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2008年3月15日 (土)

千駄木庵日乗三月十四日

午前は父母のお世話。

午後一時より、赤坂の日本財団ビルで「東京財団政策懇談会」開催。宮城大蔵政策研究大学院大学助教授が「戦後アジアの変容と日本」と題して講演し、「戦後アジアの中の日本のイメージがわきにくい。戦後アジアは米中ソの冷戦が軸であった。日本はアジアへの経済進出のみをもってアジアとつながった。

しかしそうでないもう一つの見取り図がある。ベトナム陥落はアジア冷戦のクライマックスだった。南ベトナムが共産化すると、ドミノ現象でアジア全体が共産化すると言われたがそうはならなかった。共産主義イデオロギーが正統性を失う時代の始まりであった。ベトナム戦争は独立戦争と冷戦が結び付いたので長期化した。独立を獲得すると政治的求心力を失う。

五〇年から六〇年代の政治的エネルギーのマグマが冷戦という枠組みを突き破ったのがアジアの特徴。冷戦後は政治と経済の位相が逆転した。政治でくくられるアジアが経済でくくられるアジアに転換した。その中で日本は欠くべからざる存在となった。

戦後日本がアジアに出て行こうとした時、最初に注目されたのはインドとパキスタン。日本の南進は、東南アジア特にインドネシアに特徴的なのは、脱植民地の潮流の後に日本が入って行ったこと。

戦後日本が『南進』にこめて求めたものは、開発志向によってつながれたアジア。スカルノの脱植民地化を日本は肯定。日本の南進による開発・経済成長によってアジアが求めた革命を求める冷戦を非政治化した。一九八〇年代は日本を中心に経済志向でアジアがつながった時代であった。

政治のアジアと経済のアジアのズレが二十一世紀のアジアの行方を左右。日本のやるべきことは、①日米安保の堅持(経済対立が軍事対立につながらないため)。②政治のズレを潜在的なものにするための経済連携の深化。③民主化の支援・推進。」と語った。

帰宅後は、「政治文化情報」の発送準備。

午後六時半より、新宿にて、「金玉均墓前祭先行勉強会」開催。主な発言は次の通り。

広瀬義道氏「金玉均の足跡を風化させてはならない。」

山口申氏「日清戦争の頃の状況と今日の状況は似ている。先達の行動に学ぶべし。」

山浦嘉久氏「北の核武装は自主独立のためにやった。支那が核を持った結果、米は支那を認めざるを得なかった。北の核実験も同じ論理。北は共産国家ではなく金王朝。北が核を持つことによって日本が核を持つことを米は恐れている。日本の戦後は『無魂米才』。日本がきちんと立ち上がれば朝鮮・台湾も喜ぶ。」

坪内隆彦氏「金玉均は明治維新を手本にして真の朝鮮独立の構想を抱いた。金玉均を支援したのは、頭山満・福沢諭吉・樽井藤吉など。日本・清・朝鮮の三国が平等な関係で協力する『三和主義』を唱えた。樽井藤吉の『大東合邦論』に共鳴したのが李容九。樽井藤吉は天誅組の影響を受けている。」

木村三浩氏「北朝鮮の日本人墓地に慰霊が出来ないのか。道義の立場から遺骨を日本に戻すのが責務。北のミサイルは独立維持のため。」

終了後、懇親会。

帰宅後は、発送準備。

        ○

今日は二つの重要な勉強会に出席してアジア問題について色々学びました。(もう一つ勉強会がありましたが時刻が重なったため出席できませんでした)色々感想がありますが、もう夜が遅く、明日は朝早くから、「政治文化情報」の発送と父母のお世話がありますので、書くことができません。ただ一つ言えることは、日本は自らの精神的・軍事的・政治的・経済的力を強めねば、とても今の危機的状況に対処できないということです。その意味でも、歴史に学ぶことが重要であります。

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