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2008年3月31日 (月)

千駄木庵日乗三月三十日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅して、資料の整理。

夕刻、知人と懇談。

帰宅後も資料の整理など。今日は「花冷え」という言葉の通りの一日でした。

       ○

昨日の「憲法懇話会」について報告します。高乗智之氏が、三潴信吾氏の「二十世紀における二元論の克服と皇國體論」(昭和二十九年発表)について研究発表を行いました。

三潴氏はこの論文において「自覚なき人間、自立意志なき民族は自然淘汰の原理により葬り去られる」「今日の混迷のよってきたる原因の一つは西洋から来た二元論の影響である。精神と科学を相反せしめ、宗教を非合理の世界に封じ、学問を無信仰の境地に固定せしめ、神と國と学との三者三つ巴の角逐を展開し来った」「その結果、国は単なる利益共同体か権力支配体に堕落腐敗し、学問は浅薄皮相の理論の遊戯か、形式的な知識の無秩序な集積となり了る」「天照大御神の御生命の現実界における顕現こそ大日本国であり、その大本者たらせ給ふ天皇さまは、皇祖天照大御神の御魂を以て大御心とせらるることに於て御歴代を通じて一系にあらせられる。故に、皇位は私心を以て左右さるべきに非ず、又万民の輔翼なくして、天皇の御統治はあり得ない」「天皇の統治大権の根幹を成すものは、皇祖皇宗の御神霊を祀られ、之と一体たらせ給ふこと、即ち祭祀の大権である。」「祭政一致こそ、独裁を警め、反省と責任との最大の保障をなすものである。」「高天原と現実界、神と人との間の消息は即ち一元論、二元論を超克したる不二一体の世界観であり、これが偽らざる生命の実相観であらう。」と論じています。この論文を教本として出席者全員で討論を行いました。

日本国家は天皇を祭祀主と仰ぐ信仰共同体であります。他の国とはここが絶対的に異なるのであります。故に「万邦無比の日本國體」というのであります。

わが国存立の基盤は、「天皇の祭祀」にあるのであります。信仰共同体日本の祭祀主たる日本天皇は、他の國の皇帝・国王とは全く異なるご存在であります。また、天皇の最も重要なるご使命は祭祀にあるのであります。この國體を正しく開顕することが、日本国の混迷と堕落を打開する原基であります。

共産主義は国家を否定します。しかし、共産主義国家ほど、国家権力が国民を弾圧し抑圧し殺戮したのであります。

今日生き残っている「中華人民共和国」「朝鮮民主主義人民共和国」という共産国家は今日唯今、自国民を抑圧し続けているのであります。

そして、この二つの国と同根の「主義」「思想」を持つのが日本の社民党と共産党なのであります。この二つの政党と民主党やメディア・学界などに紛れ込んでいる「社会主義者」こそ、日本を亡国に導き、日本国民を圧制の下に呻吟せしめようとする者共なのであります。警戒しなければなりません。

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2008年3月30日 (日)

千駄木庵日乗三月二十九日

午前は、父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、西日暮里の富士見坂を登り、諏訪台へ。この富士見坂は東京二十三区内に何カ所かある富士見坂の中で唯一実際に富士山が遠望できる坂。桜の花が咲き盛っていた。

諏方神社に参拝。御祭神は建御名方命(たけみなかたのみこと)。創建は元久二年(1205)、豊島左衛門尉経泰によると伝えられる。信州諏訪神社の分社。通常は「諏訪」と称するが、この神社は「諏方」と称する。「武蔵國豊島郡新堀邨諏訪神社記」と刻まれた石碑を仰ぐ。境内の桜は満開。

諏方公園(別名西日暮里公園)も桜が満開。ここは加賀前田藩の墓所だった所。道灌山に関する説明板がある。この高台が道灌山と名付けられたのは太田道灌がよく狩りに来たからとか物見櫓があったからとかいう説がある。

養福寺の弘法大師像に参拝。平屋造り朱塗りの仁王門に懸る養福寺の金字額は山岡鉄舟の書。

しばらく歩き、日暮里駅に至る。道路の桜並木も満開で実に美しい。

駅前の本行寺に参拝。枝垂れ桜が見事。太田道灌の子孫の墓がある。小林一茶の句碑が二つ建っている。そこに刻まれた一茶の句は、


「陽炎(かげろう)や道灌殿の物見塚」
「刀禰(とね)の帆が寝ても見ゆるぞ青田原」

である。また種田山頭火の

「ほっと月がある東京に来てゐる」

の句碑もある。

谷中墓地に入る。樹齢百年以上と私が勝手に推測する桜の大樹がすべて満開。実に壮観。靜斎堤君墓碑銘を仰ぐ。二条基弘篆額・三島中洲撰・日下部鳴鶴書。堤靜斎は、幕臣・儒家。篆額とは石碑などの上部に篆字で彫った題字のこと。

清水釘吉翁墓誌(清水建設創業者。渋沢敬三撰)、男爵足立君墓碑銘(足立正聲は鳥取藩士、維新後宮内省図書頭。池田仲博篆額・三島中洲撰・日下部鳴鶴書)、従二位伯爵阿部正恒墓(備後福山藩当主)、朗廬阪谷先生碑(阪谷朗廬は漢学者・漢詩人。大塩中斎の弟子。三島中洲撰・日下部鳴鶴書)などを仰ぐ。

そして谷中天王寺に参拝。谷中大仏(大聖釈迦牟仁仏像)を仰ぐ。

今日はまさに桜の花が満開でお花見日和でした。私宅近くに桜が多く咲く歴史的由緒のあるところがあるのはありがたいことである。

そして三崎坂を下り千駄木駅へ。

地下鉄で神保町へ。

午後六時より、神田学士会館にて、「憲法懇話会」(筧克彦・三潴信吾両氏の憲法学の学統を継承・発展させる唯一の研究会であり学術的研究活動および一般啓蒙活動の場とされる)

開催。高乗正臣平成国際大学教授(図書館長)が座長。田尾憲男・慶野義雄・竹内雄一郎の各氏などと日本國體・皇室・憲法について研鑽・討論。色々貴重なお話を伺ったのですが、後日改めて報告いたします。

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2008年3月29日 (土)

千駄木庵日乗三月二十八日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後二時、千代田区のある雑誌社訪問。編集長と懇談。

その後、靖国神社参拝。遊就館にて開催中の「特別展・幕末維新展」参観。

案内書によると「本年は安政5(1858)年に安政の大獄が始まってより百五十年、また明治維新百四十年の節目の年に当たります。
嘉永六(1853)年のペリー来航を契機として我が国は大きな転換点を迎え、国論は開国か攘夷か尊王か佐幕かに分かれ、「安政の大獄」や「桜田門外の変」という大事件が次々に起こっていきます。
この疾風怒涛の幕末動乱を経て、明治維新が成り、幕藩体制に代わる天皇を中心とした近代国家へと生まれ変わります。
この間には靖国神社の御祭神でもある坂本龍馬、橋本左内、吉田松陰等の若き志士達が次々と登場し、また殉難していきます。
今回の特別展では、これらの御祭神たちが幕末の動乱期にどう思慮しながら行動をし、我国がアジア諸国で唯一近代国家の成立という偉業を成し遂げたのかを中心に御遺書や史資料・絵画等を展示致します」との趣旨で開催された。

徳川斉昭所用の陣羽織・ナポレオン三世より贈られた徳川慶喜所用の騎兵甲冑、戊辰戦記絵巻、西郷隆盛・平野次郎國臣・高杉晋作の指名手配書(刑部大輔松平阿波守が告示したもの)、吉田松陰像、橋本左内像など明治維新に関する多数の文物が展示されていました。維新の歴史がよく理解できるような展示内容でした。

公家・御三家・御三卿・親藩大名そして多くの勤皇の志士を弾圧した井伊直弼の強硬策が徳川幕府解体の原因になったことは明らかです。

御三卿とは、徳川将軍家に後嗣がない際に後継者を提供する役割を担う家のことです。吉宗の時代につくられた制度です。三家の当主は、公卿の位である従三位に昇り、省の長官(卿)に任ぜられる例であったから御三卿といったそうで、このことからも徳川将軍家は、上御一人・日本天皇の臣下であるとの自覚はあったわけです。

安政の大獄では、御三家の徳川斉昭(水戸)、御三卿の一橋慶喜(斉昭の子息)、そして親藩筆頭とされる松平春嶽さえも、井伊直弼によって断罪されました。これが深い恨みを買い、水戸脱藩浪士と薩摩藩士によって井伊は天誅を加えられたのであります。幕閣の最高権力者が江戸城登城の途中で殺されたということが、徳川幕府の権威を大きく失墜させ、維新の導火線になったのであります。

遊就館参観の後、境内の桜を観賞。そして九段坂を下り行き、牛が淵の桜を観賞。今日は桜が満開で、「桜花爛漫」という言葉のままでした。九段には、大村益次郎・大山巌・品川弥二郎の銅像が立っています。薩摩・長州の人々です。江戸町民からすれば、上野の西郷像・警察学校の川路利良像も含めて、言ってみれば「進駐軍」の指揮者たちであります。徳川家康像が江戸東京博物館に建てられたのはごく最近であります。

戦後日本には、アメリカ軍が進駐してきましたが、幸いに、マッカーサーの銅像は立てられませんでした。そこで一首。

「日本人の誇りとすべしわが国にマッカーサー像が建たざりしこと」

              ○

九段界隈は、私にとって極めて親しいところであり思い出深いところです。四年間二松學舎大学に通い、卒業後も、同大学付属図書館に六年間に勤め、退職後も、靖国神社に度々参拝のため九段に来ているからであります。また何人かの友人同志の事務所も九段にありよく訪問したからです。

私の学生時代には須田町・角筈間の都電が走っていました。(今や角筈という地名もなくなりました)学生時代にあった商店・食堂などはその多くがなくなりました。最近は老舗だった大周楼というすき焼き屋もなくなりました。しかし九段上角の寿司清という小さなお寿司屋さんはまだあります。今日も久しぶりのそこのオヤジサン、と言っては失礼、ご主人にお会いしました。そのご主人の話によりますと、バブルの頃、自分の家を売ってよそに越して行った人が多いとのことです。またビルにした人は、今はテナントが入らなくて困っているとのことです。

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2008年3月28日 (金)

千駄木庵日乗三月二十七日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。この頃は、父の容態が比較的安定し急遽病院に行くことが少なくなったので助かっています。しかし、まだまだ安心はできません。

午後一時半より、荻窪の教育創造研究所にて、「敷島の會」という歌会開催。参加者が自作を持ち寄り互、互いに批評し合い、楽しくも有意義なひと時を過ごしました。

帰宅後は資料・郵便物の整理など。

           ○

明治天皇は、

「鬼神も泣かするものは世の中の人のこころのまことなりけり」

「まごころを歌ひあげたる言の葉はひとたび聞けば忘れざりけり」

と詠ませられてゐる。

『古今和歌集』の「仮名序」には、「力も入れずして天地(あめつち)を動かし、目に見えぬ鬼神(おにがみ)をもあはれと思はせ、男女(をとこをんな)の中をも和(やは)らげ、猛(たけ)き武士(もののふ)の心をも慰むるは歌なり。」(力を入れないで天地を動かし、目に見えない鬼神をも感動させ、男女の間をも和ませ、猛々しい武士の心をも慰めるのが歌である)と書かれてゐる。

和歌は「人のこころのまこと」を歌はねばならない。自分の本当の心・素直な心・そのままのこころ・まごころを歌はねばならない。それが「五・七・五・七・七」と形式で表白され、読んだ人・聞いた人の魂を動かすといふのが「やまとうた」の本質である。

「古今和歌集」「天地(あめつち)を動かし、目に見えぬ鬼神(おにがみ)をもあはれと思はせ」といふのは決して誇張ではなく、古代・中古においては本当にそう信じられてゐたのである。

つまり歌を詠むのは、魂鎮め・鎮魂の行事である。和歌は、ふつふつと湧きあがってくる素直なる心・色々な思ひ・魂の叫びを三十一文字にして固め成して鎮める働きをする。人間のまごころを表白する抒情詩である。日本民族の人智のさかしらを超えたまごころの調べである。

自分の本当の心・素直な心・そのままのこころ・まごころを、歌ひあげる文藝が和歌である。荒廃した今日のような時代こそ、和歌に回帰することが大切であると信ずる。

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2008年3月27日 (木)

千駄木庵日乗三月二十六日

午前は父母のお世話。

午後一時半より、豊島区立千早地域文化創造館にて、「萬葉會」開催」。小生が、大津皇子の御歌などを講義。帰途、出席された法律家の方と懇談。

いったん帰宅して、諸雑務。

午後六時半より、豊島区立駒込地域文化創造館にて、「萬葉會」開催。小生が東歌を講義。

帰宅後は、明日の「敷島の會」の講義準備。

            ○

宗教法人と称する集団が、迷える人々をだぶらかして、多額の金品を巻き上げるという悪行を行っているのは何とも許し難い。混迷し荒廃する現代社会で、多くの人々が精神的・経済的な不安に陥っている。そうした人々を本当に救うということをせず、逆に不安や弱みにつけこむということは本当に許し難い。宗教の仮面をつけた詐欺集団・恐喝集団と言うほかはない。厳しく糾弾され、取り締まられねばならない。

宗教団体というのは、多かれ少なかれ詐欺的要素・恐喝的要素を持っているというのが私の見方である。「ご供養をすれば功徳がある」などと言うのは一歩間違えば詐欺である。「この宗教を信じなければ不幸になる。批判すれば罰が当たる」などというのは脅迫であり強要であり恐喝である。

ある巨大宗教が、十数億という仏像を購入したという。一体何のためにこのような高額の買い物をしなければならないのか。その資金は信者から集めた金である。創価学会は、宗教施設をどんどん建てている。そこで宗教活動に名を借りた選挙運動を行っている。これもおかしなことである。

宗教法人の優遇税制は根本的に改めるべきである。また、財務状況を信者にすら公開しないで良いという現在の制度も抜本的に改められるべきである。

政治や経済では救済し得ない人々の最後のよりどころとなるべき宗教が、腐敗し堕落し悪事を行うという今日の状況はまさに末世である。

日頃、信者に対して偉そうに、「我こそは生き仏である、生き神である」と言っている宗教指導者は、チベットやアラブやアフリカの飢餓地帯や紛争地域に行って、命懸けでそこにいる人々を救済すべきである。再び言う。「イケダセンセイ、外国から勲章や名誉学位を貰ってはしゃいでいる時ではありませんよ」。

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2008年3月26日 (水)

千駄木庵日乗三月二十五日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後二時より、谷中の上聖寺にて、「向井正志氏追善法要」執行。導師による読経が行われる中、参列者全員が焼香し、故人の冥福を祈った。

向井正志氏は、本年三月五日午前八時ごろ、国会議事堂南門前にて、福田総理・報道関係者ら当てた二通の抗議文を携え、自決された方である。祖国の現状を憂えての行動であったと思われるが、警察当局が抗議文の内容をはじめとして自決に関する一切の情報を隠蔽しているため、詳細は全く分からない。このままでは向井氏の文字通り命を懸けた行動の意義が全く無に帰してしまう恐れがある。そこで、民族派・愛国陣営の同志が相寄り、法要を営み、向井氏の遺志を継承するとともに、向井氏の御霊に鎮魂の誠を捧げることとなったのである。全国各地から約百五十名の同志が参集し、厳粛にして盛大な法要となった。

帰途、同志の方々と懇談。談論風発。

帰宅後は、明日の萬葉集講義の準備など。

         ○

今日は暖かな日となり、いよいよ春本番になったという感じがしました。谷中墓地のそばを通ったのですが、桜の花は三分咲きでした。気候は穏やかなのですが、凶悪な犯罪の続発、政治の混乱、国際情勢の流動化など、國内外の情勢は全く穏やかではありません。

フランス大統領が、北京五輪ボイコットの可能性について、チベットでの支那政府の弾圧が続いた場合、五輪開会式に参加しないこともあり得るとの考えを示唆しました。まことに適切な発言です。日本の総理大臣はこのくらいの発言が何故できないのでしょうか。 

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2008年3月25日 (火)

千駄木庵日乗三月二十四日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは、在宅して諸雑務。書状作成。

      ○

この国はやはり相当おかしくなっている。異常な事件が次々と発生している。わけもなく他人を殺すというのは一体どういうことか。薬物を原因としてではなく異常な行動を起こす人が増えているということは、それだけ、凄まじいばかりに人心が荒廃しているということである。

外出して地下鉄などの交通機関に乗ると、必ず一人や二人おかしな人がいる。独り言を言ったり、普通ではない行動をとっている人がいる。

私は萬葉集を勉強しているが、今日よりも文明はずっと遅れている萬葉時代の日本人の方が、今よりもよほど精神的に健康的であったと思う。

文明は進歩しているが、人心は荒廃している今日の状況を打開するために、これが決め手という打開策・救済策を打ち出す人はいない。政治家・宗教家・評論家・果ては霊能力者や易者までが、メディアに登場したり著書などで色々なことを言っている。しかし、状況は少しも良くならない。

特に、宗教家と言われる人は、自分の教団の信者からは生き神・生き仏と崇められ、世界を救うのは自分の率いる教団だけだというようなことを言っているが、今日の日本の異常な状況、荒廃した有様に一体どういう救済策を講じているのか。全くしていないと言っていい

家庭の崩壊・学校の崩壊そして共同体の崩壊が進行し、国家の崩壊さえ感じられる今こそ、日本国民一人一人の精神的変革、禊祓いが必要である。

やはり、政治家・宗教家という人々が、命を懸けて世の中を良くするために、ありとあらゆる努力をして貰いたい。政治家は、国会の中で権力闘争をしている時ではないのである。宗教家は自分の教団の維持と拡大だけに狂奔している時ではないのである。。(イケダセンセイ、勲章や名誉学位を貰って喜んでいる時ではありませんよ)

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2008年3月24日 (月)

千駄木庵日乗三月二十三日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は来週の萬葉集講義の準備。

夕刻、グランドアーク半蔵門にて、地方から上京した古くからの友人と懇談。

帰宅後は、「政界往来」用の原稿執筆・完成・送付。

            ○

「中華思想」とは、支那民族・漢民族が天の真下・天下の中央にあり、文化が花のように咲き誇っているという意味で、支那を「中華」と称し、四方の異民族を東夷・西戎・北狄・南蛮と呼んで、獣や虫けら同然に考え差別し侮る考え方である。「中華である支那」は世界帝國であり、支那の皇帝に朝貢(皇帝にみつぎものを差し上げること)する属國の形式でしか外國の存在を認めず、支那以外の世界各地域は支那に朝貢しなければならないと考えて来た。

「東夷」は日本・満州・朝鮮などの民族を指した。「夷」とは弓を射るのがうまい民族のという意である。「西戎」とは西方の野蛮人のことで、チベットやトルコ系の諸民族を指した。「南蛮」とは南方の野蛮人のことで、インドシナ半島など南海諸地方の民族を指した。「北狄」とは北方の野蛮人のことで、匈奴(きょうど)・ウイグル・韃靼(だつたん)等の遊牧民族を指した。「戎」は槍術のうまい民族、「狄」は犬扁、「蛮」は虫扁がつくということで、いづれも野蛮な民族ということである。

これほどの差別思想・侵略思想・大國主義はない。「中華思想」こそ、とてつもない帝國主義思想・差別思想なのである。「支那」という言葉は差別語だと批判があるが、「中華」「中國」という言葉こそ窮極の差別語である。

支那はこの「中華思想」という差別思想によってこれ迄の長い歴史において周辺諸國を侵略してきた。今、行われているチベット人弾圧もしかりである。秦始皇帝・漢武帝・隋煬帝(ようだい)・唐太宗のように内乱の後に大統一帝國が成立した時には、強力な國外侵略を行っている。

わが國は、あくまでも、自主防衛體制を確立し、アメリカ及び台湾・インドなどと政治的・軍事的・経済的に提携し、支那の中華帝國主義と果敢に戦うことが今日最も必要である。そして共産支那の侵略策謀・中華帝國主義を封じ込める正しい「東アジア共同體」を確立することが急務である。

日本人に今必要なのは、日本民族の誇りを回復し、中華帝國主義と戦う姿勢を確立することである。先ず以て我が国が行なうべきことは、國内の反日分子・親共産支那勢力に対する糾弾である。そして、北京五輪ボイコットである。

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2008年3月23日 (日)

千駄木庵日乗三月二十二日

朝は、父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。お天気が良かったので、父と共に家の近くを散歩しました。

午前十一時より、青山墓地の外國人墓地の金玉均氏の墓所にて、「先覚 金玉均先生墓前祭」(斎主・福永武氏)執行。祭主・頭山興助氏、代表呼掛人・山口申氏、大日本生産党の杉山清一氏、国民協議会の阿形充規氏が挨拶。祝詞奏上・祭文奏上・碑文朗読・玉串奉奠などが行われた。そして、実行委員長の木村三浩氏が挨拶して終了した。

この後、直会が開催された。

帰宅後は、萬葉集の講義準備など。

          ○

金玉均氏は、清国の属国となり、李氏朝鮮の専制政治下にあった朝鮮の維新を目指した先覚者である。頭山満・福沢諭吉両氏など当時の日本の先覚者が彼を支援した。しかし、上海に赴いた直後、清国と李氏朝鮮の刺客によって暗殺され、金玉均氏の遺体は無惨にもバラバラにされて韓国各地で晒し者にされた。わが国と韓国朝鮮は地政学的にも歴史的にも文化的にも深い関係にあることは確かである。真実の友好関係を築くことが現代においても大切である。

台湾の総統選挙で、馬英九が当選した。これで、台湾が共産支那の属国になる危険が今までよりも増した。李登輝政権以来の、台湾独立志向の政治が転換されることとなろう。共産支那の影響を受けて台湾が反日国家となる危険すらある。我が国の将来にとってきわめて重大な事態となったと思う。

台湾の二大政党というのは、政治政策の違いというものではなく、台湾人と支那人の民族対立の側面がある。国民党の中にも大陸派と本土派の対立がある。今後、台湾が混乱するか安定するか、支那と強固な結びつきを持ち属国と化するか、日本やアメリカとのつながりを今まで以上に強固にするか、岐路に立っている。

わが国は、二大政党が権力抗争をしている時ではないのである。わが国の民主党内、自民党内の憂国の士よ、一致団結して立ち上がってもらいたい。今の日本においてこそ、維新が必要である。

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2008年3月22日 (土)

千駄木庵日乗三月二十一日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、萬葉集講義の準備。

午後五時より、衆議院第二議員会館にて、「日本再生同志の会役員会」開催。当面する諸課題について討議。途中退席。

午後六時半より、日本自転車会館にて、「木村三浩君出版記念会」開催。平沢勝栄・加藤紘一・猪瀬直樹・長島昭久・浅香光代・ペマギャルボ・有田芳生・筆坂秀世・鈴木邦男の各氏らが祝辞を述べた。木村三浩氏が謝辞を述べ、清水信次氏の音頭で乾杯を行った。

帰途、同志と懇談。

         ○

木村三浩氏は、「憂国論」「『男気』とは何か」という二冊の本を上梓した。なかなか面白そうな本である。木村氏とは新宿駅東口で行われている「明日を考える青空議会」という街宣活動で知り合い、以来約三十年くらいにわたる同志である。

彼が代表を務める一水会は、鈴木邦男さんなどで結成され、私がかつて所属していた団体である。私は今は顧問という立場である。鈴木・木村両氏とはすべての面で考えを同じくするわけではない。しかし、この苦難の時期において、事務所を維持し、機関誌を毎月出し、月一回勉強会を開き、さらに色々な活動を展開している姿勢には敬意を表している。

また彼の今度の本の書名の通り、木村君はなかなか男気もある。鈴木さんは生長の家学生会以来の先輩であり、色々とお世話になった。それだけに、お二人の主張には心配する点がないではない。これだけ多士済済の来賓が集まるというのも、木村君の実績と人柄によるものであろう。

立食パーティーであり、色々な同志友人と懇談していたので、来賓祝辞のメモが取れなかったどころか、全然聞けなかった祝辞もあった。ただ、猪瀬直樹氏が「今の日本は東京ディズニーランドと同じで、冷戦が終わっても回りをアメリカというガードマンに守られていながら、中で遊びをしている。」という意味のことを語った。ペマギャルボ氏は、「チベットの暴動という報道が行われているが間違いである。無法な中国への抵抗である」という意味のことを述べた。また清水信次氏は「アメリカ軍という外国の軍隊がいる日本は真の独立国家とは言えない」と述べた。この三人の意見は全く同感である。

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2008年3月21日 (金)

千駄木庵日乗三月二十日

午前は父母のお世話。午後は資料の整理。

夜は、来週の萬葉集講義の準備。

今日は、午後から菩提寺にお墓参りに行く予定でしたが、天候が悪いので延期しました。

         ○

思い出話を二つ。私宅から中学校に行く途中に大平正芳氏の大きなお屋敷がありました。小生が中学二年の頃だったと思いますが、朝の八時ごろ、登校のために大平邸の前を通りかかりますと、当時官房長官をしていた大平氏の屋敷に、自動車に乗った春日一幸氏(当時は民社党の国会対策委員長だったと思います)が入っていきました。野党の幹部議員が官房長官の私宅に来るのかと不思議に思いました。

私は昭和四十年代前半、二松学舎大学で学びましたが、ある日大学に行く途中、九段上にあったある有名な料亭に、まず岸信介氏が入っていき、その後すぐに西尾末広氏が入っていくのを目撃しました。当時は知らなかったのですが、この二人は極めて緊密な関係にあり、確か第一次安保のすぐ後、西尾後継首班という動きがあったと聞いています。

健全野党とか、二大政党制とか言われますが、民社党が大きくなっていればそういうことも可能だったかも知れません。社会党が民社党を批判して、「第二自民党」と言っていたのもまんざら嘘ではないと、その当時は思いました。岸氏も西尾氏も、憂国の士であった事は確かであります。

今も二大政党制の時代になっているのでしょうが、民主党はどうも健全野党とは言えません。旧社会党のような「何でも反対党」になり下がって、政治を混乱させているだけです。しかも、政治思想・理念に基づく「反対」ではなく、何でも反対して政府与党を窮地に陥れ、政権を奪取しようというのですからタチが悪いのであります。そもそも民主党も自民党も、理念も政治思想も国家百年の大計も持ち合わせていないのではないでしょうか。

さて、昨日も書きましたが、何かというと「正義の味方面」をして大騒ぎをする日本の「人権屋」「平和屋」共は、何故チベットにおける共産支那の暴虐に抗議しないのでしようか。「人権屋」「平和屋」どもは、共産支那の飼犬・手先・第五列なのであります。支那や北朝鮮はどんなに悪いことをしても黙っていて、祖国日本の歴史を貶めることしかしない連中は、まさに国賊・売国奴であり、アジアのと世界の真の平和を破壊する輩であります。

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2008年3月20日 (木)

千駄木庵日乗三月十九日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後はある会合にてスピーチ。同志と懇談。

帰宅後は諸雑務及び資料の整理。

         ○

チベット民族の共産支那に対する抵抗運動は、決して「暴動」などという言葉で片づけられるものではない。毛沢東によるチベット侵略以来の、支那人によるチベット人迫害・差別・虐殺に対する怒りの爆発に対して、共産支那政府が残虐なる弾圧を加えているである。

わが国おいての「人権」だの「平和」だの「日本は侵略戦争をした」などと騒いでいる連中は何故、このチベットにおける共産支那の暴虐行為に口をつぐむのか。彼らは、共産支那や北朝鮮の手先として反日策謀を繰り返し、日本を共産支那の属国にしたいと念願しているからに他ならない。国内の反日勢力ばかりではない。自民党・民主党の「親中政治家」も口をつぐんでいる。

私は、創価学会機関紙「聖教新聞」を毎日読んでいるが、「全人代」のことは報道しても、チベットに對する共産支那政府の暴虐行為について一切報道していない。それどころか、三月十八日号では、池田大作が支那の雲南省民族博物館とやらの名誉顧問の称号を授与されたことを、一面から三面にわたって大々的に報道している。雲南省にはチベット族が住んでいる。そこの民族博物館から称号を与えられたのなら、今回のチベット民族に対する支那政府の弾圧に対して創価学会・池田大作がどういう見解を持っているのは堂々と表明すべきである。

池田大作創価学会は、チベット族がチベット仏教を信仰しているから、弾圧された当然と思っているのか。創価学会は支那の宗教弾圧・民族抑圧を肯定するのか。今回、創価学会の他宗教に対する排他的体質そして「媚中体質」がますます明らかになった。

あり得ないことだが、創価学会・公明党が政権を握ったら、共産支那と同じような宗教弾圧を行う危険がある。さしずめ日蓮正宗の坊さんたちは一人残らず投獄されるだろう。

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2008年3月19日 (水)

千駄木庵日乗三月十八日

午前は父に付き添って病院へ赴く。定期的な診察及び治療です。

昼は、知人と懇談。

午後は、別の知人と春たけなわのような陽気の谷中墓地を散策。三間正弘(越後長岡藩士・維新後は憲兵本部長・石川県知事)、立浪彌右衛門(立浪部屋親方として双葉山・羽黒山・名寄岩を育てる)、福地源一郎(桜痴・明治期の新聞人・小説家・劇作家・政治家衆議院議員・歌舞伎座座主)、有馬道純(越前丸岡藩主・老中)・長谷川一夫(俳優)などのお墓を巡る。

長谷川一夫のお墓の前では、二人の老人が、花を供えお線香を焚き、「むらさき小唄」を正座して歌っていた。なんとも不思議な光景であった。「むらさき小唄」は佐藤惣之助作詞・安部武雄作曲で、東海林太郎が歌って大ヒットした。


「流す涙が お芝居ならば なんの苦労も あるまいに
濡れて燕の 鳴く声は あわれ浮名の 女形

嘘か真か 偽むらさきか 男心を 誰が知る 知るも知らぬも 人の世の 命さびしや 薄牡丹」

という歌詞である。

この曲は、昭和十年公開の長谷川一夫主演の松竹映画『雪之丞変化』の主題歌。私も大好きでよく歌う。今の歌謡曲にはこういう素晴らしい歌詞は全くない。

「平野富二君碑」(榎本武揚篆額・福地源一郎撰)、「初代花柳寿輔之碑」(吉田茂書)、「羽峯南摩先生碑銘」(徳川頼倫篆額・三島毅撰・日下部東作書)、「佐藤尚中之碑」(熾仁親王篆額・川田剛撰・日下部東作書)、「狩野芳崖翁碑」(濵尾新篆額・三島毅撰)などを仰ぐ。

三島毅は、小生の母校・二松学舎の創立者。重野安鐸・南摩羽峯と並んで明治三大漢学者と呼ばれた。宮中顧問官・東宮侍講・大審院判事を歴任。

日下部東作(号・鳴鶴)は、近代日本の書家の最高峰といわれる。青山墓地にある「大久保公神道碑」は、楷書のお手本とされている。私は、鳴鶴先生のお弟子の石橋犀水先生に書道を学んだ。

ともかく谷中墓地を散策すると色々勉強になるし、新たなる発見もある。

午後六時より、新宿の京王プラザホテルにて開催された「冒険家の集い」に出席。

帰宅後は、資料整理など。

          ○

馬英九が「ペキン五輪をボイコットするかもしれない」などと言ったが、選挙向けのリップサービス。支那の首相が、「ダライラマの策謀」と言った。これも嘘。毒入り餃子事件の時もそうだったが、支那人はどうしてこんなに平気で嘘がつけるのであろうか。ところで、その餃子事件はどうなったのか。支那はこのまま頬被り、日本もこのまま黙っているのか。

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2008年3月18日 (火)

千駄木庵日乗三月十七日

午前は、父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、諸雑務及び父の用で診療所及び薬局などに赴く。

午後六時より、内幸町の日本記者クラブにて、「国家基本問題研究所設立記念パーティー」開催。櫻井よしこ理事長が挨拶。奥谷禮子・小島功・横田早紀絵・井沢元彦・葛西敬之・許世楷・西村眞悟・衛藤晟一・城内実の各氏などが祝辞を述べ、田久保忠衛氏が謝辞を述べた。各氏の祝辞や挨拶では貴重な意見が述べられましたが、立食パーティーなのでメモがとれず残念でした。多くの同志・友人・知人と会い、歓談しました。またこのパーティーにはいつものメンバー以外の人々も多数参加していました。喜ばしいことです。国家基本問題研究所は、櫻井・田久保両氏を中心に、「現在のわが国の閉塞状況からの脱却を目指して」(パーティー案内文より)設立されたシンクタンクです。

帰途、知人と懇談。

帰宅後は、資料の整理。

          ○

軍隊・戦車・装甲車まで出動させているのに、共産支那政府当局者は「人を傷つける武器は使用していない」などと大嘘をついている。全く支那人というのは嘘をつくことに何の恥じらいも感じないのである。「鉄面皮」「盗人猛々しい」という言葉は支那共産政府の爲にあると考える。

昨日も述べたが、これは暴動というよりもチベット人の正義の抵抗である。チベット人の義擧により、北京五輪の開催に反対する国際世論が巻き起こることを期待するとともに、台湾総統選において謝長廷氏が有利になることを期待する。

支那の言う西戎=チベットが「中華帝国主義」に侵略され殺戮されている。次は、東夷=日本が「中華帝国主義」の餌食にならないという保証はない。

にもかかわらず、日本の政界は相変わらず、「国家基本問題」ではなく、「国家枝葉末節問題」で、醜い争いを続けている。小沢民主党は政権を取ることだけを目的としている。そして、国家存亡の危機であるにもかかわらず、「国家基本問題」をそっちのけにして、政治を不安定にしている。憂えるべき事態である。

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2008年3月17日 (月)

千駄木庵日乗三月十六日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は資料の整理など。

午後六時より、春日の文京区民センターにて、「台湾研究フォーラム」開催。永山英樹会長が挨拶した後、張茂森「自由時報」東京支局長が講演し、「今日行われた『三・一六デモ』の状況は物凄い勢いになっている。一発逆転になると考えている人もいる。

馬英九と謝長廷のどちらが当選するかで、台日・台中関係が少しづつ変って来る。馬英九が当選した場合、靖国神社と尖閣の問題が浮上する。馬英九は最初のうちは本当の事を言わない。しかし言う事はみんな嘘。二期目に当選したあと本音を出す。馬英九は靖国神社に関して日本に抗議に来た台湾議員に三千ドル出した。馬英九は学生時代に尖閣に関する論文を書き、日本と一戦も辞さないと言った。これが馬英九の本音。

これ以上国民党が勝ち続けると独裁政治に回帰する。李登輝は『諸君』誌で「謝長廷が大敗したら台湾民主政治は二十年前に戻る」と書いた。

国民党立法委員が財政部長を連行して謝長廷選挙事務所に突入し『政府系ビルを不正使用している』として書類を持ち去ろうとした。立法委員には捜査権は無い。不当行為であり、チベットの武力弾圧と本質は同じ。共産党と国民党は同体質。鉄砲があれば何をしてもいいという考え。民主政治への挑戦。

台湾メディアの八割を国民党がコントロール。しかし陳水扁は二回の総統選挙の事前アンケート調査で一位になったことはなかったが当選した。馬英九は楽勝だったのに、事務所乱入事件で逆転の可能性が出て来た。今日のデモの結果と、李登輝の出方が焦点。チベット事件も選挙に影響する。」と語った。

帰途、知人と懇談。

帰宅後資料の整理。

          ○

「チベットの暴動」と報道されているが、これはチベット人の正義の抵抗である。支那共産政府と軍は、支那共産政府成立以来、チベット人を差別し虐待し虐殺して来た。

以前、テレビで流していた記録映像で、支那軍兵士が、チベット仏教の僧侶を笑いながら足蹴にしている光景が映し出されていた。「中華思想」に汚染された支那人にとってチベット人は西戎(西の野蛮人)なのである。いくら弾圧しても殺してもなんとも思わないのだ。だから、笑いながら虐待するのである。「中華思想」に冒された支那人とはそういうことをするのだ。

内戦・二・二八事件、チベット侵略、文化大革命、二度にわたる天安門事件などにおいて、一体どれだけの民衆が殺されたであろうか。そういう国がすぐ隣に核兵器を持ってわが國に対峙しているのである。この恐るべき現実をわが国は正しく認識し対処しなければならない。

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2008年3月16日 (日)

千駄木庵日乗三月十五日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、「政治文化情報」三月号の発送完了。購読者の皆様には月曜日にお届けできると思います。

夕刻は知人と懇談。小学校・中学校の先輩です。

その後、資料整理など深夜まで。

        ○

人様からよく「タフですね」と言われます。自分ではあまりそうは思いません。普通に生活しているだけです。ただ、昭和五十一年以来、ということは私が二松學舎の図書館を退職して以来、健康保険書は歯医者と指を少し怪我した時以来使っていません。健康であることは確かです。ただし、六十を過ぎた今後はどうか分かりません。何しろ太り過ぎですから…。

私はあまり無理をしないというのが何事においても、人生の鉄則にしております。また出来る限り規則正しい生活をしようとしております。(ただし、景気の良い頃は朝まで飲むこともたまにありました)負け惜しみみたいですが、五十歳半ばを過ぎて経済的余裕がなくなり、質素な生活をするようになったのがかえって健康には良いのかもしれません。

朝起きたらすぐに太陽を礼拝し、深呼吸をします。生長の家で教えられた神想観という瞑想を毎朝毎晩行います。また、就寝前は観音像の前で般若心経を読誦します。

           ○

昨日は、勉強会で議論が沸騰しました。北朝鮮と共産支那に深入りすることは日本にとって利益にはならないということを私は主張しました。実際、近代日本は、半島と大陸に深入りしすぎて、結局亡国への道を歩んだのだと思います。もちろん、四海同胞・八紘爲宇・アジアナショナリズム・アジア解放の理想は正しかったのですが、その方法論の問題です。

今日の日本も支那大陸に政治的経済的に深入りしています。そして日本の立場はどんどん悪くなっています。日本はまず自らの主体性を正しく確立しなければならないと思います。日本傳統精神を興起せしめ道義国家日本の真姿を回復し、アジアの平和のために貢献すべきであります。

北朝鮮が核武装したら、アメリカが北に媚を売るような事態になっています。わが国が中華帝国主義・アメリカ覇権主義と対峙するには、軍事面では、やはり核武装が必要なのではないでしょうか。

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2008年3月15日 (土)

千駄木庵日乗三月十四日

午前は父母のお世話。

午後一時より、赤坂の日本財団ビルで「東京財団政策懇談会」開催。宮城大蔵政策研究大学院大学助教授が「戦後アジアの変容と日本」と題して講演し、「戦後アジアの中の日本のイメージがわきにくい。戦後アジアは米中ソの冷戦が軸であった。日本はアジアへの経済進出のみをもってアジアとつながった。

しかしそうでないもう一つの見取り図がある。ベトナム陥落はアジア冷戦のクライマックスだった。南ベトナムが共産化すると、ドミノ現象でアジア全体が共産化すると言われたがそうはならなかった。共産主義イデオロギーが正統性を失う時代の始まりであった。ベトナム戦争は独立戦争と冷戦が結び付いたので長期化した。独立を獲得すると政治的求心力を失う。

五〇年から六〇年代の政治的エネルギーのマグマが冷戦という枠組みを突き破ったのがアジアの特徴。冷戦後は政治と経済の位相が逆転した。政治でくくられるアジアが経済でくくられるアジアに転換した。その中で日本は欠くべからざる存在となった。

戦後日本がアジアに出て行こうとした時、最初に注目されたのはインドとパキスタン。日本の南進は、東南アジア特にインドネシアに特徴的なのは、脱植民地の潮流の後に日本が入って行ったこと。

戦後日本が『南進』にこめて求めたものは、開発志向によってつながれたアジア。スカルノの脱植民地化を日本は肯定。日本の南進による開発・経済成長によってアジアが求めた革命を求める冷戦を非政治化した。一九八〇年代は日本を中心に経済志向でアジアがつながった時代であった。

政治のアジアと経済のアジアのズレが二十一世紀のアジアの行方を左右。日本のやるべきことは、①日米安保の堅持(経済対立が軍事対立につながらないため)。②政治のズレを潜在的なものにするための経済連携の深化。③民主化の支援・推進。」と語った。

帰宅後は、「政治文化情報」の発送準備。

午後六時半より、新宿にて、「金玉均墓前祭先行勉強会」開催。主な発言は次の通り。

広瀬義道氏「金玉均の足跡を風化させてはならない。」

山口申氏「日清戦争の頃の状況と今日の状況は似ている。先達の行動に学ぶべし。」

山浦嘉久氏「北の核武装は自主独立のためにやった。支那が核を持った結果、米は支那を認めざるを得なかった。北の核実験も同じ論理。北は共産国家ではなく金王朝。北が核を持つことによって日本が核を持つことを米は恐れている。日本の戦後は『無魂米才』。日本がきちんと立ち上がれば朝鮮・台湾も喜ぶ。」

坪内隆彦氏「金玉均は明治維新を手本にして真の朝鮮独立の構想を抱いた。金玉均を支援したのは、頭山満・福沢諭吉・樽井藤吉など。日本・清・朝鮮の三国が平等な関係で協力する『三和主義』を唱えた。樽井藤吉の『大東合邦論』に共鳴したのが李容九。樽井藤吉は天誅組の影響を受けている。」

木村三浩氏「北朝鮮の日本人墓地に慰霊が出来ないのか。道義の立場から遺骨を日本に戻すのが責務。北のミサイルは独立維持のため。」

終了後、懇親会。

帰宅後は、発送準備。

        ○

今日は二つの重要な勉強会に出席してアジア問題について色々学びました。(もう一つ勉強会がありましたが時刻が重なったため出席できませんでした)色々感想がありますが、もう夜が遅く、明日は朝早くから、「政治文化情報」の発送と父母のお世話がありますので、書くことができません。ただ一つ言えることは、日本は自らの精神的・軍事的・政治的・経済的力を強めねば、とても今の危機的状況に対処できないということです。その意味でも、歴史に学ぶことが重要であります。

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2008年3月14日 (金)

千駄木庵日乗三月十三日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は「政治文化情報」の発送準備。

夕刻、知人と懇談。

帰宅後も発送の準備。

         ○

戦争直後の共産主義運動が活発だった頃は、「人民」という言葉がよく使われたようである。私の小さい頃、志賀義雄が記者会見で「日本人民」という言葉を使っていたのを聞いたことがある。大きな違和感を感じた。

最近は、「市民」「市民運動」という言葉がよく使われる。私はこれにも大きな違和感を抱いている。私は「東京都文京区民」であるから「市民」ではないと思っている。しかし、「市民運動」の「市民」は「その市に住んでいる人。また、都市の住人」という意味ではなく、「citizen」の訳語で、「国政に参与する権利をもつ人。公民。中世ヨーロッパ都市の自治に参与する特権をもつ住民に由来する。」ということだそうである。

となると私は益々「市民」という言葉は使いたくない。日本国は日本国であって、ヨーロッパとは歴史も文化も異なるのであるから、ヨーロッパで生まれ言葉の訳語を使う必要はない。「国民」「国民運動」という言葉を使えばいいと思う。萬葉集以来の「み民われ」すなわち「天皇の民」の自覚こそ大切にしなければならない。「市民」とか「市民運動」という言葉には日本国の伝統とか歴史を無視しあるいは軽視するような言葉の響きがある。

それと同じく、「人権」という言葉も嫌いである。我々は日本国民なのであるから「民権」というべきである。自由民権運動というのがあったように、「国民」という言葉や「民権」という言葉を使ったからとて、「権利」を無視したり軽視したりすることにはならない。日本国の伝統や独自性や文化や自然の美しさを護り愛するという姿勢を正しく保つことが、日本国に生きる人々の幸福の基である。やはり「國」という言葉を大切にしたい。

話は変わるが、昔、民社党初代委員長の西尾末広氏が当時の社会党を批判して「何でも反対党」と言ったが、今の民主党もまさに「なんでも反対党」になっている。当時の社会党は曲がりなりにも社会主義国家の実現・社会主義革命という目標があったが、今の民主党はただ政権を自民党から奪取したいという政権欲・権力闘争しかないから余計にタチが悪いのである。

ともかく、テレビニュースに出てくる小沢と山岡の顔を見ると嫌悪感を覚えます。福田・町村の方が人相はずっと良いと思いますが、いかがでしょうか。私の偏見でしょうか。

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2008年3月13日 (木)

千駄木庵日乗三月十二日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は諸雑務。

午後三時半、東京駅にて、北海道より上京された同志と懇談。来月札幌で行われる小生の講演会について打ち合わせ。

午後六時より、麹町にて、「日本再生同志の会役員懇談会」開催。中村信一郎氏が司会。西村眞悟衆院議員がスピーチ。西村氏の政治家としての活動がますます活発に継続されるための協力・支援について真剣な討議が行われた。小田村四郎氏が締めくくりの挨拶を行い終了。

帰宅後は諸雑務。

          ○

月刊「文藝春秋」と、永井路子氏著「岩倉具視」(文藝春秋社)を購入した。

「文春」には「総力特集・天皇家に何が起きている」という座談会記事が掲載されている。全てを熟読していないが、きわめて重大なことが語られている。

御厨貴氏は「『開かれた皇室』を目指した戦後の天皇制は、今や国民総監視下の天皇制と言っていい状況にまで行きついてしまった」と述べた。その通りと思う。長い間メディアによってかまびすしく喧傳されてきた「開かれた皇室」という論議の行き着く果ては、天皇・皇室の神聖性・尊厳性の破壊であることは明白である。大原康男氏が指摘いる通り、「一體、何に対して、何を、どうのように開くのか」(『平成の天皇論』)ということの明確な説明がなされないままに、「開かれた皇室であるべきだ」という論議が横行してきた。「開かれた皇室」論は國體破壊策謀である。

保阪正康氏は「元号によって、ひとつの時代を体験が共有される感覚を私たちは持っている。それが積み重なったものが『歴史』だと思うのですが、そこが怪しくなっている」と発言している。これも共感する。


ところが原武史氏はとんでもないことを言っている。「祭祀をすべてやめるような抜本的な改革をしなくてはうまくいかないのではないかという気がします」と。祭祀こそが、上御一人の最大のおつとめでありご使命である。これを否定することは、天皇が祭祀国家日本の君主であらせられることの否定である。

また、出席者の多くが「現天皇」「今の天皇」「天皇家」という言葉を使っているが、「今上天皇」「皇室」となぜ言わないのであろうか。

岩倉具視氏について、私はあまり勉強をしていなかったので、永井路子氏著「岩倉具視」を買った。「岩倉が孝明天皇を暗殺した」などという説が横行している。永井氏はこれを様々の資料や証言を用いて否定している。私も以前から、あり得ないことだと思っていたので、大変うれしく思った。岩倉具視は、かつての五百円札の肖像画の人相が良くないので大分損をしていると思う。

サヨクは、「天皇制打倒」を叫んでも国民の支持が得られないので、「孝明天皇暗殺説」「明治天皇替え玉説」(こういう言葉を書くこと自体まことに畏れ多い)などの搦め手を使って國體破壊を図っているのだと考える。

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2008年3月12日 (水)

千駄木庵日乗三月十一日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は資料の整理など。

午後六時より、「九段下沙龍」開催。同志諸氏と当面する諸問題について討論。

帰宅後は諸雑務。

           ○

三月五日午前八時十五分ころ、国会議事堂南門前の路上で、愛国運動活動家・向井正志氏が拳銃で自決された。向井氏は

福田総理大臣あてと報道関係宛ての手書きの文書を持っていたという。向井氏は命を懸けて何を訴えられたのであろうか。その内容は一切明らかにされていない。福田総理はその文書を読んだのであろうか。それすら分からない。警察が発表しないからである。

一人の人間が命を懸けた行動が、抹殺されようとしているのである。このままにしておいてはいけない、亡くなった方の魂が浮かばれない、という思いがする。

五月の連休明けには、胡錦濤が日本にやって来る。また、もうすぐ韓国大統領も来る。そうした時期に、愛国運動・民族運動が盛り上がることを恐れた警察当局が、向井氏の命を懸けての行動を封じ込めているのだ。まことに口惜しい限りである。

加藤紘一宅焼き打ち事件の時、支援集会が開かれ、全国から多数の同志が参集した。その集会が終わって一週間もたたないうちに、警察当局は「その集会で集まった支援金に使途不明金が出た」などというデマを飛ばした。使途不明金とは、使った後に使い道が分からなかった金のことである。使わないうちに使途不明金など出るはずがないのである。ことほど左様に警察は、愛国運動家が何か直接行動をすると、その矮小化に狂奔する。実行者を英雄にしないためと、愛国運動の昂揚を防ぐためである。これも後藤田正晴以来のことであることは、浅間山荘事件の映画を見れば明らかだ。

警察が治安を守ろうとするのは理解する。しかし、あまりにも汚い手段を取ることは許し難い。一人の人間が命を懸けた行動を抹殺し矮小化するために、汚い手段を使うことは天人共に許さざることである。警察当局は、一日も早く、向井氏の書いた文書を天下に公表すべきである

私は自分を幕末の勤皇の志士に比べるほど厚顔ではない。しかし、考えてみれば、幕末の勤皇の志士が新選組や京都守護職の会津藩士と酒を飲んだりお茶を飲んだりしただろうか。警察は敵とは言わないが、味方ではないことは確かである。

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2008年3月11日 (火)

千駄木庵日乗三月十日

午前は父のお世話。

午後は父の容態に変化があり、病院に付き添って行く。治療を受け小康をとり戻して帰宅。午後にこういうことが起こるのは初めてで心配です。

帰宅後は、資料の整理。

     ○    

東京大空襲は、無差別に無辜の人々を大量に殺戮した大虐殺であります。亡くなった十数万の方々のご冥福を心より祈らせていただきます。

わが國は、支那と違って、東京大空襲・原爆投下などのアメリカによる無辜の民の大量虐殺を對米外交に利用して、謝罪を求めたりしません。これが日本人の美徳として誇りに思うべきか否か、最近の情勢を思うと考えてしまいます。アメリカ議会が『従軍慰安婦』問題で日本に対する非難を決議したり、北朝鮮の拉致問題の解決を無視する姿勢を示すと、益々そういう思いがつのります。

最も許せないのは、日本国内に、日共・社民・朝日新聞など

、過去の歴史問題について自国を責め立てることばかりして、過去および現在の支那やアメリカや朝鮮などによるわが国に対する残虐行為・侵略行為・不法行為には目をつぶっている勢力がいることです。何故、自分の国のみを「悪人」に仕立て上げなければならないのでしょうか。自分の国の過去の「悪事」とやらを暴き立て、虚構を真実として教科書に載せろなどというのは全く許されざることであります。

こういう連中は、体に日本人の血は流れているかもしれないが、精神的には日本人ではなくなっていると思います。少なくとも私は、こういう連中を同胞・同じ国の国民とは思えません。

アメリカの下院で「慰安婦決議」」を採択させたマイク・ホンダという男は日系三世で日本人の血が流れています。しかし、国籍はアメリカです。そして反日運動家です。ところが、今年一月八日、江田五月参院議長が、来日したホンダと会見し和気藹藹と懇談したのです。江田氏も日本人の血は流れているかもしれないが、精神的・思想的には日本人にあらずということなのでしょうか。江田氏は、民主党から過去七回も提出された「慰安婦問題解決促進法案」の発議者六人のうちの一人になっています。大体、かつて自民党本部に乱入し狼藉を働いた過激派学生が司法試験に受かって判事になり、その上国会議員となり、三権の長になっているということ自体全くおかしなことであると思います。

マイク・ホンダに言いたいのは、従軍慰安婦を云々する前に自分の祖父祖母の母国である日本に無差別爆撃を行い何十万の無辜の日本人を殺戮したアメリカに対して謝罪を求めろということであります。

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2008年3月10日 (月)

千駄木庵日乗三月九日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは、資料の整理。

夕刻、知人と懇談。

           ○

今日は、正午より午後十一時までNHKハイビジョンで、「立川談志きょうはまるごと一0時間」という番組を放送していました。資料の整理をしながら、その一部を見ました。談志氏は、私宅の近くの根津に住んでいますので、時々お会いします。つい先日も、千代田線の電車の中でお会いして、しばらくお話ししました。最近は、談志氏の落語をしみじみ聞けなくなりましたが、今日は久し振りで聞くことができました。

私は談志氏のファンの一人であります。管理社会の枠にはまらず、行動し発言するところが好きですし、考え方も、共感するところが多いのです。個性の強い人ですから嫌う人もいるようですが、私は好感を持っています。左翼と学会は嫌いなようです。野村秋介氏の会合でも会ったとことがあります。面白かったのは、パーティーの席上で、壇上から私に「加瀬先生。加瀬先生でしょ」と呼びかけたことです。その時はすでに近所の居酒屋などで何回か談志氏と会っていたので、加瀬英明氏と私を間違えるはずがないのです。

談志氏の夫人が日本医大病院に入院しておられたので根津に住むようになったということです。また先代の立川談志も私宅の近くに住んでいました。私は落語や漫才・講談が好きで、高校・大学時代はよく上野の鈴本や本牧亭に行きました。その頃大御所と言われた落語家や講釈師には鬼籍に入った人が多くいます。

近くの居酒屋に談志氏が墨字で「鶴は千年、亀は万年、立川談志はあと二年」という言葉を書いた板が置かれていますが、これを書いてからもう十年くらいたちますが、まだまだお元気なようです。一層のご活躍を祈ります。

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2008年3月 9日 (日)

千駄木庵日乗三月八日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後二時より、渋谷道玄坂のフォーラムエイトにて、「日台関係研究會」開催。浅野和生平成国際大学教授が司会。「南京大屠殺記念館」を視察したビデオを放映。

続いて北村稔立命館大学教授が「『南京事件』の虚像と実像」と題して講演し、「ビデオを見て、『中国人はようやるなあ』と思う。南京大虐殺が嘘であるという声が日本国内であまりあがらない。政治家が行って花を捧げたりするからである。『南京大虐殺』は明らかに虚構であり、『大虐殺』を否定する資料が中国側にある。『大虐殺』が行われている真っ最中といわれる一九三八年一月十四日に、日本軍は安全区にいた市民に米を配給している。安全区以外に地域でも配給した。三十万人の市民を殺したことなどあり得ない。

占領の際に混乱があったことは事実。しかしナチのホロコーストは全く異なる。即ち計画的な市民虐殺などあり得ない。このことはいくらでも証明できる。

南京問題は事実の問題ではなく、歴史観の問題になっている。中国人にとって歴史は自己を正当化する手段。自分たちの都合の悪いことは隠す。敵にダメージを与えるためなら嘘を本当という。文革の時も冤罪ばかり。政治的に叩くためならある事ない事言い立てる。嘘をついても敵を攻撃することは正しいという考え。中国人は虚言を弄する。『愛国虚言』は正しいとされる。

そこでまずいのは、日本人が謝罪好きであるということ。外国人に対しては謝ったら駄目。突っ張ることが大事。弱みを見せたら絶対駄目。『こんなに謝っているのに許さないのはおかしい』というのは島国で平和だった日本人の感覚。河野洋平のような責任ある立場の人が謝るからおかしくなる。『三十万も虐殺したなんてどうして証明できるんだ』と言うべきなのに謝ってしまう。花輪を捧げる。

中国人は宣伝と政治力に長けている。こういう国に対しては自己主張すべし。真理の検証の立場から南京事件を考えるべし。日本軍による農村における徴発は、日本兵だけでなく都市部の住民に食糧を供給するためだった。」と語った。

この後、懇親会が行われ、中村勝範平成国際大学名誉学長が挨拶し、「日中友好を言いながらあんな記念館をつくるのは日本に對する宣戦布告と同じ。黙っていたら『大虐殺』を事実と認めることになる。戦争には混乱と虐殺は当たり前」と語った。

帰途、知人と懇談。

帰宅後は、たまった資料の整理。

            ○

確かに、中村勝範氏が言うとおり、「戦争とは混乱であり虐殺」である。混乱や虐殺のない戦争などあり得ない。極論すれば戦争とは混乱であり虐殺なのだ。また、日本は、ナチの行ったような計画的な一般市民の大量虐殺はしていない。広島・長崎への原爆投下、東京など各都市への無差別爆撃こそ、計画的な大量虐殺である。敵国の首都攻略の際の戦争行為は決して計画的な大量虐殺ではない。

支那は、自分にとっての都合の悪いことは隠し、虚構によって日本を責め立てている。しかるに、日本の反日メディア・歴史学者は日本の粗探しばかりやる。そればかりではなく、媚中政治家はわざわざ南京や盧溝橋に行って花輪を捧げたり謝罪をする。全く狂っているとしか言いようがない。まさに利敵行為であり、売国の所業である。アメリカ大統領や駐日大使が、広島・長崎そして東京で、大虐殺の犠牲者に花輪をささげたことはない。「勝てば官軍、負ければ賊軍」という言葉を想起する。

支那がいかにウソつきの国であり、自分の都合の悪いことは開き直ってまで白を切る国であるかは、毒入り餃子問題で明らかではないか。支那に対してはもっともっと強硬な姿勢を示すべきである。そうしないと日本は「中華帝国主義」の餌食になり、支那の属国になってしまう。

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2008年3月 8日 (土)

千駄木庵日乗三月七日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅して「政治文化情報」の原稿執筆。夜遅く完成、送付。

           ○

我が国が今日直面している様々な危機的状況の根源にあるのは、やはり、戦争に敗れた後の戦勝国の日本弱体化策謀である。憲法・防衛・外交・教育は言うまでもないが、皇室に関わることも、戦争直後の占領政策が実を結び、花開いた結果である。

占領政策により、「皇室典範」が「占領憲法」の下位法となっていること、そして宮内省が宮内庁に格下げになっていること、さらに、内大臣・宮中顧問官などの藩屏がことごとく廃止されたことなどが、天皇・皇室の政治利用や、天皇・皇室に対する圧迫・誹謗、ひいては日本國體の隠蔽というよりも破壊が進行する原因となっている。実に由々しいことである。

戦後体制というものを一日も早く解体しなければならない。国家の基本を正すことなくして、亡国の危機を打開することはできない。真正保守の立場の政治家、そして在野の士が一丸となって、立ち上がり行動すべき時が来ている。

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2008年3月 7日 (金)

千駄木庵日乗二月六日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは、諸雑務。知人来宅。そして「政治文化情報」の原稿執筆。

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言語の乱れが國家の混迷を招来する。現下のわが國の今日の日本の様相は文字通りそれである。何でも英語で言えば良いと思っている人が多い。「ボーダーレス」とか「グローバリゼーション」という言葉が乱れ飛んでいる。「ボーダーレス」とは境界線喪失ということであり、「グローバリゼーション」とは世界化・國際化ということだそうである。日本語の方がよっぽど分かりやすいのに、何故にわざわざ英語で言うのか。

 今日の日本は、日本と外國・保守と革新・男と女などの境界線が喪失しつつある時代だという。そして境界線喪失現象が社會の進歩だと思っている人もかなりいる。

 「人権」「差別」という言葉も多く使われている。「人権侵害だ。差別だ」と言われると、もう返す言葉がなくなってしまうのが今の風潮である。「差別」を辞書で引くと、「①差をつけて扱うこと。わけへだて。「~待遇」②区別すること。けじめ。」とある。たしかに、不当な差別はあってはならないし解消されなければならない。しかし、全く平等な世の中というのはあり得ない。

 それどころか、「区別すること。けじめ」という意味の「差別」や、男女・國家民族・地域の「境界線」があってこそ、文化が生まれ、平和が維持され、道義が守られるのだ。みんなが平等であるべきだということになると、天才も秀才も否定され文化・文明は生まれないし発達もしなくなる。芸術の創造と継承そして伝統護持もできなくなる。

「あの人の作品はこの人の作品よりも良い」という「差別」があってこそ文芸・美術・音楽などの芸術や文化が存在するのである。「差別」から文化が生まれるのである。また、國家・民族の境界があるから各國家・民族の伝統文化が守られ継承されるのである。

 親と子のけじめ・差別がなくなりつつあるから家庭崩壊が起こり、教師と生徒のけじめ・差別がなくなりつつあるから學級崩壊・教育荒廃が起こっているのである。

 さらに言えば、「人間は全て平等だ」とか言って、皇室の御存在を否定する輩が増えているが、皇室への國民の尊崇心の希薄化は國家崩壊の予兆である。天皇及び皇室という高貴なる御存在こそ、わが國の存立の基礎である。

 「境界線の喪失」は決して時代の進歩ではなく、國家の崩壊・文化の退化・道義の頽廃の同義語である。

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2008年3月 6日 (木)

千駄木庵日乗三月五日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後二時より、衆議院第二議員会館にて、「時局戦略懇話会幹事会」開催。四月に行われる「『中国』の実態を告発する国民集会」について討議。共産支那の恐るべき実態を糾弾し、北京五輪ボイコットを訴える集会です。

午後三時より、総会開催。小田村四郎氏が挨拶。同じ集会について討議。

帰途、同志と懇談。

帰宅後は、「政治文化情報」の原稿執筆。

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先日、宗像隆幸氏より、同氏著の「台湾建国」(まどか出版発行)という本をいただきました。宗像氏は青年時代より約四十年にわたって台湾独立運動に挺身してきた方です。宗像氏は、日本人でありながら、まだまだ台湾独立など夢物語の頃から台湾独立運動に挺身してきたのです。彭明敏博士の台湾脱出を命懸けで支援したり、長年にわたり台湾独立運動日本本部機関誌『台湾青年』の編集に従事されてきました。台湾完全独立が達成されたら、台湾から「國民栄誉賞」のようなものを授与されるべき日本人であると思います。本当は民進党政権下でも、そういう表彰が行われるべきなのです。

八年ほど前、その貴重な体験と台独運動の歴史について書かれた「台湾独立運動私記」という本を上梓されましたが、今回の本はその続編ともいうべき本です。国民党政権の独裁政治の実態・その終焉、その後の民主化、民進党政権の実態、現在の台湾の危機的状況について書かれてあります。まことに興味深い本であります。

李登輝氏が推薦の辞を寄せていて、その中で「台湾人の中にはあの苦難の時代(注・国民党政権の恐怖政治時代のこと)を忘れてしまった人たちが少なからずおり、あの恐怖時代を知らない若者も少なくありません。中国の脅威は高まる一方であり、それに呼応する勢力も存在します。台湾は存亡の危機に立たされているのです」と書いています。

李登輝氏の本心はここにあります。台湾の危機は即ち日本の危機であります。そのことは宗像氏も強調されているところであります。

台湾の完全独立が一日も早く達成されることを祈ります。日本と台湾は固く結んで、中華帝国主義と戦わねばなりません。

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2008年3月 5日 (水)

千駄木庵日乗三月四日

午前は、父に付き添って病院に赴く。今日は定期的な診察です。

午後は、「政治文化情報」の原稿執筆など。

午後六時より、新宿の京王プラザホテルにて、「冒険家の集い」開催。高花豊氏が主宰するところの様々に仕事に携わっている方々が集まり懇親する集いです。しかし高花氏は愛国者でありますから、国を思い、国の将来を憂える人々ばかりです。

エリアフ・コーヘン元駐日イスラエル大使も参加しておられました。空手の有段者で、以前日本財団で行われた講演を聞いたことがあります。

日本とイスラエルは友好関係にあると言っていいと思います。ただし、ユダヤ教については、あまりよく知られていないと思います。新訳聖書を読んだ人は多くいますが、旧約聖書はあまり読まれていません。私も「創世記」「詩篇」は学生時代に読みましたが、「旧約」の全編を読んだのは近年になってからです。

「日猶同祖論」とか、伊勢神宮の灯篭はユダヤの紋章がついているとか、ユダヤ人が世界を征服し支配しようとしている、というようなことはよくいわれます。しかしユダヤ教やイスラエルの歴史は正しく理解されているとは言えません。

また、今日の会合には、都山流尺八の川村泰山氏父子が参加しておられ、息子さんの葵山氏が尺八を演奏しました。尺八の演奏を身近で聞くのは本当に久しぶりでした。清らかな調べで、楽器の演奏を聴くというよりも、神秘的な響きを聴くという感じがしました。

尺八は禅宗一派であった普化宗の虚無僧がよく演奏したものですから、もともと宗教的なものなのだと思います。「尺八」の名は、作られているものの長さの多くが一尺八寸であることに由来するということを今日初めて知りました。

今日聞いた尺八の調べは、昭和四十年代に聞いた五井正久という宗教家が、「統一」という瞑想をする時に吹いた口笛の響きと似ていました。精神を安定させるものがあるように思いました。

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2008年3月 4日 (火)

千駄木庵日乗三月三日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、諸雑務。夜は、原稿執筆。

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当たり前のことですが、原稿を書いていると、もっともっと本を読まなければと痛感します。重要なテーマの原稿を書く場合、いい加減なことは書けません。であるだけ、色々調べなければなりません。私宅には色々本はあるのですが、熟読しカードをとった本はそう多くはありません。半分にも達していません。

最近は、基本的な文献と言いますか、原典を読むように心がけています。しかし、最近の色々な事象に関する新しい見解や事実を知るためには、原典ばかりを読んでもいられません。

記紀萬葉や明治維新に関する文献は比較的読んだと思うのですが、この二つのことに関する書籍だけでも、図書館や書店に膨大な数に並んでいます。

支那の荘子という人は「わが生や果てあり、知や果てなし」(わたしの命には限りがあるが、学ぶべき知識には限りがない、という意)と言ったそうです。まさにその通りと思います。あと何十年生きるか、分かりませんが、わたしが現在持っている本全てを読むことができるかどうか、それが問題であります。

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2008年3月 3日 (月)

千駄木庵日乗三月二日

午前、父の容態に変化があり、病院に付き添っていく。最近、このようなことが頻繁に起こり困っています。

病院から帰宅した後は、諸雑務、原稿執筆の準備。

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いま日本の近くには、共産支那と北朝鮮という、わが国に敵対する反日国家・侵略国家・一党独裁国家・軍国主義国家・テロ国家が存在する。この二つの国に対してわが國はいかに対処すべきか、そのことが国家存立の重要課題なのである。わが国は国家民族の独立と平和を守りぬくために打って一丸とならねばならない。

しかるに、わが国の政治は適正な対処をすることが出来ない。メディアも、このことの重要性を国民に正しく知らしめようとはしていない。わが国の政治家は、「親中」というよりも「媚中」姿勢をとり続け、毒入り餃子事件や資源盗み取り問題や拉致問題や核問題などで毅然たる姿勢を示すことが出来ない。そしてメディアは国防の任に当たる防衛庁・自衛隊を目の敵のように責め立てるばかりである。

自民・民主両党が、国内政策で政策論争を行い、お互いに批判し合うのは結構である。しかし、国家存立の基本たる国防・外交で、足の引っ張り合いをするのは、国家を危殆に瀕せしめる。ともかく、共産支那・北朝鮮の横暴を懲らしめ、わが國に対する攻撃から何としても祖国を守らねばないのである。

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2008年3月 2日 (日)

千駄木庵日乗三月一日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、「没後50年 横山大観―新たなる伝説」を参観すべく、六本木の国立新美術館に赴きましたが、切符売り場で女性係員が、会場に入るのに何と二十分かかると叫んでいました。切符を買わずに入口の所に行ってみましたら、長蛇の列ができていました。二十分も待って会場に入ったとしても、これだけ大勢の人が来ていては、作品を観ることはできず、入館者の後ろ姿を見るだけになる可能性が高いと思い、入場をあきらめました。

そこで、千代田線に乗って、日比谷まで行き、丸の内の出光美術館で開催中の「西行の仮名」展を参観しました。伝称筆者を西行とする古筆(歌集などの写本やその断簡)などの展覧会です。

“西行の仮名”として伝世している美しくも優雅な仮名文字の書が多く展示されていました。「傳西行書」というものにも、中には本当に西行が書いたと思われる書もあるとのことです。このほか、国宝の「古筆手鑑」、俵屋宗達の代表作として知られる「西行物語絵巻」(重要文化財)などを鑑賞しました。

平安時代の王朝人の和歌と書の創作活動がいかに活発であり、優れたものであったかを実感しました。藤原俊成の書がとても美しいと思いました。

私は、西行のことは全くと言っていいほど不勉強です。それでも、西行の次の三首は暗記しております。素晴らしい歌です。

「ねかはくは 花のしたにて 春しなん そのきさらきの もちつきのころ」

「年たけてまた越ゆべしと思ひきや 命なりけり小夜の中山」

「なにごとの おはしますをば 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」

今、「日経」に西行のことをテーマにした小説が連載中です。また、今日は「西行物語絵巻」を見る事が出来たのでもっと勉強したいと思います。私が大学時代「新古今集」の講義を受けた窪田章一郎先生(窪田空穂のご子息)は、西行の研究の一人者でした。

帰途、小中学校時代の一年後輩の人と懇談。この人は、仏師(仏像をつくる工匠)として活躍している人です。彼は永く外国にいたので、卒業以来会ったことはありませんでした。懐かしくもあり難い出会いでした。

帰宅後は、テレビで放送した映画を見ながら、資料の整理、検索。「それでもボクはやっていない」という冤罪事件をテーマにした映画です。志布志事件のことを思いながら見ていました。

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2008年3月 1日 (土)

千駄木庵日乗二月二十九日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は父に付き添って診療所へ。

帰宅後は、資料整理、検索。

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支那製冷凍ギョーザによる中毒事件で、捜査を担当する共産支那政府公安省刑事偵査局の余新民・副局長は二八日午前の記者会見で、「殺虫剤の投入が中国国内で発生した可能性は極めて小さい」と、支那側での混入について否定したと。

「盗人猛々しい」という言葉を思い出した。全く共産支那という国は「ふてえ野郎」である。こんな国で行われる五輪大会に日本は参加すべきではない。共産支那という国がいかに嘘つきであり、自国の立場を守るためなら、どんな理不尽なことでもする国であるかが判明した。

共産支那には、信義も何もあったものではないのだ。孔子・孟子の教えは、全く実行されていないのだ。支那という国は、仁義道徳が実行されない国だから、孔子・孟子の教えというものが必要だったのである。

こんな国との友好関係などというのはあり得ない。「親中派」と言われる政治家・宗教家・学者文化人は、この問題では一切発言しない。「恥を知れ」と言いたい。今日の創価学会機関紙「聖教新聞」では、一面に「池田名誉会長の傘寿を記念、北京大学で学術シンポジウム、中国の国家指導者が祝福」などという記事を載せている。創価学会・池田大作が共産支那と親密な関係にあるというのなら、毒入り餃子問題で支那に対して抗議し、真実を明らかにせよと迫るべきである。それが本当の「友好関係」というものである。

福田康夫総理をはじめ加藤紘一・山崎拓と言った親中派も、政治家としての責任を自覚し、共産支那に強硬に働きかけるべきである。支那にペコペコするだけなら、売国政治家と言われても仕方がない。

一事が万事である。共産支那がこれまで主張してきた「先の大戦における日本軍の残虐行為、大虐殺」なるものも嘘八百であることは明白だ。

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