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2007年10月 1日 (月)

千駄木庵日乗九月三十日

午前は父のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅して、原稿執筆・資料整理など。

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今、キリスト教やユダヤ教に関する本を読んでいます。そしてつくづく思いますのは、宗教というものの怖さということです。ユダヤ教・キリスト教・回教は同根であるにもかかわらず、二千年近くにわたって激しい宗教戦争を繰り返し、今日に至っております。一神教のみならず、仏教系の教団でも、宗派争いや内部抗争は凄まじいものがあります。日蓮正宗と創価学会の争いがその典型です。「ポア」とか言って殺人を肯定したオウム真理教も仏教系と言っていいでしょう。

一体、宗教戦争・宗教対立でこれまでどれ程の人が犠牲になってきたでしょうか。これに共産主義思想というのを加えますと、人類を幸せにすると広言する思想や宗教がかえって人類を闘争と殺戮に駆り立てといっても決して過言ではありません。そしてこのことは、今日唯今の現実なのであります。

私も、高校時代にある宗教団体に所属して、活動をしていましたので、自分の信ずる宗教教団そしてその教祖を絶対視する精神構造・心理状態というものを経験しました。反対者に対する憎悪というか、反発心というものが非常に強くなるのです。特に同じ教団に所属していたにもかかわらず違う生き方をするようになった人への憎悪はより激しいものとなります。近親憎悪であり、裏切り者・背教者への憎悪です。愛を説き、慈悲を説く宗教教団が、全くその逆の憎悪・排撃の心を駆り立てるのです。

ただ日本の場合、最初は相当排他的でも、時間がたつとそれか希薄になるようです。日蓮上人は、念仏の坊さんの首を由比ヶ浜で刎ねよと幕府に建言しました。しかし、いまや、谷中などの寺町では、念仏宗の寺と日蓮宗の寺か仲良く並んでいます。日蓮宗の坊さんに念仏宗の坊さんの首が刎ねられたという事件は起こった事はありせん。

私は、信仰心・宗教心とは、敬神崇祖の心が基本であると思います。その心さえ持っていればいいとさえ思います。ある特定の教団の教義や教祖・指導者を絶対視することは非常に危険でありますし、それが今日までの宗教戦争の根源にあるものだと思います。

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