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2008年3月 7日 (金)

千駄木庵日乗二月六日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは、諸雑務。知人来宅。そして「政治文化情報」の原稿執筆。

         ○

言語の乱れが國家の混迷を招来する。現下のわが國の今日の日本の様相は文字通りそれである。何でも英語で言えば良いと思っている人が多い。「ボーダーレス」とか「グローバリゼーション」という言葉が乱れ飛んでいる。「ボーダーレス」とは境界線喪失ということであり、「グローバリゼーション」とは世界化・國際化ということだそうである。日本語の方がよっぽど分かりやすいのに、何故にわざわざ英語で言うのか。

 今日の日本は、日本と外國・保守と革新・男と女などの境界線が喪失しつつある時代だという。そして境界線喪失現象が社會の進歩だと思っている人もかなりいる。

 「人権」「差別」という言葉も多く使われている。「人権侵害だ。差別だ」と言われると、もう返す言葉がなくなってしまうのが今の風潮である。「差別」を辞書で引くと、「①差をつけて扱うこと。わけへだて。「~待遇」②区別すること。けじめ。」とある。たしかに、不当な差別はあってはならないし解消されなければならない。しかし、全く平等な世の中というのはあり得ない。

 それどころか、「区別すること。けじめ」という意味の「差別」や、男女・國家民族・地域の「境界線」があってこそ、文化が生まれ、平和が維持され、道義が守られるのだ。みんなが平等であるべきだということになると、天才も秀才も否定され文化・文明は生まれないし発達もしなくなる。芸術の創造と継承そして伝統護持もできなくなる。

「あの人の作品はこの人の作品よりも良い」という「差別」があってこそ文芸・美術・音楽などの芸術や文化が存在するのである。「差別」から文化が生まれるのである。また、國家・民族の境界があるから各國家・民族の伝統文化が守られ継承されるのである。

 親と子のけじめ・差別がなくなりつつあるから家庭崩壊が起こり、教師と生徒のけじめ・差別がなくなりつつあるから學級崩壊・教育荒廃が起こっているのである。

 さらに言えば、「人間は全て平等だ」とか言って、皇室の御存在を否定する輩が増えているが、皇室への國民の尊崇心の希薄化は國家崩壊の予兆である。天皇及び皇室という高貴なる御存在こそ、わが國の存立の基礎である。

 「境界線の喪失」は決して時代の進歩ではなく、國家の崩壊・文化の退化・道義の頽廃の同義語である。

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