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2008年4月 1日 (火)

千駄木庵日乗三月三十一日

午前は父母のお世話。

午後からは在宅して資料の整理など。

        ○

フランスやイギリスなど西欧の歴史は、血で血を洗う革命、国王と国民との対立闘争の歴史である。封建社会を革命によって変革して西欧近代社会ができたことが、人類の社会進化の唯一の方向であり典型であるという史観は受け容れる事は出来ない。國柄と歴史が異なる日本に西洋の革命史観を当てはめることはできない。そもそも日本の天皇中心の国家は未だかつて専制君主制であったこともないし天皇が専制君主であられたこともないのである。

 政治・宗教・文化・芸術は、それぞれの生活圏、民族特有の歴史から生まれ育ってきたものである。特に日本の場合、稲作生活、自然条件、地理条件、国際環境の総合の中で、独自の政治・宗教・文化・芸術を育ててきた。

 西洋と東洋とりわけ日本との大きな違いは、西洋人が狩猟民・牧畜民の末裔(ユダヤ教・キリスト教は牧畜あるいは狩猟生活から生まれた一神教である)であるのに対して、日本人は稲作民族の民(神道は稲作生活から生まれた多神教である)であることである。

キリスト教会のイエス・キリスト磔像は、芸術的美しさあるいは宗教的荘厳さはあるといえども、有り体に言えば他人に殺された人の死体である。これを礼拝の対象にするというのは日本人の感覚ではとても考えられない。仏教も涅槃像と言って釈尊の死体を拝む。しかしこの場合は、病気で死んだ姿であって磔という残虐な処刑方法で殺された姿ではない。キリスト教というか一神教の異質さを実感する。イエスの磔像を拝む人々は、人類の罪を背負って殺されたというイエスへの崇敬の念を抱くと共に、殺した人々への怒り・恨み・報復の念を持つのは当然である。それがユダヤ人への差別・迫害につながったのである。

 日本人の神観とキリスト教の神観との相違は重大である。裁きの神・妬みの神たるエホバを信仰する一神教・ユダヤ教から出発したキリスト教の神は、一神教の持つ排他性と裁き・復讐・贖罪の神として非寛容的な厳しさを持っている。日本伝統信仰が鏡を御神体として拝む清々しさとは全く異なる信仰精神である。

余り悪く書きたくはないが、大英博物館の収蔵品の多くは要するに世界侵略支配を行った英国が各地から略奪して来た品々なのだ。特にエジプトや古代ギリシャの美術品がなぜロンドンにあるのだろうか。日本は今日、侵略国家だったなどと批判されているし、日本人自身にも侵略国家だったなどと思っている人が多い。しかし、日本の美術館や博物館には、このような外国から奪ってきたものは無い。日本皇室の美術館たる三の丸尚蔵館はの展示物を拝観すればそれは明らかである。日本は本来、覇道の国ではないし、侵略国家ではない。

國の根幹たる憲法は、日本傳統精神を根幹とすべきであって、西欧政治思想・法思想を根幹とすべきではない。西洋法思想・政治思想によって貫かれている現行占領憲法が今日の日本に頽廃と混迷をもたらしてゐる。一刻も早くこれを廃棄しなければならない。

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