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2007年12月31日 (月)

千駄木庵日乗十二月三十日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、根津神社参拝。神札などを納める。その後、正月の準備のため商店街に赴く。帰宅後は、自宅清掃。

夜は、書状執筆など。

           ○

今日書いた手紙。

「先日は、ご鄭重なるお手紙にてご懇篤なるお言葉を賜り、且つ、「沖縄戦集団自決」に関するご高説並びに資料をご恵与頂き恐縮致しております。

沖縄のサヨク・非日勢力は、今回の問題では占領期間中にアメリカが行った謀略宣伝を利用していますが、彼等はこれまでずっと反米・反基地・反自衛隊運動を行い、祖国の安全とアジアの平和を破壊しようとして来たのであります。

また沖縄のサヨクは、本土復帰運動の時に日章旗を振立てていたにも関わらず、復帰後は反日運動を展開し日章旗を焼却するという暴挙まで行いました。何んとも許し難いことであります。

沖縄戦において、沖縄県民が皇軍と共に、侵略者・アメリカに対して果敢に戦ったことは、崇高なる行為であり歴史にとどめられるべきことであります。沖縄県民が敵と勇敢に戦い、最後に自決した人が多かったことは、沖縄県民の誇りであります。これを軍の強制だとか命令によって嫌々行ったなどというのは、散華された沖縄県民に対する冒瀆であります。

反日勢力は、日本国転覆のために、沖縄県民の歴史的な感情を利用しているのです。戦後は、アメリカは占領をやりやすくするために反本土意識を煽ったのです。今日、沖縄県と本土との離間を狙っているのは、共産支那です。その手先となっているのが国内の反日勢力であります。この策謀は断じて許してはなりません。

また、沖縄県民はもちろん、日本全国民が祖国防衛のために命をかけて戦い、散華した歴史は、日本民族の誇りあります。散華した御霊に対し感謝の誠を捧げるべきです。

大東亜戦争を沖縄県民は他の日本国民と同様に果敢に戦ったのです。そして虜囚の辱めを受けるよりも名誉の自決を選んだのです。それは祖国日本の歴史に長く書き留められるべきことであります。沖縄県民の誇りであり名誉であります。日本軍の強制だったとか、命令によって仕方なく自決したのだなどと言って、歴史の真実を歪め沖縄県民の誇るべき祖国愛・大和魂を貶めることがあってはなりません。

自決した大田実海軍中将の遺書の一節「沖縄縣民斯ク戦ヘリ県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」と書かれてありました。皇軍が沖縄県民に自決を命令し強制したことは全くなかったことは明々白々のことです。

あの大戦争のさなか、東條陸軍大将名で出された『戦陣訓』の「生きて虜囚の辱めを受けず」という言葉が日本国民の共通認識になっていたことを、「軍の強制」というのではあれば、沖縄県民のみならず日本全国民がそういう雰囲気になっていたのです。しかしそれは、沖縄県民のみが「軍に命令され強制されて死地に追いやられた」ということでは絶対にありません。

沖縄県民は、日本国民として戦争を果敢に戦い、散華されたのであります。この誇るべき事実に対して、感謝と慰霊の誠を捧げ、永遠に顕彰するべきであります。

沖縄県民は全てではないにしても、自分たちの誇りある歴史を自分たち自身で否定し冒瀆し貶めているのであります。愚かなことです。そしてわが国政府・文科省までもが、そうした愚挙・歴史の冒瀆を行っているのであります。

われわれは、こういう時にこそ、「反日」「反祖国」の姿勢をとる勢力に対して毅然とした姿勢で臨むべきであります。沖縄における「抗議集会」の十一万人参加という大嘘を、科学的実証的に証明されたことは、素晴らしい快挙であります。」

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2007年12月30日 (日)

千駄木庵日乗十二月二十九日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは、在宅して手紙の執筆。年末の忙しさにまぎれて書けなかったご返事を書きました。そしてその他の雑務。

          ○

長州(山口県)に住む友人への手紙への手紙。

「謹啓

時下ますますご清祥のこととお喜び申し上げます。

大変ご無沙汰いたしております。また先達てはご鄭重なるお手紙をいただきありがとうございました。

永井荷風は私が師と仰いでおりました故中河与一先生の「天の夕顔」を高く評価したことで、興味を抱き、「全集」を通読いたしました。東京下町を題材にした小説・随筆が多く、また、近代批判も大変面白く、私の好きな作家であります。というよりも、「全集」をすべて読んだ作家は、永井荷風と中河与一のみであります。

「キリスト教と日本」については大変重要なテーマだと思います。特に貴兄の言われる「神道のキリスト教化」は大変重要です。また、文語訳の聖書と讃美歌は近代日本翻訳文学として素晴らしいと思います。日本人がいかに優秀であるかが分かります。

私の大学時代の恩師は、評論家でもあり牧師でもあった佐古純一郎氏でした。佐古先生は、父と同郷の徳島ご出身でした。中学で同級生でした。ということは、私は阿波の徳島の血が流れているということであります。母方の先祖は、江戸の人です。

ところで、西南戦争の西郷隆盛、佐賀の變の江藤新平については色々論じられていますが、萩の變及び前原一誠についてはあまり論じられていないように思います。何か文献などがございましたら、ご教示くださいませ。西南戦争・佐賀の變・神風連の變と同じように「不平士族の反乱」で片づけられているのは納得がいきません。

中原中也については全く不勉強です。お許しください。

安倍晋太郎氏は残念なことでした。しかし彼にそれだけの自覚と信念と体力があればまた再起することも可能でしょう。

小生は、薩長藩閥政治を全面否定するわけではありません。全面否定は近代日本の歩みの否定になります。それはできないことです。しかし、私は「敗者の側に正義がある」という言葉好きなのです。

色々な事情により、ご返事が大変遅れましたことを衷心よりお詫び申し上げます。

貴兄のますますのご健勝とご健筆を祈念いたしております。御母上に何とぞよろしく御鳳声下さいませ。どうか佳き年をお迎え下さいませ。                     謹白

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2007年12月29日 (土)

千駄木庵日乗十二月二十八日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後も、父の容態に少し変化があり、看護師に再び来てもらいました。病院とも連絡をとりまして医師の指示を受けました。幸い病院に行かなくても済みました。

夜は、古くからの友人と懇談。今年の反省と来年の希望が話題となりました。

帰宅後深夜まで年賀状書き。

         ○

福田総理がこの押迫った時期に共産支那を訪問しました。私は近隣友好を否定するものではありません。しかし、共産支那はわが国のみならずアジア全域にとって大きな脅威であり、さらには多くの迷惑被害をもたらしている国であります。共産支那との関係はこのことを正しく踏まえなければなりません。ただ「友好親善」「協力」だけでは駄目です。

「日中国交樹立」以来の「日中関係」は、日本が卑屈になり、支那のご機嫌ばかりとってきた外交でありました。その結果、支那が日本に対して友好的になるどころか、増長し居丈高になり、無理難題を吹っ掛けるのみならず、軍事的政治的圧迫を加え続けているのであります。断じて許されざる事です。

福田首相は二八日、北京大で講演し「過去をきちんと見据え、反省すべき点は反省する勇気と知恵があって初めて将来に誤りなきを期すことが可能になる」と述べました。「反省すべき点を反省する」ことが必要なのはこれまだ反日姿勢を取り続けて来た共産支那です。福田総理は、胡錦濤に対して「支那が反省すべき点を反省しなければ、二〇〇年の北京五輪をボイコットするぞ」というくらいの事を言っては良いのであります。

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2007年12月28日 (金)

千駄木庵日乗九月二十七日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは、在宅して年賀状作成。数百枚となるとやはり大仕事です。

           ○

パキスタンの首都イスラマバード近郊ラワルピンディで二七日午後(日本時間同日夜)、パキスタン人民党(PPP)総裁・ベナジル・ブット元首相が男に狙撃され死亡した。狙撃した男性は自爆した。なんとも恐ろしい事件である。エジプトのサダト大統領暗殺事件を思い出した。

PPPの関係者が、「ブット氏は殉教した」と述べている事を考えると、今後報復戦が行われるであろう。殉教という言葉は極めて重い。死ぬことを恐れない精神である。命を神に捧げるとを喜びとする信仰が自爆テロを生む。対立する勢力がお互いにそれを繰返しとどまるところを知らなくなる。砂漠の宗教たる一神教の凄まじいまでの対立抗争は今後ますます過激になり拡大すると思われる。

これを止める手立てはないであろうか。宗教というものは、本来人間に平和と安穏をもたらすものであるはずなのだが、全く逆の事態となっている。「一神教は恐ろしい」という言葉で片づけるわけにはいかない。私も一応「聖書」「コーラン」を読んだが、一神教はこれほど戦闘的というか攻撃的な行動を醸成する教義なのだろうか。

わが国の傳統信仰たる神ながらの道は、天地自然を神として拝む信仰であり、月並みの言葉で恐縮だが、平和と共生の宗教である。世界の平和回復のために日本神道が果たす役割は大きいのではないかと考えている。

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2007年12月27日 (木)

千駄木庵日乗十二月二十六日

午前は父母のお世話。訪問書看護師の方と共なり。

午後は、父母のことで診療所・薬局・郵便局などに赴く。

午後六時半より、豊島区立駒込地域文化創造館にて、「萬葉古代史研究會」開催。小生が萬葉集東歌を講義。

帰宅後は、年賀状の表書き。

           ○

年賀状を交換している人の中には、学生時代の先輩友人で、卒業以来一回も会っていない人もいます。また、月に数回お会いする人もいます。また、本当に親しくさせていただいている方でも、年賀状の交換をしていない人もいます。人との縁というのは面白いものです。

年賀状の交換というのは一体何時頃から始まった風習なのでしょうか。江戸時代にはなかったと思います。郵便制度が出来た明治以後のことでしょう。お互いに新年を祝福し合い、幸せを祈り合うというのはとても良い風習だと思います。以前は出来るだけ毛筆であて名を書いていましたが、今は、数百枚の数にのぼりますのでとても無理になりました。ただし、印刷とハンコのみというのも味気ないものです。

正月お飾り、お節料理のなどの準備は、去年までは母がやっておりましたが、母が十二月初旬に家の中で転びましたので、今年は私がやることになりました。年越しを無事に終えて、新年を迎えるのを楽しみに致しております。

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2007年12月26日 (水)

千駄木庵日乗十二月二十五日

午前は、父に付き添って病院へ。お医者さん・看護士さん・介護の方がよくやってくれるので助かります。

午後は、明日の萬葉集講義の準備。諸雑務。

夜は、年賀状表書き。

         ○

いよいよ年の瀬になりました。年末ゆえにやらねばならないことも多く、そうした忙しない中で萬葉集を読みますと、心が落ち着きます。

萬葉集には、国土讃歌・自然讃美・神への信仰・祭り・天皇尊崇・恋愛・死者への哀惜などが歌われています。基本的にはすべて山河自然・国家・天皇・神・死者・愛する人への愛が歌われていると言っていいと思います。いまこの愛という言葉がだいぶん汚れたものとなっていますが、萬葉時代の愛はおおらかで清らかなものでした。特に東国庶民の歌である「東歌」にはそういう歌が多いのです。萬葉集に収められている四五〇〇首の歌のうち約七割が恋歌です。

萬葉時代の時代状況は、遣唐使の派遣などがあり、儒教仏教の伝来など支那や朝鮮から外来思想・宗教・政治制度の輸入が行われました。また、国内的には、大化改新という大変革、壬申の乱という国家の存亡にかかわる内戦のあった時期であり、対外的には百済救援の失敗による唐・新羅連合軍来襲の危機もありました。この時代は、今日のわが国と時代状況はよく似ています。

当時の日本は内憂外患を克服しました。萬葉集はそういう時期におけるわが国の祖先の声であります。今日の日本の混迷を打開するためにはやはり、萬葉集に回帰し萬葉集に歌われた精神を回復することが必要なのであります。 

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2007年12月25日 (火)

千駄木庵日乗十二月二十四日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

昼は、知人と懇談。

午後からは在宅して、資料整理そして水曜日の「萬葉古代史研究會」における講義の準備。

          ○

私が読んでいる日刊・週刊新聞は「朝日」「日経」「世界日報」「聖教新聞」「赤旗日曜版」「神社新報」であります。「朝日」「赤旗」を読むのは、「敵を知り己を知らば百戦危うからず」という諺に従っているからであります。

「朝日」は、読むと腹が立つ記事が多いのは言うまでもありません。ただし、紙面の作りや情報量の多さは、やはり他紙より優れていると思います。國體破壊勢力・反日勢力が何を考えているのかを知るために読んでいます。

「聖教新聞」は最近飽きてきました。何しろ池田大作礼賛記事と敵対勢力に對する罵詈雑言しか載っていないと言って良い内容なのですから、もう飽き飽きしました。そろそろ購読をやめて、「サンケイ」に切り替えようかと思っています。ただしある事態が起こるまでは読み続けねばならないとも思います。

「世界日報」は、統一教会系の新聞ですが、韓国に対する姿勢を除いてはまあ妥当な内容だと思います。最近は沖縄県のいわゆる「集団自決」については正しい主張の連載を行っています。

「神社新報」は勉強になる記事もありますが、神社界の業界紙というイメージが強すぎます。もっとダイナミックな記事を多くして神社界以外の保守層の読者開拓を行うべきだと思います。

「赤旗」は文字通り敵方情報を取るためです。「日経」は文化欄が優れていると思います。「私の履歴書」はなかなかおもしろいと思います。

              ○

村田春樹氏の「民団青年会主催の集会に潜入報告」によりますと、小沢一郎は外国人参政権に積極的であり、白眞勲と一緒に民団を訪問し最高幹部の前で「参政権をやる」と明言していたとのことであります。

小沢一郎は、基本的におかしな姿勢を持っている政治家です。国連中心主義というよりも国連崇拝主義も全くおかしな考え方です。「小沢一郎よ、君は本当に日本人なのか」という「週刊新潮」の主張は正しいと思います。

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2007年12月24日 (月)

千駄木庵日乗十二月二十三日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午前十一時半、靖国神社に昇殿参拝。午後十二時より、靖国会館にて、「天長節を祝ふ会」開催。小生が司会。国歌斉唱・教育勅語奉読・天長節の歌奉唱、會長式辞(森田忠明実行委員長が代行)、来賓祝辞(田中舘貢橘・半本茂両氏)などが行われた。

この後、「記念講演」が行われ、田尾憲男氏(神道政治連盟政策委員)「皇室と憲法」と題して講演し、「今上陛下は、戦線の拡大、大東亜戦争へと、歴史の変わり目の時期に生誕され、御苦労の中でお育ちになった。昭和二十三年十二月二十三日、所謂『A級戦犯』七名の処刑が執行された。何故この日に執行されたのかは定かではないが、敢て、今上陛下のお誕生日に執行したという見方が出来る。『A級戦犯』指名開始は昭和二十一年四月二十九日で、先帝陛下のお誕生日であった。

わが国にとって『A級戦犯』は存在しない。不法な『東京裁判』という追撃戦で『侵略国家』という烙印を押され、その生贄が、『A級戦犯』である。『A級戦犯』などと絶対に言ってはならない。歴史の根本を失っては、先祖と子孫に申し訳ない。侵略国家の汚名は晴らさねばならない。

守屋前防衛政務次官が取り調べ中だが、『防衛省の天皇』という言葉がマスコミで踊っている。このような言葉の使い方はあってはならない。犯罪者に対して『天皇』と言うのは許しがたい大手紙は天長節に関する記事は第二三面で小さく扱っているのみ。しかも敬語は一切使っていない。『皇室典範』という法律で、皇族には敬語を使うことを命じている。天長節奉祝の社説もない。『サンケイ』のみは敬語を使っている。

日本国は、尊皇と愛国とがビシャとつながる国。ご歴代の天皇の御心が積み重なって大御心となる。天皇の御心はご歴代の天皇の大御心に忠実でなければならない。そういうお気持ちで、お祭りをされ、国事行為を行っておられる。

『日本国憲法』は『帝国憲法』を改正したものである。再び改正する場合は、『帝国憲法』から出発し、そこから改正すべし。現行憲法を改正するのではなく、『帝国憲法』を改正すべきである。『日本国憲法』の第一条から四条、第九条、第二十条の三つは、國體にかかわる条項である。『帝国憲法』に基づくべきである。」と語った。

この後、直会が行われた。

帰宅後は、書状執筆、資料整理など。

            ○

天長節には毎年、皇居参賀に行かせていただいていたのですが、今年は午前中父母のお世話をしなければならず、それがかないませんでした。朝は雨が降っていましたが、天皇様がお出ましになる直前に雨が上がりました。陛下がお出ましになる皇室行事ではこういうことが起こります。それからどんどん晴れて来て、午後には、所謂「天皇晴れ」となりました。天皇さまの御稜威を畏むばかりでございます。

靖国神社境内で、板垣正先生とご家族にお会いしまた。父君・板垣征四郎元陸軍大臣の命日であるので、参拝に来られたとのことでした。板垣先生のご家族のお姿を拝して涙を禁じ得ませんでした。東京大空襲が三月十日の「陸軍記念日」に行われたことを考え合わせれば、田尾先生の言われた通り、アメリカは将来天長の佳節になる「十二月二十三日」に意図的に処刑を執行した可能性は非常に高いと思います。

「自主憲法制定」「憲法改正」「帝国憲法復元」という三つの主張がありますが、『現行憲法』は、形式上『帝国憲法』を改正したことになっているのですから、憲法を変える場合は、再度『帝国憲法』に立ち還ることが正しいと思います。それが事実上『現行憲法』を失効させることにも破棄することにもなると思います。また、「天皇」「国防」「国家と宗教」に関する条項は、『帝国憲法』の精神に則るべきと思います。憲法に関する田尾先生の卓見に敬意を表します。

田尾憲男先生は、葦津珍彦先生の門下であられるとともに、東京大学合気道部に所属しておられました。文武両道に秀でた方であります。

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2007年12月23日 (日)

千駄木庵日乗十二月二十二日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、諸雑務。夜は、資料の整理。

          ○

今年も色々なことがありましたが、何といっても残念だったのは、「戦後レジームからの脱却」を唱えていた安倍内閣の崩壊でした。本来、安倍氏の責任では全くない年金問題によって参院選で自民党が敗北し、さらに、給油問題でにおける国益を無視した野党の攻勢により、体調を崩した安倍氏の退陣は痛恨事でした。

欺瞞的な「戦後体制」「ヤルタポツダム体制」を維持したいという勢力がまだまだ根強いことを実感しました。保守といわれる勢力の中にも、自主独立の日本の回復及び歴史と伝統の国日本の再興に反対し抵抗する勢力がまだまだ根強く存在することが明らかとなりました。

しかし、絶望してはならないと思います。わが国伝統精神は、見直し・聞き直し・のり直しであります。陰極は必ず陽転します。常夜行く時にこそ、天の岩戸は開かれるのであります。国家の再生のためにこれからも勇躍前進して行かねばならないと思います。そして来年は危機的状況を跳ね返し、国の現在および将来を危うくする勢力を駆逐せねばなりません。

それは、自民党政権を守るとか、現体制を擁護するというのでは決してありません。吾々は戦後体制打倒を目指しているのです。そして天皇国日本の真姿顕現=維新を目指しているのであります。旧来の陋習を破り、天地の公道に基づく日本を建設する我々こそが真の革新勢力=維新勢力なのであります。

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2007年12月22日 (土)

千駄木庵日乗十二月二十一日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は諸雑務。

午後五時半より、ある忘年会に出席。妙齢のご婦人方が多く出席された忘年会でした。小生は「ああもンテンルパの夜は更けて」を熱唱しました。

帰宅後は、年賀状作成。光陰矢のごとしという言葉がありますが、本当にそう実感します。毎年毎年月日が経過するのが早くなります。

            ○

弥生文化と呼ばれるところの古代日本の農耕文化は、稲作生活によって成立している。ということは種まき・田植え・収穫という毎年同じことが繰り返される生活である。そして日本の気候は四季の変化が規則正しい。毎年同じことを同じ場所ですればいい文化である。弥生文化の特質が家族共同体的な結合・仲間関係を生んだのである。そして家族共同体的な社会は、何でも規則や法律で規制しなければ秩序や共同体が維持できないというような水臭い社会でないのである。稲作生活の祭り主である天皇を君主と仰ぐ信仰共同体国家がそこに成立したのである。

私が六十年間にわたって住んでいる東京文京区と隣の台東区の間には、今は暗渠になっているが、逢初川という小さな川流れている。古代、その川のそばに人が住み、水田が作られた。故に小生が生まれ育ち現在も住んでいる千駄木やその近くの動坂そして弥生町に貝塚が発見された。ゆえに古代日本稲作文化は弥生文化といわれている。明治一六年文京区弥生の貝塚で発見された古代稲作農耕文化時代の土器弥生式土器と呼んだことによる。そしてその時代を弥生時代と言うようになった。

私の住む千駄木周辺つまり弥生町・千駄木・動坂は、日本民族の中核精神となっている稲作文化と深い関わりのあるところなのである。千駄木の貝塚が弥生より早く発見されていれば、古代日本農耕文化は千駄木文化と呼ばれた可能性もあったのである。

 日本人の農耕生活・弥生文化から生まれた信仰は、天地自然を神として拝む信仰である。天も地も山も海も川も樹木も、神の命としてこれを尊ぶ心が日本人の根幹にある。天地自然に神の声を聞くのである。殊更に宗教教義を作り出してこれを遵守しなければ神の怒りにふれるなどという観念は日本伝統信仰には無い。日本の伝統信仰には、西洋的意味での神学もイデオロギーも無い。 

それは倉前盛通氏が、「『自然界の声』が、日本の伝統的な自然宗教の基本となっているので、『神学』や『イデオロギー』のような虚構論理とは全く異なった『自然神』の声が、日本人の思考と行動を抑制するのだと言えよう。」(艶の発想)と論じておられる通りである。

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2007年12月21日 (金)

千駄木庵日乗十二月二十日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後一時半より、荻窪の教育創造研究所にて、「しきしまの会」開催。小生が、「浪漫精神の歌」をテーマに、在原業平・与謝野晶子・中河与一などの歌を講義。

帰宅後は、諸雑務。

            ○

井上順理先生から、御著書「微衷録ー皇国再建の基盤」をご恵贈いただいた。井上順理先生は、ながく鳥取大学教授をつとめられ、現在は山鹿素行の遺徳を顕彰し学問を継承する素行会の会長として活躍されておられる。小生は十数年にわたり色々ご指導をいただいている。ご恵贈いただいた「微衷録」の内容は、「天壌無窮の論理と真実」「神勅の成立と展開」「建国と紀元・皇統問題」など國體の根幹に関する諸論考が収められている。ゆっくりと拝読いたし、勉強させていただく所存である。

「政治文化情報」の愛読者の方から、藤原彰などの共著で共産党系の新日本出版社から刊行された「天皇の昭和史」という本が贈られて来た。いわゆる「天皇の戦争責任」なるものを論じた本である。この本に対する反論を書いてほしいという意向で贈られて来たものである。歴史の解釈はある意図を持てば如何様にもできることであって、「天皇制打倒」を窮極の目標とする者共の歴史観にいちいち反論するのも馬鹿馬鹿しいとも思えるが、自虐的というよりも國體破壊の意図を持った歴史書に対してこれを厳しく批判することは重要であると考える。

今日購入した本は、松本健一氏著「畏るべき天皇」である。松本氏の思想的立場は、いま一つ明確ではないが、國體破壊を目指しているわけではないようである。「恐るべき」としなかったところが一応評価できる。上記の「天皇の昭和史」への批判論を書く参考にするために購入した。目次を見るとなかなか興味深い内容のようである。

購入したもう一冊の本は、「警視庁情報官」という小説本である。公安警察の内情をテーマにした面白そうな本である。公安警察の視察の対象になっていると思われる小生にとってやはり読んでおかなければならない本であろう。

月刊誌「世界」も買った。野中広務氏の「政治家と歴史認識」という論文と「ドキュメント・志布志事件」という記事が掲載されているからである。拾い読みしただけだが、野中氏の歴史観はいわゆる左翼と大差はないようである。

こうして小生の家には読みたい本、読まねばならない本が増え続けて行くのである。

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2007年12月20日 (木)

千駄木庵日乗十二月十九日

午前は、父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後二時より、ある会合に出席。スピーチ。

午後四時より、忘年懇親会。

夜は、明日の「しきしまの会」における講義の準備。

         ○

防衛庁官僚の不祥事、警察官の不祥事、社会保険庁の不祥事が続発し問題となっております。私は他人に道義道徳を説けるほどの人間ではないことは十分に承知しています。しかし、官僚・役人の質の低下は指摘しなければなりません。

一体この原因はどこにあるのでしょうか。やはり、戦後日本の欺瞞が六十年を経過した今日より深刻化してきたのだと思います。自衛隊員や官僚のみならず、日本全国民が、日本人としての誇りを忘却しつつあるところに今日の混迷の根本原因があると思います。

昨日も引用させていただきましたが、三島由紀夫氏は「国の根本問題である防衛が、御都合主義の法的解釈によつてごまかされ、軍の名を用ひない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頒廃の根本原因をなして来ているにを見た。もつとも名誉を重んずべき軍が、もつとも悪質の欺瞞の下に放置されて来たのである。自衛隊は敗戦後の国家の不名誉な十字架を負ひつづけて来た。自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与えられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与えられず、その忠誠の対象も明確にされなかった。われわれは戦後のあまりに永い日本の眠りに憤った。」と訴えられました。

まさに、現行占領憲法下の日本は、軍隊や官僚機構のみならず、日本国全体が、忠誠の対象が不明確になり、甘い惰眠を貪り、悪質の欺瞞の下に放置されて来たのだと思います。そして日本国民・日本国家の自尊心・名誉を重んじる心・誇りを喪失してしまったのであります。

「われわれの愛する歴史と伝統の国日本」すなわち天皇を君主と仰ぐ天皇国日本の國體の真姿回復こそが今日最も大切だと思います。尊皇精神の昂揚・自虐史観からの脱却が根本であります。

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2007年12月19日 (水)

千駄木庵日乗十二月十八日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、諸雑務。

夜は、明日の会合でのスピーチおよび明後日の「しきしまの会」での講義の準備。

          ○

防衛庁の汚職問題は、国家安全と独立を守るという使命感・責任感が希薄になっていたところにその根本原因があると思う。さらに言えば、自衛隊に真の国軍・皇軍としての名誉が与えられていないところに根本原因があると思う。

三島由紀夫氏の「檄文」に次のように示されている。

「われわれは今や自衛隊にのみ、真の日本、真の日本人、真の武士の魂が残されているのを夢みた。しかも法理論的には、自衛隊は違憲であるのは明白であり、国の根本問題である防衛が、御都合主義の法的解釈によつてごまかされ、軍の名を用ひない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頒廃の根本原因をなして来ているにを見た。

もつとも名誉を重んずべき軍が、もつとも悪質の欺瞞の下に放置されて来たのである。自衛隊は敗戦後の国家の不名誉な十字架を負ひつづけて来た。自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与えられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与えられず、その忠誠の対象も明確にされなかった。われわれは戦後のあまりに永い日本の眠りに憤った。

自衛隊が目覚める時こそ、日本が目ざめる時だと信じた。自衛隊が自ら目ざめることはなしに、この眠れる日本が目ざめることはないのを信じた。憲法改正によって、自衛隊が建軍の本義に立ち、真の国軍となる日のために、国民として微力の限りを尽くすこと以上に大いなる責務はない、と信じた。」

「日本の軍隊の建軍の本義とは、『天皇を中心とする日本の歴史・文化・伝統を守る』ことにしか存在しないのである。」

「日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか。もしいれば、今からでも共に起ち、共に死のう。われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇えることを熱望するあまり、この挙に出たのである。」

三島氏の訴えは、今日ますますその価値を高めている。自衛隊・防衛庁に職を奉じる人々が、武官・文官を問わず「真の日本人、真の武士の魂」を保持することが大切である。さらに言えば、天皇を中心とする日本の歴史・文化・伝統を守る即ち國體を護ることが建軍の本義であるという根本精神の回復、すなわち皇軍の再建が断行されねばならない。

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2007年12月18日 (火)

千駄木庵日乗十二月十七日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後十二時半より、本郷の展転社にて、「時局戦略懇話会緊急幹事会」開催。直近に開かれる集会について打ち合わせ。

終了後、東京大学構内を経由して根津の谷に下り、都バスで帰宅。

帰宅後は、木曜日の「しきしまの会」における講義の準備など。

         ○

東京大学は、申すまでもなく、江戸時代には加賀前田藩の上屋敷でした。赤門をくぐり、構内に入りますと、多くの校舎が並んでいます。古い建物が多いようです。

石段を下りゆくと、三四郎池があります。前田藩邸時代は、江戸第一の名園といわれたそうですが、今やその面影を残すのはこの池のみのようです。カルガモが泳いでいました。餌を与える人が池畔に立ちますと、群れをなして集まってきました。加賀前田藩は、加賀宰相といわれ外様大名筆頭の地位にありました。

弥生門から外に出て、坂を下りますと、根津の町になります。明治の初期までは、根津神社の裏には岡場所があったのですが、東大、一高が本郷向丘に開設されることとなり、風紀上問題ありとのことで、明治二十年に廃止され、その殆どは洲崎に移りました。売春防止法施行までにぎわった洲崎パラダイスのルーツは実に根津にあったのであります。

文京区には、前田藩邸跡の他、水戸藩邸跡の後楽園、柳沢吉保邸跡の六義園という大名屋敷跡の庭園があります。

私がよく遊びに行った千駄木にある須藤公園も、江戸時代の加賀藩の支藩の大聖寺藩(十万石)の屋敷跡です。前田藩邸跡と比べればもちろん規模は小さいのですが、本郷台地の崖を利用した滝と池のある回遊式の庭園です。

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2007年12月17日 (月)

千駄木庵日乗十二月十六日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、原稿執筆、完成、送付。『政界往来』という雑誌に毎号書いている原稿です。「四宮の一筆啓上」という名前のコラムです。政治評論と言いますか、時局批判の原稿です。

夜は資料の整理。

           ○

私は、郵便局を利用し、お世話になることが多いのです。昨日も「政治文化情報」の集荷に来てもらいました。郵便局員の制服制帽が変わっていました。郵便局に行きましても、そこで働いている人々の制服が変わっていました。郵政民営化に伴い、その他看板など色々なことが変化しました。それに掛った費用は莫大な額になったと思います。また、一つの郵便局の建物の中に三つか四つの会社が同居していて、働いている人々もそれぞれ所属する会社が異なるようです。何ともややこしい話です。

一般利用者にとって今までより以上に便利で確実で安全になればそれでいいわけですが、果たしてそうなるのでしょうか。また働いている人々にとっても今までよりも働きやすく、生きがいも感じられるようになればそれでいいのですが、果たしてそうなるのでしょうか。

中曽根内閣によって行われた国鉄民営化は成功しました。サービスも良くなりましたし、駅の中のずいぶん清潔になり、明るくなりました。こうした前例があったものですから、小泉内閣の行った郵政民営化も、なんとなく良いことのように思われました。しかし、私もそうですが、多くの国民は郵政民営化の実態をあまり知らなかったのではないでしょうか。政府の広報もメディアの報道も、民営化の中身を詳しく具体的に知らせるということはなかったと思います。

昔は全逓労組と言えば大変に力を持っていました。今は労働組合があるのかどうかすら分からないくらい存在感がなくなっています。そして郵政民営化に対する反対運動が起こりませんでした。

今更こんな事を言っても仕方がないのですが、私は郵便局をよく利用する者として、民営化に対する不安と申しますか、懸念というものが、払拭できません。郵便貯金に対する批判がありましたが、営利至上主義に基づいている民間金融機関のみではなく、民間の金融機関と比較して営利主義に陥らない公的な金融機関が一つくらいあっても良かったのではないかと思います。

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2007年12月16日 (日)

千駄木庵日乗十二月十五日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、「政治文化情報」発送作業。発送完了。購読者の皆様には月曜日にお届けできると思います。

              ○

我が國は古来、東方の君子國といわれ、我が國民は、道義心篤く、勤勉であり、建國以来統一國家を保ち、隆々と発展して来た。しかるに、今日の我が國は、國民の道義心が頽廃し、祖國への愛も、親への尊敬心も、國民同士の信頼感も喪失しつつある。そして自國の歴史と傳統を軽視あるいは蔑視している。まさにわが國は亡國の危機に瀕している。

 今日の日本は、昭和二十年までの日本がしてきたことは全て悪かったというとんでもない歴史観が偏向したマスコミや学者文化人によって宣傳されている。そして与野党政治家があっちこっちの國を謝って歩くという状況である。最近は、民主党代表・小沢一郎が共産支那に朝貢外交を行った。

 「戦前の日本は悪かった。日本は侵略國家・犯罪國家だった。日本は戦勝國の言いなりになっていればいい」というのが戦後體制である。冷戦體制が崩壊したと言っても、こうした戦後體制は全く変わっていない。むしろますますひどくなっている。「戦後レジームからの脱却」を唱えた安倍前総理の辞任は痛恨事であった。

 我々日本人は歴史観を正しいものにしなければならない。神代以来そして神武天皇御即位以来、第百二十五代・今上天皇までの祖國日本の光輝ある歴史と傳統を正しく認識し把握することが現代日本を変革するために最も大切であると信じる。

 現代日本は文字通り内憂外患交々来るといった状況である。同じようなことは過去にもあった。幕末期すなわち明治維新前夜である。大きな外圧が幕末に起こった。そしてそういう危機的状況を打開し祖國を救った大変革が明治維新であった。

今日の日本において、「改革」ということがうるさいくらいに言われている。しかし、如何なる理念・精神を根本に置いて「改革」を行うかが問題なのである。

 明治維新が「尊皇攘夷」を基本理念にして戦われたように、現代維新においても、「尊皇攘夷」の精神を根底に置いて戦われなければならない。「尊皇」とは萬世一系の天皇を中核とする國民的統一・道義心の高揚を図る事であり、「攘夷」とは國家民族の自主独立を回復することである。内憂外患交々来るといった状況にある今こそ、尊皇攘夷の精神が必要な時であると言える。

 民族の傳統への誇りを忘却した民族には未来はない。民族の歴史の流れ、民族の道統に立脚した変革が行われなければならない。日本國體精神こそが永遠の維新の原理である。

 天地自然に神の命が生きているという信仰が日本の傳統信仰である。そしてその祭祀主が天皇であらせられる。天皇を祭祀主とする信仰共同體が日本國の本姿である。それを現代において回復することが、大切なのである。これが道義の頽廃が根本原因である現代の様々な危機的状況を打開する唯一の方途である。

 我々日本國民は誇るべき國體精神を恢弘してわが國の革新と再生そして世界の真の平和実現に邁進しなければならない。 

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2007年12月15日 (土)

千駄木庵日乗十二月十四日

午前は父母のお世話。

午後からは在宅して「政治文化情報」発送準備。

          ○

今週号の「週刊新潮」は、小沢一郎の共産支那訪問を徹底的に批判している。「あいつは本当に日本人か?」「こんな政治家を次期総理候補と仰がねばならない日本人こそ哀れ、いや、滑稽というほかはない」とまで書いている。

国会開会中に野党第一党の党首が国会対策委員長まで引き連れて、何故「訪中」しなければならなかったのか。一体それによってを学なの国益にかなうどんな成果があがったのか。

日支間の懸案事項、とりわけ、わが国に対する軍事的圧迫・領海領土の侵犯侵略の策謀、資源の盗み取り、南京問題などの歴史の偽造、我が国国連加盟への妨害など、共産支那に抗議すべき問題は限りなくあるにもかかわらず、一切抗議を行わず、相手を問い詰めることもしなかった。

また。支那共産政府による民族抑圧、アジアにおける軍事的覇権拡大の動きに対しても何らの抗議を行わなかった。それどころか胡錦濤に対して「臣下の礼」をとったという。「あいつは本当に日本人か?」と言いたくなるのは「週刊新潮」のみではない。

考えてみれば、小沢一郎のこれまでの昨是今非の詭弁を弄し、政局のためには基本理念・基本政策を転換させるはの朝飯前という姿勢と言動は、「あいつは本当に日本人か?」と疑いたくなることが多かった。かつての剛腕保守政治家は、今や旧社会・共産と何ら選ぶところのない亡国政治家になり果ててしまった。このような人物が国家権力の頂点に立つことは日本の不幸である。

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2007年12月14日 (金)

千駄木庵日乗十二月十三日

午前は父母のお世話。

午後一時半より、豊島区立千早地域文化創造館にて、「萬葉会」開催。磐姫皇后の御歌などを講義。

帰宅後は、「政治文化情報」発送準備など。

             ○

和歌・やまとうたの語源は「訴へ」であります。自己の魂の訴へが歌であります。そしてそれは自己自身の魂と歌の対象の魂を沈める働きをします。すなはち鎮魂・たましづめであります。

死者への訴へが挽歌であり、恋する人への訴へが相聞歌であり、自然への訴へが叙景歌であります。

萬葉集にはさうした歌の数々が収められてゐます。といふ事は、古代日本人の民族精神が歌ひあげられてゐるのであります。

今日講義しました

「ありつつも君をば待たむうちなびくわが黒髪に霜の置くまでに」(「このままあなたを待ってゐませう。長く垂れてゐる私の黒髪に霜が置くまでも」あるいは「このままでゐてあなたの来られるのを待ちませう。私の黒髪に白髪が出るまでも」といふ意)

という磐姫皇后の相聞歌は、まさに愛する人への一途な思ひを表白した戀歌であります。

「わが黒髪に霜の置くまでに」は、夜が更けて髪に霜が置くまでも、といふ意です。この歌の状況を一夜のこととすると、そのやうな解釈になります。しかし、霜を白髪の比喩と見て黒髪が白髪になるまでとすると、年老いて白髪にになるまで長い年月あなたを待ってゐるといふことになります。

 昔も今も黒髪は女性の美しさの象徴です。黒髪が白髪なるまで待つといふのは、女性の美が衰退し老いた姿になってもあなたを待ってゐようといふ凄まじいまでの戀心です。相手の男性がたとへ帰ってきたとしても、年老いた女性を以前のやうに愛することはない。それは分かってゐても、待ち続けるといふのです。

 希望の無き戀に対する女性の絶望感が詠まれてゐます。鬼気迫るといってもいい戀歌ですが、怨念にはなってゐないところにこの御歌の慎み深さがあると思ひます。萬葉人の戀愛はまさにしさうした戀でありました。

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2007年12月13日 (木)

千駄木庵日乗十二月十二日

午前は、父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。続いて、訪問看護師・介護士の方々と今後のことについて相談。

午後三時より、永田町の衆議院第二議員会館にて、「時局戦略懇話会拡大幹事会」開催。当面する諸課題について討議。

終了後、同志議員事務所訪問。

午後七時より、高田馬場のホテルサンルートにて、「一水会フォーラム」開催。作家の大下栄治氏が「大連立の乱と政界再編」と題して講演し、

「竹下登は会ってもオーラのない人だった。しかし、竹下・金丸連合軍は田中角栄より強くなった。竹下は天才ではないが、田中と違う方法で田中と同じような事をした。竹下は田中を倒した後、藤井富雄と二三か月に一回飯を食う関係をつくった。竹下の実戦部隊として動いたのが野中。

石原は政治家として本当の戦いをしていない。亀井は顔はいかついが、小泉の前に立ったら東大出のお坊ちゃま。小泉の言った『自民党をぶっ壊す』は『経世会をぶっ壊す』ということ。今や経世会は凋落し、福田派内閣が四代続いた。

吉田は経済復古したら日本は武装しなければならないと思っていた。池田・佐藤・田中・大平は経済第一でやった。

小泉はタカ派ではないが、自分が行ったことは実行する人。プレスリー好きのアメリカ好き。父は防衛庁長官。横須賀には基地がある。感性的右派だが思想的右派ではない。経世会をぶっ壊すはずが意図以上に自民党をぶっ壊してしまった。

創価学会がついた方が天下を取る。小沢は新進党を解党しなければ天下を取った。自民党の大票田は特定郵便局。小泉はこれを壊した。加藤紘一は勉強好き。あまり勉強しすぎると決断力がなくなる。

岸の家がデモ隊に取り巻かれている時、岸は孫の安倍晋三に『外を取り巻いている連中は泥棒より悪い連中だ』と言った。安倍は岸のクローン。小沢も私も戦後教育を受けたので、『国連中心主義』の世代。小沢は宗教のように国連を信じている」などと語った。

もっと興味深いことが語られたのですが、詳しくは「政治文化情報」誌で報告します。

終了後懇親会。大下氏・木村三浩氏などと懇談。

帰宅後は、明日の萬葉会における講義の準備。

           ○

懇親会の席で小生が、「吉田茂は憲兵隊につかまり、岸信介は戦犯容疑者となって巣鴨プリズンに入り、テロにも遭った。小沢一郎・小泉純一郎は二世代議士であり、命懸けで政治を行うという体験も気迫もない」と言ったら、大下氏は、「小沢・小泉まで否定したら、今の政界に人はいなくなってしまう」と言いました。

昨日も書きましたが、『どんな国民もその国民以上の指導者を持つことはできない』という定理に従えばそういうことになります。何とも困ったことであります。

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2007年12月12日 (水)

千駄木庵日乗十二月十一日

朝は、父母のお世話。

その後、父の付き添いで病院へ赴く。

午後は、諸雑務。

午後六時より、九段下にて、「九段下沙龍」開催。

加藤正俊氏が「日朝関係を探る」と題して講演し、「國の数だけ、民族のだけ常識が存在する。民族とはもともと主観的なもの。壇君神話の持って居る幻想の上に朝鮮のアイデンティティが成り立っている。その上に騎馬民族によってつくられた歴史、儒教特に朱子学によってつくられた歴史がある。

日本が北朝鮮でつくった設備を旧ソ連へ送る鉄道の警備隊が北朝鮮人民軍の出自。軍部が金正日を担いだ。昔からの権力闘争の歴史、内紛の歴史を引き継いでいる。『どんな国民のその国民以上の指導者を持つことはできない』という。金日成の実像は、中国東北部で日本軍に追い詰められて、ソ連領に逃げ込んだ。金日成が武装闘争をしたというのは幻想。アイデンティティの不安を解消するために、日帝と戦い撃ち破ったという金日成神話が作られた。世界最貧国が核ミサイルを持ってアメリカに対抗している。

清国は夷狄の国であり、朝鮮が中華の正統性を持っていたという歴史観がある。万宝山事件という対清国暴動は、日本という虎の威を借りた事件。拉致事件には、目的を持った拉致と、無差別の拉致とがある。金正日に力量無し。幻想の中で政治を行うというのが朝鮮人の民族的思考方法。」と語った。

帰宅後は、木曜日の行われる「萬葉会」における講義の準備。

          ○

『どんな国民のその国民以上の指導者を持つことはできない』は誰が言った言葉だか知りませんが、全くその通りだと思います。今月号の「文芸春秋」で小池百合子女史が言っている通り、小泉純一郎・小沢一郎両氏が、近年の日本政治を動かしてきました。

今の日本国民にはこの小泉・小沢両氏程度の指導者というか政治権力者を持つことが出来ないということであります。このお二人は、金正日よりはましでしょうが、果たして日本国家のために功績を積んできたかというと私は全くそうは思いません。

佐藤栄作・中曽根康弘両氏、そして吉田茂・岸信介両氏と比較すると、大変見劣りがするというのが私の実感であります。やはり日本国民は劣化しているのでしょうか。

「田中訪中」の時、「北京の空は青かった」などと言われました。自転車しか走っていなかったのですから当たり前です。

ところが今は大変な公害大国です。またその頃は、国民全部が貧しく、貧富の格差はありませんでした。

今の共産支那は大清帝国に回帰したと思います。幾千万も殺した毛沢東の革命は一体何だったのでしょうか。

また、北朝鮮に行くと、巨大な金日成像に拝礼を強制させられるそうです。とんでもないことです。金日成は、韓国を侵略し多くの同胞を殺戮した戦争犯罪人であり、数多くの自国民を粛清し餓死させた政治犯罪人であります。

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2007年12月11日 (火)

千駄木庵日乗十一月十日

午前は父母のお世話。

午後は諸雑務。

夜は資料の整理。

          ○

民主党は四日の役員会で、福本潤一元参院議員(元公明党所属)を参議院で参考人招致する方針を決めた。党幹部は「公明党と支持母体の創価学会との関係や政治資金の問題なども国民は知りたいと思っている」と招致の理由を説明した。福本氏は七月の参院選で、公明党の公認が得られず引退を余儀なくされ、公明党批判を展開し、除名処分を受けた。

私は、民主党は大嫌いだが、この方針は首肯できる。池田創価学会は異様な集団である。最近の創価学会の機関紙誌を見ると、池田大作氏の神格化・独裁者ぶりは目に余る。また、表面的には「文化だ」「平和」だと綺麗事を言っているが、その本質は排他独善であり、怨念と復讐である。池田大作氏に批判的姿勢を持つ者に対しては、組織の内外を問わず、人格・人権無視の執拗なる非難攻撃、圧迫制裁を加える。

福本潤一氏が参院議員を下されたのは。彼が日蓮正宗宗門寄りの姿勢を見せたためであろう。

福本氏はその後、公明党・創価学会の政教一致ぶり、池田大作氏の独裁者ぶりを、証言した。そのことが事実であるのかどうか、国会に招致して、福本氏に語って貰うのは良いことである。

ただし、創価学会・公明党を政権内に最初に引き入れたのは小沢一郎であることを忘れてはならない。小沢一郎こそ、池田大作と手を組んだ張本人なのだ。彼の率いる民主党には創価学会公明党を批判する資格は無い。

かつて自民党が池田大作を証人喚問しようとした時、暴力的に阻止したのが小沢一郎が率いる当時の新進党である。その阻止行動の参謀をつとめたのが、今は創価学会批判本を書いている子分の平野貞夫氏なのである。全く節操がないというか、「昨日の友は今日の敵」という変節を平気でやるのが小沢一郎とその仲間たちなのだ。

考えてみれば、池田大作と小沢一郎はその体質というか精神構造はよく似ているのではないだろうか。池田大作も、この間まで「外護する。外護する」と言っていた日蓮正宗を不倶戴天の仇敵として、あらゆる手段を用いて攻撃している。今度のケンカは「目くそ鼻くそ」と言っていい。

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2007年12月10日 (月)

千駄木庵日乗十二月九日

午前は父母のお世話。

午後は、亡くなった同志の追悼会に出席するつもりでしたが、急遽父の付き添いで病院に行くこととなり、出席出来ませんでした。

帰宅後は、資料整理など。

           ○

日本を駄目にした政治家・総理大臣は田中角栄であります。田中角栄は、金権政治・政治腐敗の元凶です。また実行すべきではなかった「日中国交樹立」「台湾切り捨て」を実行しました。この二つがそれ以後の我が国の内政と外交と安全を大きく阻害しました。田中角栄は、政官財癒着構造の本家本元であり媚中政治家の元祖であります。

その田中角栄の政治的血統をひいているのが、小沢一郎であり、田中真紀子であります。田中真紀子の場合は肉体的血統もひいています。

そしてこの二人が手を組んで、今日唯今日本の政治をますます混迷に陥れているのであります。血は争えないというべきです。小沢一郎の「国連中心主義」は亡国的考え方であります。田中真紀子は政策より何よりその人間性に根本的欠陥があります。こんな女性が強大な政治権力を握るのは絶対に阻止すべきであります。

民主党が総選挙に勝てばこの二人が国家権力の中枢において権力をふるうことになるのであります。かと言って福田自民党が良いというわけにもいきません。しかし、違ったご意見もあるかと思いますが、小沢・田中が権力を握るよりは、比較の問題として福田の方がいいと思います。ともかく、自民党か民主党か二者択一という小選挙区制は全く日本を駄目にします。

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2007年12月 9日 (日)

千駄木庵日乗十二月八日

朝、父母のお世話。

午前十時より、靖国神社にて、「大詔奉戴六十六年祭」執行。拝殿にて、国歌斉唱・祝詞奏上・大詔奉読・玉串奉奠などが行われた。

午前十一時より、靖国会館にて、記念講演が行われ、茂木弘道氏が「大東亜戦争─勝利の方程式」と題して講演し、次のように語った。

「六十六年前、一億国民は深い感動を持って『大詔』を拝した。太宰治は『暗雲が晴れたという気持ち、透明な気持ちになった』と言った。国民等しく開放感を持った。大東亜戦争は自存自衛・アジア解放の闘いであった。自存自衛する為には、一切の障碍を破砕する以外になかった。一切の障碍とはアジアにおける欧米の植民地である。一切の障碍の破砕は即ちアジアの解放であった。

真珠湾攻撃の十三年前、グレッグブリアン条約(パリ不戦条約)をつくった張本人のグレッグ米国務長官は、『経済封鎖は戦争行為か』と問われると、『断然戦争行為だ』と言った。最初の戦争に仕掛けたのはアメリカである。本質はここにある。

極東国際軍事裁判の法的根拠は、マッカーサーの作った条例しかない。マ元帥は帰国後、『日本は自衛のために立ち上がった』と言った。

開戦時日米の戦力比較で日本は決して劣っていなかった。昭和十六年十一月十五日決定の『対米英蘭戦争促進に関する腹案』(大本営政府連絡会議決定)の『①極東における米英蘭根拠地を覆滅して自存自衛を確立、②蒋政権の屈服を促進、③独伊と提携してまず英の屈服を図る、④米の戦争継続の意欲を喪失せしめるように勉む。』の①は実現。②③が開戦二年以内に実現していれば対米有利の講和が実現できた可能性大。

しかしミッドウェー作戦やガダルカナル戦を行ったことによってインド洋作戦が不発に終わったために、②③が実現できなかった。東條大将は『緒戦以降海軍に引きずられてしまった。一方攻勢の終末点を誤った。緒戦後のわが攻勢は印度洋方向を取るべきであった』と語った。

陸海軍の統合統帥権が実質的に存在していなかった。大東亜戦争は仕掛けられて止むに止まれず戦った戦争ではあるが、勝利の可能性は厳として存在していた。東京裁判史観の克服とは日本の正当性の復権に止まらず、真の敗戦理由追及も含むべきものである。」

この後、直会が行われた。

帰宅後は、諸雑務、書状執筆など。

         ○

茂木氏の講演は、新しい観点から大東亜戦争の勝利の可能性を追求した大変興味深いものでした。大東亜戦争特に日米戦争は「軽率にも無謀な戦争であった」という意見が今日大勢を占めていますが、実際には、日本勝利の可能性があったということです。日本の勝利とは、日本がアメリカのワシントンまで占領し、アメリカを日本の植民地にするなどということではありません。日本軍が印度洋に進撃し、米英蘭などのアジア侵略支配を破砕し、アジアを解放するということであり、アメリカの圧迫をはねのけ、日本国の自存自衛を確立するということであります。つまり日本の勝利とは侵略者をアジアから追い出すということです。歴史にもしもは無いといいますが、まことに無念なことでした。その結果、日本は焦土と化し、幾百万の日本国民が斃れたのですから…。

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2007年12月 8日 (土)

千駄木庵日乗十二月七日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後、先輩の事務所訪問。懇談・討議。信頼し敬愛している先輩と色々お話することができるのは本当にうれしいことです。

帰宅後は、諸雑務及び「政治文化情報」原稿執筆・完成送付。

         ○

今日も極めて忙しい一日でした。「政治文化情報」の原稿を今日中に仕上げねばならず、夜遅くというよりも未明までかかりました。

そして明日は、午前十時より、靖国神社にて「大詔奉戴祭」が執行されます。小生は森忠明氏と共に主催者側ですので、九時頃までにはいかねばなりません。

その前に、何時も午前中にしている父母のお世話をしなければなりません。

というようなわけで、本日はこれにて失礼いたします。

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2007年12月 7日 (金)

千駄木庵日乗十二月六日

午前は、父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、父母のこと・家庭のことで、色々なところに赴き処理。以後、在宅して「政治文化情報」の原稿執筆。

          ○

「政治文化情報」の原稿執筆を急がねばならないうえに、本日は父母のことなどで数か所訪問して処理しなければならないことがあり、なかなか忙しい一日でした。そのため、出席したかった勉強會に行くことができませんでした。

朝、病気療養中の友から電話がありました。その友は先日突然脳梗塞か何かで倒れました。詳しい病名は分かりませんが、手が痺れているとのことでリハビリをしています。相当血圧が高く頭痛もひどかったようです。今まで働き過ぎていました。本当にお気の毒です。少し休養せよとの神様の思し召しだと思います。私と思想的に同じ立場であり、かつ、人柄も良い人なので、必ず回復してまたお国のために活躍することと確信します。

お陰様で私は、病床に伏すことなく頑張っていますが、太り過ぎですので、十分注意しなければなりません。

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2007年12月 6日 (木)

千駄木庵日乗十二月五日

午前は父母のお世話。

午後三時より、グランドアーク半蔵門にて、「日本の司法を考える会「冤罪と国策捜査」集会開催。登壇者の主な発言は次の通り。

村上正邦氏「ものつくり大学は国策として必要だった。検察は請託のお礼として五千万円もらったというストーリーを作った。あり得ない事をあったという筋書きを作らないと起訴できない。八十歳になるKSDの会長を百日間も拘束して『調書に署名しろ』と迫った。第二審でKSDの会長は『早く釈放されたいために嘘の調書に署名した』と証言した。冤罪事件を捜査した検察官、裁いた裁判官は責任を取るべきだ。特捜部長は『政治家を落とすのが醍醐味』だと言う。」

鈴木宗男氏「四百万の斡旋収賄で逮捕された。官房副長官就任祝いであり、領収書も出している。賄賂に領収書を切りますか?。当時抵抗勢力と言われ、世論は『何故鈴木を逮捕しないのか』というので別件逮捕的にやられた。私がとことん真実を言ったので、四三七日間も拘留された。裁判所は検察の言いなりなので釈放を許可しない。当時の三井公安部長の不祥事から国民の目をそらすためにやった。ガンで放射線治療を受けていた私の女性秘書まで逮捕した。その後その女性秘書は亡くなった。守屋氏の事件も妻まで逮捕する必要があるのか。マスコミは反権力というが、マスコミが一番欲しいのは情報。検察は意図的に情報をリークし、マスコミはそれをスクープとして書く。マスコミは権力の誘導の手の平に乗っている。」

佐藤優氏「逮捕された三日後に、検事から『あなたを逮捕したのは鈴木宗男さんを捕まえるための国策捜査ですので、ご協力をお願いします』と言われた。検察は『自分たちの書いたストーリーは間違っていない』という信仰を持っている。検察は絶対正義であるという宗教的信念がある。刑事被告人になっても国家に弓を引くことはできない。しかし、右派の中心的政治家であり、国家のためにやってきた村上さんが国家からやられた。七十歳を過ぎた村上さんの収監は死刑判決と同じ。癌をやった鈴木さんも同じ。村上・鈴木両氏を政治の舞台から下ろして国益になるとは思わぬ。」

田中森一氏「贈賄側は時効が三年、収賄側は五年なので、時効が過ぎれば贈賄側は自分が罪にならないので、検事の調べを受けると、どんな迎合でもする。裁判所は、法廷における証言よりも検事調書を重んじる。『日本人は人前では本当のことを言わない。密室では本当のことを言う』と、日本の法律は考えている。検察官には良心もあるが、保身もある。自分のやったことが絶対に正しいとは信じていない。警察・検察には決済制度という逃げ道がある。個人が一人の責任で当該事件を処理したのではないというシステムになっている。」

田原総一朗氏「志布志事件では冤罪なのに、一年以上も拘留した。しかし警察側は全く裁かれていない。」

午後六時、知人と懇談。

帰宅後は、「政治文化情報」の原稿執筆。

          ○

確かにマスコミと警察・検察の関係はおかしいと思います。検察・警察の意図通りの報道をすることが多いようです。情報を取りたい一心でそういうことになるのでしようか。また、警察不祥事が起こると、高視聴率を取る警察活動に関する特別番組が組まれるようです。私は、検察・警察性悪説をとるものではありません。本当の悪を蔓延らせないために、検察・検察には頑張ってもらわねばなりません。しかし、権力犯罪は最も憎むべき犯罪だと思っております。政治家・県知事を逮捕する権限のある警察・検察へのチェック機能を果たす存在は、検察審査会や公安委員会は形骸化し、議会も警察には遠慮している状況下では、マスコミしかないのです。マスコミにはしっかりしてもらわなければなりません。

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2007年12月 5日 (水)

千駄木庵日乗九月四日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後一時半より、永田町の衆議院第二議員会館にて、「沖縄戦『集団自決』再検定を許すな!文科省の責任を問う緊急集会・記者会見」開催。主な登壇者の印象に残った発言は次の通り。

小田村四郎氏「沖縄戦における官民の軍に対する協力奮戦のおかげで、三か月にわたった持久することが出来た。それによって無条件降伏から『ポツダム宣言』受諾という有条件降伏になった。吾々は沖縄県民に感謝すべし。アメリカは、戦後、沖縄県民と軍との対立という架空を作り出した。不当な政治介入から教科書を守るべし。」

平沼赳夫氏「平家が鳥の水音に驚いて遁走した如く、国会議員が沖縄県民集会に十一万人集まったと聞いてびっくりして遁走した。実際は二万人にも満たない数しか集まらなかった。國の検定が嘘の数の圧力に屈してはならない。」

亀井郁夫氏「数に怯えて検定がおかしくなっては困る。」

稲田朋美さん「日本軍の命令・強制によって集団自決が行われたとなると、国家の名誉にかかわる。集会が行われただけで訂正申請が出たが、軍の命令を証明する新しい事実が何もない。」

長勢甚遠氏「事実が一部の政治的意図で歪められていることに怒りを禁じ得ない。」

赤池誠章氏「事実が新たに出ない限り、検定が変わることはないと、文科省は言っている。教科書がおかしくなると、国がおかしくなる。」

西村眞悟氏「嘘を子供に教えてはならない。その嘘によって子供たちの祖国愛がなくなる。これほどの犯罪は無い。」

中村粲氏「赤福の偽装よりも、県民集会の十一万人報道の偽装を糾弾すべし。沖縄のNHKは『政府も動いた十一万の力』という報道をした。こんな公共放送が何十億という受信料が集めるのは許しがたい。報道の放棄は自殺行為。」

中山成彬氏「自虐的教育は否定しなければならない。」

大原康男氏「南京・慰安婦・集団自決は教科書に記述された三大冤罪。全く立証されない事を教科書に載せるのは検定基準に反する。」

終了後、同志議員事務所訪問、懇談。

午後五時半より、北青山の大東会館にて、「時局戦略懇話会」開催。本年の活動の総括及び当面する諸課題について討議。終了後、忘年懇親会。

帰宅後は、原稿執筆。

          ○

ある人が「自民党幹部の中にサヨクがいる」と言っていました。なかなかおもしろい表現だと思います。このカタカナサヨクというのは、共産党・社会党という意味ではなく、わが国の歴史と伝統を否定し、共産支那や北朝鮮に好意的であり、自虐史観の持ち主であり、戦後体制を擁護する人々のことであります。そういう人々が、政治権力の中枢にいたり、権力中枢に大きな影響力を持ち、日本をおかしくしているのです。政権政党たる自民党の実力者・幹部が非日的思想を持っている事は実に困ったことであります。真正保守・伝統護持の政治勢力の結集拡大が急がれます。

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2007年12月 4日 (火)

千駄木庵日乗十二月三日

午前は父母のお世話。そして、父に付き添って病院へ赴く。年老いた両親二人のお世話は大変です。しかし何としてもやり遂げねばなりません。

午後は諸雑務。

夜は、「政治文化情報」の原稿執筆。

          ○

次号の「政治文化情報」では、中河与一論を書くつもりです。中河氏は、大正時代・昭和時代に活躍した作家であります。私の文芸上の師であられます。昭和四十五年末、「三島由紀夫追悼の夕べ」で初めてお目にかかって以来、平成六年、九八歳で天寿を全うされるまで色々ご指導を戴きました。小生が多くのことを学ばせて頂いた方です。

若きころより、反左翼の姿勢を明確にされ、日本傳統精神を近代文芸の上に於いて開花させた偉大なる作家であり、歌人であり、評論家であられます。評論では「萬葉集の精神」「偶然論」、小説では「天の夕顔」「愛戀無限」、歌集は「秘帖」が代表作で、不朽の名作と申し上げていいと思います。

戦後、平野謙・中島健三という左翼によって、不当なデマ攻撃を受け、事実上文壇から追放されてしまいました。まことにお気の毒な方でした。しかし、心ある方からは、中河文芸は高く評価されています。

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2007年12月 3日 (月)

千駄木庵日乗十二月二日

午前は、父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅して、書状執筆・資料整理など。

           ○

日本と共産支那の経済閣僚が一堂に会した「日中ハイレベル経済対話」が一日、北京で行われ、食の安全、環境、知的財産権など四つの分野で協力を強化する共同文書を発表して終了した。「日中の協力強化」などというが、結局は、日本が支那に対して援助と協力をさせられるのである。

私は何時も思うのだが、日本が支那に協力させられる会談に、なにゆえ日本の閣僚が大挙して支那に赴かねばならないのか。これでは日本は全く支那の属国であり、朝貢国家ではないか。日本が協力してやるのだから、支那の閣僚を日本に呼びつけて交渉するべきだ。我が国の政治家はやたらに支那に行き過ぎる。

一方、東シナ海のガス田問題では何の進展もなかった。わが国の資源を盗み取っている国に対してなにゆえ日本が協力しなければならないのか。この東シナ海のガス田問題では、福田政権発足直後から、中川秀直元幹事長、谷垣禎一政調会長ら自民党幹部が相次いで「訪中」し、支那側と話し合いを進めてきた。この問題で支那からは一切閣僚級の政治家は日本にやって来ていない。わが国は完全に舐められているのだ。それは対北朝鮮外交についても言えることである。

ともかく今の日本外交はあまりにも情けないといわなければならない。不当な内政干渉や軍事的恫喝そして資源の盗み取りが続いている限り、支那への協力は一切凍結すべきである。

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2007年12月 2日 (日)

千駄木庵日乗十二月一日

今年もあと一カ月になりました。国事多難の年でありますが、小生にとっても今年は大変苦労の多い年です。しかし、あと一ヶ月頑張っていきたいと思います。

午前は、父の付き添いで病院へ。父と一緒に乗っていたタクシーの車窓から、上野公園の黄葉が見えました。初冬の朝の光に照らされた木々の葉は実に美しいものでした。

病院から帰宅し、種々雑事を処理した後どうしても、もう一回黄葉が見たくなり、上野公園へ赴きました。大噴水・奏楽堂のあたりをしばらく散策して、黄葉を楽しみました。やはり、夕日よりも朝日に照らされる紅葉の方が美しいように思いました。

そして、日本近代洋画の父ともいわれる黒田清輝を記念した黒田記念館を参観しました。黒田清輝が、大正十三(1924)年に没する際、遺産の一部を美術の奨励事業に役立てるよう遺言したことをうけて建てられたのが黒田記念館だそうです。黒田清輝の有名な「湖畔」「智・感・情」など作品や写真や日記などの自筆文献などが展示されていました。

東叡山寛永寺参拝。境内も銀杏や桜の木の黄葉が見事でした。寛永寺は、上野戦争で灰燼に帰し、明治新政府が上野山を公園としたために、江戸時代当時から比べると、十分の一の規模となってしまいました。

谷中墓地に到り、重野安繹(江戸末期から明治初期に活躍した漢学者。薩摩出身。大久保利通と親交があった)の墓を仰ぐ。大きな墓碑銘(島津忠重篆額・小牧昌業撰・内藤虎次郎書)が建てられていた。

さらに大原重徳(江戸後期から明治の尊攘派公卿)の墓を仰ぐ。巨大な神道碑(高官などの生涯の業績を称えるため墓の近くに建てられる碑。閑院宮戴仁親王篆額・股野琢奉勅撰・北村信篤奉勅書)を仰ぐ。

谷中銀座裏を通って帰宅。

夜は、資料の整理。

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2007年12月 1日 (土)

千駄木庵日乗十一月三十日

朝、宿舎を出発。新幹線にて帰京。

午後は、介護関係の方と父母の今後のことについて相談など。

夜は、書状執筆など。

         ○

宮崎県の東国原英夫知事は二八日、宮崎市の知事公舎で行われた県民との意見交換会「県民ブレーン座談会」で、「徴兵制はあってしかるべきだ。若者は一年か二年くらい自衛隊などに入らなければいけないと思っている」と述べ、若者がある一定期間、自衛隊などで規律を学ぶのは重要だとする認識を示した。東知事は座談会のあとで、「若者にはある時期、規律を重んじるような機関で教育することは重要だと思う。道徳や倫理観の欠落が、今の規律の喪失につながっている気がする」と報道陣に述べた。

私はこの発言は正しいと思う。国家存立の基本である国防は本来政府の募集に応じた人々のみによって行われるべきではない。

「徴兵制」という言葉が適切であるかどうかは別として、国民すべてに国防の義務と責任があると思う。その意味で国民皆兵が基本である。国防が国民の神聖なる義務だという意識を国民全体が持つことが大切である。国のために尽くすという心及び武の精神が、道義精神の要である。

陰惨のいじめや凶悪なる殺人事件が起こる根本原因は、戦後日本において国を命をかけて守る精神、真の武とはいかなるものか、という教育がなされて来なかったところにある。また、憲法にもそのことが正しく規定されていないところにある。

今回の発言と靖国神社に参拝した事実を考えると、東国原英夫宮崎県知事は、国家基本問題に関する姿勢で評価する点が多いと考える。

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