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2007年9月18日 (火)

千駄木庵日乗九月十七日

午前は、父のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、台東区根岸にある子規庵見学。正岡子規が、明治二七年から三五年九月十九日に亡くなるまで住居としたところです。昭和二十年四月の戦災で全焼しましたが、二十六年に当時のままに姿に再建されたということです。狭い家ですが、歌会・句会が行われたであろう座敷、子規が病臥していた部屋などがありました。

子規庵のすぐ目の前が書道博物館です。洋画家・書家であった中村不折が、昭和十一年、自邸内に創設した書道専門図書館。「企画展・ニッポンの書」見学。中村不折の書作品・「龍眠帖」「臨顔真卿斐将軍詩」、夏目漱石・正岡子規・森鴎外・日下部鳴鶴・伊藤左千夫などの書状、副島種臣・谷干城の軸などを見る。また、支那古代の石碑・墓標・副葬品・青銅器・亀甲獣骨文なども展示されていた。

私は、自宅からそう離れたところではないに、子規庵と書道博物館の見学は今回が初めてでした。根岸の町もあまり来たことはありませんでした。山を一つ越さねばならず、交通手段も不便なためです。今日は思いきって来てみました。静かないい街です。ただしラブホテルが多くありました。

御隠殿跡というところがありました。御隠殿は東叡山寛永寺門主輪王寺宮法親王の別邸です。寛永寺門主は、後水尾天皇の皇子・守澄法親王が門主として入山されて以来、天皇より輪王寺宮の称を賜り、以後歴代の寛永寺門主は日光山輪王寺の門主を兼ね、天台座主として全国の天台宗寺院を統括されました。一方芝の増上寺とともに将軍家の菩提所とされました。徳川幕府の宗教的権威をつくるために、皇室の権威を利用したと言っていいと思います。また反幕府勢力が京都におわします天皇を立てて幕府打倒の動きを見せた時、輪王寺宮法親王を天皇として奉ることも考えていたという説もあります。事実、戊辰戦争ではそういう動きもありました。御隠殿は三千坪の優雅な庭園だったそうですが、彰義隊の戦いで焼失し跡形もありませんでした。

鉄道線路をまたぐ陸橋を渡りまして、谷中墓地に通じる御隠殿坂ぼり、谷中墓地を巡り、帰宅しました。

輪王寺宮法親王と戊辰戦争のことについては色々と書きたいことがありますが、別の機会に譲ります。ともかく、徳川幕府は自己の権威を高めるために、皇室を大いに利用しました。にもかかわらず、天皇・皇室を事実上、京都御所に幽閉し奉ったのです。なんとも許し難いことです。近々どこかの博物館で「大徳川展」とやらが開かれるようです。とういう展示になるのは興味深いものがあります。今日は大変暑い日でしたが、色々勉強になった一日でした。

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