« 千駄木庵日乗四月十九日 | トップページ | 千駄木庵日乗一月二十一日 »

2008年4月21日 (月)

千駄木庵日乗四月二十日

早朝、少し異常を訴えた父のお世話。

午前十一時より、上野公園西郷南洲翁像前にて「西郷南州會清洗式」執行。五條天神社の神職が祭となり、祝詞奏上・玉串奉奠などが行われた。早瀬内海西郷南洲會會長が挨拶。小生及び田中健之氏が祝辞を述べた。そして、和太鼓の演奏及び居合が奉納された。

この催しは、「銅像清洗式を通して西郷先生の高邁な精神に触れ、御遺訓に学び、日本再生へ一層の努力を致したい」との趣旨で毎年行われている。本年は南洲像が建立されてより百十年になる。

小生は、「我國の歴史上の人物の中で、最も敬愛されている人物の一人が西郷隆盛である。大西郷は明治維新の大功労者であり、且つ、維新後も権力に恋々とせず、第二維新運動の指導者として奮闘した。『大西郷の精神』とは、国家の自主独立の精神であり、皇室を敬い国民に真の平安をもたらす政治の実現である。

西洋列強の侵略から祖国を守り四民平等の国を建設するための大変革であった明治維新を戦い、さらに維新後にあってもなお、東洋の平和と理想の道義国家建設のために戦った大西郷の精神こそ、今の日本にもっとも必要なものである。何故なら今の日本は、幕末及び明治初期の我國以上に、外国から侮りを受け、政治は乱れに乱れているからである。

わが国は外圧がきっかけとなって変革を成し遂げてきた。大化改新は唐新羅連合軍侵攻の危機があった時に断行された。蒙古襲来は建武の中興へとつながった。明治維新は欧米列強の侵略の危機があった時に行われた。今日の日本もまさにそういう時である。

西郷先生は沖永良部島に配流中に作った詩において『生死何ぞ疑はん天の附與なるを 願はくは魂魄を留めて皇城を護らん』と詠まれた。いかなる逆境にあろうとも、天皇中心の國體をお護りするという祈りが西郷南洲の根本精神であった。

また、西郷先生は単なる武断派ではない。西郷先生晩年の詩に『数千里外已に隣の如し 四海同胞の意を知らんと願はば 皇道頻りに敷く万国の民』と詠まれた。皇道を基本とした世界の真の平和実現を願われたのである」ということを訴えた。

終了後、西郷像のすぐ裏に建立されてゐる「戦奎死之墓」(彰義隊慰霊碑)に参拝。賊軍とされたため、彰義隊の文字はない。山岡鉄舟揮毫。そして、「博士王仁碑」(清浦圭吾篆額・趙洛奎撰)「博士王仁副碑」(林銑十郎篆額・四宮憲章誌)を仰ぐ。王仁(わに、生没年不詳)博士は百済から渡来し、漢字(千字文)と儒教(論語)を伝えたとされる伝説的な人物。

帰宅後は、「政界往来」の連載原稿執筆・完成・送付。

       ○

内憂外患交々来たると言った状況の今日、西郷南洲先生のような人物の出現が切に望まれる。

|

« 千駄木庵日乗四月十九日 | トップページ | 千駄木庵日乗一月二十一日 »

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/121949/40945058

この記事へのトラックバック一覧です: 千駄木庵日乗四月二十日:

« 千駄木庵日乗四月十九日 | トップページ | 千駄木庵日乗一月二十一日 »