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2007年9月 9日 (日)

千駄木庵日乗九月八日

未明に原稿完成。送付。

午前は父のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、ある講演会に出席の予定でしたが、小生の不注意により、家を出発する時刻が、その講演会の開始時刻でした。會場まで約四十分程度かかりますので、出席をあきらめました。

もう出かける支度をしてしまいましたので、日本橋室町の三井記念美術館に行きまして、開催中の「美術の遊びとこころ『旅』 国宝『一遍聖絵』から参詣図・名所絵、西行・芭蕉の旅まで」を参観しました。

時宗開祖一遍上人の生涯を描いた絵巻・国宝「一遍聖絵」、藤原定家が後鳥羽上皇の熊野詣に随行した際の記録・国宝「熊野御幸記」、中世の富士参詣を描く重要文化財「富士曼荼羅図」、伊勢神宮への参詣を描いた「伊勢参詣曼荼羅」、歌僧西行の行状を描いた狩野晴川院養信筆「西行物語絵巻」、俳人松尾芭蕉筆の「旅路の画巻」、江戸から長崎までの街道と航路を描いた金屏風「大日本五道中図」、羊皮紙に描かれた重要文化財「日本航海図」などが展示されていました。三井家当主などが使用した携帯用の茶道具も展示されていた。江戸初期に創業した三井家から見れば三菱創業者の岩崎家は新興財閥ということになるのかもしれません。

「熊野御幸記」とは藤原道長の玄孫にして中世を代表する歌人藤原定家が、後鳥羽上皇の熊野御幸に供奉した建仁元年(1201)三十九歳の時の日記ですが、実物の見たのは初めてです。

白河上皇をはじめとして、後白河上皇・後鳥羽上皇などが熊野三山への御幸を行われられました。後白河上皇は三十五年間で三十四回、後鳥羽上皇は二十四年間のうちに二十八回熊野御幸を行われました。何故このように数多く熊野に御幸されたのかは、いろいろ説があるようです。熊野三山は浄土の地であるとみなされ聖地として崇められておりましたので、国家の安泰を願われる上皇が、大変な苦労をされてまで、彼の地に赴かれ、祭祀を行い、祈りを捧げられたのであると思います。

「熊野御幸記」には、上皇が祈りを捧げられるご様子や、熊野御幸の途上、神仏への奉納として和歌の会が催されたこと、熊野三山の神聖さに定家が感激したことが記されていました。

御歴代の聖天子は、常に日本の神々や仏に対して祈りを捧げ、祭りを行わせられていたのであります。

帰宅後は、諸雑務。

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