« 2008年1月 | トップページ | 2008年3月 »

2008年2月29日 (金)

千駄木庵日乗二月二十七日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。父は、少し床ずれができましたので、心配です。

午後一時半より、荻窪の教育創造研究所にて、「敷島の會」開催。参加者から提出された歌をお互いに批評し合う歌会です。参加者の方々と楽しくも真剣に歌を学びました。

終了後、出席した学生の人と懇談。この三月に早稲田大学を卒業し、就職するそうです。前途有為の青年です。

帰宅後は、資料の整理・書状執筆など。

          ○

古代から現代に至る日本人の思想精神を正確に自己にものとし、日本の傳統精神を継承するには、古代の人々の心情・まごころに直結することが大事である。それは、古代から現代に至るまでの日本人のまごころを歌ひあげた『和歌』を読むこと、そして自分自身も歌を詠むことによって可能になる。

和歌とりわけ短歌のような短い定型文學は、声調と思想、感情と意味とが一つに働くものである。また、「五七五七七」という一つの約束によって時間空間を超えて萬人の心に通ひ、親しめば親しむほど無限に深く、実作すればするほど磨きのかけられるものが和歌である。

和歌は神代以来の傳統を保持する。「記紀」「萬葉」以来の歌の道統を継承し、真の意味の古典に直入し、それを現代に生かすためには和歌を学ぶことが大事である。すなわち、和歌は復古即革新という維新の原理と一体なのである。

和歌ほど、長い歴史と傳統を有し、且つ、現代に生き、美しい感動を与え続けている文芸が和歌である。中河与一氏は「恐らく世界に冠絶する詩形ではないかと思ふ。」(『文藝不断帖』)と述べている。

| | トラックバック (0)

2008年2月28日 (木)

千駄木庵日乗二月二十七日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は明日の「敷島の会」における講義の準備など。

午後六時半より、駒込地域文化創造館にて。「萬葉古代史研究會」開催。「萬葉集」東歌を講義。

帰宅後は諸雑務。

             ○

相変わらず自衛隊バッシングが続いています。昨日も指摘したとおり、国軍としての正統なる地位が確立されていないことが最近の自衛隊・防衛庁の色々な事象の最大の問題点であると思います。

漁民の方々が謝罪に訪れた艦長に対して節度ある対応をしたことは良かったと思います。行方不明の方はお気の毒ですが、自衛隊だけに一切の責任があるという論調は承服致しかねます。私は船舶航行のルールについては全くの素人ですが、大きな軍艦が近づいて来たのが分からなかったのか、分かっていたとしたら何故避けなかったのか、というのが私の率直な疑問です。事務次官の不祥事の直後であることも、この事故における自衛隊バッシングの原因の一つでありましょう。

自衛隊に国軍としての地位が確立されていたら、海上保安庁の捜査を待つまでもなく、自己の責任において迅速な原因究明を行ったことに対してまで批判が起こることはないと思います。ともかく、何もかも自衛隊だけが悪者であり、自衛隊が何をしても悪く言われるという今の状態は異常であります。私の見解は間違っており、常識はずれでしょうか。

| | トラックバック (0)

2008年2月27日 (水)

千駄木庵日乗二月二十六日

午前、父の容態に変化があり、病院に付き添っていく。治療を受け、小康を取り戻し帰宅。時々こういうことがありますので、午前中は必ず父母の家に行って訪問看護師さんと共に父のお世話をすることにしています。齢八十九歳になろうとする父は、肉体的に衰えると、精神的にも弱くなります。出来得る限り励まして、一日でも長生きしてもらいたいと念願しております。お陰様で父は認知症の兆候はほとんどありませんので助かります。母は少し物忘れをするようになっています。しかし、昔のことは実によく覚えています。

午後は、世田谷の梅が丘に赴き、ある法律家の同志と羽根木公園の梅園を散策。今年はまだまだ寒い日が続いているせいか、梅はまだ五分咲きといったところでした。小田急沿線は、中河与一先生ご夫妻がご健在の頃は成城学園に、三潴信吾先生がご健在の頃は経堂によく行きましたが、最近は行く機会が減っておりました。

その同志の方の事務所にお邪魔して懇談。この方は、私とほとんど同年代の方です。維新運動の現状と今後について語り合いました。三島由紀夫氏が憂えていた状況がますますひどくなっているということで一致しました。三島氏は「檄文」で「われわれは戦後の日本が経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失ひ、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力慾、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を瀆してゆくのを、歯噛みをしながら見ていなければならなかった。」と訴えました。

今日の日本はまさにこうした状況が深刻になっています。そして経済的繁栄すら失われようとしています。何とかしなければなりません。何とかするために何を為さねばならないか、それが問題であるということでも意見が一致しました。また、かつて青嵐会に属し、憂国の発言をしていた政治家の堕落と変質も話題になりました。山拓がその典型です。山拓よりは小沢一郎の方がまだましなのではないかとさえ思います。

三島氏はまた「檄文」で「法理論的には、自衛隊は違憲であるのは明白であり、国の根本問題である防衛が、御都合主義の法的解釈によつてごまかされ、軍の名を用ひない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頒廃の根本原因をなして来ているのを見た。もつとも名誉を重んずべき軍が、もつとも悪質の欺瞞の下に放置されて来たのである。自衛隊は敗戦後の国家の不名誉な十字架を負ひつづけて来た。自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与えられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与えられず、その忠誠の対象も明確にされなかった。」と訴えました。このことが、防衛庁・自衛隊に不祥事が起こる根本原因であると考えます。

帰宅後は、明日の「萬葉古代史研究會」および明後日の「敷島の会」の準備。国家の危機的状況においてこそ、日本傳統精神の原点を学ぶことが大切であると信じます。「本立ちて道生ず」「復古即革新」であります。それがわが国の維新の歴史であります。

| | トラックバック (0)

2008年2月26日 (火)

千駄木庵日乗二月二十五日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、同志と共に、湯島天神社参拝。梅園を散策。

この後、谷中に向かう。全生庵に参拝。全生庵は山岡鉄舟居士が、

徳川幕末・明治維新の際、国事に殉じた人々の菩提を弔うために明治十六年に建立したお寺。「山岡鐡舟居士之賛」(海舟勝安房書)「山田良政君碑」(孫文書)などの碑を仰ぐ。そして、山岡鐡舟のお墓に拝礼。

つづいて、谷中墓地に赴き、澤田正二郎・長谷川一夫・徳川慶喜・渋沢栄一・来島恒喜などのお墓を巡る。そして、夕食を共にして懇談。

帰宅後は、木曜日に行われる「萬葉古代史研究會」の講義準備。

               

今日、一緒に散策した同志は、アジア問題とりわけマレーシアとの友好活動に長年熱心に取り組んできた同志であります。湯島天神社と谷中墓地の白梅の花房を愛でつつ東洋の理想を語り合いました。                     

              ○

昨日、新聞雑誌などの資料を整理しつつ、八年前に録画したビデオを見ていたのですが、八年前の都知事選に立候補した石原慎太郎氏が、テレビのインタビューに答えて、「君が代は含蓄のある歌だか、歌詞は良くない」と言っていたのには驚きました。石原氏は、ナショナリストではありますが、尊皇精神は希薄であるということをあらめて認識しました。

 ところで、我が国の政府もメディアも、共産支那に対しては実に弱腰というか、卑屈というか、どんなに悪いことをしても正しく対処せず、報道せず、糾弾しないのは許されざることです。

昨年十二月二三日に、御茶ノ水駅で、二人の支那人がこの支那人たちのマナーの悪さを注意した警視庁警部補を線路に突き落とし、その警部補が電車にはねられて重傷を負ったという事件がありました。以前、韓国人が新大久保駅で人命救助したことは大々的に報道されましたが、この事件のことはあまり報道されませんでした。一体これはどうしたことなのでしょうか。

今年一月十五日に、観光の爲に日本に来たとする称する王班亜という支那人が、靖国神社で横浜市から参拝に訪れた八十代の男性が持っていた日の丸を奪い足で踏みつけたうえ、さおを折り、その上、これを止めに入った神奈川県内の四十代の男性看護師を殴りつけたり蹴ったりしたという事件がありました。この事件もあまり報道されませんでした。それどころか、犯人は釈放されてしまいました。

日本はどうして支那に対してこれほどまでに卑屈なのでしょうか。怒りの念を禁じ得ません。米兵による不祥事や自衛隊の事故については、大々的に報道し糾弾するのに、支那人の悪逆非道の行為には口をつぐむメディアの姿勢こそ、厳しく糾弾されなければなりません。

| | トラックバック (0)

2008年2月25日 (月)

千駄木庵日乗二月二十四日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅して資料の整理、父母の介護関係の提出書類作成など。

         ○

今日は、湯島天神に参拝し、梅園を散策しようと思っていたのですが、あまりにも風が強いので中止しました。昼ごろ、外に出ましたら、肥満体の私でも歩くのが大変なくらいに風が強く吹いていました。春一番ということですが、日本の国は四季の変化が規則正しく、それに伴って人間生活にも自然な調べというかリズムがあります。大変有難いことであります。

数日前、近代出版社の青柳英介様から、「やすくにの四季」という大変素晴らしい本をいただきました。この本は、春夏秋冬の靖国神社境内の美しいたたずまいを真島満秀という写真家の方が写した写真集です。近代出版社が編集制作したものです。都会のど真ん中でありながら、四季折々の美しさを見せる靖国神社の神域の写真は本当に美しく心洗われる思いがいたします。靖国神社境内の春の桜、秋の銀杏は特に美しいと思います。

青柳様からは、「靖国神社遊就館図録」もいただきました。この本も青柳氏が代表をつとめられる近代出版社が編集協力されたものであります。遊就館は、わが国唯一の軍事博物館であると思います。世界の何処の国にもその國の軍事史を展示した国立の博物館があります。香港にすらありました。ところがわが国には国立の軍事博物館は存在しません。戦後の誤れる「似非平和主義」によるものと思われます。靖国神社遊就館は日本国の光輝ある軍事史を展示する唯一の博物館なのであります。この「図録」は日本の軍事史を学ぶためには大変貴重な資料であると思います。多くの青少年がこの本に接することを希望します。

|

2008年2月24日 (日)

千駄木庵日乗二月二十三日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり

午後は原稿執筆。連載している「政界往来」の原稿です。

午後五時半より、神田にて、「二松学舎大学第三七期同期会・さんなな会」開催。

帰宅後は原稿執筆・完成・送付。

            ○

お昼過ぎから物凄い風が吹き出し、窓から眺めますと、黄砂と思われる濃い黄色の煙霧が勢いよく流れているのが見えました。また、電車も土曜の午後にしては異常に混んでいました。支那大陸から有害な物質が飛んできているのだという話を聞きました。困ったことであります。

同期会は、毎年二回開かれておりますが、大体毎回出席しております。初めての参加で、卒業以来会っていなかった友と会うのは本当に楽しくも懐かしいものであります。六十歳を過ぎた同期生たちは、それぞれ色々な人生を歩んできたわけです。元気そうでした。男性は、白髪や禿頭になっている人も多く、「年をとったなあ」というのが実感です。しかし、まだまだ人生はこれからであります。頑張らねばなりません。

           ○

今日お送りいただいた「千駄木庵日乗」に対するお励ましと、ご教示のメールに、「亂臣賊子と云ふものは、その始め心ことばを愼まざるより出で來るなり。」という言葉がありました。まことに名言であると存じます。皇室に対する慎みのない言葉を用いる者は、まさに「亂臣賊子」であります。メディアが使う「天皇ご夫妻」「皇太子ご夫妻」などという言葉はその典型です。以前驚いたのは、東京国立博物館平成館で開かれた「御即位十年記念特別展・皇室の名宝」展の「説明書き」に、「明治天皇ご夫妻」と書かれてあったことです。

| | トラックバック (1)

2008年2月23日 (土)

千駄木庵日乗二月二十二日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後三時より、本郷の展転社にて「時局戦略懇話会」開催。当面する諸問題について討議。終了後懇親会。

帰宅後は、諸雑務。資料整理・調査。

           ○

千葉県房総半島野島崎南42キロ沖の太平洋上で、海上自衛隊のイージス艦「あたご」と、新勝浦市漁協(千葉県勝浦市)所属の漁船「清徳丸」が衝突し「清徳丸」に乗っていた親子2人が行方不明になった事件で、メディアはこぞって自衛隊・防衛庁批判を行っている。確かに不幸な事件であり、行方不明になっている方の救助・原因究明・事故の防止は徹底的に行われなければならない。

しかし、私が不思議に思い、異様に感じるのは、二人の人が行方不明になるというような事故や事件は頻繁に起こっているのに、なぜ自衛隊の事故のみがこのような大々的に報道されるのかということである。

自衛隊以外の政府や地方自治体関係の公的機関が今回と同じような事故を起こしたら、こんなに批判が起こるであろうか。起こらないと思う。なぜ自衛隊だけが目の敵にされるのか。

私は、自衛隊をあってはならない存在にしたい勢力がマスメディアの中にまだまだたくさんいるのだと思う。軍隊・軍艦が「平和な東京湾」に入って来ること自体、もっと言えば「平和な日本」に自衛隊という存在があること自体が気に入らないと勢力が、自衛隊への反感・不信を煽っているのだとしか思えない。

          ○

今日はある所で久しぶりに憤怒という感情が湧きおこり、激昂しました。六十歳を過ぎても、なかなかこの性格は治らないようで困っています。「右翼」という言葉はどうも否定的・批判的な使われることが多いようです。しかし、今の世の中があまりにも左に傾いているのです。これを糺す言論や行動が「右翼的」であるのなら、「右翼的」ということは正しいことなのだと思います。

| | トラックバック (0)

2008年2月22日 (金)

千駄木庵日乗二月二十一日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後一時半より、千早地域文化創造館にて、「萬葉會」開催。大津皇子・大伯皇女のお歌を学ぶ。帰途、出席された法律家の方と懇談。

夕刻、知人と懇談。

帰宅後は、資料整理・諸雑務。

          ○

「週刊新潮」「週刊文春」「週刊朝日」で報じられているご皇室に関することについて論じたいのですが、事はあまりにも重大ですので、慎みます。ただ、次のことは申し述べさせていただきたく存じます。

長い間、メディアによってかまびすしく喧伝されてきた「開かれた皇室」という論議の行き着く果ては、天皇・皇室の神聖性・尊厳性の破壊であることは明白です。大原康男氏が指摘されている通り、「一体、何に対して、何を、どうのように開くのか」ということの明確な説明がなされないままに、しきりに「開かれた皇室であるべきだ」という論議が横行してきたのです。(『平成の天皇論』)私ははっきり言って、「開かれた皇室」論は國體破壊策謀であると思います。

昔から、「九重の奥深く」という言葉がありますように、天皇・皇室は、日本国民の憧れと尊崇の対象・いとやんごとなき神聖なるご存在として、日本国の中心におわします事が大切なのであります。そのことによって天皇・皇室は国家国民の平和と安定と統一の源泉であられ続けて来たのであります。これを破壊せんとするのが「開かれた皇室論」であると断言します。

「萬葉集」や「古事記」を学びますれば、天皇・皇室の危機は今日とは比較にならないくらい重大なことがありました。しかし、皇室はその危機を乗り越えてきました。皇位不滅・皇統連綿は絶対に動かし難い歴史であります。

最近、皇位継承に関する本の書名に「皇統断絶」「皇室消滅」「皇室廃絶」などという言葉が平気で使われております。真に尊皇精神があり、皇統連綿・國體護持を祈る人であるならば、そして「ことば」の大切さを自覚していれば、このような書名をつけることはできないと思います。

天皇皇后両陛下、皇太子同妃両殿下をはじめ、皇族方のご平安を切に祈念し奉ります。

| | トラックバック (0)

2008年2月21日 (木)

千駄木庵日乗二月二十日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は明日の萬葉会の講義の準備。

夜、新宿で同志と懇談。

帰宅後も明日の講義の準備。

          ○

現行占領憲法の「前文」の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼してわれ等の生存と安全を保持しようと決意した」という美辞麗句がいかに危険であるかが火を見るよりも明らかである。

この「前文」をかたくなに守ってきた結果、わが国は、尖閣列島は共産中国の侵略の危機に去らされ、竹島は占領され、北方領土〈南樺太・全千島〉は半世紀以上を経ても返還されていないのである。そして、共産中国は超軍事大国として、また北朝鮮は核開発に狂奔する軍事独裁侵略国家としてわが国を威嚇し続けているのである。そして拉致問題もいつになっても解決しない。竹島も帰ってこない。

現行占領憲法の「欺瞞的平和主義」はもう通用しない。そしてそれに基づく「非核三原則」も危険極まりない政策である。この二つは一刻も早く廃棄しなければならない。

当面、日本は自国の防衛について米国に大きく依存しなければならない。それは、大東亜戦争直後国際法に違反してまで日本を弱体化することを目的とした現行憲法を押し付けた事がその原因である。だから米国にも大いに責任がある。

ともかく、日本は真の自国の安全と独立を守るための体制を確立する事が急務である。「対米依存」という屈辱的状況から脱却するためにも、自主防衛体制の確立=核武装を断行しなければならない。

防衛庁・自衛隊の不祥事や米兵による不祥事が起きている。しかし、このことによって、わが国が自主防衛体制確立に支障があってはならない。また、わが国が自主防衛体制を確立するまでは、日米の軍事協力が必要あるという認識に変化があってはならない。

| | トラックバック (0)

2008年2月20日 (水)

千駄木庵日乗二月十九日

午前は、父の付き添いで病院へ赴く。今日は定期的な治療です。

その後、処方箋を貰いに診療所と薬局へ行きました。

帰宅後、諸雑務。

午後六時半より、新宿花園神社にて「神道時事問題研究會」開催。片山文彦宮司が司会。宮家準慶応義塾大学名誉教授が「神仏習合」と題して講演し、「教祖のいる宗教が創唱宗教・世界宗教。生活の中から自然発生した宗教が自然宗教・民族宗教。世界宗教と民族宗教との習合は、世界中どこにもある。カソリックと土着信仰の習合がマリア信仰。

神道と道教と仏教が混ざり合うのが日本。神仏習合だけをピックアップすると、全体が見えなくなる。民間宗教は常民の生活の中に根付き生活を律している。普通名詞としての修験道は縄文時代からある。固有名詞としての修験道は平安末期に発生し室町時代に大成。八坂神社の祇園信仰は民衆の中に大きな力がある。

民衆の信仰は宗派にとらわれずに生きている。西行が『なにごとのおはしますかは知らねども……』と詠んだように、神は姿を現さない。姿を見せぬ神が姿を見せる事を権現という。自然物に潜む本源的な隠れた存在である『神』を修験者があらわし神格化したものが権現。エリアーデの言う『ヒエロファニー』。金剛蔵王権現は金峰山上の岩から現れた。熊野十二所権現は熊野本宮の大湯原の櫟の木に現れた。熊野権現の神々はインドの神々が日本に家族ぐるみでやってきたという伝承がある。精進潔斎して山の女神と一体になるという信仰がある。そのために霊山は女人禁制。

神を像に表すとその像に限定されてしまう。イスラム教は神像を拝まない。修験道は、本来姿を現さない神の姿を現し、人々を救う力を発揮せしめるという信仰。宗教の送り手は神社・寺院・教団。受け手は民衆。受け手が適宜に自分に必要なものを受け取る。そのために、送り手である神道は仏教と融合しないと生きていけないし、仏教は神道と融合しないと生きていけない。

行基も道鏡も葛城で修業した。行基は現代でいえば、池田大作のような人物。政治力と組織力があった。『吉野』『熊野』『高野』の『野』は、野合という言葉あるように神界と人界との接点。『野』が靈地になる。」と語った。

この後、質疑応答。小生が東照大権現について質問しました。

帰途、知人と懇談。

帰宅後は、木曜日に行われる「萬葉會」における講義の準備。

           ○

東照大権現とは、徳川家康のことです。徳川幕府は神道と皇室の宗教的権威を借り、模倣して、自己の権威を作り出しました。日光東照宮を造営し、家康の霊を東照大権現と称して神として祀りました。これは、伊勢の皇大神宮に皇祖天照大御神をお祭りしているのを模倣したのであります。京都の比叡山延暦寺を模倣して東の比叡山という意味の東叡山、そして寛永年間に造営したので寛永寺と称したのです。私に言わせれば、何とも不遜というか不敬であります。しかし、神代以来の皇室の神聖なる権威に、徳川幕府の皇室模倣の権威は全く太刀打ちできるものではありませんでした。

| | トラックバック (0)

2008年2月19日 (火)

千駄木庵日乗二月十八日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、文京区役所などに赴き、父母の介護のことなどを相談。

夕刻は、知人と懇談。帰宅後、資料整理など。

            ○

「政治文化情報」が今日購読者の方々にお届けできたのですが、早速、元衆院議員の購読者の方から電話をいただき、お褒めと激励の言葉をいただきました。毎月小雑誌を出していて一番うれしいのは、激励やお褒めの電話・メール・お手紙をいただくことであります。

その政治家の方は、現職の時は、国語国事問題という誰も手をつけない大事なことに熱心に取り組まれた方であります。書家でもあり歌人でもあり歴史家でもあられます。ここまで書くとどなたであるか分かる方も多いと思います。今はこのような政治家はいません。

政治家の質の低下ということがよく言われますが、私も同感です。またどうしたわけか、最近は政治家を長くやると人相が悪くなるようです。個人名を出して恐縮ですが、菅直人氏は若い頃はもっと人相が良かったと思います。大体、私と思想的立場を異にする政治家は人相が悪いようです。

今の政治家の中に、歌を詠み、書を書く人はあまり多くはないと思います。吉田茂氏は、書も書きましたし、何と漢詩も作りました。岸信介氏の書はまさに書家並のうまさでした。私は岸氏の「信は萬事の本と為る」と書かれた色紙を持っております。以前あるところで、ある元首相の色紙を見ましたが、書かない方が良いと思う位の字でした。それでも政治家は頼まれれば色紙を書かねばならないのでしょう。お気の毒です。

ともかく、昔は、政界に限らず、財界・学界・文壇・芸能界などあらゆる分野において、風格と威厳のある人が多かったと思います。俳優・歌手でいえば、嵐寛寿郎・大河内伝次郎・月形龍之介・島田正吾・辰巳柳太郎・田谷力三・東海林太郎・藤山一郎・伊藤久男・松島詩子・渡辺はま子といった人々はみんな風格がありました。深みもありました。今はこういう人はいません。(私の好きな俳優と歌手を書いただけというお叱りを受けるかもしれませんが)

| | トラックバック (0)

2008年2月18日 (月)

千駄木庵日乗二月十七日

午前は父母のお世話。

午後は在宅して資料の整理。

夕刻、知人と懇談。

帰宅後も資料の整理。

          ○

資料整理をしていて「選択」という雑誌の平成十七年六月号掲載の『藩屏不在』という記事を読んだ。皇室に関して重大な指摘がなされていた。

「政府に遠慮しなかった(二十五年にわたった宮内庁長官を務めた)宇佐美に閉口して、官邸がコントロールしやすいように、宇佐美の後の宮内庁長官を官僚の一ポストに過ぎなくした…入江(相政氏・半世紀にわたって先帝昭和天皇にお仕えした人)の実力に政治家も手が出せなかった。…宇佐美の後任、警察官僚の富田朝彦は次長四年、長官を十年勤めたが決断が鈍く、『小型』官僚の典型であった」と書いている。

富田氏は人間としての謹厳実直な人だったと思う。また故人をあまり批判したくない。しかし、富田氏については部下だった佐々淳行氏も「あさま山荘事件」についての自著で「不決断の警備局長」と批判していた。

この富田氏の「メモ」が大きな問題を起こしたのである。富田氏が宮内庁次長時代に、社会党議員が国会で、「天皇陛下の靖国神社行幸が違憲である」と富田氏を執拗に責め立てた。この後、先帝陛下が靖国神社に行幸されなくなったのである。富田氏が、政治家の追及に震えあがり、先帝陛下にいろいろな情報を申し上げて、先帝陛下の靖国神社行幸をお止めし、それを糊塗するために「A級戦犯云々」を日記に書いたと推測するのは邪推であろうか。

天皇陛下の側近が政治家に顎で使われるようでは、皇室を政治権力からお護りする事は出来ない。戦前は、総理経験者などの「元老」「重臣」が輔弼の臣として天皇をお助けし、宮内大臣、内大臣もいた。これらの人々は総理と同格あるいはそれ以上の人々で、政治家に顎で使われるなどということはなかった。だからこそ、皇室の藩屏の役目を果たすことができたのである。富田氏は、宮内庁長官時代、元の上司・後藤田正晴に対等にものが言えるという立場ではなかったであろう。部下同然に対応されたのではないか。

戦後は、占領軍に日本弱体化政策によって、元老、重臣、宮内大臣、内大臣、宮中顧問官などは廃止され、六千人以上の職員がいた宮内省も宮内庁に格下げとなり、職員も千人程度に減じられた。

戦後体制からの脱却は、憲法・教育・国防のみならず、皇室制度においてこそ実現されなければならない。宮内庁の省への昇格と、機能と権限の強化が望まれる。宮内大臣には、総理経験者以上の人が就任すべきである。

| | トラックバック (0)

2008年2月17日 (日)

千駄木庵日乗二月十六日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後、「政治文化情報」発送完了。購読者の皆様には月曜日にお届けできると存じます。

この後、諸雑務、書状執筆など。

           ○

山崎拓・加藤紘一・辻元清美などが韓国を訪問しました。私はこれは「国賊訪韓団」と思います。反小沢だというのですが、こんな連中が反小沢などといわれるから、小沢が助かるのです。困ったことです。

辻元は女性議員ですが、女性問題で色々書きたてられ、変態とまで言われた人と一緒に行動するというのも解せません。石原慎太郎の息子がなぜ山崎派に入ったのか。これも不思議です。父親と山拓とでは政治姿勢がだいぶ異なると思うのですが…。ともかく、今の政治家の質の低下はひどいものがあると思います。

それにつけても、つくづく残念に思うのは、真正保守の立場で活躍されてきた政治家の方々が困難な立場に立たされていることです。平沼赳夫・安倍晋三・村上正邦・西村眞悟の各氏です。これは一体どうしたことでしょうか。それぞれ、これまで政治家として、日本再生・戦後体制の見直しのために、活躍をされてきた方です。しかし、それぞれ事情は異なりますが、苦境と言ってよい状況にあると言っても過言ではありません。なんとか、この苦境を打開され、国のためにより一層獅子奮迅の戦いを展開されることを祈るばかりです。

平沼赳夫氏には、政界再編・真正保守の政治勢力を結集する核となっていただきたいと念願します。平沼氏・安倍氏・中川昭一氏など自民党系の真正保守政治家と、民主党系の真正保守政治家とが連携し、その他の勢力とも連合して、平成維新の「のろし」をあげてもらいたいというのが私の願いです。

ただ政界再編だけでは物事は解決しません。世の中を悪くする国賊どもを征伐することが大切です。

| | トラックバック (0)

2008年2月16日 (土)

千駄木庵日乗二月十五日

午前は、父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、「政治文化情報」発送準備。

午後六時より、「日本再生・一滴の會」開催。南丘喜八郎氏が司会。佐藤優氏が講演し、「プーチンは思ったより頭が良く、悪党。ロシアは国策に基づいて日本企業の株を買う。北海道のゼネコン・漁業会社・鉄道・通信の株を買う。ロシアから使者が来て、私に投資顧問になってくれと言ってきた。私は即座に断った。

プーチンは『ロシアにはいにしえからの国家民族の理念がある。その探求をやりたい』と言った。また『年寄りを大切にして、この国に生まれて良かったと年寄りが思える国にしたい』と言った。脱税した腐敗企業をつぶし、その企業が蓄えていた金を年金に投入した。

プーチンは、一期だけ弱い人物に大統領をやらせて、また自分が大統領に復帰する事を考えている。ロシアの『国体』を再発見して自分が中興の祖になりたい。プーチンの目的はロシアを帝国主義国家にすること。それはEUという名のドイツとの対決であり、中国との対峙であり、日本との対峙である。帝国主義は食うか食われるかの戦い。石油ガスが高いうちに帝国主義国家を整える。

プーチンは、『主権民主主義』という言葉を作り出した。西側の基準とは違う、ロシアの『国体』に合致した民主主義を唱えた。エリツィン路線を全否定した。プーチンはイデオロギーを確立して国家戦略を立てようとしている。

しかるに、今、我々の国はどうなっているのか。日本は懸命に働いているのに追い詰められている。今までの危機とは異なる。日本が内側から壊れている。底辺にいる労働者に愛国心が生まれる。物凄く怖い院外団をつくって政治家を恫喝すべし。」などと語った。

村上正邦氏は、「今の政治家は公卿。二世三世代議士ばかり。草莽の士が出て来るべし。政治家に恐怖感を持たせねばならない。テロが良いとは言わないが、政治家が道を誤ったらやられるという心がなければならない。」と語った。

皇室に関することなど、重大なことが語られたのですが、ここで報告する事は遠慮します。

帰途、知人と懇談。

帰宅後も、発送準備。

             ○

村上氏も佐藤氏も、かつては権力側にいた人であるだけに、今日の国家権力体制の欠陥を認識し、深い危機感を持っているようです。今の日本が内憂外患交々来るという状況であることは確かです。特に内憂は、憲法・国防・教育・経済などあらゆる面において、戦後日本の悪弊が一気に噴き出した感があり、深刻です。日本民族の正気を取り戻さねばなりません。基本は尊皇精神の回復であると思います。わが国は、壬申の乱、所謂「南北朝の対立」など國體にかかわる危機を克服してきた歴史があります。今日の危機も必ず乗り切ることが出来ると確信します。

なお、「南朝・北朝」という歴史用語がありますが、吉野朝廷が唯一の正統の朝廷であり、「北朝」という朝廷はなかったというのが歴史の正しい見方であると思います。

| | トラックバック (0)

2008年2月15日 (金)

千駄木庵日乗二月十四日

午前は父母のお世話。

午後からは在宅して「政治文化情報」発送準備。

           ○

昨日に引き続き宮内庁について書かせていただきたい。

日本國存立の基礎は、神聖君主・天皇の御存在である。日本民族が天皇及び皇室を尊崇する精神を喪失し、天皇の神聖性・尊厳性が冒される時、日本國は崩壊の危機に瀕する。皇室の危機はとりもなおさず國家の危機である。

 大東亜戦争の敗北後、占領軍によって行われたいわゆる「民主化」そしてその後続けられた左翼革命勢力による國家破壊策謀は、今日の日本の國を亡國への道を歩ましめている。その最大のものが、「天皇の尊厳性の破壊」「皇室のへの圧迫」という策謀である。

 天皇を中心とした日本國の國柄を破壊せんとする勢力は、天皇及び皇室への國民の篤い尊崇の心を破壊するために、皇室の尊厳性・神聖性を失わしめるために巧妙にして陰湿な画策を続けている。否、続けているどころか益々活発化している。その先頭に立っているのが「朝日新聞」などの偏向反日マスコミである。

 亡國勢力による皇室批判、というよりも皇室への罵詈讒謗・悪口雑言の根絶に最大の努力をしなければならないのは政府及び宮内庁である。ところがその宮内庁はその役目を十分に果たしていない。というよりも、戦前の宮内省と比較すると今日の宮内庁の権限は大幅に縮小されているし、皇室の尊厳性をお護りする法律も整備されていないので、果たせる状況にないのである。

 政府及び宮内庁の行政努力だけで天皇・皇室の尊厳性・神聖性を冒する言動を抑止し得ない場合は、「皇室の尊厳保持法」の制定が必要である。また、枢密院・内大臣・宮中顧問官・宮内省・近衛師団など、天皇陛下を輔弼し奉る体制を復活すべきである。

 日本國建國以来の、天皇及び皇室への國民の仰慕は、法律や權力によって強制されたものでない。しかし、日本國内に巣喰う反日勢力の「國體破壊」「反皇室」策謀が愈々益々活発になり、それが國家の現在及び将来に重大な影響を及ぼす時代になっている今日、政府及び宮内庁は、天皇及び御皇室の尊厳性をお護りする具體的処置をとるべきである。

 それと共に、国民は、皇室の尊厳性を冒瀆し、天皇を君主と仰ぐ國體を破壊しようとする現代の朝敵に対して厳しい批判と糾弾を行わなければならない。

| | トラックバック (0)

2008年2月14日 (木)

千駄木庵日乗二月十三日

午前は、父母のお世話。

午後は、在宅して資料の整理。

夕刻、知人と懇談。

帰宅後は、「政治文化情報」発送準備。

           ○

宮内庁の羽毛田信吾長官は十三日の定例会見で、「天皇陛下が皇太子時代には、昭和天皇のもとを毎週一回訪問されるのが定例とされていた。しかし、現在は皇太子さまの発意による訪問は年二、三回にとどまり、昨年も増えていない。皇太子殿下は昨年二月の会見で『(長女・愛子さまが)両陛下とお会いする機会を作っていきたい』と発言されたが、実際に回数は増えていない。発言なされたからには実行を伴っていただきたい。公に発言されたことはできるだけ実行されるというのが当然で、皇太子さまにも直接申し上げたところ、努力をしたいと話しておられた」と話したと報道されている。

宮内庁長官がこのようなことを記者会見で発言するのは全く異例中の異例と言っていい。歴代の宮内庁長官が記者会見で、このような発言をしたことはなかったと思う。果たして、許されることなのか。

天皇陛下は一昨年十二月の天長節のご会見で、「愛子に会う機会が少ない。いずれは会う機会も増えて、うち解けて話をするようになることを楽しみにしています」と仰せになった。宮内庁長官はこの天皇陛下の御心を大切に考えて、このような発言をしたと思われる。臣下が、国を思い、皇室を思う真心から、天皇陛下・皇太子殿下をはじめ皇族方に諫言するということは歴史上あった。

しかし、諫言したという事実そしてその内容をマスコミに発表して天下に知らしめるというのは如何であろうか。宮内庁長官がこのようなことを発言すると、何か余程の事態なのではと国民は思ってしまう。

皇室のことは軽々に論ずるべきではないけれども、週刊誌などが、皇室とりわけ皇太子・同妃両殿下に対する心ない報道を行っていることを考えれば、やはり慎むべきではなかったかと思う。これにより、またまた週刊誌やテレビが皇室に対する揣摩臆測を交えた興味本位の報道を行うこととなろう。それが何より心配である。

| | トラックバック (0)

2008年2月13日 (水)

千駄木庵日乗二月十二日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は資料の整理及び諸雑務。

午後六時より、「九段下茶龍」開催。同志諸氏と当面する諸問題について討議。この会合は、民族運動の活動家の集いである。

帰宅後は資料整理。

            ○

沖縄県北谷町で起こった米海兵隊員による女子中学生暴行事件に関連して、民主党の鳩山幹事長は十一日、水戸市での記者会見で、「米軍再編問題と基地の縮小を、政府が米国側と強い態度で臨んでもらいたい。早く米軍基地が、日本の領土の中に存在しないような環境ができるような準備を何年かけても行うべきでないか。もっと日本と米国とが対等な関係でなければならない」と語った。テレビ朝日の「報道ステーション」の解説員(朝日新聞記者)も同様のことを語っていた。

今度の事件は許し難い事件であることは確かである。だからと言って、すぐに米軍基地縮小に結び付けていいとは思わない。外国軍の基地がわが國内にあること自体不正常である。わが国の米国とは対等の関係でなければならないというのも、鳩山氏の言う通りだ。だからこそ、わが国が自主防衛体制を確立しなければならないのである。

ドイツを訪問中の高村外相は十日、国際シンポジウム「ミュンヘン安全保障政策会議」に出席し、アジア地域の安全保障について講演し、中国の軍事力近代化・軍事費拡大について、「透明性に依然として不十分な部分がある。より詳細な内訳の説明が必要だ。不十分なままでは、地域の懸念の増大につながる」と警鐘を鳴らした。

共産支那・北朝鮮・ロシアの軍事的脅威にさらされている日本が、自主防衛体制を確立しないままで、米軍との「軍事同盟」を縮小させていいはずがない。アメリカに対する不信感はある。恨みもある。しかし、今日唯今、アメリカとの軍事的関係、はっきり言って、米軍に守ってもらっているという不正常にして国辱的状況を解消するのは危険である。鳩山氏はそういうことを主張しているわけではないだろうが、国民がアメリカに対する反感をつのらせているこの時期に、「米軍基地縮小」などということを主張するのは世論への危険な阿りである。反米ナショナリズムを扇動するのは非常に危険である。政治家として軽薄である。

「米軍基地が、日本の領土の中に存在しないような環境ができるような準備を何年かけても行う」という鳩山氏の主張は、即ち日本が自分の國は自分で守ることができる体制を作るということであろう。そのための努力を第一にすべきであって、米軍基地の縮小はその後である。

メディアは米軍兵士の事件は大々的に報道し批難するが、ロシア軍機の領空侵犯に関しては何の報道もしないし、非難もしない。一体どういうわけであろうか。朝日新聞・テレビ朝日などの偏向姿勢は許し難いものがある。事実上、共産支那・北朝鮮・ロシアによる我が国への侵略の先導役を務めているのである。

| | トラックバック (0)

2008年2月12日 (火)

千駄木庵日乗二月十一日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、丸の内の出光美術館で開催中の『王朝の戀──描かれた伊勢物語』展参観。「伊勢物語絵巻」(重要文化財)、岩佐又兵衛作「在原業平図」(重要美術品)、俵屋宗達の「伊勢物語図色紙」、尾形光琳の「東下り図」、酒井抱一「八つ橋図屏風」などを見る。

夕方は、知人と懇談。

帰宅後は、溜まりに溜まった雑誌・新聞など資料の整理。

             ○

『伊勢物語』は、平安時代の歌物語で、作者不明であるが、在原業平の歌物語を中心にしてしだいに他の章段が付加されて成立したとされる。業平が記した物語を、業平の死後、色々な人が次々に書き加へて今日の如きものができたとされる。平安時代の物語であるが、隅田川や富士山など東国も登場する。東京の言問橋や言問通りという名前は、『伊勢物語』に登場する

「名にし負はば いざこと問はむ 都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと」

という歌に由来する。

一人の男性貴族の恋物語が美しい絵や書に描かれている作品を見ると、平安時代は文字通り平安な世の中だったと痛感する。もちろん、光があれば影があるのが世の常であるから、色々陰惨な事件もあったであろうが、美しい絵や書は我々に安らぎを与えてくれる。平安時代の、王朝の美意識と風情は世界的にも高い価値があると思う。日本独特の「雅」という美意識は、宮廷を中心に継承され洗練され続けてきた。建国以来三千年のわが国の歴史と伝統は大切に守り続けねなければならない。

| | トラックバック (0)

2008年2月11日 (月)

千駄木庵日乗二月十日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅して資料の整理など。

           ○

明日は「紀元節」である。神武天皇の御名前は、神日本磐余彦火火出見尊(カムヤマトイハレヒコホホデミノミコト)と申し上げる。磐余とは現在の奈良県桜井市の天の香具山の北東麓地域の古地名である。「火」は「ホ」と読み、「日」及び「稲穂」の意である。この御名前は、「神の國大和の磐余の君主である日の神の御子で稲穂が拓さん出て来る命」というほどの意である。

つまり、神武天皇は、邇邇藝命と同じように太陽神たる天照大神の神霊と稲穂の霊の體現者なのである。そして神武天皇は、邇邇藝命が天照大神から受けた「日本國の統治」と「稲穂をたくさん地上に実らせる」という御命令を実現するために、九州より大和に来られて橿原の地に都をお開きになり、天皇に即位されたのである。これが日本國家の確立である。

『教育勅語』に示されている「皇祖皇宗」の「皇祖」とは、天照大神及び邇邇藝命の御事であり、「皇宗」とは神武天皇をはじめとした御歴代の天皇の御事である。

なお、『日本書紀』には、「辛酉年(かのとのとりのとし) の春正月(はるむつき) の庚辰(かのえたつ) の朔(ついたち)、天皇橿原宮に即帝位(あまつひつぎしろしめ)す」と記されている。『書紀』が神武天皇即位の日を正月朔日(むつきついたち)としているのは、むつき(正月)の始めにおいて、神も天地も人も新生するという上古以来の日本人の信仰の上に立っているのである。祭祀的統一によって成立した大和朝廷の最初の天皇が神武天皇である。

稲作日本の祭祀的・信仰的統一、そして祭り主・天皇を中心にした國民の精神的共同體の成立を體現する御方が神武天皇なのである。つまり、神武天皇の御東征の物語は稲作文化(弥生文化)が西(筑紫)から東(畿内)へと移って来たことを象徴しているのである。

大和朝廷による祭祀的統一によって、日本民族が狭い部族的あるいは地縁的な共同體の分立から、今日の日本國の原形である全體性を確立した。その中心にあったのが<天皇の祭祀>である。これが「祭」と「政」の一致なのである。かかる意味において、日本國は天皇を中心とした信仰共同體なのである。

わが日本は、欧米の権力国家とはその成り立ちが全く異なるのである。したがって、欧米の契約国家論・権力国家観を根底に置いた「現行占領憲法」は一刻も早く破棄して、日本國體精神に基づく正統憲法に回帰すべきである。

|

2008年2月10日 (日)

千駄木庵日乗二月九日

朝、「政治文化情報」の原稿完成。送付。

父の病状に変化があり、病院へ付き添っていく。治療を受け小康を取り戻し帰宅。

午後二時より、道玄坂のフォーラムエイトにて、『日台関係研究會』開催。浅野和生平成国際大学教授が「台湾の政治情勢」と題して講演し、「立法院選挙直前に、台湾に取材に赴いた。国立政治大学選挙研究センター、民進党謝長廷競選弁公室、国民党選挙動員部で取材した。

台湾の二大政党は、李登輝時代を抹消している。これが日本人に不安を感じさせる原因。国民党の党史記念館の展示は、孫文・蒋介石・蒋経国から連戦・馬英九になる。十二年間党の責任者を務め、総統を務めた李登輝の展示はない。

中正記念堂は台湾民主記念館に改められた。蒋介石の座像の前の赤絨毯はなくなり、衛兵もいなくなった。像の周りに先住民の文化を象徴するものが並べられている。国連を脱退した政治決断を批判する展示がある。国連脱退を指示した公文書や民主化のパネルが展示されている。

民主化や政権交代の歴史をつづったパネルに、鄭南榕や美麗島事件や陳水扁・呂秀蓮の写真はあっても李登輝の写真は一枚もない。国民党・民進党の歴史から李登輝は抹消されている。

台湾の民主主義の歴史は十年を経過したにすぎない。民主主義は手続きの保障が重要。立法院選挙で勝ち過ぎたという認識があり、馬英九は引き締めを図っている。国民党は民進党の七年間の経済政策を批判した。

李登輝は厳しく陳水扁を批判している。民進党は表立って幹部間でもめるが、国民党は表立ってもめない。」と語った。

この後、懇親会。中村勝範平成国際大学名誉学長が挨拶し、「台湾は日本の生命線とか、日米安保は日本の命綱というような考えは持つべきではない。他の国がどのような状況になろうとも、日本は自ら国を守るという決意と体制を保持しなければならない。台湾やアメリカの動向に一喜一憂してはならない。自立の精神が大事だ」という意味のことを語った。

夕刻、知人と懇談。

帰宅後は、諸雑務。

           ○

私は最近台湾へ行っていませんので、今日の講演は大変勉強になりました。ただ残念なのは、原稿執筆や父のお世話で睡眠時間が足りませんでしたので、猛烈な睡魔が襲って来て、台湾の選挙情勢についてはメモがとれませんでした。しかし、講演の前半で台湾情勢について大変重要なことが語られたので助かりました。

台湾人の全てが李登輝氏のような人ばかりだと思ったら大間違いだと思います。支那大陸に対する誤って思い入れが「日中関係」をおかしくしているように、台湾への誤った思い入れも危険だと思います。

ただし、かつての同胞台湾人が、中華帝国主義の餌食になることだけは何としても食い止めねばなりません。今日も懇親会で、老台湾人の方と語り合いましたが、その方の中学時代の恩師二人が、二・二八事件で国民党に虐殺されたそうです。二・二八事件では日本統治下で高等教育を受けた多くの知識人が虐殺されました。われわれ日本人は、台湾人と共に、中華帝国主義の侵略と戦わねばならないと思います。

台湾の自立・独立の維持は日本の自立・独立の維持と直結する事は確かです。ただし、それはお互いの国が自分の国は自分で守るという強い決意と実力を確立しつつお互いに協力するということであります。その意味で、中村勝範氏の主張は正しいと思います。

| | トラックバック (0)

2008年2月 9日 (土)

千駄木庵日乗二月八日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は原稿執筆。四時過ぎ文京区役所に赴き、父母の介護などについて職員の方と懇談。

午後六時より、青山の大東会館にて、「時局戦略懇話会」幹事会開催。当面する諸課題について討議。

帰宅後は原稿執筆。

           ○

「政治文化情報」の原稿を明朝までに仕上げなければならず、区役所に行ったり、会合があったりして、今日は朝から極めて忙しい一日でした。これからもまだ原稿を書かねばなりません。そして明日は朝の八時に父母のところへ行かねばなりません。そのようなわけで今日はこれにて失礼いたします。

なお、ブログのトラックバックの調子がおかしく、せっかく書き込んでいただいたものが消えてしまうようです。申し訳ございません。私が消しているわけではありません。

| | トラックバック (0)

2008年2月 8日 (金)

千駄木庵日乗二月七日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅して「政治文化情報」の原稿執筆。

           ○

前時津風親方と兄弟子三人が、序ノ口力士に対する傷害致死容疑で逮捕された。神奈川県警前警備課長が霊感商法事件に関わる地方公務員法違反があったとして懲戒免職処分となった。

時津風部屋は、名横綱・双葉山が創設した相撲界の屋台骨を支える名門である。また県警警備課長と言えば警察の中枢を担う役職であり、人格・識見・経験共に余程しっかりとした人でなければつけないし、ついてはいけない職掌である。

昔、稲葉修という政治家が、「日本でいちばんしっかりとした世界は相撲界と警察だ」と言ったことがある。確かに、相撲は国技であり、警察は治安維持の担い手である。どちらも他の模範となるべき世界である。事実、一昔前までは、お相撲さんと警察官は今よりずっと多くの人々から信頼されていたように思える。

このような不祥事が起こったのは、それだけ日本人の精神が荒廃し、日本全体が劣化してきているということであろう。戦後六十年「平和と民主主義」「人権擁護」「個の尊重」という美辞麗句・お題目でやってきたが、その美辞麗句・お題目とは全く逆の結果を生んでいるのである。愛国心・尊皇精神・親を敬う心・他者に尽くす心を否定した戦後教育の弊害がいよいよ実を結び花開いているのである。戦後体制を克服し、道義国家を再生させることが大切である。

| | トラックバック (0)

2008年2月 7日 (木)

千駄木庵日乗二月六日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

お昼は知人と懇談。

午後からは在宅して原稿執筆。

         ○

今日は、鹿児島出身の人と懇談しました。故郷から帰って来られたので、薩摩揚げをお土産に頂きました。小生の大好物です。薩摩揚げが嫌いな人はあまりいないと思います。

鹿児島は、私も数回訪れましたが、本当に素晴らしいところです。桜島の眺めは、まことに美しく、また行きたいと思っております。また天孫が降臨された高千穂の峯もあります。江戸時代以降、天孫降臨の地をめぐっては「臼杵高千穂説」と「霧島高千穂説」が「高千穂論争」を続けています。実際に論文の数を比較すると「霧島高千穂説」の方が支持者が多いようです。

霧島の雄大な眺めを仰ぎますと、天孫瓊瓊杵尊が高天原から降臨されたといふ神話を実感します。以前鹿児島を訪れた時、川内市宮内町に鎮まりまします天津日高彦火瓊々杵尊の可愛山御陵に参拝しました。

また明治維新の大功労者西郷隆盛・大久保利通などを生んだ地でもあります。維新回天の歴史は鹿児島から発したと言っても過言ではありません。しかし、明治になって西南戦争という悲劇が起こり、近代日本を建設すべき多くの若者たちが命を失いました。

今日は、薩摩揚げをいただきながら、鹿児島に思いを馳せた次第であります。NHKの大河ドラマ「篤姫」も面白いようです。明治維新の歴史をどう描くか見ものです。

| | トラックバック (0)

2008年2月 6日 (水)

千駄木庵日乗二月五日

午前は、父に付き添って病院へ。今日は定期的な治療です。

午後は、原稿執筆。

午後六時より、新宿の京王プラザホテルにて開催された「日本冒険協会」の交流会に出席。この会は、テイケイの高花豊会長の肝煎りで開かれている会で、小生は今回初めて参加しました。熱気球クラブの方々、海上保安庁の特殊救難隊の方、登山家、落語家、出版社の方、そして学者や研究者など、多士済々の顔ぶれでした。

探検と冒険の違いは、冒険というのは確実に危険が伴うということだと思います。熱気球で太平洋を横断しようとした人が今も連絡がとれないようです。小生は探検はしたいと思いのますが、冒険というのはちょっと遠慮したい気持です。しかしこの会合は必ずしも冒険家だけの集まりではないようなので、今後も参加させていただこうと思います。

この会合で、篠宮さんという全貌社の専務をしていた方と本当に久しぶりにお会いしました。姓が小生と同じ「音」なので色々なところでよく間違われました。「全貌」という雑誌は、長きにわたって共産主義批判の論陣を張っていた雑誌です。共産党からは「反共暴露雑誌」と誹謗され目の敵にされていました。それだけ日共にとっては脅威だったのだと思います。私の友人の原正寿氏が編集長をしていました。創価学会批判や萬葉集講義の原稿を連載させてもらいました。

帰宅後は、原稿執筆。

            ○

国土交通省が成田空港と羽田空港に外資規制を導入しようとしている問題で、政府与党内でも意見が分かれ揉めています。規制反対・改革も結構ですが、やはり国家安全上、空港への外資導入はすべきではないと考えますが、いかがでしょうか。なんでも規制緩和が正しいとは限らないと思います。以前ある人が、「一夫一妻制度の規制緩和を望む」と言ったことがあります。これは現状ではまず不可能でしょう。

| | トラックバック (0)

2008年2月 5日 (火)

千駄木庵日乗二月四日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅して原稿執筆。

          ○

日本國存立の基礎は、神聖君主・天皇の御存在である。日本民族が天皇及び皇室を尊崇する精神を喪失し、天皇の神聖性・尊厳性が冒される時、日本國は崩壊の危機に瀕する。皇室の危機はとりもなおさず國家の危機である。

 

大東亜戦争の敗北後、占領軍によって行われたいわゆる「民主化」そしてその後続けられた左翼革命勢力による國家破壊策謀は、今日の日本の國を亡國への道を歩ましめている。その最大のものが、「天皇の尊厳性の破壊」という策謀である。

天皇を中心とした日本國の國柄を破壊せんとする勢力は、天皇及び皇室への國民の篤い尊崇の心を破壊するために、皇室の尊厳性・神聖性を失わしめるために巧妙にして陰湿な画策を続けている。否、続けているどころか益々活発化している。

亡國勢力による皇室批判、というよりも皇室への罵詈讒謗・悪口雑言は、何としても食い止めねばならない。ところが政府及び宮内庁はそうした努力をしているとはとても思えない

日本國建國以来の、天皇及び皇室への國民の仰慕は、法律や權力によって強制されたものでない。しかし、日本國内に巣喰う反日本勢力の「國體破壊」「反皇室」策謀が愈々益々活発になり、それが國家の現在及び将来に重大な影響を及ぼす時代になっている今日、政府及び宮内庁は、天皇及び御皇室の尊厳性をお護りする具體的処置をとるべきである。それと共に、国民は、現代の朝敵・國體破壊の元凶に対して厳しい批判と糾弾を行わなければならない。

| | トラックバック (0)

2008年2月 4日 (月)

千駄木庵日乗二月三日

未明、父が苦しみ出し、急遽病院へ赴く。家からタクシーで病院へ行こうとしたのですが、雪が降っていたうえに、タクシーがなかなかつかまりませんでした。痛みに苦しみ寒さに震える父と共にタクシーを待つというのは本当に大変でした。

父は、病院で治療を受け、小康を取り戻しました。神仏のご加護と医師・看護師のおかげと思います。こういう時、本当に看護師さんは「白衣の天使」に思えます。またお医者さんも病院の事務の人も親切にしてくれます。感謝合掌。

午後からは、原稿執筆。

                ○

母も今年八十八歳になり、体力気力とも衰えを見せております。老いた両親の面倒を見ることが今の私の最大の使命であり責任であります。くじけずに頑張りたいと思います。

そんな折、ある大事な勉強会に出席できない私のことを心配して、畏友・犬塚哲爾氏からメールをいただきました。お心のこもった激励をいただき感激しました。木村三浩氏からも電話をいただきました。持つべきものは良き友とあらためて実感しました。

私たち団塊の世代がみんな八十歳、九十歳になった頃、わが国の医療態勢・介護態勢はどうなっているのか心配です。わが国は、医療問題ばかりでなく、様々な内憂外患を抱えているのです。「政治家よ、醜い権力闘争をしている時ではない」と心の中で叫んでおります。

| | トラックバック (0)

2008年2月 3日 (日)

千駄木庵日乗二月二日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、菩提寺に赴き、先祖のお墓を掃苔。祈りを捧げる。

午後二時より、節分会法要執行。菩提寺住職が導師となりて、観音経・般若心経を読誦し。護摩を焚く。そして豆撒きを行う。終了後懇親会。

帰宅後は、諸雑務、『政治文化情報』原稿執筆の準備。                        

            ○

先祖のお墓をお参りすると心が落ち着きます。祖霊への感謝を捧げ、御守護を祈るというのは、古代以来の日本の傳統信仰であります。父母の健康回復と長寿をお祈りしました。豆撒きは邪気を払い、福を呼ぶ行事です。

次号の『政治文化情報』は、後鳥羽上皇と和歌の道統について書くつもりです。「承久の変」を起こされた後鳥羽院は権力の回復を望まれたのではなく、文武の道を明らかにし、國體の本姿の回復を希求せられたということを論じたいと思います。また、天皇の国家統治と和歌が一体であるということも論じたいと思います。

| | トラックバック (0)

2008年2月 2日 (土)

千駄木庵日乗二月一日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、民族運動の歴史と今後についてある研究者の方と懇談。

その後、『月刊・日本』に連載中の「萬葉集に歌われた日本の心」の原稿執筆。完成。送付。

            ○

我が国は対支那問題となると及び腰になるのは何故なのだろうか。明らかに支那の衛生管理体制・防疫体制の不備から起った事件なのに、政府もメディアもそのことを厳しく糾弾しない。政府は「中

国が『風評被害だ』と反発する可能性もある。慌ててはいけない」と言い、メディアは「この問題で中国製品=危険というのは好ましいことではない」などと言っている。

もしも日本から輸出された食品が支那で同じような問題を起こしたら、大変な騒ぎになっているであろう。そして日本のメディアも支那の代弁者となって日本企業を糾弾しているであろう。

支那人が靖国神社で無法な暴力行為を行ったことも、日本のメディアは全くと言っていいほど報道しない。もしも日本人が北京天安門広場の「革命犠牲者」の「慰霊碑」とやらのそばで同じようなことをしたら大変なことになっていたであろう。

昔から支那人の衛生観念がきわめて劣悪なのである。支那国内の各地で、残留農薬などによる大規模な食品中毒が頻発していることによってそれは明らかなのだ。支那全体が「食の安全」をあまりにも軽視している。その姿勢が改まらない限り、根本的な解決にはならない。

わたしは十日間ほど支那大陸を訪問したことがあるが、支那人の衛生観念の低さを嫌というほど実感した。汚い話で恐縮だが、南京のホテルの廊下に置かれている痰壺の上には、「痰壺に糞をするな」という張り紙があった。喫茶店ではトイレの床に仕入れた食品材料が置かれていた。水洗トイレは流れないから、糞が山のようになっていた。とても跨いで用をたす気にはなれなかった。

今回の問題は、「日本と支那の文化の違いだ」などとのんきなことを言ってはいられない。わが国民の命にかかわる問題なのだ。「中国製品=危険」という警戒感を国民全体が持つことが必要であり、好ましいことなのだと思う。「本是神州清潔の民」にとって支那は正反対の国なのである。

|

2008年2月 1日 (金)

千駄木庵日乗一月三十一日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは、在宅して諸雑務、書状執筆など。

         ○

小沢民主党が推進せんとしている『外國人地方参政権付与』が実現したら、日本國の國家主権と安全保障の確保は実に危険な状況になる。「地方参政権だからいいではないか」という意見があるが大きな誤りだ。國家への忠誠心は地域・地方共同体から生まれる。地方自治は國の宝であり國家存立の基盤である。地方自治は國家の運命に重大な関わり持つ。

 地方政治も國家の統治機構の一環であり、地方政治に関与することは國政に関与することと一体である。國と地方とは別というのは言葉の遊びに過ぎない。

外國人に地方参政権を与えると、外國人が自民党などわが國の國政に参与している政党の党員になれることになる。ということは外國人がその政党における活動を通じてわが國の國政に参与することになる。また、地方参政権を付与された永住外國人は必ずや國政への参政権を要求してくることは火を見るよりも明らかである。

 今日、地方分権ということが声高に叫ばれ、國家存立の重要部分も地方政治に任されようとしている。現実に、原子力発電所の設置・原子力潜水艦の寄港・防災都市の建設・米軍基地や住宅の移転など國家の存立や安全保障に関わる根幹の問題は地方自治体の動向によって左右されている。

 地方自治における重要にして具体的な最大の責任は教育行政である。教育現場は県や市の管轄下にある。教科書採択権は地方自治体にある。

 このように、地方分権が徹底すればするほど地方政治が國家存立の基本に関わる重要な位置を占めるようになる。そうなれば尚更わが國ではなく祖國に忠誠心を持ち愛國心を持ち兵役の義務を持つ外國人に地方参政権を与えることは國家の独立と安全を根底から脅かすこととなるのである。

親日派狩りを行っているような反日国家に国籍を持つ人々にわが国の参政権を与えるべきではない。日本を愛し、天皇陛下に忠誠心を持ち、日本に運命共同意識を持ちつつ、わが国に永住している外国籍の人々が、わが国の政治に関与したいのなら、わが国に帰化するべきである。

|

« 2008年1月 | トップページ | 2008年3月 »