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2007年9月30日 (日)

千駄木庵日乗九月二十九日

午前は、父のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅して書状執筆・資料整理など。

           ○

わたくしは、わたくし自身が道義や武士道を人様に論じることが出来る人物だとは毛頭思っていない。しかし、自分自身の反省として次の事だけは論じておきたいと思う。

かつての日本国民は、事の結果に対して潔く責任を負い、恥を知る道義心を持っていた。武士道精神がその典型だが、武士だけでなく、農民も、商人も高い道義心を持っていた。日本の文化は、「名と恥の文化」といわれる。日本人は本来、名誉を重んじ名がすたることをもっとも忌み嫌い、恥を知る民族である。

 わが国の武士道精神は、「忠」「孝」「義」「勇」「仁」「礼」「誠」「名誉」「克己」という徳目がその内容となっている。わが国国民の正邪・善悪の観念は、武士道精神に基づくといっても過言ではない。

武士道精神の核となるのは、「忠孝精神」「名誉の感覚」「廉恥心」(心が清らかで、恥を知る心)である。しかもそれは武士階級のみの道義精神ではない。日本人全体が持っている心・持つべき心である。

長い日本の歴史の中で、須佐之男命・日本武尊という神話時代の英雄、万葉時代の防人たち、中古中世の鎮西八郎為朝、源義経、楠正成、さらに近世・幕末における赤穂四十七士、井伊直弼を撃った水戸脱藩浪士などの志士の行動、白虎隊士の自決、さらに大東亜戦争における特攻隊員を始めとした兵士たちの行為などは、「武士の鏡」「英雄」と讃えられた。

しかし、戦後日本は、そうした英雄の行為を「非合法」「反ヒューマニズム」として裁き日蔭に追いやった。「國のため敵を撃つ」「大君の御為に身命を捧げる」「仇なすものを討つ」などという精神は、「平和と民主主義」と絶対相容れない「行為」として、「日蔭」に追いやられ続けている。

 ところが「武士道」を否定し、「生命の尊重」が最高の道徳とされ、「平和と民主主義」を謳歌している今日の日本において、戦前どころか有史以来見られなかった凶悪にして残虐なる犯罪、殺人事件が続発している。

戦後日本の国民は、古いものは全て悪いものだと考える軽薄な国民に成り果ててしまっている。親孝行も愛国心も義理も人情も全て、旧道徳・軍国主義・封建思想と片付けてしまった戦後教育が、今日の亡国的状況をもたらしたのである。つまり履き違えた「平和論」と誤った「人権思想」が横行しているところに今日の混迷の根本原因があるのである。

やはり我々は今日に於いて、日本の伝統的に武士道精神を甦らしめねばならないと痛感する。

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