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2007年10月15日 (月)

千駄木庵日乗九月十四日

午前は父のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後一時半より、赤坂の乃木神社にて、三潴修学院主催「皇學祭と記念講演」開催。皇學祭・国民儀礼の後、第八代靖国神社宮司湯澤貞氏が「神社奉職四十四年の月日を振り返って」と題して講演し、「明治神宮に昭和三十一年に神職として奉職したのが出発。祭儀部に配置された。翌年の昭和三十二年に明治神宮の千載一遇の御遷宮が行われた。職員宿舎の別のお部屋に森清人先生がおられた。明治神宮は、内苑が二十万坪、外苑が十万坪。大正九年に国有地に造営された。今の国立競技場は、以前は神宮競技場。明治記念館は以前は憲法記念館。明治記念館は結婚式場として評判が良い。そこでもっと儲けたくなって『花がすみ』という料亭まがいのものまでつくった。行き過ぎである。国有地の払い下げを受けた時には神社本庁の世話になりながら、儲かるようになると神社本庁への多額の分担金を振込だったのを神社本庁に取りに来させるようになった。天皇皇后両陛下が御親拝になるお知らせの案内状に『両陛下』と書くべきところを『両殿下』と書き問題になったのをきっかけに、明治神宮は神社本庁を脱退した。残念に思う。神社に教典は無い。明治天皇・昭憲皇太后の御製集が大切。富田朝彦氏は宮内庁次長の時、国会で当時の社会党の議員に『天皇陛下の靖国神社参拝は公的行為か私的行為か』と散々追及された。また、靖国神社国家護持法問題もあった。富田氏と松平永芳元宮司とどちらが正しいかという議論があるが、靖国神社として昭和殉難者の御霊は合祀がふさわしいと判断したのである。古賀誠さんにももう少しご理解を頂きた。」と語った。

この後、板垣正元参院議員が挨拶し、「外に出すべきでないあやふやな『富田メモ』を『天皇の政治利用』の形で利用した。最大の責任者は中曽根康弘と三木武夫。『私的参拝』と言った三木首相の責任は極めて大きい。外交問題になったのは中曽根氏の責任。」と語った。

そして、小生など数人の人が挨拶した。

帰宅後は、資料整理など。

             ○

実際、お気の毒なのは、「天皇陛下の御心に反して『A級戦犯』を合祀した」などと批判されている松平永芳氏である。松平氏は、幽明境を異にされて、反論することが出来ないのである。当時の国会における秦豊などの社会党議員の無法不当不敬なる質問が、富田氏に大きな影響を与えたことは確実である。秦豊などはその質問において昭和天皇様を「裕仁氏」などと言った。國體破壊を目指す社会主義者の策謀が功を奏し、富田氏などの官僚が天皇陛下の靖国神社御親拝の中止の動きを示したのである。「昭和殉難者合祀」が御親拝中止の原因ではない。このことは「政治文化情報」昨年十二月月号で詳しく論じた。皇室問題は、宮内庁の権威の失墜が大きく影響している。他の官庁トップ経験者の天下り先が宮内庁長官の椅子になっている。そして政治家に顎で使われて、皇室の政治利用を防ぐことが出来ないのである。宮内庁も一日も早く省に格上げすると共に、政治権力とは別の位置に置くべきである。

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