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2008年3月30日 (日)

千駄木庵日乗三月二十九日

午前は、父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、西日暮里の富士見坂を登り、諏訪台へ。この富士見坂は東京二十三区内に何カ所かある富士見坂の中で唯一実際に富士山が遠望できる坂。桜の花が咲き盛っていた。

諏方神社に参拝。御祭神は建御名方命(たけみなかたのみこと)。創建は元久二年(1205)、豊島左衛門尉経泰によると伝えられる。信州諏訪神社の分社。通常は「諏訪」と称するが、この神社は「諏方」と称する。「武蔵國豊島郡新堀邨諏訪神社記」と刻まれた石碑を仰ぐ。境内の桜は満開。

諏方公園(別名西日暮里公園)も桜が満開。ここは加賀前田藩の墓所だった所。道灌山に関する説明板がある。この高台が道灌山と名付けられたのは太田道灌がよく狩りに来たからとか物見櫓があったからとかいう説がある。

養福寺の弘法大師像に参拝。平屋造り朱塗りの仁王門に懸る養福寺の金字額は山岡鉄舟の書。

しばらく歩き、日暮里駅に至る。道路の桜並木も満開で実に美しい。

駅前の本行寺に参拝。枝垂れ桜が見事。太田道灌の子孫の墓がある。小林一茶の句碑が二つ建っている。そこに刻まれた一茶の句は、


「陽炎(かげろう)や道灌殿の物見塚」
「刀禰(とね)の帆が寝ても見ゆるぞ青田原」

である。また種田山頭火の

「ほっと月がある東京に来てゐる」

の句碑もある。

谷中墓地に入る。樹齢百年以上と私が勝手に推測する桜の大樹がすべて満開。実に壮観。靜斎堤君墓碑銘を仰ぐ。二条基弘篆額・三島中洲撰・日下部鳴鶴書。堤靜斎は、幕臣・儒家。篆額とは石碑などの上部に篆字で彫った題字のこと。

清水釘吉翁墓誌(清水建設創業者。渋沢敬三撰)、男爵足立君墓碑銘(足立正聲は鳥取藩士、維新後宮内省図書頭。池田仲博篆額・三島中洲撰・日下部鳴鶴書)、従二位伯爵阿部正恒墓(備後福山藩当主)、朗廬阪谷先生碑(阪谷朗廬は漢学者・漢詩人。大塩中斎の弟子。三島中洲撰・日下部鳴鶴書)などを仰ぐ。

そして谷中天王寺に参拝。谷中大仏(大聖釈迦牟仁仏像)を仰ぐ。

今日はまさに桜の花が満開でお花見日和でした。私宅近くに桜が多く咲く歴史的由緒のあるところがあるのはありがたいことである。

そして三崎坂を下り千駄木駅へ。

地下鉄で神保町へ。

午後六時より、神田学士会館にて、「憲法懇話会」(筧克彦・三潴信吾両氏の憲法学の学統を継承・発展させる唯一の研究会であり学術的研究活動および一般啓蒙活動の場とされる)

開催。高乗正臣平成国際大学教授(図書館長)が座長。田尾憲男・慶野義雄・竹内雄一郎の各氏などと日本國體・皇室・憲法について研鑽・討論。色々貴重なお話を伺ったのですが、後日改めて報告いたします。

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