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2008年1月21日 (月)

千駄木庵日乗一月二十日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅して書状執筆・資料整理など。

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「聖教新聞」一月十七日号に掲載された「座談会」記事で、竹内という学会青年部長は、「(創価学会の中国地方の会館で行われた「新年勤行會」に出席した人は)例年は神社に初詣に行っていた。ところが、今年は、学会の会館からスタートを切ったということです(拍手)」と発言している。そしてこの竹内青年部長の発言を受けて、原田稔会長は「今や各界の有識者、有力者も、学会の「勢い」「活力」に瞠目している。感服している。」などと言っている。

わが国存立の基盤である日本伝統信仰のみやしろである神社に参拝しないで創価学会の会館に来たことを誇らしげに語り、その発言に対して座談会出席者が拍手をしている。創価学会は日本伝統信仰を否定する教団なのである。こういう教団と表裏一体・同体異名の関係にある政党が今日唯今政権の一翼を担っているのである。何とも困ったことである。

近年、公明党所属の議員がお祭りの御神輿を担いだりしているので、神社否定の考え方が変化したのかと思っていたが、さにあらず、天皇を祭祀主と仰ぐ信仰共同体国家日本の傳統信仰たる神社神道否定の思想に変化はないのである。

創価学会のかかる考え方は「神社には悪鬼・邪神が棲みついているから参拝すると罰が当たる」などという『神天上の法門』に基づく。しかしこれは、日本伝統信仰たる敬神崇祖の精神を否定するばかりでなく、『立正安國論』を曲解し、日蓮の神祇思想に背く考え方である。

日蓮は、篤い神國思想の持ち主であり、天照大神をはじめとした日本の神々が永遠に日本國を守護したまうことを信じる尊皇敬神崇祖の心旺盛な僧侶であった。日蓮は次のように書いている。

 文永の役の翌年の建治元年(一二七五)、当時五十四歳の日蓮が、国家的危機の真最中に書いた『撰時鈔下』に、「日本国と申すは、天照大神の日天にてましますゆへなり」と書いている。

 そして、『神国王御書』では日本は「八万の国に超たる国」である論じ、その理由として「此の日本国は外道一人無し。其の上神は又第一天照大神、第二八幡大菩薩、第三山王等の三千餘社、晝夜に我国を護り朝夕に国家を視(みそなはし) 給ふ。其の上天照大神は内侍所と申す明鏡に浮べ影内裏に崇められ給ふ」と論じている。

 日蓮は『治部房御返事』では「日本国はいみじき国にて候、神を敬ひ仏を崇(たっと)ぶ国なり」と論じている。

 『聖愚問答鈔』では「念仏の行者は弥陀三尊より外は上に挙げる所の諸仏菩薩諸天善神を礼拝雑行と名け、又之を禁ず。然るを日本は夫れ神国として、伊奘諾・伊奘再尊此国を作り、天照大神垂迹御坐(あとたれいま)して御裳濯河の流久うして今にたえず豈に此の国に生を受けて此の邪義を用ゆべきや」と述べている。

 さらに、『報恩鈔』では「神をば天照という。国をば日本(ひのもと)という」と書いている。

 『弥源太殿御返事』では「日蓮は日本国の中には安州の者なり。総じて彼の国は天照大神の住み初め給ひし国なりといへり。彼処にして日本国を探り出し給ふ、安房の国御厨なり。しかも此の国の一切衆生の慈父・慈母なり。かかるいみじき国なれば……いかなる宿習にてや候らん。日蓮また彼の国に生れたるは第一の果報なるなり」と述べでいる。

 このように、日蓮は神祇への崇拝の念の厚い人で「神国思想」の持ち主であったことは明らかである。日蓮が「天照大神を拝むと罰が当たる。伊勢の神宮に参拝すると不幸になる」などという思想を抱いている人だったとしたら伊勢の皇大神宮の御厨であった安房國に生まれたことこれほど誇りにするはずがないではないか。

 日本の神々が天上に上られて神社に住みたまわず神社や神札には悪鬼邪神がすみついているのであるならば、日蓮上人は文永八年(一二七一)の竜口の法難で刑場に向かう途中、何故、鎌倉鶴ヶ岡八幡宮の社頭で「イカニ八幡大菩薩ハマコトノ神カ…イタシオトボシメサバイソギイソギ御計ヒアルベシ」という諫言を行ったのであろうか。八幡宮には八幡神がおられず悪鬼邪神が住みついているという創價學會の主張が真実なら、日蓮上人が八幡宮に語りかけるはずがないではないか。

 鎌倉仏教の宗祖といわれる人々の中で日蓮上人はもっとも敬神の念の厚い人であった。創價學會の神社参拝否定論は、天照大神をはじめとした日本の神々へのこのような強烈な尊崇の念を持っていた日蓮の思想に背くものである。

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