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2008年3月12日 (水)

千駄木庵日乗三月十一日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は資料の整理など。

午後六時より、「九段下沙龍」開催。同志諸氏と当面する諸問題について討論。

帰宅後は諸雑務。

           ○

三月五日午前八時十五分ころ、国会議事堂南門前の路上で、愛国運動活動家・向井正志氏が拳銃で自決された。向井氏は

福田総理大臣あてと報道関係宛ての手書きの文書を持っていたという。向井氏は命を懸けて何を訴えられたのであろうか。その内容は一切明らかにされていない。福田総理はその文書を読んだのであろうか。それすら分からない。警察が発表しないからである。

一人の人間が命を懸けた行動が、抹殺されようとしているのである。このままにしておいてはいけない、亡くなった方の魂が浮かばれない、という思いがする。

五月の連休明けには、胡錦濤が日本にやって来る。また、もうすぐ韓国大統領も来る。そうした時期に、愛国運動・民族運動が盛り上がることを恐れた警察当局が、向井氏の命を懸けての行動を封じ込めているのだ。まことに口惜しい限りである。

加藤紘一宅焼き打ち事件の時、支援集会が開かれ、全国から多数の同志が参集した。その集会が終わって一週間もたたないうちに、警察当局は「その集会で集まった支援金に使途不明金が出た」などというデマを飛ばした。使途不明金とは、使った後に使い道が分からなかった金のことである。使わないうちに使途不明金など出るはずがないのである。ことほど左様に警察は、愛国運動家が何か直接行動をすると、その矮小化に狂奔する。実行者を英雄にしないためと、愛国運動の昂揚を防ぐためである。これも後藤田正晴以来のことであることは、浅間山荘事件の映画を見れば明らかだ。

警察が治安を守ろうとするのは理解する。しかし、あまりにも汚い手段を取ることは許し難い。一人の人間が命を懸けた行動を抹殺し矮小化するために、汚い手段を使うことは天人共に許さざることである。警察当局は、一日も早く、向井氏の書いた文書を天下に公表すべきである

私は自分を幕末の勤皇の志士に比べるほど厚顔ではない。しかし、考えてみれば、幕末の勤皇の志士が新選組や京都守護職の会津藩士と酒を飲んだりお茶を飲んだりしただろうか。警察は敵とは言わないが、味方ではないことは確かである。

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