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2008年2月18日 (月)

千駄木庵日乗二月十七日

午前は父母のお世話。

午後は在宅して資料の整理。

夕刻、知人と懇談。

帰宅後も資料の整理。

          ○

資料整理をしていて「選択」という雑誌の平成十七年六月号掲載の『藩屏不在』という記事を読んだ。皇室に関して重大な指摘がなされていた。

「政府に遠慮しなかった(二十五年にわたった宮内庁長官を務めた)宇佐美に閉口して、官邸がコントロールしやすいように、宇佐美の後の宮内庁長官を官僚の一ポストに過ぎなくした…入江(相政氏・半世紀にわたって先帝昭和天皇にお仕えした人)の実力に政治家も手が出せなかった。…宇佐美の後任、警察官僚の富田朝彦は次長四年、長官を十年勤めたが決断が鈍く、『小型』官僚の典型であった」と書いている。

富田氏は人間としての謹厳実直な人だったと思う。また故人をあまり批判したくない。しかし、富田氏については部下だった佐々淳行氏も「あさま山荘事件」についての自著で「不決断の警備局長」と批判していた。

この富田氏の「メモ」が大きな問題を起こしたのである。富田氏が宮内庁次長時代に、社会党議員が国会で、「天皇陛下の靖国神社行幸が違憲である」と富田氏を執拗に責め立てた。この後、先帝陛下が靖国神社に行幸されなくなったのである。富田氏が、政治家の追及に震えあがり、先帝陛下にいろいろな情報を申し上げて、先帝陛下の靖国神社行幸をお止めし、それを糊塗するために「A級戦犯云々」を日記に書いたと推測するのは邪推であろうか。

天皇陛下の側近が政治家に顎で使われるようでは、皇室を政治権力からお護りする事は出来ない。戦前は、総理経験者などの「元老」「重臣」が輔弼の臣として天皇をお助けし、宮内大臣、内大臣もいた。これらの人々は総理と同格あるいはそれ以上の人々で、政治家に顎で使われるなどということはなかった。だからこそ、皇室の藩屏の役目を果たすことができたのである。富田氏は、宮内庁長官時代、元の上司・後藤田正晴に対等にものが言えるという立場ではなかったであろう。部下同然に対応されたのではないか。

戦後は、占領軍に日本弱体化政策によって、元老、重臣、宮内大臣、内大臣、宮中顧問官などは廃止され、六千人以上の職員がいた宮内省も宮内庁に格下げとなり、職員も千人程度に減じられた。

戦後体制からの脱却は、憲法・教育・国防のみならず、皇室制度においてこそ実現されなければならない。宮内庁の省への昇格と、機能と権限の強化が望まれる。宮内大臣には、総理経験者以上の人が就任すべきである。

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