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2007年11月24日 (土)

千駄木庵日乗九月二十三日

午前は父のお世話。訪問看護師の方と共なり。

お昼は、知人と懇談。

午後は、皇居東御苑にある三の丸尚蔵館にて開催中の「祝美(いわいのび)──大正期皇室御慶事の品々」展拝観。大正天皇の御大礼・皇太子(昭和天皇)立太子礼・ご成婚・、秩父宮家ご創立などの慶事に際して制作され献上された美術品が展示されていた。

箱型雲鶴文ボンボニエール(キャンディーなどの砂糖菓子を入れる小箱)、諌鼓鶏置物、住吉神像置物、東京名勝図・萬歳楽図衝立、歌絵蒔絵文台・重硯箱などを拝観。大正期という関東大震災はあったが平和で栄えた時代の皇室のみやびの世界を拝することが出来た。わが国傳統美の麗しさに感動した。

三の丸尚蔵館は度々拝観させていただいていますが、その規模のまことに質素です。しかし、宮廷に伝えられた優雅な美術品を目の当たりにすることが出来ます。ありがたいことです。

帰宅後は、資料整理。たまりにたまっていてなかなか大変です。

そして、水曜日に行われる「萬葉古代史研究會」の講義準備。

         ○

「祝美(いわいのび)──大正期皇室御慶事の品々」に展示されていた置物には、高村光雲の作が多くありました。高村光雲は、上野の西郷隆盛像を制作した彫刻家です。千駄木に住んでいました。私が育った家の前の道から大給坂という坂を登って少し行ったところの屋敷です。子息の高村光太郎(詩人・彫刻家)・高村豊周(鋳金家)も住んでいました。

高村家の隣には、宮本顕治・百合子夫妻が住んでいました。駒込林町にはこのほか児玉希望(日本画家)、大平正芳(政治家)、宝井馬琴(講釈師)などが住んでいました。旧町名は駒込林町と言いまして、お屋敷町でした。

そして我が家のあった大給坂の下は旧町名は駒込坂下町と言いました。長屋が並ぶ典型的な下町でした。林町と坂下町は、山の手・下町という区分けの典型と言っていいと思います。

そして駒込林町から団子坂上の道を渡ると、森鴎外の家がありました。私の小さい頃は息子さんの森類氏が古本屋さんを営んでいました。類氏のお嬢さんは小学校の同級生でした。自慢話で大変恐縮ですが、文化の薫り高い千駄木の町に育ったことを誇りに思っています。呵々。

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