« 千駄木庵日乗十月十日 | トップページ | 千駄木庵日乗十月十二日 »

2007年10月12日 (金)

千駄木庵日乗十月十一日

午前は父のお世話。訪問看護師の方と共なり。

お昼は知人と懇談。現在の諸問題について語り合いました。

在宅して原稿執筆。

           ○

 日本の神とはいかなるご存在なのでしょうか。そのことについて書いてみます。

「かみ」のカは接頭語。ミとかムに意味がある。ミ・ムは霊的な力をいふといはれてゐる。ミは身であり実である。即ち存在の実質・中身のことである。このやうに強い霊力・霊威を持った存在のことをカミといふ。上の方にゐるからカミといふといふ説は國語学上は誤りであるといふ。

 本居宣長は、「凡て迦微(カミ)とは、古御典等(イニシヘノフミドモ)に見えたる天地の諸の神たちを始めて、其を祀れる社に坐す御霊(ミタマ)を申し、また人はさらに云はず。鳥獣(トリケモノ)木草のたぐひ海山など、其餘何(ソノホカナニ)にまれ、尋常(ヨノツネ)ならずすぐれたる徳(コト)のありて。可畏(かしこ)き物を迦微(カミ)とは云なり、すぐれたるとは、尊きこと善きこと功(いさを)しきことなどの、優(スグ)れたるのみを云に非ず、悪(アシ)きもの奇(アヤ)しきものなどをも、よにすぐれて可畏(かしこ)きをば、神と云なり」と述べてゐる。この考へ方が今日の神道学の神観となってゐる。

 神に掛る枕詞は「千早振る」である。「チ」は霊のことであり、「ハヤ」は激しいといふ意、「振る」はふるへる意。霊が激しく振ふことをいふ。

 漢字の「神」は象形文字で、偏の「示(しめすへん)」は、神へ供へ物を献ずる台の形を表す。つくりの「申」は稲妻の形を表す。即ち「神」といふ漢字は、雷を神として祀る信仰から発したのである。即ち日本でも支那でも「雷」は神として仰がれ恐れられたのである。

 古代人にとって、太陽のやうな有り難い神もをられるが、雷のやうな恐ろしい神もをられたのである。宣長の云ふ通り、「悪(アシ)きもの奇(アヤ)しきものなどをも、世にすぐれて可畏(かしこ)きをば、神と云なり」なのである。

 「カミナリ(雷)」といふ言葉は「神が鳴る」といふ意味である。歌舞伎にも「雲の鳴神上人」といふのが登場する。

日本国の最高神は、皇祖神であられるとともに太陽神であられる天照大神である。

そして身を隠されている神、即ち目に見えない神にまします天之御中主神を宇宙根源神として仰ぐのである。

|

« 千駄木庵日乗十月十日 | トップページ | 千駄木庵日乗十月十二日 »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/121949/16734613

この記事へのトラックバック一覧です: 千駄木庵日乗十月十一日:

« 千駄木庵日乗十月十日 | トップページ | 千駄木庵日乗十月十二日 »