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2007年12月14日 (金)

千駄木庵日乗十二月十三日

午前は父母のお世話。

午後一時半より、豊島区立千早地域文化創造館にて、「萬葉会」開催。磐姫皇后の御歌などを講義。

帰宅後は、「政治文化情報」発送準備など。

             ○

和歌・やまとうたの語源は「訴へ」であります。自己の魂の訴へが歌であります。そしてそれは自己自身の魂と歌の対象の魂を沈める働きをします。すなはち鎮魂・たましづめであります。

死者への訴へが挽歌であり、恋する人への訴へが相聞歌であり、自然への訴へが叙景歌であります。

萬葉集にはさうした歌の数々が収められてゐます。といふ事は、古代日本人の民族精神が歌ひあげられてゐるのであります。

今日講義しました

「ありつつも君をば待たむうちなびくわが黒髪に霜の置くまでに」(「このままあなたを待ってゐませう。長く垂れてゐる私の黒髪に霜が置くまでも」あるいは「このままでゐてあなたの来られるのを待ちませう。私の黒髪に白髪が出るまでも」といふ意)

という磐姫皇后の相聞歌は、まさに愛する人への一途な思ひを表白した戀歌であります。

「わが黒髪に霜の置くまでに」は、夜が更けて髪に霜が置くまでも、といふ意です。この歌の状況を一夜のこととすると、そのやうな解釈になります。しかし、霜を白髪の比喩と見て黒髪が白髪になるまでとすると、年老いて白髪にになるまで長い年月あなたを待ってゐるといふことになります。

 昔も今も黒髪は女性の美しさの象徴です。黒髪が白髪なるまで待つといふのは、女性の美が衰退し老いた姿になってもあなたを待ってゐようといふ凄まじいまでの戀心です。相手の男性がたとへ帰ってきたとしても、年老いた女性を以前のやうに愛することはない。それは分かってゐても、待ち続けるといふのです。

 希望の無き戀に対する女性の絶望感が詠まれてゐます。鬼気迫るといってもいい戀歌ですが、怨念にはなってゐないところにこの御歌の慎み深さがあると思ひます。萬葉人の戀愛はまさにしさうした戀でありました。

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