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2007年10月 8日 (月)

千駄木庵日乗十月七日

朝、宿舎を出発。岡山県の運動家・早瀬内海氏の御案内にて、和気町に鎮座する和気神社に参拝。

御祭神は、鐸石別命(第十一代・垂仁天皇の皇子で和気氏の始祖)弟彦王(鐸石別命の曾孫で神功皇后の三韓征伐の際、反乱をおこした忍熊王を和気関で平定し藤野県(現岡山県和気郡)を与えられ土着した)佐波良命・伎波豆命・宿奈命・乎麻呂命(和気氏の先祖で備前美作両国の国造。国造神社として別に祀られていたが、のちに合祀された)和気清麻呂公(天平五年(733)備前国藤野郡(現和気町)に生まれる。奈良の都に武官として出仕、近衛将監となる。神護景雲3年、僧道鏡が皇位を望むとき、宇佐八幡宮(現宇佐神宮)に勅使として詣で、神託を受け復奏、その野望を阻み国家の危機を救った。その後、桓武天皇の信頼を得て、摂津大夫・民部卿として長岡京の造営、摂津・河内両国の治水工事に当たった。延暦十三年(794)和気清麻呂公の建言により平安京に遷都。造営大夫として新京の建設に尽力した。また、和気清麻呂公は、備前美作両国の国造を兼ね、延暦7年、和気郡の河西に新しく磐梨郡(現赤磐市)を独立させ、農民の便宜をはかった。延暦十八年(799)に六十七歳で薨去)和気広虫姫(天平二年(730)に備前国藤野郡に生まれる。孝謙上皇(後、称徳天皇)に仕え、勅を伝宣する女官を務めた。上皇に従い剃髪し、法均と号した。天平宝字八年(764)、恵美押勝(藤原仲麻呂)の乱の逆徒の助命を懇願して死刑を流刑に改め、乱後の孤児83名を養子として育てた。これはわが国最初の孤児院の開設である。日本後紀には「人と為り貞順にして節操に欠くる無し」「未だ嘗めて法均の、他の過を語るを聞かず」と称えられ、慈悲深く、清純で心の広い人柄であった)

創祀は、古くは和気氏一族の氏神として遠祖 鐸石別命(ぬでしわけのみこと)が祀られ、和気神と称せられていた。天正十九年(1591)に数町川下にあった社殿が大雨で流されたため、現在地に遷座した。

朝倉文夫作の「和気清麻呂公銅像」和気清麻呂公の御真筆と伝えられる「我獨慙天地」と刻まれた石碑を仰ぐ。

小森成彦宮司(和気氏の末裔)と懇談。和気清麻呂公の御事跡、神社神道の今日的使命と課題、真正保守運動・民族運動などについていろいろお話をうかがう。大東塾関係の方で、共通の同志・知人も多く、有意義にして楽しい語らいをさせていただいた。

この後、長船町の備前長船刀剣博物館参観。平安時代から今日までの名刀の数々を見る。

続いて、吉備津神社参拝。備中国一の宮。旧社格は官幣中社。主祭神は、大吉備津彦命(孝霊天皇の皇子。崇神天皇十年四道将軍の一人として山陽道に派遣され吉備を平定)。応永年間(約六百年前)に造営された神殿を仰ぐ。

この後、すく近くに建てられている犬養毅像を仰ぐ。

新幹線で帰京。

            ○

岡山は文字通り山紫水明麗しいところです。川の流れも滔々として清く美しく、山の緑も日に照り輝き、青空も澄み切っておりました。こうしたところに来ますと、日本は本当に良い国であると実感します。お世話いただいた早瀬氏に心より感謝いたします。

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