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2007年10月31日 (水)

千駄木庵日乗十月三十日

午前は、父に付き添って病院に赴く。年老いた父が、これ以上苦しむことのないよう祈るばかりです。

午後は、上野公園にある東京国立博物館平成館で開催中の「大徳川展」参観。何故今頃こうした展覧会が開かれるのか、また何故「大徳川」なのか疑問もありますが、私が講師を務める萬葉集勉強会に来ておられる方から招待券を頂きましたので行ってみました。

徳川将軍家のみならず尾張・紀州・水戸の御三家そして各地の東照宮・輪王寺など徳川家ゆかりの寺院に伝えられる宝物が展示されていました。

武力・権力・財力にものをいわせてかき集めた刀剣、茶道具・武具・絵画・書・能面・着物・装飾品などが所狭しと展示されていました。大阪城落城の際、家康が部下に命じて探し出させた茶道具も展示されていました。何の事はない他人の家を焼き払って強奪した物ということです。「切り取り強盗は武士の習い」という言葉を思い出しました。

刀剣は国宝が数多くあり見事なものでした。私が驚いたのは、「千代姫婚礼調度・純金台子皆具」というもので、三代将軍・家光の長女が尾張家に嫁いだ時の純金の調度品です。豊臣秀吉の黄金の茶室と同じく成金趣味という表現がぴったりのものでした。

しかし家康などの将軍たち所蔵の仏典・漢籍も展示されていました。徳川氏が学問を重んじたこと、三百年近くの泰平の世をもたらしたことは事実です。

十四代将軍・家茂が、長州征伐出発の際、降嫁され御台所となられていた皇女・和宮さまに、凱旋のお土産として持ち帰る予定であったが、家茂が急死したため、和宮さまのもとに形見として届けられた「西陣織」が展示されていました。後に、家茂追善供養の袈裟に用いられたといいます。「空蝉の袈裟」と名付けられていました。

和宮さまの「空蝉の 唐織り衣 なにかせん あやも錦も きみありてこそ」(見事な織物もあなたさまがおられなくては何の価値があろうか、あなた様がおられてこそ価値があるのです、というほどの意)という御歌が添えられていました。これを拝して涙を禁じ得ませんでした。夫を心より愛し、夫のためにそして嫁ぎ先のためにつくすということが日本女性の道であります。

近代においては、韓国皇太子(李王家)に嫁がれた李方子様、満州国皇帝の弟君(愛新覚羅家)に嫁がれた嵯峨浩様もまさにそうした日本女性の道を実践されました。

夕刻、小学校時代の先輩と懇談。初恋の人の兄君なり。

帰宅後は、明日の萬葉集講義の準備

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