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2008年1月31日 (木)

千駄木庵日乗一月三十日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後一時より、赤坂の日本財団ビルにて、「東京財団政策懇談会」開催。西野純也慶応義塾大学専任講師が「転換期韓国の政治外交」と題して講演し、「韓国は建国六十年の若い国。一九八七年に出来た第六共和国憲法に基づいて国が運営されている。その体制は去年が二十年。今、韓国は転換期を迎えている。

韓国は八七年以前の権威主義的統治体制下でも野党がしっかり存在しそれなりに政党政治は行われていた。八七年以前は反共が国是。反共イデオロギーに挑戦したのが金大中。第六共和国憲法によって制度的民主化を達成。それ以後、地域割拠の時代を迎えた。

ソウル五輪で南北間の体制競争に決着がついた。三八六世代が盧武鉉与党の主要な人的構成。世代理念の対立が深まった。今回の選挙は経済問題が争点だったので、世代間対立は反映されていない。IМF危機が国民に意識転換させた。自国が苦しいのに北朝鮮を抱え込むのは不可能と考えた。『自分たちが豊かになりたい。北を抱え込みたくない』というのが今の韓国民の考え。

盧武鉉政権は経済政策に失敗した。『李會昌は経済に強い』と国民は判断した。投票した人の約半数が李會昌を支持した。立志伝中の人に対する漠然とした期待感がある。彼の政策を理解した人はいない。財閥優遇となれば失望は大きくなる。

日本に対しては対韓投資を強く意識している。対日関係は間違いなく今の状態から脱して良い方向に向かう。韓国併合百年をどう乗り越えるかが問題。

李會昌は対中国関係で悩んでいる。中国に進出した韓国企業は夜逃げ状態で撤退している。経済制度的に韓国と中国は協調できない。

四月の総選挙が重要。三八六世代への批判が厳しくなっている。イデオロギー左派の三八六世代の当選は難しい。イデオロギーよりもプラグマチズムを重んじる四七五世代が主流になってきている。李會昌は日本に悪い感情は持っていない。」と語った。

この後、日本橋室町の三井記念美術館にて開催中の「国宝雪松図と近世絵画」展参観。円山応挙筆の「雪松図屏風」などを見る。先日

近衛家一〇〇〇年の名宝」展を見たばかりなので感激が薄かった。

帰宅後は資料の整理など。

           ○

韓国が法律まで作って「親日派狩り」を行っているようでは、まともな発展は望めないと思う。「反日」を国是としている韓国に国籍を持つ人にわが国の参政権を付与する事は全く危険である。小沢民主党はその点でも間違っている。

中国製冷凍ギョーザの食中毒事件は全くひどい事件である。小泉前総理の靖国神社参拝を批判して当時の王毅駐日大使は「隣人の嫌がることをしないのが東洋人の道徳だ」とか言った。「冗談も休み休み言え」と言いたい。「隣人の嫌がること」「隣人に迷惑のかかること」「隣人の脅威になること」ばかりをしているのが共産支那ではないか。

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2008年1月30日 (水)

千駄木庵日乗一月二十九日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は諸雑務。

午後六時より、永田町の衆議院第二議員会館にて、「日本再生同志の會平成二十年度全国総会」開催。相澤宏昭氏が司会。国歌斉唱の後、平沼赳夫氏が挨拶し、「米国は昨年から北朝鮮をテロ指定国家から解除する動きを見せている。駐日米国公使と国務省高官が西村眞悟氏や私など拉致議連のメンバー八人を招いて、テロ指定国家解除を容認するように求めた。北朝鮮の拉致指定国家ライス国務長官の厳命を受けていた米国公使は『北の核の無力化は日本にとって良いことでしょう』と言った。それに対して西村氏は『日本に原爆を二発落した落としたあなたたちからそういうことを言われたくない』と言った。アメリカは未だに北朝鮮のテロ指定国家解除が出来ない。西村氏は逆境にめげずに日本のために働いて行ける人。今後も西村氏と協力して保守の第三の極を作らねばならない。」と語った。

この後、会長代行の加瀬英明氏が挨拶し、「このところ日本が力を落としている。政治大国にして経済大国と言われていたのが経済の力が萎えてきている。資源のない日本の富は精神力。日本が力を取り戻すには、日本の精神力を回復しなければならない。西村代議士の活躍に期待する。」と語った。

そして西村眞悟氏がスピーチを行い、「長男・林太郎は常に私と一緒にいる。荒野のような日本で鬱という病気で苦しんでいる多くの人がいる。拉致被害者を放置したのと同じ土壌が日本に広がっている。日本の青年の自我が引き裂かれている。ユングや河合隼雄氏が言った『自分を支える無意識の自我・民族の無意識』が引き裂かれている。グローバリゼーションと経済至上主義によって見失われた日本を立て直さねばならない。かつてザビエルの見た『名誉を重んじる日本人』を回復しなければならない。

市場経済には国境がない。国家は無い。改革すれば良いことがあるという考えで十年間やってきたが、国民総生産は世界第一位から十八位に転落した。経済が一流でなくなったのが十年の改革の結果。その責任は誰が負うのか。

昔の社会党は反対のための政党。しかし、アホであり悪いながらも昔の社会党は理屈を持っていた。小沢民主党は政治権力闘争のために反対している。旧社会党よりタチが悪い。憲法違反とまで言って反対した洋上活動の採決を欠席した。印度洋を制することが日本の安全のために極めて重要であることが分からないのが今の日本の政治。私利私欲の最もタチの悪い政党のリーダーの下に統制をとられて国益に反する事も赤信号みんなで渡れば怖くないでやっているのが今の政界。

タチの悪い大連立は戦後体制への回帰。人権擁護法と外国人参政権は国家・共同体の破壊を目指す。私と小沢とが口をきかなくなったのは、小沢が突如として韓国に行き、金大中と会談して韓国人参政権に賛成と言ったから。小澤は論理を以て説明しない。自分の言うことをきかない奴は排除する。大連立は地獄への道。政界再編して無意識の自我まで掘り下げ、日本を再生させる政治が必要。『日本再生同志の会』は静から動へ変える。政界再編を地域で推進する運動体組織として進む。」と語った。

宇都宮鐡彦氏が閉会の挨拶を行い「西村眞悟氏なくして日本の政治の再生はない」と述べた。

この後、懇親会。

帰宅後は、諸雑務。

            ○

『日本再生同志の会』は西村眞悟氏の全国的後援組織として再出発することとなった。自民党・民主党内にいる真正保守政治家を結集すると共に、在野の真正保守勢力と結束して日本の政治を再生せしめるために前進することとなった。西村眞悟・平沼赳夫という二人の信念の政治家・愛国の政治家を核にして真の維新・戦後体制打倒を目指していきたい。

自分の先見の明を誇るわけではないが、小沢一郎に対して私は、彼が自民党幹事長の頃から「こいつは日本を悪くする政治家だ」と思っていた。そしてこれまで厳しい小沢批判をしてきた。真正保守勢力や民族派の中にも小沢を評価し期待する人がいたが、私は小沢は駄目だと主張して来た。今日、小沢の本性が愈々益々明らかとなった。彼が政界から去ることが真の政治改革である。

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2008年1月29日 (火)

千駄木庵日乗一月二十八日

午前は父母のお世話。今日は何とか病院に行かないで済みました。

午後二時より、内幸町の日本プレスセンターにて、「マスコミ総合研究所研究會」開催。阿部穆理事長が挨拶した後、平沼赳夫衆院議員が講演し、「一昨年十二月脳梗塞で倒れた。刺客に勝って当選した十二人は後援会が強いということで参院選挙対策で自民党の方から復党要請があった。最初は無条件復党と言ってきた。私が党との窓口になったが、中川秀直幹事長が『誓約書を出せ』と言いだした。『それなら私は戻れない』と言って拒否した。しかし私以外の十一人の人は復党させた。それ以来私は無所属を貫いている。

郵政民営化法案採決の時、私の足を跨いで議場から出て行ったのが古賀誠・高村正彦両氏だった。彼らには刺客は立てられなかった。料理屋で十一人の人々の復党祝賀会を開き、私が挨拶している時に脳梗塞の発作が起きた。

日華議員懇談会にはみんなが中国に靡いている時に入った。蒋介石総統は、①天皇制を守ってくれた。②賠償請求を放棄してくれた。③大陸に出征していた同胞五百万人を日本に送り返してくれた。④わが国の分割統治に反対してくれた。この話を民進党の人にするといい顔をしない。日本人はこの事を言わなくなった。時代は変わった。以前は、台湾に行くと台北市内に入る前に、蔣総統の御墓にお参りするのが礼儀であった。

中国が一方的に妨害している台湾のWHO加盟に味方して助けなくてはならない。

私は拉致議連の会長もしている。去年十一月に訪米して、『米政府が北朝鮮をテロ指定国家から解除する方向になってきているのはおかしい』と上下院議員や政府筋と談判した。私が拉致議連会長としての原則は①多くの人命にかかわることだからスタンドプレーはしない。政府間の交渉で解決する。②関係各方面が結束して解決しようというのなら、私は地の果てまで行く。③拉致問題を選挙に利用しない。私はこの前の選挙で横田夫妻の選挙応援の申し出を丁重にお断りした。

拉致事件が解決しない限り北のテロは今も継続している。テロ指定国家解除は間違っている。北との国交正常化によって、日本から一兆円の援助が行われるといわれているが、その利権を狙う政治家がいるのではないか。日本の安全と平和は日本自身が守る気概がなければならない。アセアン諸国は日本化東アジアの盟主になることを望んでいる。」と語った。

この後、懇親会が開かれた。

帰宅後は資料の整理。

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平沼氏のお話を久し振りで聞いて、信念の政治家であることを再認識しました。筋を通す人です。郵政民営化問題でもゴタゴタがなければ、今頃総理大臣になっていた可能性が高い人です。真正保守政治家の大立者です。出席者には、「平沼新党」への期待が高かったようです。今の自民党・民主党の幹部クラスの政治家に平沼氏のような人はいません。平沼赳夫・安倍晋三・西村眞悟の三氏など真正保守政治家の今後一層の活躍を祈ること切であります。

蒋介石氏の対日姿勢については、色々な見方があります。蒋介石氏にどんな意図があったとしても、日本にとって大変有難いことをしてくれたことは事実でしょう。私の高校時代、テレビのインタビューで、御手洗辰夫氏という評論家が蒋介石氏に「戦争後、『以徳報怨』の精神で日本に対して寛大な対処してくれたことに感謝する」と言ったら、蒋介石氏は、「それは私に感謝すべきではありません。私は日本留学時代に学んだ日本武士道精神に則ってそういうことをしたのです。あなた方が感謝すべきは私に対してではなく日本武道精神に対してです。」と答えました。私はこれに大変感激しました。

しかし、蒋介石・国民党はかつての同胞台湾民衆を数万人虐殺したことも事実なのです。ある支那問題の専門家はかつて私に「中国の権力者は聖人君子のような振る舞いをしていても、ある日突然極めて残虐になる」と言った事があります。

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2008年1月28日 (月)

千駄木庵日乗一月二十七日

午前、父が不調を訴えたため、一緒に病院に赴き治療をしていただく。今日は日曜日のため救急外来に行って治療してもらった。

しかし体調をくずし痛みを訴えている齢八十九歳になる父が廊下の椅子に座らされたままで三十分ほど待たされた。医師が一人しかいないので、先に来ていた患者の処置が終わるまで何もしてくれないである。何とも困ったことで、最近問題になっている医師不足を実体験した。

先に来ていた患者さんは老婦人で、頭にケガをし、腰を痛めたという。痛ましい姿であった。そして父が治療を受けている時に救急車で運ばれてきた老人の患者が二人もいた。とても医師一人では対応できないのではないか。

東京のど真ん中の病院でもこんな状態なのである。これからますます老人が増える。今日の医療は本当に大変な事態になっていると思う。病院の対応に抗議しようと思っても、医師や看護師も気を使ってくれるし、医師が一人しかいないという事実を見ればとてもできない。父は何とか持ち直し帰宅した。

午後は、父母の世話。諸雑務。

午後六時半より、墨田区横網の両国第一ホテルで開かれた「錣山部屋千秋楽打ち上げ」に出席。母が錣山部屋の後援会に入っているのだが、老齢と病気のため出席できず、小生が代理で出席した。親方(元寺尾関)の挨拶、後援会会長挨拶、力士の表彰などが行われた。

パーティー会場ではあまりに人が多すぎて、おいしそうなものを食べる事が出来なかったので、帰途、知人と会食懇談。

帰宅後は、書状(色々な礼状や返信)執筆。

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私は子供のころから相撲が大好きでした。贔屓の力士は、鏡里・三根山・松登などアンコ型の力士でした。しかし栃錦も好きでした。初代若乃花は現役の頃はよく鏡里を上手出し投げで倒したので大嫌いでした。

私の小学生のころの相撲は今よりもずっと面白かったし、迫力があったように思います。大内山と栃錦の相撲はすごいものでした。大内山の猛烈な突っ張りをかわし首投げで栃錦が勝ちました。東北・北海道出身が強いといわれましたが、その中で江戸っ子の栃錦が横綱となったのはうれしいことでした。

また私は行司が好きで、髭の式守伊之助の大ファンでした。この伊之助さんは「栃錦・北の洋戦」で検査役(今の審判)が差し違えの判定をしたら、土俵上で三十分も検査役と喧嘩をしました。今はこういう気骨のある行司はいません。翌日の新聞に載った写真では伊之助の軍配が正しかったことが明らかになりました。子どもの相撲遊びで私が常に行司を務めたのも懐かしい思い出です。

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2008年1月27日 (日)

千駄木庵日乗一月二十六日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は書状執筆など。

午後六時より、神田学士会館にて「憲法懇話会」開催。高乗正臣平成国際大学教授が座長。

竹内雄一郎高崎経済大大学名誉教授が「三潴憲法学の論点整理」と題して講義、次のように語った。

「日本の傳統思想・信仰が近代の大学における学問のメインにならなかった。上杉慎吉・穂積八束・佐々木惣一・大石義雄氏の憲法学は欧米の憲法学と対等に渡り合っていくという意気込みがあった。英米の考え方が日本の傳統を抑える作用を持ちつつ日本に入って来た。それが戦後の憲法論が日本の体質に合わないとものとなった原因。人間としての基礎的教養を欠くようになった。人間の内面を支えるものが軽視され、現実の経済利益に関心が移った。

国家の本質論と国家制度論との混同がある。民族宗教を基盤にしたテオクラシー(神政政治)から国家は出発する。プラトン・アリストテレス・トマスアクイナス・アウグスチヌス・ダンテを勉強するとヨーロッパの思想が分かる。

日本には明治以後になって『主権論』が取り入れられた。フランス革命・契約思想・自然法思想に対する反論としてドイツに全体人格説が出てくる。超個人的実在としての大いなる全体包括的人格である。それが普遍人格・普遍我である。宇宙全体を生命体として見る世界観の立場から国家を見る。ヘーゲルにおいて宇宙は絶対的精神。

道徳と法の合一の最高の具現が国家。内心の自由・真の自由とは『心のおもむくところに従って矩を超えず』という孔子の境地。普遍という考え方は抽象的だが根底において考えて行かねばならない。規則に従うのは一面不自由だが、規則に従うことが真の自由である。しかしこれは規則が正しいということを前提とする。ヘーゲルの国家論は近代日本の国家思想に大きな影響を与えた。

三潴信吾先生は『憲法は、その國の国民の精神的乃至は道徳的伝統と、その顕現としての立国法に基づいて、その國の統治権力作用の組織や権限を定める基本法』と定義し、『憲法は必ずしも成文憲法典を構成するとは限らない』と論じられた」と語った。

この後討論が行われ、「国家は道徳的人格体とすると、北朝鮮は国家ではない」「国家の品格を保つのは日本においては皇室。ロシアはロシア正教を国教としている。そのプーチンは一五〇人以上の人を謀殺したといわれる。」「文明圏・文化圏とはキリスト教国という定義をする人がいる。そういう人にはイスラム圏や日本などは眼中にない。その定義に従うとアジアにおいてはフィリッピン・韓国が文明圏ということになる。北朝鮮はオウム真理教と同じ。」「キリスト教文化圏で発生した理論で国家を説明するからギャップが出てくる。西洋の二元論は日本には合わない。」という意見が出された。

帰宅後は、諸雑務。

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日本国は、神話の世界から「天皇を祭祀主と仰ぐ信仰共同体」たる傳統を保持している。そうした日本の国柄・國體を西洋の国家思想で定義する事は誤りである。「現行占領憲法」は、アメリカ憲法の模倣である。アメリカは欧米の契約思想・権力国家観に基づいている。日本國體に基づいた憲法ではあり得ない。第一、わが国には本来、権力国家ではないし、主権が国民にあるとか君主にあるというような「二元論」は無かった。現行憲法の原理を否定しなければ「現行占領憲法」の改正にもならなければ自主憲法制定にもならない。法理論上、かつて谷口雅春先生が主張され南出喜久治氏が最近主張している「『大日本帝国憲法』を復元し、改正すべきところは改正する」というのが正しいと思う。

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2008年1月26日 (土)

千駄木庵日乗一月二十五日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、上野公園の東京国立博物館で開催中の「陽明文庫創立七〇周年記念特別展・宮廷のみやび近衛家一〇〇〇年の名宝」展参観。

帰宅後は資料の整理など。

陽明文庫は、藤原鎌足以来の藤原家に伝わった文書・記録・宝物を保存継承するために近衛家二九代当主・近衛文麿が昭和十三年に設立しました。

今日行った展覧会では陽明文庫に所蔵されている「藤原鎌足像」、「春日鹿曼陀羅図」「御堂関白記」(藤原道長自筆日記)、「大手鑑」、御歴代天皇の宸翰・御像など国宝・重要文化財が展示されていました。また明治の御代になって近衛家から皇室に献上され現在三の丸尚蔵館に所蔵されている宝物なども展示されていました。

まさに宝物と言っていいものばかりが展示されており、三時間かけて参観しましたが、時間が足りませんでした。後鳥羽天皇・藤原定家・藤原行成・近衛家熙などの書はまことに見事でした。

日本の書と絵画に美しさは本当に素晴らしいと思います。他の国の文化と比較して繊細であり高貴であり清潔であります。そしてそれは、京都の宮廷を中心に継承されて来たのであります。日本国が天皇国であるというのは、天皇・皇室が絶対的政治権力であり続けたというのではなく、天皇皇室を中心に日本の文化・宗教・政治のあるべき姿・理想が正しく継承されてきたということです。

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2008年1月25日 (金)

千駄木庵日乗一月二十四日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後一時半より、荻窪の教育創造研究所にて、「しきしまの会」開催。今までは数回にわたって小生が和歌について講義をしてきましたが、今回から、出席者が自作の歌を持ち寄り、批評し研鑽する「歌会」を行うこととなりました。

夕刻、知人と会食・懇談。

帰宅後は、資料の整理。

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今週号の「週刊新潮」「週刊文春」は、ご皇室の御事について色々書いています。こうした記事は、いかなる意図によって書かれるのでしょうか。真にご皇室のご安泰とご隆昌を願って書かれるのでしょうか。私にはそうは思えないのです。やはり購読部数の増加を目的としていると思います。つまり営利のためにご皇室についてあることないこと書き立てているということだと思います。実に困ったことです。

文藝春秋社、新潮社は、わが国を代表する出版社です。この二社は全体として、その論調というか、編集方針・出版方針は、良識的でありまともであると思います。しかるに、週刊誌にこうした記事を載せるということは本当に困ったことです。宮内庁職員などご皇室にお仕えしている人でなければ知り得ないことが書かれています。これも問題だと思います。

内容についてあれこれ申し上げる事は小生にはできませんが、ただ一つだけ書かせていただきます。皇太子妃殿下がお子様のことを思われる御歌を詠まれたことを批難するということは何とも許されざることである思います。

こういう記事をお読みになった皇后陛下・皇太子妃殿下が、益々体調をおくずしになることを深く憂えます。やはり皇室をお護りする態勢が正しく確立されていなければならないと痛感します。

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2008年1月24日 (木)

千駄木庵日乗一月二十三日

午前は、父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

昼は、知人と会食。懇談。

午後は、「政界往来」の原稿執筆。

午後六時半より、駒込地域文化創造館にて、「萬葉古代史研究會」開催。東歌を講義。

帰宅後、明日の「しきしまの会」の講義の準備。

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西村眞悟衆院議員は、今日送られてきた「西村真悟の時事通信」で「一週間前を振り返れば、十一日はテロ対策特別措置法で騒いでいた。民主党党首は、これを憲法違反と言い、インド洋における我が国の活動は昨年十一月以来中断していたのである。しかし、十一日を過ぎれば、インド洋のことはけろりと忘れられた。十八日からの本会議で触れられなかった。十一日の衆議院再議決から再開の方向で動き始めた我が国のインド洋での活動が、かつての発言通り『憲法違反』であるなら、十八日からの通常国会に於いても質問議題に乗せるのが当然だろう。何故忘れるのか。」と書いていた。

全く同感である。憲法違反とまで言った問題を「大した問題ではない」と採決に欠席した小沢一郎という人の常識を疑う。

小沢一郎は、「憲法第九条は、国権の発動たる武力の行使を禁じている。国際紛争を解決する手段として、武力の行使を認めていない。日本が自衛権の行使、つまり武力の行使ができるのは、我が国が直接攻撃を受けた場合、あるいは我が国周辺の事態で放置すれば日本が攻撃を受ける恐れがある場合に限る。日本が軍、自衛隊を派遣することは憲法上できない。だから、特措法延長には反対」と論じて来た。すなわち「新テロ対策特措法」は憲法違反だと主張している。

憲法違反の法律が採択されるというのに、小沢は「国民にとっても民主党にとっても大事な法案ではない」と言って採決に加わらず棄権し選挙応援を優先させたのである。政治家としてこれほど無責任な行動はない。小沢が、如何に政策とか理念を無視しただ選挙に勝つこと、権力を手に入れる事のみを目的とした政治家であることがますます明らかになった。テロ特措法違憲論も実にいい加減な話のである。

小沢はブレないなどというのは大嘘である。最初からブレっぱなしの政治家である。彼は、小渕恵三氏が竹下派を継承するのに反対し竹下派を脱退した。のみならず自民党をも脱党し、新党をつくった。しかし、その後すべてがうまくいかなくなると、あろうことか小渕氏が総理総裁をしていた自民党と連立を組み、復党するのではないとかとまで言われた。また、創価学会公明党と連立を組み彼らを政権内部に引き入れた張本人であるくせに、今は創価学会公明党の体質を批判している。

小沢という人は、このようにブレることが信条のような政治家である。

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2008年1月23日 (水)

千駄木庵日乗一月二十二日

午前は父の付き添いで病院へ赴く。介護士の方と共なり。

帰宅後は、明日の萬葉集講義の準備。

午後四時より、本郷の展転社にて、「時局戦略懇話会緊急幹事会」開催。

帰宅後は、明日の萬葉集講義の準備、続いて「しきしまの会」における和歌講義の準備。

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敗戦後、戦勝国によって押し付けられたわが国の伝統を破壊し国柄を合わない色々な体制・法律のみならず、精神文化などを祓い清めねば、今後の日本はますます混迷します。

戦争直後、占領軍は、皇室制度の弱体化を進めました。その顕著な例が、宮内省の宮内庁への格下げです。戦前の宮内省は大宝律令以来の歴史と伝統を有し、宮中・府中の別が確立され、一般行政の枠外に立っていた。即ち、時の政府から独立した存在でありました。ところが戦後の宮内庁は、総理府の外局にすぎなくなりました。戦前の宮内大臣は、伊藤博文・田中光顕・牧野伸顕など総理と同格あるいはそれ以上の人物が就任しました。また天皇陛下の輔弼の臣として内大臣もいましたし、宮中顧問官もいました。また枢密院もありました。したがって、天皇および皇室そして宮内省が権力者によって利用されるなどということはまずありませんでした。

今日の宮内庁長官は他の官庁のトップを退職した元官僚が就任します。政治権力者と対等にものを言える立場ではありません。それが皇室の政治利用が行われる原因です。そして宮内庁の役人が国会で国賊議員からとっちめられれば、天皇陛下の靖国神社御親拝も行われなくなるのです。皇室の権威を本来の姿にお戻しすることが何よりも大切です。戦後体制打倒は、國體に関わる重大事であり、喫緊の課題です。

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2008年1月22日 (火)

千駄木庵日乗一月二十一日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

昼は、同志と会食・懇談。

午後は、父の処方箋を出して貰いに診療所へ。そして薬局へ。

帰宅後は、父母の介護のことについてケアマネージャーと相談。

その後、資料整理。水曜日の「萬葉古代史研究會」の講義の準備。

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毎日なかなか忙しく過ごしております。父母の世話をするだけでも大変なのに、介護や看護に伴う雑事が多いのです。介護保険で介護をしてもらうというのはなかなか煩雑です。いろいろな規則や制約があり、また、ケアマネージャーと相談していちいち書類を提出しなければなりません。不正申請など不祥事があったのでなおさらそうなっているのでしょうが、介護を受ける立場にとっては全く迷惑な話です。実態に合った介護システムにすべきであると思います。今の介護保険制度の在り方は、どうも役人が机上で考えたものだと思われます。ホームヘルパーだとかケアマネージャーだとか英語がやたらに多いのも困ったことです。近々所管官庁に行って色々相談したいと思っています。

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2008年1月21日 (月)

千駄木庵日乗一月二十日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅して書状執筆・資料整理など。

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「聖教新聞」一月十七日号に掲載された「座談会」記事で、竹内という学会青年部長は、「(創価学会の中国地方の会館で行われた「新年勤行會」に出席した人は)例年は神社に初詣に行っていた。ところが、今年は、学会の会館からスタートを切ったということです(拍手)」と発言している。そしてこの竹内青年部長の発言を受けて、原田稔会長は「今や各界の有識者、有力者も、学会の「勢い」「活力」に瞠目している。感服している。」などと言っている。

わが国存立の基盤である日本伝統信仰のみやしろである神社に参拝しないで創価学会の会館に来たことを誇らしげに語り、その発言に対して座談会出席者が拍手をしている。創価学会は日本伝統信仰を否定する教団なのである。こういう教団と表裏一体・同体異名の関係にある政党が今日唯今政権の一翼を担っているのである。何とも困ったことである。

近年、公明党所属の議員がお祭りの御神輿を担いだりしているので、神社否定の考え方が変化したのかと思っていたが、さにあらず、天皇を祭祀主と仰ぐ信仰共同体国家日本の傳統信仰たる神社神道否定の思想に変化はないのである。

創価学会のかかる考え方は「神社には悪鬼・邪神が棲みついているから参拝すると罰が当たる」などという『神天上の法門』に基づく。しかしこれは、日本伝統信仰たる敬神崇祖の精神を否定するばかりでなく、『立正安國論』を曲解し、日蓮の神祇思想に背く考え方である。

日蓮は、篤い神國思想の持ち主であり、天照大神をはじめとした日本の神々が永遠に日本國を守護したまうことを信じる尊皇敬神崇祖の心旺盛な僧侶であった。日蓮は次のように書いている。

 文永の役の翌年の建治元年(一二七五)、当時五十四歳の日蓮が、国家的危機の真最中に書いた『撰時鈔下』に、「日本国と申すは、天照大神の日天にてましますゆへなり」と書いている。

 そして、『神国王御書』では日本は「八万の国に超たる国」である論じ、その理由として「此の日本国は外道一人無し。其の上神は又第一天照大神、第二八幡大菩薩、第三山王等の三千餘社、晝夜に我国を護り朝夕に国家を視(みそなはし) 給ふ。其の上天照大神は内侍所と申す明鏡に浮べ影内裏に崇められ給ふ」と論じている。

 日蓮は『治部房御返事』では「日本国はいみじき国にて候、神を敬ひ仏を崇(たっと)ぶ国なり」と論じている。

 『聖愚問答鈔』では「念仏の行者は弥陀三尊より外は上に挙げる所の諸仏菩薩諸天善神を礼拝雑行と名け、又之を禁ず。然るを日本は夫れ神国として、伊奘諾・伊奘再尊此国を作り、天照大神垂迹御坐(あとたれいま)して御裳濯河の流久うして今にたえず豈に此の国に生を受けて此の邪義を用ゆべきや」と述べている。

 さらに、『報恩鈔』では「神をば天照という。国をば日本(ひのもと)という」と書いている。

 『弥源太殿御返事』では「日蓮は日本国の中には安州の者なり。総じて彼の国は天照大神の住み初め給ひし国なりといへり。彼処にして日本国を探り出し給ふ、安房の国御厨なり。しかも此の国の一切衆生の慈父・慈母なり。かかるいみじき国なれば……いかなる宿習にてや候らん。日蓮また彼の国に生れたるは第一の果報なるなり」と述べでいる。

 このように、日蓮は神祇への崇拝の念の厚い人で「神国思想」の持ち主であったことは明らかである。日蓮が「天照大神を拝むと罰が当たる。伊勢の神宮に参拝すると不幸になる」などという思想を抱いている人だったとしたら伊勢の皇大神宮の御厨であった安房國に生まれたことこれほど誇りにするはずがないではないか。

 日本の神々が天上に上られて神社に住みたまわず神社や神札には悪鬼邪神がすみついているのであるならば、日蓮上人は文永八年(一二七一)の竜口の法難で刑場に向かう途中、何故、鎌倉鶴ヶ岡八幡宮の社頭で「イカニ八幡大菩薩ハマコトノ神カ…イタシオトボシメサバイソギイソギ御計ヒアルベシ」という諫言を行ったのであろうか。八幡宮には八幡神がおられず悪鬼邪神が住みついているという創價學會の主張が真実なら、日蓮上人が八幡宮に語りかけるはずがないではないか。

 鎌倉仏教の宗祖といわれる人々の中で日蓮上人はもっとも敬神の念の厚い人であった。創價學會の神社参拝否定論は、天照大神をはじめとした日本の神々へのこのような強烈な尊崇の念を持っていた日蓮の思想に背くものである。

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2008年1月20日 (日)

千駄木庵日乗一月十九日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後二時より、内幸町の日本プレスセンターにて、「アジア問題懇話会」開催。台湾駐日代表の許世楷氏が講演し、「立法院選挙で国民党が圧倒的な議席を取った。総統選挙で振り子現象が起こるといわれているが、今回のような雪崩現象が起こる恐れあり。台湾の八五%が現状維持。六十から七〇%が『自分は台湾人だ』という意識。

馬英九さんが『三つのノー』を掲げて票を取るのに役立った。しかし、この三つをどうやって達成するのか、具体的に説明しないと駄目。中国は軍事予算を伸ばし、台湾武力行使をして統一すると言っているのに、具体的にどうやって台湾と中国が対等な平和条約を結ぶのか。エスニックの対立は好ましくないというが、どういう具体的な政策を立てるのか。

馬英九さんは『対日・対米・対中等距離外交を行う』と言った。民進党は、『国交は無いが日米と台湾とは同盟関係にある』という考え。

選挙は外交よりも内政が主たる話題になった。外交と内政問題をどうつなげるかが今後の問題。経済問題の解決を中国との関係のみで論ずるのは危険。

国民はすぐに中国と一緒になりたくない。民進党は『台湾は主権独立国家』と主張している。台湾国民は国際的に孤立感を持っている。小選挙区制は米・英・カナダ・日本という先進民主国で取り入れられている制度。日本が行った事を十年後に台湾化行うとスムーズにいく。」と語った。

帰宅後「政治文化情報」発送完了。購読者の皆様には月曜日にお届けできると思います。

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台湾問題は、日本にとって重大ある。もしも、台湾が親共産支那・反日国家となったら、日本の安全は大変なことになる。国民党政権がコチコチの「反日国家」となるかどうかは分からないが、民進党政権下の今日の台湾よりも反日の姿勢を取ることは確実である。

特に危険なのは、尖閣列島である。国民党台湾と共産支那が共同作戦で侵攻し、占領する危険がある。その時、日本は武力で尖閣を守り切ることが出来るのか。アメリカは日米安保を発動して守ってくれるのか。

とにかく日本人が、今の台湾人の全てが李登輝氏のような人ばかりだと思ったら大間違いである。アジアにおける最も親日的な国・台湾を中華帝国主義の侵略から何としても守らなければならない。

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2008年1月19日 (土)

千駄木庵日乗一月十八日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅して「政治文化情報」発送準備。

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沖縄県民には、「沖縄は薩摩に苛められ、先の大戦で犠牲になり、戦後は異民族の支配を受け、現在も米軍基地で被害を受けている」と主張し、「沖縄は常に日本の犠牲になって来た」という「反本土感情」を持っている人がいる。

 しかし、沖縄の歴史は、悲劇ばかりではない。十五、六世紀には琉球王國が海洋民族として雄飛した世界に光り輝く歴史がある。また、日本列島の最も古い人間の化石は琉球から出ているという。太古の歴史を見ると日本との関係が実に深い。日本民族のルーツの一つは沖縄であり、日本伝統信仰も沖縄から来ている部分が多い。

 折口信夫氏は、「元々我々『本土日本人』と毫も異なる所なき、血の同種を沖縄びとの上に明らかにすることなく、我々は、今まで経過して来た。…我々の祖先の主要なる者は、曾ては、沖縄の島々を経由して、移動して来たものであった。其故、沖縄県の島々及び、其北に散財する若干の他府県の島をば、日本民族の曾て持ってゐた、最も古い生活様式を、最も古い姿において伝へる血の濃い兄弟の現に居る土地である。」(『沖縄を憶ふ』)と語り、岡潔氏は、沖永良部の子守歌をピアノで聞いて懐かしいと思ったとその著『春風夏雨』に書いている。

 日本民族信仰の伝統的ロマン精神(他界への憧れ)は、北方から来た「天上への憧れ」の心と共に、南方から来た「海の彼方への憧れ」の心を持っている。だから天も海も「アマ」と云うのである。

 我々日本民族は、ポリネシア的な海洋民族が基盤にあり、鉄器文化を持って朝鮮半島を経て北方から来た人々と、太陽信仰と稲作文化を持ってマレー半島あたりから沖縄を経て来た人々、の三つが合体したものと云われている。太陽信仰及び稲作は日本民族の伝統信精神基本であり、それは太古に「海上の道」を沖縄を経由して日本に来たのである。

 沖縄古代信仰も水平線の彼方に「神の國」があると信じた。その「神の國」を「ニライカナイ」と云う。これは日本民族の海の彼方へのロマン精神と同じである。

 『古事記』によれば、天孫・邇邇藝命の御子・火遠理命(ほをりのみこと・海幸彦)は失った釣針を探すために「綿津見の神の宮」(竜宮城)に行き、海の神(綿津見の神)がその釣針を探し出してくれる。そして、海の神の姫である豊玉売命(トヨタメヒメノミコト)と結婚する。

 「綿津見の神の宮」は鹿児島の海の彼方にあるとされるのだから、沖縄以外に考えられない。そう言えばおとぎ話の絵に出て来る竜宮城は沖縄の首里城にそっくりである。

 さらに、神倭伊波礼古命(カムヤマトイハレヒコノミコト・神武天皇)は、火遠理命と豊玉売命の間に生まれた鵜葺不合命(ウガヤフキアヘズノミコト)と豊玉売命の妹である玉依売命(タマヨリヒメノミコト)との間に生まれた。日本の初代天皇・神武天皇の母方の御祖先は沖縄にいました神なのである。

 これは『古事記』のみに記されている伝承ではない。沖縄本島北部の伊平屋島という島には、古代大和の太陽信仰・山岳信仰と同じ信仰がのこっており、島の北部西海岸には籠屋(くまや・別名天の岩戸)と云われる洞窟があり、ここで神武天皇が生まれられたという伝承がある。

 古代日本人が南方の海の彼方に憧れたから、こういう神話が生まれたのである。それは自分たちの祖先が遠い昔にやって来た故郷への思慕だったのである。『教育勅語』に「我ガ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠」と示されている。沖縄の太古の歴史はこれを証しする。日本民族そして日本皇室のルーツの一つは実に沖縄にあったと云えるである。

「沖縄が天皇制日本に組み込まれたのは近々百年に過ぎず、それ以前は沖縄独自の文化・政治圏を形成していた。天皇は如何なる意味でも沖縄の文化や伝統の体現者ではない」という主張は完全に誤りである。

 沖縄が、日本を否定することは、沖縄の太古の歴史と信仰を否定することになる。そして支那帝国の支配下に置かれることになる。悠久の古代史を正しく認識すれば、日本と沖縄は一体であることは自明である。共産支那及びその手先による沖縄との離間工作を徹底的に破砕しなければならない。

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2008年1月18日 (金)

千駄木庵日乗一月十七日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後一時半より、豊島区立千早地域文化創造館にて、「萬葉會」開催。

小生が、藤原鎌足・鏡王女の歌などを講義。

帰途、出席された法律家の方と懇談。キリスト教・ナチズムなどについて重要なお話を伺いました。

帰宅後は、原稿執筆など。一水会機関紙「レコンキスタ」に掲載する原稿です。

           ○

私は、あまり他人を毛嫌いしないよう努力している。小沢一郎は彼が自民党幹事長の頃から好きな人物ではなかった。しかし、なんとか好きになろう、良いところもあるだろうと、努力してきた。しかし、やはり好きになるのは無理のようである。

あれほど小沢民主党が反対し、政治的大問題となった「補給支援特措法」の採決を小沢はサボった。小沢は、「国民にとっても民主党にとっても大事な法案ではない。私は反対の意思表示をすでにしている。参院は多数があったから否決した。府知事選への応援が前から決まっており、選挙での約束は違えてはいけない」などと言ったがよくまあ抜け抜けとこんなことが言えるものである。

国会議員は、国会での仕事が最大の使命である。選挙応援を、国会での仕事・職務より優先させるなどということは、許されない。もしも、国会議員全員が「国会審議や採決よりも選挙の約束が大事だ」として国会を欠席したらどうなるのだ。

公務員が自分の職務を放棄して選挙応援に行ったら罰せられるであろう。国会議員は、憲法で「国権の最高機関」と規定されている国会での仕事を最優先させるべきだ。党首であればなおさら、国会を最優先させるべきである。小沢は国会を軽視し、職務を放棄したのである。こういう公務員を「税金ドロボー」という。今週の週刊文春と週刊新潮は痛烈な小沢批判は溜飲を下げる思いであった。

そこで、私はここで重大なる事を書く。天皇陛下がご臨席されお言葉を述べられる国会開会式に小沢一郎は参列しているのであろうか。この事を問い質したい。反日政党=日共は欠席する。小沢はどうか。衆参両院事務局は、国会開会式への全議員の出欠状況を情報公開すべきである。

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2008年1月17日 (木)

千駄木庵日乗一月十六日

午前は、父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、ある会合に出席。スピーチ。

いったん帰宅して諸雑務。

午後七時より、ホテルサンルート高田馬場にて、「一水会フォーラム」開催。元朝日新聞ハノイ支局長・井川一久氏が「ベトナム独立戦争の陰に日本人の血涙」と題して講演し、「大東亜戦争開戦直後のマレー沖海戦ではベトナムから日本軍機が出撃し、英戦艦・プリンスオブウェールズ、レバルスを撃沈した。ベトナム戦争でアメリカが使った弾薬は第二次大戦でアメリカが使った弾薬の二・八倍。

ベトナムを植民地にしてゐたフランス軍は日本軍によってやっつけられた。終戦後、北から国民党軍、南から英軍がベトナムに入って来た。ベトナム独立運動諸派が武器を持って立ち上がった。ディエンビェンフーでベトミンがフランスをやっつけて休戦。しかしアメリカが介入して南にカトリック政権をつくった。

井川少佐など日本軍人がベトナム独立戦争に参加。アメリカとの戦争でベトナム人民軍の指揮を執ったベトナム軍人は日本軍人の教育を受けた人が多い。戦後、北ベトナムに出来たクワンガイ陸軍士官学校の教官四人はすべて日本軍人。フランス軍と白兵戦をしてベトナムの部落を救った日本軍人もいた。日本軍の『歩兵操典』などの軍事教科書をフランス語に翻訳してベトミンに配った。軍の編成なども日本軍人が教えた。中越戦争も日本軍的戦法で戦った。

ベトナム人は、宗教、思考形態、顔つきなどが日本人と似ている。主食はコメとうどん。終戦の時、フランスが戻ってきた。日本軍人は『ベトナム人が戦っている。これを見殺しに出来るか』という思いでベトナムに残り戦った人が多い。ベトナムの軍高官は何らかの形で日本軍人の指導を受けている。

近代日本はアジア主義と親欧米との二つの思考の間で悩み、解決できないで、対支那・対英米との戦争に突入した。ベトナム独立戦争に加わった日本軍人は身一つでアジア解放の理念を生き抜いた。」と語った。

帰宅後は、明日の「萬葉會」における講義の準備。

         ○

井川氏の講演は本当に勉強になりました。もっともっと興味深いことが語られたのですが、書ききれません。「政治文化情報」誌で報告します。

大東亜戦争の理念であった「大東亜の解放」は、実際に実現したのであります。日本は戦いには敗れましたが、戦争目的は達したと言えます。戦争ははっきり言って殺し合いですから、行き過ぎ・やり過ぎ・間違いはあったでしょうが、わが国がアジアを一方的に侵略したなどというのは全く嘘であります。

ベトナムは、フランス・アメリカ・支那・ポルポトと戦い、負けませんでした。本当に大したものです。反支那感情も強いようです。そして日本とは友好関係にある国です。以前は日本からベトナムが学んだのですが、今日においては日本がベトナムから国家意識・不屈の闘志を学ぶべきと思います。

日本は、台湾・ベトナムなどと連携して、共産支那のアジア侵略策謀を粉砕すべきであります。

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2008年1月16日 (水)

千駄木庵日乗一月十五日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、父母の介護及び治療の件で、駒込包括支援センターに赴き、相談。

帰宅後は、萬葉集講義の原稿執筆、完成、送付。

           ○

台湾の立法院選挙における民進党惨敗の原因は多々あると思いますが、基本的には共産支那の恫喝と懐柔に台湾人の多くが乗せられたということだと思います。それだけ共産支那の台湾工作が巧みなのです。

それと共に、わが国とアメリカが、台湾独立という正義に目をつぶってゐることも大きな問題です。台湾が共産支那に対して対決姿勢を示すと、日米両国は足を引っ張り、抑え込む姿勢を示してきました。

共産支那からは恫喝され、日米からは見放されては台湾人の立つ瀬がありません。国民党に投票した多くの台湾人は、台独の正義よりも安全と経済的利益を優先させたのでしょう。

台湾人は、その歴史的経過から、実に「現実的」な民族になっていると思います。台湾はこれまで日本やアメリカや支那を相手に巧みな対処をしてきたと思います。日本統治時代・蒋介石独裁時代の経験が、彼等にそうした「現実的対応」を行わしめる能力を植え付けたのだと思います。

しかし、この「現実的対応」は、プラス面だけではないと思います。台湾が何時までたっても自立できず、国家のアイデンティティを確立できない原因は、現実を変えるという意思を喪失した台湾人の「現実的対応」にあると思います。

台湾の運命は台湾人が決めるのであります。しかし、共産支那を最も嫌っている民族たる台湾人が、共産支那に屈服せざるを得ない状況を作り出している大きな原因に、わが国とアメリカの台湾独立への対応の冷たさにあるのであります。

台湾の国民党は今日、共産支那と手を組んで、政権を取り戻そうとしています。これは「第三次国共合作」です。国民党は共産党と手を組んだ後、必ずひどい目に遭っています。その歴史を忘却したのでしょうか。台湾侵略に利用されているだけです。必ず墓穴を掘ると思います。

また、国民党があれほど敵対していた中共と手を結ぶというのは、「光復大陸国土・堅守民主陣容・実践三民主義・復興民族文化」という蒋介石の遺言を踏み躙る行為です。

要するに支那人は、領土拡大、覇権確立が最大の目的なのであります。これはわが国の安全・平和・独立に直結する問題であります。親日国家台湾が共産支那の属国あるいは一省になるかどうか、今が正念場であります。台湾独立を支援しなければなりません。日本の南に強力なる「親支那・反日」の国家ができる危険を何としても防がねばなりません。

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2008年1月15日 (火)

千駄木庵日乗一月十四日

午前は、父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、三島由紀夫論の原稿執筆完成、送付。

その後、萬葉集講義の原稿執筆。テープ起こしです。自分の話した講義ですがテープ起こしはなかなか大変な作業になります。

          ○

西村眞悟氏から、「時事通信」というメールをいただいています。昨日いただいたそのメールに次のようなことが書かれていました。

「秘書に電話し、テロ特措法案の衆議院本会議上程日を確認させました。暫くして、十一日午後一時の本会議開催でほぼ確定との返事が来ました。

 これで、十日早朝に帰宅した林太郎は、十日の夜は家でゆっくりと過ごし、十一日には通夜の場であるカトリック堺教会に移ることが出来るという素晴らしい日程が決まったのです。

 私は無所属です。何処の政党の指示も受けない立場です。つまり、忠誠を尽くすのは、国家ネイションであって何処かの政党の親分ではありません。従って、私の決定は政党の指示を受ける議員より重いのだと自負しています。

 十一日の衆議院本会議場で私の名前を呼ばれた時、法案への賛成を示す白票を持って、「林太郎、行くぞ」と言って壇に登りました。そして、直ちに堺へ向かい午後五時前に新大阪駅に着いたのです。

 国家のために、この法案が成立してよかったのです。

 おやじには言わなくとも、林太郎は時々私のこの時事通信をみていました。従って、林太郎も私がこの法案に賛成票を投じる機会を確保してくれたと思っています。」

西村氏は、ご子息の急逝という事態であっても、衆議院の本会議に欠席せず、その職責を果たされました。実に立派だと思います。それに比べて、民主党党首小沢一郎の行動はどうでしょう。国会議員にとって最も大事な職責である本会議出席・投票を途中ですっぽかして、選挙応援に行ったのです。はじめは、「公務だ」と言っていた鳩山幹事長もさすがに謝罪しました。

西村氏と小沢氏の政治家としての姿勢の違いはまさに天地雲泥の差と申していいと思います。政治家としてどちらが立派かはあまりにも明白です。

西村氏は、ネイション国家に忠誠を尽くすと言っておられます。小澤氏は一体何に忠誠を尽くすのでしょうか。小沢氏は、国防・安全保障という国家存立の根幹を国連決議にゆだねると言っているのですから、きっと国連なのでしょう。国家に対する忠誠心のない政治家が増えています。まさに日本は亡国の淵に立たされているのです。

西村眞悟氏は、真の意味の国士であると思います。その西村氏がここ数年、大変な試練を受けています。本当にお気の毒であります。どうか、獅子奮迅の戦いを展開され、逆境を撥ね退けて、今後より一層国士として国の爲にご活躍頂きたいと思います。そして、西村林太郎様のご冥福を衷心よりお祈り申し上げます。

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2008年1月14日 (月)

千駄木庵日乗九月十三日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

お昼は、知人と会食、内外情勢について懇談。

午後からは、原稿執筆。

           ○

今書いている原稿は、季刊の「大吼」という雑誌に掲載していただく原稿です。今回から畏友・蜷川正大氏が編集を引き受け、これまでとは少し違った内容の雑誌になるようです。どのような雑誌になるのか楽しみです。

小生はこれまで「萬葉集を読む」という連載と、政治論文を載せていただいておりました。蜷川氏から文芸論・作家論も書いてくれとの要望がありましたので、今回は「三島由紀夫論」を書きました。

三島論は色々な人によって書かれていますが、自決について、色々に解釈や考え方があり、三島氏と生前親しくしていて、三島文学に深い造詣を持っている評論家・学者でも、私には違和感を覚える解釈をしている人もいます。三島氏は、日本の伝統的な文化意志を体現して自決をされたと私は思います。そういったことを中心に書かせていただきました。

台湾の立法院選挙のことなども書きたいのですが、もう夜も遅いので機会をあらためます。

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2008年1月13日 (日)

千駄木庵日乗一月十二日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅して、諸雑務・書状執筆など。

        ○

昨夜お通夜に参列させていただきました故宇野精一先生は、我が国を代表する漢学者・儒学者であられました。皇太子殿下に漢学をご進講されました。昔でいえば、東宮侍講というお立場でした。昨日のお通夜には、皇太子殿下からの御供花が祭壇に置かれていました。

今日、中国哲学・中国文学という言葉はありますが、漢学という言葉は死語に近いようになっています。宇野先生は最後の漢学者と申し上げていいと思います。

私は幸いなことに昭和四十年代前半、二松學舎において、那智佐傳先生・濱隆一郎先生という当時八十歳・九十歳の漢学者に漢学を少し教わりました。

わが国の国学とは、日本の伝統的な哲学・文学・国語学・歴史学・宗教学・神道學などを総合して研究する学問です。今日は、国文学者・国語学者・神道學者というように細かく色分けしますが、江戸時代は国学者という学問で総合されていたと思います。漢学も同じです。支那文学・支那文字学・支那思想などを総合して漢学と言っていたと思います。

西洋では学問を細分化してしまう傾向があります。近代の大学では、漢学とか国学という科目はなくなりました。最初からなかったと言っていいと思います。国学院という大学はありますが、国学科と言う科目はありません。

「人格識見ともにすぐれた人」という言葉がよく使われますが、宇野精一先生はまさにそういう方でした。国語問題や歴史問題などで正論を吐露されました。私のこともお心にかけて頂き色々ご指導を賜りました。またお世話にも相成りました。

宇野先生は、中華民国との交わりが深い方でしたが、「こういう運動もあるのだよ。読んでみなさい」と言って、台湾独立運動機関誌「台湾青年」を私に下さいました。私が台独運動を知るきっかけつくって下さったのは宇野先生でした。

一月七日に九十七歳の天寿を全うされました。漢学者は長生きするといわれますが、全くその通りです。心よりご冥福をお祈りいたします。

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2008年1月12日 (土)

千駄木庵日乗十二月十一日

午前は父母のお世話。

お昼前。父の容態が変化し、病院に赴く。予約していなかったため、長時間待たされる。

午後六時より中野の宝仙寺にて執行された宇野精一先生のお通夜に参列。ご冥福を祈る。宇野先生が東大退官後、私の母校・二松学舎大学の教授になられて以来、色々ご指導を頂きました。

帰宅後は、明け方近くまで「政治文化情報」の原稿執筆。完成。

というようなわけで本日はこれにて失礼いたします。

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2008年1月11日 (金)

千駄木庵日乗一月十日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

正午より、池袋にて、「萬葉会」の新年会開催。会員の方と懇談。萬葉時代の恋愛・夫婦関係の在り方、そして、小生が何故独身なのかが大きなテーマとなりました。

午後四時より、衆議院第二議員会館にて「時局戦略懇話会幹事会」開催。当面する諸課題について討議。

帰宅後は、「政治文化情報」來月号の原稿執筆。

         ○

昨日の党首討論を見ていて思ったのですが、福田・小沢両氏とも、何かはっきりしない物言いで、議論も深まらず、がっかりしました。しかし、この二人が今の国政を動かしている事は事実なのです。

二人とも、「現行占領憲法」の似非平和主義に基本にして国防・安保・国際貢献を論じていることが根本的に間違っているのです。「現行憲法」の理念と条文に全く違反した存在である自衛隊について論じるのですから、「現行憲法」なんか無視してかかるべきなのです。

また「国連」などという戦勝国支配体制が作り出した組織をわが国の国防と国際貢献の基本に置くなどという小沢氏の考え方はまったく誤りです。アジア最大の軍事大国・覇権国家・侵略国家が拒否権を持つ国連などを当てにして安保政策の基本に置いてはなりません。

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2008年1月10日 (木)

千駄木庵日乗一月九日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は原稿執筆。

午後六時より、永田町にて、「日本再生一滴の會」開催。

村上正邦氏が「安保・国防という国の根幹にかかわる問題で、三分の二条項で法律を通すのは危険。両院の可決によるのが筋。時限立法ではなく国際貢献に関するきちっとした法律を作るべし。三分の二条項適用はまやかし。何故なら小泉の解散は憲法違反だったからだ。福田は参院の否決を受けて、通常国会に新法を提出すべし。」と語った。

この後、佐藤優氏が講演し、「官僚の増長により、国家が官僚の手に帰している。『天皇』という言葉が安易に使われ過ぎている。ユダヤ教では『ヤーヴェ』という言葉は重い。官僚が天皇に対する畏敬の念を持たなくなっている。

村上さんを取り調べた検事は村上さんに『お前は天皇の名前を使ってお金を集めていたな』と言った。村上さんを興奮させようとする戦術だったと共に、検事は本当にそう思っていたのだろう。検事はまた『何で森のような馬鹿を総理にしたのか』とも言った。検事と雖も行政官であるのに、こういうことを言う。

検事は『我々の求めるのは公益であって国益ではない』と言う。検事は国民やメディアから拍手喝采を受けたい。そしてそれによって出世したい。国益よりも公益を追求するという検事の姿勢に驕りと限界と焦りがある。

官僚は『我々のやることを追認するのが政治家』という意識。国家全体を見渡す視野がないのに国家を動かしていると思い込んでいる。官僚は理性に基づいて理想的国家をつくるという発想。優れた官僚は文化・神仏・天皇に対する畏敬の念を持っている。

沖縄に中国が入って来ると国家統合が難しくなる。琉球王国には易姓革命がよく起こった。日本と一緒にやって行かなくてもいいという雰囲気となり、易姓革命が起ころうとしている。吾々は徹底的に反革命から行動すべし。国家には近代国家と社稷としての国家がある。」と語った。

終了後新年会。

帰宅後は、原稿執筆。

            ○

官僚及び政治家の「尊皇精神の喪失」については、ホームページ一月六日掲載の「コラム欄」に「尊皇精神と永遠の日本」と題して一文を書きましたのでご一読下さいませ。

沖縄は神代以来日本と深い関係のあったところです。社稷国家・天皇を祭祀主と仰ぐ信仰共同体に統合されています。また、日本と沖縄は運命共同体であります。このことを沖縄県民をはじめ全日本国民が正しく自覚すべきと思います。

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2008年1月 9日 (水)

千駄木庵日乗一月八日

午前は父に付き添って病院へ。治療を受けて帰宅。

午後からは在宅して「政治文化情報」の原稿執筆。

         ○

「昭和天皇の御心に反して『A級戦犯』を合祀した」などと批判されている故松平永芳先生(元靖国神社宮司)は実にお気の毒です。松平氏は、幽明境を異にされて、反論することが出来ないのです。当時の國會における秦豊などの社會党議員の無法不当不敬なる質問が、富田氏に大きな影響を与えたことは確實です。富田氏などの官僚が天皇陛下の靖國神社御親拝の中止の動きを示したのです。「昭和殉難者合祀」が御親拝中止の原因ではありません。

大分以前、靖国神社の問題で、半蔵門の東条会館から日比谷公園までデモ行進が行われました。皇居のお堀端を行進したのですが、私の隣を品の良い長身の老紳士が歩いていました。名刺交換をさせて頂きましたら、何と松平永芳先生でした。

松平先生は言うまでもなく、福井松平藩の藩主の家柄で、幕末の勤皇藩主松平春嶽公の孫に当たられる方です。福井松平藩は、徳川家康の次男で、二代将軍秀忠の兄である、結城秀康が藩祖です。ゆえに、福井松平藩は徳川時代は別格扱いだったと言われます。

江戸時代でしたら、江戸城のお堀端を、私のような者が松平藩主と肩を並べて歩くなどということはあり得ないことですので、大変恐縮した思い出があります。以後、何回かご激励のお葉書などをいただいたことがあります。

松平先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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2008年1月 8日 (火)

千駄木庵日乗一月七日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅して原稿執筆。

           ○

世の中の動きは少なくとも国内においては平穏のように思える。国会がねじれ現象であろうと、その程の混乱もなく新年を迎えているようにも見える。

しかし、それは表面的なことであって、日本国民のみならず今日の人類の危機的状況は相当深刻だと思う。これまでの科学技術・物質文明に偏した考え方を改めて、人間の精神性の復活・内面から発する情念の正しき統御が大事だと思う。

壮大なる宇宙の神秘=無限の可能性は、人間の理性や知能によって全てが説明できるものではないという謙虚な姿勢を持つべきである。ここに宗教の必要性が生じてくる。 

先進諸国の<近代合理主義>を根底に置いた物質文明及び経済至上主義の行きづまりによる今日の混迷を打開するためには、正しき「宗教精神」への回帰が大切である。

「神への回帰」「自然への畏敬」という精神性を重視した世界観・文明観を確立することが、これからの人類の生存のために不可欠である。

日本伝統信仰すなわち神道には教祖がいない。教典もない。ただ「神への祭り」を行い、「神の道」に随順して生きる事を大切にしている。これが、わが国の伝統的な信仰精神の基本である。つまり日本神道の本質は、特定の人物によって書かれた教条・教義の中には無いのである。文字通り「神」及び「道」のそのものの中にあるのである。我々日本人は、その「神」を祭り「神の道」を現実に生きることによって宗教的安穏を得るのである。

今日の日本人には、西洋精神の影響を受けて自然への畏敬の念を失ってしまった人が多いが、古来、日本人は自然を神として拝み尊んでいた。これは一種の神秘思想と言っていい。そうした日本民族が継承してきた伝統的な正しき信仰精神を正しく継承し現代において生かす事が必要なのである。

日本の伝統信仰は自然神秘思想であることは間違いないが、全てを神や仏という絶対者の支配に任せ、科学的思考・合理的思考を拒絶するという考え方ではない。であるがゆえに、神道(神ながらの道)という精神伝統を保持する日本が、新しい文明を切り開いていく可能性が非常に高いのである。

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2008年1月 7日 (月)

千駄木庵日乗一月六日

午前は、父の容態に変化があり、父に付き添って病院に赴き診察を受ける。なかなか父の容態が落ち着かなくて困ります。

午後からは、諸雑務。原稿執筆の準備・執筆など。

           ○

京都洛南の旅行記を書き始めました。石清水八幡を参拝し、幕府軍と官軍の決戦が行われた橋本市に行きましたので、八幡信仰のことや戊辰戦争のことを書きたいと思っております。また、山崎の水無瀬神社や楠公父子訣別の所にも行きましたので、後鳥羽上皇や、楠公父子のことも書きたいと思います。しかし、それぞれなかなか大きなテーマであり、すべてを書くのは難しいと思います。一週間で書けるだけ書きたいと思います。

明日から正月休みも終わり平常の生活に戻り世間も動き出すわけです。今年も内憂外患交々来たるといった状況なのでしょうか。こういう時にこそ、歴史に学ばねばならないという気持ちです。

この「日乗」をご覧いただいている皆様、共々に頑張りましょう。

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2008年1月 6日 (日)

千駄木庵日乗一月五日

朝、宿舎を出発。近鉄線に丹波橋経由京阪線八幡市駅へ。中山峯雄氏と待ち合わせ。石清水八幡宮に参拝。国難打開を祈念し奉る。

中山氏のご令息の運転する自動車にて、宇治川・木津川・桂川三川が合流するところを渡り、対岸の山崎の地に鎮座する後鳥羽上皇御ゆかりの水瀬神宮に参拝。この後、櫻井駅跡楠公父子訣別の所・山崎聖天・天王山・離宮八幡神社(本邦製油発祥の地)・山崎聖天・一休寺・後小松天皇皇子宗純王(一休禅師)御墓・松花堂庭園などを経巡る。

夕刻、八幡市駅で中山先生父子とお別れし、京都駅より、新幹線にて帰京。

京都には、たびたび訪れていますが、八幡市・山崎の地はあまり来たことがありませんでした。今回中山先生父子にご案内頂き、本当にありがたいことでした。

山崎は、摂津國(現在の大阪府)と山城國山(現在の京都府)の国境がよぎるところです。東は木津・桂・加茂の三川が合流し、西は天王山が迫る狭隘の地であり現在も狭いこの地にJR線・新幹線・阪急線・名神高速道・西国街道が通っています。対岸は男山で、石清水八幡宮が鎮座し、国道1号線・京阪線が走っています。古くからの要衝の地であり、南北朝期の戦い・応仁文明の大乱では長期にわたり戦場となった地です。近世には有名な「天王山の合戦」(秀吉の光秀討伐戦)の舞台となり、また幕末には元治元年の禁門の変での掃討戦の地となりました。

また、橋本市は、戊辰戦争の戦場となりました。開戦以来敗退を重ね、淀から退いた旧幕府軍は、京と大坂の関門で軍事的要衝である橋本に布陣し、新政府軍の追撃に備えました。至近に旧幕府楠葉砲台、橋本陣屋など幕府施設もあり、迎え撃つには大変良い条件を備えていました。しかし、藤堂藩など幕府方の藩が官軍についたためここでも敗退しました。

今回の旅も、大変歴史の勉強になりました。詳しくは、「政治文化情報」でご報告します。ご案内頂きました中山峯雄先生父子に心より感謝の意を表します。また、留守中父母のお世話をしていただいた看護・介護の方々にも心より感謝申し上げます。

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千駄木庵日乗一月四日

伊勢皇大神宮外宮に参拝。豊受大御神に本年のご加護を祈願し奉る。

続いて、伊勢皇大神宮内宮に参拝。天照皇大御神に本年のご加護を祈願し奉る。

このあと、近鉄線伊勢市駅頭にて開催中の街頭演説会に参加し演説を行う。

終了後、近鉄線にて京都へ。

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千駄木庵日乗一月三日

朝は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

昼の新幹線で東京を出発。名古屋経由近鉄線で伊勢へ。

夕刻より宿舎にて、雷鳴塾(牧之瀬康塾長)の新春勉強会開催。小生が講話。

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2008年1月 3日 (木)

千駄木庵日乗一月二日

未明に、父の容態が変化したのでしばらくお世話。

午前、父と共に病院へ。診察・治療を受け、小康を取り戻し、帰宅。

午後は、父を見守る。父上の看病などのため、毎年行かせていただいていた新年皇居参賀に行くことが出来なくなりました。

夕刻、ある神道家宅を訪問、懇談。禊の重要性について、いろいろお話を伺いました。小生も何回か禊会に参加したことがあります。

帰宅後は、明日からの伊勢・京都方面行きの準備など。

         ○

明日は、伊勢に赴き、同志の方たちとの勉強会に参加します。四日に伊勢皇大神宮に参拝します。伊勢皇大神宮は、日本伝統信仰の中心的聖地であります。わたくしは、新年の伊勢参宮を二十年以上前から毎年欠かさず行っています。

日本はその傳統信仰の靈的精神の偉大なる包容力によって、よく他國の宗教・文化・文明を取り入れてそれを融和せしめ洗練して、強靱にして高度な日本文化として開花せしめる力を持ってきました。

闘爭戰爭絶え間なき現代において、日本的思惟である<神人合一><中心歸一の原理><結びの原理>そして<多即一・一即多の原理>によって、創造神とその被造物である人間とは、絶対的に隔絶された関係にあり、人間などの被造物は創造神に支配され創造神に裁かれ神に復讐される存在であるといふ二元論を克服し、さらに唯一絶対神の排他独善性からも解放し、永遠の闘爭から人類を救済すべきであります。

イスラム原理主義とキリスト教・ユダヤ教を基盤とするアメリカ覇権主義そして共産支那の中華帝國主義さらには北朝鮮の暴虐が渦巻く中にあって、わが日本は、日本の傳統信仰、國體精神の価値を世界に向けて恢弘するべきであります。一神教の対立を解消せしめ全人類を戰爭の慘禍から救う道は、日本傳統信仰への回歸にあると考えます。

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2008年1月 2日 (水)

千駄木庵日乗一月一日

朝、起き出でて、太陽に拝礼。神棚に祝詞奏上。

そして、父母と新春を祝う。

この後、父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。訪問看護師が元旦から来てくれるので助かります。

根津神社に初詣。大変多くの人々がお参りに来ていました。出会った近所の知人と、神社近くのうどん屋で懇談。「根の津」という讃岐うどん屋さんで、大変うまいうどんを出してくれます。私が都内で食したうどんではここのうどんが一番のようです。

帰宅後は、テレビで中田ダイマル・ラケット、獅子てんや・瀬戸わんや、江戸家猫八、雷門助六などの懐かしい演芸を見つつ資料の整理など。そして年賀状執筆。

元旦も結構忙しい一日でした。こうしてまた新しい一年が始まりました。還暦を過ぎたなどということは忘れ、万年青年の気迫で今年も頑張ります。よろしく御指導・御鞭撻・御支援下さいませ。

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「由来書き」によると、根津神社の由緒は次の通りです。

「根津神社は今から千九百年余の昔、日本武尊が千駄木の地に創祀したと伝えられる古社で、文明年間には太田道灌が社殿を奉建している。


江戸時代五代将軍徳川綱吉は世継が定まった際に現在の社殿を奉建、千駄木の旧社地より御遷座した。宝永二年五大将軍綱吉は兄綱重の子綱豊(六代家宣)を養嗣子に定めると、氏神根津神社にその屋敷地を献納、世に天下普請と言われる大造営を行なった。翌年(1706)完成した権現造りの本殿・幣殿・拝殿・唐門・透塀・楼門の全てが欠けずに現存し、国の重要文化財に指定されている。


明治維新には、明治天皇御東幸にあたり勅使を遣わされ、国家安泰の御祈願を修められる等、古来御神威高い名社である。

御祭神は、須佐之男命・大山咋命・誉田別命・大国主命・菅原道真公。」

私は、全国各地を旅行し、神社仏閣などにお参りをしましたが、日本武尊にかかわる伝説は全国に数多くあります。また、須佐之男命を御祭神にしている神社がもっとも多いようです。

この御二方は、英雄神であられるとともに、大変な苦難を経験した神であられます。また「やまと歌」を詠みになっておられます。

須佐之男命の 「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」という御歌は、わが国の和歌の発祥と言われております。日本武尊は「倭は 国のまほろば たたなづく 青垣 山こもれる 倭しうるわし」など多くのお歌を詠まれています。剣魂歌心を身をもって実行された英雄神てあられます。

古来、わが国民はこの二神に特別の親しみと仰慕の念を持っていたと思われます。日本武尊が千駄木の地に須佐之男命を祀られたのが根津神社の発祥であるという伝承もそのことを証ししています。

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2008年1月 1日 (火)

千駄木庵日乗十二月三十一日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後はお正月のための買い出し。

帰宅後は、「月刊日本」に連載している萬葉集講義の原稿執筆。完成。送付。

夜は、資料の整理。

そして母がお世話をしている坂下観音堂に参拝。旧町名が駒込坂下町と言ったのでこの名がつけられました。駒込坂下町は、団子坂、大給坂、狸坂という三つの坂の下にある町です。我が家は、大給坂の下にありました。坂の上に、大給家という大名の屋敷がありました。

この観音堂には、如意輪観世音菩薩が安置されています。この御像は、大正時代、母方の祖父が家を建てた時、地中から出土したのだそうです。以来、我が家が近所の方々のご協力を得てお守りして来ました。

        ○

すでに午前一時半を過ぎました。皆様、新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。

今年も、私は自分に出来る事を地道にやっていく所存です。まずこれまで通り、「政治文化情報」を毎月刊行していきたいと思います。今後書きたいことは、明治維新と徳川慶喜のこと、柿本人麻呂の國體信仰のこと、中河与一論、生長の家・皇道大本など昭和期の神道系新宗教のこと、仏教の輪廻思想と同和問題など、書きたいテーマは沢山あります。

また、老いた両親を出来得る限りお世話して行く覚悟です。

皆様方の温かいご支援とご厚誼を伏してお願い申し上げます。

また皆様方の本年のご多幸をお祈り申し上げます。

                           合掌。

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