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2008年5月31日 (土)

千駄木庵日乗五月三十日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、両国の江戸東京博物館にて開催中の「ペリー&ハリス 泰平の眠りを覚ました男たち」展参観。「2008年(平成20)は、この日米修好通商条約締結から150年にあたります。本展では、米海軍提督ペリーと初代駐日米国総領事ハリスに焦点をあて、国内外約250点の資料で幕末の対外関係をわかりやすく紹介します。」(パンフレットによる)との趣旨で開催されている。

ペリーとハリスの遺品、ペリー艦隊の同行画家ハイネが描いた油絵原画、日米和親条約と日米修好通商条約の原本、幕府の贈答品などが展示されていた。

夕刻、知人と懇談。

帰宅後は、資料の整理など。

         ○

「ペリー&ハリス」展に、ぺリーが持って来て日本に最初に掲げられた星条旗が展示されていた。アメリカ海軍兵学校所蔵のものである。昭和二十年九月二日、東京湾に停泊中のミズリー号の甲板で日本の降伏文書の調印が行われた時、マッカーサーはこの星条旗をわざわざ取り寄せミズリー号の甲板に掲げた。わが国がアメリカの砲艦外交に屈した時にアメリカが掲げた星条旗を、「降伏文書調印式」に掲げるということは、わが国はアメリカの属国であるべしという意思を世界中に示すためであったとして良い。アメリカが平和と人道の国であり、日本が侵略国家だなどということはこの一点を以てして虚構であることが分かる。アメリカがわが国を従属させようとして来たのは、幕末以来のことである。

所謂「唐人お吉」(本名・斎藤吉)に関する資料も展示されていたが、ハリスに仕えたのはたった三ヶ月間であり、しかも、慣れない異国暮らしからか体調を崩し床に臥したハリスの看護の役目を課された。しかし、斎藤吉が芸者であった事と、看護婦の役目を正しく理解できなかった当時の人々が誤解をしたという。そしてその後偏見の目に晒され、悲惨な生涯を送ることとなったのである。まことに気の毒な話である。

            ○

支那の四川大地震の被災者支援物資を運ぶための自衛隊機派遣を見送ることになった。それでいいと思う。もっと言えば、「日本の救援に対してグスグス言うのなら、日本に対して向けられているミサイルを全て撤去しないかぎり救援は行わない」と宣言すればいいのである。

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2008年5月30日 (金)

千駄木庵日乗五月二十九日

午前、父の容態に変化があり、病院に付き添っていく。治療を受け、小康を取り戻し、帰宅。

午後からは在宅して、資料の整理、諸雑務。

夕刻、知人と懇談。

帰宅後、資料の整理など。

           ○

新宿コマ劇場が今年の十二月で閉館するという。そういえば小生も、もう二十年以上コマ劇場に入っていない。昭和四十年代、「新国劇公演」がコマで行われたので、年に二・三回は行った。島田正吾・辰巳柳太郎の大立ち回りが懐かしく思い出される。辰巳の「国定忠治」は実に面白い劇で、小生は、台詞を覚えて、よく友達の前で披露した。新国劇が解散し、コマには全く行かなくなった。

小生の知人が衆院選に立候補した時、ある女性演歌歌手の公演とパックになった決起大会をコマ劇場でやった。舞台のそでにいたら、その女性歌手の厚化粧が尋常ではなかったのに驚いた記憶がある。

新宿で先輩や友人と一杯やる時、コマの前で待ち合わせをしたことは何回かある。その待ち合わせをした先輩のもう亡くなられた。また、地下にあったチャンコ料理屋には何回か行ったし、サウナも行った。

小生が大好きだった田端義夫の公演をやった日劇も浅草国際もとっくに無くなっている。感傷的にしてキザな言い方であるが青春時代の思い出の場所が消えるのはさみしい気がする。「昭和時代」も次第に遠くなっていくのだろうか。

丸ビルも新丸ビルも建て替えられ高層ビルになった。建て替え前の地下の靴磨きの人はどうしているのだろうか。新聞を売っていたおばさんはどうしているのか、お世話になった企業の担当者の方々はどうしているのか。懐かしくもさみしい思いがする。

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2008年5月29日 (木)

千駄木庵日乗五月二十八日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は諸雑務及び資料の整理。

午後六時半より、駒込地域文化創造館にて、「萬葉古代史研究會」開催。小生が、「萬葉集」巻十五の遣新羅使の歌を講義。

帰宅後も資料の整理、

           ○

「日本の軍隊がわが国を侵略した」と言いつづけて来た共産支那が「日本の軍隊を派遣してくれ」と言って来た。余程困っているのであろうか。うかうかと乗ってしまって良いものかどうか。慎重な判断が望まれる。

支那大陸・朝鮮との関係は、神代・萬葉時代以来、わが国にとって極めて重要であり続けている。古代には遣隋使・遣唐使・遣新羅使が派遣された。友好関係であった時期もあったが、危機的な関係になったこともあった。支那朝鮮との友好関係・緊張関係が日本国の変革と発展に大きな影響を及ぼした。大化改新という一大変革は、支那朝鮮との緊張関係の中で断行された。「記紀」「萬葉」の編纂は、外来思想の流入に触発されて行われたと言える。

今日の日本も「内憂外患交々来る」という状況である。大陸と朝鮮からの脅威によってわが国は危機にさらされている。しかし、これを悲観的にのみとらえてはならない。こういう時期にこそ、わが国は一大変革を断行し、日本傳統精神を 興起せしめ、国家変革を断行し、危機を打開するのである。大化改新・建武中興・明治維新を見ても分かる通り、わが国の歴史はそういうことの繰り返しである。「記紀萬葉」の精神への回帰が今こそ大切である。

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2008年5月28日 (水)

千駄木庵日乗五月二十七日

前は、父に付き添って病院へ。今日は定期的な診察と治療。

午後は、開催中の「平城遷都1300年記念・国宝 薬師寺展」を参観しようと思って上野公園の東京国立博物館に赴いたが、「九十分待ち」との立看板が立てられていたので、参観を断念。

同じく上野公園にある東京都美術館で開催中の「芸術都市パリの一〇〇年展」参観。今年が、安政五年(一八五八)に日仏修好条約が締結されて以来一五〇年に当たることを記念し、「パリをテーマとした近代フランス約100年の優れた油彩画、彫刻、素描、版画、写真など約150点を、ルーヴル、オルセー、ポンピドゥー、プティ・パレ、カルナヴァレ、マルモッタン、ロダンなど世界的に著名な美術館の出品協力によって展示構成」(案内書による)した展覧会。

ラウル・デュフイ、レオナール・フジタ(藤田嗣治)、ポール・セザンヌなどの作品を観る。西洋美術の展覧会は久し振りであったが、一〇年ほど前にパリに行ったことを思い出した。

帰宅後は、溜まりに溜まった資料の整理。

               ○

セザンヌは高校生の頃から好きな画家だった。ラウル・デュフイは、私が御指導いただいた作家・中河与一氏と親交があり、中河氏の「鏡に這入る女」という小説本の表紙の絵を描いた画家である。何回かその原画を見せていただいたので印象に残っている。

藤田嗣治氏も、中河氏と親交があった。戦時中一時、日本に帰国していて、戦争画を多く描いたので、戦後「戦争協力者」の烙印を押された。中河氏も「戦争協力者」として文壇から追放された。同じような境遇だったことも、お二人が親しくなった原因であったかもしれない。中河幹子夫人は、「藤田さんは戦争協力者との批判を浴びたので、再びパリに行って帰って来なかった。夫も、画家だったらそうしたかもしれない。しかし、作家はそうはいかなかった」と言われたことがある。

文壇では中河与一、画壇では藤田嗣治が、「戦争協力者」として批判され、迫害された。二人を快く思っていなかった二三の画家や評論家が、自分の「戦争協力」を糊塗し、批判を免れるために、この二人を人身御供にしたということが今日明らかになっている。まことに気の毒なことであった。

「戦争協力」の意味は一体どういうことなのか。当時の日本国民は「一億一心火の玉だ」と言って戦争に協力し参加したのである。それは国家の危機に際して当然の行為であったと思う。中河与一氏のことについては、『政治文化情報』の今月号に書きましたので、お読みいただければ幸甚です。

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2008年5月27日 (火)

千駄木庵日乗五月二十六日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

つづいて「介護サービス」担当者の人々と今後のことについて相談。介護には、役所が決めたといういろいろと細かな規制があり、本当にややこしく鬱陶しい。「好きなようにやってくれ」と言いたくなる。しかし介護担当者の人たちの責任ではないので困ってしまう。区役所か政府機関に直接談判するしかないと思う。

昼は、知人と懇談。この方も、郷里の父上が病床に伏しておられる。

午後は、原稿執筆。完成。送付。そして諸雑務。

夜は、水曜日の「萬葉古代史研究會」の講義の準備。

          ○

昨日の千秋楽の結びの一番のことで、またまた「横綱の品格」ということが問題になった。しかし、相撲取は僧侶でも学校の先生でも牧師でもない。有体に言って、普通の人より体が大きく腕っ節が強い若者である。「品格」「品格」と大騒ぎをするのはどうかと思う。「心技体」と言うくらいでいいのではないか。「人としての礼節を持ちなさい」と指導するくらいでいいと思う。また相撲は勝負事である闘争精神は必要である。

          ○

次のようなメールをいただきましたので掲載させていただきます。国民党馬英九政権の今後の動向は日本の安全にも直結します。

「王朝が変わると前王朝の血族をすべて殺戮して絶対に政権復帰できないようにする。だから王朝が変わると皇帝の姓が変わる。これを易姓革命という。易姓革命に『殺親滅族』はつき物である。

馬英九が総統に就任するとすぐに陳水扁前総統一族の司法調査が始まった。中国人は21世紀になっても易姓革命をやる。

●陳水扁夫婦と婿の家族の犯罪調査

前回の記事で、検察が陳水扁元総統の国家機密費の不正流用を調査すると書いたが、陳水扁だけでなく、半身不随の呉淑珍夫人までが出国禁止令を受けて空港や港湾設備に通達があった。総統夫婦の他に婿の趙建銘医師と父親の趙玉柱も『台開案』と呼ばれる内情報取得で株を大儲けした違法取引案の再調査を開始し、この案に『特執』(特別執行と思われる)扱い命令を出した。

『前王朝の九族を誅する』のが易姓革命である。検察総長は株不正取引というザラにある案を特別扱いにすることで、『法に従って執行している、総統が退任したから皆殺しにするのではない』と述べた。

しかし、呉淑珍は国民党の政治テロの被害者である。20年も前に陳水扁暗殺に失敗したあと、間違って陳水扁の隣にいた夫人をトラクターで轢き、轢いたあとトラクターをバックさせて二度も轢いた。このため彼女は半身不随となった。そんな身体障害者でも国外逃亡する可能性があるとして出国禁止をだす必要があるのか。

趙玉柱の調査にしても、違法な株取引は世間でよくある話で、特別扱いするほどの案でもない。総統の親戚だから特別扱いで調査する。まさに『誅九族』である。」

             ○

台湾のかつての韓国のように前政権指導者を監獄にぶっ込む國になるのであろうか。旧ソ連や毛沢東時代の共産支那のように権力闘争に敗れた指導者は監獄にぶち込まれる國になるのであろうか。

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2008年5月26日 (月)

千駄木庵日乗五月二十五日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後一時、深川の富岡八幡宮にて、「二宮報徳会総会」開催。小林幸子会長が挨拶。森幸雄事務局長が活動報告。

加瀬英明氏が記念講演を行い、「江戸時代の日本は同時代の世界の中でもっとも庶民が恵まれた生活をしていた。歌舞伎も絵画も庶民の芸術だった。他の国々では支配階級の芸術。二七〇年間、島原の乱を除いて内乱はなかった。商人は贅沢をしていた。武士は質素な生活。日本橋の越後屋呉服店の年間売り上げは二万四千両。これは二十万石の藩の収入に匹敵。江戸の治安も良かった。七十五万から八十万人の江戸市民の治安を維持するための同心は十二人。その下の岡っ引き、下っ引きを入れても三百人弱。庶民に礼節があった。庶民から二宮尊徳・石田梅岩という学者が生まれた。日本人は美意識が優れていた。テレビの放送を止めればこの國は良くなる。一番大切なのは日本の文化的独立を守ること。」と語った。

この後、懇親会が行われ、湯澤貞前靖国神社宮司・相澤宏明展転社社長・小生などが挨拶した。

午後五時より、赤坂の乃木神社尚武館にて、「楠公祭」執行。高山亨乃木神社宮司が祭主。祝詞奏上・祈願詞奏上(犬塚哲爾世話人)・「櫻井の訣別」斉唱・玉串奉奠などが行われた。

夕刻、お世話になっている方にお目にかかり、相談。

         ○

江戸時代の評価についてはこれから色々勉強しなければならない。戦後は東京裁判史観という勝者の史観によって「戦前・戦中の日本が軍国主義国家・侵略国家であった」と一方的に断罪されている。それと同じように、明治維新後は薩長史観という勝者の史観によって、「徳川幕府は悪いことしかしなかった」という一方的に見方に支配されたように思える。

また、左翼の歴史教育によって、「封建時代は身分差別が厳しく、農民・町民は武士から不当に虐げられ苛斂誅求に喘いでいた」という一方的というか事実を誇張した偏った歴史教育がおこなわれて来た。こうしたことの見直しが大事である。

維新運動を行っている者に限らず、日本人の多くが尊敬し、好感を持っている歴史上の人物は、楠正成であり、吉田松陰であり、西郷隆盛である。この三方に共通しているのは、尊皇精神の体現者であり、権力者になることを求めなかったということであり、「敗者」であったということである。そしてこの三方に對する「勝者」たる足利尊氏・井伊直弼・大久保利通・川路利良が好きだとか尊敬すると言う人はごく限られている。「敗者の側に正義がある」という言葉を想起する。

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2008年5月25日 (日)

千駄木庵日乗五月二十四日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は諸雑務。

午後六時より、神田学士会館にて、「憲法懇話会」開催。高乗正臣平成国際大学教授が座長。竹内雄一郎高崎経済大学名誉教授・慶野義雄平成国際大学教授・田尾憲男氏などと討論。

この懇談会は、筧克彦氏・三潴信吾氏の憲法学・國體学を⑩余年にわたり考究して来た。この度、これまでの研鑽を踏まえて、國體精神に則った憲法がいかにあるべきか、憲法草案作成に向けて具体的に討議することとなった。

各氏から、「これまで美濃部憲法学・上杉憲法学は色々と論じられてきたが、筧克彦氏の憲法学は学界から無視されて来て一瞥もされない。筧憲法学は、最も大切な國體についての法理が説かれてゐる。宮務法が先にあり、そのポリシーに基づいて憲法があるべきである。色々な改憲試案が出されているが、皇位・國柄とはいかなるものかが殆ど全く論じられていない。JC(社団法人日本青年会議所)の改憲草案は評価できる。九条も統帥権とかかわりがあり、国防問題だけではなく國體問題でもある」という意見が出された。

帰宅後は、諸雑務。

            ○

憲法は「不磨の大典」と言われるが、「不磨」であるべきなのは、「國體法」である。「政体法」は必要に応じて改正されるべきである。すなわち、天皇を君主と仰ぐ國體は絶対に変革されてはならない。しかし、政体は民の幸福のためになるのならどんどん変革すべきである。

今日、「現行憲法」の「三原理」が「不磨の大典」のように論じられている。近年各方面から出された「改憲草案」はそのほとんどが「現行憲法」の「三原理」を継承している。

しかし、「現行憲法」の「主権在民論」こそ、日本の國體を隠蔽し破壊する元凶である。「現行憲法」の「平和主義」こそ、日本の国防体制確立を阻害し日本国をして他国の属国たらしめる元凶である。「現行憲法」の道義精神不在の「人権論」こそ、国民の頽廃の元凶である。「現行憲法三原理」の否定なくして「憲法改正」にも「自主憲法制定」にもならない。

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2008年5月24日 (土)

千駄木庵日乗五月二十三日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後、北区にある菩提寺に参詣。先祖の墓を掃苔。

午後一時より、法話。僧侶の「人としてまぬがれられない四つの苦しみを『生老病死』と言う。『苦』とは自分の思い通りにならない事を言う。現代では、ボケが加えられ、『五苦』になってゐる。坊さんがお経を忘れたらどうにもならない。カラオケはボケ防止に良い。お経をあげるのも良い。お経をあげるとその響の中に仏が出現する。『音聲説法』という。『一人では登れぬ山も仏が手を引く背中押す』という言葉がある。床の間のある家が少なくなっているが、床の間のトコとは永遠を意味する。神佛の宿るところ。」という話が印象に残った。

午後二時より、「お施餓鬼法要」執行。

いったん帰宅し、諸雑務。

午後六時半より、文京区春日の文京区民センターにて、「平成維新懇話会」開催。尾崎幸広氏が司会。

魚谷哲央「維新政党新風」初代代表が『國體護持と戦後体制打破』と題して講演し、「父が下関で漁業関係の会社を経営してゐた。その会社に所属する漁船が韓国によく拿捕された。戦後体制を打破して本来の日本の姿を回復すべきと思った。同志社大学に入り、日學同の運動に参加した。三島由紀夫氏の義擧に衝撃を受けた。主体的な政治勢力をつくらねばならないと決意した。昭和五十年代に維新懇話会を発足させた。平成の御代になり、各地に有志懇話会をつくり、それを連合させて、平成四年に『維新政党新風』を結成した。継続が第一。國體意識を明確にした政党である。思想は行動であり、体の中に蓄積されたものが行動に出てくる。念じることはいずれ達成できるというプラス思考で生きてゐる。」と語った。

帰宅後は、原稿執筆。

           ○

魚谷氏とは永い付き合いである。初志を貫徹せんとする意志と行動は凄まじいものがある。維新を目指し日本の本來の姿を開顕するために、本格的な政党を結成し選挙で議席を獲得し政権を目指さなければならないというのが魚谷氏の基本的信念である。基本的に正しい。真正保守とは維新である。現状を変革してこそ、本来の正しいものを保守することが出来るのである。

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2008年5月23日 (金)

千駄木庵日乗一月二十二日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後一時半より、荻窪の教育創造研究所にて、「しきしまの会」開催。提出された短歌を合評。終了後、出席者と懇談。五月晴れの佳き日、やまと歌を学び、日の本の國に生まれ得た幸を実感した。

帰宅後は、書状執筆、資料整理など。

         ○

 民族の歴史と伝統の精神を変革の原理とする日本の維新は、維新を志す者が、自らの精神と行動に、憧憬すべき時代の先人たちと同じ決意と歓喜と行動の源泉を甦らしめることによって実現する。これを復古即革新即ち維新というのである。

 そのために日本民族の持つ清潔な精神的血統と道統を継承する文藝である和歌を學び、和歌を詠むことが大切になるのである。なぜなら、いにしえから伝えられた「五・七・五・七・七」という形式を保持しつつ、その形式によって新しき精神を表白するところの和歌が、「復古即革新」の文藝だからである。 

 今日の日本は、文字通り内憂外患交々来るといった状況である。こうした状況の中にあって、我々の維新の情念を伝統的な文學によって訴える「言靈のさきはへ」が今こそ必要なのである。和歌の復興が必要なのである。

現代日本において和歌を詠む人は多いが、維新の志、変革の情念、日本人の深層精神において継承して来ている民族の共同精神を表白し訴えるものとしての和歌を詠んでいる人は少ない。真の意味において和歌が復興した時代こそが維新の時代であるといっても過言ではない。維新を目指す我々は、和歌の力というものの偉大さを今こそ実感すべきである。

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2008年5月22日 (木)

千駄木庵日乗五月二十一日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後一時半より、ある会合にてスピーチ。

その後、衆院第二議員会館に赴き、同志議員事務所訪問。懇談。

夕刻は、知人と懇談。

帰宅後は、明日の「歌会・しきしまの会」の準備。

         ○

我が国から、緊急援助隊や医療チームが支那大陸に派遣されても、思うような活動ができないというのは全くおかしなことである。それなら緊急援助隊や医療チームを受け入れなければいいのである。

メディアの人々は相当奥地に入って取材しているだろうか。取材制限はないのだろうか。そういうことは全く分からない。しかし、日本の医療チームを被災地に入れないというのは何か特別な事情があるということなのだろう。実態を見せたくないのだと考えるが自然である。

核施設が倒壊した可能性も出ているという。ミャンマーよりはましだが、それでも共産支那政府の態度は何かおかしい。

ダムの決壊や核施設の大事故が起こったらそれこそ大変である。

ともかく、共産支那がこれからどうなるのか、北京五輪も無事に開催できるのか、このまま発展し続けるとは到底思えない。共産支那に対しては、大きな反感もあるし、その対外膨張政策そして日本への圧迫を破砕しなければならないと考えるが、大陸に生活する民衆の平安を祈るばかりである。

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2008年5月21日 (水)

千駄木庵日乗五月二十日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は原稿執筆。

午後六時より、新宿にて、同志の激励会開催。いろいろ苦労の多い状況下にありながら、運動を行っている多くの同志と語り合う。

帰宅後も原稿執筆・完成・送付。

          ○

台湾の馬英九新総統就任式が行われた。しかし、蒋介石・蒋経国時代に戻ったわけではない。蒋親子時代の国民党は、台湾人を抑圧したが、「反共」であった。大陸の共産政権に対して敵対していた。今の国民党はそうではない。

馬英九総統は、就任直後に大陸を訪問し、胡錦濤と会見する。そして就任演説で「中華民族」を強調した。第三次国共合作が行われる危険がある。国共合作とは歴史を見ても分かる通り、反日である。これは日本の安全と独立を脅かす大問題である。

台湾国民が、今の大陸共産政権支配かに入ることを望んでいるとは決して思えない。しかし、共産支那との経済関係があまりにも深くなり、「中華民族」という幻想を台湾人が抱く可能性はある。また、共産支那の軍事的脅威・恫喝に屈する危険もある。わが日本は、これを何としても食い止めねばならない。

独立運動を支援すると共に、台湾国内の反統一派との連携を強めねばならないと思う。これは民間だけではなく、日本の政府が行わなければならないのである。しかるに福田政権ではとても無理ということが問題なのである。

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2008年5月20日 (火)

千駄木庵日乗五月十九日

午前は父母のお世話。

午後からは在宅して、原稿執筆。

         ○

戦争体験者の方には色々な考えを持っている人がいます。今日電話で話した人は、「東條など統制派の人たちは靖国神社の御祭神から外すべきだ」と言うのです。その理由は、「尾崎やゾルゲというコミンテルンに謀略工作に乗せられて、日米戦争を開始したから」ということだそうです。

確かに、「日独伊三国同盟」「南進論」「蒋介石を相手とせず」という政策が國の方向を誤らせたと言えます。しかし当時の状況としては、やむを得ない面もあったと思いますし、すべてコミンテルンの謀略に乗ってしまったというのも首肯できません。

東條英機氏らには、戦前・戦中多くの錯誤があったことは事実です。しかし、「東京国際軍事裁判」は、講和前の戦争行為の継続の中で行われた報復なのであります。そこで処刑されたということは敵によって殺されたのです。まさに戦死です。戦死者を靖国神社に祀るのは当然であります。戦争行為によって敵に殺された人々を靖国神社の御祭神から外せということはあってはなりません。

日本を戦争に追い込んだルーズベルトやスターリン、そして日本に原爆を落としたトルーマンの方が東條元総理などよりも余程罪は重いのであります。彼等こそ「戦争犯罪人」なのであります。そのことを強く主張すべきであって、東條氏らを靖国神社の御祭神から外せなどというのは本末転倒の暴論です。「戦争責任」と「戦争犯罪」の違いも明確にしなければなりません。

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2008年5月19日 (月)

千駄木庵日乗五月十八日

午前は父母のお世話。父が性能の良い医療器具を使うようになったので、痛みが少なくなって精神的にも穏やかになったので喜んでいる。しかし、この器具は保険がきかないという。困ったことである。

午後からは、在宅して資料の整理、大吼用の萬葉集講義の原稿執筆。

             ○

先日、北支派遣軍に従軍した方のお話を聞く機会があった。「本当に日本刀の試し斬りのなどということが行われたのか」ということを質問したら、「そんなえげつないことはしない。見たことも聞いたこともない」とのことであった。

胡錦濤が日本に来た時、長野や日比谷公園周辺で、支那人留学生などの暴力行為を日本の警察は見て見ぬふりをしていたという事を複数の人から聞いた。官邸筋からの意向だったということだった。「親中派」の福田総理ならそういう指示を出したとしても不思議ではない。

ともかく、今の日本は共産支那に対する誤れる贖罪意識に冒されている。そして支那の軍事力増強に恐怖感を抱いている。支那人は、「日本はわが国の属国」という意識と「日本はわが国を侵略したのだから、今度はわが国が日本を侵略する番だ」という意識がある。これにどう対処したらいいか。それが問題である。まず以て、国内の「媚中勢力」を弾劾すべきである。

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2008年5月18日 (日)

千駄木庵日乗五月十七日

早朝、父の容態に変化があり、病院に付き添って行く。医師の診察と治療を受け、小康を取り戻したので帰宅。

午後一時より、湯島天満宮にて、「湯島天満宮崇敬会大祭」執行。

参集殿にて、西舘好子氏(日本子守歌協会代表)が「日本の心と日本の子守歌」と題して講演し、「子守歌は赤ちゃんをあやし遊ばせて眠らせる歌。赤ちゃんは意識がないから、子守歌を覚えようするのではない。無意識の心の中に刷り込まれる歌。歌っているお母さんには譜面も歌詞もない。お母さんの創造力がないと歌えない。子守歌が失われた今、私たちの生活は殺伐として来た。山折哲雄氏は『夕陽を見る子がいなくなった』と語った。夕日に向かって『お母さん』と言って家に帰って来る子供がいなくなった国に未来はない。日本人は神と仏と自然を祭っている。言葉に祈りがこもっている国は日本のみ。命は神が授けてくれたもの。強く、賢く、安らかに暮らせるようにという祈りを込めて発生したものが子守歌。子守歌はその土地の産物。その土地の特色が歌われる。宝暦年間に産まれた『ねんねん おころり おころりよ…』が最初の子守歌。昔は子だくさんと長寿がその家の誇りだった。母親に賢くなってもらいたい。未来の子供たちに『心』を伝えてもらいたい。お母さんの産んだ『命』を育んでください。子供を大事に育てるのが母親の役目。その母子を守るのが父親の役目。子守歌を素材にした心の整形をしてほしい。」と語った。

続いて社殿にて、大祭祭典が執行され、祝詞奏上・神楽奉奏・玉串拝礼などが行われた。この後、直会が行われ、押見守康宮司の挨拶があった。菅家一比古氏が閉会の辞を述べた。

帰宅後は、「政治文化情報」発送。購読者の皆様には、月曜日にお届けできると思います。

その後、資料の整理など。

            ○

西舘好子氏の講演は心にしみる講演であった。女優であられただけに話も巧みであった。子だくさんの家庭も少なくなり、子守歌もあまり聞かれなくなった。朝から晩まで殺伐とした番組の多いテレビを見ている母親と子供。日本の将来は一体どうなるのであろうか。西舘好子氏は、井上ひさし氏の夫人であったが、離婚された。井上氏による凄まじい家庭内暴力に苦しんだという。井上ひさし氏は、「進歩的」「左翼的」ポーズをとっている人だが、自分の妻を虐待していたというのだから驚きである。こういう偽善者が日本を悪くするのだ。

最近、あることで悩んでいます。いくらお世話になった先輩・同志でも、日本国の國體と独立と安全の根幹にかかわることで、全く意見が異なるとなれば、同志ではなくなります。長い同志関係であり、先輩後輩の関係であっただけに、そうなってしまうのは残念至極のことです。

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2008年5月17日 (土)

千駄木庵日乗五月十六日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は「政治文化情報」発送準備。

午後四時より、赤坂の日本財団ビルにて、「東京財団十周年記念シンポジウム・グローバル化と中国の人権問題」開催。

登壇者の印象に残った発言は次の通り。

加藤秀樹東京財団会長「中国の法整備に日本の専門家も協力している。世界のルールの均一化が進んでいる。人権・自由・平等・公正という普遍的価値の追求に異存はない。アメリカは自国の価値観を押し付けるので嫌われる。中国は世界で大きな影響力の強い国になるのだから、十分に配慮をして外国と付き合いをして貰いたい。多様性が地球世界を維持していくためにも大切。」

羅豪才中国人権協会会長・前人民政治協商会議全国委員会副主席「中国は現代化の過程で日本を含めた世界各国の経験を参考にした。清末期の法律改正の際にも、日本の近代の法制を大いに参考にした。美濃部達吉などの法学者の著作が翻訳された。中国の発展は様々の矛盾か現われている。これを解消するために、法秩序においては、公権力の規範化、市民権力の保障を強化しなければならない。ハードローとソフトローが交互に補完し合い、ともに役割を果たす方向へ促進していく必要がある。中国のメカニズムは、計画経済から市場経済へ変化し、人治から法治へ転換した。万能管理政府からコンパクトサービス型政府への転換が行われている。市場経済、法治政府、市民社会にふさわしい社会主義の規範体系が逐次形成され、ソフトローとハードローと結合した中国の特色ある混合ガバナンスモデルが形成された。中国は改革を徐々に推進している。いっぺんに実現すると社会が不安定を起こす。他の国の制度をそのまま取り入れることはしない。中国の司法改革には日本の良いところを参考にしたい」

原田明夫氏(弁護士・東京女子大学理事長・元検事総長)「現代中国は経済的格差・國の在り方・地域の在り方など様々な大きな問題を抱えている。『和諧』が大切。日本は聖徳太子の『十七条憲法』以来『和諧』を大切にして来た。中国の司法の現況は歴史的な発展段階にある。日本の立場だけで評価するのは難しい。中国では全国的な司法試験を数年前に実施した。その過程で司法の独立についての考え方も変化する。日本国民の八割は『死刑制度』は止むを得ないと思っている。日本の検事はほかの公務員よりもいくらか待遇が良い。また三年で転勤する。悪い事をしないで済んでいる。国民の信頼感が司法を支えている。」

もっともっと色々なことが語られたのですが、どうも公式見解ばかりの話だったせいか、猛烈な睡魔が襲ってきまして、あまりメモを取ることができませんでした。

出席した日本の學者の人が「ハードローが成文法で、ソフトローが中国共産党の指導というのでは駄目だ」という意見を述べたのが印象に残りました。

チベット問題など中国国内の人権問題が全く取り上げられなかったのも残念でした。

私が上海に行って驚いたのは、中国共産党上海市委員会と上海市政府と上海市公安局が同じ建物にあったことです。東京で言えば、自民党東京都連と都庁と警視庁が同じ建物にあるということです。これが一党独裁体制ということです。

羅豪才氏のお供で来ていた若い中国人と名刺交換をしたら、「あなたのことは知っています。『政界往来』に論文を書いておられますね」と言われたのには驚いたというか、背筋が寒くなりました。この青年は「中国共産党中央対外連絡部日本處」の人でした。共産支那の諜報活動・情報収集活動は大変なものだと実感しました。

帰宅後は「政治文化情報」の発送準備。

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2008年5月16日 (金)

千駄木庵日乗五月十五日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後一時半より。豊島区立千早地域文化創造館にて、「萬葉會」開催。小生が穂積皇子の御歌などを講義。

帰宅後は在宅して、原稿執筆。完成。送付。

その後、「政治文化情報」発送準備。

         ○

今日発売の「週刊新潮」に矢野絢也元公明党委員長が、3年前に創価学会の施設で複数の幹部に囲まれ、評論活動を止めるよう強要され、さらに多額の寄付も要求され、人権を侵害されたなどとして、創価学会と同会幹部七名に対して五五〇〇万円の損害賠償を求める訴えを起こしたと報じられた。

「新潮」誌は「窮鼠かえって猫を噛む」と表現しているがまさにその通りである。池田大作に逆らえばこういう目に遭うという見せしめのために、これまで竹入義勝・藤原行正・龍年光・石田次男・原島嵩・山崎正友・福島源次郎などを機関紙などで徹底的に非難攻撃してきた。「新潮」の記事によると、矢野氏に対しては、「生命に関わる」とか「息子がどうなってもいいのか」という脅迫まで行われたという。

「人は敵を愛することはできるが、そむいた友を許すことはできない」という言葉がある。それにしても池田大作氏の反逆者に対する憎悪と仕打ちは異常である。とても慈悲を説くはずの宗教家とは思えない凄まじさである。

今、さんざん攻撃し迫害されている竹入義勝・藤原行正・原島嵩・山崎正友の各氏は、池田大作氏が三代会長に就任してから、池田氏によって重用され抜擢され最高幹部にして貰った人々である。そういう人々に反旗を翻されたのであるから、まともな人物なら、「自分の指導監督教育が間違っていた、人を見る目がなかった」と反省するのであるが、池田氏は全くそういう反省はない。ただ相手への報復を行うばかりである。ここに池田氏の異常さがあるのである。

矢野氏が裁判闘争でどのような戦いをするかを注視なければならない。また国会喚問にも応じると言っている。国会喚問が実現できるかどうかは、民主党の出方次第だ。しかし民主党は、公明党副幹事長だった福本潤一参院議員を受け入れることもしなかったし、石井一衆院議員が国会で一回だけ勇ましい発言をしただけで、その後いっこうに学会・公明党への追及はしていない。一体どうしたわけか。学会が自民と離れて民主とくっつくのを期待しているのか。

ところで、同じ号の「週刊新潮」は、皇太子妃殿下に対して、書くべきでない記事を掲載している。今日は詳しくは書く時間がないが、「新潮」誌の皇室・皇族に対する誹謗記事は厳しく批判されなければならない。

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2008年5月15日 (木)

千駄木庵日乗五月十四日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

お昼は知人と懇談。

午後からは在宅して原稿執筆・明日の萬葉集講義の準備など。

 「映画・靖国」の李纓監督は、この映画のパンフレットに掲載された「対談記事」で「靖国神社のご神体である刀の持つ意味性について、私は様々な歴史的な資料映像を使って、ラストの十数分間で表現したつもりです」と語っている。

この映画のラストとは、支那が反日プロパガンダに用いた支那人らしき人々の首を日本軍兵士らしき人々が軍刀で斬り落とす真偽不明のモノクロ写真など支那側の捏造であるとされている映像・写真が使用されており、「日本軍が残虐行為に使用した日本刀」をご神体として拝む場所が靖国神社であるという虚構を打ち立てているのである。許すべからざる詐術である。

しかも、そうした映像を畏れ多くも、昭和天皇が靖国神社に親拝される映像や皇軍を親閲される映像と交互に使用している。日本国の神聖君主であらせられる日本天皇、『現行占領憲法』においてすら「日本国の象徴」「国民統合の象徴」とされる日本天皇を冒瀆し奉る映画に、文部科学省及び文化庁所管の独立行政法人・日本芸術文化振興会が七五〇万円の公的助成金を出すべきではなかった。日本芸術振興会の審査の在り方を追及しその責任を追及すべきである。

『産経新聞』五月十一日号の「映画『靖国』助成が問いかけるもの」という記事で「制作した有限会社龍影の企画書によると、映画は当初『靖国の四季』がテーマとされた。終戦60年の夏から始まり、ラストシーンは〈歌声の中、満開となる靖国神社の桜。老若男女の日本人と無数の英霊が、美しい一時を過ごす〉。申請の時点では、靖国に批判的な立場の人たちだけでなく、靖国神社を支援する『英霊にこたえる会』や東條英機の遺族らも出演リストに挙がっていた。この企画書を映画監督や評論家ら6人からなる専門委員会が審査し、助成を決定したが、その後、映画の内容は大きく変容する。」と報じられた。

つまり、「映画靖国」は、助成金を受け取るために出された企画書とは全く違った内容になっているのだ。ラストシーンは「歌声の中、満開となる靖国神社の桜。老若男女の日本人と無数の英霊が、美しい一時を過ごす」などとはおよそかけ離れた内容であるのは前述したとおりである。日本芸術文化振興会は即刻助成金の返還を求めるべきである。

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2008年5月14日 (水)

千駄木庵日乗五月十三日

午前は、父に付き添って病院に赴く。医師の診察と治療を受けて帰宅。病院通いをしていると、医療の様々な矛盾というものを実感する。効果てきめんの医療器具や薬品に保険がきかないというのがある。いずれ詳しく書かなければならない。「医療の沙汰も金次第」という言葉があっても良いと思う。

午後は、母の代理で、親戚の法事に参列。

夕刻は、知人と懇談。

夜は、原稿執筆。

         ○

支那大陸に大地震が起こった。本当に五輪大会が開催できるのだろうか。犠牲になった何万という人々には心より哀悼の意を表する。

ミャンマーと支那の自然災害は偶然とは思えない。犠牲になった多くの人々には罪はないし、本当に気の毒である。しかし、支那の古典に「積善之家、必有余慶、積悪之家、必有余殃」(せきぜんのいえにかならずよけいあり、せきあくのいえにかならずよおうあり)」という言葉があったのを思い出した。「善事を積み重ねてきた家には必ず良い事があり、悪事を積み重ねてきた家には必ず悪い事が起こる」という意である。

支那共産政権は、「恩を仇で返す反日姿勢」「日本など周辺諸国への大国主義的な圧迫政策」「膨張政策」「少数民族迫害」を改めるべきである。

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2008年5月13日 (火)

千駄木庵日乗五月十二日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は原稿執筆の準備など。

午後六時より、「九段下沙龍」開催。同志諸氏と「映画・靖国」など当面する諸課題について討議・懇談。

帰宅後は、原稿執筆。季刊「大吼」誌に掲載させていただく「映画・靖国」についての論文である。

          ○

「言論・表現の自由」は守らねばならない。しかし、皇室を冒瀆し祖国を危うくする言論や表現に対して厳しくこれを糾弾し批判することもまた自由でなければならない。

朝日新聞・テレビ朝日などは、自分たちの言論や表現に対する批判や糾弾に対しては、すぐに「言論・表現の自由」を言い立ててこれを封殺せんとする。とくに右翼・民族派に対してはその傾向が強い。我々はこうしたことを絶対に許すことはできない。

「映画・靖国」に関わる事象は、昭和天皇・祖国そして靖国神社を貶めるようとする謀略活動のように思える。それを主導しているのが「朝日」なのだと考える。

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2008年5月12日 (月)

千駄木庵日乗五月十一日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅して資料の整理。

         ○

今朝の「サンデープロジェクト」に中曽根康弘・不破哲三・土井たか子の三氏が出て色々話していた。不破と土井は「戦争は良くない」とか「人殺し」は良くないとか言って現行占領憲法擁護論をぶっていた。共産党と社民党は、国際テロ国家でありわが国国民を拉致した人さらい国家である北朝鮮と緊密な関係にあった国である。そのような政党の党首を務めた人物が、「平和」や「人命」を語る資格は毛筋の横幅ほどもない。

私の学生時代、すなわち昭和四十年代前半、民主青年同盟という共産党の青年組織が学校の内外で活発な運動を展開していた。彼等は、北朝鮮を理想国家のように宣伝していた。そして北朝鮮の歌曲「イムジン河」というのを盛んに歌っていた。歯の浮くような北朝鮮礼賛の歌であった。また日本共産党は、北朝鮮を「地上の楽園」であるかのごとく宣伝し在日朝鮮人の北朝鮮帰国運動に全面的に協力した。

社民党は、社会党時代から朝鮮労働党と「友党関係」にあり、北朝鮮礼賛を繰り返しその手先となっていた。社民党・土井たか子は、拉致問題を無視してきただけではなく否定してきた。社民党は、拉致の事実が明らかになった後も日本人拉致事件を「荒唐無稽」「新しく創作された事件」などと否定していた。そして社民党は機関紙で北朝鮮による拉致事件を、「(韓国)安企部の脚本、産経(新聞)の脚色によるデッチあげ」、「日本政府に北朝鮮への食糧支援をさせないことを狙いとして、最近になって考え出され発表された」などと主張し(平成九年七月号)、一貫して北朝鮮を擁護し続けてきた。

不破や土井がノコノコと出て来て平和を説く資格などありはしないのである。

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2008年5月11日 (日)

千駄木庵日乗五月十日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後二時より、道玄坂のフォーラムエイトにて、「日台関係研究會」開催。政治学者の殿岡昭郎氏が講演し、「日本は極めて危ない。日本が安全だからウイグル・チベットを助けるのではなく、日本が生きて行くためにチベット・ウイグルを助けるのだ。中国を内部から崩壊させねばならない。それが日本が生きるのこる爲の唯一の方策。

真偽は分からないが『日本解放第二期工作要綱』という一九七二年に持ち出されたとされる中国の内部文書がある。日本のあらゆる分野に親中派をつくるための工作が行われてきた。大学への教師派遣などによる教育面の工作、マスコミへの工作、各政党への工作が莫大な資金を投入して行われている。

台湾の民進党政権は甘かった。中国に対して攻勢に出てこそ独立が達成できる。蒙蔵委員会というのが中華民国政府にあるのに我々の運動への協力姿勢もなかった。中国はそこに住む諸民族の牢獄になっている。

長野で私たちが中国人のデモ隊に対して『中国を解放せよ』と叫んだら、一瞬シーンとなった。中国人留学生は『自分たちは解放されていない』と思っているのだ。それが彼等の弱点。自由と民主主義がない。

中国大陸の少数民族が独立したら、中華人民共和国の領土の六〇%がなくなってしまう。漢民族の人口は減らないから、少数民族の独立は、中国にとって致命的なこと。日本はチベット・ウイグル・内蒙古独立を支援し、後方から中国を攻めなければならない」と語った。

終了後、懇親会。

帰宅後は手紙執筆など。

           ○

今日の会合の懇親会で、二人の台湾人と語り合ったが、二人とも、「私の体に中国人の血が流れているかと思うとぞっとする。」と語っていた。台湾人はそれほどに支那人を嫌っているのである。片方の人は国民党員だった人である。近親憎悪ということだろうか。何とも気の毒で返事のしようがなかった。

陳水扁氏が八年間も政権を握っていたのに、国名も国歌も変えなかったというはあまりにも弱腰だったのではないか。また、陳水扁政権が独立の動きを示すと、それをけん制したのはアメリカとわが国であった。陳水扁だけを責めることはできない。わが国の外交政策もあまりにも共産支那に対して弱腰である。

胡錦濤来日で、日中両国政府とも「日中友好」をアピールしているが、その材料が「日中国交樹立」の時と同じピンポンとパンダというのは、いかに「日中友好」が進展していないかを証明している。ピンポンをやっても、パンダを有料で貸してもらっても何の意味もない。パンダというと、林家三平の駄洒落に「上野動物園のパンダの好物は何だ」「パンだ」というがあったのを思い出す。さんざん日本の事を攻撃し、資源を盗み取り、軍事的圧迫を加えている国との「友好」はあり得ない。

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2008年5月10日 (土)

千駄木庵日乗五月九日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は原稿執筆など。

午後六時半より、赤坂の日本財団ビルにて、「東京財団シンポジウム・グローバル化時代の外交戦略」開催。登壇者の印象に残った発言は次の通り。

加藤秀樹氏(東京財団会長)「生活スタイル・ビジネススタイルの画一化が起っている。経済ルールも国際的統一の方向に向かっている。大企業の会計ルールの統一が地方の中小企業・零細企業に適用されていいとは思わない。多様性があっていい。グローバル化は、宗教伝統が絡むから感情的反発が起こる。外交はそれをどうこなしていくかが問題。」

G・ジョン・アイケンベリ氏(プリンストン大学教授)「時代の転換期に来ている。アメリカはイラク戦争・原油価格の高騰などで困難な立場になっている。危機管理で国際機関が機能を果たしていない。ロシアと支那が台頭しつつある。旧来の大国同士の競争関係が復活している。新しい秩序が出来ていない。アメリカ主導型の国際秩序が危機を迎えている。中国及びロシアという専制的な国とアメリカなどのリベラルな国とのバランスオブパワーの時代に立ち戻る。またアジアと西欧との対立も起こる。リベラルな秩序を再建しなければならない。中国が世界をうまく運営するコツを持っているとは思えない。」

ハン・スンジュ氏(峨山政策研究院理事長・元韓国外務大臣)「グローバル化時代の外交には何が必要か。碁盤が地球。囲碁の考え方が必要。戦略的な考え方が必要。多元的な手段で取り組む必要がある。人と人との外交になる。相手国の国民の心を受け止めねばならなくなる。インターネットを賢明に使えば各国の協力を促進できる。国内問題と国際問題のリンクを十分に考えるべし。アメリカ民主党の大統領候補指名争いが半年も続いて、アメリカの政治はレームダック。今のアメリカは正常な外交をすることが出来ない。支持率一〇%の福田内閣も然り。韓国は近代史・戦後史に対する意見がイデオロギー的に分裂している。政権によって意見が変わる。地域主義がグローバル化にとって代わることはできない。」

北岡伸一氏(東京大学教授)「中国政府指導部は軍を統御出来ているのだろうか。中国は『チベットは古代から中国の領土だ』と言っているが事実ではない。大東亜共栄圏が構築できなかったのは、普遍的な価値観がなかったから」

終了後レセプションが行われた。

今後、アメリカ・日本・イギリスなどの自由国家と、支那・ロシアという専制国家の対立が深まるということである。結局、冷戦時代に逆戻りするのだ。わが国は、ロシア・支那という専制国家そして北朝鮮という国際テロ国家と直接対峙しなければならない地理的条件下にある。相当な覚悟を持ち、賢明な外交戦略を立て、軍事力を強化しなければならない。その基本には、国民の祖国愛が正しく確立されていなければならない。

帰宅後は「政治文化情報」の原稿執筆。完成。

   ○

展転社の藤本氏などから次のようなメールが送られてきました。

「 各位

昨日、陸自自衛官が国会内で自決を計り未遂に終るといふ事件がありましたが、信頼できる友人よりこの自衛官(苗字は鈴木田といふことです)は、今般のコキントウ来日、とくに本日予定されてゐる天皇皇后両陛下のニューオオタニご訪問に抗議の意志を表すべく自決未遂に至つたとのことです。またこの企てに当り、制服を着用してゐたことも確認されてをり、さらにはオリンピックの候補選手(射撃)でもあつたさうです(北京五輪は不出場)。時節柄斯様な事実関係が、当局により厳重な緘口令下に置かれることを憂ひた友人が、私を介して広めて欲しいとの要望があり、皆様にお伝へする次第です。      藤本隆之

                      」

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2008年5月 9日 (金)

千駄木庵日乗五月八日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、これまで時間的余裕がなく見る事が出来なかった映画『靖国 YASUKUNI』(李纓監督)のDVDを観る。率直に言って、この映画は明らかに反日映画であり、反靖国神社の映画である。いやそんな甘いものではない。昭和天皇を冒瀆し奉る実に悪質なる映画である。天皇を祭祀主と仰ぐ真の信仰共同体国家日本を破壊せんとする映画である。

昭和天皇・靖国神社および参拝者・日本刀・捏造され「日本軍の日本刀による処刑の場面」・八月十五日の靖国神社の集会・台湾先住民と称する人々の靖国神社に対する抗議の場面・年老いた刀匠の方の話などをつぎはぎして、①日本軍は日本刀を用いて残虐行為を行った。②靖国神社はそういう日本刀を御神体とする神社である。③靖国神社を護持する人々は靖国神社に批判的な行動をする人々を暴力を用いて排除する。④昭和天皇はそうしたことの「象徴的存在」である。ということを描きだしているのである。

このような映画に文化庁所管の日本芸術文化振興会が750万円の公的助成金を出すべきではなかった。即刻返還を求めるべきである。稲田朋美衆議院議員たちの行動も心ある人々の抗議活動も正しいし当然の行為である。それを言論の自由の圧迫だなどと言う方がおかしい。そういうことを主張する者たちこそ、正当な政治活動や表現活動を圧迫する者たちである。

午後五時より、赤坂の乃木会館にて、「維新公論会議」開催。

登壇者の印象に残った発言は次の通り。

大原康男国学院大学教授「次世代の人々に靖国神社そして英霊への慰霊顕彰についてどう伝えて行くかが大切。」

宮本雅史氏(新聞記者)「映画『ヤスクニ』の映画ができた背景には、日本人が一枚岩でないことが一つの原因である。特攻隊の遺書を一人でも多くの人に読んでもらいたい。」

犬塚哲爾氏「目に見えぬものを信じるということは近代合理主義では説明できない。自分と英霊がどう向かい合うかが大事。」

 

前靖国神社宮司湯澤貞先生におうかがいしたところによると、靖国神社の御神体である「神鏡」と「神剣」は、宮司も拝見したことはないとのことであった。それほど神聖なるものなのである。御神体としての「神剣」は神の命のこもった依代である。

帰途、愛媛県から参加された同志の方と久しぶりに懇談。

帰宅後は原稿執筆。

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2008年5月 8日 (木)

千駄木庵日乗五月七日

午前は父母のお世話。

午前は父母のお世話。

以後は在宅して原稿執筆。

夕刻、知人と懇談。

帰宅後も原稿執筆。

            ○

あれほど厳しかった父が、私の言うことを子供のように何でも素直に聞いてくれる。有難いような、悲しいような複雑な気分である。しかし大事なことはなかなかしっかりとした判断をする。老人特有の精神的な病気にはなっていないので安心である。

母も八十八歳であるが、部屋の中で二回ほど転んだので、足腰を少し痛めているが元気である。昨日今日のことは忘れっぽくなっているが、数十年前のことは実によく憶えている。

深夜何回も地震があり、その度に父母の部屋に行ったので、今日の「日乗」はこの辺で失礼します。しかし「パンダ二匹でごまかされてはいけない。そんなもの貸して貰う必要はない。」ということだけは書いておきたいと思います。

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2008年5月 7日 (水)

千駄木庵日乗五月六日

未明、父の容態に変化があり、朝まで看病。

午前、父に付き添って病院に赴く。診察と治療を受け、小康を取り戻したので帰宅。

帰宅後は、原稿執筆。

            ○

福田総理は来日した胡錦濤主席と日比谷の松本楼で夕食を共にした。なぜ松本楼が選ばれたかというと、松本楼が孫文ゆかりのレストランだからとのことである。

松本楼の社長夫人の祖父である梅屋庄吉氏が孫文を援助し、武器・弾薬・飛行機など換算したら2兆円にも及ぶ私財を投じたそうである。孫文は大正4年に梅谷邸で宋慶齢とめぐりあい、梅谷庄吉夫妻の仲立ちで梅谷邸で結婚式を挙げたという。また宋慶齢が弾いたピアノが松本楼のロビーに置いてあるという。

共産支那は、日本が満州を侵略したなどと言っている。わが国にもそう思っている人は多い。しかし、孫文らが起こした辛亥革命・国民革命は「反清復明」「滅満興漢」(清朝を滅ぼし明朝を復興する。満州民族を滅ぼし漢民族を起こす。)を合言葉にして戦われたのだ。孫文は「わが国にとって満州は外国であり、革命の成功後は満州問題は日本に一任する」と公言していた。

漢民族・支那人にとって満州は北狄(北の野蛮人)であり、侵略者であり、外国だったのである。だから万里の長城という城壁を築いたのだ。満州が漢民族固有の領土でないことは明らかだ。

我が国が、満州に五族協和の独立国家を建設した事は、決して支那に対する侵略ではないのである。福田首相も胡錦濤主席もこういうことを正しく認識したうえで、松本楼で夕食を共にしたのであろうか。

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2008年5月 6日 (火)

千駄木庵日乗五月五日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅して原稿執筆。

夕刻知人と懇談。

帰宅後も原稿執筆。

            ○

共産支那は、国内において、五輪大会の聖火リレーへの抗議活動が活発に行われたフランスに対する官製抗議デモを行った。そして、わが国と韓国においては、留学生や華僑を動員して聖火リレーへの抗議活動封殺を行った。共産支那お得意の人海戦術である。

村田春樹兄のレポートや「サンケイ」の報道によると、長野では抗議活動を行ったわが国民やチベットの人々に対する暴力行為があったという。しかるに「サンケイ」以外のメディアはこのことを報道しない。許し難いことである。暴力行為を行ったシナ人を逮捕し、国外に追放せよ。

共産支那は、「オリンピック精神」をお題目のように唱えてゐるが、それならなぜ、

五輪の旗を振らないで五星紅旗を振ったのか。支那は五輪精神などどうでもいいのである。「国威」を発揚したいだけなのである。

村田春樹兄のレポートによると、村田氏が長野駅近くの交差点で抗議活動をしていたら、シナ人学生が「Japan IS a PART of CHINA ALWAYS!」と怒鳴りつけてきたそうである。村田兄は、「NOCHINA WAS A PART OF TIBET YOU  Know!?」「CHINA was a part 0f Manchuria!」「CHINA WAS A PART 0F Mongolia!」と言い返したそうである。

 支那人は、日本を自国の領土だと思っているのである。それが本心なのだ。チベットの次は台湾を侵略し、その次はわが国を侵略船としているのだ。我々は、支那に対する警戒感を強めねばならない。しかるに、政治家もメディアも支那に迎合し、へつらう姿勢を取り続けてゐる。まことに危険である。

小沢一郎はの国家的危機に「生活第一」だとか言って、国家基本問題を避けでいる。シナにどう対処するかは、国民生活の安全にとって最も重大なことではないか。池田大作はシナの学校から名誉学位を貰って喜んでいる。困ったことである。

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2008年5月 5日 (月)

千駄木庵日乗五月四日

午前は父母のお世話。

午後は原稿執筆。夕刻、根津神社の「つつじ祭り」を見に来た帰りの知人と懇談。

帰宅後も原稿執筆。

          ○

今朝の「サンデープロジェクト」で、日本の外交官と共産支那の当局者との討論が行われました。それなりの意義はあったと思いますが、支那当局者が、「チベットは支那の一部だ。チベット問題は内政問題だ」と声高にいえば言うほど、嘘八百だと感じられました。

チベットは有史以来独立国でありました。九世紀にチベットは唐帝国の侵略と戦い、唐の首都長安のすぐ近くまで攻め込みました。そして国境条約が結ばれました。一七世紀に清朝の皇帝が当時のダライラマ法王を支那に招き、法王を宗教上の師と仰いだことはありますが、チベットが支那の領土になったわけではありません。

一九〇四年には、チベットとイギリスとの間で「ラサ条約」が締結されました。大東亜戦争ではチベットは中立の立場を保ちました。

しかるに、共産政権になった直後の一九四九年十月に、支那はチベットを侵略し併合したのであります。これは共産支那という国が本質的に侵略国家であることを証明する事実であります。共産支那の主張は全く出鱈目なのであります。

支那当局者は今日の番組で「農奴制度があった」とか「生贄が行われた」などと大声で言っていましたが、これも嘘でありましよう。彼らが大声を出せば出すぼと信じられないのであります。

ペマ・ギャルポさんの著書「チベット入門」(日中出版発行)に詳しくチベットの歴史の事が書かれています。

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2008年5月 4日 (日)

千駄木庵日乗五月三日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後一時より、四谷区民ホールにて。「新しい憲法をつくる国民大会」開催。登壇者の発言は次の通り。

清原淳平新しい憲法をつくる国民会議会長代行「国民投票法成立によって国民の理解を得ることが大事になった。施行以来六十年の年月がたってゐるのに、一度も修正していない。憲法と現実に間にギャップが出来ている。制定過程に国際法違反の可能性あり。翻訳調であるがその翻訳にも誤りがある。『奴隷的』という言葉が使われているが、奴隷制はアメリカにはあったがわが国には無かった。九条の解釈は十八通りあると言われてゐる。」

竹内雄一郎高崎経済大学名誉教授「憲法改正はより良き国をつくるための羅針盤づくり。国家的決断が必要。」

船田元自民党憲法審議会会長代理「憲法審議会が全く動いていない。採決の朝に民主党がおかしくなった。小沢氏が『民主党案丸呑みでなければ反対せよ』と指令。枝野氏は『後ろから鉄砲を撃たれた』と言って筆頭理事を辞めた。小沢氏は『野党が政権を取るまでは改憲しない』という考え。民主党は『憲法改正の議論をする』という公党間の約束を守ってもらいたい。私はまた小沢氏に痛めつけられた。福田総理は消極的ではない。所信表明で『国会で議論が行われ、合意が得られることを期待する』と述べた。」

岸信男参院議員「参院第一党の民主党の代表が一人もこの場にいないのは残念。野党が政局のみで動き妥協しない場合は

再議決はやむを得ない。」

石原宏高衆院議員「現行憲法には日本人本来の気質が書かれていない。家族関係が弱められ、個人主義が前面に出てゐる。」

小池百合子衆院議員「憲法審議会が一年間空転。野党は一種のサポタージュ。このままの憲法では国際的地位を維持するのは難しい。環境保全意識をどうやって憲法に取り入れるかが問題。軍事裁判所あるいは軍法会議設置が急務。自衛隊の活動は世界から評価されてゐるが、様々な制約があり、自らを守ることができない場合がある。五星紅旗が善光寺に靡く姿はなじめない。五輪の旗を振ったら中国の株は上がっただろう。」

平澤勝栄衆院議員「護憲勢力が日本をおかしくしている。自衛隊や海上保安庁が不審船を見つけても、北朝鮮の領海まで追いかけるだけで引き返す。北朝鮮工作員は『日本は出入り自由な国だ』と言ってゐる。時代が大きく変わっているのだから憲法を変える動きが出るのは当然。民主党も改憲が党是と言ってゐるのだから憲法審議会を早く開き新しい憲法をつくるべし」

小林正元参院議員「小沢氏は『国民生活の安定が優先だ』と言ってゐるが、資源・エネルギー・食糧・中国の台頭・戦後レジームからの脱却・安全保障などを考えると、憲法は二の次などという国際情勢ではない。憲法改正こそ最優先課題。」

夕刻、宮中祭祀などについてある雑誌記者と懇談。

夜は、資料の整理など。

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各登壇者の小沢一郎批判は全く正しい。とりわけ小林正氏の主張は全く同感である。国民生活を守るためにも、憲法問題の解決を最優先にしなければならない。船田氏も小池氏も小沢と共に政治行動をしていた人であるが、今は袂を分かっている。

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2008年5月 3日 (土)

千駄木庵日乗五月二日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。父母が精神的に弱気にならないよう、元気づけることに努力しております。

午後からは在宅して、原稿執筆。「政治文化情報」の原稿です。

夕刻、知人と懇談。

帰宅後も原稿執筆。

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石原慎太郎都知事は、一九日から台湾を訪問し、馬英九次期総統の就任式に出席するという。また、石原知事は北京五輪開会式の出欠は明らかにしていない。一方、福田首相は、北京五輪開会式に出席する方向で検討し、日本側が支那側に前向きな見通しを伝えたという。

対台湾・対支那外交は重要である。台湾に国民党政権が復活した。以前の国民党は、反共であったが、今は違う。共産支那政府との融和を志向している。それどころか統一を行う危険もある。もしも台湾が共産支那の支配下に入ったら、東アジは支那の支配下に置かれる。そして日本の安全と独立は根底から脅かされる。

そうならないようにするためには、国民党と共産支那との分断工作をしなければならない。今のわが国の外交当局には、そうした工作を実行する力があるだろうか。甚だ疑問である。そういう意味で石原氏の訪台は重要である。

福田総理は、無条件で五輪開会式に出席すべきではない。少なくとも、わが国に対する内政干渉・度重なる反日策謀・領土領海の侵犯・資源の盗み取りなどに対する謝罪がその前提である。また、胡錦濤がダライラマ法王と会談し、チベットの大幅な自治を認め、チベット迫害の即刻中止を約束することがその前提である。

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2008年5月 2日 (金)

千駄木庵日乗五月一日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は父に付き添って診療所に赴く。

帰宅後は次号の「政治文化情報」原稿執筆のための資料の整理など。

夕刻、知人と懇談。

夜も資料整理・検索など。

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この間テレビのトーク番組で松本健一氏が「ポピュリズム(

日本語では大衆迎合主義と言い、大衆受けする政策を行い、選挙を有利にしようという政治のことだそうである)の政治家は外交で国を危うくする」と論じ、「対華二十一カ条の要求」を提出した大隈重信、支那事変を拡大させた近衛文麿、そして靖国神社参拝を行った小泉純一郎の名を挙げた。三人とも対支那外交に関わった総理大臣であり、松本氏は支那との対立を激化させという意味で批判的に取り上げたのである。

しかしもう一人重要な人物を忘れてはいないか。「日中国交樹立」「台湾切り捨て」を行った田中角栄である。田中角栄は、「今太閤」「庶民宰相」など持ち上げられたまさに「ポピュリズム」の政治家であった。あんなに急いで「日中国交樹立」をすべきではなかったし、「台湾切り捨て」を行うべき出来なかった。そのことはその後の歴史が証明している。田中角栄の対支那・対台湾外交こそ国を誤ったのであるる

支那という国に対する誤れる「憧れ」と「贖罪意識」と「迎合主義」こそ、日本という国を危うくする。そういう「媚中派」は政治家以外にもたくさんいる。マスコミにおける田原総一朗、宗教界における池田大作、芸術界における平山郁夫である。池田氏は仏教者を自称しながら最近のチベットにおける共産支那の蛮行に対して一言も抗議をしない。平山氏などはこの時期に支那で個展まで開いている。田原氏は媚中・反日映画を高く評価し、この映画の上映に意見を述べた政治家を攻撃している。こういう人物たちこそ国を誤るのである。

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2008年5月 1日 (木)

千駄木庵日乗四月三十日

午前は、父母のお世話。訪問看護師の方と共なり、

午後からは、在宅して書状執筆。その後、「月刊日本」誌連載の萬葉集講義の原稿執筆、完成、送付。

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池田創価学会は、「皇祖神をお祭りする伊勢の神宮そして護国の英霊鎮まりまします靖国神社など日本全国の神社には、神にいなくなり悪鬼邪神がすみ棲みついているから、参拝すると罰が当たる」などと会員に教育してきている。これを「神天上の法門」と言う。かかる教義は「敬神崇祖」の我が国伝統精神を根本から否定し、天皇中心の信仰共同体日本国を根本から破壊する考え方である。また、日蓮の神祇思想にも反する行為である。日本傳統信仰への回帰・敬神思想を基本理念として国民運動を展開している者として、絶対に看過できない。池田創価学会を批判する最大の理由は実にここにある。

学会機関紙「聖教新聞」四月二九日号において、原田稔会長が「今日、祭りと言っても、宗教的意味はほとんどなく、地域の親睦をはかるという社会的、文化生き意味合いが強い祭りが多くなっているから、この種の祭りに参加することに何ら問題はない。祭りに参加しても信心に揺るぎがないのであれば、全く謗法(創価学会の教えをそしること。最も重い罪とされる)には当たらない。宗教的色彩のある祭りに参加しても、神輿を担いでも、信じて拝むのでなければ謗法と言えない」(「地域友好と『祭り』について」)と述べている。

「神社には、悪鬼邪神がすみ棲みついている」などという荒唐無稽な教義を否定したのではない。しかし、祭りには参加すると言い出したのである。以前、秋谷前会長もこれと同じようなことを言ったことがある。学会の言う「地域友好」とは「公明党の票稼ぎ」のことである。そのためなら、重要教義の変更もあり得るということかもしれない。公明党の議員も祭りに参加するだけでなく、御神輿も担ぐようになっているようである。また、一般の学会員も、町会などの祭りの行事に参加するようになっている。これは一歩前進と見るべきであろうか。

日本傳統信仰・神社神道は、わが国の国民精神である。排他独善の教義を持つものではない。だからこそ、わが国は古代から今日に至るまで、外国思想・宗教を寛大にそして柔軟に受容して来たのである。

日蓮自身、きわめて神祇信仰の篤い僧侶であった。創価学会は、「神天上の法門」を完全に捨て去るべきである。

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