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2007年12月 9日 (日)

千駄木庵日乗十二月八日

朝、父母のお世話。

午前十時より、靖国神社にて、「大詔奉戴六十六年祭」執行。拝殿にて、国歌斉唱・祝詞奏上・大詔奉読・玉串奉奠などが行われた。

午前十一時より、靖国会館にて、記念講演が行われ、茂木弘道氏が「大東亜戦争─勝利の方程式」と題して講演し、次のように語った。

「六十六年前、一億国民は深い感動を持って『大詔』を拝した。太宰治は『暗雲が晴れたという気持ち、透明な気持ちになった』と言った。国民等しく開放感を持った。大東亜戦争は自存自衛・アジア解放の闘いであった。自存自衛する為には、一切の障碍を破砕する以外になかった。一切の障碍とはアジアにおける欧米の植民地である。一切の障碍の破砕は即ちアジアの解放であった。

真珠湾攻撃の十三年前、グレッグブリアン条約(パリ不戦条約)をつくった張本人のグレッグ米国務長官は、『経済封鎖は戦争行為か』と問われると、『断然戦争行為だ』と言った。最初の戦争に仕掛けたのはアメリカである。本質はここにある。

極東国際軍事裁判の法的根拠は、マッカーサーの作った条例しかない。マ元帥は帰国後、『日本は自衛のために立ち上がった』と言った。

開戦時日米の戦力比較で日本は決して劣っていなかった。昭和十六年十一月十五日決定の『対米英蘭戦争促進に関する腹案』(大本営政府連絡会議決定)の『①極東における米英蘭根拠地を覆滅して自存自衛を確立、②蒋政権の屈服を促進、③独伊と提携してまず英の屈服を図る、④米の戦争継続の意欲を喪失せしめるように勉む。』の①は実現。②③が開戦二年以内に実現していれば対米有利の講和が実現できた可能性大。

しかしミッドウェー作戦やガダルカナル戦を行ったことによってインド洋作戦が不発に終わったために、②③が実現できなかった。東條大将は『緒戦以降海軍に引きずられてしまった。一方攻勢の終末点を誤った。緒戦後のわが攻勢は印度洋方向を取るべきであった』と語った。

陸海軍の統合統帥権が実質的に存在していなかった。大東亜戦争は仕掛けられて止むに止まれず戦った戦争ではあるが、勝利の可能性は厳として存在していた。東京裁判史観の克服とは日本の正当性の復権に止まらず、真の敗戦理由追及も含むべきものである。」

この後、直会が行われた。

帰宅後は、諸雑務、書状執筆など。

         ○

茂木氏の講演は、新しい観点から大東亜戦争の勝利の可能性を追求した大変興味深いものでした。大東亜戦争特に日米戦争は「軽率にも無謀な戦争であった」という意見が今日大勢を占めていますが、実際には、日本勝利の可能性があったということです。日本の勝利とは、日本がアメリカのワシントンまで占領し、アメリカを日本の植民地にするなどということではありません。日本軍が印度洋に進撃し、米英蘭などのアジア侵略支配を破砕し、アジアを解放するということであり、アメリカの圧迫をはねのけ、日本国の自存自衛を確立するということであります。つまり日本の勝利とは侵略者をアジアから追い出すということです。歴史にもしもは無いといいますが、まことに無念なことでした。その結果、日本は焦土と化し、幾百万の日本国民が斃れたのですから…。

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