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2008年4月30日 (水)

千駄木庵日乗四月二十九日

朝、父母のお世話。

午後十二時より、杉並区久我山にて「みすまるの宮遷宮例大祭」執行。

祭儀の前に、教育創造研究所主幹の菅家一比古氏が挨拶を行った。そして、中東弘春日大社前権宮司が「顕幽一如・慈悲萬行」と題して講演し、「見えるものと見えないものは一つ。今は見えないものを無視しているから世の中がおかしくなっている。肉体の奥に心・魂がある。見えない心・魂が肉体に影響を与える。我々の祖先は見えないものを感じ取って来た。科学者がものを研究すると、見えないものに突き当る。科学が宗教に近付いてきた。

萬葉集と祝詞はやまとことばで書かれている。世界の宝。けがれとは気が枯れること。古代人は、神の命がこもっている山や森を大切にして来た。明治以後、山や森を破壊した。良い水を飲まないと細胞は活性化しない。神を祭ることによって氣を元に帰す。だから元氣と言う。斎庭(ゆにわ)とは神のおられる神聖な庭のこと。斎王は神に奉仕する乙女。神霊が体にとどまっているのでヒト(靈人)と言う。

伊勢の神は正直の神。春日の神は慈悲の神。石清水の神は清浄の神。奈良公園には一二〇〇頭の鹿がいる。自然と共生している。地球は水球。そこに六〇億の人間が生かされている。動植物も生きている。慈悲の行を行うことが大切。

日本にそして世界に神ながらの村をつくっていこう。二〇一三年には伊勢の式年遷宮が行われる。出雲の遷宮も行われる。二〇一一年には住吉大社の千八百年祭が行われる。世の中が良い方向へ転換する節目の年を迎える。今が一番大事な時。」と語った。

この後、菅家一比古氏が祭主となり、祭儀執行。国歌斉唱・祝詞奏上・祭文奏上・玉串奉奠などが行われた。続いて、直会が行われ、小生などが挨拶した。

菅家一比古氏は、神道家であり靈覚者であった故中西進先生(中央大学教授)の御指導のもと、神道の行に励まれ、教育運動・傳統精神覚醒運動に精励している方である。小生は、氏の主宰する教育創造研究所にて、「しきしまの会」という歌会を開いている。

帰宅後は、書状執筆、資料の整理など。

           ○

小生は、直会の席で次のようなことを話させていただいた。

『「みすまる」とは、上代、多くの玉を緒に貫いて輪とし、首にかけたり腕に巻いたりして飾りとしたもの。ミは接頭語で、スマルは集まって一つとなる意。古代の装身具。たくさんの珠(たま)を糸に貫いて環状とし、首などにかけて飾りとした古代の装身具をミスマルという。伊邪那岐命は、天照大神をお産みになった後、頚に掛けた美しい御統(みすまる)の玉飾りを特に天照大神にお授けになった。

生長の家の行法である神想観を終了する時に唱える谷口雅春先生の歌は、『天(あまてら)す 御親の神の 大調和(みすまる)の 生命射照(いのちいてら)し 宇宙(くに)静かなり)。』である。ミスマルに大調和という漢字をあてている。「みすまる」には、一つにまとまる調和するという意味がある。』

日本国の祭祀主であらせられ、常に日本と世界の平和を祈り続けられた昭和天皇の御生誕日である「昭和の日」の今日、日本傳統精神について色々学ぶことができ、話させていただいた。。有難いことであった。

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2008年4月29日 (火)

千駄木庵日乗四月二十八日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は父に付き添って診療所に赴く。

帰宅後は資料の整理。

         ○

「言論の自由」「表現の自由」「政治活動の自由」は大切である。「権力」によってこれらの「自由」が束縛されることがあってはならない。この「権力」とは政治権力のみではない。メディアは第四権力と言われている。その第四権力たるメディアによって、「言論の自由」「表現の自由」「政治活動の自由」が圧殺される時代が起っている。

稲田朋美衆院議員や有村治子参院議員の政治活動が、不当不法に抑圧されている。両議員が映画「ヤスクニ」に対する税金を使っての補助が妥当であったかどうかを政治家として問題にしたことに対して、朝日新聞やテレビ朝日が非難攻撃を加えている。私から言わせれば、これは言いがかりとしか言いようがないし、両議員の政治活動に対する迫害行為である。

また、民族派右翼団体の政治運動・街宣活動に対しても、メディアから不当不法な圧迫が加えられている。田原総一朗氏は、「サンデープロジェクト」で「警察は右翼の街宣を取り締まれ」と公言した。これも全くおかしい。右翼の街宣活動に反省すべき点が多いことは事実である。しかし、右翼の言論活動に対して不当な圧迫が加えられることはあってはならない。

戦前・戦中は、「国賊」「非国民」と断定されれば、政治活動の自由が侵害されるばかりでなく、獄に放り込まれた。今日は、「反社会的存在」と言われば、何をやっても、いかなる主張をしても、否定され、圧迫されるようになっているように思える。媚中派・反日勢力の「言論の自由」は認められて、民族派の「政治活動の自由」が抑圧されでいることは絶対に許し難い。

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2008年4月28日 (月)

千駄木庵日乗四月二十七日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅してたまった資料の整理

          ○

最近、皇室論を読むと、國體護持の立場に立つと思われる人の中にも、時にとんでもないことを言い出す人がいる。「正田王朝」「小和田王朝」などと言ったり、畏れ多いが「皇太子同妃両殿下は離婚されるべきだ。それができなければ、皇太子殿下は皇位継承権を放棄すべきだ」などという意味のことを主張する人もいる。さらには、「皇室の大祓いを行うべし」という人もいる。また「自分の主張と違った皇室は存在しなくなった方が良い」という意味のことを言う学者さえいる。いかに、國體護持の立場に立ち、皇室を思っての発言であったとしても、このような主張をすべきではない。

私も色々な人々の皇室論・天皇論を読んでいるが、書いている人が本当に尊皇の心を持っているかを疑いたくなるような文章がある。自分たちは皇室をお護りし、國體護持を念願しているのだから、皇室に対して苦言を呈するのは当然だと思っているような、皇室への慎みの心を持たない主張もある。

そういう人たちに対しては、皇室に対する慎みの心を持たずして、何の國體護持か、尊皇かと言いたい。

日本武尊・楠公精神・山崎闇斎の絶対尊皇精神の回復こそが今一番大切である。

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2008年4月27日 (日)

千駄木庵日乗四月二十五日

朝、宿舎を出発。

札幌市北十二条に鎮座する札幌諏訪神社に参拝。御祭神は、建御名方之命(たけみなかたのみこと。大国主命の第二子神)・八坂刀賣之命(やさかとめのみこと。建御名方之命の妃神)。御創建は、明治十一年。信濃の人々三十余人がこの地に移住し開墾をはじめ、故郷信濃の国一の宮に諏訪神社の御分霊をお祀りしたという。

神職の前田伏樹氏と懇談。前田氏とは、彼が東京の国学院大学に学んでいた当時から四十年近くにわたる同志。懐かしい思い出話、そして日本国そして民族運動の現状について語り合った。映画「ヤスクニ」の内容について、共産支那の立場に立った反日・反靖国神社の映画であることは間違いないと語っていた。

前田氏の御案内で、北海道神宮に参拝。明治二年に、明治天皇の詔により御創建。御祭神は大国魂神(おおくにたまのかみ、国土の神)・大那牟遅神(おおなむちのかみ、大国主命の別名)・少彦名神(すくなひこなのかみ・国土開拓神)・第百二十二代明治天皇(昭和三十九年に御増祀)。

本殿の横には、大きな鯉幟が春風に乗って泳いでいた。広大な境内は、約千四百本あるというエゾ山桜・染井吉野・八重桜が満開であった。島義勇の御靈の鎮魂のために、島義勇の部下だった福玉仙吉という人物が、明治八年(一八七五年)、参道に百五十本の桜を植えたのが始まりといわれる。梅も満開。北海道は春がいっ時に来るので、桜と梅が一緒に咲くのであろう。大変見事な光景であった。

摂社である開拓神社に参拝。御祭神は島義勇をはじめ松浦武四郎・岩村通俊・伊能忠敬・間宮林蔵・最上徳内・鍋島忠正(佐賀藩主・蝦夷開拓総督)・東久世通禧ひがしくぜみちとみ・公卿。北海道開拓使長官・枢密顧問官)など北海道開拓功労者三七柱。

参拝を終え、空港へ。日航機で帰京。

帰宅後は、諸雑務。父母は、妹と介護の方の世話で何事もなく過ごしていたので安心。

          ○

札幌には久しぶりに行ったが、新しい高層のビルが立ち並んでいた。空港から札幌までの風景も、住宅が増え白樺林が本当に少なくなっていた。北海道らしさがなくなっているという感じがしたが、それは東京から来た私の勝手な解釈で、「北海道は大変な不景気」と言われながらも発展していることなのであろう。北海道神宮も多くの参拝客・花見客で賑わっていた。

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千駄木庵日乗四月二十五日

朝、父母のお世話。

昼、日航機にて、札幌へ。

宿舎に荷物を置いた後、大通公園を目指して散策。

途中、重要文化財に指定されている北海道庁旧本庁舎を見学。
この庁舎の建築様式は、アメリカ風ネオ・バロック様式といわれ、明治二一年(一八八八)完成。レンガ造り。周りの池のある庭園も美しい。


大通公園に至る。明治二年(一八六九)年に北海道開拓使が置かれ、開拓判官の島義勇(しま よしたけ・後に明治天皇の侍従、秋田県県令などを歴任)は、無人の原野であった札幌に「五州第一の都」(世界一の都)を造るという壮大な構想を描き、京都や故郷佐賀等の城下町を念頭に置いて、碁盤の目のような整然とした町並みを目指し工事が進められる。碁盤の目状の区画の南北の軸が今日の大通公園となる。島義勇の更迭後に建設の指揮をとったのが岩村通俊である。

島義勇は、佐賀藩士で、後に、佐賀に帰京して江藤新平と共に佐賀の変を起して敗れ、処刑される。しかし、今日「北海道開拓の父」と仰がれている。

一方、後任の岩村通俊は、土佐藩士で、北海道長官、農商務大臣、宮中顧問官などを歴任する。通俊の弟の岩村高俊は、長岡藩家老河井繼之助の中立歎願を拒絶し、北越戦争の発端をつくった人物である。後に佐賀県令となり、高圧的な政策をとって「佐賀の変」を誘発する。歴史というのは皮肉な巡り合わせを現出する。岩村兄弟の墓は谷中墓地にある。

明治維新そしてその後の日本近代化の歴史は、色々な矛盾や錯誤があった。しかし、歴史は巨視的に見なければならない。一人の人物も、大変な国家国民への貢献をしても、時局の変遷や時勢によって逆徒となってしまうことがある。一面のみを見てその人を評価してはならない。島義勇も江藤新平も、そして彼の大西郷も一時は逆徒とされたが、後に、賊名を取り除かれ、神と祀られ、銅像まで建てられている。

大通り公園には、「聖恩無彊」と刻まれた大きな石碑が立っている。裏面に「昭和十一年、昭和天皇北海道行幸、陸軍特別大演習云々」と刻まれているが、そばに近づくことができず、全てを判読できない。碑のそばに、由来書きを立てるべきである。

午後六時より、「かでる21」にて、『草莽志塾』開催。主催者の出口吉孝氏が挨拶。小生が「皇室制度と戦後体制」と題して講演。多くの参加者があり、活発な質疑応答が行われた。終了後、懇親会。

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2008年4月25日 (金)

千駄木庵日乗四月二十四日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。午後は明日の講演の準備など。

午後六時半より、新宿の玄海にて、「東洋事情研究会」開催。花房東洋主宰が中国共産党の内部問題について講演。「習近平と李克強の権力闘争の今後の行方に注目すべし」などと語った。この後懇親会。

帰宅後も明日の準備。

           ○

北京五輪の聖火リレーが、二六日に長野市内で行われる。当初の出発地だった善光寺が「参拝客の安全面などに対する不安、チベット問題」を理由にこれを辞退した。善光寺が辞退したのは当然である。仏教徒であるチベット民衆に残虐なる迫害を加えている共産支那で行われる五輪大会に仏教寺院が協力することはあってはならないことであった。

創価学会は共産支那のきわめて親しい関係にある。そして北京五輪開催に協力しているという。学会が日蓮正宗と喧嘩をしていなければ、富士大石寺を聖火リレーの出発地にしたかもしれない。そして沿道に大量の信者を動員したであろう。

創価学会は日頃、「信教の自由」だとか「学会は戦前弾圧された」とか「学会批判は宗教弾圧だ」などと言っているのに、共産支那の宗教弾圧には全く抗議しない。創価学会はチベット仏教を邪教と思い、ダライラマ法王を悪魔と思っているからであろう。その点で、学会と共産支那は考えを同じくしている。というよりも、創価学会は共産支那の体質がよく似ているのだ。どちらも全体主義独裁集団なのである。

あり得ないことであり、あってはならないことだが、創価学会が単独で権力を掌握したら、共産支那がチベットに対して行っているような宗教弾圧・政治弾圧をわが国において行うであろう。日蓮正宗の坊さんなどはチベット仏教の坊さんと同じように、逮捕されるであろう。

           ○

明日の「千駄木庵日乗」はお休みです。

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2008年4月24日 (木)

千駄木庵日乗一月二十三日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

お昼は知人と懇談。

午後は、明後日の札幌における講演の準備。

夕刻、永田町の衆議院議員会館訪問。同志議員秘書と懇談。

午後六時半より、駒込地域文化創造館にて、「萬葉古代史研究會」開催。小生が萬葉集作者未詳歌を講義。終了後参加した週刊誌記者と懇談。

帰宅後も明後日の講演の準備。

          ○

禁煙の場所が増えて困っています。先日も時間つぶしに入ろうとした二軒の喫茶店が禁煙でした。確かに喫煙は体には良くないのでしょう。しかし、喫茶店位は喫煙席をつくってほしいと思います。そうでないと意地でも吸えるところを見つけて吸ってしまうということになります。しかし喫煙場所で立ちながら煙草を吸うというのは何ともわびしいものです。やはりコーヒーを飲み、本や雑誌新聞を読みながら一服というのがストレス解消になりますし安らぎになります。

どうも日本人は一つの方向に一斉に流れだすという悪い癖があります。これは危険です。また、七月から自動販売機で自由に煙草が買えなくなるそうです。そうなると、タバコ屋でまとめ買いをするということになり、実質的に喫煙が増えてしまうでしょう。

名越二荒之助先生が、「煙草は健康に良いんです」と言われながら両切りのピースを吸っておられたのを思い出します。缶に入ったピースを持ち歩いておられました。やはり信念の人でした。

話は変わりますが、選挙公報などでの学歴詐称が問題になりますが、アデランスや毛染めや厚化粧は問題にならないのでしょうか。本来の姿・真実を隠しているという意味では学歴詐称とあまり差はないと思うのですが…。

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2008年4月23日 (水)

千駄木庵日乗四月二十二日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は明日の萬葉集講義の準備など。

午後六時半より、春日の文京区民センターにて、「反創価学会シンポジウム」開催。西村修平氏が司会。

開会前に、区民センターの管理者が、「特定の団体を批判する集会は開かないでもらいたい。中止せよ」と言って来た。主催者側が猛然と反発し、これを拒否した。私はこの会場で開かれた会合にこれまで何回も参加している。主催者側だったこともある。この会場ではいろいろな団体や政党を批判する内容の集会も数多く行われてきた。しかし、こんなことは初めてであった。この会場は文京区役所が運営している。創価学会・公明党から何らかの圧力があったとしか考えられない。

登壇者の発言は次の通り。

瀬戸弘幸氏(維新政党新風副代表)「参院選挙で信濃町の学会本部前で公明党創価学会批判をした。女性が街宣車の前でギャアギヤアわめいて『やめろ』と言った。常識では考えられない行為をする。危険。政教分離とは、国家権力が特定の宗教団体に便宜を図ったり圧力を加えてはならないということ。公明党は与党であるから国家権力の一部になっている。昨年の参院選で公明党は七〇万票減らした。私は政見放送で学会を徹底的に攻撃した。」

那田尚史(なだひさし)氏(大学講師)「私は創価学園の一期生。中学三年生の二学期、当時の小山内学園長に学会批判をしてやめた。戸田時代は会長崇拝無し。池田時代になって會長本佛論になった。池田を永遠の指導者としている。宗門から破門されて本尊が拝めなくなり、日寛上人が書写した曼荼羅をスキャナーで取り込んでビニールに印刷したのを会員配っている。知恵のある人は学会をやめている。残っているのは知恵の無い人。知恵の無い人は池田のためなら何をするか分からない。法曹界の学会員組織がある。検事に学会の毒がまわっている。官僚のグループの霞が関支部がある。地方自治体にもある。」

大木道恵氏(ジャーナリスト)「私は、昭和四九年創価青年会館で査問を受け除名された。宗教法人の政治活動はどうなっているかを問いただしていくべし。これまで約千冊の学会批判本が出たが学会はつぶれていない。やり方が間違っていた。

公明党は創価学会政治部。そういう政党に政党助成金が出ている。池田が亡くなると公明党は証人喚問から池田を守る必要がなくなる。路線転換が起こる。」

酒井信彦前東京大学教授「仏教団体である学会がチベット仏教を弾圧している中国と密接な関係にあるのは異常。池田は空疎な平和主義。」

桜井誠氏(在日特権を許さない市民の会会長)「この施設を管理している宮下理事長が特定宗教を批判する会合には貸せないと言って来た。昨日学会本部周辺で広報活動を行った。異様な雰囲気で、牙城会という人たちが我々の写真を撮ったので抗議した。バイクが後をつけて来た。これにもマイクで抗議したら逃げ去った。こちらが毅然とした姿勢を示すことが大事。」

小生にも発言の機会が与えられたので、「戸田城聖氏は『広宣流布の暁に勅使が大石寺に来て紫宸殿御本尊を受け取りに來る。勅使門があり紫宸殿御本尊があるのは日蓮正宗だけだ。だから日蓮正宗だけが正しい宗教だ』と言っていた。ところが池田大作は自分が日本の国主であると考えるようになり、何と勅使門をくぐるのは自分だと言いだした。また神社には悪鬼邪神がすみついているからお参りすると罰が当たると言っているが、日蓮自身鎌倉の八幡宮の前で八幡神に自己の主張を呼び掛けている。悪鬼邪神がすみついていると思っていたのならそんなことをするはずがない。創価学会が自分たちに反対する勢力の活動に対していかなる手段を用いてもこれを許さない全体主義集団であることは、今日会場側が開会を中止させようとした動きを見ても明らかである。そのことが明らかになっただけでも本日の会合は意義があった。」と述べた。

帰途、知人と懇談。

帰宅後は、諸雑務。

         ○

真正保守・民族運動家による創価学会批判の会合が開かれたのは実に画期的なことである。今後こうした動きは活発化することであろう。瀬戸・西村両氏に敬意を表する。

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2008年4月22日 (火)

千駄木庵日乗一月二十一日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、母の介護度の再認定のために区役所の係りの人が来宅。母と共にいろいろ質問を受ける。身分証明書は見せてもらったが、名刺は出さなかった。貰っておけば良かった。態度もあまり良くない。父母の世話で少々つらい思いをしていると、ついつい疑心暗鬼になってしまう。困ったことである。

その後は、在宅して、諸雑務、明後日の萬葉集講義の準備。

        ○

「朝日新聞」本日号の社説で、「映画・ヤスクニ」の問題について、「政治家のご機嫌を損ねるような作品に取り組むと、公的な援助を受けにくくなりはしないか。そんな不安が芸術家の間に広がっている。」と書いている。

今回の問題は「政治家のご機嫌を損なう」などというようなことではない。何んとも嫌らしい書き方である。公的資金の援助を受けた映画が、政治的偏向と意図的な政治宣伝になっているかどうかを確認する作業を政治家か行っただけのことである。

この社説の見出しは「社会に懐の深さを」となっていて、本文では「内容の豊かさを数値で測れない芸術・文化であるからこそ、助成に当たっても懐の深い目配りが必要なのである」と書いている。

靖国神社・護国神社などの各地の神社への総理・国務大臣・知事・市長の参拝、玉串料の支出に対して「政教分離に違反する」などと騒ぎ立てるのが、朝日新聞などである。こうしたことこそ、日本というお祭りを大切にしている社会への「懐の深さ」を否定し破壊する行為である。この社説の筆致を借りて言えば、「内容の豊かさを数値で測れない日本傳統信仰であるから、そのみやしろに総理大臣や自治体の長が公式参拝するに当たっても、懐の深い目配りが必要なのである」。

ともかく朝日新聞などの反日勢力は、自分たちの「御機嫌を損ねる」事象に対しては、極めて狭量にして独善的な非難攻撃を加える。「懐が狭く、日本国の正しい歩みに不安を与える」存在が朝日新聞などの「反靖国・反日・媚中勢力」である。断じて許してはならない。

映画「ヤスクニ」のDVDは、入手しているのですが、多忙のためまだ見ていません。畏友・村田春樹氏がメールで「感想文」を贈って来られましたので、掲載させていただきます。

             ○

映画「靖国」を見て感想文            

       村田春樹

1・2年前「パッチギ」という在日朝鮮人を描いた映画をチャンネル桜の水島監督(社長)が「薄汚い映画」と評した。まさに言い得て妙であったが、私はこの「靖国」にも同じ評価を与えたい。まず駄作である。私は歌舞伎町のロフトと言う所で右翼民族派といわれる人たちと一緒に見たが見終わって民族派の中に『この駄作にスポットを当ててしまったことが悔やまれる』と言った人がいたが安心していただきたい。映画は口コミでヒットするものでありこの作品を見て「面白いから見に行けば。」と知人に言う人はまずいないであろう。見終わってエンドクレジットに「金と時間を返せ!」と叫びたくなる映画が多いがこれもその一つである。

私は見ながら「シナ人だったらどう感じるだろうか。」「これは日本語バージョンだがシナ語バージョンまたはシナ語字幕だったらどういう作品になるだろうか。」と考えながら見ていた。見終わったシナ人は間違いなく「日本人は反省していない!」「どうしようもない残虐民族」「天皇と靖国は滅ぼさねばならない」と思い日本に対し復讐心を燃え立たせるであろう。

ご承知のように主役は靖国刀の老刀匠である。刀を作るシーンから始まるが本来刀作りは大事な工程では神事のように神主のいでたちで神聖な雰囲気で拵えられる。ところがこの映画ではわざと裏方と言うか裏台所的な汚い町工場風のところばかりが登場しあたかも刀がなべ釜のような感じで捉えられている。刀匠もあくまでその辺の老人のように描かれていて神刀の価値を貶めている。

刀匠の次に重要な登場人物は大陸系台湾人女性国会議員高金素梅である。靖国の社務所に抗議に現れた彼女は「神道は糞(クソ)だ!糞以下だ!」と何度も絶叫するが社務所側の対応はカットされている。あたかも彼女が議論に勝ったかのようである。

靖国神社の参拝する人たちも軍装の老人やいかにも右翼のひげの老人とか特殊(?)な人ばかりが登場し極普通の日本人や若い人が参拝しているシーンは無い。国歌斉唱を妨害した若いやさ男が「中国人は出て行け!」と追い出され口から血を流してパトカーに乗せられる。実に巧妙にかわいそうな中国人を印象つけている。この青年は日本人だと思われるが追い出す人が「中国人」と連呼しているので映画を見ている人は中国人だと思い込む。しかしこの「中国人」発言はアテレコというのか後から吹き込まれたものであると思われる。

星条旗を持って小泉首相を支持する演説をするアメリカ人を追い出す日本人右翼という構図を見せて日米離間を画策するとう高等技術も披露している。

後半シナ大陸で戦争中に斬首されるシナ人の写真と昭和天皇のお写真を交代交代に写しだしその間に日本列島の地図が龍に変身するアニメも入れてこれでもかこれでもかとシナ人の復讐心を煽っている。

見終わって観客から色々な意見が出てきたが中には自分や自分の知人が登場したので喜んでいるのか「そんなにひどくない」とう人もいた。それはこれが日本人向けバージョンであることを意識していないこと、自衛官が小隊組んで参拝したりと好ましい場面がいくつかあるから騙されてしまったのである。全体の流れ印象をそしてシナ人がどう見るかという視点が全くないのである。

犬塚哲爾氏が「この映画は反日反靖国反神道の中国共産党史観に沿って造られたもの以外のなにものでもない」と斬って捨てたが私も全く同感である。

日本には言論の自由がある。邦画は反日映画だらけである。しかしこの映画には映った人に了解を得た形跡がない。つまり盗撮が多用されていると言って差支えが無い。肖像権もなにもない。いかにもシナ人らしい映画である。アメリカだったら訴訟の嵐にさらされるだろう。

いくらなんでもこの映画に750万円も税金で助成するなんて呆れてものも言えぬ。稲田朋美議員が声を上げてくれなかったら誰も知らなかったわけである。観客の中には「こんな映画300万でできる。」という人もいた。こんな映画に750万助成するなら「南京の真実」にその10100倍助成してもらいたいものである。

一水会顧問の鈴木邦男氏はこの映画を評して「靖国神社を通し、日本を考える。『戦争と平和』を考える。何も知らなかった自分が恥ずかしい。厳しいが、愛がある。これは『愛日映画』だ!」と語っている。氏は靖国神社に一度も参拝したことがなく映画というものも生まれて初めて見たのであろう。                      以上

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2008年4月21日 (月)

千駄木庵日乗四月二十日

早朝、少し異常を訴えた父のお世話。

午前十一時より、上野公園西郷南洲翁像前にて「西郷南州會清洗式」執行。五條天神社の神職が祭となり、祝詞奏上・玉串奉奠などが行われた。早瀬内海西郷南洲會會長が挨拶。小生及び田中健之氏が祝辞を述べた。そして、和太鼓の演奏及び居合が奉納された。

この催しは、「銅像清洗式を通して西郷先生の高邁な精神に触れ、御遺訓に学び、日本再生へ一層の努力を致したい」との趣旨で毎年行われている。本年は南洲像が建立されてより百十年になる。

小生は、「我國の歴史上の人物の中で、最も敬愛されている人物の一人が西郷隆盛である。大西郷は明治維新の大功労者であり、且つ、維新後も権力に恋々とせず、第二維新運動の指導者として奮闘した。『大西郷の精神』とは、国家の自主独立の精神であり、皇室を敬い国民に真の平安をもたらす政治の実現である。

西洋列強の侵略から祖国を守り四民平等の国を建設するための大変革であった明治維新を戦い、さらに維新後にあってもなお、東洋の平和と理想の道義国家建設のために戦った大西郷の精神こそ、今の日本にもっとも必要なものである。何故なら今の日本は、幕末及び明治初期の我國以上に、外国から侮りを受け、政治は乱れに乱れているからである。

わが国は外圧がきっかけとなって変革を成し遂げてきた。大化改新は唐新羅連合軍侵攻の危機があった時に断行された。蒙古襲来は建武の中興へとつながった。明治維新は欧米列強の侵略の危機があった時に行われた。今日の日本もまさにそういう時である。

西郷先生は沖永良部島に配流中に作った詩において『生死何ぞ疑はん天の附與なるを 願はくは魂魄を留めて皇城を護らん』と詠まれた。いかなる逆境にあろうとも、天皇中心の國體をお護りするという祈りが西郷南洲の根本精神であった。

また、西郷先生は単なる武断派ではない。西郷先生晩年の詩に『数千里外已に隣の如し 四海同胞の意を知らんと願はば 皇道頻りに敷く万国の民』と詠まれた。皇道を基本とした世界の真の平和実現を願われたのである」ということを訴えた。

終了後、西郷像のすぐ裏に建立されてゐる「戦奎死之墓」(彰義隊慰霊碑)に参拝。賊軍とされたため、彰義隊の文字はない。山岡鉄舟揮毫。そして、「博士王仁碑」(清浦圭吾篆額・趙洛奎撰)「博士王仁副碑」(林銑十郎篆額・四宮憲章誌)を仰ぐ。王仁(わに、生没年不詳)博士は百済から渡来し、漢字(千字文)と儒教(論語)を伝えたとされる伝説的な人物。

帰宅後は、「政界往来」の連載原稿執筆・完成・送付。

       ○

内憂外患交々来たると言った状況の今日、西郷南洲先生のような人物の出現が切に望まれる。

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2008年4月20日 (日)

千駄木庵日乗四月十九日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後、「政治文化情報」の発送。完了。購読者の皆様には月曜日にお届けできると思います。

その後は、明日の会合でのスピーチの準備など。

           ○

田原総一朗氏は、「稲田朋美氏による文化庁への映画『ヤスクニ』の試写要求は事前検閲であり、表現の自由の侵害である。そして右翼の街宣を誘発した」と主張している。しかし、彼は、本当に「言論の自由」「政治活動の自由」を尊重しているのだろうか。

国会議員が国家予算の使われ方を確かめるため、国家予算からの補助を受けた映画の内容を確かめるのは当然である。稲田朋美氏は、『助成金を問題にする前提として対象となる映画を見たいと思うのは当然であり、映画の「公開」について問題にする意思は全くなかったし、今もない。』『私は弁護士出身の政治家として、民主政治の根幹である表現の自由を誰よりも大切に考えている。だからこそ人権擁護法案にも反対の論陣を張っている。表現や言論の自由が最大限尊重されなければならないのは民主政治の過程に奉仕するからであり、表現の自由の名のもとに政治家の言論を封殺しようとすることは背理である。』と述べてゐる。(サンケイ新聞・四月十日号)

田原氏などは、稲田氏の政治家としての当然の行為を非難攻撃し、これを封殺しようとしているのである。田原氏はまた『右翼の街宣活動を、警察が事前に取り締まれ』と言った。これも明らかに政治活動を国家権力が封殺せよと主張しているのだ。テレビなどのメディアは第四権力と言われている。田原氏こそ、自分の気に入らない言動を権力を用いて弾圧せんとしているのだ。

さらに言えば、稲田氏などの正当なる行為を「言論弾圧だ」とか「表現の自由の圧殺だ」とか言う前に、チベット人弾圧などの共産支那の暴虐、「言論の自由」「政治活動の自由」を侵害する行為を批判すべきである。

「人権擁護」を叫び、「日本は中国を侵略した」と言っている連中ほど、共産支那の暴虐には口をつぐんでいる事実を決して見過ごすことはできない。

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2008年4月19日 (土)

千駄木庵日乗四月十八日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。そして父の容態に変化があり、急遽病院に付き添って行く。時々こういう事態になります。父の苦しみが出来るだけ軽くて済むことを切に祈りつつ、介護をしています。

午後三時より、衆議院第二議員会館にて、「日本再生同志の会役員会」開催。中村信一郎氏が司会。西村眞悟衆院議員、小田村四郎氏を中心に当面する諸課題について討議。

終了後、同志と懇談。

帰宅後は、「政治文化情報」発送準備。

今日はもう一カ所映画「ヤスクニ」の試写会という大事な催しがあったのですが、残念ながら参加できませんでした。言論の自由・政治活動の自由を侵害しているのは偏向メディアであり、媚中勢力であることを正しく訴えねばなりません。独裁国家支那の手先が「言論の自由」を云々すること自体許し難いことです。徹底的に糾弾しなければなりません。    

           ○

西村眞悟氏は大変苦境に立たされていますが、何としても議席を維持してもらわねばなりません。それは国のためです。彼が議席を失うことは文字通り国家的損失です。

平沼赳夫・安倍晋太郎氏が一時病に倒れました。そして村上正邦氏が囹圄の身となります。真正保守・伝統護持の立場に立つ政治家が苦境に立たされています。

これらの方々が苦境に立たされていなければ、今頃日本はもっともっとまともな国になっていたのではないでしょうか。安倍内閣が長続きし、平沼氏が憲法担当大臣となっていたら、憲法問題の解決は早まったでしょう。残念です。

しかし、陰極は必ず陽転します。朝の来ない夜はありません。日本の傳統たる「見直し・聞き直し・告(の)り直し」を行い、国家再生のために一切の障碍を乗り越えて行かねばなりません。

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2008年4月18日 (金)

千駄木庵日乗四月十七日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後一時半より、豊島区立地域文化創造館にて、「萬葉會」開催。小生が萬葉集作者未詳歌などを講義。

夕刻は、知人と懇談。

帰宅後は、「政治文化情報」発送準備など。

         ○

毎日忙しく過ごしております。暇になることはありません。元気なうちは働けるだけ働かなくてはいけないと思っています。ただし、健康には注意しなければなりません。お陰様で今のところ医者通いはせずに済んでおります。薬も、食べ過ぎの時の胃薬、腹をこわした時の「正露丸」(昔は征露丸と言ったそうです)以外はのんだことがありません。ありがたいことだと思っております。

しかし、申すまでもありませんが、油断大敵です。何しろ太り過ぎです。食欲があり、安くてうまいものを食するのが何よりの楽しみであります。血圧は正常ですが、心臓はどうなのか、医者の見てもらったことはありません。医者に行く暇がないというよりも、怖いのかもしれません。

酒は百薬の長という程度にとどめております。煙草は一日十本以下。それ以上はまずくなり吸えません。酒を呑んだ時以外、動悸がするということはないのですが、果たして大丈夫か。神に祈るのみであります。

最近、親しい友人・同志・知人しかも同年輩か私より少し年下の人に入院する人が多いのです。それぞれ重要な立場で活躍している人なので心配です。何とか無事に退院してほしいと願うばかりです。

        ○

言論の自由・表現の自由は守られねばなりません。最も言論の自由・表現の自由を侵害している国は支那であり北朝鮮です。そしてその手先のような連中が靖国神社に対して不当なる中傷圧迫を加えているのです。こうした勢力に対する批判活動は断じてやめるわけにはいきません。まして国会議員の正統なる行為を「言論の自由の圧迫だ」などと騒ぐことは絶対に許せません。

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2008年4月17日 (木)

千駄木庵日乗四月十六日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後一時半より、ある会合に出席してスピーチ。支那政府の暴虐そして映画「ヤスクニ」の上映問題について話しました。

その後、村上正邦氏事務所で開かれた「日本の司法を考える会」に出席。鈴木宗男衆院議員の講演が行われたのですが、残念ながら大幅に遅刻し聞くことができませんでした。

村上正邦氏が結語を述べ「私の事件を風化させたくない。咎が無いのに罪を着せられようとしている。日本は正義のある国であるということを世界に言い得る国を皆さんと一緒につくっていきたい。また二年後の春に逢いましょう」と述べた。

そして「花吹雪 我が一生の 試練なほ」「咎のなき 我が背なを押し 花吹雪」「またまみゆる 時を冀ひて さくらかな」という句を披露されました。

この後、宮崎学・阿形充規両氏と映画「ヤスクニ」ついて暫し懇談。

七十歳半ばを過ぎた村上正邦氏が近く収監され、約二年間も囹圄の身になられることは本当にお気の毒です。私は裁判のことは詳しく分りませんが、村上氏はもう十分にいわゆる「社会的制裁」を受けられたと思います。村上氏とは小生の高校時代からの知り合いです。生長の家の同志です。今日お顔を拝見すると、実にお元気そうでした。酒もたばこもやらないとのことですが、どうか、二年間お元気でお過ごしになり、無事社会復帰されることを切に祈ります。そしてまた祖国日本の再生のために頑張ってもらいたいと思います。

午後六時半より、日本橋にて、「水曜会卯月の集い」開催。古賀俊昭都議会議員が講演し、「日本の男性は情けない。反日映画『ヤスクニ』の問題を指摘した二人の国会議員は女性。製作会社・監督・プロデューサーがすべて支那人の映画に政府が金を出すことが問題。樺太における旧ソ連軍の暴虐をテーマにした『氷雪の門』がソ連の抗議によって一般公開が出来なくなった。新銀行東京の問題をマスコミは責め立ててゐるが、朝銀の破綻処理に一兆四千億を投入されたこと、そして朝銀から北に送られた金で核開発が行われ、その核で日本が脅かされてゐることには何も言わない。日本は国力が衰退してゐる。武士道が影をひそめた。子供を大切に育てなくなった。児童虐待の三分の二は実父・実母によるもの。国語を大事にすることが日本再建につながる。」と語った。

この後、懇親会。小生などがスピーチを行った。

           ○

古賀俊昭氏とは、学生時代からの知り合いです。民族は学生運動の同志でした。卒業以来しばらくお会いしませんでしたが、十年くらい前に再会した時は都議会議員になっておられたのでびっくりしました。愛国者であり、情熱家であり、行動派の人です。何よりも日本の傳統を護持する姿勢は立派です。こういう人に国政に進んでもらいたいと思っています。

帰宅後は明日の萬葉集講義の準備など。

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2008年4月16日 (水)

千駄木庵日乗四月十五日

朝より、父母のお世話。その後、父の付き添いで病院へ。今日は定期的な診察と治療です。医師の方が適切な診察と処置をしてくれるので助かります。

午後は、父母の介護の相談で、区役所に赴く。介護についてもいろいろ体験しています。色々改善すべき点が多くあるように思えます。ともかく、患者特に老人は「弱者」であるというのは本当です。余程家族がしっかりしていないといけません。一人暮らしの老人はそういう意味で本当に気の毒です。

この後、区役所のそばの小石川後楽園に赴く。後楽園は寛永六年(1629年)に水戸徳川家の祖である頼房が、江戸の中屋敷(後に上屋敷となる)の庭として造ったもので、二代藩主の光圀の代に完成した。光圀は作庭に際し、明の儒学者である朱舜水の意見をとり入れ「(士はまさに)天下の憂いに先だって憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」(北宋の政治家笵仲淹『岳陽楼記』の一節・優れた為政者は心配事については世の人がまだ気付かないうちからそれを心にとめていろいろ処置をし、楽しみは世の人の楽しむのを見届けたあとに楽しむ、という意)から「後楽園」と名づけられた。 

庭園は池を中心にした「回遊式泉水庭園」。庭園の随所に支那の名所の名前をつけた景観を配している。光圀の儒学思想の下に築園されているという。しかし、庭園の風景は、支那式の庭園とは全く異なり、けばけばしさは全くない。自然の美しさをそのまま庭園に生かしたものとなっている。純日本の景色である。

この地は小石川台地の先端にあり、神田上水の分流を引入れ築庭されました。琵琶湖を模したという大泉水という大きな池と小さな池があり、水を生かした清々しい庭園である。お天気が良かったせいか明るく開放的な感じがした。

園の北側は、梅林、稲田、花菖蒲、藤棚の田園風景。庭園の中に稲田があるのは、後楽園だけという。これは農民の苦労を、水戸光圀が彼の嗣子・綱条の夫人に教えようと作った田圃であるという。こうしたところから水戸黄門の伝説が生まれたのであろう。

奥まった所に「藤田東湖先生護母致命之處」と刻まれた石碑がある。安政二年(1855)の大地震がおこり、水戸藩邸が倒壊した。藤田東湖は母を助けて外に出たが、母がその時、火鉢の火が危ないと、再び屋内に引きかえした。東湖は母を救い出そうと家にもどった時、鴨居が落ちてきた。東湖は老母を下に囲い、肩で鴨居を支え、かろうじて母を庭に出した。しかし、東湖は力つき、その下敷きとなって圧死した。


その場所は白山通りで、そこに記念碑があったが、拡幅かくふく工事のため道の中になってしまった。そこでその碑は、後楽園庭園内のこの地に移されたという。

勤皇家であった藤田東湖は「孝」の実践者でもあった。と思う。まさに忠孝精神の体現者であったのである。

また「陸軍造兵廠 東京工廠跡記念碑」もあった。陸軍造兵廠東京工廠は、明治時代に旧水戸藩邸跡地に設立され、各種兵器や・弾薬の製造を行っていた。しかし、関東大震災によりその工場等施設は打撃を受け、昭和八(1933)年に九州小倉に移転した。移転後、跡地は後楽園球場等の施設が建設されたという。

後楽園は、本当に美しい景色を見せていました。新緑が日に照らされて清らかでした。さわやかな風が吹き、鳥のさえずり、羽ばたきの音も聞こえました。森の中に入りますと、山中を歩く思いがしました。光圀・斉昭の尊皇精神そして幕末安政時代の動乱の歴史を偲びつつ、散策しました。

帰宅後は、明日のスピーチおよび明後日の萬葉集講義の準備。

有村・稲田両議員に対して、以前、西村眞悟議員に対して行われたと同じような朝日新聞・テレビ朝日による理不尽な非難攻撃(英語ではバッシングと言うようです)が始まった。特に週刊朝日は右翼民族派との離間を策す記事になっています。「アカイアカイアサヒアサヒ」という言葉を想起します。

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2008年4月15日 (火)

千駄木庵日乗四月十四日

午前は父母のお世話。

午後は諸雑務、資料の整理。

夕刻、知人と懇談。

夜も資料整理。

           ○

最近、西川泰彦氏著「貞明皇后 その御歌と御詩の世界」という本を購入した。貞明皇后様の詠まれた「和歌」と「漢詩」が収録されているまことに貴重に書物である。また、極めて時宜を得た出版である。

というのは、月刊『現代』五月号に、原武史氏(明治学院大学教授)の「皇太子一家『新しい神話づくり』の始まり」と題する論文が掲載されている。原武史氏はこの論文で、昭和天皇さまと貞明皇后様のご関係について不穏当な推測というよりも邪推に基づく論議を行っているからである。この西川氏の著書によって、貞明皇后様の御心を正しく感得させていただくことができる。

貞明皇后様は、漢詩を東宮侍講(大正天皇さまのご教育係)であった三島中洲先生に学ばれた。また神道學を筧克彦先生に学ばれた。

三島先生は、小生の出身校の二松學舎の創立者であり、筧先生は、小生が参加して勉強させていただいている「憲法懇話会」の創設者である三潴信吾先生の岳父であられる。

最近、皇室批判は極めて巧妙になってきている。そして皇位継承・皇室祭祀など國體の根幹にかかわる事柄で、國體破壊を目指した様々な論議が行われるようになっている。これを徹底的に破砕しなければならない。

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2008年4月14日 (月)

千駄木庵日乗四月十三日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅して資料の整理など。

         ○

国家の根幹にかかわる問題の根底にあるのはやはり憲法である。現行占領憲法の基本精神と条文全てが、この国をおかしくする原因となっている。この憲法がある限り、わが国の混迷と亡国的状況はますますひどくなる。そんなことは前から分かっていると考える人も多いと思う。私もその一人である。しかし、最近活発になっている皇室・皇族へ誹謗中傷・罵詈讒謗を読むと、現行憲法の「天皇条項」が國體を正しく表現していない所にその原因があることを改めて認識する。また、最近の共産支那・北朝鮮の暴虐に対するわが国の対応のふがいなさも、現行憲法の「似非平和主義」に起因していると痛感する。

「天皇は主権の存する日本国民の総意に基づく」という条文は、天皇を君主と仰ぐ日本國體と根本的に合致しない。『現行占領憲法』の三原理の一つとされる「國民主権・主権在民」という思想は、君主と國民が絶対的に対立し、権力を奪い合った歴史を持つ欧米で生まれた思想である。祭祀國家であり君民一體の國柄であるわが日本にはまったく適合しない思想であり、革命=國體破壊につながる思想である。「國民主権論」「主権在民論」は「人類普遍の原理」を詐称しているがそうではない。欧米における革命・政治変革から生まれてきた思想であり、日本國體とは相容れない思想である。「國民主権」といふ原理は全面的に否定されるべきである。

「諸国民の公正と信義に信頼して自国の生存と安全を保持する」という前文は全く虚構であり、わが国の生存と安全を根底から揺るがす思想である。わが国を取り巻く国々の中に、わが国の生存と安全の保持のために全面的に信頼できる「公正と信義」なるものを持っている国があるだろうか。無い。それどころか、共産支那と北朝鮮は確実にわが国の「生存と安全」を脅かしている国である。

現行憲法の全面的否定こそ国家緊急の課題である。

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2008年4月13日 (日)

千駄木庵日乗四月十二日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後二時より、日台関係研究會開催。許世楷台湾駐日代表が、「台日関係近況と展望」と題して講演、「台日関係は国交断絶以来今が最も良好。二〇〇五年の日米安保定期協議で、日米両国が『台湾海峡の平和に関心を持つ。武力併合に反対』との共通認識を発表し日米同盟の防衛の範囲に台湾を含めると言ったことが、台湾社会に大きな安定を与えた。

日本はこの年の八月に台湾観光客のノービザ入国の措置をとった。二〇〇年に相互訪問者の数が一〇〇万を超えた。その後常に二五〇万の相互往来が続いている。

第二次大戦以前の五〇年間日本の植民地だった。日本文化を理解するのに良い時間だった。その典型が李登輝先生。『奥の細道』を訪ね、歌を詠んだ。それほど李登輝先生は日本への理解が深い。戦後は『反共』という価値観で台日は結び付いたが、台湾自体が独裁政治だった。今日、台湾の民主政治は成熟している。

今後は、日本が『日米同盟の防衛の範囲に台湾を含める』という台湾への姿勢を改めないことが大事。台湾企業の海外進出を中国以外に分散させるという知恵が必要。台湾企業の中国進出によって台湾が縛られているだけでなく、中国も縛られているという面もある。台湾が戦略的にどう処理するかにかかっている。

今回の総統選では、民進党を強く支持していた人々が選挙に行かなかった。」と語った。

この後、知人と懇談。

午後六時より、本駒込の勤労福祉会館にて、「文の京(ふみのみやこ)土曜フォーラム」開催。登壇者の印象に残った発言は次の通り。

増子博樹東京都議「都は、新銀行東京の中身をきちんと示すことができない。きちんとした資料も出さない。参考人として呼びたいと言っても出さない。中央卸売市場の豊洲の移転予定地のチアンなどの毒物調査を詳細な調査が必要。」

中山義活前衆院議員「日本の文化を忘れて国家を語ることはできない。チベットの伝統・文化・言語・習慣を変えてしまおうというのが、中国のやったこと。アメリカは中国と経済的に相互依存の関係にあるので、中国にものが言えない。今の世界は経済で動いている。日本の食糧自給率は三九%。六〇%の野菜が輸入されている。自給率を上げることが大切。経済関係が深まっているから台湾と中国が戦争を起こすわけがない。愛国心を育てるには夫婦愛・家族愛・地域愛を養うことが大切。」

岩国哲人衆院議員「金利ゼロ政策によって、日本のお金はタンスの中にしまいこまれているか、アメリカに行って帰ってこない。これが不景気の原因。

一票の格差は人権差別。二世議員の増えるのは不可。それが小選挙区制の悪いところ。主権の無かった国民が憲法を持ったというのはおかしい。何時までも他人の作った憲法を大事にしていては国は美しくならない。

後期高齢者の以上の年齢の人は末期高齢者というのか。七五歳以上の人は日本をしっかり残してきた人。老人会に六〇歳から七〇歳までの青年部が作られ活躍している。人脈・ゆとり・人格・知識・経験を備えている人が街づくりの中心となる。

日本は地球のお医者さんになる。日本ほど自然や動物を大切にしている国はない。高速道路は無料化すべし。無料にすることによってそれを上回る経済効果がある。お金を預けても利子が貰えない国は日本のみ。払った消費税が年金という形で戻って来るのが良い。」

            

帰宅後は、資料整理。

            ○

反日勢力や媚中派だけでなく、ほとんどの政治家、メディアが共産支那の暴虐に抗議の声をあげない。まことにおかしなことである。共産支那がよほど怖いのか、よほど利権関係があるのか、とぢらかであろう。メディアも支那での取材制限が怖いのだろう。

一昨日の「『中国』の実態を告発する国民集会 北京五輪にNO!」という集会に一千人近くの人が集まり、内容も充実したものだったのに、メディアは取り上げなかった。また政治家の出席者は西村眞悟衆院議員と、吉田康一郎都議会議員の二人だけだった。

国内問題では、瑣末なことでも「人権蹂躙だ」「言論の自由の侵害だ」と騒ぐのに、支那においてあれほどの人権蹂躙、言論弾圧がおこなわれていても、抗議も非難もしない日本の政治家・メディアは全くおかしい。

池田大作・加藤紘一・田原総一朗氏は、「親中派」であるが、日ごろ言論の自由だの人権だのと言っているに、故支那に行って抗議をしないのか。

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2008年4月12日 (土)

千駄木庵日乗四月十一日

午前は父母のお世話。

訪問看護師の方と共なり。

午後は諸雑務。原稿執筆。

午後六時より、「九段下沙龍」開催。同志諸氏と当面する課題について討論。小生が「伊勢皇大神宮式年御遷宮」について少し話させていただきました。

帰宅後は原稿執筆。完成。

             ○

共産支那の暴虐について怒りの声が国際的に高まってきています。今日の会合でも話題になったのですが、わが國内で人権擁護を叫び、人権擁護法案を推進している連中は寂としして声なしといった状況です。

人権権擁護法を推進している連中は「媚中派」「親中派」です。また「反日勢力」です。国内の人権問題には正義の味方面してがなり立てるくせに、共産支那の人権抑圧・民族自決抑圧に対しては何も言わないのです。

わが国の歴史問題については、やれ侵略したの、大虐殺をしたのとがなり立てるのに、共産支那のチベット侵略・虐殺には何も言わないのです。こういう連中こそ、最も許すべからざる存在であります。媚中派を弾劾する運動を起こす必要があります。

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2008年4月11日 (金)

千駄木庵日乗四月十日

午前は父母のお世話。

午後は原稿執筆。

午後六時より、池袋の豊島公会堂にて、「『中国』の実態を告発する国民集会 北京五輪にNO!」開催。登壇者の印象に残った発言は次の通り。

加瀬英明氏「満州・内モンゴル・チベット・ウイグルは中国固有の領土ではない。日本が胡錦濤を歓迎したら、世界から軽蔑の眼を向けられる。」

陳惠運氏「有害物質が含まれる中国製品は、食品のみならず衣服・寝具・玩具・歯磨き・漢方薬に広がる。中国から飛んでくる砂嵐にも発癌物質がある。」

西村眞悟衆院議員「中国共産党と中国国民党が織り成す中で二十世紀の中国の悲劇はあった。台湾を国民党が支配しその強力な武力を日本に向けて来る。日本は誇りを取り戻し、実力を養わねばならない。」

ペマ・ギャルポ氏「中国はチベットの空洞化を図っている。中国語で教育し、チベット語を外国語扱いにしている。ダライラマ法王はこれを『文化的虐殺』と言った。中華人民共和国の領土の七十三%は中国人以外の人々の領土。チベット民族は六百万人おり、少数民族ではない。チベット問題は人権問題ではなく民族自決権の問題。」

西村幸祐氏「ダライラマ法王は今日の記者会見で『中国は五輪大会を開くにふさわしい国になってほしい。ラサで起きたことはアジア全体に広がる問題だ』と言った。」

相林氏「中国民主派を代表してペマさんなどチベット人に謝罪したい。私たちがペマさんと手をつないで故郷に帰る日が早く来るように力を貸してください。」

殿岡昭郎氏「モンゴル・チベットなど栄光の歴史を持った民族が今虐げられている。わが国はウイグル・チベット・モンゴルと連帯することが中国の侵略に打ち勝つ唯一の道。中国を背後から攻撃できる。」

オルホノド・ダイチン氏(モンゴル自由連盟幹事長)「万里の長城から北はモンゴルの領土。それを中国が侵略した。」

イリハム・マハムティ氏(世界ウイグル会議日本代表)「中国共産党こそ世界最大のテロ組織。」

吉田康一郎都議会議員「今の政治は人権問題・民族問題に思考停止になっている。冷静にきちんと抗議し説得し行動すべし」

宮崎正弘氏「中国の繁栄はニセモノ。北京五輪から経済崩壊が始まる。」

大原康男氏「北京五輪に、皇太子殿下御出席されるかどうかに危機感を持つ。楽観はできない。十六年前の天皇皇后両陛下ご訪中の過ちを繰り返してはならない。」

詳しくは「政治文情報」で報告します。雨の中、そして鉄道の混乱の中、八百人以上の人々が参集した。共産支那に対する反感がいかに高まっているかを実感した。

豊島公会堂は、昭和四十五年の「楯の会事件」の後、「三島由紀夫追悼の夕べ」が開かれたところである。あの当時と全く変わっていなかったのでとても懐かしい思いがした。

帰宅後は、原稿執筆。

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2008年4月10日 (木)

千駄木庵日乗四月九日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅して原稿執筆。

         ○

皇室に関わる論議で、女性天皇は祭祀を行い得ないし行ってはならないという説を唱える人がいる。これは根本的に間違っている。皇祖・天照大御神は、女性神であり、神として祭られると共に神を祭られる神である。その意味で天照大御神は女性祭祀主であらせられる。

天照大御神の生みの御子であり地上におけるご代理である現御神日本天皇も神を祭るご存在であると共に、國民から現御神として仰がれるご存在である。持統天皇をはじめご歴代の女性天皇は祭祀を執行されてゐる。祭祀こそが天皇の最大最高のお役目であるからそれは当然である。女性天皇は、祭祀を執行出来ないとか執行してはならないといふ議論は事実に反するし誤りである。

また、皇后陛下に対し奉り、國體否定論者ではなく、國體擁護の立場にある人からも色々な批判を耳にすることがある。中には「正田王朝」などといふ言葉を用いる「學者」もゐる。不届き至極である。

昭和三十四年のご成婚の時、「皇后は民間出身であってはならない」といふ批判が起って以来皇后陛下に対する反感が、、一部の人々に地下のマグマのやうにくすぶり続けて来た。あってはならないことである。

皇后陛下は、皇族・華族の家柄のご出身ではないけれども、宮中祭祀への伺候をはじめ「皇后」としてのご使命を果たされるべくつとめてこられた。

皇后陛下の御歌を拝すれば、皇后陛下が、日本傳統精神そして皇室の傳統を常に重んじられ、回帰されつつ、皇后としての尊き道を歩まれてをられるがか分かる。

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2008年4月 9日 (水)

千駄木庵日乗四月八日

午前は父母のお世話。

午後は原稿執筆など。

午後六時より、新宿の京王プラザホテルにて、「冒険家の集い」開催。

帰宅後も、原稿執筆。

            ○

北京五輪の聖火リレーが共産支那によるチベット人弾圧に抗議する人権団体などから激しい抗議を受けている。当然である。共産支那に対する反発がいかに強いかが明らかになった。共産支那に対して甘いのは日本だけだと言っても良いくらいである。福田康夫も小沢一郎もこのことについて一言も発しない。余程支那が怖いのか、あるいは支那と格別の関係があるのか、情けない話である。

先日の講演会で、行天豊雄国際通貨研究所理事長が「鄧小平の『白い猫も黒い猫も鼠を捕る猫が良い猫だ』という指導が、倫理性を否定してしまった」と言っていたが成程と思った。共産支那の利益になることなら何をしても良いというのが支那政府の基本的考え方なのである。チベットやベトナムなど他民族他国家への迫害・軍事的侵略や恫喝・自国民への弾圧に対して良心の呵責などは一切ないのだ。「愛国的虚偽」を合言葉にして、我が国にたいしていわゆる「歴史問題」で、嘘八百を並べ立てて攻撃してくる。

問題なのはわが国に共産支那に媚を売り、手先となっている輩が多いことである。

そうした中にあって、土屋たかゆき都議会議員は、メールで次のように訴えてゐる。

「今日、テレビ朝日の取材があった。
内容は、長野に来る北京の聖火をどうするかだったが、当然、反対の行動をする。『その中には聖火を消す』ことも入っているかと聞いて来たので『当然だ』と答えた。

国会の劣化について、以前書いたことがあるが、この北京の『現状』に何故抗議をしない!何故、議論をしない!何故、北京大使館に抗議に行かない!それを抗議らしい抗議もしないでこの国を通過させたら、欧州から笑いものになる。」人殺しをし、人権を抑圧し、外国を侵略している国がどうしてオリンピックが開かれるのか。その国の聖火が来るからと言って、拍手で迎えるとは無実の罪で死刑になった年間4000人の人、今も獄中にいる人々、法輪功への弾圧と生きたままの臓器移植問題、こうした重要な問題に目を瞑ることになる。」

まったく正論である。

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2008年4月 8日 (火)

千駄木庵日乗四月七日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

昨日の「サンデープロジェクト」について田原総一朗氏と電話問答。

             ○

「四宮 右翼の街宣と言ってもまだ二、三回しか行われていない。

田原氏 二回やれば十分。

四宮 警察が押さえろというのはおかしい。右翼にも表現の自由・言論の自由はある。

田原氏 右翼の街宣は怖い。僕も二、三回もやられた。十五台くらい来ましたよ。自宅に。だけどその後仲良くなりましたけどね。右翼の人間というのはわりに人が良いから。

四宮 上映運動は田原さんとテレ朝がやればいいのではないですか。

田原氏 まあそのうちあちこちで上映されるでしょう。この映画は右も左も不愉快ですよ。ぼくが一番感心したのは、隠し撮りは一切ない。正面から撮っている。ナレーションによる決め付けもないこと。

四宮 稲田さんは言論抑圧するつもりではなかったのでしょう。

田原氏 昨日はっきりしたのは、彼女が文化庁に見せろと言って、文化庁が稲田さんの名前で言って来たのだからしょうがないですよ。」(少し意味不明)

あまり強硬なことを言って、脅迫だとか言われてもたまらないので、以上のような問答になりました。ご理解ください。

            ○

午後は、父の処方箋を貰いに診療所と薬局に赴く。

帰宅後は、深夜まで「政治文化情報」の原稿執筆。今書いている原稿は、月刊「現代」今月号に掲載されている原武史氏(明治学院大学教授)の「皇太子一家『新しい神話づくり』の始まり」と題する論文に対する反論です。原武史氏はその論文で「宮中祭祀を廃絶せよ」というとんでもない主張をしています。こういう搦め手の「國體破壊」策謀が活発化してきています。

さらに、問題なのは、國體護持を主張する識者の中に、皇后陛下・皇太子妃殿下に対して慎みのない非難攻撃をする人がいることです。困ったことです。

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2008年4月 7日 (月)

千駄木庵日乗四月六日

午前は、父母のお世話。

午後は、録画しておいた本日午前十時から放送された「サンデープロジェクト」を見る。

以後、原稿執筆の準備。資料整理・検索。

           ○

「サンデープロジェクト」で、支那人監督・李纓(リ・イン)の映画「靖国 YASUKUNI」に、政府出資法人から750万円の助成金が出ていることから、稲田朋美衆院議員などが、「助成金にふさわしい政治的に中立な作品なのか」を確かめるべく、文化庁に試写会を開くよう求めたことを取り上げた。

田原総一朗氏や大谷昭弘氏が、「稲田氏が試写会を文化庁に要求したから、右翼の抗議が巻き起こり、上映中止する映画館が増えた」と決め付けたのは全くおかしい。

稲田氏が代表を務める「伝統と創造の会」が、試写会を要求したのは、あくまで助成金の適否を検討するためで、税金の使い道を監視しなければならない国会議員として当然の行為である。その行為に触発されて、抗議運動が活発化したとしても、それは稲田氏の責任ではない。まして、上映を取りやめた映画館が出た事は稲田氏には何の関係もない。

田原氏は、稲田氏が自分の番組に出なかったことに腹を立てて感情的になり、一方的に稲田氏を弾劾しているとしか思えない。また田原氏は相手が女性となると居丈高に罵倒する。以前、高市早苗氏に対してもそうだった。

また、田原氏は、稲田氏がこの番組に出演しなかったことを「度胸が無い」などと腹を立てていたが、稲田氏にはこの番組に出演する義務もなければ責任もない、稲田氏は、外国人記者クラブの会見などできちんと自分の立場を説明した。田原氏の番組に出なかったからと言って、感情的に稲田氏を非難攻撃する田原氏は一体自分を何様と思っているのか。

李纓氏が何年日本に住んでいようと、支那人は支那人である。

稲田氏が、「この映画を作った会社は中国中央テレビの日本での総代理として設立された会社であり、共同制作会社の2社も中国の会社で、製作総指揮者、監督、プロデューサーすべてが外国人であることから、日本映画であると言い切ることに大きな疑問を持っている」と主張するのは当然である。

この映画の最後の部分で旧日本軍の蛮行として中国側が反日宣伝に使っている信憑性のない写真などが使われているという。私はこの映画を見ていないし、見たいとも思わないから、確かめたわけではない。しかし、これが事実とすれば、政治的中立性が疑われるし、不確かな写真を使った記録映画に、国民の税金が使われているのは大問題である。文化庁には、助成金支出の適否について再検証すべきである。

田原氏は、「右翼の街宣車が騒いだ」と繰り返し強調し、「警察は事前に街宣車を止められないのか」という意味のことを言っていた。しかし、この問題で、街宣車が上映予定の映画館に抗議を行ったのはたった二・三回ということは、この番組に出た映画配給関係者が言っていた。しかもその人は「警察は適切に対応している」と言っていたし、「ネット右翼の動きが活発だった」とも言った。

田原氏は言論の自由・表現の自由を強調するが、右翼の街宣活動も言論活動であり、表現活動である。田原氏は、「右翼の言論活動だから警察が制限し中止させてもいい」と言うのか。田原氏は何としても右翼を悪者に仕立て、その活動を権力によって弾圧させたいのである。田原氏こそ、憲法に保障された「言論の自由」「政治活動の自由」「表現の自由」を否定する人物と言われても仕方がない。

田原氏は稲田氏に「あなた方が上映運動をやって問題提起をすればいい」と呼びかけていた。しかし、田原氏がそれほど「表現の自由」「言論の自由」を守りたいのなら、稲田氏に対してそういう要求をする前に、田原氏自身そしてサンデープロジェクトが上映運動をすればいいではないか。憲法を守るということは、他人に求める前に、自分が実行すべきことである。

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2008年4月 6日 (日)

千駄木庵日乗四月五日

午前は、父の容態に変化があり、父に付き添って病院に行く。医師の治療を受け、小康を取り戻し帰宅。

午後からは「月刊日本」用の萬葉集解釈の原稿執筆・完成・送付。その後は深夜まで、次号の「政治文化情報」の原稿執筆のための資料整理・検索など。

           ○

昨日書いた国際基督教大学の設立の事情は、實は大変重要な問題をはらんでいる。国際基督教大学の教授には、「政教分離」をかたくなに主張して、総理大臣などの靖国神社・護国神社参拝や玉串料奉奠などについて批判したり、訴訟を起こす人がいる。また皇室問題について、祭祀を否定する論議をしている人もいる。

ところが、国際基督教大学は、敗戦後、戦勝国アメリカがわが日本をキリスト教化とする意図に基づいてつくられた学校なのである。

日本のキリスト教化を考えていたマッカーサーは、国際キリスト教大学の設立を推進した。昭和二十三年に「日本キリスト教大学財団」が設立され、募金が開始されたとき、マッカーサーは名誉議長を引き受けた。日本側の責任者として日銀総裁の一万田尚登が就任した。一万田尚登氏は後援会長として全国に募金運動が展開した。つまりこの大学は、当時のわが国における政治権力者によって、キリスト教を日本に布教することを目的として作られたのである。

そして莫大な金を集め、昭和二十五年には、武蔵野の地に広大な土地が校地として購入した。昨日、歌会を行った三鷹市の野川公園は、国際基督教大学のゴルフ場だった所である。何故、大学に広大なゴルフ場が作られたのであろうか。

今日唯今の国際基督教大学の「大学案内」には堂々と「ICUは大学の使命にあるとおり、キリスト教精神に基づく大学です。宗務部、教授会の宗務委員会、学生グループなどによって、さまざまな宗教活動が行われています。」と書かれている。そして学内に教会もある。

「現行占領憲法」には、「第二十条  信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。

2  何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。

 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」

第八十九条  公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。 」

とある。

この「政教分離の規定」に最初から違反してつくられた大学が国際基督教大学なのである。また、文部省がこの大学に補助金を出しているとすれば、明らかに憲法違反である。国際基督教大学に所属する学者が「政教分離」の規定を振りかざして、靖国神社に対して不当な攻撃を加えているのだ。許されることではない。

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2008年4月 5日 (土)

千駄木庵日乗四月四日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後一時、荻窪の教育創造研究所に集合。「しきしまの会」歌会。自動車で出発。国際基督教大学構内に赴き、桜を観賞。敷地が広いのには驚きました。千代田区番町の旗本屋敷跡に建てられた漢学塾が前身であった小生の母校・二松学舎の十数倍はあるのではないでしょうか。

国際基督教大は戦後できた学校ですが、青山学院・立教大学・聖心女子大・聖学院など都内には戦前からかなりキリスト教系の学校があります。そしは、みな大きな規模です。日本は外来文化・外来宗教に大変寛大である事はこのことからも明らかです。戦前は「国家神道」がおしつけられ、宗教統制がおこなわれ、軍国主義一色で、信教の自由、学問の自由が全く抑圧されていたという見方は嘘であり、自虐史観の一つであります。

三鷹市の野川公園に至る。野原でお弁当を食した後、歌会開催。小生が、「桜」を詠んだ数首の歌を講義。そして「桜」を題とした歌会開催。終了後、三鷹駅で解散。

午後六時より、文京区春日の文京区民センターにて、「角野英毅区政報告会」開催。角野英毅氏が国政報告を行う。角野氏は、小生の小・中学校後輩。区議六期目。五期までは自民党に所属していましたが、この前の選挙では自民党を離れ無所属で立候補し、苦労して当選。歴史観・教育観はまともですので応援しています。

途中退席して、同じ文京区見センターで開催された「平成維新懇話会」に出席。中村信一郎氏が座長。平田文昭氏(アジア太平洋人権協議会代表)が「日本型変革の原理と今日の課題」と題して報告、討論。

同じ建物で同じ時刻に会合が重なるというのは初めての体験でした。

         ○

今日「しきしまの会」で講義させていただいた歌は次の歌です。

ささ波や 志賀の都は 荒れにしを 昔ながらの 山櫻かな                                                                       平忠度

(ささ波や・志賀に掛かる枕詞) 志賀(琵琶湖西南海岸)の古き都の跡は荒れ果てたけれど、山櫻は昔のままに咲いているなあ」

散るをいとふ世にも人にもさきがけて散るこそ花と吹く小夜嵐                                                         三島由紀夫

「散ることを嫌がっている世の中にも人にも先駆けて散っていくのこそ花であると吹く小夜嵐(夜に吹く強い風)」 

敷島の大和心を人問はば朝日ににほふ山櫻花      本居宣長

「大和心をどういうものかと人に問われたら、朝日に美しく映える山櫻だと答えよう」

ねがはくは花の下にて春死なんそのきさらぎのもち月の頃                                                   西行

「願うところは、桜花の下で、春に死にたい。その二月の満月の頃に」

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2008年4月 4日 (金)

千駄木庵日乗四月三日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は諸雑務。

午後四時より、赤坂の日本財団ビルにて、「東京財団創立十周年記念シンポジウム・市場原理と中国経済」開催。登壇者の発言は次の通り。

呉敬璉中華人民共和国国務院発展研究センター研究員「大躍進政策の失敗で、三千万人が死んだ。しかし真剣に反省せず人の思想を変えることで、政策を実行しようとして失敗した。一九九六年から七六年は文革で混乱に陥った。社会は崩壊の直前の状態になった。多くの官僚が身体を脅かされた。農民は悲惨な生活を送った。全ての人々が多くの打撃を受けた。このような状態を変えて行かねばならないと思った。

思想を開放し頭脳を働かせ、救国の道を探った。一九七八年から八三年は、改革開放の初期は国家の存亡をかけた努力の時代。行政の分権・二重価格制度、局部の対外開放という三つの融通的な制度にした。八四年ころから中国の改革目標が明確になった。社会主義市場経済というようになり、青写真を描いた。一九九四年以降、財政制度、金融制度、外国為替制度の改革を行った。

現体制の欠陥は、石油、電子通信など重要業種における独占。市場参入と企業の投資など意思決定における行政関与の過多。問題のカギは政治改革と行政改革の遅れにある。腐敗の蔓延と貧富の差により国民の不満は高まっている。改革を推進して明るい未来を切り開くためには、イデオロギーによる束縛から思想を開放し、積極的に改革の道を歩むしかない。経済改革を最後まで推進する。政治改革に真剣に取り組み、法制国家と憲政民主国家を確立する。市場経済における倫理基盤が改革の大きな欠陥である。将来は自由・民主という普遍的価値を受け容れることになると思う」

行天豊雄国際通貨研究所理事長「中国の改革開放政策の発展は近代経済史の最も重要な出来事。中国の成功の背景に国民的規模の発展に対する熱情がある。しかし、市場経済における倫理の問題がある。鄧小平の『白い猫も黒い猫も鼠を捕る猫が良い猫だ』という指導が、倫理性を否定してしまった。一方に利益を求め、一方に倫理を求めるということにどう対処するか。農業問題・雇用問題・政治改革、そして人治から法治への体制変革をどうするかが問題。」

帰途、知人と懇談。

帰宅後は、明日の「敷島の会」における講義の準備。

         ○

共産支那は、経済だけでなく、政治・軍事の面でも倫理を忘却している。そしてこのことが近隣諸国に大きな脅威になっている。最近の毒入り餃子・チベット人弾圧は、今日の支那が倫理というものを忘却している証左である。これが改善されない限り、国際的信頼を得ることができず、支那の真の発展はあり得ない。

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2008年4月 3日 (木)

千駄木庵日乗四月二日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

お天気が良かったので、父と共に近所を散歩しました。

午後二時より、知人の葬儀に参列。冥福を祈る。

         ○

葬儀場の桜が満開でした。桜の花が潔く散る姿は、人の命がはかなく散っていくことを連想させます。日本民族は、この世に恋々とせず、潔く死地に赴くことを美徳としてきました。それと共に、美しい桜の花に見守られながら、あの世に旅立つことを望む人がいました。西行です。

西行の歌に、「ねがはくは 花のしたにて 春死なん そのきさらぎの 望月のころ」という名歌があります。今日はこの歌をしみじみと思い出しました。

また、支那初唐の詩人・劉廷芝(りゅうていし)の詩の一節「年年歳歳花相似 歳歳年年人不同 (年年歳歳 花相似たり歳歳年年 人同じからず)」は、まさに実感でした。

しかし、そうは言っても、人の死は悲しいものです。人間というものは永遠には生きられないと分かっていても、実際に家族・友人・知人・同志などと永遠の別れを迎えるのは本当に辛く悲しいことです。特に、もう一回会いたかった、お世話になったことのお礼が言いたかった、思い出話を語りたかった、という心残りがあった人となると尚更です。

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2008年4月 2日 (水)

千駄木庵日乗四月一日

午前は、父の付き添いで病院に赴く。今日は定期的な診察と治療。

午後は、世田谷の蘆花公園にある世田谷文学館にて開催中の「永井荷風のシングル・シンプルライフ」展参観。

この展覧会は、「居住地域に関係なく、都市的独身生活を満喫する人々。望むと望まざるとに関わらず、当たり前となった一人だけの老後を過ごす人々。荷風は、現代人が直面している『一人で生きること』への処世術をいち早く体現しました。荷風は今こそ読んで為になる作家であり、『文学なんて関係ない』と思う現代人にこそ出会ってほしい作家なのです。

本展は、永井荷風と現代社会に生きる私たちが出会うための展覧会です。40年余りにわたって書き続けられた日記文学の傑作『断腸亭日乗』自筆稿本や、一人暮らしを支えた身の回りの品々、また、今回初公開となる小堀杏奴(森鷗外次女)あての書簡など多彩な資料を展示いたします。そのライフスタイルや作品をじかに体感し、シンプルライフのレッスンをはじめましょう!」との「趣旨」で開催された。

荷風の自筆原稿・初版本・書簡・短冊・色紙・写真・日用品などが展示されていた。『断腸亭日乗』自筆稿本は初めて見た。

荷風は私の好きな近代作家である。全集に収められている作品はすべて読んだ。鋭い近代批判はなかなか勉強になるしおもしろい。荷風は、千駄木に住んでいた森鴎外を尊敬し、師と仰いでいたので、若き日には団子坂上の森鴎外の家にはよく来たらしい。荷風は『日和下駄』という随筆で、鷗外の家の前の藪下通りという道が、東京で最も趣があり景色の美しい道であると激賞した。

また、私が文藝上の師と仰ぐ中河与一先生の『天の夕顔』をゲーテの『若きウェルテルの悩み』に匹敵すると激賞した。

『断腸亭日乗』には、千駄木だけでなく二松學舎のある九段界隈や私宅近くの湯島・谷中などのことがよく出てくる。また、中河与一氏だけでなく、私が書生として仕えた帝都日日新聞社主の野依秀市先生や私の尊敬する赤尾敏先生の事も記されている。

私も六十歳の今日、独身を貫いている。このままいけば、小生も「一人だけの老後を過ごす人々」の一人に加わることになる。以上のような理由から、荷風文学がとても好きなのである。

私は、森鴎外のお孫さんと小学校で同級生であった。また、大学時代の恩師である濱隆一郎先生(二松學舎大学教授・漢学者)は、森鴎外が帝室博物館館長・宮内庁図書頭の任にあった頃、部下として仕えた。また私も私の母も、森鴎外の令嬢である小堀杏奴さんの知遇を得た。今日の展覧会では、小堀杏奴さんが荷風に出した手紙と荷風が杏奴さんに出した手紙が多く展示されていた。

荷風は有体に言って相当変人であったと思われるが、その文明批評と江戸情緒を描いた作品と日記・随筆は不滅の価値を持つと思う。

蘆花公園という駅は通過した人はあるが下車したのは初めてで、マンションが立ち並んでいるけれども、東京郊外の面影を残し、なかなか美しい町であった。

夕刻は、知人の通夜に参列。

帰宅後は、書状執筆、資料の整理など。

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2008年4月 1日 (火)

千駄木庵日乗三月三十一日

午前は父母のお世話。

午後からは在宅して資料の整理など。

        ○

フランスやイギリスなど西欧の歴史は、血で血を洗う革命、国王と国民との対立闘争の歴史である。封建社会を革命によって変革して西欧近代社会ができたことが、人類の社会進化の唯一の方向であり典型であるという史観は受け容れる事は出来ない。國柄と歴史が異なる日本に西洋の革命史観を当てはめることはできない。そもそも日本の天皇中心の国家は未だかつて専制君主制であったこともないし天皇が専制君主であられたこともないのである。

 政治・宗教・文化・芸術は、それぞれの生活圏、民族特有の歴史から生まれ育ってきたものである。特に日本の場合、稲作生活、自然条件、地理条件、国際環境の総合の中で、独自の政治・宗教・文化・芸術を育ててきた。

 西洋と東洋とりわけ日本との大きな違いは、西洋人が狩猟民・牧畜民の末裔(ユダヤ教・キリスト教は牧畜あるいは狩猟生活から生まれた一神教である)であるのに対して、日本人は稲作民族の民(神道は稲作生活から生まれた多神教である)であることである。

キリスト教会のイエス・キリスト磔像は、芸術的美しさあるいは宗教的荘厳さはあるといえども、有り体に言えば他人に殺された人の死体である。これを礼拝の対象にするというのは日本人の感覚ではとても考えられない。仏教も涅槃像と言って釈尊の死体を拝む。しかしこの場合は、病気で死んだ姿であって磔という残虐な処刑方法で殺された姿ではない。キリスト教というか一神教の異質さを実感する。イエスの磔像を拝む人々は、人類の罪を背負って殺されたというイエスへの崇敬の念を抱くと共に、殺した人々への怒り・恨み・報復の念を持つのは当然である。それがユダヤ人への差別・迫害につながったのである。

 日本人の神観とキリスト教の神観との相違は重大である。裁きの神・妬みの神たるエホバを信仰する一神教・ユダヤ教から出発したキリスト教の神は、一神教の持つ排他性と裁き・復讐・贖罪の神として非寛容的な厳しさを持っている。日本伝統信仰が鏡を御神体として拝む清々しさとは全く異なる信仰精神である。

余り悪く書きたくはないが、大英博物館の収蔵品の多くは要するに世界侵略支配を行った英国が各地から略奪して来た品々なのだ。特にエジプトや古代ギリシャの美術品がなぜロンドンにあるのだろうか。日本は今日、侵略国家だったなどと批判されているし、日本人自身にも侵略国家だったなどと思っている人が多い。しかし、日本の美術館や博物館には、このような外国から奪ってきたものは無い。日本皇室の美術館たる三の丸尚蔵館はの展示物を拝観すればそれは明らかである。日本は本来、覇道の国ではないし、侵略国家ではない。

國の根幹たる憲法は、日本傳統精神を根幹とすべきであって、西欧政治思想・法思想を根幹とすべきではない。西洋法思想・政治思想によって貫かれている現行占領憲法が今日の日本に頽廃と混迷をもたらしてゐる。一刻も早くこれを廃棄しなければならない。

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