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2008年1月27日 (日)

千駄木庵日乗一月二十六日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は書状執筆など。

午後六時より、神田学士会館にて「憲法懇話会」開催。高乗正臣平成国際大学教授が座長。

竹内雄一郎高崎経済大大学名誉教授が「三潴憲法学の論点整理」と題して講義、次のように語った。

「日本の傳統思想・信仰が近代の大学における学問のメインにならなかった。上杉慎吉・穂積八束・佐々木惣一・大石義雄氏の憲法学は欧米の憲法学と対等に渡り合っていくという意気込みがあった。英米の考え方が日本の傳統を抑える作用を持ちつつ日本に入って来た。それが戦後の憲法論が日本の体質に合わないとものとなった原因。人間としての基礎的教養を欠くようになった。人間の内面を支えるものが軽視され、現実の経済利益に関心が移った。

国家の本質論と国家制度論との混同がある。民族宗教を基盤にしたテオクラシー(神政政治)から国家は出発する。プラトン・アリストテレス・トマスアクイナス・アウグスチヌス・ダンテを勉強するとヨーロッパの思想が分かる。

日本には明治以後になって『主権論』が取り入れられた。フランス革命・契約思想・自然法思想に対する反論としてドイツに全体人格説が出てくる。超個人的実在としての大いなる全体包括的人格である。それが普遍人格・普遍我である。宇宙全体を生命体として見る世界観の立場から国家を見る。ヘーゲルにおいて宇宙は絶対的精神。

道徳と法の合一の最高の具現が国家。内心の自由・真の自由とは『心のおもむくところに従って矩を超えず』という孔子の境地。普遍という考え方は抽象的だが根底において考えて行かねばならない。規則に従うのは一面不自由だが、規則に従うことが真の自由である。しかしこれは規則が正しいということを前提とする。ヘーゲルの国家論は近代日本の国家思想に大きな影響を与えた。

三潴信吾先生は『憲法は、その國の国民の精神的乃至は道徳的伝統と、その顕現としての立国法に基づいて、その國の統治権力作用の組織や権限を定める基本法』と定義し、『憲法は必ずしも成文憲法典を構成するとは限らない』と論じられた」と語った。

この後討論が行われ、「国家は道徳的人格体とすると、北朝鮮は国家ではない」「国家の品格を保つのは日本においては皇室。ロシアはロシア正教を国教としている。そのプーチンは一五〇人以上の人を謀殺したといわれる。」「文明圏・文化圏とはキリスト教国という定義をする人がいる。そういう人にはイスラム圏や日本などは眼中にない。その定義に従うとアジアにおいてはフィリッピン・韓国が文明圏ということになる。北朝鮮はオウム真理教と同じ。」「キリスト教文化圏で発生した理論で国家を説明するからギャップが出てくる。西洋の二元論は日本には合わない。」という意見が出された。

帰宅後は、諸雑務。

            ○

日本国は、神話の世界から「天皇を祭祀主と仰ぐ信仰共同体」たる傳統を保持している。そうした日本の国柄・國體を西洋の国家思想で定義する事は誤りである。「現行占領憲法」は、アメリカ憲法の模倣である。アメリカは欧米の契約思想・権力国家観に基づいている。日本國體に基づいた憲法ではあり得ない。第一、わが国には本来、権力国家ではないし、主権が国民にあるとか君主にあるというような「二元論」は無かった。現行憲法の原理を否定しなければ「現行占領憲法」の改正にもならなければ自主憲法制定にもならない。法理論上、かつて谷口雅春先生が主張され南出喜久治氏が最近主張している「『大日本帝国憲法』を復元し、改正すべきところは改正する」というのが正しいと思う。

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