館の出品協力によって展示構成」(案内書による)した展覧会。

ラウル・デュフイ、レオナール・フジタ(藤田嗣治)、ポール・セザンヌなどの作品を観る。西洋美術の展覧会は久し振りであったが、一〇年ほど前にパリに行ったことを思い出した。

帰宅後は、溜まりに溜まった資料の整理。

               ○

セザンヌは高校生の頃から好きな画家だった。ラウル・デュフイは、私が御指導いただいた作家・中河与一氏と親交があり、中河氏の「鏡に這入る女」という小説本の表紙の絵を描いた画家である。何回かその原画を見せていただいたので印象に残っている。

藤田嗣治氏も、中河氏と親交があった。戦時中一時、日本に帰国していて、戦争画を多く描いたので、戦後「戦争協力者」の烙印を押された。中河氏も「戦争協力者」として文壇から追放された。同じような境遇だったことも、お二人が親しくなった原因であったかもしれない。中河幹子夫人は、「藤田さんは戦争協力者との批判を浴びたので、再びパリに行って帰って来なかった。夫も、画家だったらそうしたかもしれない。しかし、作家はそうはいかなかった」と言われたことがある。

文壇では中河与一、画壇では藤田嗣治が、「戦争協力者」として批判され、迫害された。二人を快く思っていなかった二三の画家や評論家が、自分の「戦争協力」を糊塗し、批判を免れるために、この二人を人身御供にしたということが今日明らかになっている。まことに気の毒なことであった。

「戦争協力」の意味は一体どういうことなのか。当時の日本国民は「一億一心火の玉だ」と言って戦争に協力し参加したのである。それは国家の危機に際して当然の行為であったと思う。中河与一氏のことについては、『政治文化情報』の今月号に書きましたので、お読みいただければ幸甚です。

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